お知らせ

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東京教区ニュース第398号

2022年12月06日

愛を分かち合うために

教区シノドス担当者 
瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

主よ、いつくしみを わたしたちに

典礼暦年2023年、待降節第一主日より新しい式文でミサが献げられるようになりました。信仰の共同体である小教区の皆さんと一緒に、新しくされた式文でミサを祝うことができたのは大きな恵みの体験でした。まだまだ、スムーズに唱えられない箇所もあるのですが、それでも共同体の皆さんと一緒に主イエス・キリストの過越の記念をミサの形で献げることができるのは、大きな喜びです。

実際にミサを献げてみて感じるのは、これまでの式文と比べて「わたしたち」という意識が強くなったということです。司祭だけが献げるのでもない、会衆だけが献げるのでもない、そこにいあわせた人々が一つになって「わたしたち」という意識が生まれて「ともにささげる」ミサとなっています。「主よ、いつくしみをわたしたちに」と唱える時、そのことをよく感じます。

わたしたちの教会

教会は「わたしたち」とお互いに言い合える、認め合える人々の「集い」です。ですから、「わたしたち」という意識を、そこに集う人々が強く、深く、豊かに持つ必要があります。

そのためには兄弟姉妹一人ひとりを結びつけるものが必要です。わたしたちを結びつけるのは主イエス・キリストご自身です。信仰の共同体に「おられる」(現存する)、復活された救い主キリストが、生まれも、性別も、年齢も、民族も、考え方も違う人々を一つに集め、「わたしたち」にしてくれます。

ともに考え、ともに祈り、 ともに歩む教会

ですから、教会の中心にあるのは「ともに」です。三位一体の神さまと「ともに」、そこに集う人々と「ともに」あるのです。時々、この「ともに」の意識を呼び覚ます必要があります。なぜなら、わたしたちは罪人で、自己中心的だからです。周りの人のことが分からなくなるからです。そこで、意見や考え、気持ちをお互いにあからさまにして、分かち合う(シェア)することはとても勧められます。分かち合う時、そこに聖霊が働くからです。

10の問いかけのための ハンドブック

東京教区では『「ともに旅する教会」をめざして』という小さな冊子を発行しました。そこには10の問いかけにもとづいての信仰、教会、人生について分かち合う(シェア)材料が記されています。詳しいことはこのハンドブックをご覧になってください。そして、信仰の共同体(小教区共同体と信者が集う小共同体)で「ともに」問いかけに答えてみてください。その取り組みから何かが始まると期待しています。

交わりは広がっていく

わたしたちの教会とは、自分たちだけがよければ十分という閉じた教会ではありません。もし、交わりが豊かにあれば、その交わりはすそ野を広げていきます。多くの人々を交わりへと招きます。なぜなら、愛の交わりだからです。愛はとどまるところを知らないからです。広がりのない交わりはこの世の交わりです。しかし、主イエス・キリストが中心におられる交わりは多くの人々を巻き込んでいくのです。多くの人々を「ともに」へと招くのです。

「主よ、いつくしみをわたしたちに」と唱える時の「わたしたち」とは、そこに居合わせた人だけではありません。家族であり、地域であり、国であり、ひいては人類全体なのです。

「善はおのずから広がっていく」(bonum diffusivum sui)と教会では昔から言います。交わりが閉じたものとならないためには、交わり集う「わたしたち」が豊かに分かち合う(シェア)しなければなりません。それは愛の「分かち合い」です。

「ともに旅する教会」をめざして 10の問いかけのためのハンドブック 分かち合いの手引き

先日小教区にお配りした「ともに旅する教会をめざして 10の問いかけのためのハンドブックシノドスからの問いかけに答えてみませんか?」はお手にとっていただけたでしょうか。

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このパンフレットは、教皇庁シノドス事務局から提示された「シノドス準備文書」にある10の設問をもとに作成された分かち合いのハンドブックです。設問に基づき、わたしたちの今日に適応できるように、いくつかの分かち合いのための問いかけを作りました。皆さんの集いの中で、このハンドブックを活用しながら、「聞く教会」、「ともに歩む教会」を体験してください。(ハンドブック巻頭菊地大司教の挨拶より)

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とはいえ、教会での分かち合いを体験したことがない、慣れてはいないという方も多いと思いますので、このハンドブックを用いた分かち合い方の一例をご紹介いたします。もちろん、必ずこの通りでなければならないということはありませんが、方法の一つとして参考になさってください。

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人数:3人から5人程度。多すぎない方がよいでしょう。
場所:静かなところであれば教会でなくてもかまいません。直接集まるのが困難な場合はZOOM等を利用してもよいでしょう。
時間:1時間前後を目安としましょう。

分かち合いの手順

1.はじめの祈り
「主の祈り」など、短い祈りでかまいません。祈りをもって気持ちを切り替えることが大切です。

2.読む
一つの設問を選びます。黙読ではなく、声に出してゆっくり読むことをお勧めします。代表者が読んでも、段落ごとに皆で回し読みをしてもかまいません。この時、自分が特に気になったことばを心に留めておきましょう。線を引いたり印を付けたりしてもかまいません。

3.黙想
「教区としての問いかけ」を手がかりにしながら、しばらく沈黙の内に、自分が気になった箇所、ことばを味わいましょう。そのことばを通じて神が自分に何を語りかけているのかを考えてみたり、「問いかけ」と同じ場面を想像したりするとよいでしょう。時間は15分から20分を目安としてください。自分の席を立ってもかまいません。教会であれば聖櫃の前でもよいですし、歩きながらの方が考えがまとまるのであれば、それでもかまいません。

4.分かち合い
分かち合いは「言いっぱなしの聞きっぱなし」が大原則です。他の人の話に意見を言うこと、特に「それは違うと思う」と言うことは絶対にしないでください。一人2分程度を目安に、黙想で感じたことを「問いかけ」に沿って自由に発表してください。正解や間違いはありません。全員が同じ「問いかけ」に答えても、違う「問いかけ」を用いてもかまいません。順番を決めてもいいですし、話せる人から話してもかまいません。 全員が発表し終わったら2周目に入ってもてもいいでしょう。その際、「他の人の意見を聞いて新たに気づいたこと」を言うのはかまいませんが、批判や反論にならないよう気をつけてください。
5.おわりの祈り
皆で集い、分かち合えたことに感謝しながら「アヴェ・マリアの祈り」等を唱えて分かち合いを終えましょう。

分かち合いで話したことを他の場所で他の人に口外することは絶対にしないでください。

※ハンドブックのPDF版はこちらからダウンロードできます。

カリタスの家だより 連載 第148回

カリタス翼の世界

放課後デイサービス カリタス翼は、何らかの発達上の課題をもつ小学生から高校生のお子さんが放課後や長期休み中に利用する施設で、今は本郷教会の信徒会館4階で運営されています。本郷教会所属の私はカリタス翼の存在は知りながら実際の活動の様子はあまり知らずに過ごしていましたが、昨年12月からボランティアとして参加させていただくようになりました。始める前は、私でもお役に立てるのだろうかと不安や緊張がありましたが、最初の面接の時に担当の方から「何ができるかということではなく、ここの子ども達にとっては色々な人と出会うこと自体がとても大切な経験なんです。又、この子ども達がどんな風に生活しているかを皆さんに知っていただくことも、彼らが社会の中で生きていく上で必要な事です。どうぞ宜しくお願いします。」と言っていただき「本当にそうだな」と思いスタートいたしました。初日は何をしてよいのか、子ども達とどう関わったらよいのかわからず、ただそこにいるだけの様でした。そんな私をよく観察して、気遣い、受け入れてくれたのは子ども達の方でした。それから通ううちに、言葉でのコミュニケーションは難しくても、一緒に音楽に耳を傾けたり、視線を合わせたり、手を繋いだりする中で子ども達と心が通じたと感じる瞬間があり、それは私にとっての純粋な喜びとなっていきました。

翼の子ども達は自分の思いや感情をとても正直に(言語や表情、動作で)伝えているな、と感じます。

それは子ども達が「ここは自分の思いを受け止めてもらえる場所だ」と感じ安心していられるからではないかと思います。それが時には「しなければいけないけれど、したくない」という事態にもなるのですが、スタッフはその子がしたくない理由が何かを話し合い、その子自身が乗りこえていけるにはどうしたらよいか、寄り添いながら取り組んでいきます。「できない」「疲れた」「わからない」「不安」を表現し、受け止めてもらうことで、ある時「やってみよう」と新しい自分に開かれていく、そして「できた!」時の輝く笑顔は、自分の内からわいて来る真の喜びなのでしょう。

翼にいるお子さんたちは、色々な苦手や困難を持っている場合も多いですが、できることもできないこともそのままに、自分の持っている自分らしさを発揮して生きています。彼らに照らされて、他人からよく見られたいとか評価されたい思いに縛られ、恐れ、不自由でいる自分に気づかされます。

「翼」という名前は当時の東京カリタスの家理事長、故岡田大司教様がご自身の紋章の「主に望みをおく人は、あらたな力を得、鷲のように翼を張って上る。走って弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ第40章31節)にちなんで命名されたと伺いました。岡田大司教様が亡くなって12月で2年になります。その年の9月20日こんなブログを残していらっしゃいます。

《人は生涯にわたって何等かの「評価」を受けています。今の社会でその基準値は何でしょうか。入学試験の合否の基準は通常学力、会社では多分、総合的な意味での「仕事の実績を挙げる能力」でしょう。それでは、この世での評価に値する何物も持たない者が、その人である、という一点で評価され、大切にされ、なくてはならない存在とされる世界はないでしょうか。今日のぶどう園の譬えは、そのような世界、「人がその人である、というだけで評価され大切にされる世界」を語っていると思うのです。人には「あなたがあなたであることを嬉しく思う」という他の存在、人の交わりが必要です。そのような人はあなたにとって誰でしょうか?》(ブログより抜粋)

「あなたがあなたであるだけで大切」という世界が翼の中にあるように感じます。その中にいて自分も自然と正直にありのままでいられていること、招かれてここにいることに心から感謝しています。

ボランティア 菊井 眞理

※お詫びと訂正
11月号の「カリタスの家だより」のタイトルに誤りがありましたので次の通り訂正いたします。
誤 「子どもの家エランの近況」
正 「地域活動支援センター・みんなの部屋の近況」

福島の地から カリタス南相馬 第17回

南相馬市 同慶寺住職
田中徳雲 

地球に生きる一人のヒトとして

みなさん、こんにちは。早いもので今年も振り返りの時期を迎えています。今年もいろいろなことがありました。コロナウイルス感染拡大が続く中での2年目の年越し。2月には国内感染者数累計500万人を突破という頃、ロシアがウクライナに侵攻し、世界中に不安と平和を求める声が響きました。3月には近年3度目になる福島、宮城が震度6強の大地震。被害は大きく、さすがに心が折れたという声が聞こえました。7月には参議院議員選挙の中、安倍元首相が銃弾に倒れ、統一教会関連のニュースが連日報道されるようになりました。世界的な原資高騰の中、コストプッシュインフレが起こりあらゆるものが値上げされています。尚、現在(11月)コロナの国内感染者数は累計で2300万人を突破、4万7000人以上が死亡しています。私たちはそれなりに努力していると思うのですが、温暖化の原因になる地球規模での二酸化炭素濃度は相変わらず過去最高値を記録し続けています。そして来年3月から開始予定の放射能汚染水を海洋放出するための海底トンネル工事は地元の同意がないまま進んでいます。

よくお話しさせていただくことなのですが、あらゆる問題が実は根っこの部分で繋がっているということがあります。環境問題も、戦争も、汚染も、ウイルスの変異やパンデミックでさえも、私たちの行き過ぎた活動が原因にあると思います。それは地球からの警告ではないでしょうか? 私たちの体は、食べたものからできています。ではその食べたものとは、どこからくるのでしょうか? お米や野菜、魚や肉も、みな周辺の環境中から頂いた命です。人の細胞はおよそ6カ月ですべて入れ替わるという科学的な見地からしても、私たちの体は環境そのものと言っても過言ではないと思います。例えば大海原を想像してください。そこに一艘の船があるとして、船を中心に考えたときに、海は船の右側、左側、前、後ろに分かれて考えることができます。ですが本来、海は分かれてなんかいません。同じように、現代では人間や個人を中心に物事が捉えられがちです。だから母なる地球を傷つけ搾取したり、富の独占が起きたりしています。

私たちは地球の一部、環境の一部です。りんごの樹に例えるなら、一人ひとりが果実だとすると、地球は樹木です。その果実から樹木への意識の目覚めが必要です。地球のつながる生命ネットワークこそが私たちの本性です。

果実から樹木へ意識が覚醒すれば、毛虫が蝶になるように変化が起こり、問題は自然に解決されてゆくと思います。 私たちは今、生き方が問われています。成長から成熟へ。自らが変化の一部になってゆきましょう。 合掌

CTIC カトリック東京国際センター通信 第263号

支援を卒業していく人々

コロナが猛威を振るっていた昨年に比べると、食料支援に頼る人の数もだいぶ減ってきました。それだけに、今なお食料支援に頼らざるを得ない人々の置かれた状況もよりはっきりと見えてくる昨今です。

「ありがとうございました!」と食料支援を卒業し、希望をもって新たに歩みだす人たちの笑顔はスタッフにとっても嬉しいものです。生活に困窮する外国籍の方を対象とした食料支援は自立に向けられていて、毎月収入を得て生活できるようになれば支援は終了となります。収入、世帯人数、家賃や借金の有無などが目安となりますが、それ以上に「もう大丈夫です」という本人の意志も大切だと感じています。仕事が決まった時点で自ら支援の終了を申し出る人もいれば、安定するまで支援の継続を求める人もいます。本人や家族が病気がちであったり、仕事が不安定であったりなど、何か不安要素がある場合は、ある程度の収入があってもしばらく支援を継続する方がいいこともあります。

今年の夏に支援を終了したカメルーンの男性もそのことを教えてくれた一人でした。就労が許可されなかった数年間支援を必要としていましたが、この春から小学校の英語の先生として働き始めることができました。私が関わった一年半の間、試練の中にありながらいつも前向きで感謝の言葉を口にしていた彼が一度だけ顔を曇らせたことがあります。それは支援の終了を提案したときでした。夫婦ともに安定した仕事を得、経済的には問題ないと判断した上でのことでしたが、その時彼の口から「もう大丈夫です」という言葉は出ませんでした。2か月先を目処にすることに口では承諾しながらもどこか不安げな表情がひっかかり、他のスタッフとも相談し、夏一杯は待つことにしました。9月の初め、仕事帰りに訪れた彼に「今回が最後で大丈夫かな?」と切り出してみると、今度は「もちろんです!なんとかやっていけると思う、本当にありがとう!」という言葉が返ってきました。明るい笑顔で語る言葉には、数か月前にはなかった力強さが感じられました。「ここは自分の家だから娘が成長したらいつか連れてきたい」と溢れる感謝でCTICを後にする姿は、その人の声に耳を傾けつつ共に歩む大切さを教えてくれるものでした。

10月に食料支援を卒業した方

このように晴れて仕事に就き、希望をもって食料支援を卒業していく人や、ある程度の明るい展望を描ける人もいますが、在留資格がなく就労が許可されない人たちは、はっきりとした希望が見えない中を歩み続けています。長期に渡って食料を誰かに頼らざるを得ない状況は精神的にも追い込まれがちです。「わたしはついていなかった」、「あまり幸せではなかった」と人生を振り返る心の奥に光が訪れるよう願いつつ、少しでも心温まる交わりを心がけていきたいと思います。

皆さまからのご支援によって多くの方の生活が支えられていることに感謝を込めて。

CTICスタッフ・ 師イエズス修道女会
右田紋子

神の恵みのうちに100周年を迎えました!

~主の御公現カトリック大森教会創立100周年感謝ミサ(2022年10月10日)~

現存する100年前の大森教会創立者アルベルト・ブルトン神父様(パリ外国宣教会)の記録によると「大森小教区は、1922年7月2日大使ジャルディニ大司教を大森で公式にお迎えした日に始まった。今後、この日をもって創立日とする。」と創立の宣言がされています。

10月10日、菊地大司教様を中心に歴代の主任司祭、宣教協力体の司祭、関係司祭、関係修道女会、ルーテル大森教会、聖公会大森聖アグネス教会、関係者とともにミサを執り行い、ミサ後の記念式典で100周年記念オブジェの十字架とお告げの鐘の祝福をしていただきました。オブジェの十字架は、東京大司教区の各小教区から集められた石でつくられた教区の一致を証する十字架で「つながり~The Bonds of Communion~」と名付けました。

「つながり~The Bonds of Communion~」

お告げの鐘は、教皇ピオ十一世から東京神学校へ贈られ、戦後、教会再建復興第1号として脚光を浴びていた大森教会で使用する許可をいただき19年前まで実際に教会で鳴らしていました。老朽化に伴い鐘楼から聖堂内に置かれていましたが、再び当時の音を響かせるようにしました。コロナ禍にあって様々な制限があるなかでのミサでしたが、皆がこの100年間に頂いた恵みに感謝し祈りました。

記録によると大森教会は初代主任司祭のアルベルト・ブルトン神父様が1921年(大正10)に現在の聖母訪問会のシスター数名と地域の協力者から社員宿舎と屋敷を無料で借り受け仮修道院、幼稚園、医院を開設し布教をはじめました。1922年(大正11)に仮聖堂が設けられ、一般信徒のためにミサをささげるようになりました。その後、土地460坪を購入し、1928年(昭和3)2月5日、日本26聖人の祝日に献堂式をおこないました。聖マリア共同医院、日本訪問童貞会(現在の聖母訪問会)の修道院が隣接していました。大森教会は、先に教会の建物があったわけではなく、先に人を助けるための医院や幼稚園の奉仕活動をしながら聖堂建設の資金調達をはかりました。建物ではなく人を助けることを優先したのです。私たちは、この感謝ミサで100年前から引き継がれた、弱い人を助ける精神を行いをもって伝え続けることができますように祈願しました。

創立100周年にあたり私たちは、100年前からの歴史を振り返る機会を頂きました。1943年、当時の横浜教区長(使徒座任命管理者)で大森教会第二代主任司祭の井手口美代市神父様は、香港で乗船していた軍艦に魚雷が当たり沈没する中、救命ボートの席を譲り帰天されました(当時、席を譲られた人の話)。また1945年大森教会は、戦災により焼失しましたが、当時の主任司祭であった下山正義神父様は、近くの捕虜収容所に通い、捕虜となっている人たちの救霊活動を続けました。そして、100年前の洗礼台帳が現存するのは、この時に下山神父様が命からがら持ち出してくださったお蔭なのです。この100年の間キリスト者として行いをもってあかしする神父様方や先輩方を知ることができたのは、私たちにとって大きな恵みでした。これから次の100年にむけて歩み始めている私たちが、後世に何を残し何を伝えることができるでしょうか。

今、大森教会では11月で23回目の開催となる生活困窮者のためのフードパントリーを毎月1回、開催し食品や日用品の支援をしています。毎月130世帯前後の方が受け取りに来られ、お米は1回の開催で450kg~530kgの配付となります。そのほかに毎月1回大田区のホームレスの拠点に食品や衣類などを配付しています。この活動は100年前のブルトン神父様から受け継がれた精神を私たちも原点に返り考え実行しようと頑張っているものです。時代は急速に変化し、ニーズも変化する中で今も昔も変わらないのは、人と人とのつながりの大切さではないでしょうか。(大森教会信徒)

※菊地大司教の「司教の日記」(2022/10/11)に説教原稿が掲載されています。

「お告げの鐘」

三年ぶりのザビエル祭

11⽉23⽇、生憎の雨模様となりましたが、東京カトリック神学院にてザビエル祭が⾏われました。

近年のザビエル祭はコロナ禍の影響もあり、動画配信を主としたオンラインでの開催でしたが、本年度は三年ぶりに神学院へ皆様をお招きして開催することができました。感染対策として人数制限を設けての開催となりましたが、開催時間を二時間ごとの三部制とし、なるべく多くの方に来院いただけるよう工夫をいたしました。また、例年であれば書籍・物品や飲食物の販売のために外部からも参加をしていただいておりましたが、本年度は感染対策・人数制限の面から参加を見送らせていただきました。外部の企画が無い分、神学生各々の発意によって内部の企画を盛り上げました。

神学院の内部を紹介する「院内ツアー」では、例年よりも回数を増やしたり、ツアー案内人の神学生が個人的に好きな場所を取り上げて紹介したりと、企画内容を充実させました。子どもたちに向けての企画では、普段はなかなか入ることができない神学生の居室を利用した宝探しゲームや、子どもたちが入れるぐらいの大きなシャボン玉を作り、保護者の方に写真を撮っていただくなど、親子で楽しめる企画を考えました。また、新しい企画としてより深く神学生と交流ができるよう、さまざまなテーマについて対談する「神学生トークバー」を企画いたしました。

院内ツアーの先導

すべての部でミサが捧げられ、第一部では浅井師(名古屋教区)、第二部では稲川圭三師(東京教区)、第三部ではマルコ師(グアダルぺ宣教会)と養成者・養成協力者が交代でミサを司式いたしました。本年度のザビエル祭のテーマは「実に、キリストはわたしたちの平和です。」(エフェソ2・14)とし、ミサの共同祈願ではウクライナやロシア、ミャンマーなど戦争や政情不安を抱えている地域のために平和を願う祈りも捧げられました。ミサに続く閉会式にて、稲川院長は「依然続くコロナ禍ではありますが、人数制限を設けるなど現実との折り合いをつけながら、皆様をお招きする形でのザビエル祭の開催を決定いたしました。それは、神学院として新しい一歩を踏み出すことができるためでした。」とザビエル祭開催の意義についてお話をされました。

神学院院長の稲川圭三神父

最後に、来場された皆様へのプレゼントとして、神学⽣による東京カトリック神学院の校歌とも⾔える「主の召しあれば」の合唱を行い、来場された方々を全神学生が見送りをして本年度のザビエル祭を閉会いたしました。   

東京教区神学生 
神学科一年 田町 英紀

ザビエル祭動画版も配信中! こちらのリンクから是非ご覧ください。

ケベック会総長来訪

今年で創立101周年をむかえるケベック外国宣教会(ケベック会)は、74年前から日本でも活動を開始し、現在では東京教区と仙台教区を中心に司祭と信徒宣教師を派遣している。

現在、ケベック会は日本における会員数の減少と会員の高齢化の現状を鑑み、宗教法人としての解散手続きの最中にある。なお、法人の解散と宗教団体としての活動の終了は無関係であり、ケベック会は今後も日本での宣教活動を継続する。東京教区においても、ジャン・ガブリ神父が引き続き赤堤教会の司牧を担当する。

この度、東京教区とケベック会の協力関係の確認のため、ケベック会総長ロラン・ラヌヴィル神父が東京教区事務所を訪問してくださった。

左から門間直輝法人事務部長、菊地功大司教、ケベック会総長ロラン神父、シャール・エメ・ボルデュック管区長

ミャンマーの教会に想いを寄せて

国内避難民キャンプの中の学校

子どもたちの未来のために教育支援を

レオ・シューマカ神父◉ミャンマー委員会担当司祭

わたしはこれまで20回近くミャンマーを訪れていますが、いつもこの国を訪れ、友人たちに会うのを楽しみにしています。しかし、今回は違いました。飛行機の中でわたしは緊張していました。わたしが行って何か役に立つのだろうか? 邪魔にならないだろうか? ミャンマーは軍事政権下にあり、カトリック教会も多くの困難に直面しているのですから。

10月5日、わたしはケルン大司教区の代表者2名とともにミャンマーに行き、8日間を過ごしました。そこでは様々な援助団体に会い、教区の現状や寄付金の使途について報告を受けることになっていました。1日に2、3回の会議があり、わたしたちは多くのことを学びました。

ミャンマーのカトリック教会は二重の重荷を背負って活動しています。第一の重荷は、診療所の開設、学校の運営、約10万人国内避難民に対する食料や住居の提供など、信徒への多大な支援を行うことです。第二の重荷は軍によって積極的に標的にされていることです。教会は焼かれ、修道女や司祭たちが尋問のために呼び出され、援助活動はしばしば禁止されています。

わたしたちはたくさんの会議に参加しましたが、それは単なる会議以上のものでした。わたしたちが出会った人々は、この2年間に起こったこと、すなわち、彼らが受けた衝撃、痛み、恐怖、そして人間がそこから回復する力について、たくさんのことをわたしたちに教えてくれたのです。話を聞いているうちに、わたしたちの心は感動で満たされました。同時に、自分に起こった出来事を語ってくれた人々は、わたしたちがそこで彼らの話を聞いたこと、そしてわたしたちの教会が彼らを助けたいと思っていることに感謝してくれました。彼らは自分たちは独りではないことを知って安心したのです。そしてわたしたちは、キリストが教えたように、自分たちの兄弟姉妹の中で最も小さい者を助けるという課題を与えられました。

各教区が今後のために準備している計画について報告を受け、それらに耳を傾けるうちに、わたしたちが協力できる分野があることが明らかになりました。赤十字や国連などの大規模な支援組織では、食料や医薬品などの緊急物資の供給を行っています。地元の教会は、仮設住宅用の資材を惜しみなく提供しています。しかし、子どもたちの教育は深刻な心配事となっています。

2020年3月に発生した新型コロナウイルス感染症のため、すべての学校が閉鎖されました。2年後にようやく大都市で一部の学校が開校しましたが、紛争がある地域ではまだ閉鎖されたままです。10万人もの子どもたちが3年近くまともな教育を受けておらず、当然、親たちも子どもたちの将来を心配しています。政府は学校を再開しようとしないので、地元の小教区は国内避難民キャンプや村に学校を開こうと動き始めました。

突然、教会は誰からもほとんど支援を受けずに、100以上の学校を運営し始めることになったのです。竹や木、ビニールシートで作られた教室が、国内避難民キャンプの中に作られてられています。 修道女やボランティアが教師となり、教会のグループが集めた教材を使って教えています。どの試みも計画的に行われたものではありません。それでも地元のコミュニティは子どもたちの未来のために課題に取り組みました。

わたしたちはその手助けをしたいのです。わずかなお金で、ボランティアの教師たちを支援し、新しい教室を建てるための木材やビニールシートを購入し、コミュニティが暴力や混乱を克服できるよう励ますことができるのです。ケルン大司教区と東京大司教区で、紛争が深刻な5つの教区で100校を支援することができればと思います。

姉妹教会の人々の苦しみを聞きながら、わたしの目は何度も涙でいっぱいになりました。その涙の後には、なんとかして力になりたいという思いが湧いてきました。そして、子どもたちの教育支援は、苦しんでいるこの地域社会に変化をもたらし、彼らが明るい未来を手にするために不可欠な方法の一つなのです。

未就学児クラス

3年ぶりの教区合同追悼ミサ

府中墓地聖堂で行われた追悼ミサ(司式:宮下良平神父)

カトリック教会では11月を「死者の月」と定め、亡くなった方々のために祈りを献げている。東京教区では毎年11月の第一日曜日に教区合同追悼ミサを行ってきたが、一昨年、去年はコロナ禍のため中止にせざるを得なかった。

今年は、聖堂内への入場人数の制限等の感染防止策を講じた上で、11月6日(日)の午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂、府中墓地聖堂、あきる野教会聖堂の三箇所で3年ぶりの合同追悼ミサが行われた。

カテドラルで行われたミサを司式した菊地大司教は、説教の中で「教会は、地上で信仰を生きている私たちの教会が、天上の教会と結ばれていることも信じています。…ですから私たちは互いのために祈るように、亡くなった人たちのために祈り、また聖人たちの取り次ぎを求めて祈るのです。そのすべての祈りは、一つの教会を形作っている兄弟姉妹のための、生きた祈りであります。死んでいなくなってしまった人たちを嘆き悲しむ祈りではなく、今一緒になって一つの教会を作り上げているすべての人たちとともに捧げる、いま生きている祈りであります」と述べ、キリスト者が亡くなった人のために、亡くなった人とともに祈ることの意味を説いた。

当日は天気も良く、密集を避けるために屋外にも座席が設けられた。

「本物の」クリスマスって?

教会の暦は待降節に入り、主の降誕、クリスマスを待ち望む季節になりました。最近の街中は、ハロウィンが終わるとすぐにイルミネーションが灯り始め、一足早くクリスマスシーズンに突入しています。

皆さんは、クリスマスにどんな思い出がありますか?子どもの頃から教会に通っていると、夕方に教会に出かけ、ミサに与り、ホールでパーティ。そんなクリスマスの繰り返しではないでしょうか(聖劇に出たことがある人もいるかもしれませんね)。

教会以外でも、子ども時代は家族でパーティ、大きくなるにつれて、友達と集まって盛り上がったり、大切な人とデートをしたりと、やっぱりクリスマスは特別な日のようです。

クリスマスと言えばミサ、という育ちをしていると、イルミネーションとクリスマスソングで賑やかな街を見て、ついつい思ってしまうことがあります。あんなのは「本物の」クリスマスじゃないって。

でも、「本物の」クリスマスって何でしょう?

クリスマスは神の子であるイエス様が、人間としてこの世に生まれた日です。神様はなぜ自分のひとり子をこの地上に遣わしたのでしょう?

それは、神の子がわたしたちと一緒に、わたしたちと同じように、泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだりするためです。わたしたちの罪を全て背負って、わたしたちの永遠の救いのために、十字架で死ぬためです。そして、復活して、一緒に泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだりしたわたしたちと、ずっとずっと共にいるためです。

クリスマスから十字架、そして復活は全てつながっています。それは神様からわたしたちへの究極の愛です。「本物の」クリスマス、それは愛です。クリスマスは愛の日です。

どこで過ごすか、何をして過ごすか、そんなことでクリスマスが本物か偽物かが決まるわけじゃありません。クリスマスは愛の日です。いつもより少しだけでも(もちろん、できるならたくさんたくさん)誰かを大切にすることができたら、誰かに寄り添うことができたら、そこには「本物の」クリスマスがあるのだと思います。

素晴らしいクリスマス、愛の日を迎えられますように!

編集後記

東方の賢者たちに示されたベトレヘムの星から始まって、アドベントクラウンに街のイルミネーションまで、待降節からクリスマスには光がよく似合う。

でも、この季節は一年で最も暗い、夜が長い時期でもある。

暗闇の季節でもあり、光の季節でもある。そこに矛盾はないのかもしれない。闇が深ければ深いほどこそ、光は強く輝くのだから。

暗闇の中にある人に光が届けられますように。暗闇の中にある人に光を届けることができますように。(Y)