お知らせ

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東京教区ニュース第168号

1999年12月01日

司祭研修会報告 司祭の立場から小教区制度を根本的に見直す

10月12日から2泊3日の日程で、東京教区司祭研修会が開催された。参加司祭、助祭は、60名。会場は、昨年と同じ静岡県熱海市。テーマは、「小教区の統廃合と司祭のあり方」、昨年のテーマ「司祭の人事異動」を一歩推し進めた形の研修会の内容だった。特に講師を呼ばず、差し迫った教区の諸問題に取り組むタイプの研修会としては、最終ラウンドに入ったといってよい。小教区の統廃合は、司祭にとっても、自分自身のあり方にかかわることである。森司教の全身全霊をかたむけた発題に誘われて、思わず本音が飛び出すシーンもしばしば見受けられた。これからの教区の見直しに一石を投じる機会になったと思う。

発題

新しいぶどう酒は新しい皮袋に
昨年同様、研修会は森司教の発題で始まった。
発題は、研修会のテーマである「小教区の統廃合と司祭のあり方」にそって、教区の現状の分析と、取り組んでいかなければならない課題を投げかける形で行われた。

現状は、「そのうちなんとかなるといった生易しいものではなく、緊急に手を打っていかなければならないところにきている」との認識を訴えかけた。「司祭の召命の減少と高齢化は、まぎれもない事実であり、修道会や宣教会の司祭を頼れないことも、はっきりしている。また、交通機関の発達と都市事情の変化は、現状の小教区割を大幅に見直さなくてはならない状態だ。この現状は、部分的に改善して事なきを得るような解決法よりも、もっと積極的な解決の道、すなわち、現在の小教区制度を根本的に見直す道を探していく千載一遇のチャンスと捉えていくべきではないだろうか。この機会を前向きに捉えて、戦後50年余、第二バチカン公会議後30年余の節目にあたって、司祭・信徒のあり方、究極的には東京教区全体のあり方を見直す道を選んでいくべきではないか」。
森司教の問題提起は、あいまいさを挟まないストレートなもので、参加した司祭の心に訴えるものだった。

-教会は、すでに新しくなりつつある-

「招かれて他教区へ行くことがあるが、教会は、それを支える底辺で、すでに着々と変わりつつあることを実感させられる。第二バチカン公会議やナイス(福音宣教推進全国会議)の精神は、少しずつ根をおろし、確実に信徒の心に浸透していっている。それは当然といえば当然と言える。なぜなら、教会は、人々の苦しみを、個人としても、共同体としても敏感に受け止め、それらの根元となっている問題解決に取り組んでいくことを訴え続けてきたからである。それになにより、それが福音であり、み旨にかなったことであったのである。小教区は、そこに所属する信徒のためだけのものではない。むしろ、その地域に住む全ての人々のためのものである。まさに、第二バチカン公会議が宣言したように、教会はキリストを伝える道具である。道具は、それを使う者のものであり、使いやすくするのも、使う者に任されている。問題はそれを妨げている制度である。

現在の小教区制度を見ていると、つくづくマイナスの面が強いと思う。小教区がそこにある限り、教区長は司祭を派遣しなければならない。もちろん、教区司祭の大きな使命は、小教区での司牧である。小教区でのミサは、共同体を支え育てる原動力であり、教区も小教区によって成り立っているのも事実である。
しかし、決してそれだけではない。教区に求められているニーズに応えることも教会の大きな課題である。社会問題、人権問題、社会福祉、青少年への取り組みや働きかけは、修道会や『できる司祭』の仕事ではない。本来、教会が応えていかなければならないことなのである。問題は、どれをとっても、深刻で複雑であり、小教区の司牧の片手間でこなせるようなものではない」。

森司教は、「今のままだと、小教区において、信徒は育たないし、教区に課せられたニーズにも応えられない。どっちつかずのままに、有能な人材をつぶしてしまいかねない」と、現状を鋭く訴えた。具体的に、教区から要請されて社会的な課題に取り組んでいる司祭が、信徒から「自分たちの面倒をみてくれない」とか「教会をいつも留守にしている」といった不満をぶつけられ、心を痛めている例を紹介した。信徒たちは、頭では理解できても、実際には、限りなく小教区のことに専念してほしいと思うのが現実である。それは、司祭は小教区に派遣されたものであり、小教区の枠からはみ出してはならないという認識に根ざしたものである。制度に改善の手を入れなければ、このような不安と不信は絶えることがない。

-配慮と課題-

「小教区の統廃合」という言葉が一人歩きし、信徒からすると、自分たちの教会が他の教会に吸収され、無くなってしまうのではないかと不安に思っている、との噂が森司教の耳に届いているとの事。

現有の80小教区が、半分あるいは3分の1になるという話が流れると、どことどこが一緒になり、どの教会が生き残るのかという風に発展するのは当然である。それぞれの教会には、それぞれの歴史があり、それぞれに共同体が生まれているのだから、おいそれと終結してしまうわけにはいかない。

今回出されている小教区の統廃合の問題は、どの教会とどの教会がまとまるとか、どの教会がどの教会に合併吸収されるということではなく、むしろ、今ある小教区をもっと活性化させるための意識改革をどう進めるかが、主要課題なのである。小教区の統廃合イコール教会の合併吸収という短絡的認識を払拭し、信仰生活の基盤にすらなっている小教区制度への意識を啓発するために、情報の開示と、十分に時間をかけた話し合いが、必要不可欠となっている。
信徒同士、信徒と司祭、司祭同士の忍耐強い時間をかけた話し合いが、制度の改変と新しい教会づくりの前提であることはいうまでもない。どうなるのだろうという気持ちより、どうしていけばいいのだろうという意識が大切である。森司教は、発題者として、ギリギリのところまで問題を提起し、「何か前向きな具体策を話し合ってもらいたい」と語った。

司祭の反応(1)

今回の研修会の特徴のひとつは、あらかじめ司祭を8名選び、提起された問題について、自由に自分の思うところを発言する機会を作ったことである。何人かで話し合うということは、いつも経験している。だが、1人ひとりの司祭が、キチンと自分の考えていることを話しかけるという機会はあまりなかった。しかも、8名の司祭の弁論であるから、それだけでも研修会の意義があったといっても過言ではない。

8名の司祭の話を全て紹介することはできないが、大体は、森司教の発題を誠実に受け止めたものであり、小教区制度見直しを、これまでのように先送りをするわけにはいかないという点では、一致していたように思う。しかし、具体的な案はとなると、誰もが戸惑いを感じていたようだ。むしろ、このようにしたいのが、どうだといった叩き台のようなものを、期待する声が多かった。つまり、総論では賛成だが、各論ではいろいろと言い分ありといったところである。もちろん、今回の研修会で具体的な案を出すことは、当初から企画になかった。むしろこのことについて初めて、存分に話し合う機会を作ることに、主眼点があったようだ。

司祭の反応(2)

8名の発言者の1人である泉富士男師(志村教会)は、「やっと、司教様が、本気で取り組むのだなという印象をうけて、とても嬉しい」と話し、「前から、今の小教区制度に、行き詰まりを感じていた」と本心を吐露された。「自分なりに、小教区という場で、いろいろと試みたけれど、どれも不発に終わったような気がする。今のような複雑な社会状況の中で、なにもかも1人でやるような小教区制度では、司祭は疲弊していくのは当然であって、小教区の統廃合と共同宣教司牧の実現を、心待ちにしている司祭が、少なからずいると思う」と訴えた。

泉師は、具体案として、段階的刷新を提案した。第1段階は、共同司牧のグループづくり、第2段階は、教会全体の再編成。第1段階では、現在の小教区はそのままにして、司祭の共同生活と共同司牧を、具体的にすすめる。いわば、試行錯誤を繰り返し行ってみる、ということである。それを踏み台にして、第2段階に入る。教会を根本的に見直し、信徒および地域の人々の目で、思いきった改変を断行する。例えば、駅ビルのフロアーの1部を借りて、教会を作るとかしてもいいのではないか。話の最後に、泉師は、「今まで何度もやるやると言ったのを聞いたが、結局実行に移されたことがなかった。今度ばかりは、そうであってはならない。司教様の決断、実行を心から期待します」と懇願して壇をおりた。

もう1人の司祭の意見を紹介しよう。それは、麹町教会の加藤信也師(イエズス会)である。加藤師は、「教会の現状を見ると、統廃合の時期はもうとっくに来ている。今までなぜ手をつけなかったのかと思う。先送りのつけが今まわってきたという感じがする。そのつけは、今の今、支払っていかなければ、大変なことになってしまう。つまり、重大な病気をかかえていることを、うすうす知りながら、なにも手を打たないでいるのと似ている。今こそ、刷新のチャンスだと思う。いろいろなケースの情報を流してほしいし、具体的なビジョンを示してほしい。そして、それについて考え、意見を出す場を設けてほしい。修道会、宣教会も刷新を望んでいるし、司教様が、リーダーシップを発揮されることを期待している。そして、この時期は、信徒が育ち、自立していくいいチャンスだと思う」と本音をズバリと述べた。

これからのこと

森司教は、当面すべきこととして、二つのことを示した。ひとつは、小教区の統廃合と共同宣教司牧を考えるプロジェクトチームを作って本格的に取り組むこと。もうひとつは、信徒の意見をじっくり聴くチャンスを作ること。今回の「新しい千年期の教会づくりに向けてのアンケート」(関連1面別掲)は、まさにそれにそったものといえる。しめくくりに森司教は、「この研修会で得たことは、手をこまねいて待っているより、なんとか実現していかなければならない時が来ていると感じたことです。とても難しいことなので、慎重に運んでいかなければならないけれども、この課題を果たしていくことなしに、教区の未来はないと思っています」と述べた。
(西川哲彌神父)

新しい千年期の教会作りに向けてのアンケート

表題のアンケート用紙が配布されて、約1ケ月がたちました。すでに回答された方、回答のために準備の時を過ごし、いよいよアンケートに取り組もうとされている方、そんなアンケートは見たこともないという方など、様々な方がいらっしゃるかもしれません。

今回のアンケートは、白柳枢機卿の諮問を受け、宣教司牧評議会が、2年間現状を分析し、議論を重ね、たどり着いた末のものです。今回のアンケートの1つの目的は、信徒の方たちの意識に訴えることにあります。司祭たちは、10月の司祭研修会で、統廃合を含めたこれからの小教区の在り方について話し合いました(1、2面別掲)。司祭たちも大きな戸惑いや困惑のうちに、この問題を受け止めました。しかしこの問題を避けて通ることができないこと、この問題の表面的な現象(司祭の高齢化や召命の減少、小教区の配置のアンバランスなど)だけにとらわれるのではなく、現代の教会にとってのチャレンジとして受け止めること、このチャレンジに対し、信徒、修道者、司祭、司教の、共通理解と協力が不可欠であるという確認を、研修会で行いました。

この司祭研修会の中で、現在、札幌教区で働いている司祭の言葉が印象的でした。それは「今回の研修会の中での話を聞きながら、東京教区はやっぱり恵まれているなあ、と痛感した。札幌教区では、もっと事情は切迫しているから、そんな議論をしている暇はないし、隣の教会まで車で3時間という状況じゃ、統廃合なんて夢のまた夢だもんな」という言葉です。

確かにアンケートを取って皆の意識を高めましょうとか、これをきっかけにして話し合い、将来の教会の方向性を探っていきましょうというのは、恵まれた状況のもとでのことです。だとすれば、いただいた恵みを感謝し、この恵みに応えることが求められているのではないでしょうか。恵みは大切にしまっておくものではなく、使うためのものだということを、つい先日の日曜日(年間第33主日)に聞いたのですから。

今回のアンケートの背景には、確かに司祭の高齢化や召命の減少、小教区の配置のアンバランスなどのマイナスイメージがあり、問題の複雑さを感じるかもしれません。しかし私たち、東京教区に属する神の民が、真剣にこのチャレンジに立ち向かっていく決意をするならば、意外と問題は単純なのかもしれません。教会に求められるものは何か。教会の使命が実現されていくために何が必要なのか。キリスト者の判断基準の源は、どこから来るのか。イエス・キリストは何を教会に託したのか。あらためて真剣に問い直したい。今回のアンケートが、言ってみればスタート地点。号砲は鳴っていないから、出場辞退は可能だが、それでは何も変わらない。自分の思いの実現ではなく、神の国の実現のために、いただいた恵みを使おうではありませんか。

マタタ神父のインタビュー 関谷光生さんを訪ねて

練馬区にお住まいの、彫刻家関谷光生さんを訪ねました。関谷さんは国画会彫刻部会員、日本美術家連盟会会員で、現在カテドラル構内にあるヨゼフ像を造った方です。

人間の内面の姿の「音」を表わす彫刻家

人間の持っている心の姿、内面を表わしたい。特に最近、人間が背負っている「音」をテーマにしています。人間は、本来「音」を持っています。それは例えば、「重い音」だとか、非常に「静かな音」だとか、「かろやかな音」などといった人間の持っている内部の「音」について、ずっと考えてきました。その内面の「音」を持っている人物像を作ってみました。

受けとめるヨゼフ

私が、彫刻家として一番表わしたいのは、人間の内面に持っている美しさ、人類愛などといったものです。大学時代には、西洋的な彫刻の手法を学んできましたが、自分の中に持っている基本は、日本の仏像とか、東洋で静かなものの中に、多くのものを含ませるということです。日本の仏像とか、東洋のものというのは、とりわけ静かな表情、動きのないにもかかわらず、人間の持つさまざまな感情を表わすものです。そういった意味で、ヨゼフ像について書かれたいろいろな本を振りかえると、ヨゼフ様というのは、非常に寡黙で、黙々として労働に耐えて、ひとつの大きなやさしさの姿を示す人です。絵画では、老人の姿で描写されたヨゼフ像が多いようです。しかも、70歳ぐらいのはげた老人と思われますね。しかし、私が持っているヨゼフさんのイメージは、具体的には、50歳代の男性像で、絵画の名作に見られる老人の姿ではなく、むしろ労働に耐えうる、がっしりとした肉体を持っている人です。彼は、神様に与えられた運命をしっかりと心に刻み、黙して、忍耐をもって、人々の願いを静けさと優しさをもって受けとめるのです。信仰厚い人々に対して、いかなる差別もなく救うという決意を表わしたお姿です。

教会へのメッセージ

キリスト教信者以外の人々も、いつでも受け入れてくれるような雰囲気を、持っていてほしいと思います。日本人は、一般的に、お正月は神様を信じて、お盆には仏様を拝み、クリスマスにはキリスト教に親しんでいます。少し、曖昧なところがあります。しかし、両親を考えたり、また、両親を通して祖先を考えることで、いつか、ひとつの神を実感して癒されるでしょう。教会は、自分が何者であるかを考えられる場所であってほしいと思います。

東京カトリック神学院の起工式行われる

11月9日(火)10時から、東京カトリック神学院の新築工事起工式が、関係者の出席のもと、森一弘司教の司式で行われた。森司教は、「東京カトリック神学院の建設には、多くの人の支えと期待が寄せられている。神学院は、日本の各地から送られてきた若者が、司祭として必要な勉学に勤しむ場、家族を棄てながら、深いところで、家族、社会、世界を愛そうとする、人生をかけた若者たちが学び、人生を確立する場となる。神学生、モデラトールの皆さんは、多くの人の祈りと支えに思いを新たにしてほしい」と述べ、建設する土地、使用する道具を祝福し、工事に携わる人々の無事を祈った。竣工は、2000年7月31日の予定。

白柳枢機卿 司祭人事異動の基本方針を示す

10月の司祭月例集会で、白柳枢機卿は、司祭の人事異動について、基本的な方針を、司祭たちに明示した。先に選ばれた司祭人事異動諮問委員会は、この方針にそって、教区長の司祭人事異動の諮問に応えていくことになった。

第二バチカン公会議後、東京教区では、司祭たちの間で、司祭の人事異動に関して、10年の任期を目処めどに行うということを合意し、これに基づいて司祭の人事異動が行われてきたが、時代が変わり、世代も交代し、司祭の間からも、もう少し早い時期の人事異動を希望する声が出てきており、これからの司祭の人事異動は、左記のような原則に基づいて行うことになった。

1、これからの司祭の人事異動は、教会の建設やその他の特別な事情がある場合には、これに配慮するが、原則として6年任期を目処に行うことにする。
2、原則として、70歳以上の方で、主任司祭等の責任を担っておられる方は、75歳までは、そのまま責任を担ってくださるようお願いする。個人的な事情がある方は、教区長に申し出る。また75歳を超えてなお宣教司牧活動の現場で働くことを志望するものは、協力司祭として働く。

東京教区合同追悼ミサ

11月7日(日)午後2時から、教区合同追悼ミサが、東京カテドラル聖マリア大聖堂、カトリック府中墓地、カトリック五日市墓地で行われた。府中墓地では、森司教主司式のミサ後、千葉大樹神父、塚本昇次神父、杉田栄次郎神父の納骨式が行われた。また、前浦和教区長長江恵司教の分骨も納められた。

教会の司教・司祭・信徒 「固有の立場と任務に応じて協働する時代に」

教会の中の司教・司祭・信徒という立場で、それぞれの役割や関わりの上で生じる食い違いや意思の疎通がうまくいかない点などを検証して、これからのカトリック教会のビジョンを探るという講演会が、真生会館で、10月9日から、毎土曜日4回に分けて行われた。会場の56名の参加者からの発言も多く、「協働の時」を感じさせた。

第1回の10月9日は、市川嘉男師(田無教会)と、幸田和生師(西千葉教会)が司祭の立場から。

市川師は「ミサ聖祭を捧げることによって、キリストを介して自分を御父にささげる。ミサの中の一滴の水は私たち、それは聖変化し、永遠の救いの基本となる。ミサなしの司祭は考えられない。司牧の支え」と、司祭としての信念を語った。

幸田師は「司祭とは“なんでも屋”というのが実感」と、多忙な中での司祭生活を語り、その中で「誰よりも、信徒に助けてほしいと思う。小教区とは何なのか、みんなで意見を出し合い、聖霊の光を見つけていきたい」と、信徒の参加を要望。
ミサについて「ほんとに大切にしています」、ミサ後はそれとなく信徒に声をかける。「挨拶の言葉さえ交わさないで帰るのは寂しい」と話した。

会場から「ミサは確かに恵みですが、ミサだけでは救われない。司祭が忙しい中でも心を向けて下さるのはとてもありがたい」という発言があった。

2回目の16日は中村智子氏(東京教区カトリック女性同志会前会長)と矢吹貞人氏(浦和教区宣教司牧評議会前議長)の信徒の立場で。

中村氏は「東京教区では、二人の司教が分担して、現場の声を聞きながらやって下さっている。司祭との関係においては、司祭は信徒の話もゆっくり聞けない程、疲れている。
それに対して信徒も話し合う時間のなさからくる行き違いもあり、信徒のフラストレーションもたまっている」。
「司教、司祭、信徒は同じ神の民。立場、役割を踏まえた上での共同責任は、人間としてのマナーであり、信頼関係がなければ、福音宣教の実りはない」と語った。

矢吹氏は「歩く宣教師によって開拓された浦和教区は、岡田(武夫)司教が来られ、8年の間に変わった。東京のように交通の便が良くないので、司教の苦労はたいへんだったと思うが、60の教会を毎週毎週歩かれた土着化の努力、司祭団との一致などよくなさったと思う。
ナイス後、司教の呼びかけで『宣教司牧評議会』ができた。この実りは大きい。女性が働きやすいようにと『女性部会』、『青年会』もできて、今は5人の神学生がいる」。
「浦和教区は多国籍教会、困った時は、小教区を越えたネットワークができている」と紹介した。

会場の女性から、「海外で生活していた時、数人で家庭集会をやり、時々は典礼をローマ字で書いて、現地の司祭にミサをやっていただいた。司祭がいなかったことで依存しなかったことのメリットもある。
日本の信徒の場合、主体性を殺してしまって、各々が責任をもってやっていない。私とイエス様との関係、イエスからもらった力でやっていく。
あたりまえのように司祭に依存する発想を変えないと、前に進めないのではないか」という発言に、司会のシェガレ・オリビエ神父は「とてもいい話です。日本の教会から一時的に司祭を追い出して…」というユーモアに、会場は拍手と笑いに包まれた。

3回目の23日は野村純一司教(名古屋教区)と森一弘司教(東京大司教区)の司教の立場として。

野村司教は、教会法を基に「司牧現場から見た司教、司祭、信徒」と題して話した。

(1)キリスト者の使命「……尊厳性においても行為においても真に平等である……固有の立場と任務に応じて、キリストの建設に協働する」(教会法第208条)。
(2)神の民である教会「………各人各様にキリストの司祭的、預言者的及び王的任務にあずかり、各自の固有の立場に応じて、神が教会にこの世で果たすように託した使命を実践するように召されている」(教会法第204条第1項)。
(3)神の民としての教会の宣教の使命「すべてのキリスト信者は、神の救いのメッセージが全時代全世界のすべての人によりいっそう伝達されるよう努める義務及び権利を有している」(教会法第211条)。
(4)神の民における役割の相違「……共同体の発展のためには、種々の役割が必要である」(教会の宣教活動に関する教令15)

更に、「司教、司祭、信徒の奉仕の役割の明確な理解が必要」、「多くの信徒の関心は『社会における信徒固有の使命』よりは、教会(小教区)の組織・運営(経営)にあるように思われる」など6点の問題を提起した。

森司教は、司教選任の方法の問題点を指摘。「選任にあたって教区司祭の声に耳を傾けることの必要性」を強調。そして教区司祭の召命の減少や高齢化によって、ますます司祭の数が減っていく中で、信徒たちの積極的な自覚を訴え、これからは「司教、司祭、修道者、信徒が丸いテーブルを囲んで協働する時代になった」と話を結んだ。

最終回の30日は、中川明師=写真 (大阪教区 中央協・福音宣教研究室長) が 「日本の教会の現状と明日の教会に向けての展望」 について、 神学的立場からのまとめ。

(1)このシリーズで毎回語られた 『司祭への依存』 について分析し、 「戦後復興期、 司祭および資金の海外からの大量投資は当時の人々のニーズに応え、 一万人を超える成人洗礼が毎年あった。 この大きな成果は、 一方では 『小教区の司祭依存的体質』 を作りあげたのではないか」 と述べた。
高度経済成長期以後は、 社会の底辺で苦しむ人々の叫びにJOCなどが動いたが、 カトリック教会全体としては充分に応えることができず、 彼らに応えたのが新宗教である。 その結果、 カトリックの教勢は失速していった。 そして現在、 最前線で誠実に努力してきた司牧者 (神父、 修道者、 信徒など) の高齢化は著しい。

(2)明日の教会に向けての展望

現在の司祭と信徒の 『共依存症』 的 「内向きの教会」 が開かれた教会になるには 「参加する教会」 となることである。 神の民として全員が共同責任を持ち、 FULL MEMBERとして共通善のために神からの賜物を使い、 「神の国」 の実現に向けて参加する。
最後に 『参加する教会』 のリーダーは、 『僕』 および 『執事』 というメタファーで特徴づけられる 「支配することなく世話をし、 所有することなく決定する」 こと、 と説いた。

CTIC 東京国際センター通信

わかれ

「私は別れたくない。けれど、主人が別れると言い張る」と、涙がポロポロほほを伝わる。
「主人の暴力がひどいから別れたい。とにかく、1日も早く離婚したい」。
「主人の仕事が駄目になって、たくさんの借金がある。主人は『自分はどこかに行って身を隠す。別れよう』。私はどうしたらよいのだろうか」。悲しそうに元気のない声。
「主人に女ができた。もう我慢できない。別れたい」と興奮しながら語る。
「別れるのはいやだった。けれど、考えに考えて、やっぱり離婚しようと思う。あいだに入って助けて下さい」と。
「主人が出て行けという。でも、この子は主人の子(日本国籍)なのです」。

これらはみんな離婚問題である。しかし、どれを聞いても、これだけの理由で離婚してしまってよいのだろうか、と考えさせられてしまう。また彼女たちは、「離婚」がどんなことを意味するのかを、十分に考えてはいないようだ。離婚後、母子で日本に住んで生活することが、どんなに大変なことであるかを、もう少しよくわかってほしいものだ、といつも思う。

相談に来るのは女性が多い。夫と二人で事務所に来て、1つのテーブルで話しあうことはまれである。くわしく事情を聞くうちに、大体どんな経緯かがわかってくる。たいていの場合、夫と妻が2人で、きちんと話しあっていることはない。子どもの将来のこと、親としての義務など、ほとんど考えていないに等しい場合が多い。

私たちは相手方の気持ちも聞かなければならないが、大体、お互いの言い分が一致することはない。女性は子どもをどうしても引きとりたいという。もしそうできたとして、次には、どのように生活するのか。ほんとうに大変なことである。家をさがし、家賃を毎月払えて……そのため仕事も見つけなければならない。夜の仕事はできない。小さい子どもたちをどうする。両親の離婚で一番かわいそうなのが子どもである。

私たちは「時間をかけてよく話し合うように。離婚せざるをえない時は、その後のことに備えて、できるだけの手を打つように」とのアドバイスをする。時間をかけて、いろいろ聞くうちに「何か変だな?」と感じることもある。離婚の中には、女性が他の男性と結婚したくて、このような話をもってきたのではないかと思われることもあるのだ。そして、その勘が当たったりもする。不思議な程、最近はフィリピン女性で永住ビザを持っている人が多い。母親は永住権をもち、子どもの国籍は日本。こういう場合は「ビザの心配」がなく、不幸中の幸といえる。

国際結婚は本当に大変なことである。例えば、夫の日本人男性は仕事に追われ、夜はおそく、休みには寝ている。妻の女性は、自分がかまってもらえないことに腹を立てる。それが離婚話にまで発展してしまう。異った文化の中で育った者たちがお互いの言葉も十分に通じないままに、結婚生活の日々を送る。その中に「文化の違い」がどのように関わってくるのかを、どれほど考えているのだろうか。「日本に来る前に、いろいろな注意とか生活の違いを教える機関でもあれば……」または「空港にそのような人たちのための施設があって、1週間位そこにいて、いろいろ習ってくる……」等々、夢のようなことを思ったりもする。

来年の4月頃から「司牧センター」が具体的な活動をはじめる。「離婚というような段階になる前に、相談に行くようになれば」と、長い目でみて、大いに期待されるセンターの開設である。
(Sr.林 香枝子)

シリーズ 揺れる司祭像 (12) 新米司祭の体験 油谷弘幸神父 (町田教会 協力司祭)

このコラムの「揺れる司祭像」というタイトルは、複雑な現代社会にあって、伝統的な司祭像・司祭観が、揺さぶられているという意味合いが込められていると思いますが、目下、自分の未熟さの故に、揺さぶられ続けている私には、そうした大局的なことに言及する心のゆとりは、まだ全くありませんので、個人的な「揺れる新米司祭」の体験について書いてみたいと思います。

スムーズに司祭生活に入っていった仲間もいますが、私の場合はどうもそううまくはいきません。揺さぶられ、揺さぶられして、そして、ちょうど枡に盛られた大豆が、そうやってやがて整然と納まっていくように、こうして司祭として練り上げられていくのでしょうか。

1、司祭としてどのように生きたらいいか

私は「司祭になりたい」の一念で、神学校を過ごしました。年齢もいっておりましたし、己の非才を痛感しておりましたから、この道をしくじり、司祭になることができなかったら、「後がない」といった必死の思いでした。そのために、神学校ではマイナスの評価をされないように、周囲を見回し、左見右見して、無難な選択ばかりしてきたと思います。そして「司祭になる」ことだけが目的で、「司祭として何をするか」については、すっかり、なおざりにしてきたようです。そんな余裕がなかったと言ったら、弁解になるでしょうか。司祭になってすぐから、これは問われてきました。これまでは、ともかく単位を取るため、という身近で具体的な目標設定でやってこられたところが、講座や説教のために勉強をするにつけても、司祭としてどう生きたらいいのか?司祭として何をすべきなのか?これが見極められていないので、いつも未消化感、不満足感に苛まれるようになりました。秘跡の執行、日常の様々な仕事に没頭することで、余計な懸念は払おうと努めましたが、日増しに心の空虚は募り、聖書を読んでも、祈りをしても、すべてが虚しくなってきました。

2、いい司祭になろう、と…

単純に「いい司祭」になろうと思っていました。それは神学校の中で無難な選択ばかりしてきた私が、思い描ける範囲での「いい司祭」でした。現実に司祭に要求されるニードは多種多様で、複雑な状況の絡みの中から提出されますから、とても一筋縄では対応できないのです。ある方、ある状況に対して最善のことを努めたつもりが、良くない影響を周囲にもたらすといったことが多々起こります。せいぜいある方、ある状況にとって「いい司祭」になれるでしょうが、誰にでもいい顔をしたい「いい司祭」は、ニードとニードの狭間で、翻弄され引き裂かれてしまうことになりました。全ての事から間合いをとり、前後の状況を視野に入れた、賢明な状況判断が必要なのですから、「私はこんなに一生懸命にやったのに」は、甘えた弁解になるでしょう。

3、私の話に、皆様耳を傾けて下さる、私の冗談に、皆様笑って下さる

中でも一番の戸惑いは、信徒の皆様が、私の話すことに、実によく耳を傾けてくださることでした。下手な冗談や洒落でも笑ってくださるのです。私は、元来仲間内では、会話の得意な方ではありませんでした。私の話題は仲間の関心をあまり引きません。語りはまどろこしく回りくどくて、「それでなにがいいたいねん」と突っ込まれます。最後は「で、落ちは?」という感じで、聞き手をがっかりさせます。冗談も苦手で、周りを白けさせ、それが笑いを呼ぶと言った感じです。それが司祭になった途端、皆様が本当によく私の話を聞いてくれるのです。うんうんとうなずき、面白そうに耳を傾けてくれ、冗談を言うと笑ってくれるのです。やがて、どの話は、本当に人に向かって語るべき内容のあるものか、そうでないものか、さっぱりわからなくなってきました。親しい仲間は容赦がありませんから、つまらなければ率直に拒否し、聞くべきものには熱心に耳を傾けてくれ、私はその反応を見て、自分の語りやその内容について、客観的なチェックをいれることができましたが、その機能がさっぱり働かなくなってしまったのです。
本当は、すべてが無意味な言葉の垂れ流しなのかもしれません。皆様はそれなのに、私に気をつかって、聞いてくださっている。そうして聞き手の方々に厳しい忍耐を強いながら、自分では、たいそうなことを話しているような錯覚の中にはまり込み、夢中になって話しまくります。言葉というのは不思議なもので、こうしたことに気がつけばつくほど、自分としては、語りの手応えを必死で求めて、もっともっと言葉を重ねてしゃべり続けていく始末です。現在進行形です。皆様ごめんなさい……。

まだまだたくさんあるのですが(ほら、もう話しまくっている)、紙面の都合上これくらいにします。先輩司祭の方々も、そうした揺るぎの中をきわどくバランスをとりながら、司祭としてのアイデンティティを保ち続けてきたのだろうと思います。若輩者の私からは、そうした道のりが、はるかに茫洋として立ちはだかり、いつ自分がその揺さぶりに弾き飛ばされてしまうのか、覚束ない不安に駆られるばかりです。自分は一体どうなってしまうのかな、とおのれの非才と無能を顧みながら、ただただ戦々恐々としている毎日です。未熟者としての自分が揺らいでいる。そして現代社会の中で、あらためて司祭のあり方が、教会のあり方が問われている。司祭の減少、小教区の統廃合、もうすぐ21世紀に向かい、押し寄せてくる課題は山をなしているようです。

来年は東京教会管区で司祭研修大会が開催されます

来年、大聖年を迎えて、東京教会管区の合同司祭研修会が計画され、準備が進められている。東京教会管区は、東京教区をはじめ、横浜、浦和、新潟、仙台、札幌と6つの教区によって構成されており、合同して研修会を行うのは初めてである。

外国籍の信徒のことや、青少年の教会ばなれ、また、司祭の高齢化の問題等、すでに1つの教区では解決できない現状の中で、個別的には、6教区が協力して行動している部分もある。しかし、それは、やむにやまれずに集まることが多く、いつか、前向きに司祭たちが協力して取り組むことが待たれていた。そういう意味で、大聖年を機会に、東京教会管区の合同の研修会は意味深い。

期間は来年の10月16日(月)から18日(水)までの2泊3日で、場所については未定。ただ、担当教区が札幌教区なので、会場も札幌になる可能性が強い。準備のための第1回会合では、研修会のテーマを含んだ全体像が話し合われ、大筋で合意を得ている。全体のイメージとしては、大聖年にあたって、キリストの福音の原点に立って考えていこうという点と、新しい千年期に応じた宣教の姿勢も確立していこうという点である。

その点では、大阪教会管区および長崎教会管区でも同様の動きがあり、日本の3教会管区が、どこかで一致して、福音宣教に取り組んでいく流れにあることが感じとられる。

準備は、これから、各教区の司祭評を中心に進められていき、なるべく多くの司祭が参加できるよう呼びかけられる。東京教区では、合同研修会開催に全面的に協力していく方針で、来年の教区の司祭研修会はとりやめになる。

お知らせ

バスと電車で巡る 江戸切支丹殉教ゆかりの地(A2版十字折り カラー印刷 1部 300円)
このリーフレットは1991年、大司教区創立百周年記念事業の一環として発行された、教区内の殉教遺跡巡りの便利な案内書です。既に公式販売は終わっていますが、少し残りがありますので、カテドラル構内スペースセントポールで販売しています。どうぞご利用ください。なお郵送はご容赦ください。(発行責任者)

五日市霊園をご利用される皆様へ

五日市霊園の玄関より休憩所にいたる坂道は、現在カトリックあきる野教会建築のために、一方通行の片側通行となっています。また、当面は工事用の大型車両が、頻繁に通行しておりますので、ご注意下さい。ご不便をおかけしますが、しばらくの間のご協力をお願いいたします。
工事期間 2000年4月初旬迄の予定です。(休、祝日は工事は休みとなります)
カトリックあきる野教会建築委員会

教会・修道院巡り(73)『三軒茶屋教会と修道院』

地下鉄新玉川線の三軒茶屋駅から、地上に上がると、昔の大山道とその近道、現在の世田谷通りと玉川通り(国道246号線)が分かれる三叉路に出る。現在の地下鉄の入り口にその道標が立っている。昔は、大山参りや玉川の川遊びへの道の休憩所として、立派な茶屋が三軒建っていたと言われている。

この辺りは今でも、夜まで賑わう繁華街になっている。繁華街から住宅街に入ると、世田谷通り、玉川通り、環状7号線が作る三角形の真ん中に三軒茶屋教会がある。昭和27年に民家を買収して、フランシスコ会ローマ管区の宣教師たちが修道院とし、翌年には土井司教から小教区として認可されたのが、修道院と教会の始まりだそうである。

昔は、聖堂が道路に面して建ち、その後ろに幼稚園。それが今は逆転し、聖堂は修道院と並んで後ろの高台にある。歴代の主任司祭は、ロンゴ、ビンチ、ランナ、プッファリーニ、ビンチ、プッチ。5人6代、おもしろい名前である。この春、初めての日本人の主任司祭として、赴任して来て半年、まだまだ様子が分からない。「ローマ・カトリックから、普通のカトリックになった」などと茶化す者もいるが、宣教師たちの偉大さは、見上げる教会の鐘楼よりも高い。最も鐘はなく、スピーカーが鐘の音を鳴り響かして、近隣から時々「うるさい!」とのお叱りを受ける。

長年、宣教師の手足となって働いてくれたカテキスタが、来春には糸魚川教会の宣教師のために働くことになり、ますます昔が分からなくなる。
元来の記憶力の弱さと年齢から来る衰えに、信徒の顔どころか、信徒数も把握していない。信徒数は千人余りと聞く。修道院には、若い助任司祭とブラザー、そして老司祭の4人である。

この教会の特徴は、何であろう。「若い人たちはこの近辺には住めなくなって、めっきり少なくなりました」と言われたが、過疎化の波はこの辺りまで来ているようである。

平日は、私より年上の婦人たちが活躍しているので、若い人たちがいないのかと思ったら、ミサには結構来ている。見捨てたものでもない。
歌のうまかった前任者に比べ、何の取り柄もなく、助任司祭の若さと活動力に負う現主任司祭は、半年、教会の周りを散歩と称して歩き回ったが、まだ町の雰囲気がつかめていない。

「クリスマスの馬小屋のセットは見事なものです。組み立てるのは大変ですが」とのこと。この年末から大聖年が始まる。馬小屋が楽しみである。
10月末にバザーがあった。下町的な匂いがして、人情味など昔の良さが残っている。
古いものと新しいものが同居する教会。その教会はそろそろ50周年を迎える。新しい世紀に向けて、教会も新しく生まれ変わっていく必要があるかもしれない。

昔といえば、その昔、2軒あったお茶屋さんの1軒が、陶器屋さんとして今でも残っている。東急世田谷線の三軒茶屋駅、キャロット・タワーと対称的である。(湯沢民夫神父)

〒154-0024世田谷区三軒茶屋2-51-32 tel03-3708-0222 fax03-3421-9788

天国のわが輩はペトロである(11)

O神父の離島ミッション珍道中(1)

死んだ筈の私が、未練がましくO神父にまとわりつくのは、必ずしも私の本意とするところではない。
O神父があまりに頼りなく脳天気なので、神は、特別に私が側に居ることを、お許しになったのだ。「そんな馬鹿気た話があるか」と人は言うかもしれないが、そもそも心の目で見なければ、猫が話すことだって信じられることではない。彼には、私の存在を感じられないにしても、私は、しばらくO神父と一緒に過ごすことにした。

O神父は自分で「忙しいという字の立心偏は、元々『心』と同じ意味で、『忙』はこころを失うことを意味しているので、もう『忙しい』という言葉を絶対に言わない」と言っておきながら、そんなことはすっかり忘れ、一日中「忙しい、忙しい」を連発している。忙しいと言うのだから、さぞ仕事がいっぱいあるのかと思えば、ジャイアンツ戦は欠かさず見ているし、一日中何もせずに、ごろごろしていることも多い。忙しいと言えば、周りの人たちが評価してくれるとでも思っているのだろうか。ある日、O神父の傍らで、フィリピン人のシスターRが、何やら気むずかしそうな顔をして電話を受けていた。電話が終わるとシスターRは、O神父に「神父様大変!御蔵島から電話があったの。結婚して御蔵島に渡って5年になるけど、フィリピンに帰っていないの」と言った。

シスターRの「大変!」という口癖を、O神父は信じていないらしく、「あっ、そう。そりゃー大変だね。御蔵島って、伊豆七島の島だろう。でもどこにあるんだろう。シスター、励ましてあげたらいいよ」と面倒くさそうに言った。シスターは、「でも、マリア(仮名)は、5年もミサにあずかっていないし、回心の秘跡も受けていないし、お母さんのお葬式にも参加できなかったの。わたし告白も聴けないし、ミサもあげられないの。マリア泣いていたの」と言いながら、O神父の目をじっと見つめた。O神父は「そりゃー大変だね」と同じ言葉を繰り返したが、明らかに動揺している。「一度東京にでも出てくるようにすすめたら」とO神父は逃げにかかった。

シスターRと、O神父のやり取りを聞いていたシスターHが、「神父様、行ってあげるべきですよ。可哀相ですよ」と追い打ちをかけた。
シスターたちは、脳天気で思い込みが強くても、結構優しいところのある、O神父の弱点をついたのだ。私が餌を要求すると目を三角にしながら「ニャーニャー、ニャーニャーとうるさいな」と怒鳴りながらも、必ず餌をくれたO神父の弱点だ。

「でも、スケジュールがいっぱいで忙しいんだよ」と手帳を見ながら、O神父はまだ逃げようとする。手帳を人に見せないようにしながら、さも忙しそうに振る舞ったが、「それだったら、10月に入ってからでもいいんじゃないですか」とのシスターHの強烈な一発で、とどめを刺された。

「ハアー」というような大きな溜息をつきながら、「分かった。行くよ」とO神父はしぶしぶ承諾し、自分の側にあったごみ箱をポンと蹴飛ばした。
私に対してなら、きっと目を三角にしたに違いない。もったいをつけ、忙しさを理由に、御蔵島への渡航を、10月に引き延ばしたが、秋から冬にかけて島に渡ることが、どれ程大変か、その時のO神父には分かろう筈がなかった。
(つづく)

編集部から

●11月の死者の月をどのように過ごされましたか。恐らく多くの方が親しかった故人を偲びながら、追悼ミサや墓参をなさったことでしょう。「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」と漱石が詠んでいます。生と死という境はほんの1秒ほどですのに、愛する人が亡くなったという逆戻りのない現実は、どうしようもないが故に苛酷なものです。
●イエスは羊が命を得、しかも豊かに生きるようにと、わたしたちに「いきいき与生」を勧めておられます。それをテーマにしたアジア特別シノドス後の教皇様の使徒的書簡がインドで発表されました。日本語への早い翻訳が待たれますね。  (Sr.石丸脩子)
●杉田栄次郎師が亡くなって、あっという間に、2ヶ月が過ぎた。下谷病院、大塚ガン研、下谷病院、慈生会病院と巡って死を迎えられたわけだが、神父さまのお顔とお姿が、それぞれの病室という額縁の中で浮かんでくる。身体は、次第に病魔に蝕まれていくのだが、その笑顔と温かいまなざし、それに淡々とした語り方は、最後まで変わらなかった。苦しみの中で、大きなものを受け入れ、それを心に秘めて、静かに旅立たれた。ところで、亡くなる約2ヶ月前に、ベタニアホームの聖堂でミサをたてられたのだが、これが神父さまの最後のミサとなった。
ミサを終えた祭服姿の写真があります。ご希望の方にお分けします。ご連絡ください。(西川哲彌)
●今月号からファンの皆様の前に再登場することになった『猫のペトロ』。どうぞご期待ください。(S)
●VIVIDに情報掲載ご希望の方へのお願いです。VIVID担当が、猪熊師から、大司教館事務局の浦野師に替わって半年が過ぎましたが、掲載希望情報をあいかわらず猪熊師宛(前任地の関口教会宛)に送ってこられる方がいらっしゃいます。どうぞ、VIVIDの右下隅にある囲みの中をお読みになって、お間違いのないようにお願いします。次号、その次の号の締切までお知らせしています。 (A・A)

第6回 リレー式 祈りと黙想の集い

1999年12月31日(金)午後8時より 2000年1月1日(土)午前6時まで 東京カテドラル聖マリア大聖堂
12月31日(金)  20:00 〜21:30  祈りの時・その1 (若者と共に)  22:00 〜23:30  祈りの時・その2 (修道者と共に)
1月1日 (土)  0:00 深夜のミサ 森司教司式 2:00 祈りの時・その3 (イエス・キリストへの賛美)
3:00 祈りの時・その4 (聖霊への賛美)  4:00 祈りの時・その5 (父である神への賛美)  5:00 新しい年の夜明けのミサ
喜びの年、 キリスト生誕2000年の大聖年に捧げる賛美と感謝

第1回 HIV・エイズ問題講演会

エイズが問う人間性 新しい苦しみに共感と支援を

日時 12月12日 (日)   12時30分〜15時40分
会場 女子パウロ会 聖堂
入場 無料
講演 (1)川田悦子さん  『薬害エイズと闘うなかで私が見た世界』
(2)シスター山路雅子  『HIV感染者との出会いによって目覚めた私』
(3)バレンタイン・デ・スーザ師  『世界におけるエイズの現状』
司会 横川和夫氏

HIV・エイズへの対応の遅れが、国際カリタスの会議で指摘されてから5年、日本のカトリック教会として、どのような対応が可能かを、国内外の情報収集をもとに検討を重ねてまいりました。その結果、1999年定例司教総会で、HIV・エイズに関する啓発活動を、人権週間にあわせて行うことを決定しました。今回は、その一環として右のような講演会を開催いたします。講演会を通して、HIV・エイズに対する正しい認識をもち、HIV感染者・エイズ患者の方々とそのご家族への理解と支援の輪を広げていきたいと思います。ぜひご参加ください。
主催 カトリック中央協議会 HIV諸問題検討特別委員会 tel03-5632-4445

2000年 インターナショナルデーのご案内

例年『インターナショナルデー』の開催日は「4月の最終日曜日」となっておりますが、来る2000年は、4月23日(日)が御復活祭となるため、日程を5月21日(日)開催とさせていただきたいと存じます。委員一同、2000年のインターナショナルデーを、大聖年にふさわしい、人々の心温まる集いの場にしたいと念じております。(インターナショナルデー委員会)

ホスチア(オスチア)焼成の変更についてのお知らせ

この度、白柳枢機卿様のご要請を受け、東京女子カルメル会よりホスチア(オスチア)焼成を当会が引き継ぐことになりました。聖体・司祭職・典礼に奉仕する使命を受けている私たち、師イエズス修道女会にとり、日本の教会の中で、この使徒職を果たせますことを心から喜んでおります。
今後、より一層の精進を重ねてまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

連絡先 〒192-0004 八王子市戸吹町1490 師イエズス修道女会 オスチア係 tel0426-91-3260 fax0426-91-3319

VIVID

VMIカトリック高齢者会主催の講座

12月の勉強会

◇日時:12/14(火)◇会場:事務所◇指導:塚本伊和男師
◇日時:12/17(金) ◇場所:高輪教会 ◇指導:泉富士男師
◇日時:12/21(火) ◇会場:三軒茶屋教会 ◇指導:塚本伊和男師 ◇時間:各会場共通 13:30〜15:00 ◇会費及び申込:不要

12月の散策会 (F. ザベリオ来日450年記念第4回)

◇日時:12/8(水) 10:30 カテドラル集合 ◇行先:キリシタン屋敷跡 ◇解散予定:14時
以上いずれも、申込・問合せ先:荒川区西日暮里1-61-23 リレント西日暮里102 VMI東京支部事務所 Tel/Fax 03-3806-9877

第22回 「聖フランシスコ・ザビエル 友 ゆうクラブ俳句会」 (VMI東京支部)

◇句会日時:1/28(金) 11:30〜15:30 ◇場所: カトリック神田教会信徒会館 ◇投句:ハガキで ◇兼題:冬雑詠 3句以内 ◇投句先:住所・氏名・電話番号・所属教会・出欠 (投句のみは欠席) を明記の上、 〒101-0065 千代田区西神田 1-1-12 カトリック神田教会内 「聖フランシスコ・ザビエル友ゆうクラブ俳句会」、 または下記係宛 ◇詳細は次号で ◇問合せ先: 木田英也 (世話人) 〒279-0011 千葉県浦安市美浜1-6-611 Tel/Fax 047-355-7478

土曜日の午後のひと時、 いつも共にいてくださる主の内にじっと私をおいてみませんか

◇新しい力をいただいて主とともに歩むための月に一回の “神様ブレイク” ◇日時:第4回12/18(土) 14:00〜16:00、 第5回 2/26(土)14:00〜16:00 ◇祈りたい方、 祈りの体験をしたい方はどなたでも

召命一日静養〜呼ぶ・呼ばれる〜

◇あなたを見つめる主のまなざしの中で、 その呼びかけにじっと耳を傾けませんか ◇対象:修道生活を希望する35歳までの未婚女性信徒 いずれも ◇場所:八王子市戸吹町 1490師イエズス修道女会 八王子修道女会 ◇連絡先:Tel 0426-91-3236 (シスター加藤)

カトリック下井草教会50周年記念 祈りと賛美 -カトリック作品によるコンサート-

◇日時:12/12(日) 14:30 ◇場所:カトリック下井草教会聖堂 ◇出演:合唱 コロ97東京、アヴェス・ウヴェネス ソプラノ独唱 相馬宏美オルガン 新井尚子 ◇入場料:¥1,300 (前売り¥1,000) ◇取扱い・問合せ:カトリック下井草教会事務室 (担当:前田) Tel 03-3396-0305

高田三郎作品による リヒトクライス 第7回演奏会

◇日時:2000年 2/11(金・祝) ◇場所:東京簡易保険会館 五反田ゆうぽうと ◇費用:¥2,500 ◇問合せ先:信夫蓉子 048-874-5776
キリスト教精神に基づいた生涯学習シリーズ講座■ 総合テーマ〈人間について考える〉
〔聖書の光の中で〕

祈りへの道-ミサとみことば-

◇日時:12/15(水) 13:30〜15:00 ◇講師:関根英夫師 (町田教会司祭) ◇費用:¥1,000

『出会いを求めて』

◇日時:12/11(土) 10:30〜12:00 ◇講師:粕谷甲一師 (東京教区司祭) ◇費用:1回¥1,000

〔人と人との絆の中で〕深みある生き方のために -私を生かしたキリストとの出会い、 人との出会い-

◇日時:12/4(土) 13:30〜15:30 ◇講師:星野正道師 (男子カルメル修道会司祭)
◇日時:12/11(土) 13:30〜15:30 ◇講師:金子尚志師 (アントニオ神学院教授) ◇費用:¥2,000(2回)

救いの歴史における大聖年

◇講師:石井健吾師 ◇日時:2000年 1/22(土)13:30〜15:30 ◇費用:¥1,000 ■いずれの講座も場所は、 「真生会館学習センター」 (JR信濃町駅前) ◇申込み方法・問合せ先:電話、 または、 ハガキ・申込み用紙に 住所・氏名・講座番号・講座名を記入して下記まで 「真生会館学習センター」 〒160-0016 新宿区信濃町33Tel 03-3351-7123

メディテーションアワー -大聖年を祝して

◇日時:■12/4 (土) ■12/11(土) いずれも19:00〜21:00 (ミサを含む) ◇講師:■新垣壬敏 ■酒井多賀志 ◇場所:カトリック小金井教会聖堂 ◇費用:無料 ◇問合せ:カトリック小金井教会 〒184-0005 小金井市桜町1-2-20Tel 042-384-5793 Fax 042-384-6592

第1回 クリスマスチャリティコンサート

◇日時:12/12(日) 13:30〜15:30 ◇場所:カトリック高円寺教会聖堂 (地下鉄丸の内線東高円寺駅徒歩5分) ◇入場料:無料 ◇主催:カトリック高円寺教会聖歌隊 (代表:秋山晋一郎)◇問合せ先:担当 横田 03-9972-5595 林 03-3330-2074

クリスマスの集い

◇日時:12/14(火) 13:30〜16:00 ◇場所:ミサ (白柳枢機卿司式) 東京カテドラル聖マリア大聖堂、 クリスマスの贈り物 (日本舞踊・落語) /ミニバザー カトリックセンターホール◇参加費:¥700 ◇主催:東京教区カトリック女性同志会 ◇問合せ:森脇 03-3447-2231 滝口 03-3844-7066 武藤 042-378-9377

講演会4【つらぬけ平和憲法シリーズ】 「日の丸・君が代」 が私たちに問いかけるもの

◇講師:舟木暢夫さん (聖母被昇天学院高校教諭) ◇日時:12/11(土) 15時〜 ◇場所:幼きイエス会 (JR四ッ谷駅麹町口下車、 主婦会館前) ◇会費:¥500 ◇主催・連絡先:東京カトリック正義と平和委員会 Tel 0424-91-0104Fax 0424-91-1744]

三位一体の聖体宣教女会 『祈りの家』 講座
聖書で祈る

◇指導:雨宮慧師 (東京教区司祭) ◇日時:2/26(土) 17:30 〜 2/27(日) 16:00 ◇対象:女性信徒

召命を考える祈りの集い

◇指導:星野正道師 ◇日時:2/11(金) 10:00〜17:00 ◇対象:女子青年

キリスト教講座

◇毎週木曜日 10:00〜11:00
十字架の使徒職 (司祭のために祈る集い)◇対象:信徒・求道者 ◇指導:本会会員 ◇期日:第1グループ:毎月
第2金曜日14:00〜15:30第2グループ:毎月 第1木曜日14:00〜15:30 ■上記講座のいずれも、 場所・問合せは下記まで、 〒189-0003 東村山市久米川町1-17-5 Tel 042-393-3181 Fax 042-393-2407 三位一体の聖体宣教女会

声楽アンサンブル 「リーダーターフェル」 第11回ボランティア演奏会 『慈しみの家 ベタニアホーム・クリスマスコンサート』

◇日時:12/26(日) 15:30 開演 ◇場所:カトリック慈生会 ベタニアホーム・メインホール (中野区江古田 3-15-2 Tel 03-3387-3388 Fax03-3387-3400) ◇主催:声楽アンサンブル 「リーダーターフェル」 共催:カトリック慈生会 ベタニアホーム ◇問合せ:辻 03-5987-5277/田部 0424-94-2845
E-mail: ryo-n@mbe.sphere.ne.jp