お知らせ

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東京教区ニュース第432号

2026年05月08日

主イエスの御復活おめでとうございます

確信を深めながら、神の愛の言葉を告げ知らせるものとなりましょう
復活の主日 日中のミサ説教より

東京大司教 枢機卿 タルチシオ 菊地 

主イエスの復活は、受難と死の苦しみを経た後の新しいいのちの始まりであり、永遠のいのちへとわたしたちを導く、御父の愛といつくしみの勝利のお祝いです。いのちを生きる希望のお祝いです。

皆様、主イエスの御復活、おめでとうございます。

昨晩の復活徹夜祭において洗礼を受けられ、ともに主イエスに従って歩む仲間となった皆さん、おめでとうございます。信仰は一人でこっそりと生きるものではなく、ともに祈り支え合う信仰の友と一緒に、教会共同体の中で生きるものです。この教会共同体の皆さんとともに、新しく洗礼を受けられた皆さんを喜びのうちにお迎えいたします。

本日の第一朗読、使徒たちの宣教は、力強く主イエスについてあかしをするペトロの姿を記しています。ペトロは渾身の力を込めて、「わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です」と語り、イエスの福音を宣べ伝えていきます。しかしわたしたちはよく知っています。この勇気に満ちあふれた宣教者は、その少し前に、イエスを知らないと三度にわたって否定し、イエスを裏切り逃げてしまったことを。

ペトロがただの裏切り者にとどまっていたなら、世界に向けて高らかにあかしをするこのペトロの言葉は、全く薄っぺらな言葉になってしまいます。わたしたちは、同じ音を発声していても、それを裏打ちする心があるのかないのかで、言葉の重みが異なることを経験上よく知っています。深い思いと現実の体験に裏打ちされた言葉には、力があります。

2019年に教皇フランシスコが訪日された際、「教皇、日本に難民の受け入れを促す」というような内容のニュースが流れ、それに対して「大きなお世話だ」などという批判的なコメントも散見され、少しだけでしたが炎上いたしました。教皇様の日本での発言を振り返りましたが、実は難民についてはほとんど発言しておらず、実際に難民について触れたのは、ここ、東京カテドラルでの青年の集いにおいて、一言、こう述べた部分だけでした。

「特にお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民の方が、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです。」

しかしこの一言が、すべてのいのちを守るためという教皇フランシスコの確固たる信念に基づいた「言葉」であったがゆえに、聞く人に大きなインパクトを与えたのだと思います。

わたしたちはネット上だけに限らず現実の世界でも、薄っぺらな言葉が飛び交う時代に生きています。深く考えることもなく、その背景を探ることもなく、言葉の裏にある心に思いを馳せることもなく、反射的にデジタルの世界に投げつけられる様々な言葉。その言葉の多くが時間とともに消え去って行くことを目の当たりにするとき、これらの言葉の裏には何ら信念も価値観も無いことが分かります。そういった時代だからこそ、確固たる信念に基づいた「言葉」は、いのちの「言葉」は、暗闇に輝く一筋の光のように、多くの人の心に突き刺さり、大きな反響を呼び起こします。

ペトロのあの日の力強い宣言が、力強いと感じられるのは、その言葉が信念に基づいているからに他なりません。そのペトロは、数日前の恐れにとらわれて主を裏切った、人間の心の弱さの中にあるペトロではありません。主イエスの復活を体験し、主の十字架によって変えられ、イエスこそキリストであるという信念と、自らもその新しいいのちに招かれているという確信が、ペトロの言葉を裏打ちする信念となりました。確固たる信念に基づいた言葉には、力があります。

十字架の出来事を通じてペトロが復活の栄光の証人となったという事実によって、主の十字架の意味が明確になります。十字架は、神の愛といつくしみとゆるしと希望と栄光を示しています。

わたしたちも同じ信仰に招かれている者として、確固たる信念に裏打ちされた言葉を語る者でありたいと思います。

2020年に始まった感染症によるいのちの危機以来、世界は常にいのちの危機に直面しています。東京教区では姉妹教会であるミャンマーの方々を忘れることなく、平和のために祈るようにと呼びかけ続けています。今現在も政治的に不安定な状況は変わらず、特に中部から北部にかけて、軍部による攻撃にさらされている地域もあり、平和を訴える教会への攻撃も止むことがありません。

またこの時期に始まったウクライナや聖地、とりわけガザでの紛争状態は解決することなく、今でも多くの人が暴力にさらされ、いのちの危機に心安まることのない毎日を過ごしておられます。中東各地では、暴力的な状況を逃れ安全を求めて、少数派であるキリスト者が他の地域へと移住するということも起きています。加えて現時点でも、米国やイスラエルによるイラン攻撃によって始まった戦争状態はどのような展開を見せるのか定かではなく、毎日のようにさらに多くのいのちが危機に直面させられています。神からの賜物であるいのちに対する暴力は絶望を生み出し、いのちを生きる希望を奪い去ります。

十字架における受難と死を通じて新しいいのちへと復活された主は、わたしたちが同じ新しいいのちのうちに生きるようにと招きながら、ともに歩んでくださいます。ともに歩む中で力づけられ、支え合う仲間とともに、この社会の中にあって、神の愛といつくしみをあかしするようにと招かれています。賜物として与えてくださったいのちを守り、神の似姿としての人間の尊厳を守り抜くようにと招いておられます。ともに歩みながらそのように招いてくださる復活された主イエスこそは、わたしたちの希望です。しかしながら世界は、その招きに応えようともせずに神に背を向け、繰り返し絶望を生み出し続けています。

復活祭にあたり、わたしたちはペトロと同じように、主の十字架が示される神の愛といつくしみとゆるしと希望と栄光に与り、新しいいのちへの確信のうちに、いのちの与え主である御父への確固たる信仰に基づいて、力強く福音をあかしする者になりましょう。「わたしたちは、すべての証人です」と語るわたしたち自身の言葉が、薄っぺらな言葉にならないように、教会共同体の中で仲間とともに歩むことで絆を深め、ともに支え合い、ともに祈り合い、ともに感謝を捧げ、信仰における確信を深めながら、神の愛の言葉を告げ知らせる者となりましょう。

駐バチカン日本大使表敬訪問

3月24日、一時帰国中の駐バチカン日本大使の阿部康次氏が東京カテドラルに菊地功枢機卿を表敬訪問してくださいました。阿部大使は2025年12月より駐バチカン大使の任に就いていらっしゃいます。

東京⼤司教区 宣教司牧評議会(第四期)報告

3月14日午後2時より、東京カテドラル構内関口会館地下のケルンホールにて、東京⼤司教区宣教司牧評議会が行われ、各宣教協力体の代表者ら25人が出席した。

最初の挨拶で菊地功枢機卿は「宣教司牧評議会の存在理由は教区が進むべき⽅向を明らかにすることであって、実施機関、伝達機関ではない。大司教からの諮問を受けて(任期である)2年かけて答申を考える組織という位置づけである」と述べた。

続いて参加者は5つのグループに分かれて、「父と子と聖霊の三位一体の神様は、わたしたちの東京⼤司教区の各⼩教区、宣教協⼒体を通じて、わたしたちをここへと呼び集めてくださいました。わたしたち⼀⼈ひとりはどんな気持ちで、今、ここにいるのでしょうか?」というテーマで「霊における会話」を用いた分かち合いを行い、最後に各グループで分かち合われた内容を発表した。分かち合いを通じて参加者たちは、なぜ自分たちがここに集められたのかを考え、自分たちの信仰の共同体が直⾯するチャレンジを分かち合うことができた。

その後、休憩を挟んで、菊地枢機卿から参加者たちに左記の諮問が発表された。なお、諮問にあるとおり、今後、宣教司牧評議会の運営を円滑に行うため、担当司教、教区事務局長、担当司祭、評議員からなる常任運営委員会を設置する予定である。

東京大司教 菊地功枢機卿からの諮問

• 東京⼤司教区が福⾳宣教をより推進するために、求められている優先課題は何ですか?宣教司牧評議会の皆さんで考えてください。
• これは、教区司教のわたしから皆さんへの諮問です。皆さんの任期中にさまざまな方法を⽤いて、特に「霊における会話」を活⽤して、答申を作成してください。
• 東京⼤司教区宣教司牧評議会は司教総代理が主催し、評議員の皆さんとともに諮問を検討し、⼤司教宛てに答申を提出します。現在の司教総代理はアンドレア・レンボ補佐司教です。
• 皆さんの答申を受けて、わたしは補佐司教と協議しながら、新しい宣教司牧⽅針の作成に取りかかります。
• また、宣教司牧評議会がよりよく運営できるように、常任委員会を設置するようお願いします。

小さな一歩、大きな実り

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

ドナルド・トランプ アメリカ合衆国大統領がレオ十四世教皇さまを非難し続け、教皇さまご自身はアフリカの4カ国を歴訪しながら「世界は暴君に蹂躙されている」(カメルーンでの発言)と平和を訴え続けていた、そんな2026年4月12日に全世界の枢機卿さま方に向けて教皇さまからの1通の手紙が発信されました。「聖なる復活祭の時期に、復活なさった主の平和が、苦しむわたしたちの世界を支え、新たにしてくださいますように」という挨拶の言葉で始まる短い手紙には、今年の1月に開催された臨時枢機卿会議で教皇さまご自身が感じられたことが綴られています。

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枢機卿さま方は「枢機卿団」という団体を形成しています。その役目はローマ教皇を補佐することです。実際には「枢機卿会議」を開催して、その務めを団体として果たしていきます。もともとラテン語の「ともに立つ」(consistorium)に由来する枢機卿会議は荘厳な形で開催される通常会議と、緊急時または重大な問題のために開催される臨時会議の2種類があります(教会法353条第3項参照)。そして臨時枢機卿会議は非公開となります。

これまでの臨時枢機卿会議は専門家の基調講演がなされ、枢機卿さま方による幅広い討議がなされました。20世紀後半から振り返ってみると、ヨハネ・パウロ二世教皇の時代には6回開催されています。ベネディクト十六世教皇は開催しませんでした。しかし、枢機卿任命のための通常会議で非公開の枢機卿会議を行っています(2006年、2007年、2010年)。特に典礼に関する自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』(Summorum Pontificum 2006年)を発表する際には、枢機卿会議の支持を得たと言われています。フランシスコ教皇さまは2014年に臨時枢機卿会議を開催しました。その際にドイツのワルター・カスパー枢機卿さまの提案が枢機卿団に大きな衝撃を与えたそうです。その実りはシノドス後の使徒的勧告『アモーリス・レティチア』(邦題『愛の喜び』2016年)に反映されたとするのが一般的な受けとめ方です。

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昨年、2025年11月6日にレオ十四世教皇さまは、翌年の1月7日と8日に臨時枢機卿会議を開催すると宣言しました。降誕祭の前になって、そこで話し合われる4つの議題が示されました。さらに、枢機卿会議の直前に議題と議事進行の訂正が発表されました。そして、実際に会議は行われたのです。

会議の様子は、2024年10月に閉会したシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会の時と同じようでした。つまり、会場のパウロ六世ホールには数多くの円卓が用意されており、集まった枢機卿さま方が「霊における会話」の手法を用いて2日間、話し合いを重ねたのです。

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その話し合いの内容は非公開です。しかし、今回のレオ十四世教皇さまの書簡からその内容がうかがえます。おそらく、フランシスコ教皇による使徒的勧告『福音の喜び』(2013年)が話し合いの中心的なテーマだったと推測されます。『福音の喜び』は、アルゼンチン出身の前教皇にとって最高の著作と言えるでしょう。そこで語られていることは、現代の教会にとって、とりわけ福音宣教にとって大切な示唆が含まれています。

この手紙の中で、教皇さまは1月の臨時枢機卿会議での働きと協力に感謝を伝えています。会議中に寄せられた意見は貴重な財産であり、これらを引き続き保持しながら、教会による識別を通して成熟させたいと願っているとしています。

『福音の喜び』に関連して、特に宣教と信仰の伝達について今回の臨時枢機卿会議で「霊における会話」を通じて各グループが熟成していった内容を分かち合おうとするのがこの手紙の目的となります。

教皇さまは『福音の喜び』は、依然として宣教と信仰の伝達に関しての決定的な指針であるとします。そして、教会のアイデンティティの核心に「ケリグマ」(イエスの死と復活という福音のメッセージの中心)があることを再確認し、そこに再集中することが求められています。この福音的勧告は「即時の構造改革をもたらすというよりも、司牧的、宣教的な回心のプロセスに着手させてくれます」。ですのでこの文書が宣教にとって「新しい息吹」であることが参加した枢機卿たちの間で共有できたことを教皇さまは評価しています。

ここで三つの次元からの宣教の刷新について触れられています。一つ目は個人的なレベルです。「単に受け継がれた信仰から、真に生きられた、体験された信仰へと移行」し、「キリストとの出会いを新たにする」よう呼びかけています。この歩みは「祈りの優位性、数々の言葉に先立つ証し、そして信仰と生活の融合によって、霊的生活の質そのものに触れることになります」。

二つ目は共同体のレベルです。共同体の「維持、保全を目的とした司牧から、宣教的な司牧へ」と移行しなければなりません。こうして「共同体が福音宣教の生きた主体となります。すなわち、もてなしのこころにあふれ、分かりやすい言葉で語りかけ、人間関係の質に配慮し、傾聴と同伴、そして癒しの場を提供できる共同体」となる必要があります。

三つ目は教区のレベルです。司牧者たちが「組織的な過剰によってそれが重荷となったり窒息させられたりしないように」見守る必要があります。本質的なもの、大切なものを見極める責任が求められています。

そして、臨時枢機卿会議の結果、「深く統一された宣教の理解が生まれた」と主張されています。それは「キリスト中心、かつケリグマ的な宣教であり、人生を変容させる力を持つキリストとの出会いから生まれ、征服というよりは、魅力によって広がっていく」宣教です。しかも「改宗活動への誘惑や単なる組織の維持、拡大という理論に屈することのない」、「明確なみ言葉の宣布、証し、奉仕、対話」といったものが一体となった「総合的(インテグラル)な宣教」です。また、宣教の目的は教会「自らの存続ではなく、神が世界を愛しておられるその愛を伝えることである」点に気をつけなければなりません。

手紙の終わりの方で教皇さまは、具体的な提案をしています。まず、『福音の喜び』をもう一度提示し、この文書が示しているもので「何が実際に受け入れられ、何が依然として知られずに実行されていないかを率直に検証する」必要があります。そして、特に「キリスト教の入門過程の改革に注力すべき」だとします。また、教皇による各地への使徒的訪問、ならびに司牧的訪問は「真のケリグマ的な機会であり、人々の関係性を高める機会として重視する」ことが求められるとします。また、教皇庁にあっては「より明確に宣教的な視点から教会内のコミュニケーションの有効性を再考する」必要性があるとしています。

次回の臨時枢機卿会は6月26、27日であることが示されて手紙は締めくくられています。

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わたしは、この手紙を読んでみて、うれしくなりました。まず、これまでの討議という手法を捨て去り、「霊における会話」を用いながら臨時枢機卿会議が執り行われた点です。効率や結果を重視する現代社会にあって、わたしたちの教会は人と人が向かいあう、対話する、一緒に祈る、方向性を確認することを大切にしようしていることがよく分かりました。

次にケリグマを重視する姿勢です。ケリグマとは新約聖書の『使徒言行録』や『書簡』によく見られるものです。これは初代教会が伝えたイエス・キリストの死と復活という福音の核心的メッセージを指す神学的な用語です。信仰は単に教え(ディダケー)で成り立つものではありません。宣教は神の救いの出来事、とりわけイエスの十字架と復活、そして再臨を告げ知らせることが中心にあるのです。

そして、宣教の本質を教皇さまがはっきりと述べている点はありがたいです。宣教は生きておられる復活したイエス・キリストとの人格的な出会いから生まれます。こうして人は復活した主に魅了される時、主キリストに従って生きていこうという信仰の決断をするようになるのです。
これまでの枢機卿会議は非公開でしたが、今回の教皇さまの手紙で「シノダリティ」(ともに歩む)の視点から会議の内容が明らかになったのは、シノドス的な教会へとなる小さな一歩だったと思います。それは、大きな実りを結ぶことでしょう。

第50回 日本カトリック映画賞 授賞式・上映&対談

受賞作『ふつうの子ども』(呉 美保監督)

2026年7月5日(日)

場所◉暁星学園講堂(東京都千代田区富士見1-2-5)

13:30 開場
14:00 授賞式
     『ふつうの子ども』(96分)上映
16:00 呉 美保監督と晴佐久昌英神父による対談

チケット販売所
麹町教会案内所 TEL.03-3230-3509
サンパウロ書店(四ツ谷駅前)TEL.03-3357-8642
高円寺教会 天使の森 TEL.03-5307-6680
ドン・ボスコ社 TEL.03-3351-7041
スペース セント ポール TEL.03-5981-9009

メールでのお申し込み・詳細はこちら  
お問合せ担当=大沼(携帯:090-8700-6860)
チケット=1,500 円
ハンディのある方=1,000 円(介助者1 名も同額)
小・中学生=1,000 円
*本編は日本語字幕付き
*授賞式&対談には要約筆記、手話通訳あり
主催=SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会)
後援=カトリック中央協議会広報

授賞理由 一瞬「天の国」が開ける(抜粋)
聖書の中で、イエスは次のように宣言する。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18・3)。つまり、それこそ地獄のような現実を作ってしまった大人たちに、心を入れ替えてもう一度子どもから始めろ、と言っているのだ。悲しいほど弱くて、美しいほど愚かで、しかしまっすぐに愛する子どもに学べ、と。

「ふつうの子ども」は、まさしく「天の国」を垣間見させてくれる映画だ。子どもたちは社会の中で最も低いところにいる。大人の考えを押し付けられ、一方的に叱られ、与えられた厳しい環境の中でしか生きられない。そんなふつうの子どもが、しかし精一杯「そこ」を生きている姿を見るとき、なぜだろう、情けない大人たちの中に希望が生まれてくる。

最も苦しい状況で、追い詰められた主人公が思わず口を開くとき、地獄のような現場に一瞬「天の国」が開ける。これほどリアルに清らかな瞬間をスクリーン上で見ることができるなんて、なんという幸いだろう。僭越ながら、表彰させていただきたい。 晴佐久 昌英(SIGNIS JAPAN顧問司祭)

都賀集会所 閉所と感謝のミサ

2月11日、千葉県千葉市の都賀集会所で、アンドレア・レンボ補佐司教司式、福島一基神父(当時、西千葉・茂原教会主任司祭)、金泌中神父(当時、西千葉・茂原教会助任司祭)、泉雄生神父(教区本部事務局長)共同司式による同集会所の閉所と感謝のミサが行われた。

1990年代、千葉市には西千葉教会、千葉寺教会という二つの小教区があったが、人口の増加に伴い、主日のミサでも聖堂に入りきれない事態が生じており、1時間かけて教会に来る信徒も大勢いたという。

そこで、当時、千葉県の宣教を委ねられていた聖コロンバン会が、将来的な教会建設を目的として購入し、その後、東京大司教区に委譲した通称「都賀の土地」を活用し、西千葉、千葉寺の二つの小教区が協力して、新しい宣教の拠点となる集会所の建設が始められた。

1994年8月7日には、白柳誠一大司教、森一弘補佐司教(いずれも当時)による献堂式が行われ、以降、西千葉教会、千葉寺教会の共同管理のもと、祈りの場として親しまれてきたが、近年は利用回数も減少し、30年以上の歴史に幕を下ろすこととなった。

集会所の建物はバリアフリー設計となっていることもあり、今後は重症心身障害者の施設として活用される予定である。

福島の地からカリタス南相馬 第51回

一般社団法人カリタス南相馬 所長 
根本 摩利

「Come and See 福島」

東日本大震災と原発事故から15年が経ちました。復興が進んだ場所もありますが、今なお放射線量が高くて住むことのできない帰還困難区域もあります。

原発事故後、長期にわたって避難を余儀なくされた区域の方からは、「こんなに何年も帰れなくなるなんて誰も思っていなかった」とお聞きしました。屋内退避指示が出た区域の方からは、外部被ばくを避けるために外出を避け、窓やカーテンを閉め、目張りをして室内にいたが、支援物資が入らなくなり、食料、薬、ガソリンも手に入らない状況下で大変な思いをしたとお聞きしました。

原子炉は、一旦稼働すればずっと崩壊熱を出し続け、再稼働していなくても水で冷却する必要があります。冷却するためには電源が必要です。全国で地震が頻発し、全国に原発がある日本では、今後、南海トラフ地震や首都圏での大きな地震が起きた際、もし停電、断水が長期にわたって続くような事態となれば、福島と同じことが起こり得るのではと危惧しています。

福島県は東北電力の管轄ですが、県外から被災地の現地案内に参加された方の中には、東京電力が福島県浜通りに原子力発電所を建設し首都圏に電力を供給していたことをご存じない方もおられました。現地案内に参加された多くの方からは、資料館や震災遺構だけでなく「復興が進んだ場所、全く進んでいない場所などを実際に見ることによってさまざまな課題が見えてきた」「有意義な時間だった」との感想を頂いています。

今年度は、「Come and See 福島」と題して福島の現状を見ていただく機会を設けています。

福島原発の廃炉やデブリ取り出しの問題、除染によって発生した復興再生土の今後の処分方法など、さまざまな課題を抱えていますが、地元の方は「こんなつらい思いを誰にもしてほしくないから、まずは福島に来て現状を見てほしい」と言われます。福島での教訓を生かすためには、原子力災害が起きた後にどのような事態が起き、どのような避難を強いられ、長期避難生活がどのような心身のストレスを及ぼしたか、まずは事実を知ることだと思います。

原発事故による放射線災害が福島にもたらした影響は、決して過去のことではなく現在も続いており、日本全体で考えるべき課題だと感じています。

自分が住む地域でもし同じことが起きたら、という視点で一緒に防災・減災、そして未来を考える時間となればと願っています。皆さまのご参加をお待ちしております。

2026年「Come and See 福島」のお知らせ

第1回  6月24日(水)〜 6月26日(金)
第2回 11月21日(土)〜11月23日(月)
※詳細は、カリタス南相馬までお問い合わせください。

TEL.0244-26-7718

教区カテキスタ募集のお知らせ

東京大司教区 生涯養成委員会

教区司教から認定され、任命を受けて指定された小教区へ派遣される教区カテキスタの養成プログラムを今秋から開始します。

東京教区のそれぞれの共同体が、信仰において豊かに育まれ、福音をあかしする宣教の共同体となるよう、カテキスタという信徒の奉仕職に参加くださることを期待しております。

なお、最終的な内容は、5月初旬に各小教区あてにお送りする募集要項にてご確認ください。

教区カテキスタ養成講座の骨子

教区カテキスタを目指す方々のための講座です
※オープン講座ではありません

■開催期間:2026年9月~2027年9月
毎月第2・4土曜日(原則) 14:00~17:30

■開催場所:ニコラ・バレハウス
(JR四ツ谷駅下車徒歩1分・駐車場なし)

■受講料:無料(交通費は自己負担)

■大切にしていること:「福音の喜びを伝える」
カテキスタは、カテキズムを通して求道者に「福音の喜び」を伝えることにより、カトリックの信仰へと導く信徒の奉仕者です。福音の喜びを伝えるには、私たちが、まず「(聖書の出来事が)あたかも今日起きたかのように再体験する」(『新千年期の初めに』教皇聖ヨハネ・パウロ二世著より)ことが大切です。
本講座では、知識やノウハウよりも、まず、講座を通して自らを振り返り、イエスと出会った時の体験を味わい直すことで、イエスと再び出会い、イエスから与えられた使命に改めて気づいていくことを大切にしたいと思います。使徒たちが感じた信仰の確信と喜びを、入門講座を受講する皆さんと分かち合うことができればと願っています。

募集要項

■定員:20名

■応募条件
▷受洗後7年以上経過し、堅信を受けている信徒
▷30歳代~60歳代を目安とする
▷小教区での奉仕活動の経験があること
▷所属する小教区主任司祭からの推薦状の提出
▷1年間の本講座の全てに出席し、認定後に教区の指定する派遣教会で講座を担当できること。

■選考:書類・面談
※応募条件を満たさない方はお断りします。また、受講に先立ち、担当司祭等による面談をいたします。

■修了後の派遣について
▷この講座の修了後、教区司教の任命を受けた者は、指定された教会に派遣され、数名のチームを組んで、定期的に開講される入門講座を担当することになります。(将来的にはフォローアップ講座を担当することもあります)
▷講座開講教会名(50音順、講座種別・開催曜日は変更になるかもしれません)
●葛西教会(土曜午後入門講座)
●清瀬教会(日曜午前入門&フォローアップ講座)
●関口教会(日曜午前入門講座)
●関町教会(土曜午前入門講座)
●高輪教会(土曜午後入門&日曜午後フォローアップ講座)
●築地教会(日曜午前入門講座)
●西千葉教会(土曜午後入門講座)
●松戸教会(土曜午後入門&フォローアップ講座)

■講座応募に際して、各小教区の主任司祭からの「推薦状」を提出していただきます。個人の興味や希望だけで、この講座に参加することはできません。受講者は、所属する各小教区から、この「準備の場・学びの場・体験の場」に「派遣」されてくることになるのです。

■申込方法
下記の応募書類を締切日までに郵送してください。書類選考後、各小教区あてに、面談の日時をお知らせします。
〈応募書類〉
▷申込書
▷推薦状
▷応募動機(400字程度、所定の用紙あり)
〈送付先・問い合わせ〉
5月初旬に各小教区あてにお送りする募集要項に記載します。

■申込締切日:2026年6月29日(月)必着

菊地枢機卿とアンドレア司教を囲む、生涯委員会担当司祭、同スタッフ、教区カテキスタたち。
2025年9月、「カテキスタの祝祭」にて

CTIC カトリック東京国際センター通信 第297号

所長・高木 健次(東京教区司祭)
食料支援について

CTICの食料支援活動は、多くの方から頂くご支援によって続けることができています。さまざまな形で支えてくださっている皆様に、改めてお礼申し上げます。

食料支援がCTICの移住者支援の大きな柱として現在のような形になったのは、2020年のコロナ禍の時期です。飲食店が営業自粛や営業時間短縮を余儀なくされたため、こうした店で多く働いていた日本語学校などの留学生たちがアルバイトをすることができなくなり、学費の支払いもあって生活に困窮しました。そのような人たちを支えるために、私たちも食料支援に力を入れるようになりました。その時に支援を求めてCTICに来所された方の大半はミャンマーの人たちでした。これは、支援のことが口コミでミャンマーの人たちの間に広がったためだと思われます。

一方で、当時から日本に多くいたはずのベトナムの人たちは、あまり来られませんでした。これは、ベトナム人司祭・修道者の皆様や、いくつかの小教区が尽力されていた熱心な支援活動に、ベトナム人の留学生や技能実習生がつながっていたためでもあると思われます。ベトナムの人たちはカトリック信者も多いため、コロナ禍以前から教会につながっており、教会に来ている若者たちが困っているのを見た教会仲間たちの思いが支援活動となり、カトリック信者ではない人にも支援が広がったということのようです。CTICとしては、ベトナムの人たちにあまりつながれなかったと反省しなければなりませんが、一方で、教会の力が発揮された心強い例でもあると感じています。

さて、コロナ禍が落ち着き、アルバイトも再開できるようになると、食料支援を求める方の数は、多かった時期に比べて半数ほどになる時期がありました。私たちの間でも食料支援活動をどうしようかと話し始めていたころ、それは日本への入国規制が解除された時期と重なりますが、今度はなぜか北アフリカ諸国、チュニジア、アルジェリア、モロッコなどの方が来所されるようになりました。これらの方々のほとんどはイスラム教徒なので、なるべくイスラムの食料規定に適う食料を準備するよう努めました。このことでも、多くの皆様に何がよいかなどを考えてご協力いただいたことに感謝いたします。それにしても、日本に来たばかりの方が、キリスト教会の一角でささやかに行っている食料支援に、来日してすぐにたどり着くことは不思議です。

北アフリカからの方が一段落し始めた昨年の夏からは、今度はアフリカのもう少し南の国々、ナイジェリア、リベリア、シエラレオネ、ガーナなどの国からの方が来所されるようになり、数がどんどん増えました。現在は1カ月に170人ほどの方が来所されています。これはコロナ禍の時よりも多いです。心苦しいことですが、活動継続のため1カ月にお渡しするお米を5キロから3キロに減らして対応しています。なお、現在は次のように食料支援活動を行っています。

CTIC食料支援

1カ月に1回、予約してから来所
支援対象:就労資格をもたない方(旅行などの短期滞在者は除く)
※6月号以降、「CTICカトリック東京国際センター通信」は不定期掲載となる予定です。

カリタスの家だより 連載 第182回

子どものすごさと変わらない姿
放課後等デイサービス カリタス翼 職員 滝澤 宏祐

皆様、新緑の季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。この原稿は3月に書かせていただいているため、私は少し尾を引く寒さと花粉の猛攻に耐えながら日々を過ごしております。

放課後等デイサービスカリタス翼は、発達障害や知的障害など障害のあるお子さんが学校が終わったあとに過ごす、家庭でも学校でもない第三の居場所です。大人や年齢の近い仲間とさまざまな学びや経験を積む場として日々精進しております。学童保育のようなものと考えていただくと理解しやすいかもしれません。学童保育と大きく異なる点は、保護者さんと話し合いながらその子がカリタス翼で過ごすうえでの目標を立て、保護者さんだけでなく、学校や、時には医療機関等と連携を取りながら、その子の成長を支える点です。

放課後等デイサービスには色々な障害を持ったお子さんがいらっしゃいます。障害を持たない子と同じクラスに通っているお子さんや、支援学校という支援の必要なお子さんだけが通う学校に通っているお子さんもいます。またその中でも、会話でのやり取りが問題なくできる子や、まだ自分から言葉で気持ちを伝えるのが難しい子、言葉は出ているが相互的なコミュニケーションはまだ難しい子など、本当に色々なお子さんが通ってくれています。

その中でも今回は、私が勤め始めて最初に関わらせていただいたお子さん(以降Aさん)についてのお話をさせていただきたいと思います。まだ私が勤め始めたばかりで障害についての理解も浅く、カリタス翼の職員として右も左もわからずにいた頃、Aさんは高校3年生になったばかりでした。Aさんは少しお調子者な面もありますが、人当たりもよく、大人の指示を聞いて動ける方で、卒業後の現在は、作業所での就労を頑張っていらっしゃいます。カリタスにいる時は、「かっこいい大人になりたい」が目標で、かっこいい大人を真似してサングラスをかけて来所したり、お茶を飲むときは「ビールちょうだい!」と言ったり、大好きなUNOでひたすら職員と遊んだり、お茶目で可愛いところもたくさんありました。Aさんは、カリタスで将来の就労のために本人が憧れている「かっこいい大人になる」ために、お仕事として大人のお手伝いをたくさんしてくれました。Aさんは、カリタスでお仕事をする際には、頑張ったことが視覚的にわかりやすく、きちんと報酬が得られるようにするために「トークンシステム」を使用しており、お仕事を1つ頑張るたびにスタンプ(トークン)を貯めて本人の好きな焼きそばを買うのを目標に頑張っていました。当時のAさんは報酬をゲットするまでに10回以上スタンプを貯めていましたが、現在のカリタスでは、トークンシステムを頑張っている方は、3回ほどで貯まるものを使用しています。当時はAさんの「すごさ」に気づけていませんでしたが、Aさんは「かっこいい大人になる」ことを目標に、当然のようにとても頑張ってくれていました。

またAさんは一人で公共交通機関も利用することができます。障害を抱えるお子さんの中には、知らない人がたくさんいて刺激の多い電車やバスなどの移動に困難を抱える方がたくさんいらっしゃいます。そんな中、一人で問題なく移動ができるAさんのすごさに気づけたのは、彼がデイサービスを修了してからでした。

最近になってAさんは、お仕事が終わったあとにカリタスに遊びに来てくれるようになりました。その際、お仕事ができてかっこいいところだけでなく、お調子者なところや人見知りなところ、元気過ぎる子が苦手なところなど、当時のAさんのままなところもたくさん見られました。変わらないところもあるなと思いながら、そんな成長の過程を見させてもらえるカリタスでの仕事の素晴らしさを感じました。

カリタス東京通信 第32回

自死遺族の悲しみに寄り添う場
エレミヤ会 橋本 真世

私たちは、カトリックの精神に基づき、信仰の枠を超えて集う「自死遺族の会」です。大切な方を自死によって失うという体験は、言葉にしがたい深い悲しみや孤独を伴います。その思いを一人で抱え込まず、安心して立ち寄ることのできる場を願い、この会が立ち上げられました。
かつて麹町教会には、自死遺族のための「虹の会」がありましたが、コロナ禍で残念ながら散会となりました。しかし、その志を受け継ぎたいとの思いから、新しい名称とスタッフにより、「エレミヤ会」が2024年に発足しました。

聖書の中で、イエスは涙する人のそばに立ち、その悲しみを急いで変えようとはなさいませんでした。マリアとマルタが嘆き悲しむ場面では、まず共に涙を流されました。私たちもまた、答えや解決を示すのではなく、悲しみのそばに「共に在る」ことを大切にしています。

スタッフは心理士などの専門家ではありませんが、傾聴講座で学び、静かにお話を伺う姿勢を大切にしています。また、会にはシスターが付き添いとして同席し、神父様も時間の許す限り参加してくださいます。昨年はエレミヤ会として、神父様が追悼ミサをささげてくださいました。

自死遺族の方の中には、今はまだ慰めが遠く感じられる方もおられるかもしれません。悲しみの中では、孤独を強く覚えることもあるでしょう。しかし、神様はその痛みをご存じで、決して一人にはされません。私たちエレミヤ会も、愛と理解をもって寄り添いたいと願っています。

どうか一人で耐えようとせず、支えを受けることをご自分に許してください。どのような思いを抱いていても、私たちは祈り続けます。今後もエレミヤ会として追悼ミサを執り行います。お話しになりたいことがあれば伺いますし、言葉が出ないときでも、その痛みが少しでも和らぐよう寄り添いたいと願っています。

神の慰めと平安が、自死遺族の方々のお心を包みますように。

エレミア会 生花

編集後記

ソメイヨシノは散ったけれど
ツツジにハナミズキ、モッコウバラ
まだまだ春は花で彩られている

緑もまた春を彩る
花ははかないが葉はたくましい
緑の輝きはいのちの輝き

どんな時も世界は
いのちで満ちあふれている
美しさで満ちあふれている

そして今度は愛で満たそう
神が造られたこの世界を
ありったけの賛美をこめて(Y)