お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第437号

2026年11月04日

TYD(Tokyo Youth Day)2026 参加報告

小宮 一航(関口教会信徒)

10月3日(土)に、東京教区の国際青年イベントであるTYD(Tokyo Youth Day)が開催され、日本語・ベトナム語・ミャンマー語・韓国語・英語などの各コミュニティから総勢260人以上の若者が参加しました。さらに、2027年に韓国・ソウルで開催されるWYD(World Youth Day)に向けた準備の一環として、WYD準備委員会の責任者であるソウル教区のイ・ギョンサン補佐司教をはじめとする3人の聖職者と10人以上の若者が、ソウル教区から駆けつけてくださいました。

プログラムは昼過ぎから神田教会で始まり、上智大学神学部の片山はるひ教授がWYDの歴史と魅力についてご自身の経験に基づいて語ってくださり、またアンドレア・レンボ補佐司教からはWYDのテーマ福音「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ16・33)」についての講話をいただきました。

その後に設けられたゆるしの秘跡の時間では、5言語・計7カ所のブースが用意され、参加者はそれぞれの母国語で秘跡に与りました。続く関口教会までの約4キロの徒歩巡礼は天候にも恵まれ、コンビニでのアイス休憩なども挟みながら、言語や国籍を越えて親交を深めることができました。関口教会では、アンドレア補佐司教とイ補佐司教の共同司式により国際色あふれる青年ミサが行われ、ソウル教区の青年たちから「ソウル エソ マンナヨ(ソウルで会いましょう)」というメッセージが贈られました。

私自身もこのTYDにスタッフとして参加させていただき、WYDソウル大会への期待のみならず、日本の教会における青年活動の未来にも大きな希望を感じることができました。普段関わっている日本語コミュニティの青年活動では、なかなか参加者が増えなかったり、スタッフの確保に苦労したりなど、少子高齢化が進む日本の教会の厳しい現実を感じることもしばしばあります。しかし今回のTYDでは、ベトナム語やミャンマー語、英語で司牧されている神父さま方の呼びかけもあり、カテドラルが熱気でいっぱいになるほど大勢の多国籍・多言語の若者が一堂に会することができました。各国語で歌われる聖歌や共同祈願を聴きながら、聖霊の働きがどれほど自由であり、教会が持つ多様性がいかに美しいかを深く実感しました。もちろん、異なる言語を話す者同士がどのように人間的な交わりを深めていけるのか、今後考えるべき課題は少なくありません。しかし、この日本において本当の意味で一致した教会を実現するためには、若者一人ひとりが言語や文化の多様性がもたらす恵みの豊かさに心を開き、枠を超えた交わりのうちに聖霊の働きを見いだそうと願う希望が不可欠だと感じています。

アンドレア司教はゆるしの秘跡への招きとして、「私たちが勇気を持てるのは私たちが強いからではありません。イエスが共にいてくださるからです。キリスト者とは恐れを持たない人ではなく、その恐れを誰に委ねるべきかを知っている人です」と述べた。さらにヨハネ福音書3章16節「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」を紹介し、「このみことばはぜひ英語で覚えてください。頭文字がGOSPEL、すなわち『福音』になっています」と語った。

ヨハネ福音書3章16節の英訳版。

片山氏はWYDの大切な3つのポイント「ともに信じることの喜び!」として「キリストと出会い、信仰を深める」、「『教会』と仲間と出会う」、「『使徒』となる」を挙げた。また、WYDは本大会だけでなく、その前後の過ごし方も大切であることも強調した。

アンドレア司教による説教。冒頭でアンドレア司教は「私たちのWorld Youth Dayソウル2026年の巡礼はいつ始まるでしょうか?飛行機に乗る日でしょうか?ソウルに到着する日でしょうか?私は今日から始まるのだと思います。ソウルはまだ遠く、出発までは何カ月もあります。でも、巡礼とは目的地についた時に初めて味わうのではありません。そこへ近づく心を今日から少しずつ整えていくことにもたくさんの価値があるのです」と参加者を励ました。
説教は4カ国語で行われ、日本語と英語はアンドレア司教自身が、韓国語通訳は金泌中神父(西千葉教会主任司祭)が、ベトナム語通訳はグエン・タン・ニャー神父(イエズス会)が務めた。

イ補佐司教の感謝のあいさつ。あいさつの中でイ司教は「創世記1章6節によれば、神様は私たち人間を自分たちと同じように造ってくださいました。私たち皆は自分の心の中に神様と同じものが含まれています。このような青年大会を開催するということは、私たちの中にいる神様を見つけることになります。相手の方の心の中にいる神様を見つけることにもなります」「今日私は、私が皆さんに会うのではなく、私の中にいる神様が皆様に会うようにやって来ました」と、出会いの素晴らしさを語った。

神田教会からカテドラルへの徒歩巡礼

日韓両国の司祭団

韓国の青年による「ソウル エソ マンナヨ」のメッセージ

2027年1月11日から行われるパイプオルガンオーバーホールの作業内容を、ほんの一部ですがご案内いたします

3,122本のパイプは金属製と木製に分かれております。パイプに埃の堆積や傷みが見られるので、分解掃除し、管の正しい形状を復元します。

パイプまで風を送る「風箱」は,カシ、クルミ、モミの木で出来ており、蛇腹には羊皮を使用しています。パーツの再点検、清掃、再使用のためのオイル塗布が行われます。

楽器に付いている4つの「ふいご」の摩耗が酷く、穴が開いている箇所もありますので、羊皮で元のように作り直し、木製部分は革を貼り接着・修復します。

コンソールはオルガン演奏者の言わばコックピットなので、検査、再調整、洗浄、復元等を慎重に行います。またライトはすべてLEDに変更され、暖色系の明るい光に置き換えられます。

2027年1月11日にイタリアのマショーニ社から3名の技術者が来日され、約20日間の工期で工事が行われます。

献金のお願い

オルガン修理工事費の献金をお願いしておりますが、目標の金額にはまだまだ不足しております。既にご支援をくださいました皆様にはお礼を申しあげますとともに、引き続き皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

献金受付口座
◉銀行名:ゆうちょ銀行  ◉店番:019  ◉金融機関コード:9900
◉預金種目:当座       ◉店名:〇一九店(ゼロイチキュウ店)
◉口座番号:0351822   ◉口座名義:カトリック東京大司教区

第2回「共に歩む!東京教区教会学校リーダー会」

9月6日、東京カテドラル構内ケルンホールにて、東京教区教会学校委員会主催の教会学校リーダーの集い「共に歩む!東京教区教会学校リーダー会」が開催された。今回で2回目の開催となる。
この集いは、東京教区で活動するリーダー有志の「教会学校リーダー同士で情報を共有したり、悩みを相談したりできる場があったらよいのではないか」という思いから生まれた企画である。今年1月に第1回を開催し、参加者から好評を得たことから、今回の第2回開催につながった。

当日は雨が降る中、東京教区だけでなく、他教区や他教派からの参加者も含め、幅広い年代のリーダー約30人が集まった。

最初のプログラムは、東京教区青少年委員会担当の森晃太郎神父(イエズス会)による「リーダーのための教会学校」。

森神父による講話

教会学校のリーダー経験を持つ森神父によるレクリエーションから始まった講話では、ルカによる福音(24・32)「私たちの心は燃えていたではないか」が引用され、2人の弟子たちがイエスとの対話を振り返ったように、参加者自身にも「リーダーを始めたきっかけ」や「今も続けている理由」など、いわば自分自身の「原点」について問いかけた。この問いかけを受け、参加者は班に分かれ、それぞれの思いを分かち合った。

続くプログラムでは、「共に考える!わたしたちの教会学校」と題し、班ごとの分かち合いが行われた。これは前回のアンケートで参加者から寄せられた「より多くの分かち合いや情報交換をする時間がほしい」という声を受けて企画されたものである。

事前に参加者から集めた教会学校での悩みを整理し、「リーダーの人手不足」「若手リーダーの育成」「信仰教育」「保護者との関係」など、8つのテーマを用意。その中から班ごとにテーマを選び、悩みを共有するとともに、「来週からできることは何か」を話し合った。

参加者のほとんどが初対面という班もあったが、各班とも活発な意見交換が行われた。発表ではそれぞれの班が考えた「来週から実践できること」も紹介され、他の教会の取り組みを知る貴重な機会となった。

最後に森神父から「皆さんの心は燃えていますか」と改めて問いかけがあった。

リーダーは時に行事の準備や日々の活動に追われ、いつの間にか「仕事」のようにこなしてしまうこともある。しかし私たちリーダーが大切にしたいのは、子どもたちや共同体のために心を燃やし、奉仕する姿勢である。

今回の集いは、子どもたちや教会のためにそれぞれの場所で奉仕するリーダーたちの思いの強さを、改めて感じる機会となった。

東京教区教会学校委員会では、今後も継続してリーダー同士が集い、学び、支え合う場を設けていきたいと考えている。

東京教区ドイツ語共同体小教区認可10周年感謝ミサ

9月27日、中目黒の聖ミカエル教会にて、東京教区ドイツ語共同体小教区認可10周年感謝ミサが行われた。ドイツ語共同体自体の歴史は1962年に始まったが、10年前、岡田武夫大司教によって「属人小教区」として認可された。この日は、東京だけでなく、横浜など近隣地域からもドイツ出身者やドイツ語話者が集まり、聖堂はいっぱいになった。

ミサの司式は菊地功枢機卿が務め、ドイツ司教協議会から派遣されているドイツ語共同体主任司祭のミルコ・クイント神父、同共同体と親交が深いエミリオ・マルチネス神父(ドミニコ会)、そして教区本部協力司祭の石脇秀俊神父が共同司式に加わった。また、ミルコ神父の前任として長年、同共同体の主任司祭を務めたハインツ・ハム神父(イエズス会)もミサに参加してくださった。

左から、エミリオ神父、菊地枢機卿、ミルコ神父、石脇神父

ハム神父(左)と菊地枢機卿

ミサの説教で菊地枢機卿は「ドイツ語共同体が東京大司教区の中に存在するのは、ドイツ語を話す信者たちのための安全な避難所を提供するためではありません。東京の教会共同体の多様性の一部として、その中でともにシノドスの旅路を歩むためです。このことをどうか忘れないでください。わたしたちは、ともに歩み続ける神の民です(原文は英語)」と述べ、ドイツ語共同体が、特定の言語、文化的背景を持った信徒のためにあるのではなく、東京教区という一つの共同体の部分として存在していることを強調した。

菊地枢機卿の説教

雨続きの9月であったが、この日は晴天に恵まれ、ミサの後は教会の前庭で祝賀会が行われ、焼きたてのドイツソーセージが振る舞われた。

東京のドイツ語カトリック教区と教会の未来をめぐって
ミルコ・クイント神父(ドイツ語共同体主任司祭)

2026年秋、東京のドイツ語カトリック共同体が、教会法上正式に属人小教区となった10周年を祝ったこの日、この記念日が単なる典礼上の祝日以上の意味を持つことがすぐに明らかになりました。それは、日本とヨーロッパの教会および社会情勢を新たな視点で捉え直す契機となった瞬間でした。

この記念式典は、日本でもヨーロッパでも、移民、国際性、社会的アイデンティティをめぐる問題が新たな鋭さを帯びつつある時期に開催されました。日本は現在、入国管理やビザの規制を見直そうとしており、国民の均質性や社会の安定性に関する公の議論が、政治的議論をますます支配しつつあります。同時に、ドイツやオーストリアを含む多くの欧州諸国では、政治的な二極化が進んでおり、移民や統合の問題が民主主義制度にとっての試練となっています。帰属意識や文化的多様性に関する議論は、政党の枠をはるかに超えるほどの爆発的な勢いを帯びてきました。

こうした背景から、ドイツ語圏カトリック小教区の記念行事は特別な意義を持つものとなりました。これは、日本における外国人カトリック信者の存在が、単なる司牧的現実にとどまらず、教会の将来を左右する要因であることを改めて想起させるものでした。菊地功枢機卿ご自身も説教の中で繰り返し、日本、とりわけ東京大司教区における教会の未来は、各教区に活力、多様性、そして宣教のエネルギーをもたらす国際的なカトリック信者たちによって大きく支えられていると強調されていました。この見解は、司牧的であるだけでなく、教会運営的にも重要な意味を持ちます。なぜなら、数字がはっきりと物語っているからです。東京大司教区では、ミサに参加する信徒の半数を外国人カトリック教徒が占めるとも言われています。国際的な共同体がなければ、教会生活はほとんど考えられない小教区もあるでしょう。

日本におけるドイツ語による司牧活動の歴史は、専任司祭が配置された小教区が設立された10年前よりもはるかに古いものです。100年以上にわたり、ドイツ語を話すカトリック信徒たちはこの国で霊的な居場所を見いだしており、65年近くの間、信徒たちは東京・中目黒の聖ミカエル教会に集まってきました。この長い伝統がこの小教区を形作ってきましたが、教会法上の小教区設立によって初めて、新たな質がもたらされました。それは、組織的な面だけでなく、日本の教会構造の中に公式にその地位を確立することで、司牧活動を安定させたということです。日本でもヨーロッパでも、社会的・政治的な動向がアイデンティティ、帰属意識、そして未来に関する問いを投げかけているこの時期に、この記念行事は対照的な存在となっています。それは、教会が国際性を脅威ではなく豊かさとして捉えることができる場であり、また、外国人カトリック信徒の存在が、日本における教会の現実を支える重要な要素であることを示しています。

記念式典そのものが、この現実を印象的に映し出していました。国内外のドイツ人の守護聖人である大天使ミカエルの祝日に捧げられたミサは、3カ国語で行われました。共通語としての英語、多くの信徒の出身地を象徴するドイツ語、そして地域へ根ざしていることを示す日本語です。

このミサにドイツとオーストリアの大使、ならびにスイス大使館の代表者が出席したことは、この小教区が信仰の場であるだけでなく、国際的な出会いの場でもあることを示していました。とりわけ、他の場所ではそうした架け橋が脆くなりつつある時代にあって、架け橋が築かれる場であったのです。

こうして、ドイツ語カトリック共同体の記念行事は、社会における均質化の傾向にもかかわらず、日本の教会が依然として国際性を保っていることを再確認させるものでした。また、外国人カトリック信徒の存在が単に容認されているだけでなく、高く評価されていることを示しました。日本でもヨーロッパでも、移民や国民的アイデンティティをめぐる政治的議論が激化しているこの時期に、このミサは希望の兆しとなりました。それは、異なる出自を持つ人々が共に信仰を分かち合い、祝賀し、責任を担う場所にこそ、教会の未来が築かれていくことを示唆するものであったと思います。

ミャンマーの教会に想いを寄せて

ミンダット教区 オーガスティン·タン·ゾーム·フン司教

毎年、東京教区「ミャンマーデー」には、教区としてミャンマーから司教をお招きしている。今年はミンダット教区のオーガスティン・タン・ゾーム・フン司教が招待されている。ミンダット教区は2025年に設立されたばかりのミャンマーで最も新しい教区であり、オーガスティン司教は2025年4月に司教に叙階された。残念ながら、紛争の影響により、司教は司教座聖堂に居住することができず、仮設住居で生活せざるを得ない状況である。私たちは、オーガスティン司教宛に、彼の教区についていくつかの質問を送り、司教はそれに答えてくださった。

オーガスティン司教

1.(a)ミンダット教区の人々は、どのような方々ですか。

ミンダット教区は、二つの大きく異なる地域から成り立っています。一つはマグウェ地方域の低地部、もう一つはカトリック信徒の大半が暮らす、チン州の険しい高地です。チン族の人々は家族の結びつきが強く、地域共同体の生活も活発で、深いキリスト教信仰を持っています。もてなしの心にあふれ、信仰を大切にする人々です。

伝統的な住居

(b)人々は、自分たちで食料を作ることができるのでしょうか。

多くの家庭では、焼畑農業や小規模農業、肉体労働などに頼って生活しています。家庭で食べるための野菜のほか、米、トウモロコシ、アワなどの季節ごとの作物を栽培することはできます。

2. 教区の人々は、どのように収入を得ているのでしょうか。

人々の主な収入源は、コーヒー、ゾウコンニャク、アボカドなどの農産物の販売です。一部の家庭では、海外で働く家族からの送金も重要な収入源です。多くの若者が仕事と収入を得るために故郷を離れざるを得ません。そうした若者たちの犠牲によって、故郷に残る家族は生活に必要なものをまかなうことができています。

3.ミンダット教区の子どもたちの教育状況について教えてください。

2021年以降、公的な学校教育は機能しなくなりました。そのため、それぞれの地域共同体が、子どもたちの教育を途絶えさせないための代わりの方法を模索しています。また、家庭の収入の低さに加え、紛争による治安の悪化や避難生活のために、多くの子どもたちが学校教育そのものから離れざるを得なくなっています。

4.どのような人たちが教師を務めているのでしょうか。

教師には、専門的な訓練を受けた資格を持つ教員だけでなく、地域で採用された住民やボランティアも含まれています。遠隔地の村では、高校を卒業した若者たちが幼稚園や小学校の子どもたちをボランティアで教え、大学生が高校生を教えることもあります。十分な研修を受けられず、生活環境も厳しい中、こうした教師たちは、子どもたちの教育を支えたいという強い思いをもって奉仕しています。

5. ミンダット地域の良いところ、特に大きな魅力や長所はどのような点でしょうか。

ミンダット地域の大きな魅力は、人々そのもの、キリスト教信仰、地域共同体の生活、そして豊かな自然環境にあります。気候にも恵まれ、空気は新鮮で澄んでおり、自然環境に恵まれています。また、山岳地帯の地形を生かして、さまざまな季節の果物や野菜を栽培することができます。

6. ミンダット教区では、どのような食べ物が美味しいのでしょうか。

この地域の料理は、チン族の人々の文化や伝統を反映した、独自の特徴を持つ料理です。食材の多くは森から採取されます。特別なお祝いの際には、ミトゥンと呼ばれる野牛の料理やチキンサラダが作られ、ユ(Yu)と呼ばれるシコクビエという穀物から作る地元の飲み物とともに食べられます

7. ミンダット教区の司教として、将来にどのような希望を抱いておられますか。

ミンダット教区の司教として、私が何より願っているのは、人々が信仰と尊厳、一致を深め、人間としてより豊かに成長していくことです。特に大きな希望を抱いているのは、子どもたちと若者たちです。彼らは意欲にあふれ、学ぶことを望み、よりよい未来を築きたいという強い思いを持っています。資金的援助を含む支援を受けながら、私たちは学習センターを設立し、質の高い専門的な教育を提供したいと考えています。そうすることで、子どもたちがそれぞれの才能を伸ばし、教会と社会の中で責任ある一員として成長していけるよう願っています。

仮設教室に壁を作る作業

そして何より、私の最も深い願いは、ミンダット教区が、現代のさまざまな困難や試練のただ中にあって、福音を生き生きと証しする教区となることです。すべての子どもが教育を受けることができ、すべての若者が自らの召命を見いだし、それを育むことができ、すべての家庭が尊厳をもって生活することができる。そして教区全体が、信仰と交わり、宣教において共に成長していく。そのような未来を私は願っています。

※今年の東京教区ミャンマーデーは11月15日です。東京カテドラル聖マリア大聖堂では午前10時から菊地功枢機卿、アンドレア・レンボ補佐司教、オーガスティン司教の共同司式によるミサが行われる予定です

アジアに生きる その2

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 
小西 広志神父

9月の初めに開催されたアジア各国のシノドス担当者の集いで、考えたことがある。

アジア司教協議会連盟(FABC)の事務局は、アジアにおけるシノダリティ(ともに歩む)教会の姿を、豊かなイメージを用いて説明してくれた。「織物」、「橋をかける」、「母のささやき」という三つのイメージは、アジアの教会が生き、歩む現実から生まれたもので、決して抽象的な内容を分かりやすく言い換えたものではなかった。

2021年から2024年まで開催された世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会は「教会のシノダリティのためのシノドス」と呼ばれた。そこでは、シノダリティという教会が本来備えている美しい姿を「交わり、参加、宣教」という三つの視点からまとめようと試みた。

「交わり、参加、宣教」は、神の民の教会にとって大切な要素である。しかし、わたしは世界代表司教会議のあとに、この三つの要素を抽象的に考えてしまっていた。「交わりとは何か?」、「参加とは何か?」、「宣教とはどういうことか?」と問いかけるばかりで、シノドス的な教会の具体的な姿を見つけ出すことがなかなかできないまま、時が進んでいった。

わたしと同じような状況に、アジア各国のシノドス担当者たちも直面しているようだった。そして、こういったにっちもさっちもいかない様子を「シノドス疲れ」とお互いに呼び合い、慰め合った。理屈ではシノダリティの教会のすばらしさを分かっていながらも、それこそ腑に落ちないまま、フワフワした状態にあるシノドス担当者たちに、FABCの事務局は分かりやすく、しかも日常の生活からかけ離れない三つのイメージで教会の姿を分かち合ってくれた。

「交わり」は「織物」のイメージに託して語られる。「織物」はアジア諸地域だけに特徴的なものではないが、アジアのどこにも美しい「織物」の文化がある。西アジアは伝統的に緞通(カーペット)を織り続けてきた。東南アジアは日常の生活で使うゴザやマットを、身近にある草木などを使って編んできた。東アジアは美しい絹糸や木綿糸を用いながら、布を織り、民芸品や工芸品を作り上げてきた。

「織物」を作り上げる糸はそれぞれ色も長さも違う。しかしながら、一本たりとて無駄な糸はない。違う糸が結び合わさり、縦横に組み合って美しいものができ上がる。一本一本の糸は教会に集う人々のイメージとなる。人種も違う、言語も違う、文化も違う人々が教会という大きな機織り(はたおり)に集い、交わりという美しい一編の布地が出来上がる。縦糸と横糸を結び合わせるために左右に行き来するのは「梭」(ひ、英語ではシャトル)としての聖霊である。聖霊はシャトルバスのごとく行ったり来たりしながら、人と人とを結び合わせ、交わりをつくってくれる。

「参加」は「橋をかける」のイメージで語られる。アジアの民は「架け橋」のためにエネルギーを注いできた。こっちの村とあっちの村を隔てている谷に橋をかけ続けてきた。人と人が交われるためである。アジアの中でいち早く工業化が進んだ日本では、あちこちに橋もかけ続けたが、同じように隧道(トンネル)も掘り続けた。そして、そこで培った架橋と掘削の技術を用いて、我が国はアジアの各地で仕えてきた。

ちょっとした切れ目が人と人とを割いてしまう。谷や河や山によって人の行き来は妨げられる。妨げるのは自然物だけではない。経済、争い、戦争といったものが人と人を裂いてしまう。裂け目は傷のようにいつまでもうずき、癒されることはなかなかない。
その傷の上にわたしたちは「架け橋」をかけ続ける。こっちからあっちへと行けるように。あっちからこっちへと行けるように。仮にその橋が雨や洪水によって流されてしまったとしても、アジアの人々はあきらめない。「橋をかける」手を休めることはない。こうして、多くの民が集いへと、交わりへと招かれていく。教会もまた、傷つきながらも「橋をかける」ことをあきらめない。

「宣教」は「母のささやき」のイメージで描かれる。高度に発展してしまった西側先進諸国とは違い、アジアには人のぬくもりがある。匂いがある。人が最初にぬくもりと匂いを感じるのは、母親に抱かれた時だ。その体験は、こころの深いところに積み重なっていく。黙って子どもを抱く親はいるだろうか。小さないのちに対して何かをささやく。相手が分かっているかどうかは問わない。親は自分が得てきた生きる知恵を子どもにささやく。子どもはささやかれた言葉を胸に刻んで成長していく。こうして、人は母のささやきを通して善悪を知り、生きていく価値を身につけていく。母親だけがささやくのではない。父親も祖父母も、兄弟姉妹も、小さな声でささやく。人はささやきを耳にしながら成長していくのだ。

「母のささやき」には、希望と平和が満ちている。もちろん、時には否定的なことを、何もできない小さないのちにささやくこともあるだろう。大切なことを祝福を込めてささやかない限り、人は成長していかないことに気がついているから、大人は子どもの前で身を正す、襟を正す。
イエスは、弟子たちにささやいた。小さな、落ち着いた声で。神の国の秘密と父なる神の愛の深さを、静かにささやいた。イエスは大げさなことをしない。組織だったことをしない。相手に合わせて優しくささやく。

初代教会は、イエスの出来事、すなわち救いの出来事を静かにささやいたのだろう。共同体に時折やって来る巡回説教者がささやいてくれる「イエス物語」に信者たちは喜んで耳を傾けただろう。しかし、いつの頃からか、宣教は組織となり、機構となり、プロジェクトとなった。こうして「母のささやき」に耳を傾ける幼子のようなキラキラとした輝きを、宣教される人々から見いだすことができなくなってしまったのかもしれない。

「母のささやき」には、人と人とが視線を交わすものがあった。人と人が視線を交わしながら、静かにイエスの出来事をささやく。それが宣教となる。

「織物」のような交わりの教会、「橋をかける」ごとく人と人をつなげる教会、そして「母のささやき」のようにいつも相手にまなざしを注ぎながら、人となった知恵そのものであるイエスを優しく伝える教会。これがアジアのシノダリティの教会の姿となる。

この三つの美しいイメージを教えてもらって、わたしは、2025年3月に教皇庁シノドス事務局が発した文書にあった次のような一文の意味が分かったような気がした。「シノドスの実施段階は、単に上からの指示を『適用』するものではなく、むしろ『最終文書』で示された方向性を、地域の文化や共同体のニーズに適切に適応させる『受容』の歩みとして理解されるべきです」。

「シノドス疲れ」の原因は、生きている現実を忘れて無理やりシノダリティを「適用」しようとしていたからだと気づかされた。

特に宣教は「ささやき」であるというイメージは、新しい視点の始まりとなった。落ち着いて、ゆっくりと、静かにささやいて生きていきたいものである。

福島の地からカリタス南相馬 第56回

カトリック原町教会信徒 鈴木 高子
東日本大震災を振り返って

2011年3月11日、東日本大震災は、私たち家族の日常を一変させました。夫と高校2年生の長男、中学2年生の長女、私の4人家族でした。震災により学校も大きな影響を受け、子どもたちは通学できなくなりました。

3月15日、福島市の実家へ避難しました。しかし、避難先の福島市のほうが放射能の濃度が高かったことを後から知り、不安と戸惑いを感じました。水道も約2週間復旧しませんでした。当時は今のようにスマートフォンもなく、情報も少なく、周囲の人がどこへ避難したのかも分からない、不安な日々でした。

夫は4月から一人で原町に戻り、仕事を再開しました。離れて暮らす私たちは、夫の無事を心配していました。5月には、私と子どもたちで実家近くの借り上げアパートへ移りました。子どもたちの勉強する場所を優先し、私は台所で過ごしました。台所の床に寝て、冷蔵庫の音が気になり眠れなかったことを覚えています。

長男の高校は5月半ばを過ぎて再開され、西高校を間借りした校舎で学びました。長女も近くの中学校に受け入れていただき、先生方や生徒の皆さんに温かく迎えていただきました。11月末には原町へ戻りましたが、長女は卒業前までスクールバスで鹿島区へ通い、仮設校舎で学びました。

長い避難生活の中で私自身も心が疲れ、放射能への不安から清潔にしなければという思いが強くなり、精神科の訪問看護を週2回受けるようになりました。仕事を続けながら家事を引き受け、家族を支えてくれた夫には、今も深く感謝しています。

そして、私の心の支えとなったのが教会でした。以前から付属幼稚園や交流会を通して教会とつながっており、洗礼を受けたのは今から10年ほど前です。震災後、不安な中、教会の皆さんの声かけや祈りに励まされました。教会に来ると「一人ではない」と感じ、心を落ち着け、前を向けました。今振り返ると、神様が私たち家族を見守り、導いてくださっていたのだと感じています。

現在、長男はJR、長女は看護の仕事に就き、それぞれの場所で人を支える仕事をしています。あの頃は先の見えない日々でしたが、今の二人の姿に、歩んできた道の先にある希望を感じています。
震災を忘れることはできません。苦しい日々を支えてくださった家族や多くの方々、そして教会の皆さんの祈りと励ましに心から感謝しています。これからも神様に感謝し、教会とのつながりを大切に、希望を持って歩んでいきたいと思います。

カリタスの家だより 連載 第187回

ボランティア養成講座2026を終えて
ボランティア開発養成室 山田 美紗

東京カリタスの家では、創設時よりボランティア育成のための講座を行っており、今年で55回目を迎えました。この講座をきっかけにボランティアとして活躍されている方や、ボランティアへの理解を深められた方がたくさんいらっしゃることは、実行委員として大きな励みとなっています。

今年は、ボランティア希望者だけでなく、「ボランティアとは何をするのかを知りたい」という方にも気軽に参加していただけるよう、『聴くことで隣人になる』をテーマとし、全4回の講座を開催しました。延べ150人が参加され、さまざまな分野の講師の方々から、私どもの活動の柱となる「傾聴」について理解を深めるお話を伺いました。各回の内容は以下の通りです。

第1回「聴く心が人を癒す」

アンドレア・レンボ東京教区補佐司教にお話ししていただきました。マルコによる福音書(5・25―34)の「イエスの衣服に触れる女」を通して、大勢の群衆の中で立ち止まり、一人の女性の声に耳を傾けたイエスの姿から、「聴く」ことの大切さを学びました。

第2回「『障害』ってなんだろう?」

弱視・難聴当事者の藤田麻里子さんをお迎えし、障害のある方々を単に「支援される人」として見るのではなく、同じ社会を生きる一人の人間として関わる大切さを学び、後半はグループワークで参加者同士の理解も深まりました。

第3回「喪失に伴う感情を聴く」

浄土宗光照院住職の吉水岳彦師よりお話を伺いました。東日本大震災後の心のケアや、路上生活者への炊き出しや夜回りなどのご経験から、「支援」ではなく「支縁」という、人と人とのつながりの大切さを教えていただきました。グリーフ(悲嘆)は波のように繰り返し訪れるものであり、耳で聴き、目で見て、心で感じることこそが「聴く」ことなのだと教えられました。

第4回「自分を整える」

精神保健福祉士の川村浩子さんをお招きし、相手を理解する前に自分自身を理解することの大切さを学び、呼吸法やタッピング、価値観カードを使った体験的なグループワークを行いました。

台風の接近で開催が危ぶまれた日もありましたが、幸い進路がそれ、無事に全日程を終了することができました。4回の講義とグループディスカッションを通して、相手を自分の価値観で決めつけずに理解しようとすること、悲しみや喪失を抱えた方の感情を聴くこと、そして他人を理解するためにはまず自分自身を整えることの大切さを、参加者の皆様とともに深くかみしめる時となりました。

参加された方々が、苦しみの中にいる人を「支援される人」として見るのではなく、一人の人間として尊重し、心を込めて寄り添いたいと思ってくださったなら、実行委員としてこれ以上の喜びはありません。そして、うれしいことに、本講座を通して、4人の方が新たにボランティアとして登録してくださいました。ご登壇いただいた講師の皆様、関係者の皆様、そして参加してくださった皆様に心より感謝申し上げます。

私が東京カリタスの家のボランティアになったのは4年前のことで、車いすの女性を自宅から外へお連れするのが最初の仕事でした。楽しくおしゃべりをしながら車いすを押していました。

養成講座を受けずにボランティアになりましたが、正解も不正解もない中で、心を込めて他者に寄り添えるよう、翌年から養成講座で少しずつ学んでいます。

来春もボランティア養成講座を開催する予定です。キリスト信者の方もそうでない方も、「ボランティアとは何だろう?」「私にもできるかしら」と思われている方は、ぜひご参加ください。今回まかれた小さな「聴く」種が、これからそれぞれの場で豊かな実を結び、新しい出会いへとつながっていくことを願っています。

カリタス東京通信 第36回

すべてのいのちを守るための月間行事報告
事務局 田所 功

9月1日から10月4日まではすべてのいのちを守るための月間です。この期間は、教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』が求めているわたしたちの「共通の家」を守るという理念の啓発に取り組み、またそれを神から与えられた賜物であるいのちの視点から、霊的に深めていくことと定められ、すべての被造物を保護するための祈りと行動の特別な時とすることが求められています。

東京教区ではカリタス東京が企画・運営し、9月5日土曜日午後1時から、東京カテドラル構内(ケルンホールと大聖堂)を会場に、講演会とミサを行いました。講演会では、日本カトリック司教協議会のラウダート・シ部門担当司教である成井大介司教が、「インテグラル・エコロジーという生き方 いのちを豊かに生きるために」のテーマでお話しくださいました。私たちが『ラウダート・シ』の掲げる「インテグラル・エコロジー」について理解を深める助けとなる講演だったと思います。インテグラル・エコロジーは、いのちの営みと、それを可能とする環境条件を主題とした学びと実践であり、そこでは、神との、他者との、自然との、そして自分自身との調和ある関係がすべて取り上げられ、しかもこれらの関わりが相互に結びつき、互いに影響を及ぼし合っています。そして成井司教は、「自分なりのインテグラル・エコロジーを見つけてみてください」と話されました。そのための回心と「ライフスタイルの転換」も必要だと感じました。約90人が参加しました。講演の内容は東京教区のYouTubeチャンネルで公開していますので、どなたでもご視聴いただけます。また、2024年に日本カトリック司教団が出版した『見よ、それはきわめてよかった』もインテグラル・エコロジーを理解するにふさわしい書物です。ぜひご一読ください。

講演と分かち合いの後、午後4時からカテドラル大聖堂で成井司教主司式のミサを行いました。「被造物を大切にする世界祈願日ミサ」として、日本カトリック典礼委員会とラウダート・シ部門から出された『「被造物を大切にするためのミサ」の手引き』に沿って実施し、奉納では、パンとぶどう酒とともに「大地の実り」と「いのちの水」も奉納しました。約120人が参加しました。この日のミサ献金として32,510円が集まり、東京教区のインテグラル・エコロジー諸活動のために活用されます。

※成井司教の講演はこちらから視聴できます。

編集後記

同じできごとでも
ある面からみれば苦しみになり
他の面から見れば憎しみにもなる

そして、それが感謝に見える面もある
その面はなかなか見つからない
見つめ続けるのも難しい

無理をしなくてもいい
目を背けることがあってもいい

それでも
わたしたちの心を救い癒すのは
感謝の面に触れることなのだろう(Y)