お知らせ

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東京教区ニュース第396号

2022年10月07日

ガクタン仙台司教に聞く

今年の1月まで松原教会で主任司祭を務めていたエドガル・ガクタン師が仙台司教に叙階されて約半年が過ぎた。東京教区ニュースでは仙台教区事務所のガクタン司教を訪ね、仙台司教としての働きや仙台教区の現況に関してお話をうかがった。

まず、東京大司教区で4年間お世話になったことに、そして仙台の司教になってからも色々な形で応援してくださっていることに感謝申し上げます。

仙台の司教になって半年が経とうとしています。仙台教区には52の小教区があります。半分くらいは司牧訪問をさせていただきました。仙台教区の最北端にある青森県の大湊教会にも行きました。大湊教会の近くにある(同じく青森県の)八戸塩町教会までは、車で2時間くらいかかります。

仙台教区は現役の教区司祭が10名、それに、わたしも含めて宣教会、修道会、他の教区から派遣された司祭が15名。仙台教区の52の小教区に、司教も含めて25名の司牧者がいます。

仙台教区は地区制を導入し、教区全体(青森県・岩手県・宮城県・福島県)を8つの地区に分けて司牧しています。わたしは1997年から2003年まで大阪教区に派遣されていた時も、堺ブロックというチームで共同宣教司牧の形で働いていました。その際にチームで働くための研修も受けました。もちろん、東京教区の世田谷北宣教協力体で働いた経験も役に立っています。

わたしは、教皇大使から仙台司教の任命を受けた時、「あなたは司祭たちと働きなさい、協力しなさい」と言われました。わたしはこれを意識して、それぞれの地区を担当する司祭たちと話し合ってきましたし、これからも話し合いを続けていきたいと思います。

助祭叙階おめでとうございます!

秋分の日の9月23日午後、東京カトリック神学院聖堂にて、菊地功大司教司式による助祭叙階式が行われた。助祭叙階の恵みを受けたのは熊坂直樹助祭(東京教区)、冨田聡助祭(東京教区)、桑原篤史助祭(聖アウグスチノ修道会)の3名。おめでとうございます!

左から、熊坂 直樹助祭(東京教区)、菊地 功大司教、桑原 篤史助祭(アウグスチノ会)、冨田 聡助祭(東京教区)

連願が歌われる中、ひれ伏す受階者たち

2022年 神学生合宿

神学科4年 熊坂 直樹

神学生合宿は、それぞれの任地にお住まいの養成担当司祭と、普段神学院で生活している神学生が互いに交わりを深める貴重な機会ですが、今年は8月29日~8月31日、銚子教会において、「キリストに結ばれて、ともに歩む」をテーマに掲げて行われました。このテーマは、来年のシノドスに向けて歩む全世界の教会に歩調を合わせつつ、また、教会が様々な変化にさらされている状況で司祭職を志す私たちを照らすものとして、事前の準備の際に、神学生が互いに意見を交わす中で浮かび上がってきた言葉でした。

初日、カテドラルを出発した私たちは、最初に西千葉教会に立ち寄り、主任司祭の福島神父より、担当されている西千葉教会と千葉寺教会のそれぞれの成り立ちや、これまでの司祭職での体験談などをお伺いしました。神学生たちは、現場での生の声を何よりの教材として、それぞれの課題や関心と照らし合わせながら受けとめた様子でした。

二日目の午前中は、司祭と神学生が「キリストにおける交わりとは」という同じ主題で、それぞれの思いを分かち合いました。この広く漠然とした、しかしながら非常に大切な主題で、一体何を語るべきかを一人ひとりが真剣に模索し、言葉に言い表した結果、それぞれのキリストとの出会い、それぞれの個性や背景が反映された、豊かな分かち合いの時間になりました。午後には、海に囲まれた銚子の自然環境の特徴がよく分かる、犬吠埼灯台周辺や屏風ヶ浦などを見学し、海に向かってどこまでも開けた視界や、風と波と大地が織りなす景観を体感しました。

三日目は、帰路の途中で東金教会を訪問し、主任司祭の小沢神父と信徒の方々に迎えていただきました。小沢神父には、東金教会の歴史や現在の共同体の様子をお話しいただき、また信徒の皆様からは、神学生の生活や勉学などについて多くの質問を頂き、和やかなだけでなく活気のある交流の一時になりました。

今回の合宿では、三つの小教区を訪れる機会に恵まれましたが、そこでの交わりによって、「キリストに結ばれて、ともに歩む」というテーマが、予期した以上に実り豊かに実現されたように思います。時間を割き、心を配って迎え入れてくださった、西千葉教会の福島神父、銚子教会の渡邉神父、東金教会の小沢神父、それぞれの教会の信徒の皆様に、神学生一同、心から感謝申し上げます。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第261号

夏の休暇中、CTICの活動にボランティアとして、わずかではありますがお手伝いをさせていただきました。その中で、在留特別許可を求めている方への家庭訪問に同伴させていただく機会がありました。

そのご家族が在留許可を求めている理由は、書面上では父親が重い持病を持っていて命の危険があるからということでした。書面を見る限りでは、食料援助、医療援助、そして手続きに関する援助を行えば、それでいいように思われたのですが、実際にご家庭を訪問すると、私が考えていた「援助」のあり方が、いかに現実を捉え損ねていたものであるかを思い知らされました。

まず、宗教上の理由で食べられないものがあること、日本で生まれた子どもたちは両親の母国語をあまり話すことができないということ、またその子どもたちが日本の学校に通うために必要な備品を買う資金がないこと、そして、そのような中でも彼らは、この国に根を張ってこれまで既に10年以上も生きてきており、他者への思いやりに満ちた人たちであるということ、そんなことが直接の訪問によって少しずつ見えてきました。

食料援助に関しても、書面上で必要ないと答えていた品目について、シスターが根気強く聞き取りを行うと、必ずしも本当に必要ないからというわけではなく、自分たちよりも困った人に回してほしいという思いから断っていたことが判明しました。彼らが日本に留まりたいと思っている理由も、単純に医療のことで割り切れる話ではありませんでした。子供の幸せを願う母親の気持ち、また同じように在留許可をめぐって苦しむ人たちと連帯しようとする父親の気持ちが複雑に絡み合い、一つの想いになっていたのです。

「援助」と言う言葉を聞く時、私は「何ができるか」を考え、問題のカテゴライズを考えましたが、今回の体験を経て、キリストの愛に根ざした活動をする時、本当に大切なことはそこではなく、一人ひとりの個別の事情に向き合い、共に悩みながら、心の温もりが伝わる支援を行うことなのだろうと、改めて実感致しました。そのような関わりは、エネルギーが必要で、効率も悪く、目立った成果にはなかなかつながりませんが、だからこそカトリック教会にしかできない、愛の奉仕であろうと思います。今回の経験を踏まえて、私自身も一人ひとりの声に直に耳を傾ける「共に歩む」人になる道を歩んで参りたいと思います。

冨田 聡

家庭訪問を行ったバングラデシュのご家族と一緒に。右端が冨田神学生。左隣はレデンプトール修道会管区長の井上武神父。前列はCTICスタッフ

福島の地からカリタス南相馬 第15回

小高工房 廣畑裕子

日々を丁寧に生きる。

あなたの一番近くにいる人は、笑っていますか?

東日本大震災から11年半が過ぎようとしています。

世界ではその間にも悲しい災害や紛争が起きています。

ウクライナの状況がニュースで流れるたびに、私たちも振り返り振り返り心を揺さぶられています。当時を思い、自分にとって「大切なものは何か」心に書き留める毎日です。

こんな風に文章を書く人でもなかった私が、書くことで「生きることを大切にすること」「生活を見直しながらこころを整えること」など、いろいろなことを学んできたような感じがします。

何かできることはなかっただろうかと思い悩み、心を砕く日々や、自分にはどうしようもないことや、先行きが分からず不安の中あるときも、「一番近くにいる人が笑っているか」を、いつも大切にしていこうと思います。

たくさんの人を励ますことも、大切なことです。その中で、一番近くにいる人が悲しんでいたら、心が満たされることはありませんでした。生き方をどうするかなど私にはわかりません。そんな中で、大切なものを大切だと伝え合うひとときを作り出そうと思います。そんな丁寧な日々を続けていこうと。

福島県浜通りは、被災地、被災地と泣いている街になってほしくはないです。なにかちょっとした楽しみや、笑いがある街へと。歩みはたしかにゆっくりかもしれないですが、新しい日常が生まれていくんだなと感じる街へと。

「一番そばにいる人が笑っている。」そんな素敵な街に。

カリタスの家だより 連載 第146回

子どもの家エランの近況

子どもの家エランは、児童発達支援事業という、発達に遅れやでこぼこのあるお子さんとその保護者の方たちの支援をしています。杉並区荻窪の閑静な住宅地の一角にある、けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会の修道院だった建物を譲り受けて、2017年10月に誕生しました。多くの方々に見守られ、今年の10月で6年目を迎えます。

今年度は、日本産婦人科医会のおぎゃー献金、赤い羽根共同募金会の2機関から寄付金、助成金を頂き、遊具と教材を充実させることができました。

日本産婦人科医会のおぎゃー献金から頂いた寄付金では、園庭にジャングルジムを設置しました。私共の施設に通うお子さんの多くが、自分の体をうまく使いこなせないという不器用さを抱えています。そんなお子さんたちに「くぐる」「よじ登る」「飛び降りる」「バランスをとる」など自分の体と仲良くなる経験を積める遊具を提供できないものかとかねがね考えていました。また、高いところに上るのが好きなお子さんが多く、散歩に行ったときに嬉々として公園の高い滑り台に駆け上がり、てっぺんで風を受けてにこにこしていたり、どこに手や足を置けば登っていけるかなと試行錯誤しながらボルダリングをしたりする姿を見るにつけ、子どもたちが大好きな登れる場所を提供したいと願っていました。ジャングルジムのお目見えの日、どのお子さんも登園してジャングルジムを一目見るなり、新品のジャングルジムの輝きに負けないほど目を輝かせて、あっという間にお支度を済ませ、園庭に飛び出して我先にと駆け寄っていました。普段遊具にあまり興味を示さなかったお子さんも自分から登り始め、私たちも驚いたほどです。

昨年度から音楽療法士の資格を持つ職員が2名入って、子どもたちにピアノやファゴットの素敵な音色を聞かせてくれるようになりました。しかし、エランにある楽器は小さい太鼓とカスタネットやタンバリン程度。もっと子どもたちにいろいろな楽器の音色を聞かせてあげたい、音楽の心地よさや楽しさを経験してほしいと考えていました。

赤い羽根共同募金会から助成金を頂いたおかげで、オーシャンドラムやスチールタングドラム、フィンガーシンバル、アゴゴウッドやボンゴなどの楽器をそろえることができました。見たこともない楽器に興味しんしん、出てくるとすぐに手に取って、振ったり叩いたり、どうやって使うものなのか確かめる子どもたち。ゆっくり動かして使うオーシャンドラムを思い切り振ってみていたお子さんは、先生が一緒に持ってそっと動かすと、楽器をじっと見つめ手の動きを静かに調整してくれました。相手の動きや楽器の音に注目して自分の行動を変えたり、独特な音の響きを耳だけでなく手でも感じたりと、今回購入した楽器が子どもたちの音の世界を豊かに広げてくれています。

地域の方々と様々な機関の方々の支えがあって、すくすく大きく育っている子どもたち。その成長を保護者の方と一緒に見守ることができるのが、私たち職員の大きな幸せです。今後とも、子どもの家エランの子どもたちの成長を温かく見守っていただけますよう、よろしくお願いいたします。

子どもの家エラン

管理者 鈴木依梨
児童発達支援管理責任者 中村祐子

【ボランティア開発養成室からのお知らせ】
秋のボランティア養成講座を企画しました。是非、ご参加ください。 詳しくは、東京カリタスの家ホームページ、または東京教区ウェブサイト内e-VIVIDをご覧下さい。

菊地大司教大島へ

オタイ(ジュリアおたあ)の浦にて

去る8月21日、大島教会にて菊地大司教司式のミサが行われた。大島教会は司祭が常駐していないため、月に一度、教区本部の司祭が島を訪れてミサを献げている。菊地大司教にとっては、東京大司教着座以来、初めての大島訪問となった。

通常、大島教会のミサ参加者は6〜8人であるが、この日は大司教の訪問に加えて、夏休みで若者たちが帰省していたこともあり、20名ほどの「大人数」のミサとなった。

説教の中で菊地大司教は、新潟司教時代の司牧訪問の体験を紹介しながら、「日本の教会は、麹町教会や関口教会のような東京の都心の教会のイメージでものを考え、それがスタンダードだと思いがちだが、実際には日本中色々なところに行くと、3~5人くらいしか来られないような教会が多い。大島だけではなく、日本全国色々なところに、もっと小さな教会共同体の中で信仰を守り、伝えている人たちが沢山おられることを心に留めておいてほしい」と述べた。

また、司祭の高齢化、司祭数の減少という現状に触れながら「神父が来てミサをしないことには始まらないのは確かだが、そうではない時に、どのような形で信徒の方々が信仰を守り、伝えていくのかはとても大切なこれからの課題だと思う」と、大島教会だけに留まらない、これからの日本の教会のあり方について考えることを促した。

カラーテープで見送られながら船で島を離れる菊地大司教

このミサの様子はこちらからご覧になれます。
ミサ全体(字幕無し)
説教のみ(字幕あり)

イエズス会司祭叙階式

9月17日、麹町教会にて菊地功大司教司式により、ヨアキム・グェン・ミン・トァン助祭とペトロ・カニジオ 越智直樹助祭の司祭叙階式が行われた。越智神父様、トァン神父様、 おめでとうございます。

左からライアン・ヒメネス司教(サイパン島、チャラン・カノア教区司教)、越智新司祭、菊地大司教、トァン新司祭、レンゾ・デ・ルカ神父(イエズス会日本管区長)。越智神父は神学生時代、チャラン・カノア教区で学んでいたとのこと。

ウクライナのための祈りの集い

—ウクライナ独立記念日にあたって—

8月24日のウクライナの独立記念日にあたり、東京カテドラル地下聖堂において菊地功大司教とウクライナ正教会のポール・コロルク司祭の司式による「ウクライナのための祈りの集い」が行われた。 急な呼びかけだったにもかかわらず、カトリック、正教会双方の信徒をはじめ、30名ほどが聖堂に集まり、ウクライナの平和のために祈りを献げた。

集いではカトリック、ウクライナ正教会双方の祈りが献げられた。カトリックは菊地大司教が「アシジの聖フランシスコの平和を願う祈り」を唱え、ウクライナ正教会はポール司祭が献香しながらウクライナ語の祈りを歌った。

菊地大司教は招きのことばの中で「確かに平和は神からの賜物です。けれども、黙っているだけでは平和は確立されません。わたしたちは神からの賜物である平和が実際に確立するように、わたしたち自身の祈りと行動をもって務めなくてはなりません」と述べ、わたしたち一人ひとりの平和への自覚を促した。

献香しながらウクライナ語で祈りを献げるポール司祭

菊地大司教とポール司祭

左からパヴェウ・ミレフスキ駐日ポーランド大使、菊地大司教、ポール司祭、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使、角茂樹元駐ウクライナ大使

「ウクライナのための祈りの集い」」の様子はこちらからご覧になれます。

お当番、バザー、パーティーの教会はなくなった

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 小西広志神父

いわゆるコロナ禍と呼ばれる新型コロナウイルス感染症の蔓延からすでに3年近くが過ぎた。コロナ禍の前、教会はどんなだったろうと思い出そうとしても、なかなか思い出せない。それほど、この3年は濃密な時間だった。振り返ってみて、これまでの小教区共同体は一体どんな信仰の共同体だったろうか。

お当番で動く教会

小教区共同体の中にたくさんの役割があった。典礼の係、オルガンの係、お花の係、朗読の係、ミサ後に味わうコーヒーの係などなど。小教区共同体には係があふれていた。わたしは以前、北関東のある教会を担当していたことがある。ある主日の朝、香部屋に行ってみると、わたしと同じ年代の知らない男性が侍者服を着て立っていた。「あっ、はじめましてですよね」と聞くと、そうだと答えた。「今日はどうしたの?」と聞くと、その男性はお当番だから侍者のために来ましたと答えた。一年分の侍者の当番表があることにそこで初めて気がついた。その男性は年に数回侍者のお当番を果たすためだけにミサに来たのである。もちろん、次の週のミサにはいなかった。その教会の入口には教会のモットーとして「ひとり一役、みんなで協力して○○教会をつくりあげよう」と張ってあった。

笑い話のような本当の話である。役割があるからミサに来る。教会の役目を果たすためにミサに来る。そんな小教区共同体の姿は多いのではなかろうか。

バザーの教会

どの小教区共同体でもバザー、あるいはそれに類したものをしていた。バザーが近づくと近所の方々から電話がかかってきて「今年のバザーはいつですか」と問い合わせがあったものだ。しかし、バザーを準備する側は開催する目的がよく分からなくなってしまったまま、毎年、同じようなことを繰り返してきた。バザーの形式だけが残った。喜んでバザーを開催している人々がいたのだろうか。次第に働き手も少なくなり、それでいて中古衣料などは大量に売れ残った。

費用対効果という残酷な基準に従えば、労力をかけただけの見返りは年々少なくなっていった。それでもどこの小教区共同体にもお祭り好きの男女がいるもので、彼らの声に誰もが黙ってついて行ったのかもしれない。「バザーがないおかげで、家の中に不要なものが増えて困るわ」と嘆く女性の声に、「メルカリなどオークションサイトに出品すれば?」と若い人からの反論があって、もはや何のためのバザーかは分からなくなっていた。それでも、「バザーで教会が一つにまとまるから」との幻想を抱いていたのではなかろうか。二十数年、神父をしているがバザーがきっかけで教会に来るようになりましたという方には残念ながら出会ったことはない。たぶん、これからもないだろう。

パーティーの教会

新年会、復活祭、初聖体、クリスマスと小教区共同体では飲食の機会が多かった。夏のビアパーティーもあった。飲酒運転を避けるために、アルコールを提供するような集まりはずいぶんと減った。それでもパーティーだけは残った。バーベキューもその一つだった。しかし、いい歳したオヤジたちが軍手をはめて、和気あいあいと肉を焼いているところに、誰が集まるだろうか。結局はバーベキューはオヤジたちの慰みごとだった。壮年信者たちがデンと座っておしゃべりしているところに、若い子ども連れのママたちは加わることができるだろうか。それでいてオヤジとオバさんは二言目には「若い人がいない」と嘆く。当然だろう。そもそも、あなたたちの息子や娘は教会に来てないだろうと皮肉の一つでもあびせかけたいところだが、そこはそれ大人の神父の対応をしていた。

◆ ■ ◆

コロナのおかげで教会の役割は破綻し、バザーはなくなり、パーティーもなくなった。いわゆる小教区の共同体の活動と呼ばれていたものがなくなったのである。これはとてもいいことだ。新しく小教区の共同体を築きあげなければならないのだ。お当番でも、バザーでも、パーティーでもない、何か人と人とが出会い、交われるような共同体を模索しなければならない。「若い人が教会に来ません。彼らに何か役割を担ってもらったらいかがでしょうか」という発想は今の時代には通用しないのである。それは、日本企業のかつてのサラリーマンの発想と同じである。

◆ ■ ◆

コロナの禍(わざわい)の嵐は間もなく通り過ぎるかもしれない。コロナがいなくなったら、教会にも人がいなくなったとならないようにしたいものだ。

2022年東京教区カテキスタ認定・任命ミサ

9月10日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地大司教の司式により、教区カテキスタの認定・任命ミサが行われた。第1期生の方から19名が任命を更新し、第3期と第4期で9名の方が新たに認定・任命を受けた。

※教区カテキスタ認定・任命ミサの詳細は、「Tangible」11月号に掲載されます。

高円寺教会新司祭館完成

高円寺教会の司祭館は、2019年1月25日早朝に発生した火事に見舞われ、まだミサが行われる前の時間だったこともあり、幸いに怪我人はいなかったが、建物は全焼してしまった。その後、再建計画検討中にコロナ禍になってしまったこともあり、再建は大幅に遅れていたが、今年の9月、晴れて新司祭館が完成した。 9月18日の主日ミサ前には、菊地功大司教、現主任司祭の高木健次神父、前主任司祭の吉池好高神父が参加して、新司祭館の祝福式が行われた。

編集後記

出会いとは、その瞬間だけの営みではない。

同じ相手に対しても、何度も出会いを繰り返し、出会い続けていく。

時を重ねて、時を置いて、互いに熟れ、あるいは新しくされてようやくその意味に気づく、ようやく始まるそんな出会いもある。

この人に、この時、この場所で、この形で。それは、神がそのように準備してくださったから。

その意味に気づき、愛しみ、尊んでいくことができますように。(Y)