お知らせ
東京教区ニュース第162号
1999年05月01日
目次
- ◇ 地域福祉の期待に応えて ベタニアホーム竣工式行われる 3月18日
- ◇ 青年の皆さん「Y.G.T.」に参加してみませんか
- ◇ 城西地域協力体が「聖体奉仕者講習会」 を開催 松原教会で90人参加
- ◇ 梅村昌弘師(東京カトリック神学院学務担当者)横浜教区長に任命
- ◇ CTIC 東京国際センター通信
- ◇ 女性と教会委員会主催講演会シリーズ 第2回「家庭を救うのは男か女か」
- ◇ 東京教区生涯養成委員会 主催 第12回 生涯養成コース 「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう」 その2
- ◇ シリーズ 揺れる司祭像(7)司祭の仕事-聴くことの大切さ- レオ・シューマカ神父(豊島教会主任司祭)
- ◇ 教会・修道院巡り(67)『 イエズス孝女会 』
- ◇ わが輩はペトロである VI 本当の友だちはいるの?
- ◇ カトリック映画賞受賞作 ユ キ エ
- ◇ 編集部から
- ◇ お詫びと訂正
地域福祉の期待に応えて ベタニアホーム竣工式行われる 3月18日
3月18日、中野区江古田のベタニア修道女会(総長山根幸子)の敷地に建てられたベタニアホームの竣工式が教会・行政・建設関係者の見守るなか、森司教の司式で執り行われた。
ベタニアホームは、開設17年を迎える特別養護老人ホームで、慈生会病院の一部を使って運営されていた。今回は、施設の一部拡充もはかられ、地域福祉の期待に応える努力がはらわれている。定員も60名から80名に増やされ、ショートステイも6床増床して8床となった。
新ベタニアホームの特色の一つは、4階建ての最上階にケアハウスを作ったことである。ケアハウスというのは、ケア機能をもったアパートで、ホームに入るほどではないけれども、多少ともケアを必要とする方々が入っている。定員は30名。このなかには2階・3階の「特別養護老人ホーム・ベタニアホーム」や1階の「ベタニア・デイホーム」でボランティアをする方もいる。
建築にあたっては、施設長の木村純子修道女をはじめホームのお年寄りや職員、ボランティア等の意見が多く入れられており、前の建物で得た教訓が充分に生かされている。また、建設資金をカバーするために後援会(会長 武藤格さん)も作られ、幅広い募金が行われた。
昨年は、新ホームのPRもかねて、隣接の徳田教会の聖堂でチャリティーコンサートが開催されたりもした。竣工式の式辞で森司教は、「日本人は、戦後50余年先進国を目指して、追いつき追い越せを合言葉に、馬車馬のように働いてきた。その結果、確かに物には困らないような状態になった。しかし、そのなかで、働きのない者は切り捨てられる社会になってしまった。高齢化社会を迎えて今まさに、豊かさの真価が問われている。新ベタニアホームの果たす役割は決して小さくない」と述べ、祝福を贈った。
(西川哲彌神父)
青年の皆さん「Y.G.T.」に参加してみませんか
「Y.G.T.」とは「Youth Gathering in Tokyo」 の略です。この「Y.G.T.」の集いは5月9日(日)に開かれます。「Y.G.T.」は東京教区主催で、これから年2回開かれる東京教区の青年たちの集いです。サブタイトルは「司教様、教えてくれ」とつけられています。この集いでは、ふだん私たちが教会で感じている「ミサ」についてのいろいろな疑問を中心に、司教様が直接答えてくださいます。その質疑応答の「カテケジス(福音を響き合わせる)」が行われた後、みんなで工夫して参加する司教様司式のミサ、そして小グループによる分かち合いがあります。
ところで、司教様というと皆さんは何となく遠い存在に感じているかもしれませんし、近づきがたい方と感じているかもしれませんね。皆さんいろいろな思いを持ちながら、司教様や同じ東京教区の青年とお話ししてみませんか。多分、お2人の司教様もざっくばらんにお話しくださり、皆さんと親しく交わってくださることでしょう。できるだけ固い集いとならないようにと、いろいろな教会の若者も加わっている東京教区青少年委員会のスタッフは考えています。今までに決まった内容は次の通りです。
開催日 5月9日(日)
会場 麹町教会(聖イグナチオ教会)の中聖堂〈四谷駅下車〉
参加対象 18才〜30代(基本的に東京教区の青年)
内容
午後1時 受付開始。
午後1時半〜午後3時半「司教様、教えてくれ」(カテケジス)
たとえば、ある青年が言っていたこんな質問がでるかもしれません。「日曜日に親からがみがみ言われて、小学生まではしょうがなくミサに行っていたんです。最近は、もうあまり行かなくなりました。ミサに出たって何も自分の役にたたないんです。ミサに出るって何かいいことがあるんですか?」その他にもいろいろな、ミサに関係する質問が司教様に投げかけられると思います。きっと、白柳枢機卿様と森司教様は汗をふきふき、皆さんにわかりやすく答えてくださるでしょう。各質問にはできるだけ3分〜5分で答えていただこうと考えています。
午後3時分〜午後5時頃 ミサ
白柳枢機卿様の司式で行われます。歌などを工夫したりして、みんなが参加して捧げているという実感の持てるミサにしていきたいと考えています。
午後5時〜午後6時半
小グループでの分かち合い
10名くらいの小グループでの分かち合いを行います。自己紹介や、司教様が答えてくださったことや自分の教会でのことなどが話されることでしょう。一応、午後6時半で終わります。まだ残ることのできる人だけで森司教様と共に語り合う時間を午後8時まで持ちます。
第一回目の「Y.G.T.」はこのような内容にしたいと考えています。これから始まる東京教区青年の「Y.G.T.」が、神とのすばらしい出会い、仲間との出会いの場として成長していけますように、皆さんの積極的な参加をお待ちしています。
(東京教区 青少年委員会 担当:宮下良平神父)
城西地域協力体が「聖体奉仕者講習会」 を開催 松原教会で90人参加
城西地域協力体(赤堤、喜多見、三軒茶屋、瀬田、渋谷、成城、世田谷、初台、松原教会、師イエズス修道女会、聖フランシスコ病院修道女会、礼拝会、マリアの宣教者フランシスコ修道女会)では、世田谷教会佐久間神父(城西地域の司祭団の責任者)を中心に熱心な話し合いがもたれ、聖体奉仕者講習会を開いた。これは聖体の秘跡について深く勉強することでもあるので、一般信徒にもぜひ認識してもらう機会として開催された。
日時は2月6日より3月6日までの毎週土曜日、計5回、 午後2時より4時分まで。
プログラムは
・2月6日
「聖体の秘跡について」 佐久間神父 (世田谷教会)
・2月13日
「感謝の祭儀(ミサ)の歴史」 クリスチャン神父 (松原教会)
・2月20日
「聖体奉仕者その目的と役割」 森司教
・2月27日
「ミサの構造」 小高神父 (瀬田教会)
・3月6日
「聖体奉仕者の実習と祈り」 プッチ神父 (三軒茶屋教会)
参加者は90名で、予想を上まわる人数。会場となった松原教会(主任司祭ボーガルト神父)の聖堂では、聖体奉仕者希望者、勉強のための参加者たちが、各神父の講義に熱心に耳を傾けた。
聖体奉仕者に対する誤解(以前は特別奉仕者と言っていたので、自分は特別な役割を持った、特別な人間という意識を持ち、教会内で反発を持たれる向きがあった)や、偏見を除くため、聖体奉仕者は
1.信徒が多い時、司祭と共にご聖体を授けることができる。
2.病人の所へご聖体を運ぶことができる。
3.集会司式者は司祭不在の時、み言葉とご聖体を中心にした集会をすることができる。ということである。
「任期は2年間。大司教より認可され、主任司祭が任命する。なお、病人の所へご聖体を運ぶ務めは、主任司祭がその都度依頼することができる。この認識をはっきり持つこと。そして、奉仕の心、常に勉強、自分を刷新する力を持ち、教会の歩みに合わせて、謙遜な心を忘れずに」と森司教は明言した。
参加者たちは、「とても有意義であり、各神父の率直な人柄にふれることのできた、楽しい講義であった」という感想をもらした。
梅村昌弘師(東京カトリック神学院学務担当者)横浜教区長に任命
昨年6月15日、横浜教区の前教区長濱尾文郎司教が教皇庁移住・移動者司牧評議会議長に任命され、ローマに赴任して以来空位になっていた横浜司教に梅村昌弘師(横浜教区)が3月27日付で任命された。
梅村新司教は横浜生まれで46歳。現在、練馬の東京カトリック神学院で学事を担当している。やさしい人柄のなかにも物事に対してしっかりした態度を崩さない一面を持っており、横浜教区のみならず、日本の教会を背負うにふさわしい人物との定評だ。司教叙階式は、5月15日の土曜日正午から、カテドラルの近くにある横浜雙葉学園で行われる。主司式は白柳枢機卿(東京管区大司教)で、当日は濱尾大司教もローマから駆けつける予定だ。
濱尾大司教は中央協を通して次のようなメッセージを発表している。「教会法と神学に造詣の深い梅村司教が、横浜教区のためばかりではなく、日本の教会、アジアの教会、そして世界の教会のために大いに貢献してくれることを今から楽しみにしています」
横浜教区は、神奈川、静岡、山梨、長野の四県からなり、1997年12月末日現在で、52000人余りの信徒と85の教会を有している。1938年8月にパリ外国宣教会のシャンボン東京大司教が初代の教区長に就任して以来、梅村新教区長が7代目にあたる。
CTIC 東京国際センター通信
在留特別許可
朝9時、東京入国管理局に向かう。リタ(仮名)の在留特別許可を願うためだ。在留特別許可とは「入管法に違反する事実があり退去強制事由があると認定された場合に、法務大臣が特別な事情の存在を認めて、在留を特別に許可すること」(入管法50条)で、リタの場合、「オーバーステイ状態ではあるものの、日本人との間に認知された子がいるので、その養育のために在留することをお願いする」手続きをすることになる。
リタは新潟県在住のフィリピン人。日本人男性との間に女児ユキ(仮名)3歳がいる。約半年前、彼女が通っている教会のM神父から依頼があり、彼女との関わりが始まった。5年前、リタが勤めていたクラブに毎日のように姿を見せ、求婚する男性がいた。二人は同棲するようになり、リタは身ごもった。その時になって始めて、彼から別居の期間は長いが正式に離婚していないという事実を知らされた。そのうえ彼は絶えず複数の女性との関係を続け、その関係が絶えることはなかった。遂にがまんできなくなり、彼と別れる決心をした。幸いM神父が間に入り、ユキの認知だけはさせてくれた。彼女が来所し、これらのいきさつを語ってくれたのが12月だった。その後、リタの気持ちが揺れたり、準備が遅々と進まない時期もあったが、彼女の在住する役所の婦人相談員の協力のおかげで、ようやく「在留特別許可」申請の準備が整った。
10時に入管に到着。第三調査部門の前には、肌の色、言語の違う人々が多数待機している。皆「在留特別許可」を望む人たちだ。もらった番号札には「13」とあった。暖房のない廊下に長椅子が置かれている。そこで部屋に呼ばれるのを待つ。扉が開閉する度に、人々の顔に緊張の色が走る。泣きながら退出してくる者もいた。ユキは他の子どもたちと廊下で遊び始めた。リタもすぐに数人のフィリピン人女性と親しくなり、中に入ると1時間かかること、申請の受付は2人の係官によってなされ、奥の席にいる人は厳しく、手前の席の人は穏やかであるとの情報を得た。2時に11番の人が呼ばれた。彼女はオーバーステイの台湾人。日本人男性と結婚し、夫に伴われ、在留特別許可を与えてくれるよう申請に来たのだ。彼らが部屋の中にいる間、同行した友人は心配でたまらないらしく、しきりと話しかけてくる。リタは緊張のあまり目に涙をためている。ユキは黒人男性に遊んでもらって上機嫌である。
3時になってリタが呼ばれた。ユキと共に私も入室。外国人の相談センターのスタッフであることを説明し、同席の許しを得る。幸いにも「手前の席」の係官にあたった。係官は非常に穏やかで、オーバーステイの違法性については明確に説明するものの、むずかるユキを気遣ってくれる。奥の席では日本人男性とフィリピン人女性が大声で詰問されている。「法務大臣の許可が出なかったらどうするのか」と。「奥の席」に呼ばれた人たちにすまないと思いつつも、「手前の席」に呼ばれたことを神に感謝する。
手続きは約一時間続いた。係官は今後の作業で参考になりそうな書類をコピーしてくれたり、リタ一人で行わなければならない手続きの時には、ユキを気遣って手早に済ませてくれた。奥の席からは相変わらず大声が響いていた。こうして、リタが心配に心配を重ねた手続きの一歩が、幸運に恵まれて終わった。帰りの車中、緊張の解けたユキとリタは眠ってしまっている。「同じような在留特別許可のケースを繰り返しこなすと勉強になるよ」と、同行したスタッフが言った。
私は、同じようなケースで、相談に訪れている女性たちの顔と離婚、別離にいたった経緯を思い浮かべながら、CTICスタッフとしてこの手続きに「慣れて」いかなければならない現状にため息が出た。
(CTICスタッフ 大迫こずえ)
女性と教会委員会主催講演会シリーズ 第2回「家庭を救うのは男か女か」
加害者となる家族
癒しとなる家族
☆テーマ「モデルがない現代の新しい男性像と女性像」行き詰まった今の日本の社会で。 第2回 「家庭を救うのは男か女か」
☆講師 平井公氏 朝日新聞 東京本社社会部記者。
現在、読者と双方向性の充実を求めた企画「どうするあなたなら」の取材班の一人として「専業主婦の憂鬱」「赤ちゃん返り」(主婦間暴力)「長男の嫁」等、署名記事を執筆中。
山田和恵氏 臨床心理士。大学病院勤務を経て、現在、横浜市教育委員会教育総合相談カウンセラー。また教育委員会からの派遣で保土ヶ谷区の教育カウンセラーとしても活躍中。
☆日時 5月15日
午後1時半〜5時
☆場所 関口教会、関口会館 2階(教区スペース)
☆主催 東京教区「女性と教会」委員会顧問:森一弘司教
☆参加費 500円
☆問い合わせ先(ベビーシッター、手話通訳希望者)
03-3207-0120(国吉)
東京教区生涯養成委員会 主催 第12回 生涯養成コース 「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう」 その2
-私たちは、「三位一体」をどのように理解し、どのように伝えてきたか-
今年は、昨年の4回シリーズを引き継ぎ、同じテーマのそのとして、1月から3月まで月1回、土曜日の午後の3回シリーズで、「三位一体の理解」に絞って深めていこうということになった。会場は、いずれも関口会館のケルンホールである。
第1回目は、1月23日、百瀬文晃神父を講師に「三位一体とカテケージス」をテーマに研修会を行った。(東京教区ニュース160号)
第2回目は2月13日、「三位一体と教会」のテーマで、横浜教区の小笠原優神父が話した。講師は、導入の部分で、このテーマは「教会の本質が秘義であることを見つめさせる」と指摘し、三位一体的な救いの経綸(計画とその働き)における教会の姿を展開していった。
1.まず理解の前提となることとして、既に初代教会において教会は「三位一体」の秘義と不可分なものであるという理解が成立していたということを、パウロの書簡や福音書の中に見られる使徒たちの証言を引用して指摘した。
2.教会の根本使命と存在理由は「三位一体」の秘義と関わっている。教会は人間が作った組織体という側面をもつが、本質はキリストによって始められた「神の国」の完成に向かう働きを継承していくことである。教会が行っている和解の働き、祈り、一致の働き、派遣という働きのために教会に委ねられた権威、力(エクスーシア)の根源は、三位一体の秘義にある。エクスーシアとは、世俗の王権のような支配力ではなく、イエスの働きに見られるように、解き放す力を意味する。
3.教会の生命活動である秘跡は、常に三位一体の秘義と結ばれている。ミサの構造と内実そのものがそれを示している。「父なる神よ。…聖霊の交わりの中で、あなたと共に世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主キリストによって」という祈願文に表現されるように、御父に向かって、キリストの御名によって、聖霊の働きの中で捧げられるのである。典礼と共に生きるキリスト者の人生は、日々の祈りや、生活の節々で体験していく秘跡でこの三位一体の秘義を「父と子と聖霊の御名によって」とくり返し、これを表明しながら生きていくのである。
4.人間の世に遣わされている教会は、三位一体の経綸のしるしを担っている。即ち、神の国の秘義の成長に関わるのである。教会共同体もそれを構成する個々の信徒も、み言葉と秘跡を生命として、アイデンティティーのよりどころとしながら、世界、歴史、社会、現実生活に派遣され、生きていくのである。以上のような論旨で講演し、まとめとして「教会憲章」の第一章「教会の秘義について」の内容を紹介した。
シリーズの最終回は3月20日、星野正道神父を講師として「三位一体と信仰生活」をテーマに行われた。まず前2回の研修内容から、三一論的神理解の再確認をした後、今回のテーマの信仰生活とは、三位一体の神理解にとどまらず、「父なる神が、御子キリストを愛しておられる同じ愛で霊において、我々一人ひとりを愛してくださっていること」を知り、このイエスの神体験(御父との交わり)を、私たちも体験的に生きることであるとし、次の3点をあげて解説した。
1.出エジプトの民の神体験とイエスの神体験。出エジプト記3章はホレブの山でモーセに臨んだヤーウェの声、神の自己啓示を記している。「わたしはある。わたしはあるという者だ」「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそわたしがあなたを遣わすしるし」と。その神が「わたしの民の苦しみをつぶさに見、叫びを聞き、痛みを知った。それゆえわたしは降って行き、救い出し…」と、神が自分から近づいて行かれたことを記している。ルカ章も、同じ神の姿を描いている。「そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ…自分のろばに乗せ…介抱した。」そして、「誰がその人の近くにいた(隣人になった)のか」という問いと、「あなたも同じようにしなさい」という行動、生き方への促しが語られている。聖書が教える神体験とは、神と同じことを、すなわち「見る」「近づく」「関わりをもつ(リスクを負う、十字架を担う)」ことを体験することである。
2.父、子、聖霊とキリスト者の祈り。ヨハネ章でイエスは「私を見た者は、父を見たのである」と、弟子たちがイエスと同じ神体験をしていることを示し、章では最後の晩さんでの別れの説教と父への祈りの中で、父との深い交わり(相互内在)を表現している。このイエスの祈りに入れていただくのである。
3.共同体の一致へと導く信仰生活。ヘンリー・ナウエンの「自己依存から相互依存へ」という言葉を引用しながら、「私たちには自己の弱さをさらけ出し、受け入れてもらう真の共同体が必要である。共同体の中でも傷つくが、それは共同体に根をおろし交わりに生きている証拠である。通りすがりの人は傷つかない。愛するということは、弱く感じやすく、傷つきやすくなることである。そしてゆるし合うことが相互依存の入口である。私たちの信仰生活とは、イエスのように、共同体的な交わりの中に生きることである」と話した。
シリーズ 揺れる司祭像(7)司祭の仕事-聴くことの大切さ- レオ・シューマカ神父(豊島教会主任司祭)
司祭としての働きのなかで最も司祭らしさを感じるのは告解を聴く時です。もちろんミサを捧げる時は司祭として特別の恵みを感じますが、毎朝ミサを捧げると慣れっこになる傾向があります。その点からすれば、告解は決して慣れっこになることはなく、毎回新鮮でしかも司祭としての特別さを感じるのです。ある信者さんに「人の罪を聴くのはうっとうしくはありませんか」と聞かれたことがあります。確かに人の罪ばかり聴くとすればうっとうしくなるかも知れません。しかしそうではないのです。なぜなら、告解の時は、その方の罪だけを告白するのではなく、信仰も同時に告白してくださるのです。つまり、信仰がなければ告解に来られないのです。ですから、告解を聴くことは、その方の信仰を聴くことになり、ゆるしを与える時、司祭としては最も聖なる瞬間を迎えることになります。
告解の秘跡の重要な点は、聴くということです。聴くということは司祭職の大きな部分を占めます。例えば、入門講座は教えるだけではなく聴く時でもあります。求道者が教会に来るのは、すでに、神からの呼びかけを聴いたからです。そして、入門講座の中で気をつけなければならないのは、絶えず、神の声を聴こうとする態度です。イエス様は「父よ」と呼びかけて神からの声を聴くように勧められました。聴くことは、教理を教えたり、説教をしたりするのと同じくらい難しく、技術もみがかなければなりません。
日本に着いてから日本語を勉強した外国人として、聴く技術をみがくための時間はたっぷりかけました。人が言ったことがはっきりわからない時は別の手段で理解しようとします。例えば声のトーンか顔の表情でその人の気持ちが伝わってきます。同じ言葉でもいろいろな意味があります。ですから、聴くことは、単に単語の意味を理解することだけではなくて、心にあることを汲み取ることなのです。
神様は司祭職を通して特別の恵みを与えてくださっていると思います。それは、信徒の霊的生活に何らかの形で貢献するようにと配慮されたものです。そしてその恵みは神の呼びかけに心を開いて聴くことによって受け止められるものです。深いところで受け止めれば受け止めるほど、それだけ信徒への関わりを深めることができると思っています。
ナイス(福音宣教推進全国会議)の大きな課題は『開かれた教会』作りでした。今わたしたちが作っていかなければならないのは、開かれた耳を持つ共同体だと思います。そして、それは司祭から始めなければならないと思います。
教会・修道院巡り(67)『 イエズス孝女会 』
東京教区内では杉並区阿佐ヶ谷の管区本部に「清恵寮」という女子学生寮を併設するイエズス孝女会は、1871年スペインにおいて、福者イエズスのカンディダ・マリア(写真)によって創立された宣教修道女会です。
今から1世紀半前、社会ではまだ女子教育には関心が注がれていませんでした。自らも、生れ故郷であるバスク地方の言葉しか学んでいなかった創立者が、スペイン語の習得から始めた教育を使徒事業とする修道会を創立するということは、今日の私たちには想像もできない困難な道程でした。
しかし彼女の召命を信じたイエズス会司祭エランス神父の懇切な指導のもとに、その絶対的な神への信仰、愛、信頼、そして豊かな人間愛によって、約3年間に及ぶ準備期間を経て、6人の同士を得て、スペイン、サラマンカにこの「小さきむれ」は誕生しました。
社会のより弱い存在を優先し、教会の中にあって、特に女子教育を中心に、創立者存命中には、はじめてのスペイン以外への派遣としてブラジルに六名の宣教師が出発してから、今日ではアルゼンチン、ベネズエラ、ドミニカ共和国、コロンビア、ボリビア、中国、フィリピン、台湾、日本と「神の望まれる」とおりにみ言葉をのべ伝えるために会員を派遣しています。現在、全会員は約1300名、総本部はローマにあります。そして現総会長は前の日本管区長であったシスター・ピラール・マルティネスが務めています。
日本には、1951年、まだ戦後の混乱の続く中、2人の会員が派遣され、多くの困難をのりこえて神奈川県葉山町に最初の修道院を開設しました。その後1954年、同所にあけの星幼稚園を、1956年に島根県松江市に松徳女学院中学校、高等学校、幼稚園を、1971年東京に学生寮を開設し、さらに1979年福島県白河市に、1980年山口市に会員を派遣して学校、幼稚園、教会の司牧活動に従事しています。
今私ども30名の準管区会員は、現代社会のなかにあって創立者の精神にならい、聖イグナチオの霊性に基づく奉献生活を、老いも若きもそれぞれの立場で深く大切に生きながら忙しく働いております。
(シスター・川越)
わが輩はペトロである VI 本当の友だちはいるの?
寒いせいか、近頃めったに庭に出てくることのないO神父が、珍しく庭に出てきて「今日は寒いな。ペトロ元気か」と私に話しかけてきた。私が寒さでかなり弱っていると思ったのか、「元気がないな。部屋に入れてやるか」と言って、食堂の窓ガラスを開けてくれた。今まで私を部屋に入れようとしなかったO神父の突然の言葉に、私はとまどったが、あまりに寒かったので、彼について行くことにした。
部屋は暖房がきいていて大変ありがたいのだが、O神父の潔癖さと小言を考えると居心地が悪い。「ソファーの上はだめだぞ。ノミが移るからな。下にいろ。おしっこの時はちゃんと知らせるんだぞ」といちいちうるさい。一日彼と過ごしたらノイローゼになるかもしれない。O神父が「小言幸兵衛」のようにブツブツ言っているところに、玄関のブザーがなった。しばらくすると、O神父は60歳前後の男を伴って部屋に入ってきた。「少しお話を聞いて欲しいのですが」と男は言った。その日は寒さがひときわ厳しく、芯から冷え切っていたのか、彼の身体はかたかたと震えている。化繊と思われるセーターの上に薄手のジャンパー、それに薄手の作業ズボン姿では、震えるのは無理がない。
2年前に失業して以来、野宿生活をしていると彼は言った。「今年の冬は寒さが厳しいので、野宿は本当に辛いですよ。夜は一晩中歩くんです。凍死しちゃいますからね。昼は天気が良ければ公園のベンチで寝るか、図書館や公共の施設で寝ているんです。嫌がられますけれどね。それしか方法がないんです。職を探しても住所不定だと、なかなか仕事が見つからないし、福祉を貰うには、条件が揃っていないんですよ。ここに来たのは、仕事を紹介してくれるかもしれないと思いまして…」と訪ねてきた理由を言った。
彼があまりに寒そうにしているのを気の毒に思ったのか、O神父は、厚手の下着、セーター、ジャンパーやズボンなどを揃え彼に渡した。すると彼は言葉を詰まらせ、大粒の涙をポロポロとこぼした。単純なO神父も涙ぐんでいる。「誰も友だちがいないんです。神父さんを友だちと思って良いですか」と言う彼に「いいですよ」と答えながら、O神父は目を白黒させた。学校を卒業し、一生懸命働き、家庭をつくり、一見安定していると思っていた生活が、突如崩れた時、人間には、心から相談にのってくれる友がいるのだろうか。私たち猫と違って人間は打たれ弱いように思う。
私はこの教会の庭で生活しているので、世間のことはあまり知らないが、長い年月この教会に出入りしている人たちを見て思うのだが、人間は孤独で、飢え渇きに喘いでいるように思えてならない。気まぐれなO神父は、2時間もすると私のおしっこのことが気になったのか「もういいだろう。帰れ」と言って、私を外の寒さの中に追い出した。私はO神父に言いたい。「これは決してひとごとではないんですよ。O神父はたくさんの友だちがいると思っているらしいけど、いざという時、本当に友だちがいるんですか」と。
カトリック映画賞受賞作 ユ キ エ
アルツハイマー症を患う日本人妻ユキエが、家を抜け出して徘徊する。アメリカ人の夫リチャードは一晩中捜し続け、ついに見つけ出して抱きしめる。まるで、長い隠れん坊の末ようやく見つけてもらった子どものような、ユキエのうれしそうな顔。朝もやの中、愛する夫に身をゆだねて安心しきったその姿は、この世で天国を見いだして安堵する天使のようでもある。
カトリック映画視聴覚協議会が、今年度の日本カトリック映画賞にこの「ユキエ」を選出したのは、この映画が、無条件の愛が生む永遠のパートナーシップを美しく描出しているところが、優れて福音的だという点にある。アルツハイマー症が他の病気と決定的に違うのは、それが本人の記憶を失わせるという点だ。記憶というその人のアイデンティティーの根幹を失ってなお、その人がその人であるとはどういうことか。そのような状況にあってなお、老いた2人がパートナーであり続けることは可能なのか。この映画はそれらの問いに、どのような条件下にあっても2人の物語を守り続け、語り続けることができるし、それこそがパートナーの真の意味だという答を出している。
リチャードは息子にいう。「妻と私には、2人だけしか知らない40年にわたるかけがえのない物語がある。片方がその記憶を失ったら、もはや私しかその物語を知らないのだ。」ユキエに対する彼の懸命な介護は、もちろんパートナーへの愛情ゆえだが、それは言い換えるならば、2人の物語への献身なのである。人は物語がなければ生きていけないし、宗教的に言うならば、人は愛の物語を生み出すために生かされている。たとえ片方が記憶をなくそうとも、2人の出会いと歴史を永遠なる世界へと高めるために、パートナーは互いに身を削りあうよう招かれているのである。そんな2人を見つめる映画自身のまなざしの何と慈愛に満ちていることか。たとえあなたたちが忘れても、私は決して忘れないと言うかのような、映画の信念と誇りが、すべてのカットを支えている。それはもしかすると、この世を見つめる神のまなざしに近いのかもしれない。
このような映画は、なまはんかな経験と情熱から生まれるものではない。プロデューサーのみならず監督も務めた松井久子監督が、その人生においてどれほど苦しみをくぐり抜け、それゆえにどれほど人生を愛しているか。ルイジアナ州の神々しい大地の映像が、はからずもそんな作り手の豊饒を物語っているようにも見えた。
(カトリック映画視聴覚協議会・晴佐久昌英神父)
編集部から
先月号でもお知らせしましたが、担当者の交代に伴う作業日程の調整のため、今月号のVIVIDはお休みです。次号のご案内は左の囲みをごらん下さい。原稿の締切り日時、送り先をくれぐれもお間違いのないようにご注意下さい。また、発行日には終了してしまう情報は掲載されませんので、この点もご留意下さい。
(A)
お詫びと訂正
161号2面
東京教区 司祭人事異動
(誤)矢澤律師 (正)谷澤律師
お詫びして訂正いたします。