東京教区ニュース第139号

1997年01月01日

小教区共同体における典礼に関する司牧指針

東京大司教区の信徒、修道者の皆さまへ

1、 待降節を迎え、 全世界の教会は、 主のご降誕の神秘に向かう歩みを始めました。 皆さま方も、 全世界の教会と心を合わせ、 人類に愛と希望を与えたキリストの誕生の神秘を迎えるにふさわしい準備をしてくださることを願います。 

キリストの誕生は、 いうまでもなく、 私たちにゆるしと和解、 平和と一致の恵みを与えるものです。 キリストの誕生を迎えるにあたって、 いくつかの小教区共同体で、 平和ではなくいさかい、 一致ではなく分裂の機会ともなってしまった典礼のあり方について、 皆さま方に注意を促したいと思い、 この手紙をまとめました。 

2、 私は、 この手紙をもって、 第2バチカン公会議が道を開き、 日本でも第1回福音宣教推進全国会議の提言にみられるような、 典礼の土着化、 生き生きとした典礼の創造への試みやそのための神学者や現場の司祭・信徒・修道者たちの努力を否定するつもりではありません。 

むしろ、 それは、 今後も怠ることなく、 責任をもって、 続けていかなければならない、 現代の日本の教会の重要な課題であるという確信をもっております。 

また、 それを推進していくことは、 専門家だけではなく、 日本の教会を構成するすべての信者の責任とも考えております。 

3、 皆さまご存じのように、 第2バチカン公会議は、 典礼を大きく刷新いたしました。 ラテン語からそれぞれの母国語へ、 壁面から対面祭壇への転換などなど、 実に大きな変化であったと思います。 

それに適応していくことは、 それまでの典礼に慣れ親しんできた人々には大きな負担であったことも事実であります。 

しかし、 公会議が終わってから20数年が経ち、 新しくされた典礼は、 多くの人々の努力によって、 日本の教会に定着してまいりました。 

私は、 それで十分であるというつもりはありません。 

福音宣教推進全国会議が求めた生き生きとした典礼の実現、 現代人、 特に青少年たちに魅力ある典礼の実現のための努力を続けていかなければならないことを承知しつつ、 信徒、 司祭、 修道者の皆さまには、 新たな典礼の試みを小教区の共同体に導入するときには、 以下に指摘するような、 配慮をお願いいたします。 

4、 まず、 今の感謝の祭儀の典礼でも、 司式者の自由な裁量に委ねられている部分があることを、 皆さまにあらためて喚起したいと思います。 

集会の時、 場所、 目的、 参列する人々の層などに合わせた、 ふさわしい表現を工夫することがゆるされております。 ともすると形式的になりがちな典礼を避けるためにも、 ゆるされる範囲内での司式司祭の一層の努力をお願いいたします。 

5、 内容にもよりますが、 一般に行われている感謝の祭儀の式次第と大きく異なる試みを行うときには、 主日の主な時間帯で行わないようにしてください。 

任意に信者が参加できるような主日の午後の時間帯やその他の日・時間等に行うよう配慮を願います。 また、 事情により、 主日のメインの感謝の祭儀の時間帯で行うときには、 私の認可を求めてください。 

6、 また、 司式者の自由な裁量の枠を越えた典礼を試みようとするときには、 その試みの内容とその理由等を含めて、 書面をもって、 教区長である私の認可を願ってください。 

内容によって、 司祭評議会に、 あるいは典礼委員会に、 諮った上で、 私が最終的な判断をくだし、 認可を与える場合には、 私の責任において許可したいと思います。 

またすでにそのような試みが、 小教区共同体に導入されているところでは、 改めて、 私の方に連絡し、 認可を求めてくださるようお願いいたします。 

7、 また典礼のあり方に対するいくつかの小教区共同体のトラブルを見るとき、 これからは、 司祭たちのコミュニケーションと相互理解を図っていく必要があると痛感しております。 

小教区の司祭の人事異動によって、 典礼のあり方に対する司祭の考え方・やり方が異なることによって、 これまで、 司祭たちの間に誤解が生じてしまったこともありました。 また、 受動的な立場にある信徒たちが、 戸惑い、 混乱し、 それをどこに訴えてよいか分からず途方にくれていたケースもありました。 また、 典礼に対する司祭たちの指導をめぐって、 小教区の信徒たちと司祭の間、 あるいは信徒たちの間に対立が生じてしまうこともありました。 

こうした不幸を避けるためにも、 典礼に関して、 司祭同士の対話と相互理解を深めていくことが必要であると痛感しております。 司祭評議会とも諮り、 具体的な方法を考えたいと思います。 

また、 教区民のすべての方々が、 これまで以上に、 典礼についての研修・勉強を深めていくことができるよう、 早急に具体的な方法も考えていきたいと思います。 

8、 典礼の中心にあるものは、 キリストの十字架と復活です。 それはゆるしと和解を実現した救いの神秘です。 これを考えるとき、 典礼のあり方をめぐっての小教区共同体のメンバー間の誤解、 対立、 分裂は、 愚かなことです。 典礼のあり方をめぐって、 互いに裁くことのないようにお願いいたします。 

小教区共同体は、 実に、 考え方・感じ方の異なるさまざまな世代の人々によって構成されております。 昔の典礼や聖歌に身も心も慣れ親しんできた人々もおれば、 新しい典礼聖歌しか知らない人々もおります。 古いカトリック聖歌を歌いたいと思う人もいれば、 それは典礼にあわないという人もおります。 

しかし、 そのために、 裁かないようにしてください。 互いに受容し合ってください。 小教区共同体の中には、 パウロがローマの教会の手紙において記しているように、 信仰の強い人もおれば、 弱い人もおります。 

「信仰の弱い人を受け入れなさい。 その考えを批判してはなりません。 何を食べてもよいと信じている人もいますが、 弱い人は野菜だけを食べているのです。 食べる人は、 食べない人を軽蔑してはならないし、 また、 食べない人は、 食べる人を裁いてはなりません。 (中略) 

したがって、 もう裁き合わないようにしよう。 むしろ、 つまずきとなるものや妨げとなるものを兄弟の前に置かないように、 決心しなさい。 (中略) 

あなたの食べ物について兄弟が心を傷めるならば、 あなたはもはや愛にしたがって歩んではいません。 食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。」 (ローマ14章1~15) 

私は、 典礼のことで、 小教区共同体の兄弟姉妹の心を傷つけ合うことのないよう、 どんなに思い・理想が異なっても互いに受け入れ合うよう、 皆様方の愛の目覚めを改めてお願いいたします。 

むすび

わたしたちの間にまもなくおいでになる、 幼子イエス・キリストの柔和が、 小教区共同体を照らし、 それを生かす光、 力になりますように。 

1996年12月2日

東京大司教区教区長 枢機卿 白柳誠一

司祭評議会に発足した
高齢司祭小委員会について(3)

ある教区の試み

司祭の高齢化は、 どの教区にとっても共通の現象であり小手先で何とかできる問題でなくなってきていることは確かである。 

それぞれの教区で、 ここ1、 2年の内に具体的にきちんとした方針を立て、 形に表していかなくてはならないという段階に来ているのが実情だろう。 つまり、 高齢のために教会の責任ある立場から離れざるを得ない司祭のために、 安住できるところを用意しなければならない。 

歴史の長い修道会や宣教会はそれぞれに高齢に達した司祭・修道者の安息の場を設けている。 しかし、 歴史の浅い日本の教会は、 本格的に高齢司祭で悩んだことがない。 最近になってやっと事の重大さを感じさせられてきたといっても過言ではない。 

ある教区がいち早く高齢司祭の事に取り組んで、 具体的な案を司祭たちに示したことがある。 

教区本部から数10キロ離れた土地にちょうどいい場所があるというので、 そこに建物を建て、 いわば司祭・修道者の老人ホームにする計画を立て、 入居者を募った。 

計画として申し分のないもので、 続々と希望者が出るもの思ったが、 意外にも希望者がとても少ないことがわかりその計画は見直さざるを得なかった。 理由は簡単である。 そこが余りにも遠かったからである。 いくら環境がいいといっても、 人里離れたところで高齢司祭ばかり何人も寄せ集められたようにして暮らすという事を考えただけで 「いやだ、 行きたくない」 という気持ちになるのは当たり前である。 これは決してわがままではない。 司祭としての当然の感情である。 

高齢司祭だからこそ

つい最近まで高齢者をやっかい者と同義語扱いする傾向があった。 老人ホームといえば 「何名収容」 という表現が使われていたくらいである。 

しかし、 この数年、 そういう感じが変わってきている。 いわゆる 『共生』 の観点である。 高齢者は高齢者だけでいると共倒れになりかねないが若い人達と組むと思わぬ力を発揮する場合が少なくない。 やっかい者どころか無限の宝庫となる訳である。 司祭の場合、 高齢であるだけ、 長い人生の中で培われた深い人間理解が大きな説得力を与えることは当然である。 まさに、 高齢司祭だからこそできる妙技というしかないだろう。 

司祭にも個人差はあるが、 年だからといって人里離れたところにこもってしまうより信徒のそばで小さなことででもお役にたっていたいとおもうのが大半の司祭の思いだ。 

これから、 毎年、 75歳に達する司祭が次々と出てくる。 司教様は、 そういう司祭に心を砕いておられ、 そのためにこの小委員会も設けられた。 いずれは、 教区本部からさほど遠くないところに高齢司祭のための安息の場が設けられるかもしれない。 また、 これから建て直される教会の建物は高齢司祭に配慮されたものになって行くに違いない。 それはあくまで高齢司祭の意見が十分に聞き入れられたものでなければならないし、 いずれ高齢を迎える若い司祭達の協力も不可欠である。 

(西川哲弥神父) 

ずーむあっぷ
朗読録音奉仕で表彰された
狩野郷子さん

目の不自由な人のために朗読録音奉仕を始めて20余年になる狩野郷子さん (70歳) は、 このたび社会福祉法人日本盲人福祉委員会、 鉄道弘済会から9人の朗読奉仕者とともに表彰された。 また豊島区長より教育功労賞が授与された。 

朗読奉仕のきっかけは、 所属する豊島教会の司祭の 『狩野さん、 子どもは大きくなると飛んでいく。 子離れの準備はできていますか』 という言葉だった。 その意味に驚き、 「どうしよう」 と真剣に考えた。 しばらくして、 ジュニア・レジオに属していた中学生の息子さん2人が連れて来た学者で中途失明の方の 「専門書が欲しい」 という話しを聞いて、 「これだわ」 と思った。 

朝日カルチャーセンターで朗読の基礎を学び、 豊島区立中央図書館光文庫 (都内唯一の点字図書館) で視覚障害者のための録音テープづくりを始めた。 それ以来96年3月まで朗読会の会長をつとめた。 

現在、 盲人の方たちの仕事は多様化してきている。 目前で専門書を読みながら同時にテープに吹き込むという 「対面朗読」 が広がってきており、 うかうかしておられない。 

ジャンルによって読み方も違う。 そのため、 今でも月2回の勉強会は欠かせない。 

「私に 『与えられた仕事』 と思ってやっていると苦しみも乗り越えられ、 喜びに変わるんです。 それに今まで続けられたのは家族の理解があったからです」 

「朗読を聞いてくれる人の喜び、 力になったらと思ってやってきた」 という狩野さんのやさしく明るい声は、 ゆっくりと光となって聞く人の心に届く。 

現在、 国立国会図書館、 豊島区立中央図書館でボランティアをするかたわら、 グループ 「すみれ会」 の朗読指導もしている。 さらにこのグループは老人ホームへ朗読奉仕に行っており、 狩野さんの朗読奉仕は人々の中に広がっていく。

秋川荘での子供落下事故
同窓の改修工事終る

夏には特に子供たちでにぎわうカトリック秋川荘で、今夏8月10日、小学校3年生の男の子が、貫道館といわれる建物から落下するという事故が起きました。室内側には窓の下に物入れの段が付いており、その上に上って遊んでいたときに、網戸に寄りかかり、古くなっていた網戸が破れて落ちたのです。たまたま直径20センチ四方の土の上に落ちたため、救急車で運ばれましたが、1週間ほどで痛みもとれ、今は元気です。

しかし、ご両親も私も現場を見て「ぞっとした、もしかしたら死んでいたかもしれない」と感じていたほど、その場所にその男の子が落ちたことは奇跡的なことでした。落ちたすぐ脇にはコンクリート製の水道栓の柱があり、また10センチ横はさらに低くなっていて、下はシャワーを浴びるためのコンクリートのたたきになっていたからです。

その子が落ちた窓から下までは7メートル50センチもあり、もし斜めに落ちずにまっすぐ落ちてコンクリートにたたきつけられていたら重大な事故となるところでした。

数日後、窓枠の横にかなり前に張られた「網戸を開けるな、危ない」という注意書きがあるのを発見しました。これは、今回のような危険な事態が過去にもあったことを意味するものでした。

すぐに凡ての危険な網戸にサンを入れ、応急処置をとり、9月にはいって施設全体の総点検を行い、その子の所属していた協会のリーダーとの話し合いもして、業者と打ち合わせ、総額200万円(秋川荘の貯蓄の9割)をかけて11月4日までに、改修工事が終りました。1回以外のすべての窓には手すり、川に下りる階段の新設、ベランダの床板等々、細かなところも含めると70ヶ所に上る修繕と改修でした。

秋川荘は、公式には「カトリック秋川荘、東京大司教区研修所」となっていますが、実際には子供たちの利用が年間を通して最も多いところです。安全であるべき施設が命取りになるような施設となっていたことを、管理責任者として、利用者と教区の皆さんに申し訳なく思っています。お詫び致します。

そこで、今回の事故で浮かび上がってきた問題点を私なりにまとめてみましたので、教区ニュースの場を借りて、以下の事柄について報告したいと思います。今後もよろしくご配慮とご協力をお願いいたします。

☆ ☆

1、「老朽化」というのは網戸が古くなっていることだけを意味しません。もともと現在の秋川荘は、伊藤博文のお孫さんの所有だった家を教区が買い上げたもので、最も古い部分は、建てられてから70年余り経過してます。ほぼ全体的に老朽化していて、事故につながる危険があります。

私も定期的な点検を行いますが、利用者のアンケートがありますので、気が付いたところをお知らせください。また、特に子供の利用にあたっては引率者の充分な配慮をお願いします。教区側としても1年後には施設の存続について結論を出す予定でいます。

2、それでも、東京で唯一のキレイで豊富な水量を誇る風光明媚な施設としての価値があることは、利用者の皆さんが認めてくれていることです。各棟に使用規定と管理規定などの情報がまとめてありますので、それに従って自分たちの施設と思って大切に使用してください。

現在は専属の管理人がいません。司祭が皆さんのチェックインとアウトに合わせて働くことは不可能です。多くの場合は自分で鍵を開け、自分で閉めていく形態をとっています。建物の管理、部品の補充等はこちらでしますが、ゴミ処理や後片付け、使用した布団の整理等は利用者が行います。

3、消防法上、一泊1000円を超える宿泊料は取れません。電気、水道、ガス、ゴミ袋など無駄のない使用をおねがいします。秋川荘の残金は数10万円しかありません。薪、シーツ、冬季の暖房と費はきちんとはらってください。経済上の理由から閉鎖が余儀なくされます。

4、子供たちを引率してキャンプなどを行うときは、前もってスケジュール表を郵送してください。行事の中に留意すべき点がないかどうか知りたいのです。また、リーダイーなどの引率者は、施設の形態を子供の動きに充分な考察と事前の話し合いをお願いします。

5、主な改修及び設置箇所は、以下の通りです。

別館とテストビード館の間のフェンス、1階以上のすべての窓の手すり、貫道館とベランダ格子、焼却炉や風呂煙突カバー、落下受けネット、洋式便座、車止め、河原昇降階段、非常脱出スロープなど。

尚、今年4月の5日市教会の閉鎖を機に、各建物の名所が変更になりました。明治時代の先駆的な先輩神父たちの名前を用いました。貫道館(カンドウ館)は変わりません。メーラン館(旧司祭館)、テストビート館(旧別館)、別館(旧離れ)。「カトリック秋川(秋川)荘」です。管理責任者は、あきる野教会の主任司祭が兼任しています。

(秋川荘管理責任者・坂倉圭二)

「聖書と差別」シンポジウム
初台教会に30人が参加

東京教区主催の 「聖書と差別」 シンポジウムが11月4日、 カトリック初台教会で開かれた。 参加者230人は、 新谷のり子さんと一緒に 「竹田の守り子唱」 他を歌った後、 3名の講師によるメッセージを聞いた。 質疑応答の後に明治前期関東の部落開放運動の先駆者、 山上卓樹 (カトリック伝道士) とその妹の山上カク (修道女) の遺徳をしのぶスライドの上映があった。 

これは、 『同一の人格神に依拠するユダヤ教・キリスト教・イスラム教の豊かな光と共に。 従来の差別に満ちた 「教会史観」 と 「福音解釈」 の払拭ふっしょくと、 2000年を迎えようとする教会と私たち自身の頭脳と心の整理の場としてのシンポジウム』 (東京教区部落問題委員会) で、 参加者は講師の話を熱心に聞き入っていた。 (要旨報告) 

木田献一氏 (元立教大学教授/旧約学)は旧約聖書の箇所を示しながら 「差別と書いていなくてもいろんな差別がある」 と説明した。 

被差別者の主張を謙虚に聞く姿勢を持つよう促され、 「聖書の中の用語で差別用語とされるものについては変えるべきと思っている。 かつて差別があった言葉は使うべきではない」 「ただ言葉を変えるだけで、 態度を変えようとしないなら偽善的。 差別は用語を変えるぐらいでは克服できない深いものである」 と、 また、 「イエスの周りには解放されて自由空間が生まれた。 教会にも一息つける場所が必要ではないか」 と語った。 

湯川武氏 (慶応大学教授/イスラム史)はイスラムの平等思想を強調した。 

「血縁を超えて同胞意識が強い。 世界中のムスリムが礼拝を通して連帯感を持つ。 信仰を共通のきずなとして世界中に共同体があると信じている。 それは平等という理念の上でゆきわたっている」 

現代ムスリム社会における差別問題として、 女性差別は一部の国や地域に見られる。 民族差別は他より比較的少ない。 

宗教差別は残っていて現代はきびしい。 

日本においては、 「3Kの仕事を押しつけられるなどムスリムの労働者に対する差別がある」 と語った。 

森一弘司教 (東京教区)は、現代も、 部落出身者であるということで、 婚約を破棄されるという悲しい事実が後を絶たないこと、 しかも、 婚約を破棄する側が、 部落問題を頭の上では理解しているはずの教育者であったり、 部落差別解消のための活動家であったりということもあるという事実をとりあげながら、 偏見と差別は、 人間の深い深層に根ざしているものであると指摘し、 差別は、 人間を創造された神の意図に背くものであると、 創世記2章の物語をとり上げ、 キリストの生涯は、 その差別の根絶のためであったと話した。 

「神は 『ふさわしい助け手』 として造られた。 人間として面と面と向かい合って、 互いに助け合い、 支え合っていくよう創造したが、 罪が入って、 その関わりは、 力の関係に変わり、 人が人を支配し、 差別する構造ができ上がってしまった。 

さらにユダヤ社会では、 硬直化した信条・教義が差別を強化することに加担し、 罪人やユダヤ人以外の人々が、 差別されることになってしまった。 

キリストの生涯の物語を読んでいくと、 キリストが、 ユダヤ社会に深く支配していた差別を根絶し、 人と人とが、 人間として向かい合うことのできる社会の確立を目指すものであったことが分かる。 また、 差別の根絶のためには、 十字架をも辞さないほどのエネルギーと覚悟が必要である」 と話した。 

星美ホーム一筋48年
勲七等宝冠賞を受けたSr.石垣ちかさん

11月3日発表された今年度の叙勲者の中に,看護施設星美ホームの指導員として長年働き続けた

Sr.石垣ちかさんがいる。皇居拝謁を終えて間もない13日の午後、ホームに訪ね、感想を伺った。

尚、石垣さんは、1989年都知事表彰、92年厚生大臣表彰も受けている。

受洗したのは、1947年、翌年から現在の職場に働いている。病気のため別府で3年、静岡で1年療養した期間を除いて、東京の地を離れたことはないそうで、その約半分は星美学園小学校に勤務している。

「シスターとしての、召命は、神様の恵みにはいうまでもないことですが、現実的な動機は終戦直後、戦災孤児、外地からの引揚者や栄養失調の子供たちを、イタリア人のシスターが言った大豆で飢えをしのぎながら、腕まくりをして世話をしているのを見て、私がしなければ・・・と思ったんですよ。」」と語る。また、恥ずかしそうな表情で「48年も続けられたのは、負けず嫌い、強情っぱりだったからせしょうね。」

社会銃声の変動を共に、色々な事情で家庭での養育を受けられない子供たちが多くなり、一時は母子家庭、父子家庭が多くなったように思える。

現在、ホームには3~18歳までの180人が在園している。1960年ごろまで男の子は小学校4年になると、小平のサレジオ学園に措置変更していたが、現在は男の子も在園している。

Sr.石垣さんは現在、高校1年生7人を担当し、彼女らと寝食を共にしている。

「中3までは義務教育ですからいいのですが、高1が一番大変な時期のように思えます。高2の子供たちは落ち着いて見えます。遠くの高校に行っている子供がおりますので、全員が帰園するとほっとします。と話す顔は、母親そのもの。

「高校生たちは茶髪をしています。私たち年寄りだからといっても、子供の心の叫びをキャッチするためには、一概に茶髪はいけないということなしに、目線を下げ、物の見方を変え、子供たちの話題を受け止めていかなければならないのです。

子供たちは後ろ盾のない寂しさ、親にすぐぶつけられない寂しさを私たちにぶつけるのです。

どんなひどい言葉をいわれても、そのときはどきっとしますが、こどもたちはかわいい」とニコニコして語る。

土曜、日曜日には、クラスごとに一般の家庭のように料理をして一緒に食べる。「私たちは料理が下手なので子供たちに頼りっぱなし」と笑う。

「長い間には、つらいこと、哀しいことがありましたが、同窓会などで、”親になってシスターの言ったことが分かった”とか、”この子は絶対に手放さない”というのを聞くと、ああ、この務めをやっていて良かったなと思いますね。

「皆に支えられて、祈りの連帯で私の”今日”が迎えられたんだをおもいます。」と謙虚に語るシスターの笑顔が印象的だった。

CTIC(東京国際センター)

我々が海外旅行に行って心配なのは病気・ケガである。 言葉の問題、 病院の場所、 使用する薬の種類・保健制度等など。 現在日本に定住・滞在している外国籍住人は約160万人、 彼ら・彼女らも、 同じ問題を抱えている。 

「病院に行きたいが何処にあるかわからない」、 「言葉が通じない」、 「何の薬をもらったのかわからない」、 「健康保険が無い」 など。 

「健康保険が無い」 という問題は深刻だ。 国民健康保険の場合、 在留許可 (ビザ) が1年以上ないと加入できない。 健康保険無しでは風邪で1万数千円。 手術でもしようものなら数100万円かかってしまう。 いわゆる自由診療扱いになってしまう。 

医療・出産の相談の殆どは高額な医療費の相談だ。 

複雑になる医療相談

こんな相談がシェア (国際保健協力市民の会、 東京・江戸川区) を通して相談があった。 「千葉でオーバスティ (超過滞在) のフィリピン人女性が妊娠中毒症で死亡したらしい」。 

早速、 千葉へシェアの仁科医師と出掛けた。 幸いに、 赤ちゃんは無事に帝王切開で生まれていた。 彼女の夫もオーバースティのフィリピン人。 出産したら3人でフィリピンへ帰国するのを楽しみにしていたという。 赤ちゃんと医療費の請求額約340万円を残されご主人はただただ呆然としていた。 教会の知人・友人のカンパで何とか89万円は集めたが、 その後の見通しが全くない状態であった。 

ケースを整理すると、

1、死亡した母親の火葬・本国への移送手続き、 費用。 

2、死亡した母親が入院していた病院への支払 (約170万円)。 

3、乳児の入院中の病院への支払 (約170万円)。 

4、乳児のこれからの養育。 

の4つの問題が考えられた。 

それぞれひとつひとつが、 大きな問題だ。 

千葉県で初の外国籍住民への養育医療適用

母子保健法第20条には 『医師が入院養育を必要と認めた 「未熟児」 「虚弱児」 の医療について公費負担する』 とある。 幸いにこの法律には適用に関して国籍条項はなく、 外国籍住人に対しては各都道府県、 政令指定都市で独自に判断し、 支給してきた。 

結果的には、 シェア、 港町診療所、 ハンド・イン・ハンド・ちば、 CTIC等が力を合わせて、 千葉県で初の 「在留資格のない外国籍住人への養育医療」 を適用して頂き、 乳児が入院していた病院の医療費を補助していた。 幼児も現在、 一時的に乳児院に預かって頂き、 すくすくと育っている。 

フィリピン人の夫は、 妻を失った悲しみをかかえながらも、 残された子供と帰国するのを楽しみに、 公的な補助のあてのない 「妻が入院していた病院の医療費、 約170万円」 の返済に奔走している。 

その他にも、 数100万円の医療費を抱え途方に暮れている外国籍の方々から相談がよせられているが有志の援助や病院の負債として処理しているのが現状だ。 

高額な医療費の支払は有志のカンパ・支援だけではお手上げになってきた。 

(有川憲治)

神学院ザビエル祭

11月23日、 練馬区関町の東京カトリック神学院で、 第20回神学院ザビエル祭 (ダビデ・ウリベ実行委員長) が開催された。 

今年のテーマは 「召命」。 開会のミサで幸田和生神父は、 「召命は希望です。 私たちが希望を持っているかが問われています。 

私たちが神とのつながりのなかで生き生きと生き、 この日本の社会の中に希望を指し示すものであれば、 司祭職に生涯をかけようとする若者が出てくると思います。 

希望の根拠は、 主の十字架と復活です。 復活への希望を新たにしよう」 と述べた。 

また、 寺西英夫神学院長は、 「今年で3年間”寺西の店”を出していますが、 今年初めて”神学校に入るにはどうすればよいか”という人が2人来ました。 来年はそういう人で行列ができてほしい」 と希望を語った。 

広い構内では、 バザー、 子ども企画(=写真)、 模擬店、 ぎんなん販売、 ステージ、 院内めぐり、 講演会 (後述) など盛りだくさんの企画が行われたが、 参加者のひとりが 「今年はテーマがあり、 皆がひとつになったと感じられる、 またやさしい感じのする神学院祭ですねえ」 という感想が当日の様子を物語っている。 

なお、 実行委員会では、 神学生、 モデラトール、 神学院長などが自身の召命を綴った 「召命物語」 という冊子も作成し実費で販売した。 

大阪教区鷹取教会

神田 裕神父講演

「大地震のその後の神戸と自身の召命」 

神田神父は、 トレードマークの手拭いを首に掛け、 「神戸の現状」、 「教会とは何だろう」 について語った後、 自身の召命について 「今の自分を支えてくれたのは多くの仲間、 町づくりは友だちづくり、 信仰宣言は町づくりだと思っています。 

神学校の6年間は私にとっては“いい意味の苦痛”の時でした。 

あのピカソはデッサンができているし、 ジャズピアノの人もバイエルを学びます。 

自分にとってのデッサンは神学校生活でした。 信仰者にとってのデッサンは聖書とミサに出ることだと思います。 

デッサンを伝えるだけでは授業です。 自分流の絵を描くことが福音宣教、 地域に根ざした絵を描くことが福音宣教だと思います。 

教会は来るところではなく出ていくところ、 教会でサロンを作っては外へ出ていけないのではないでしょうか」 と熱っぽく語った。 

東京教区一粒会主催
召命祈願のミサ

11月17日午後2時30分から、 東京カテドラル聖マリア大聖堂で東京教区一粒会主催・白柳誠一枢機卿主司式の第3回召命祈願のミサが捧げられた。 

白柳枢機卿は、 「アジアの諸国では召命が増えている、 日本でも召命が増えるよう神に祈ろう。 

司祭の道はやさしくない。 今年に入ってザイールの司教をはじめ多くの司祭、 修道者が命をかけて神に奉仕した。 私たちの中からこのような人が出て、 他の国に宣教できる人が出ることを祈ろう。 司祭職という神の恵みを通して、 世界中に神のあがないが与えられるように祈ろう」 と励ました。 

当日は、 東京教区の神学生5名をはじめ、 12の宣教会、 修道会の神学生37名が参加し、 宣教会・修道会等の紹介をおこなった。 

ミサ後センターホールで、 参加者たちは神学生、 枢機卿、 一粒会担当司祭、 東京カトリック神学院長、 宣教会・修道会司祭、 修道者などと親睦を深めた。 

立川教会国立集会所竣工記念式典

11月24日午後1時から、国立富士見台に完成した立川教会国立集会所竣工の記念式典が関係者の参列の下、白柳枢機卿、岩橋神父(立川教会主任)、伊藤神父(同助任)の司式で行われた。

白柳枢機卿は、「20年前からの瀬野師の取り計らいが今日実現しました。イエスのみこころを生かすような建物の使い方をしてほしいと思います。

この国立の場がお互いに与え合い、互いの愛し合う場になるように望みます。

生涯養成委員会一泊交流会

「日々の生活の中で祈る」開く・・・

森司教の指導で、53人が参加

東京教区生涯養成委員会主催の秋の一泊交流会が、 「日々の生活の中で祈る… 現代の詩編の誕生を願って」 をテーマに、 11月16日、 17日の両日、 多摩市の 「サンピア多摩」 で開かれた。 

交流会には、 東京教区をはじめ横浜、 浦和両教区の信徒も加わり計53人が参加し、 森司教の指導で、 旧約聖書の詩編をもとに、 現実の生活に根ざした祈りについて、 グループに分かれての分かち合い、 全体での分かち合い、 ミサを通して意識を深めた。 

交流会は森司教の講話で始まり、 まず詩編について、(1)「神が主体」 の聖書の中で生身の人間を主体としたユニークなもの。 それ故、 教会の祈りもこれを中心に展開されている。

(2)その核は 「嘆き」。 現実の生活の中で傷つきうめく 「人間の叫び」 と、 その延長上にある救いと 「感謝」 である、 と語られた。 

そして、 紀元前のイスラエルの人々が自分達の生活に根ざした祈りをまとめた、 この詩編の背景にある意味を考え、 私たち自身の生活に置き換えて祈ることで、 信仰生活を深めていくことができる、 と話され、 詩編の具体的な箇所を全員で味わいながら、 「実践」 の仕方を指導された。 

さらに、 こうした詩編の祈りを発展させる形で、 私たちの現実の生活に根ざした祈りの必要性を強調され、 教区で募集した 「家庭の祈り」 を例示し、 全員でその数編を味わった。 

このあと、 7グループに分かれて、 講話をもとにした分かち合いを行い、 翌日は、 全体の分かち合いと質疑応答、 森司教司式によるミサで締めくくった。 

教区委員会紹介 9
「靖国問題実行委員会」

1971年、教区大会代議委員会は「靖国神社法案反対」と可決した。その具体的な第一歩として、布教司牧協議会(当時)のなかに反対運動を推進する機関をおくことになり、73年、当委員会が発足した。はじめは法案成立の阻止を目的として、信教の自由や政教分離の原則を教会の内外に訴えた。宗教界が抗議運動で空前の結束を見せた。この種の活動で、その後も絶えず我々の先達となった日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会に加盟したのもこの頃だ。やや遅れをとったものの、司教団も公式に反対意見を表明した。

74年、法案が参議院で廃案となってからは、「靖国神社問題」は別の形で展開するようになった。首相・官僚らのいわゆる公式参拝、元号法安などである。さらに自衛隊の海外派兵や天皇の「代替わり」における大嘗祭の国家行事化は、天皇・軍隊・神社を三つ巴とする「ヤスクニ」そのものを露呈した。とうとうたる右への流れである。活動分野のいきおいも多岐にわたわざるを得ない。

津地鎮祭違憲訴訟、自衛官靖国神社合祀拒否訴訟、「従軍慰安婦」、外登法、「不法就労」、宗教法人法、破防法など根は皆同じ。請願署名、陳情、集会、デモ、断食、裁判傍聴、声明、討論、学習で25年近くなった。

敗戦から半世紀、各宗教団体は競って戦争責任告白の文書を出した。95年、司教団も「平和への決意」という教書を発表した。その走りになったのは、91年、第17回「正義と平和」全国集会の分科会に、当委員会が「教会の戦争責任」というのを設けたことである。次いで94年、「諸宗教対話と政教分離」をテーマに開かれた司教研修会には、委員が講師に招かれて、分科会の実績をもとに発題、研修会の総意として、戦後50年には、教会が戦争責任について何らかの宣言を出すよう司教総会にはかるまでにいたった。期せずして仕掛け役の一端をというところか。

教区には正義と平和委員会かあり、扱うことで重なるものも多い為、実践的行動では一緒にやるときもある。しかし正平委のもとに含まれてしまうわけではなく、あくまでも独立した委員会だ。翼賛危機政治の政策を個々に打つというより、それたの根底に横たわる「ヤスクニ」思想を恒に問うという点にこそ得意な性格がある。日本におけるカトリック教会の宣教の永遠の課題でもある。

憂いは構成員の老齢化である。現在9人いるがほとんどが70歳以上だ。後継に問題意識を持った若い世代が望まれる。

(担当司祭・青木静男)

「東京大司教区大聖年特別委員会」(仮称)が始まる

教皇ヨハネ・パウロⅡ世が、 2年前の1994年11月10日に使徒的書簡 「紀元2000年の到来」 を発表したことを皆さん覚えていますか。 

この中で、 現教皇は、 カトリック教会が、 次の新しい1000年期を迎えるにあたり、 過去の教会の姿勢を振り返り、 反省、 回心、 祈りと学びを通して、 喜びと希望に満ちた新たな1000年期を迎える準備をするよう全世界の信徒に向けて呼びかけました。 

それを受けて日本の司教団は、 今年の9月14日に、 日本のカトリック教会の信徒に宛てて、 「紀元2000年を迎えるにあたって」 という教書を出しました。 

日本の司教団も、 教皇の意向を全面的に受け止めて、 この紀元2000年に向けて、 日本の教会がそのためのよりよい準備を、 積極的に取り組むよう信徒に求めています。 

そのために、 東京教区では、 白柳枢機卿の呼びかけで、 各世代の男女の信徒、 シスター、 司祭が選ばれ、 準備のための 「特別委員会」 が設置されました。 その特別委員会の会合が、 9月3日と10月21日の2度にわたって行われました。 

この委員会の特徴は、 60代から10代までの各世代の人が一堂に会して、 準備のための意見交換がなされるというカトリック教会の中にあっては画期的な委員会の様相を呈しています。 

2度の会合は、 立場や世代の違いによって 「紀元2000年」 に対する反応の違いを鮮やかに見せた点で興味深いものでした。 それを今回まとめて皆さんに報告してみたいと思います。 

第1回会合では、 皆が初顔合わせということもあり、 お互い多少緊張した雰囲気で始まりました。 

特に若い世代の人たちは、 おそらく初めて、 枢機卿や司教、 また司祭や年輩の人と同じ席について会合するためか緊張した様子が見られました。 

森司教の司会で始まり、 最初に枢機卿が導入として、 紀元2000年に向けての、 教皇文書に基づいた司教団の教書の説明をし、 それに基づいて意見交換をしました。 そこで出された意見を列記してみます。 

☆ ☆

1) 大聖年について教区民の各世代にわかりやすいメッセージが必要ではないか。 

2) 過去千年の振り返り、 反省なら西欧の教会の歴史を中心としたものになる。 西欧の教会の視点や発想ではなく、 日本の教会の視点や発想に立った大聖年を考えてほしい。 

3) 大聖年に向けて各種の具体的な企画をしたらよい。 (歌や祈りの募集など) 

4) 日本の教会の過去を振り返り、 きちんと反省して未来の生き方を考える機会とする。 

5) 過去を見るより、 現代から未来に向かって生きるための積極的なビジョンと姿勢を強調する。 

6) 若者にとって、 過去を振り返る大聖年はあまりインパクトがない。 若者を巻き込む魅力あるイベント、 楽しい出会いと学びにして欲しい。 

7) 大聖年の中心はローマではなく、 「キリストの誕生」 したエルサレムのはずなので、 キリストの誕生にアクセントをおいた方がよい。 

以上のように、 集まったメンバーが自由に発言したので、 様々な角度での意見が出されました。

そのため、 教皇文書の枠にとらわれない、 東京教区にふさわしいものを考えていくことを確認しました。 

☆ ☆

第2回の会合では、 大聖年のための基本的なねらいについて話し合いました。 ねらいとして出された意見は、 次のようにまとめられます。 

1) 大聖年についての教皇の意向は 「キリストの誕生2000年」 という節目に、 新しい福音宣教を志すことにある。 また、 アジアの諸宗教の人々も新しい世紀に対して多くの期待を寄せている現実がある。 

2) 東京教区のカトリック信徒を対象にすることと、 諸宗教の人々を対象にすることとは分ける必要がある。 また 「キリストの誕生」 を基準にして、 日本の教会の過去を振り返り、 反省する事が大切である。 

3) 大聖年を、 今を起点としてとらえ考える。 今日の世界に生きる私たちの社会や生活にキリストの教えと救いがどう現実的に関わっているのか、 キリスト者はどう信仰をアピールするのか、 社会を福音化するためにどう生きるのかを示す。 

これらの意見の中から、 東京教区では、 大聖年を 「キリストの誕生2000年」 と位置づけ、 今を起点としてとらえながら、 計画の具体化を考えていくことになりました。 

(門馬邦男神父) 

編集部から

●元日の朝は、 ひんやりした中にもいつにない明るさを感じる。 たとえ曇り空で初日の出が見えなくても、 心の中にあの真っ赤な輝きがいっぱいに広がって、 さあ新しい年が始まるぞという希望で満たされる。 主をひたすら待ち望んだ待降節、 その後に訪れた聖なる夜の輝かしいまでの喜び、 その暗やみの後に訪れた明るさが、 そのまま新年を迎える朝へとつながる。 だから心の中は、 いつになく光り輝いて明るい。 凛とした冷気に包まれ清々しい朝、 はるか東に向かって 「新しい歌を主に向かって歌え」 と口ずさむ。 皆さんは、 どのような新春の朝をお迎えになりましたか?

●以前から 「おかしい」 と感じていることのひとつに叙勲の時のランクづけがあります。 

シスター石垣にお会いしてますますその感を強くしました。 

子どもたちの目線で話しのできる方、

茶髪など外見にとらわれないで子どもの心からの叫びに耳をかたむけようとする姿勢で50年近い年月を青少年の育成に努められた方が勲七等で、 灰色だか、 黒だかわからない政府高官が勲一等、

進学校といわれる学校の校長は勲三等、 本当におかしいと思います。 

でも当のシスターは何事もなかったかのように、 毎日の仕事に励んでおられます。 

そんなシスターの姿に、 勲章のランクにとらわれて慣慨している私の方が恥ずかしくなりましたが、 でもまだ納得のいかない私です。