お知らせ

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東京教区ニュース第128号

1995年12月01日

「宗教法人法改正」に対するカトリック教会の考え方

はじめに

「オウム真理教にかかわる一連の事件」は、わたしたちに非常に大きな衝撃を与えました。今この事件の全貌は、警察の取り調べによって解明され、法廷によって裁かれようとしております。わたしたちカトリック教会は、宗教法人として認証された団体が犯したといわれる一連の事件を、刑事事件として法廷による裁きを冷静に見守っていきたいと考えております。その解散問題も、この公平な裁判の決定を待って、最終的な断がくだされるべきと考えております。

また、宗教団体が非人道的、反社会的な行為を犯した、ということから、宗教法人法の見直しと改正を求める世論が、大きくなってきたことも事実であります。このような世論を背景に、政府は、宗教法人審議会に諮り、その答申を受けて、この秋の国会で、その改正案を成立させようとしております。

今、わたしたちは、宗教法人のあり方が社会から問われていることを誠実に受け止め、審議会の審議状況およびその答申案に深い関心を払ってまいりましたが、今国会に提出された改正案に対して両手を挙げて賛同できるものでないことを、ここに表明するものであります。

1、今回の改正案が「オウム真理教の事件」絡みで検討されたことにとまどいます。

まずわたしたちは、今回の「オウム真理教事件」は現行法でも十分対応できることを、指摘いたします。

宗教法人法第81条第1項には、宗教法人が「著しく公共の福祉に反する行為を行ったとき」あるいは「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」をした場合には法人の解散を命ずる規定がありますし、また86条には、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合においては、他の法令が適用されることを妨げるものと解してはならない」との規定もあり、今回の事件は、現行法の適切な運用によって処理できることと考えます。

2、時間をかけた冷静な審議を求めます。

今日、宗教はわたしたち日本人にとっては欠くことの出来ない重要なものになっております。何らかの形で宗教を信奉している日本人の数は、文化庁の統計によりますと、日本の総人口を超えております。その数を鵜呑みにするつもりはありませんが、そこから現代社会の中にあっても、実に多くの人々が宗教に希望を求めようとしている事実が浮かび上がってまいります。

また宗教法人として認証されている団体の数は、日本全国で18万余になります。その大半は、誠実に宗教団体としての本来の使命を果たしておりますが、その認証の歴史、会員数、活動および事業内容、財政規模等は、さまざまです。その活動、財政、運営は、消費経済が発展した社会の中で、これまでの歴史の中では予想もできなかった難しい問題に直面しております。

残念なことに、今回の法改正は、このような宗教法人の多様な実態とその果たしている役割そして直面している問題点等を、正確に把握した上でのことではありませんでした。審議会に議題として取り上げられてから答申まで、わずか数ヵ月でありました。十分な実態把握のないまま、現代人にとって重要な意味をもつ宗教のあり方を左右する宗教法人法改正の結論が、短期間でまとめられようとしていることに対して、わたしたちは、時間をかけた慎重な審議を求めるものであります。

3、政府が主導となって行われた改正への動きに、わたしたちは、政教分離の原則が脅かされていくのではないかと懸念を抱いております。

戦前、国は、伝統的な宗教を公認宗教とし、その他の宗教団体に対しては宗教団体法をもって管理・監督いたしました。軍国主義的政策に逆らうという疑いがある時には、厳しい弾圧も加えました。カトリック教会は、外国の宗教としてその活動に不当な干渉を加えられました。またカトリック教会の外国人宣教師の多くが、宣教活動を制限されただけでなく、強制的に収容されるなどして、その人権まで抑圧された歴史があります。

こうした歴史の反省に立って、戦後「政教分離」と「信教の自由」の原則が確立され、その基本の上に現行の法人法が制定されました。現行の法人法は歴史の痛みを通して与えられた貴重なものであります。今後、どのように宗教法人法が改正されるにしても、「政教分離」と「信教の自由」の原則は、侵犯されてはならないものであります。

今回改正されようとしている項目のなかの、活動報告の義務、所管庁の質問権、信者や関係者への情報開示等は、国の所管庁や行政機関の指導や干渉に道を開き、やがては「政教分離」の原則を否定していく可能性のあるものです。この項目等に関しては、2つの原則が侵犯されることのないよう、十分確かな歯止めを求めたいと思います。

4、今回の改正が、政党間の力関係の中で論議されようとしていることに、不安を抱きます。

宗教の問題を政争の具とすることは、宗教への政治の介入の道を開き、結果として「政教分離」と「信教の自由」の貴重な原則を否定する結末になってしまうのではないか、と憂慮いたします。

わたしたちは、ここで、政治と宗教との関係を明らかにしておきたいと考えます。

現代のような多様な価値が共存する民主社会の中では、宗教は政治からある一定の距離を置くべき、とわたしたちは考えます。事実、わたしたちカトリック者は、同じ洗礼、同じ信仰、同じ恵みに生かされながら、具体的な政治活動におけるそれぞれの選択は必ずしも同じではありません。同じ信仰者でありながら、現実社会における生き方は異なり、その具体的な姿勢は、ときとして対決するような場合もあります。しかし、どのように対決しようとも、そこに共通するものは、愛の教えを最高の価値として抱く点であります。実に、どのような政治的な立場に立とうとも、わたしたちカトリック者が、妥協することのできない最高価値として信じるものは、キリストが聖書の中で示した、神と人とを心を尽くし、魂をつくし、精神をつくし、力をつくして愛することであります。

強調するようですが、複雑多様な現代社会にあって、愛の具体的な実践は、個々人の良心の熟慮と決断に委ねられねばならないと考えます。特に、現代のように、地球上の出来事にすべての人間が責任を負わなければならない時代においては、個々人の良心に対する信頼を深め、民族、国家、党派、イデオロギーの違いを超えて、一人ひとりが真剣に誠実な対話と協力を推進していかなければならない、と考えます。

しかし、それは、政治に対して無関心でいいということではありません。むしろ、政治は人間の生き方に大きな影響を与えるものですから、神と人への愛の責任から、怠けてはならない重大な義務として、誠実に政治にかかわっていかなければならないと考えております。

また、わたしたちは、国、あるいは社会が、神の権利を犯し、かけがえのない人間の尊厳を踏みにじると思われる場合には、そのあやまちを指摘し、その是正を求めて、声をあげ、行動に移していくものでもあります。それが、結果として、政治活動としてとらえられることがあるかもしれませんが、その根底にある炎は、神と人に対する愛であり、その活動は「信教の自由」と「政教分離」の原則の範囲の中に留まるものであります。

以上のような理由から、わたしたちは、宗教団体は特定の政党に偏向すべきではないと考えます。

5、宗教団体自ら、自主的に、自浄努力を進めていかなければならないと考えます。

「昭和26年制定以来の社会の変化、宗教法人の実態の変化への対応という視点から法の見直しを行う必要がある」という審議会の指摘は、わたしたちも肯定するところであります。またそれは、宗教団体に対する世論の深い不信感を拭いさるためにも、宗教団体が自主的に真剣に取り組んでいかなければならない重要な課題とも考えます。そのためにここで、わたしたちは、3つの具体案を提唱いたします。

イ、宗教団体自ら、教団内部の関係者のみならず、社会一般に開かれた、透明感のある教団の活動および財政報告のあり方・方法を検討し、実現する。

ロ、宗教団体が、自主的に、各界に広く協力を呼びかけて、第3者的機関を設置し、実態を踏まえた、現代社会における宗教法人法の具体的な見直しを検討する。

ハ、一般社会には、信教の自由に配慮しつつ、公教育のカリキュラムの中に、学問としての「宗教のあり方や意味について」の授業の導入を呼びかける。

実に、宗教に対して多くの人々が求めているにもかかわらず、戦後、日本の公教育の中では、宗教に関する基礎的な授業が全く行われてきませんでした。宗教法人法の改正の前に、国民全体で宗教に関して正確な認識を深めていくためにも、公教育の中での宗教の授業の導入が必要と考えます。

結び

わたしたち、カトリック教会は、宗教法人として認証された仲間が、社会に大きな不安と混乱を与えてしまった事実を直視し、多くの人々が宗教団体のあり方に深い不信を抱いていることを謙虚に受け止め、原点に立ち戻り、改めるべきことは改めて、宗教団体として期待される本来の使命を誠実に果していくことができるよう、努力していきたいと考えております。

1995年10月17日
日本カトリック司教協議会 常任委員会

28司祭の御骨 府中墓地「司祭の墓」に移葬

10月12日、府中墓地内にこれまでべつべつに埋葬されていた28名の司祭の御骨が、関係者多数の出席のもと、白柳誠一枢機卿によって、東京大教区「司祭の墓」に丁重に移葬された。

東京大司教区「司祭の墓」は、同墓地内の司祭の墓に余裕がなくなったため、埋葬された一部分を堀り起こして、そこに新たに納骨堂の形で、91年10月完成した。

今回移葬された司祭は次の通り。(敬称略)

ジアン・シェレル
ルネ・ドシェ
プランド・メイラン
マルセル・ウタン
松下 義一
平世 修明
深堀 信一
ソヴール・カンドウ
オグスト・ビリング
山本 貞一
本城 昌平
イポリト・ブルトウ
瀬野 勇
ヨゼフ・アグネス・コワル ス
ウット・アルフレッド
ヨゼフ・フロジャック
エドワード・モ・ジャンル
渡辺 治
エミュール・ビュツリ
ジョリー・エンジャンヌ・ プ・ロドミル
マイエ・グスターブ
浜崎 正雄
平田 忠雄
鈴木 一郎
今田 健美
レミス・マトン
小林 五郎
岡野 利男

生涯養成委員会一泊交流会

「聖書と出会う」開く 寺田師の指導に49人参加

東京教区ナイスプロジェクトチーム生涯養成委員会主催の一泊交流会が、「聖書と出会う」をテーマに10月14、15の両日、富士山のふもと、山中湖畔の富士青少年センターで開かれました。

交流会には、東京教区はじめ、横浜、浦和教区の信者、未信者あわせて49人が参加し、幸田和生神父(東京カトリック神学院養成担当)の指導で、聖書をもとにした分かち合いが行われました。

「福音をきくために」などの著書で知られ、NHKラジオでマルコ福音書の解説で好評を博した幸田神父の心のこもった指導で、多くの参加者が聖書の豊かな味わい方を学びました。

秋の行楽シーズンまっさかりにぶつかり、多数の参加者が利用した高速バスの会場到着が大幅に遅れ、開会時間を1時間以上遅らせるハプニングもありましたが、その後は順調に進みました。

大部分の参加者が募集パンフレットにあったように「さわやかな秋の週末を、高原の湖のほとりでゆっくりと聖書のことばを味わうこと」ができたようです。

交流会終了後、スタッフを除く参加者全員を対象に、アンケートを実施しましたが、交流会に参加して「たいへん役に立った」が59%、「ほどほどに役に立った」が27%と、大部分の方が多くのものを得られたようです。

また、とくに印象に残ったのは「講師の話」が62%と幸田神父のお話に対する評価が高く、「グループの分かち合い」も48%にのぼり、分かち合いが軌道に乗ってきたことを示しています。

このような成果を受けて来春に予定する交流会にも「参加する」「日程のやりくりがつけば参加したい」あわせて73%に上りました。

今後の交流会に希望するテーマとしては、「聖書と出会う」の第2回を希望する方が4名ともっとも多く「ホスピス、ターミナルケアなど死生学」「小教区内でのコミュニケーションのとりかたの勉強会」に複数の希望が寄せられました。

生涯養成委員会の一泊交流会チームでは、このような結果をもとに、次回の準備を進めていく方針です。

次回の交流会は来年2月中旬を予定しています。

ずーむあっぷ 日本軍捕虜収容所心の旅を出版したレオ・ゲレインセさん(67才)

白柳大司教と知り合ってもう10年近くになる。10月末再来日し自伝の出版記念会が大司教館で開かれた。

今年私達は終戦50年をむかえてカトリック教会としても新しい出発を決意した。自分自身の短かい一生の中に戦争による深い傷あと、憎しみをになって生きる中で、ある出会いから赦し・和解・そしていやしの3段ロケットを体験し小さな本を出版した。

一人の人間の具体的な言葉として読むとき私達も戦争の傷、和解、補償ということをやさしく理解できる。レオさんをぜひその著書をとおして知ってほしい、そんな人である。

ペトロ岐部と187殉教者の列福を求める祈りと協力を

日本カトリック司教協議会・殉教者列福調査委員会(白柳誠一委員長)は、1984年にローマ聖座の承認を得て、「ペトロ岐部神父と187人の殉教者」の列福調査を行ってきた。同委員会はこの調査を終えるにあたり、愛の証 ペトロ岐部と187殉教者を発行した。今回の対象となった殉教者は、殉教の地が各地に及んでいること、職業もいろいろな人々であること、幼児から老人、男女、健常者、身体障害者と多様であることが特徴である。ここでは、江戸で殉教した2人ペトロ岐部神父と、ジョアン原主人の2人を愛の証から転載する。

江戸で殉教したペトロ岐部神父

ペトロ岐部は「世界を歩いた神父」として知られている。確かに彼の生涯は旅することであったが、その旅に彼を動かした力は、召命に対する愛であった。

ペトロは司祭になって、迫害下に苦しむ日本の教会のために力を尽くそうと熱望していた。1587年、豊後の国東半島の岐部に生まれ、少年時代には有馬のセミナリヨで育てられた。その時個人的にイエズス会に入会することを神に願をかけた。

同宿となった彼は宣教師とともに1614年マカオに追放されたが、そこでは入会の希望が叶えられなかったのでマカオを去ってゴアまで行った。そこから陸路シルクロードを歩いて聖地エルサレムまで巡礼し、イスラエルから航路ローマに渡った。

ローマの神学校に入り、1620年、司祭に叙階されてから数日後、イエズス会の修練院の扉をたたいた。イエズス会員として帰国の途についたが、マカオ、アユタヤ、マニラのすべての門は閉じていたようである。

ペトロは断念することなく渡航を試みた。ついに1630年、薩摩の坊津に上陸することが出来た。リスボンを出てから8年間が流れていた。

当時の彼の心情をよく表す1つの事件がマカオのコレジヨの院長マヌエル・ディアスのある手紙に記されている。1633年、中浦神父たちが殉教の時には岐部神父は長崎の山中に潜伏していた。フェレイラが背教したと聞いて、夜中、山から下りて町に入り、フェレイラに会って次のように励ました。「神父様、一緒に奉行所に参りましょう。貴方は背教を取り消し、私も一緒に死にましょう。」

フェレイラは断ったが、岐部の態度は兄弟の救いを願う司祭の心情を打ち明けている。その後、岐部神父は活動を東北に移し、そこで数年間は熱心に活動していたが、もはや逃亡し通すことが出来ないことを知り、宿主に害が及ばぬために仙台で捕まることにした。

江戸に護送されて取り調べを受け、ある時には将軍家光直々、立ち会った。さまざまな拷問のすえ井上筑後守の命令で穴吊りになったが、死を待たずして途中で殺された。
この岐部神父の処刑の理由が井上筑後守の直筆で記されている。「ペトロが処刑されたのは背教を拝み、仲間を励ましていたからである。」最期まで司祭であった。キリストとその教会に忠実で、すべてを超越した寛大な心で日本の教会を特別に愛していた。

国東半島の岐部村の城山の麓に岐部神父の勇姿のブロンズ像が立っている。再び旅立つように若者の心を誘うかのようである。

江戸の殉教者ジョアン原主水

現在、公園になっている静岡の駿府城本丸には、手に鷹をもつ徳川家康の大きなブロンズ像が立っている。

城内の2の丸跡にはカトリック教会があり、その前庭には十字架をあらわすジョアン原主水の現代的な像が立っている。2基の記念碑の間は僅か2、300米しか離れていない。

その城では1612年、徳川家康は本格的にキリシタン弾圧に乗り出し、年老いた公方に仕えていた14名のキリシタンが追放された。ジュリアおたあ、ディェゴ小笠原とともにジョアン原主水もいたが、主水はその当時不在していたので、追放の報をきいてどこかに行方をくらましていた。

しかし3年後の1615年、駿府の裏山で捕まり、手足の筋を切り落とされたうえ額には十字架の焼印を押された。

ジョアン原主水は下総の国(現千葉県)臼井城に生まれ、父が小田原の陣で北条氏側についたので領地を失い、その結果、息子は徳川に仕えるようになった。

原主水は背高く、戦では勇猛な武者として若い時から目立っていた。1600年、大阪でモレホン神父の手で洗礼を受けたが、彼の信仰を深めたのは、追放の時から十字架の道を歩いていた間である。江戸の鳥越でフランシスコ会が経営していた貧しい人々のための病院に身を潜めて、そこでも、また後日江戸の別の場所でも宣教師と協力しながら活動を続けた。

しかし1623年には、銀300枚の報償金に目がくらみ、もと原家の家臣であった者が町奉行にデ・アンジェリス神父、原主水などの隠れ家を密告した。デ・アンジェリス神父、ガルベス神父、イルマン・エンポ、原主水は捕えられた。

ちょうどその頃、新しい将軍徳川家光の就任式のために全国の諸大名が集まっていたので、家光はすべての大名に自らのキリシタン対策を通告し、捕らわれた人々をみせしめに火刑に処するように指示した。

1623年12月4日、宣教師と信者53名が品川でおびただしい群衆の前で殉教を遂げた。最初に信者達が殺され、次に2人の神父と原主水が炎の中で神に命を捧げた。他の信者が処刑されている間、後ろ手に縛られた馬上の3人は、群衆に向かって説教していた。江戸の大殉教である。

3人の宣教師はすでに列福されているが、この度、すべての信者の代表者としてのジョアン原主水が選ばれた。1956年には殉教地に記念碑が建てられたが、土木工事の都合で記念碑は近い所にある高輪教会に移され、毎年そこで江戸の殉教者の記念行事が行われている。

ペトロ・カスイ岐部神父ほか187人の列福を求める祈り

いつくしみ深い神よ、主の僕、ペトロ・カスイ岐部神父ほか187人の者は、主キリストへの愛と同胞の救いのため、いかなる苦しみや労苦にも屈せず福音を伝え、ついに殉教の死を遂げられました。

かれらが蒔き、己が血でうるおした種に豊かな実りをお与え下さい。また、御いつくしみによって私たちの祈り求める恵みをかなえ、かれらを一日もはやく福音と仰げるようにしてください。

私たちも、殉教者の模範にならい、不屈の精神をもって忠実に、主の道を歩み、自分のすべてを神への奉仕と、同胞の救いのために捧げることができるように導いて下さい。

私たちの主イエズス・キリストによってアーメン。

フランス教会レポート(1)北パリ サン・ドニ教区ルロンド教会  藤岡 和滋神父

”フランスはキリスト教国と思われているでしょうが、今や一般国民がキリスト教に属していない。布教地であるという方が当っている”と以前日本で20年間宣教活動し現在パリ郊外のサンドニ教区の小さな教会で働いて居られるR師は語られました。

確かに今迄ほとんどの人が幼児洗礼を受けていたのが、現在は半数にも満たず、かつ信仰者としての自覚を持つのはその半分、つまり総人口の25%と云うのが現状との事でした。

しかし反面熱心な人の意識は以前よりもより高く、積極的となってきているとも聞きました。また、以前殆んど見られなかった成人洗礼を受ける人が増大していると云うのも最近の特徴との事でした。

サンドニ教区はフランスの中でも人口密度が高く、左翼系の労働者が多く又外国人(キリスト者、非キリスト者を含め)が人口の4分の1を示めるという新興住宅地区で、その中でもR師の担当するル・ロンドという教会はイスラム教の人が住民の4割を超え、キリスト教徒よりも高い比率を占め、且つ共産党の市長であるという大変な地域にあります。

異教徒と無宗教者に囲まれた小さな共同体と云う日本と共通し、又より困難な状態にあると云えると思います。

またフランスの教会というとロマネスク、バロック、ゴチック様式といわれる大小の歴史的な建築の聖堂が思い浮びますが、こゝの教会は昨年1月訪れた時、思わず“現代バラック様式”と称してしまった、ブロックそのまゝの壁鉄骨むきだしの柱、打ちっぱなしのコンクリートの床といった物置の様な建物で、そこにアフリカ人、東南アジア人、南米人そして3分の1程のヨーロッパ系フランス人が約百人程の小さなインターナショナルな教会共同体を造り上げています。アフリカ系の方が多い特徴として聖歌の伴奏に小さな携帯用オルガンにタムタムとタンバリンが用いられ、それが何ともいえない素晴しい雰囲気を造り出していました。

あまりに小さく貧しい共同体のため補修も思うように出来ない現状を見て、R師のかつて働いて居られたM教会の方々に呼びかけ募金しお送りした所、それを基にして床にリノリウムが敷かれ、ブロックにペンキ塗りがされ、鉄骨には化粧板がそしてイコンが飾られて、その結果今回これが同じ教会かと見違える程暖く明るい聖堂に変っていたのに驚きました。

『記者の目、その倫理』阪神大震災のマスコミ取材を通して、教区広報担当者学ぶ

今年も10月23日(月)から25日(水)まで、中央協議会事務局広報部主催で『広報担当者全国会議』が行われた。13教区の教区広報委員と広報部事務局員を含み30人の参加者で、14回目であった。

全国会議は、阪神・淡路大震災における鷹取教会への頻繁なマスメディア取材の体験から、「教区広報担当者のあり方、その報道の倫理などを見直し考える」という視点で行われた。

第1部はその渦中にあった鷹取教会主任、神田裕神父から『阪神大震災と鷹取教会とメディア』というテーマで、第2部は産経新聞の記者としてマスコミ界で活躍しておられる村山繁氏から『新聞記者の目、新聞記者の倫理、教区広報担当者の役割とその実務』などについてお話を伺った。

神田裕神父の講話

まずビデオを見るところから始めたい。人間というのは忘れやすいもので、その渦中にあってもあの1月17日の記憶、その時の気持ち、思いをだんだん忘れてしまう。そのため、ビデオで神戸のこの現状をきちんと残すことが大切だと思っている。3年間は記録をするつもりである。これから長い時間をかけて町を作って行くときに、日常生活に追われ夢、希望、気合が無くなってしまう時、この記録映画は生きる希望を与えてくれると思う。それはそこに登場している人と、それを伝えるメディアとが同じ方向を向いて、お互いにフォローしているからだ。

活動の原点

まず最初に、私たちの活動の原点を紹介したい。

地震直後火は回りに来ていなかった。潰れただけ。近所の人は救出活動を行っていた。「○○さんがいない」と。わたしは教会の回りにどんな人が住んでいたのか全然分からなかった。どういう人が、どこに住んでいるのか。だから救出活動ができなかった。非常に悔いが残った。

だから「地域の人たちと、教会との関わりを探って行く」というのが震災後の教会の活動の核になった。

電気が無いのでラジオやテレビが使えない。情報が伝わらない。一番の情報伝達は、自分が歩いて行って聞く、話すということであった。家々にはみんな貼り紙がしてある。貼り紙がメディアの原点だなと思った。私たちもそのようにして関わっていった。

ベトナムの人たち

さて、ベトナム人たちにとって一番大変だったのは、行政からの情報わからない、ということであった。日本人ですらほとんど初めて出合うような法律用語で、理解は難しかった。こういうことから、ベトナム人の救援が非常に遅れた。行政側は「手続きをしていないからだ」と言う。では「ベトナム語で情報を流したか」と言うと流してはいない。分かる言葉で情報を流さないと伝わるはずがない。ミニFM局を作ったきっかけは、このような外国人との関わりによってである。

鷹取教会の現状

鷹取教会の現状は、信徒数600人。200人がベトナム人、70人が韓国人である。そして、その地域には28ヶ国の人たちが住んでいる。

神戸は国際都市と言われていた。しかし震災によって国際都市ではなかったことが分かった。貿易、外交、友好関係(姉妹関係)という意味では国際都市としてやってきたと思うが、神戸の中にもたくさんの定住、滞日の外国人が住んでいた。しかしかれらのことは意識されていなかった。

ミニFMを開設

震災前から、たくさんのアジアの人たちが住んでいたのに、アジアの言葉でお知らせをするとか、説明をするとかいうことはなかった。

このように行政の谷間に置かれ、外国人として生きている人たちの声を、長田に流し、反対に日本人のことも話してお互いに分かり合うようにしたい。こういう望みからミニFMができた。

今、ミニFMのボランティアが持っている夢は、長田に住んでいる外国人や、近くの小学校の放送部の子供たちに協力してもらって、もっともっと地域に密着したFM局にしたいということである。

マスコミによる二次災害

次にマスコミはメディアを進歩させ、メッセージを効率よく伝えようと頑張っているのであるが、本当は効率よく伝わっていない、真実でない、ということが今回の体験でよく分かった。

メディアに携わる人は、真実を伝えて行く、そのために人びとに関わって行くというのがその原点だと思うが、神戸の体験を通して思うのは、マスコミによる第2次災害が引き起こされたということである。マスコミは情報を伝達するよりもそれを妨げてしまう、一致を混乱させてしまうということを訴えたいと思う。

例えばペーパーハウスに関する記事である。

このペーパーハウスは地域の「コミュニティホール」として作るのであって、「教会堂」ではないということを背で確認していた。そこでこの建築のことと、1000万円の費用がかかるということをマスコミに話した。ボランティアにもこの趣旨で建てるからと理解を求めていた。

しかし、新聞に書かれたのは『2000万円かかる紙の聖堂』または『紙の礼拝堂』と間違いだらけ。しかし彼らは絶対に修正したり、謝りの記事は書かない。

外の人にとっては教会の中に建てるので『集会所』であっても『礼拝堂』であってもそんなに違いはないかもしれないが、私たちにとってはすごく大きな違いがある。

教会の方針では、教会堂は建てないと公言していたので、こういう記事が出ると「最初の意図とは違ったんですね」といやみの電話がかかったり、ボランティアの人たちも『自分たちは教会の聖堂を建てるために派遣されたのか』となる。ものすごく混乱したときがあった。

確かにマスコミにとって、『紙の集会所』というより、『紙の礼拝所』と言うほうがインパクトがある、面白みがある。だからといって自分たちの都合の良いように書かれては困るのである。

こんなに混乱を招くので、一時取材を断ったことがあった。これについては脅しの手紙が来た。『黙っているなら、こんなふうに書くよ』と。

こんなに被災した人たちは一生懸命に生きているのに、マスコミはなぜ自分たちの都合のよいように記事を書いて困らせるのか。真実が報道されないことによって当人たちがどんなに迷惑を被っているか考えて欲しい。その他やらせとか、電話だけで取材するとか、今私たちはマスコミに対してものすごい不信感を持っている。マスコミは「受けてのうけ」を中心にしている。取材されている現場が中心ではない。記者がどこに立って物を見ているのかが大切。現場の人たちの代弁者としてのマスコミになって欲しい。だからこの文句もラブコールとして受け取って欲しいと思う。

また取材の時、記者が既に一つのストーリーを作っていることがある。それがいくら現実と違っていても決して変えようとしない。例えば「滞日のベトナム人はタイ米しか食べない。」と言う取材に来たことがある。しかし日本に10年も住んでいて、日本のお米を食べ続けてきた人はもうタイ米は食べない。それなのにその記者の頭には「ベトナム人はタイ米しか食べない」ということしかない。そういうベトナム人がいるか一生懸命探した。1件だけあった。そうするとその人のことだけ取材して、「ベトナム人はタイ米しか食べない」ということになる。

何が真実か

もう何が真実か、新聞の記事は放蕩なのかと疑ってしまう。だから新聞を読むときには、書いてあること1字1句全部正しいと思い込まないほうがいい。「おかしいな?」と思ったらやはり疑った方がいい。

今後の取材予定について言うなら、今はもう悲壮感というような取材は出来なくなってきている。今はもう前向きに「明るく、元気に」というような取材の方向、態勢になってきているみたいである。

皆が元気をとりもどすために

鷹取教会にはペインティングチームというのがある。架設の店舗の壁とか、住宅に絵を書いて町中をカラフルに彩っている。原始人のような絵である。「原点からの出発」これがテーマになっているからである。

これをアメリカのある有名な画家、この人はニューヨークのハーレムで施設の子供たちと壁に絵を書きつづけている人であるが、彼が私たちのことを聞きつけ、NHKのハイビジョンが間に入って、その人と私たちのペインティングチームが、一つプロジェクトを組むことになった。アメリカのその人のグループと、私たちのペインティングチームとで、お互いに絵を書いて、それを同時中継でつなぎ虹を掛けようというもの。画面上で一つの絵にして『両国の虹のかけ橋』になる。非常に夢のあるもの。

12月22日にはスエーデンのサンタ村の子供たちと、鷹取のアジアの子供たちとクリスマスをしようという企画がある。一緒に歌を歌ったり。スエーデンのサンタ村には30メートルのもみの木があるそうだが、そこにライトアップをして、鷹取には10分の1の3メートルのもみの木に同じようにライティングして、いっしょに楽しもうと言うもの。今は少し余裕が出てきて夢を追うようになった。復興に一生懸命で子供たちが置き去りにされていた中で、子供たちを主体にして、元気づけてくれるこのようなイベントは有り難く受け、少しでもみんなが元気を取り戻してほしいと思っている。

友達、代弁者としてのマスコミ

大災害を大災害のまま置いておくのでなく、これを一つのチャンスにしてこれからの街作りや、信仰のあり方や教会とは何かとかを考えるチャンスにしたい。

今持っている夢や、希望を無くさないでどれだけがんばれるか、街の人のこれからの根気強い歩みにかかっている。

持久力がいる。神戸はまだまだ復興してはいない。ただ瓦礫がかたずいたというだけ。これからまだまだ襲ってくる絶望感などと戦わなければならない。こういうときに気持ちを持ち上げてくれる、励ましてくれる友達としてのマスコミ、代弁者としてのマスコミであってほしい。

村山 繁氏の講演 『教区報担当者のあり方について』

私たち新聞では何を考えているかを話す事によって、皆さんに何か役に立つかも知れないと思うので、その面から話していきたいと思います。

意味を考える

新聞の記事の書き方についてノウハウというのは全く無い。自分で勉強し、職人のように身につけていくものである。だから一人ひとり全く違う。その人の価値観で基準が決まる。しかし初歩的な事はマスターする。それは人に会って話を聞くということ。

考えるより動けと言われる。頭で考えていたのでは記事は書けない。おまえは小説家ではないし、エッセイストでもないのだから、現場に行って現場を見て、話を聞いてそれをそのまま書けばいいと。

マスコミの害にこの辺は直結することかもしれない。

わたしがこれから強調したいことは、意味を考えると言うこと。わたしの言いたいことはここに尽きると思う。
立脚点の違い

いろいろの部署に所属してきて感じるのは、それぞれ立脚点が違うということ。どこの部局も正しいことを伝えようということは最優先している。まず正しいことを書こうと言う前提はある。しかし、『正しい』ということの前提が違うということ。

例えば社会部では人殺しとか、誰が見ても悪い、というようなのは優しい。しかし政治部とか、経済部はこれが難しい。なにが正しくて何が間違っているのか判断の付かないことが多々ある。

「宗教・こころ」のページ

私は今年の4月から『宗教・こころ』のページを受け持っている。宗教というのは目に見えないので非常にエキサイティングな企画である。

この『宗教・こころ』のページは新しい宗教ジャーナリズムを確率する、という目的でできたページ。いまでは意味を考えるページと思っている。いろんな宗教団体の活動を通して、心のあり方だとか、考えかたとか、正しい心を持つためにどうしたらいいかを考えるページにしている。

愛の実践

カトリックとのつき合いで印象を受け、象徴的であったのは、愛の実践ということである。

私は神田神父のやっておられることに非常に心服している。あそこまで自分を捨てて奉仕出来るエネルギーが、どこから出て来るのかと思った。これを支えていたのは心の糧だと思う。それは神田神父も言っていた夢だと思う。

今は子供たちに「夢ばかり見ないで」と言ってしまう。それでいいのか。夢の見方を教えなくてはいけないのではないか。現実の世界は厳然としてある。それはそれとしても、夢の意味をもう一度問うことではないかと思う。

またカトリックが自分自身完全無欠の団体だとは思っていない、ということを知ったときにも感銘を受けた。

カトリックはサラリーマンと宗教との関係のセミナーを神田の教会でしていた。これはとてもいい企画であった。

聖書で言われることを、完全に実践は出来ていないとしても、絶えず自問自答して、少しでもそれに近づくことを目指すと言うのが大切なんだということ。0になるより、細々とでも聖書に死ぬまで付き合うことが大切なんだということ。

ゆるがない心の立脚点を

私たちは往々にして安全な場所に立って、世の中こうあるべきだとか評論する。新聞記者も、評論家もこの立場だ。

今また「正しい心の持ちよう」ということが問題になってきている。おそらくこれまではあたりまえのように「善を行えばいい」とか「正しいことをすればいいんだ」と思っていた。今と正しいことを行おうとか、よいことをしようという価値観が無くなってしまった。絶対的な立脚点が無い。何があっても揺るがないという心の立脚点をしっかりしておく必要がある。

心を考える

現代は心の荒廃がひどい。1994年12月までの10年間に、自殺者は22万人。自殺未遂者はこの5倍いると言われている。更に10倍の人が自殺を考えたことがあると言われている。

多くの人が心の病で苦しんでいる。自殺は心の糧のある人はしない。どんなに苦しくても。現代は心のことを考えることが非常に大切だ。

聖書の言葉を伝えることのできる人が、その立場を存分に活用してくれると社会にとって非常に有り難い。

皆に伝わる言葉で宗教のこころを

もし広報担当のみなさんが「聖書の言葉を実践することができたなら、より良い社会ができる」と信じているのであれば、他の仕事も抱えていると聞きますし、食べる時間を惜しんでまで書けとは言えないが、皆に伝わることばで、もっと書いて欲しいと思う。

今は宗教の時代だ。宗教を勉強する人たちが出てきている。こういう時に「宗教のころとはこうなんだ」ということを説くことが大切。

宗教を語るには、今は絶好の時期だと思う。これはわたしが夕刊紙の『宗教・こころ』を担当してたどり着いたいまのところの結論である。

白柳枢機卿 愛の文明・女性の役割の重視を強調 「21世紀への提言-日本会議」シンポジウム

11月4日、渋谷の国際連合大学大ホールで、(財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が「21世紀への提言-日本会議(俗称サミット21)-21世紀の日本像」と題するシンポジウムを開催した。

パネリストは、中曽根康弘氏(政界、元内閣総理大臣)、樋口廣太郎氏(財界、アサヒビール株式会社会長)、有馬朗人氏(学界、前東京大学総長)、島桂次氏(言論界、前NHK会長)、松原泰道氏(宗教界、南無の会会長)、白柳誠一氏(宗教界、カトリック枢機卿)の6氏、コーディネイターを小池百合子氏(新進党副幹事長)が務めた。

有馬氏は、20世紀の発展の基礎となった科学技術の発展の光と影の両面について述べ、「世界平和と人類の持続的発展のために、21世紀は自然科学と社会科学の協力が不可欠で」、「若い人々にしっかりとした倫理観、宗教観を植えつけるために政・財界、科学者とともに、宗教界が小異を捨て大同に徹してほしい」と語った。

松原氏は、「21世紀は20世紀の原罪の昇華」の世紀であり、「人間を救うものは人間制の自覚以外にはない。純粋な人間性(仏心)の復興と科学と宗教の共生が欠かせない」と述べた。

白柳枢機卿は、「20世紀は、18世紀に端を発した科学技術の進歩が、物が豊かになると人間は幸せになるという所有の文明を産み出した。今こそ、物よりも人が主体、技術に対する倫理の優位、すなわち存在の文明、愛の文明が必要とされる時」であり、男性中心の社会が産み出した物質文明から、「女性の特性をすべての世界に反映させる社会」を築くために「女性の役割の重視」を強調した。

家族はバラバラか ―あなたの家族は大丈夫?―

東京教区ナイス2・家庭プロジェクト・チームは、10月28日、東京教区関口会館地下ケルンホールで、「家族はバラバラか-あなたの家族は大丈夫?-をテーマに、お話と分かち合いの集いを開いた。

講師は、関沢英彦氏(博報堂生活総合研究所所長代理)、辻祥子氏(臨床心理士、山王教育研究所講師、命じ大学学生相談室相談員)、畑中香代子氏(主婦、元公立小学校教師)の3氏、司会は森一弘司教であった。

家族の絆が薄れ、バラバラ化が進んでいるといわれる現代日本の家族の姿を3人の講師が、それぞれの立場で語った。

その後、会場の出席者も参加して、パネルディスカッション、分かち合いが行なわれ、司会の森司教が次のようにまとめた。

まず、関沢さんが今の日本の社会の動きをとらえながら、家族がどのように変わってきたかを指摘されました。

今の家族は、基本的には個人としての自分を大事にしながら、そのなかで家族を大事にする、個人を大事にしながら家族がなくては生きていけないという面が強くでている、そこで問われてくるのは「弱い立場」の人たちはどうなるのかというご指摘だったと思います。

辻さんは、人間が長い歴史を持ちながら、また一人ひとりが個人の歴史を背負いながら家族としていきている、そこには家族の流れ、個人の流れがあり、それを大事にしながら家族を見つめていかなければならない、そのためにはそれぞれが思い描いている家族のイメージ〜円満で温かく皆が仲よく食卓を囲んでいると頭の中にインプットされている〜をこわさないとだめなのではないか、ありのままを出し合いながら、本人の現状をそのまま受け止め合わなければならないと話されました。

畑中さんはご自分の体験から、家族がともに生きていくためには、未来にあるべき子どもの姿ではなく、現実の子どもの生きている豊かさをそのまま受け入れることが必要だと気がつかれた。また、心の障害をもった子どもたちとの体験から、「母子関係」が一番大切だと気づかれ、目的達成型の伝達ではなくて、植物を育てるときのように待ちながら見守るというような家族の態度と、家族の持っているいろいろなサインを汲み取ることが必要なのではないかと指摘されました。

さらに、3人の講師が互いの話のどこに共感し、どこに違いを感じたかをそれぞれ述べた後、会場の参加者も加わって家族について本音で分かち合いが続けられた。

主催 東京教区ナイス・2/家庭プロジェクト・チーム

超高齢化社会を迎えカトリック者としていかに生きるか〜第8回福祉の集い〜

10月26日、カテドラル構内で、教区福祉委員会が「超高齢者社会を迎え、カトリック者としていかに生きるか」をテーマに、第8回「福祉の集い」を開催した。

講師は、「老いは恵み」等の著書で知られる吉山登神父(レデンプトール会)。

吉山神父は、「老年についての本を書くことによって、コミュニケイションをはかろうとしたこと」、「高齢」という言葉より「若さが成熟したとの意味がある老いという言葉を使いたい」と動機を語った。

「70才は再スタート地点とし、老いに対する誤解をとくことにより新しい人生感覚が生まれるだろう」し、「個性的、人格的で時の流れに敏感な老年の持つ固有の人生」があり、「老いは恵みと受け止め、自己憐憫でごまかしてはならない」「老年のもつ力を結集し、深いものの見方をいかにいかすかが問題である」と、時にはにこやかに時には厳しい表情で述べた。

さらに、「今の教会は老人を馬鹿にしている、光を受けるべきはシメオンから」、「キリスト教的な生き方により、今の老年の尊厳がたかめられる」とカトリックの福祉が他とそれと違うことを強調した。

地域福祉推進小委員会の企画によるこの集いは、100名を越える参加者があり、福祉に関心を持つ人々のニーズに答えるものであった。

発展とは?先進とは? 真正会館カトリック学生センター タイ・スタディツアープログラム

9月8日から11日間にわたって、真生会館カトリック学生センター(余語久則神父)主催のタイへのスタディツアーが実施された。5日間の農家ホームスティと、スラムや孤児院・教会施設訪問、歓楽街見学などの体験をし、国内での貧富の格差や大都市と地方間格差の問題、「発展とは?」「先進とは?」といったことを考えた。日本語も英語も通じない苦しさと楽しさを体験した13名の学生たちの印象をまとめた。

■観光気分でタイを見るのと、生活の中に入ってタイについて知ることとは、全く違う。これからは表面上のものだけを見て物事を判断するのは避けようと思う。

■ぬくぬくとした環境で日々暮らしているので、あらためて現実を直視するよい機会となった。農村では、宗教と生活との関わり、村全体の共同体の強さなどを学べた。

■人々と出会ったことが一番印象的だった。…これからは、もっとタイや自然破壊について考える。…遠い異国の地であったタイが、今では友達が住んでいる国になったからである。キリスト教でいう「世界の兄弟」という意味がわかったような気がした。

■パタヤの歓楽街で多くの売春婦を見たが、教会のセンターが理想論でなく…社会の実情と売春婦の置かれている立場を尊重しながら活動に取り組んでいたのが印象的だった。

■沼地の上や高架線の下に立つスラムは、人体に及ぼす影響が非常に悪い…環境が劣悪だと思った。このような生活を、物のあふれるバンコクで何10万の人がしている…。また、スラムの中にも貧富の差があることに驚いた。

■農村では「居心地の悪さ」を感じなかった。のどかな生活が人間にとって自然なのではないかという気がした。日本人はストレスがつきまとう生活をおくっていて、顔にあまり和やかな表情がない。大人になっても老人になっても屈託のない笑顔を絶やさない村の人たちがとても自然でうらやましくさえ思えた。

■村の人たちは幸せそうだったが、ゴミや教育など、多くの問題がある。村がよりよくなることは大切だが、そのために今の平和な生活が壊れてしまう気もする。日本の物も流入している村では、人工のもの、ビニール、缶、洗剤などによって少しずつ汚くなっている…。「発展」と「ゆとり」の共存は難しいことなのか、村は今後発展していくべきか、それとも今のままがよいのか、…考えていきたい。

■他人のために何かするというのはどういうことなのか…罪悪感とか同情、正義感、満足感はもちろんあるだろうが、そこで終わるのではなく、自分の気持ちから抜け出し、他人の気持ちや立場まで自分のものとして捉えて、「他人のため=自分のためとすることはできるのか」「こういうのは現状を知らない人の唱える理想論なのか」などと考えている。自立を助けるための援助活動であるなら、活動内容はもちろん、人との接し方も同情ベースではだめだと思う…私も何か村の人達のためにしたいと思うが、まだ同情とか罪悪感の域を出ていなくて、何をどうすればいいのかわからない。

■初めはコミュニケーションをとるのがとてもむずかしかったが、ほんの小さな共通点をみつけることで、少しずつ心がうちとけられる気がした。…見栄や言葉、経験は必要ないのだということがわかった…ありのままの自分とほんの少しの努力と勇気さえあればよい。最後はとても充実でき、言葉がない分、感じとれる違いや感動があることにも気づいた。人と人という立場での人間の心のつながり、ふれあいを感じられた。苦労した分、うちとけられた後の喜びも大きく、別れのさみしさも大きかった。

ミンガラバ 4 ミャンマーの姉妹教会を訪ねて(3)

前回までに報告したカチン州での司祭の召命の増加は、まさに急増という感じです。大神学校はミャンマー全教区合同なのですが、小神学校は各教区ごとにあり、カチン州の州都ミチナには、今年105人(4学年)の小神学生がいます。どんどん増えるので、何とか収容できるようにと増改築を重ねています。

司祭たちの働きはどうかというと、私たちの滞在中、一人の司祭が司教館に帰ってきたのですが、話を聞くと、自分の小教区から山を越えて1週間歩いて来たと、こともなげに語ってくれました。大まわりをすると日数がかかるので、山中の細い道を歩き、途中にある川は「いかだ」を作って渡ったり下ったりしてきたと。そんなことで驚いてはいけない地域で、カチン族のみならず、リス、シャン、ナガなどいろんな民族と力を合わせて、教会を作っていった、すなわち宣教してきた歴史が、召命を増やしているのですから、頼もしい限りです。

召命が多いのは、司祭、あるいは修道者だけではありません。カテキスタ(信仰指導者)たちの活躍も目立っています。カチン州でも450人のカテキスタが働いています。その多くは男性ですが、月300チャット(約300円)の低い給料で、頑張っています。学校の先生への政府からの給料が千チャットで、それでは一家族の生活に困ると言いますが、なんとか寄付でやりくりしているとのことでした。そのカテキスタの養成学校に、今年は70人以上入ると聞きました。しかも、昨年の7人に続き、今年は20人の中国に住むカチン族の人が、養成を受けるために国境を越えて来るのを迎えられるというので、皆とても喜んでいました。

こういったことは、全国的に見られることです。特に、シャン高原、カレン州、ハカ教区など、国境(辺境)地域では当たり前と言っていいかも知れません。建物とか設備とかがなくても、人と人とのつながりの中で育っていく教会を見せつけられたような気がします。また、多くの修道院と教会が寮を併設していることも印象に残りました。貧しい家の子や、学校のない村の子を世話し、学校に送るための寮ですが、それを普通としているミャンマーの教会で「共同体」ということばを聞いた覚えはありません。違う民族の子どもたちも当たり前に受け入れている彼らにとって、突然訪れた私たちを、笑顔で喜んで迎えるのも、自然なことなのでしょう。

(ミャンマー委員会)

「助け合いファイル」に期待しています

現在のカトリック教会は、教会同士の横の連絡は非常に少なく、たとえ隣の教会であってもどんな活動をどのような方法でしているのか分かりません。同じ苦労や悩みを抱えて同じ活動をしているということもありえます。

もっと情報が簡単に得られ同じ問題を他の教会と共に考えることができれば、そしてそれが発展してネットワーク作りにまでいければ、カトリックの大きな組織はもっと有意義に生かされると思います。

特にボランティア活動においては他教会との助け合いは必要です。ブロック内での福祉の集いに参加すると他の教会の活動や意見がとても参考になりますが、残念なことにそれはほとんど教会全体に反映することなく個人的な感動で終ってしまいます。もっと公共性のある形で、例えば活字等で他教会の様子が残されていれば教会全体で話し合うことがやさしくなると思います。

私たちは現在、教区に出来た新しい集会所でボランティア活動を始めました。将来は教会内での信徒同士の介護ができるようになれば、と思っております。もしこのような活動が他の地域でも行われていて、助け合いファイルを通して捜し出すことが出来れば、老いた両親が遠くに離れて住んでいる場合も、安心してそちらの教会に助けを求めることができます。

「助け合いファイル」が教会の片隅に眠ることなく、情報交換の役目を十分に果してくれる事を期待しています。

(西千葉教会 庄司昌子)

西千葉教会 気楽会10周年を迎える

高齢化が急ピッチで進んでおります。人間はお互いに支え合って生きていかなければならないことも知っています。

私達カトリック信者は毎日曜日教会に来てミサに与かり、キリストに出会い、共同体一致を確認して月曜日から社会へ出て、各々職場で仕事に励むことを繰り返しています。

気楽会は、教会の外で壮年部を中心として福音活動の組織として発足し10周年になりました。これを記念して9月9日(土)、歴史散歩と水上バスの旅を企画致しました。

芝、増上寺は徳川家の菩提寺、その昔、キリシタンを断圧した一族の寺を見学するのも何か因縁めいたものがありましたが、和気合々と境内を散策し、夏の夕暮、日ノ出桟橋より水上バスで浅草へ。

水の上から大都会のビル群をながめました。好天に恵まれた隅田川の夕もやの美しさは格別で、浅草名物「桃太郎」の焼カツを食べ楽しい1日は終わりました。西千葉のメンバーの他、関口教会の久守ご夫妻、横浜教区藤ヶ丘教会の石井氏の参加も得、総勢35名、キリストの恵みによって今後も他の小教区壮年会へ呼びかけて交流を計って行きたいと考えております。

(代表幹事 渡辺以文)

根本的な見直しの時「ブロック制度について考える」―司祭研修会―

10月17日から19日までの2泊3日、恒例の司祭研修会が、『ブロック制度を考える』をテーマに、千葉県日本エアロビクスセンターを会場にして、開催された。白柳・森両司教を初め、修道会・宣教会司祭合わせて63名が参加。これは、教区の小教区に携わる司祭の半数を超える人数である。

尚、今回の研修会の成果は、司祭評議会に報告され、更に議論が深められ、いずれ信徒を交えた見直しへと進められていくはずである。

テーマが選ばれるまで

「ブロック制度」が司祭評議会の議題としてとりあげられたのが、今年の1月。その成立の経緯、その後の発展、そして現在の状況について話し合いを深めながら、この制度が確立されてから25年の歴史があることから、この課題について、司祭の月例集会や研修会で取り上げ、時間をかけて話し合っていこうということになった。

白柳枢機卿も、研修会への招きの中で、司祭の立場から思う存分話し合ってほしいと呼びかけた。

大司教の挨拶

ブロック制度は、23年前の東京教区大会の中で生まれた。第2バチカン公会議の流れを受けて、神の民として、信徒も修道者も司祭も司教も共同責任がある、という考えから、教区の方針を皆で責任をもって背負っていこうという精神から誕生した。

教区にとって大変意味のあることであった。しかし、その後、新しい教会法がまとめられ、信徒を含めた教会のさまざまな会議は、教区長や主任司祭に対して諮問機関であることが、明確にされた。これに、さまざまな事情が加わって、布教司牧評議会から宣教司牧評議会に変わり、時代の変化とともに、今また見直されなければならない時が訪れていると思われる。

時間のゆるす限り、問題点を明らかにし、実りある研修会となるために協力してほしい。

森司教の趣旨説明

次に研修会の趣旨説明に立った森司教は、5月と9月の司祭月例集会で話し合われ、明確にされた「現行のブロック制度」のプラス面、マイナス面を簡略に説明した。

プラス面…

1 教区が意見を吸い上げる機関として意味がある。
2 信徒にとって小教区以外の共同体を体験し、刺激を受ける場として意味がある
3 千葉や多摩ブロックのように、小教区や地域に意義のある活動をしているブロックがある。

マイナス面…

1 小教区共同体とうまくコミットしているブロック委員は多くない。委員も固定化している
2 司祭の参加が実際に困難になっている。
3 多くの信徒の信仰生活や小教区の活動は、ブロックとの関わりなくしても、可能である。

デベイトを通して

今回の特長は、話し合いの方法としてデベイトの方式を採ったところにある。実は昨年もこの方式を採用したのだが不慣れと準備不足のために成果を上げることができなかった。今回はその反省にたって、賛成反対の立場に立つ人を3人ずつ立て、その役割をはっきり決めてデベイトに臨んだ。

そのデベイトは2日目の午前中に行われた。司会者は森司教で、ブロック制度無用の立場とブロック制度必要の立場で論じ合った。

賛成の立場の3人には、ブロック活動に専心してきた信徒とそれを支援してきた司祭、ブロック活動を通して教会のすばらしさを再確認した主婦の信徒がおり、反対の立場には、ブロック活動がむしろ小教区の害になっているとする司祭、もともと信仰を守ってゆくためにブロック制度などいらないという信徒、司祭にいわれてしぶしぶ参加しているだけで形骸化している現行ブロック制度に飽き飽きしている信徒がいて、それぞれの立場から議論した。

洗練されたデベイトとは程遠いものであったかもしれないが、少なくとも、ブロック制度のどこに問題があるかは明示され、参加した司祭への問題提起には、なっていた。

途中で、何度か、司会者が会場の参加者からの意見を求めたが、さほどには出なかった。それは、後でわかったことだが、デベイトの役割の中に自分の立場や意見を見いだしていたからだった。

グループに分れて

午後は、4つのグループに分れての話し合いに入った。この話し合いの結果は、3日目の最終日、書記役が全体会議で発表しなければならないことになっている。

話し合いのガイドラインとして、次の4つの論点が与えられた。

1、教区が意見を吸い上げる機関・場は、必要か。
2、信徒にとって、司祭にとって、小教区以外の世界との接触は、必要か。
3、近隣小教区の協力は、必要か。
4、ブロックの再編成は、必要か。必要とすれば、その具体案は。

研修会場を4つに分けてのグループ討論は、いずれも相当に熱が入っていたようで、あちこちから歓声も上がっていた。

最終日を迎えて

グループ発表は、それぞれ発表者の私見も交えてグループの特色を出していた。

あるグループでは、ブロック制度の是非を論じ合って後、議論の整理も兼ねて、次のような賛否をとったところ次のような結論が出た。

現在のブロック制度を残すべきか、否か。

残す・・・1
廃止・・12

別の形のブロックなら、どうか。

必要なし・4
必要・・・10

この数字は、今回の研修会に参加した司祭の意見を象徴的に表している。

結果的に見ると、特長を持った4つのグループなのに、大きな共通点があることに誰もが気づいた。それは次のようなことである。

教区を支えている大多数の信徒や司祭の意見を吸い上げる機関がない時代に、期待を担って生まれたブロック制度が、この20年間、その時代の使命を果たし、新たな必要性に応える組織に脱皮する時が来ている。今、思いきって小教区のあり方からメスを入れ、根本的に組織と制度を見直されなければならない。

そこで、新たなブロック再編の方向性として出されていた要点は、次のようなものである。

a 情報交換の場として
b 連携活動ができる組織として
c 状況が類似している母体が互いに協力できる場として
d それぞれの母体の活動や意見が十分に反映される制度として
e 現行よりもっと少ない小教区で作る小教区連合として

更に、新たに生まれる組織を支える機関として司祭の協力の大切さが強調された。

最後に小さなセレモニーが行われ、大切な贈り物が、研修会の参加者代表から大司教に手渡された。それは、2日目のグループ討論の後、参加者一人一人が大司教と司祭評議会に宛てて書いた提言を束ねたものだった。

それは、参加者の本音であり、研修会のまとめである。記名でも無記名でも構わないということであったのに、ほとんどは記名入りだったとのこと。

大司教は、「確かに受け取りました。真剣かつ前向きに検討してゆきます」と答えていた。この提言集は、これからのブロック再編成にあたって、4つのグループから出された提言と共に、司祭の声として、何らかの形で反映されてゆくに違いない。

編集部から

最近、よく教区ニュースが手に入らないという御意見が広報委員会に寄せられます。教区ニュースは、東京教区の各教会が、申し出ている部数に従って各教会に配られています。広報委員会としては、教区ニュースを通して、信徒のすべての方が、今の教会の様々な活動の情報に接することが出来るよう希望しています。各教会から出されている必要な部数の数字から判断しますと、修道会が責任をとっている小教区の部数が、信徒数に比較して明らかに少ないという気がします。もし教区ニュースを手にしたいと思う方は、各教会の司祭や信徒の広報担当の役員などをなさっている方に、教区ニュースを教会でもっと購入して欲しいという要望を出されると良いと思います。教区の皆さんの要望に応じて教区ニュースの発行部数を増やすことは可能です。どうか、教区ニュースを、読んでみたいと思う方は、ぜひ声を大にして、皆さんの教会に部数を増大するように要望して下さい。なお、教区ニュースの発行には、一部約80円の費用がかかります。半分は、教区が負担し、半分は、各小教区が負担しています。そのこともよく理解していただき、各小教区で、教区ニュース購入のための経済的援助も忘れないようにお願い致します。(担当司祭門馬邦男)

教区ニュースの音読テープサービスがあるのをご存じですか。高円寺教会のルチア会の方がマザーテープを作って下さり、カトリック・インフオーメイション・センター(CIC)の方たちがダビングをして発送作業をして下さっています。今12人の方がこのサービスを利用なさっています。目の不自由な方たちだけでなく、お年寄りの方たちにも利用していただけたらと思います。ご希望の方は、広報委員会まで連絡下さい。

先月号の5面のACOの解説記事に謝りがあるとのご指摘をいただきました。カトペディア’92の一部を引用させていただいたのですが、どこが誤りか不勉強でわかりません。ACOにかゝわっていらっしゃる神父さまに詳しく説明していただこうと思っておりますのでしばらくお待ち下さい。

今月は、「教会巡り」を休ませていただきました。