2024年ケルン・デー
左から、菊地大司教、ゼフェリーノ大司教、古市神父
毎年、1月最後の主日は、東京教区では「ケルン・デー」、ケルン教区では「トーキョー・デー」とされ、互いの教区のために祈りを捧げている。特に今年は、ケルン教区とのパートナーシップが70周年を迎える記念の年である。
今年のケルン・デーに当たる1月28日の東京カテドラルのミサは、菊地大司教の司式で行われ、関口教会主任司祭の天本昭好神父、同協力司祭のキム・ピルジュン神父に加え、東京教区とケルン教区とのパートナーシップの窓口を務める古市匡史神父も共同司式として参加した。さらに、東京を訪問中であったアフリカはアンゴラのフアンボ教区のゼフェリーノ・マルティンス大司教も共同司式に加わった。
また、一昨年のケルン教区からの公式訪問団のメンバーであったマリアンヌ・バウアーさん(ケルン大司教区青少年カテケージス・霊的指導担当)が今年も東京教区を訪れ、ケルン大司教ライナー・マリア・ヴェルキ枢機卿のメッセージを代読してくだった。さらに、ドイツ語共同体の代表による聖書朗読も行われ、ミャンマー共同体の代表も参加してくださる等、インターナショナルな雰囲気のミサとなった。
説教の中で菊地大司教は「東京教区にとって、ドイツのケルン教区との繋がりには歴史的な意味があり、また物質的な援助の関係にとどまらず、互いの霊的な成長のためにも重要なパートナーとして、ともに歩む関係になろうとしています。どうしても資金を援助する側と援助される側という関係にばかり目が行ってしまいますが、2022年9月末に来日されたケルン教区の司教総代理グィド・アスマン師をはじめとした代表団の方々と話し合ったとき、これからは単に金銭的な支援の関係だけでなく、互いの霊的な成長を目指してともに歩んでいきたいとの意向が示されました。ちょうどいま教会でしばしば聞かれる、シノドス的な歩みを共にする関係を構築しようという呼びかけです」と、これからの両教区のパートナーシップのあり方について、シノドスの歩みとの関連のうちに説明した。
ドイツ語共同体代表による聖書朗読
ケルン・デーに先立ってヴェルキ枢機卿から届けられたメッセージの日本語訳は以下の通り。
2024年1月19日 ケルンにて
「神に仕えるなら、あなたはどこでも幸せになれるのです」
聖ダミアン神父
菊地功大司教様
東京大司教区の親愛なる兄弟姉妹の皆様
今年、東京大司教区とケルン大司教区の70年にわたるパートナーシップを振り返ることができるのことは大きな喜びです。フリングス枢機卿と土井枢機卿がどのようにして手を結び、この祈りと援助の共同体を発足させることになったのかを思う時、わたしたちは感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。東京大司教区では 「ケルン・デー」 、ケルンでは 「トーキョー・デー」 と呼ばれるこの日曜日、私たちは特別な方法でこの贈り物を祝います。
1954年当時は、まだ戦後間もない時代であり、ドイツに「経済の奇跡」が起こる前であったので、国家レベルであれ、教会レベルであれ、ドイツ人とこのような友好関係を求めるのはほとんど奇跡的なことでした。さらに、普遍的な教会であることを意識し、教区間の兄弟姉妹愛の関係をより緊密なものにしようという意識も、今日ほど顕著ではありませんでした。
それゆえ、わたしはこのことをいっそう喜ばしく思うとともに、この70年間、わたしたちの共通の信仰に基づく祈りと援助の共同体から育まれてきた、永続的な友情と活発な交流に大いに感謝しています。すでに計画されている数多くの話し合いや相互訪問に加え、私は青少年司牧と大司教区の学校の分野でのイニシアチブの進展について、非常に前向きに考えています。
具体的な第一歩すでに始まっています。例えば、5月初旬に行われる年に一度の壮大な青少年巡礼「アルテンベルグの光」に日本から参加する、活動的な若いキリスト者のグループを迎えることを心待ちにしています。この豊かな賜物、時の試練に耐えてきたパートナーシップから生まれる、活気に満ちた実りある取り組みが、他にもたくさんあることをわたしは願っていますし、そうなることを強く信じています。
※「アルテンベルクの光」に関しては東京教区ニュース第403号に詳しい記事が書かれています。今年の「アルテンベルクの光」には、東京から15名のカトリックスカウトが参加予定です。
わたしたちのパートナーシップはまた、ケルンにいるわたしたちに、カトリック教会のまったく異なる現実、つまり社会の少数派としての教会、それにもかかわらず独自の伝統に満ちた比較的若い教会の現実を洞察させてくれます。わたしたちが現在ドイツとヨーロッパで経験している激動と、今後数年間に待ち受けているかもしれない多くの課題に関して、わたしたちはこの洞察から学ぶことがたくさんあります。このことから、私たちは、文化の違いにもかかわらず、私たちのキリスト教的ケアと慈善を特に必要としている人々に注意を向ける必要があることを理解するようになりました。わたしたちはここしばらく、ミャンマーのカトリック教会の抑圧された人々や迫害されている人々を支援するために協力してきました。このことを通して、私たちは確かに、神の内なる三位一体の愛の実りを見ることができます。それは、自分の中にとどまるのではなく、外へと広がって、ますます広い輪を描こうとしています。
私たちのパートナーシップが神からの大切な賜物であることを自覚し、神に祈り、確信を持って未来を見つめ、神がそれを末永く守り、深めてくださることを信じています。最後に、わたしたちの共通の記念の年のために、皆様とそのご家族、そして菊地功大司教様と東京大司教区全体のために、祝福とともに、わたしの祈りと挨拶をお送りいたします。
敬具
枢機卿 ライナー・マリア・ヴェルキ
(訳:カトリック東京大司教区広報)
マリアンヌ・バウアーさんによるヴェルキ枢機卿メッセージの朗読
ケルン教区からのプレゼント
ケルン・デーに先立つ1月26日、マリアンヌ・バウアーさんが東京教区本部事務局を訪問し、アンドレア・レンボ補佐司教にヴェルキ枢機卿からの司教叙階祝いのプレゼントを届けてくださった。プレゼントはアンドレア司教の名前にちなんだ、“Andrea”と名前が入った聖アンデレのレリーフである。
聖アンデレのレリーフ。右下にはX字架に架けられて殉教した聖アンデレの姿も刻まれている
左から、バウアーさん、アンドレア司教、ミルコ・クイント神父(ドイツ語共同体担当司祭)
2024年 四旬節の始まりにあたって
大司教
タルチシオ 菊地 功
今年は3月末日が復活祭ですので、例年より早く四旬節が始まりました。
四旬節は、心を落ち着け、神様の方向をしっかりと向いているかどうかを振り返り、軌道修正をするときです。もっとも1月から3月の一年の初めの三ヶ月間は、様々な現場で年度末にあたるため、日々の忙しさにかまけて、あっという間に時間が過ぎ去ってしまうときでもあります。なんとか心を落ち着けて、祈る時間をとるように、努力をしたいと思います。
毎年、四旬節は灰の水曜日で始まります。灰を頭に受けることには、自分の存在のはかなさを思い知る意味があります。人間という存在が神の前でいかに小さなものなのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心に刻みたいと思います。
司祭は、「回心して福音を信じなさい」、または伝統的な「あなたはちりでありちりに帰っていくのです」のどちらかの言葉を唱えて、灰で額に十字架の記しをしたり、頭にかけたりします。前者は、あらためて自分たちの信仰の原点を見つめ直し、神に向かってまっすぐに進めるように軌道修正をするということを明示しています。後者は、神の前で人間がいかに権勢を誇ろうとも、小さなむなしい存在であることを自覚して謙遜に生きるようにと諭す言葉です。自らの生き方を振り返るときにいたしましょう。
世界は今、神からの賜物であるいのちを、まるで自分たちが支配しコントロールできるかのような錯覚の中で、傲慢に生きる人間の罪に満たされています。その結果が、各地で続く、いのちに対する暴力的行為、特に、ウクライナやミャンマーや、ガザで継続する紛争状態です。
わたしたちは、互いに助け合うものとなるように、このいのちを与えられているはずです。世界を支配する暴力による敵対の誘惑を乗り越え、ともに助け合いながら道を歩みたいと思います。互いに支え合って、聖霊の導きを識別し、正しい道を求めて歩み続けたいと思います。シノドスの道を歩む神の民でありたいと思います。
四旬節はまた、信仰の原点に立ち返るときとして、洗礼を志願する人たちと歩みをともにし、復活祭に洗礼を受ける準備をするように勧められています。このことから四旬節第一主日には、その年の復活祭に洗礼を受けるために準備をしている方々の洗礼志願式が、多くの小教区で行われます。四旬節は、自らの信仰を見つめ直すとともに、洗礼への準備をする方々を心に留めて祈りをささげるときでもあります。
良い心の準備を過ごされますように。
アンドレア司教、初の堅信式
京葉宣教協力体合同堅信式
1月14日午後、カトリック市川教会にて京葉宣教協力体(市川教会、葛西教会、小岩教会、潮見教会)の合同堅信式ミサが行われた。司式はアンドレア・レンボ補佐司教。さらに、関光雄神父(小岩教会主任司祭)、柴田弘之神父(葛西教会主任司祭)、真境名良和神父(潮見教会助任司祭)、小田武直神父(教区本部事務局次長)、佐藤了神父(市川教会協力司祭)の5名の司祭が共同司式に加わった。なお、この堅信式ミサは、アンドレア司教にとって、司教として初の堅信式であり、小教区訪問でもあった。
説教の中で、アンドレア司教は、聖霊の七つの賜物について触れた後、「今の社会において、どこに愛として神様が生きて存在しているでしょうか?」と問いかけ、現代社会で孤独や苦しみの中で生きている人に目を向けるよう促し、「堅信を受けた人たちが与えられた役割は、世界の中で自分自身が神様の居場所になっていくことです」と、堅信を受けたキリスト者の務めを説いた。
さらに、ミサの最後の挨拶では「初めは緊張したけれど、皆様の温かさと美しさが心に届いてミサを捧げることができました」と、正直な気持ちを語った。
説教で堅信の意味を受堅者に諭すアンドレア司教
派遣の祝福
ミサ後の茶話会の一コマ
ミャンマーの教会に想いを寄せて
「希望の種」ミャンマー避難民の子ども教育プロジェクト半年レポート
マンダレー教区のマルコ大司教から
教区のある地域では、状態はますます悪くなっています。未来はまだ明るくなりません。皆さんの支援が暴力から避難した子どもたちを助けています。
子どもたちの祈りがいつも、よきサマリア人のように手を伸ばしてくださったあなたたちと共にありますように。
カレー教区のフェリックス司教から
皆さんの親切な援助に心から感謝します。
わたしたちのことを忘れないでくださって、ありがとうございます。特に子どもたちはこの危ない時代と状態の中にいます。
皆さんの支援がなければ、教育支援を続けることは困難です。子どもたちの未来のためにこの支援を続けてくださるようお願いします。
ハッカー教区のルシウス司教から
皆さんの支援を、必要としている15の村に配ることができました。非常な貧しさの中にある村の、教師の生活費や子どもたちの教育道具などに使うことができます。あなたたちの蒔いた希望の種が、育って大きな実を結びますように。
ロイコー教区のバシュウェ司教から
この献金は教育の道具、ボランティア教師の訓練と生活費のために使います。避難民キャンプに住んでいる子どもたちの教育プログラムに協力していただき、心から感謝します。皆さんのために祈ります。
今はニュースになっていませんが、ミャンマーでは戦闘が激化し、国内避難民が増加しています。どこに住んでいても、親は子どもたちに教育を受けさせたいと考えています。司教たちが説明したように、皆さんの寄付は教師への支援と子どもたちの学習用品に使われます。竹やビニールの建物の中でも、子どもたちは学び、成長し、困難を乗り越えていきます。
知っている人、知らない人両方の心からの寄付が、苦しむ人々との連帯を確かなものにしてくださいます。そのつながりに心から感動しています。
未来の希望を見据えて
混迷するミャンマーの状況は一向に改善の兆しが見られず、教会や人道支援団体は国内避難民の支援活動に追われている。それでも、現在だけでなく、平和を回復した未来のことも見据えた支援活動も行われている。ここでは、未来の希望を見据えた活動の一例として、マンダレー大司教区の多目的ビル建設の例を紹介する。
嵐からの避難所
ミャンマー全土で、各教区は、戦闘から逃れなければならなかった人々のために、国内避難民キャンプを設置しました。 マンダレー大司教区では、市の郊外にあり、修養会、サマーキャンプ、成人養成プログラムに使用されていた司牧養成センターが国内避難民キャンプに生まれ変わりました。 しかし、避難民の数はすぐに1000人を超え、一時的な宿泊施設が設置されました。
時間が経つにつれ、より良い宿泊施設が必要であることが明らかになり、その敷地に 3階建ての多目的ビルを建設することが決定されました。これはすぐに建てることができ、将来的には司牧センターのプログラムに使うことができるでしょう。ケルン大司教区と東京大司教区、そして地元の寄付により、建物の建設費をまかなうのに十分な資金を集めることができました。 この建物は、国内避難民の新たな流入に間に合うように完成したばかりです。
マンダレー大司教区より
マンダレー教区に建てられた国内避難民のための3階建てビル。将来的に司牧センターとしても使えるように丈夫な造りになっている
未解決の問題 成功志向では教会は動かない
教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父
昨年(2023年)の10月に開催されたシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会第1会期を注意深く眺めていました。ほぼ毎日のように教区の皆さんに動画で会議の様子をお伝えしました。第三者である筆者から見ても、示唆に富んだ会議だったのは確かです。ましてや参加者としてその場におられた菊地大司教さま、スタッフとして大切な働きをされたお二人の日本人女性にとっても大きな恵みを頂いたことだと思います。大司教さまをはじめとして、その時の貴重な体験を教区内でいろいろな形で分かち合ってくださるのはありがたいことです。
さて、今回の会議とその後に発表された『「まとめ」報告書 宣教するシノドス的教会』を読んで気がついたことがありましたので紙面を借りて、皆さまにお伝えしたいと思います。それは「未解決の問題」という表現です。英語ではオープン・クエスチョンと言います。「未解決」と聞くと、何かやり残した問題がまだあるかのような印象を受けます。しかし、この言葉は解決できなかった問題という意味ではないことに気づかされました。
オープン・クエスチョンとは回答の範囲を制限しない質問のことです。問題を示された人が、「はい」とか「いいえ」、あるいは「賛成」とか「反対」などの選択肢から答えを選ぶのではない問いかけのことです。つまり、回答者が自由に考えて答えることのできる質問です。日常生活では、こういった問いかけの方が多いように思います。「この絵を見てどう思いましたか?」「どんな食べ物が好きですか?」のような質問です。これは「はい」とか「いいえ」では答えられません。「正しい」とか「間違っている」でも答えられません。答える人が、自分の意見や想いを伝える必要があります。
オープン・クエスチョンには正しい答えがありません。それぞれの答え方が正しいものです。ですから、回答者は自分の考えを自由に答えてよいのです。そして自由に答えることができますから、思いがけない内容を質問者と回答者の間に示すことができます。さらには、回答者が自分の考えや気持ちを伝えるわけですから、そこからさらなる会話が生まれていきます。そして、何よりも問いかける側も、回答する側もお互いに聞き耳を立てる必要があります。つまり、オープン・クエスチョンは答えを出すことよりも、聞くことを目的とするのです。
オープン・クエスチョンは、ちょっとだけハードルが高いです。「今日のお昼はラーメンか、カレーです。好きな方を選んでください」という問いかけだと、どちらかを選べばよいわけですから回答は簡単です。しかし、「今日のお昼は何が食べたいですか」と問いかけられたら、自分のこころとお腹に聞いてみなければなりません。回答は少し難しいです。子どもの頃、筆者は「何が食べたいの」と母親に聞かれて、「なんでもいい」と答えたら、母親が憤慨したことが何度もありました。「なんでもいい」という答え方は、問いかけた人の質問を否定し、ひいては人格を否定する回答なのです。母親と子どもという信頼関係があるから、オープン・クエスチョンが生じるのです。「どうでもいい」、「そんなの関係ねぇ」という悪態の付き方は問いかける方も、答える方もどちらも孤独の淵へと堕としてしまいます。
さらに、オープン・クエスチョンは想定外の答えが返ってきますから、会話のきっかけとなるものの、何かを決定するにはとてもまどろっこしいです。「はい」、「いいえ」の答えを引き出せる問いかけの方が、物事を進めるには便利です。さらには、問いかける人と答える人との人間関係、また答える人の状況によって、オープン・クエスチョンへの返答は変化します。わたしたち日本人の特性だと言われている「本音と建前」は、オープン・クエスチョンへの上手な対応ではないでしょうか。
今回のシノドス第16回通常総会では、「未解決の問題」という言い回しがよく使われました。「結論は出ないかもしれないけど、わたしはこのように思う」という態度と意志の表明が参加者全体に求められていたのだと思います。これは、白黒つけない姿勢のようにも見えます。これまでの教会のあり方とは違うものかもしれません。しかし、世界は白黒つけられない状況にあるのです。いろいろな立場にある人の意見に耳を傾け、それを尊重するようなあり方が求められているのです。
未解決の問題、オープン・クエスチョンについてあれこれと考えを巡らしていたら、あることを思い出しました。以前、この欄でも紹介しましたが、1996年のシノドスのことです。この会議では奉献生活について議論しました。日本から参加したのは新潟教区の佐藤敬一司教(当時)でした。何も分からない会議だったと司教さまは後から報告してくれましたが、一点気になったことがあったそうです。そこで次のように発言したそうです。「今までの皆さんの意見を伺っていると、サクセス・オリエンテーションにとらわれているように思います。しかし、わたしたち奉献生活者はうまくいかなかった時にこそ祈るのではないでしょうか。うまくいかなかった時にこそ、神さまは助けてくれるのです」。
サクセス・オリエンテーションとは「成功志向」と理解してよいでしょう。教会は、社会と同じように成功志向にあるかもしれません。バザーがうまくいきますようにと願います。クリスマスのミサにはたくさんの人が来るとうれしくなります。そして、失敗を極度に恐れます。もし失敗しても、その非をなかなか認めようとしません。
なぜなら、白黒つけることが教会だと知らないうちに思いこんでいるからです。白は成功、黒は失敗。黒星をつけることは汚点なのです。いつも成功を願っている。そこには、オープン・クエスチョンの入る隙間はありません。
戦後の民主主義教育を受けて育った筆者にとって、白黒をつける多数決こそが物事を決めるための唯一の方法でした。だが、それでは一人ひとりのこころの中にある気持ちや想いは閉じこめられてしまいます。教会には多数決は似合わないのです。結論にいたる道のりは遠いけど、オープン・クエスチョンで互いに聞き合い、語り合い、受けとめ合うことが教会にはふさわしいでしょう。そして、ともに祈ることが最も求められているのだと思います。
未解決の問題を明らかにした教会は、さらに歩みを続けていくのです。それがシノドス的な教会なのだと思います。
訃 報 パドアのアントニオ 泉 富士男神父
パドアのアントニオ 泉 富士男神父が2024年2月13日(火)午前2時27分、肺炎のためリハビリテーションエーデルワイス病院にて帰天されました。享年94歳でした。どうぞお祈りください。
葬儀ミサ・告別式は2月21日(水)、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、アンドレア・レンボ司教の司式で行われました。なお、納骨式の日程は未定です。
【略歴】
1929年 6月17日 沖縄県那覇市に生まれる。
1934年 4月 那覇にて受洗。
1963年 3月18日 司祭叙階(麹町教会にて)
1964年11月~1967年3月 大森教会助任
1967年 4月~1969年8月 高輪教会助任
1969年 9月~1977年6月 大森教会主任
(大森聖マリア幼稚園園長兼務)
1977年 7月~1989年4月 荻窪教会主任
1989年 5月~1997年4月 神田教会主任
1997年 4月~2002年4月 志村教会主任
2002年 4月~2005年3月 志村教会小教区管理者
2007年 4月~2020年1月 町屋教会小教区管理者
2024年 2月13日 帰天
アンゴラから友来たる
1月26日から2月6まで、菊地大司教の長年の友人であるアフリカのアンゴラのフアンボ大司教区のゼフェリーノ・マルティンス(Zeferino Martins)大司教が、東京を訪問してくださった。
ゼフェリーノ大司教は菊地大司教と同じ神言修道会の会員で、菊地大司教が司祭時代にガーナで宣教師として働いていた頃、当時神学生だったゼフェリーノ大司教が研修のためにガーナを訪れてからの縁とのこと。
ゼフェリーノ大司教は、菊地大司教と共に各教会や修道会でミサを捧げたり、都内の観光地を訪問したりするなどして10日間の日本滞在を楽しまれた。
遠く離れたアフリカの地にも、同じ信仰で結ばれている友がいることを心に留めていただければ幸いである。
ケルンデーミサ後、香部屋にて
浅草の仲見世通りでお土産を選ぶゼフェリーノ大司教と菊地大司教
上野東照宮ぼたん苑にて
アンゴラからのお土産「考える人」の木像
「ともに祈る 十字架の道行き」動画配信
「十字架の道行き」は、カトリック教会に古代から伝わる重要な信心業であるが、特に、四旬節中の金曜日に行うよう勧められている。
実際に、多くの小教区では、四旬節中の金曜日に「十字架の道行き」を行っているが、時間が合わない等の都合で、教会で行われている祈りの集いに参加できない方も多いと思われる。
そこで、東京大司教区広報では2023年の3月に「ともに祈る十字架の道行き」という動画を作成し、東京教区YouTubeチャンネルで公開している。この動画は、菊地功大司教の先唱のもとで、それぞれの場にいながら「十字架の道行き」を祈ることができるように作られている。
教会で行われる「十字架の道行き」に参加できない方も、この動画を用いて、人類の救いのために十字架への道を歩んだイエスに心を合わせて祈る一時を設けていただきたい。
※「ともに祈る 十字架の道行き」はこちらからご覧になれます。
CTIC カトリック東京国際センター通信 第275号
ある出来事を通して
病院の「医療福祉相談室」「地域医療連携室」などと呼ばれる部署に、担当医師や看護師と患者の橋渡しをしたり、入退院のことや退院後の社会復帰、医療費や当面の生活費などの経済的な問題について相談に乗ったりする「医療ソーシャルワーカー」と呼ばれる方がいます。CTICは設立の時から、医療関係の相談数が常に統計の上位を占めているため、医療ソーシャルワーカーと連携することが少なくありません。彼らが受ける相談は、患者数に比例して圧倒的に日本人からのものが多いのですが、最近では入管法に精通し、「病院内外国人支援特別相談員」と呼びたくなるような外国人支援についての専門知識を持つ医療ソーシャルワーカーが増えてきました。
そのような医療ソーシャルワーカーの一人であるAさんと解決の目途が立ちにくい困難なケースについて相談していた時のことです。「患者さんの持っている条件を正確に把握し、あらゆる分野のあらゆる制度についての情報を集め、時間と競争しながら判断する医療ソーシャルワーカーの仕事はストレスが多いですね」と言った私に対して、Aさんはこのような言葉を返しました。「この仕事で大変なのはそんなことではないですよ。期待に応えられない時の当事者や支援者たちの厳しい反応です」。求められたことが制度的にどうしても受け入れられないためにお断りすると怒る人が多く、時には「あなた方は人権をどう思っているのか!」と怒鳴られたり、「外国人も人間です」と泣きながら責められたりすることもあるそうで、「当事者や支援者にとって、困っている外国人に尊厳や人権はあっても、私たちにはないみたいです」と彼は笑って付け加えました。
切羽詰まった方の支援に当たる時、役所の窓口で、入管で、そして病院の相談室で、思うような結果が得られないと、露骨に嫌な顔をしたり、不満な口調になったり、「わかりました」と言葉少なに立ち去ったり、失礼な振る舞いをしている自分の姿が思い出されます。相談者の状況が困難であればある程、何とかしなければという思いが強くなれば強くなる程、事が思い通りに進まない時にそのような反応を示しがちです。「誰ひとり排除されない世界」を求め、排除されていると思われる方の尊厳を守りたい一心で動いているつもりが、目の前で対峙している人の尊厳を傷つけており、「誰ひとり排除されない世界」を壊しているのは自分自身だと自覚させられた出来事でした。
『人間は信念を失ったときに怒りを失うものだ。同時に信念を売り物にし、それを押しつけるためにやたらに怒ってみせる人間もいる。どちらも危険である。怒りの純粋性とは一体何か。私が現代に失われているというのは、この怒りの純粋性である。(亀井勝一郎)』誰も住まなくなった実家の片付けをしていて見つけた学生時代の読書メモに書かれていた一文です。どんな思いでこの言葉を書き留めたのか思い出せませんが、この四旬節、もう一度この言葉を味わい深めてみたいと思っています。
相談員 大迫こずえ
東京都内の病院にて(本文と写真は関係ありません)
カリタスの家だより 連載 第160回
新たな出会いに感謝して~ボランティア活動からいただく恵み~
ボランティア
高森 裕子
東京カリタスの家の「家族福祉相談室」は、ホームページやパンフレットなどを見てお電話を頂いた相談者に対して、「問題を解決する」という視点ではなく「問題に苦しんでいるその人に寄り添い、解決への道を共に歩んでいく」という関わりを大切にしています。私はそんな家族福祉相談室でボランティアを始めて、9か月が経とうとしています。
ボランティアを始めようと考えたきっかけは、2019年長崎での教皇様のミサ説教でした。「天の国は、わたしたち皆の共通の目的地です…病気や障害のある人、高齢者や見捨てられた人たち、難民や外国からの労働者、彼らを取り囲んで大抵は黙らせる無関心の脇で、今日それを生きるのです…あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らって、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰告白です。わたしたち一人ひとりの決断にかかっています。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか」という呼びかけに、私も決断し何か新しい一歩を踏み出したいと強く背中を押されたことを覚えています。
それから間もなくコロナ禍が始まったため、すぐに動きだすことはかないませんでしたが、公開ミサの中止など今まで想像もしなかった信仰生活を送ることは、自分なりに自分らしくできることが何かを多面的に考え、新しい一歩に向けて準備をする期間ともなり、昨年5月にカリタスの家にご縁を頂きました。
今は、お二人のお宅を月1回ずつ訪問し、1時間ほどを一緒に過ごさせていただいています。一軒のお宅では、その方のお気に入りの音楽に合わせて歌ったり体を動かしたりしながら、もう一軒のお宅では、庭の草取りをしながら、とりとめのないお喋りをしています。
私は引っ込み思案なところがあるので、お宅を訪問し一対一で向き合って場がもつのかしらと不安がありましたが、お二人とも緊張する私を温かく笑顔で迎えてくださり、訪問を重ねるごとに少しずつお互いを知り合いながら楽しく時間が過ぎていきます。初めは「訪問したら、何かしてこなければ」と気負いがありましたが、結果的には私が何をするでもなく、お二人との歌やお喋りから新しい世界を開いてもらい、人と人がつながり共に時間を過ごす豊かさをプレゼントしてもらっています。
カリタスの家の活動は、ボランティア一人のものではなく、相談者、ボランティア、コーディネーターの三者で進めていくものなので、コーディネーターからは訪問報告の度に「ご本人の思いを大切にし、確認しながら、傍にいさせていただくにはどうしたらよいか」を考えるヒントをいただけます。一人で抱え込まなくてもよいのはとても安心です。
個別の活動に加えて、月1回、カリタスの家で開かれるミサとボランティアの広場に参加しています。ミサで、その月に命日を迎えるカリタスの家にこれまで関わってこられた方のために祈ると、ここで出会った一人ひとりが、人と人との関わりの中で今も大切にされていることを実感し、私も活動で出会わせていただく一人ひとりと誠実に関わっていきたいと気持ちが新たにされます。また、ボランティアの広場で神父さまからの講話の後、お茶を飲みながらボランティアのお仲間と分かち合いをすることは、職場や家族・友人との時間とは違う味わいがあります。
カリタスの家に来て、1年前には想像もしなかったたくさんの素敵な出会いと恵みを与えていただきました。そのことに感謝しながら、今日、天の国を生きられるように、日々が新しい「今、ここ」での豊かな出会いになることに信頼し、相手に尊敬をもって向き合い、これからも活動を続けていきたいです。
福島の地からカリタス南相馬 第29回
カリタス南相馬スタッフ 宇根 節
『お別れ』を今も大事にしながら生きる…をこの地で共に
南相馬市の小高区に移って来て4年目になりました。毎日、自宅の窓から見える阿武隈山麓に移る朝日や夕日を眺めながら、何年もの間人々の暮らしを支えてきた山に何をお返ししてしまったのだろう…。そんな事を思いながら、14年前の原発事故を想い出しては心痛める作業が私の阿武隈山麓への『お返し』のように思っています。目の前に佇む阿武隈山麓は、私には原発事故を忘れさせない大事な相手です。そして、好きになってしまった美しい山並みから頂いていた恵みを忘れないためにも、心痛める作業も大事な事だと思っています。
今年の正月に起こった『能登半島地震』で地震直後の映像が東日本大震災の経験を蘇らせたかもしれませんが、その後の14年と言う歳月と癒しの作業のお陰で過去の出来事として割り切れた方が多いのでしょうか…。震災後、「心のケア」に関わる中で、『曖昧な喪失』という別れが有る事を学びました。「お別れの無い、さようなら」そして「さよならの無い、お別れ」という経験をする場合、その喪失を癒していく過程はとても繊細で長い時間を必要とする場合もあるという事でした。突然、目の前から大事な人が居なくなりお別れもできていない…、目の前に居るのに、まったく別人のようになってしまい、今までの事が無くなってしまったように感じる…等などの経験がそれに当てはまるようです。
大震災のような状況で起きる「お別れ」(喪失)には、「さよならの無い、お別れ」が多いのかもしれません。それだけに、その後の癒しの作業には長い時間も丁寧な関わりも必要になってきて当然と思います。生活支援員として働いていた時に、浜通りで被災した方が、今でも亡くなった大事な人の事を話そうとすると、『今更話ししてどうする!』と家族に叱られて黙ってしまう、と話すのを聴いた事がありました。14年も経っている今でも、さよならが言えずに別れてしまった大事な人への想いを思い返しては、誰かと分かち合いたいと願う人も意外と多いのかもしれません。そう思うと、心の深いところで発する叫びに敏感な存在でありたいし、大事な方との別れを今でも大事に聴ける相手でありたいと考えます。
この1月から「カリタス南相馬」のスタッフになりましたが、そのような役割も果たせないかと願っています。今後とも宜しくお願い致します。
カリタス東京通信 第12回
「誰ひとり、とり残さない」社会になれるのか?
NPO法人女性ネットSaya-Saya
松本和子
2015年SDGsが謳われたとき、日本の社会はほとんど見向きもしなかった。今では、保育園の子どもたちも、「えすでぃーじーず」と、大声で叫んでいる。この地球上に誰1人取り残さない、持続可能な開発目標として2030年までに達成しようというスローガンであった。当初、地域の講座や講演会で、SDGsのことを話しても「?」な雰囲気だったが、今では、環境問題など地方自治体も熱心に取り組んでいる。しかし、2030年までに本当に達成できるのか?
2023年の達成度ランキングでは日本は21位に下がった。中でも、日本で深刻な課題があるとされているものの一つが、No. 5のジェンダー平等である。日本のジェンダーギャップ指数でいうとさらに低く国連146カ国のうち、125位と、年々順位を落としている。日本の女性たちの教育や、健康の指数はトップレベルなのに、政治や、経済で数値を落としている。日本の女性は非常に教育程度も高く健康であるのに、この国の決定権のあるポストにはいない、すなわち非常にバカにされているといえる。でも、これを言っても怒る女性はほとんどいない。それくらい、女性たちは、どんなにバカにされても嫌なことがあっても我慢してニコニコしていなさいと教育されているのだ。国連の調査で世界一我慢強いのは日本の女性である。自分の意見も人前でははっきりとは言わない。誰かが言うのを待ってから、あるいは指名を受けてから発言する。そのような奥ゆかしい文化が好まれる。
某政治家のセクハラ発言に聴衆の笑い声が聞こえてきた違和感。力のある女性をそのままリスペクトするのではなく、ちょっと下げながら褒める。結局男性の上から目線は変わらない。男性社会の特権は歴史を通じて変わらない。法律が変わり、ジェンダーイコール50:50と頭ではわかっても現実の生活レベルでは見えない抑圧がまだまだ現存する。「うちのかあちゃん怖い、逆DVといっても、男性は見えない特権で女性を抑圧していることを意識していない。オレゴンで裁判官が「女性の暴力の多くは、セルフディフェンスで、男性の抑圧に対する正当防衛なのだ」と説明されたが、実際そのようなケースの方が多い。私が女性ネットSaya-Sayaで女性たちの相談を受けて20数年になる。もう1万件近く話を聞いているが、夫からのモラルハラスメントの訴えは後を絶たない。見えない抑圧は、女性の心を傷つけ病ませる。見えない暴力は、身体的暴力の6倍も影響が大きいと言われる。それを見ている子どもたちへの影響も大きく社会問題になっている。
最近私たちのシェルターに入ってくる若年女性たちのほとんどは、親からの暴力である。ネット社会の中で男性に食い物にされながら、「ネカフェ」周りをしつつ生き延びている。「多様性を認めよう」「誰ひとり、とり残さない」と政府のスローガンにもあるが、実際地域の中には、はじかれ、孤立させられ、自死に追い詰められている人たちが多い。
私たちの教会は、どんな人も受け入れられる教会になっているだろうか? ジェンダーイコールだろうか? 女性は教会の下働きになっていないだろうか? LGBTQの人もカミングアウト出来るだろうか? イエスの招きは、「誰ひとり、とり残さない」はずだ!
編集後記
闇の中を歩んでいる時はほんの少しの光にも喜びを見いだせる
光の下にいるときは、わずかな闇にも不安や恐れを抱いてしまう
本当は、闇の中にあっても、光の下にあっても、愛は変わらずそこにある
どんな時も愛を信じ、愛を喜ぶことができますように(Y)