お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第127号

1995年11月01日

フランス核実験の反対のためハンガーストライキを行ったルイ神父に聞く

聞き手 編集部 森

祈りと断食で行動にあわわす

森 なぜ、 核実験反対のためハンガーストライキを行ったのですか。

ルイ 世論調査によりますと世界の人々の90%が、 フランス国民の60%が、 反対しているのですね。 フランスの司教団がはっきりと反対声明を出している。 それなのに、 実験を行なおうとしている。 私は行動力があれば、 止めることができるのではないかなあと考えたんです。

司教団の反対声明はある、 そして善意の人々は平和のためにお祈りもしている。 それで、 自分にできることをやってみようと思ったんです。

「この種の悪霊は、 祈りと断食によらないと追い出せない」 とマタイ福音書にありますね。 それで、 自分は祈りと断食で行動にあらわそうと思ったのです。

森 フランスの司教団は核実験反対でまとまっていたのですか。

ルイ そうみたいですね。 プロテスタントの教会等と一緒になって出した声明文がありますね。

その他にアミアスの大司教が、 日刊紙フィガロに投稿し核抑止力という考え方自体を転換しなければならないと訴えたものもあります。 大変大きな反響を呼んだようです。 この方は正義と平和協議会の会長でもあるのです。 核兵器のない世界を育てていくためのチャンスだということを強調しています。

森 フランスの教会の中でも行動に訴えた信徒がおりますか。

ルイ あまり聞いておりませんね。

フランスを愛しているから反対する

森 テレビや新聞等のインタビューに応えて神父さまは、 フランス人として恥ずかしいという表現しておられましたね。

ルイ フランスは母国でしょう。 それなのに、 なぜ、 反対するのですか、 という人もおりました。 そういう人には、 「フランスを愛しているから、 反対するのです」 と答えております。 核実験の他にやることがあるのではないかという思いがありますよ。

核実験の賛成派の人々が、 この100年の間に3度もフランスは侵略されたといって核の抑制力を正当化しておりますね。 でも、 自分たちが、 この間、 他の国々を侵略し、 植民地化している事実には目をつぶってしまっているのです。 被害者であるだけでなく加害者でもあった事実を都合よく忘れてしまっていますね。

宣教師に関する

森 多くの宣教師の方々は母国とその文化と深く結びついていると思うのですが……
過去の宣教の歴史を見ますと、 宣教はその後押しをする西欧諸国の利益と無関係ではありませんでしたね。

16世紀では中南米はスペイン、 東洋はポルトガルの王の宣教保護権のもとに宣教が行われておりましたし、 明治になって、 最初のパリミッション会宣教師たちは、 フランス領事館の通訳という形で入っており、 何らかの形での国との結びつきがありましたね。

宣教師としてのルイ神父さまの心の中では母国とどう結びついておられるのですか。

ルイ 私は、 宣教師に徹することを第一にしてきました。 フランス語を教えるとか、 文化を伝えるということは、 最初から断り続けてきました。 パリ祭の時フランス大使館で行われるお祝いへの招待はいつも欠席してきました。 宣教師であるということは、 まず一人ひとりの人間を大事にしていくことだと思うんです。

国境を越えて人と人とが結ばれる

森 国とか民族ということではなく、 まず人間を大事にするということですね。 そういえば、 今回の核実験の反対運動でも、 国や民族の立場を越えたネットワークが働いておりましたね。 国境を越えて人と人とが、 人間と地球環境を守るために結ばれていく。

ルイ 小さな国が動いたことも希望でしょうね。 シラク大統領はそれを無視しようとしていますが、 いつまでも、 無視続けることはできないでしょうね。

指紋押捺拒否裁判は、国の良心との対話

森 そういえば、 10年前、 指紋押捺おうなつ拒否問題では、 神父さまは、 国を訴えて裁判を起こして、 勝訴しましたね。 あの時、 神父さまを支えた弁護団の方々は、 国の良心との対話として裁判を位置づけておりましたね。

ルイ そうでしたね。 あの時の国の弁護に立った検事さんの1人が、 私たちの訴えを聞いて感動し、 検事をやめ、 カトリックの洗礼を受けましたね。

フランスの良心に訴える

森 あの時と同じように、 フランスの良心に訴えたいという気持ちが、 今回も働いていたのですか。

ルイ そうですね。 私たちのハンガーストライキを知って、 多くの人々が参加しました。 普通ああいう集まりでは相手を攻撃する声が日増しに激しくなっていくものなのですが、 私たちは祈りと断食を通しました。

森 お疲れになりませんでしたか。

ルイ その前に函館のトラピスト修道院で教区司祭の黙想会に参加しておりましたし、 あまり疲れは残りませんでした。

☆ ☆

ビエルゾンの反核デモにフランス教会視察研修旅行団も参加

9月5日、 フランスはムルロワ環礁で核実験を再開した。 11日、 フランス中部ビエルゾンで80人の労働者たちが反核デモを行った。

おりから、 ビエルゾンの教会を視察研修に訪ずれた旅行団のうち、 深堀司教をはじめ、 10名も共にデモに参加した。

参加者の1人、 長崎教区水主町教会の草野さんは、 「私の妻の兄の遺体はまだみつからないのです」 と語っており、 まだ戦争は終っていないと実感した。

CTIC 神の働かれる場

東京教区創立百周年記念事業の1環として、 創設された 「カトリック東京国際センター (CTIC)」 は、 その相談センターを昨年7月に江東区亀戸に場を移し、 活動を開始してちょうど1年たった。

地球社会の中に根を下ろし、 活動している様子を取材した。

☆ ☆

外国人労働者の問題は、 非常に多岐にわたっている。 賃金未払い、 契約不履行などの労働問題からビザの問題、 結婚、 離婚、 子どもの養育の問題、 刑事事件、 医療問題など、 人間生活にかかわるすべての問題だといってもよい。

人間だから恋もすれば結婚もする、 病気もする。 しかし、 外国人であるからという理由だけで、 いろいろなことが制限されている。

そこから種々の問題が出てくる。

CTICに寄せられる相談件数は、 月平均20件。 20件というと少ないように感じるかもしれないが、 1件1件は大変な問題を抱えており、 簡単に解決できる問題ではない。 1件に半年や1年かかる問題も多い。

現在、 2人の司祭を含む専任スタッフ4人が、 ボランティアや弁護士に支えられ、 活動を続けている。 そのため、 常に1人ずつが多くの問題を抱え、 その解決のために走り回っているのが現状である。

つい最近起こった問題の中の1つを紹介しよう。

×月×日

「今から外国人を連れてご相談にまいります」 という、 ある公共の福祉事務所からの1本の電話。 すべては、 この電話から始まった。

暗い顔をした母親と赤ちゃんが連れて来られた。 赤ちゃんは障害児だった。 母親はオーバースティ。

同棲の夫は、 自分の子どもが障害児だとわかると、 荷物とお金をもって逃げてしまったという。 子どもと一緒に死ぬことを考えていた母親は、 衰弱しきっていた。

すぐに、 CTICのスタッフ、 ボランティア、 関係者が集まり、 どうすれば一番いい解決になるかという話し合いが始まった。

×月×日

問題は山積みだが、 この子の障害は手術で治すことができる。 まず、 それが先決だ。

外国人の医療問題は深刻だ。 この子の場合も莫大な医療費がかかる。 母親がオーバーステイなので、 赤ちゃんもオーバースティ。 健康保健に入ることはできない。 健康保健に加入していなければ、 育成医療の適応も受けられない。 しかし、 なんとか健康保険に加入できないか、 何度も役所に足を運ぶ。

普通、 保健料の点数関係は、 1点10円。 だが保健を使わないで診療する場合、 1点40円を請求される場合もある。 手術というと、 すぐ300万、 400万円かかってしまう。 その上、 この子の場合は何度も手術を受ける必要がある。 この手術を引き受けてくれる専門病院探しが始まった。

×月×日

入国管理事務所もダメ。 健康保健も受けられない。 育成医療も受けられない。 病院も手術を受け付けてくれない。 すべてが 「ノー」 の状況!

皆のガッカリした顔、 顔、 顔。

×月×日

奇跡がおこった! 快く手術を引き受けてくれる病院が見つかった。 しかも、 その病気の専門病院だ。 治療費も心配いらない。 すべてが、 一挙に解決した。 これで手術が受けられる!

×月×日

赤ちゃん手術を受ける。 成功。

×月×日

赤ちゃんがニコニコ笑う。 お母さんの顔も変わった。 笑いを忘れていた母親の顔にも笑顔が戻った。

イエス・キリストは、 ナザレの会堂で預言者イザヤの書を朗読された。

「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」

そして、 「この聖書の言葉は、 今日、 あなたがたが耳にしたとき、 実現した」 と言われた。

イエスは今日もこの言葉を語っておられる。 イエスがこの赤ちゃんに近づき、 手をさしのべ、 触れてくださった。 この子が人々を集めた。 みんなが、 この子のために一致し、 自分のことも忘れてかかわる。 この子に触れてくださった主のみわざを見て、 また多くの人が自分も主に触れられたと感じる。 今回も主がその母親とかかわり、 母親を解放してくださった。 その姿を見て、 自分たちが何かしてあげたのではなく、 私たちの方こそ多くのことを学ばせていただいたのだと痛感する。 自分が変えられていく。 CTICのスタッフがみな生き生きしているのは、 そのためなのだろう。

この一人の子どものために、 多くの人が一つになり、 毎日奔走した。 その結果、 奇跡としか呼べないほどのベストな形での結果がもたらされた。 しかし、 まだまだ、 複雑で重い多くの問題を抱えているこの母子のことには、 かかわっていかなければならない問題が多い。

ずーむあっぷ
カトリックセンター、 大司教館に足かけ16年勤務した
シスター望月 (宮崎カリタス修道女会)

「はっきり言っておく、 私の兄弟である、 このもっとも小さな者の一人にしたのは、 私にしてくれたことなのである」 この聖書の言葉は私にとって、 励ましとなりました、 と話して下さるシスター望月煕代。 大司教館の事務局に9月末まで勤務した。

「白柳枢機卿様、 森司教様、 事務局の神父様方にお目にかかって16年、 不慣れなことも手伝って数々の失敗を重ねることも多々ありましたが、 枢機卿様、 司教様もとがめることもなく、 いつもあたたかなまなざしで包んで、 支えて下さいました。”すごいなあ”と思いました」 冒頭の聖書の言葉が生きている職場で、 教区の仕事に携わる方々との交わりを通して、 キリストとの出会いの体験ができ、 「よい時」 を過ごせたことを感謝し、 一人ひとりに大声で 「ありがとう」 と申しあげたいと語る。

お花を育てるのが好きなシスター望月は、 修道生活31年のやさしく静かで控え目な方、 今本部の修道院で大好きなお料理を作っているかな。

一粒会主催チャリティーコンサート
合唱とオルガンの夕べ

10月6日午後7時から、 東京カテドラル・聖マリア大聖堂で、 東京大司教区一粒会主催第5回チャリティーコンサート 「合唱とオルガンの夕べ」 が開催された。

開会にあたって、 一粒会会長の白柳誠一枢機卿は、 次のように挨拶された。

『収穫は多いが、 働き手が少ない。 だから、 収穫のために働き手を送ってくださるように、 収穫の主に祈りなさい。 』(ルカ10・2)

一粒会は、 祈りと物質的な援助で司祭の養成に協力しようとする会で、 東京教区の信徒の皆さん全員が会員です。

日本に初めてキリスト教を伝えたのは、 スペイン人の聖フランシスコ・ザビエルで約450年前のことです。

彼はすぐ、 キリストのメッセージを伝えることは、 人の養成をすることだと、 天草や大分に司祭養成のためにセミナリオを開きました。

一粒会の名前の由来は、 キリシタン時代に、 信徒が毎日少しずつお米を持ち寄って司祭養成に協力したことによります。 これからも皆さまの祈りと援助をお願いします。」

小教区会計研修会
いよいよ96年1月から実践に伴い小教区会計研修会開かれる

8月20日 (日) 東京教区関口会館ケルンホールで、 小教区の 「収支計算書・収支予算書の勘定科目変更」 にともなう研修会が開催され、 66小教区140名が参加しました。

冒頭、 宗教法人審議会委員である白柳枢機卿から 「前大戦の末期、 カトリック教会に対し、 キリストの復活を否定せよとの要求がつきつけられるなど、 公権力による信仰内容への干渉はきわめて露骨でした。 戦後その反省から、 信教の自由を確保するために、 『宗教法人法』 が制定されました。 宗教法人の所轄庁は都道府県知事ですが、 法人が2都道府県以上にまたがる場合は文部大臣と定められるなど、 曖昧さが生じています。 また、 宗教法人の設立に際しては、 計画を所轄庁に提出しなければなりませんが、”堤出された以上は所轄庁は認証しなければならない。”と定められています。 オウム真理教事件でこれらの点が問題となり、 法改正の必要性が論議され始め、 特別審議会が設置されました。

カトリック教会は従来より所轄庁から高く評価され信頼されてきておりますが、 より一層態勢を整備する必要があります」 との内容のお話がありました。

小教区の会計制度の整備はその一環で、 教区本部ではすでに数年前から枢機卿の指示により検討を始め、 92年より実施していますが、 最近の情勢を踏まえて1996年1月1日からいよいよ各小教区においても実施することになったものです。

引き続き教区事務局長・稲川保明師より教会法から見た小教区と教会財務の説明、 その後、 教区本部財務委員より新小教区会計の収支勘定科目説明がありました。

しかし、 現在の各小教区の収支決算は、 勘定科目などで統一性がとれているとは言いがたいのが現状で、 またその規模にも大きな差があり、 プロの会計士にまさる教区や家計簿程度の教区もあり、 研修会で渡されたガイドラインを見て参加者の中には、 不十分だという声や大きなため息をつく者もいて、 今後の教区本部の指導サポートに期待がもたれます。

東京教区カトリック障害者の集い

8月27日(日)に吉祥寺教会にて開催された。

前半は各障害をもったパネリスト5名を含む6名によるパネルディスカッション (司会者は聴覚障害者)、 後半は分科会と、 白柳枢機卿によるミサのプログラムで行われた。

今回の特色は、 ともすると福祉の対応に非難しがちになるのに対して、 非常に建設的で積極的な意見が多かったこと、 予定人員100名に対して当日36名もの参加希望があり、 予定外の120名という嬉しい誤算があったこと、 しかも3分の1以上の方々が何らかの障害をもっており、 この種の集会では、 障害者が今までに一番多くの参加比率を占めたことである。

当日、 神学院の寺西英夫院長も参加され、 同院長は、 神学生は日頃忙しく、 障害者に接する機会も少なく、 来る11月23日の神学院祭に障害者の方々が来てお互いに交流できれば、 院生が目覚めるいい機会となるのではないかと話された。

なお、 現在報告書をまとめており、 本集会の終りに本報告書を教区に上申すること、 また定期的にこのような集会をもっていくことが決議された。

白柳枢機卿鴨川教会墓地を祝別

白柳枢機卿は、 7月30日(日)千葉ブロック鴨川教会 (主任久富達雄師) 「メモリアルパーク」 の完成にあたり、 猛暑にもかかわらず、 単身、 電車で同地を訪れ、 祝別をされた。

本紙で既報の同墓地は、 4月に起工され、 一般墓地19区画、 地下納骨室396基が完成した。
小教区あるいは国籍を問わず、 神様の下に一致を願うすべての人の利用が許されている。

白柳枢機卿は、 この中で、 宣教困難な安房長狭地域で5年前まで同小教区の司牧をされ、 墓地用地も取得して下さっていた聖コロンバン会に感謝を述べられ、 千葉地区長代理ジョゼフ・フェナティ師同席のもと、 管区長ブライアン・ベール師に紋章入りの感謝状を贈られた。

また枢機卿は、 宣教師達の人柄と幼稚園教育によって、 教区信徒に託された宣教の志と実りにふれ、 神様に 「恵まれた墓地」 と称されて小教区に励ましを与えられた。 さらに、 建設にあたった小教区信徒村上建鉄にも、 感謝状を贈られた。 竣工式には、 墓地に隣接地を持つ、 写真背後の曹洞宗寺院からもお祝いが寄せられた。

太平洋を眼前に臨む同墓地は、 遠く異国に故郷を持つ人々に 「太平洋が故郷に通じる道」 といって早速利用されている。

(清水裕子)

月刊誌『あけぼの』40周年記念シンポジウム
「揺らぐ日本の社会―キリスト教はどう答えるか?」

日本の社会に向けて語り続けて40年、 月刊雑誌 『あけぼの』 が 9月23日上智大学講堂で40周年を祝った。

この雑誌はカトリック教会の中で、 社会に向けて編集されている唯一の雑誌である。

創刊当初から未洗者を対象に、 特に女性に向けて、 社会のさまざまな問題や人の一生、 つまり誕生から死に至るまでのできごとを、 真に意味あるものとするために、 読者と共に考えようと編集し続けてきた。 ゆえに内容がどうしても思考、 哲学的になりやすいためか、 女性ばかりでなく、 男性の愛読者も多い。

40周年の記念行事では、 現代の日本の社会の精神的・宗教的問題を女性の視点からとらえなおし、 問題提起をすることをめざして、 シンポジウムが行われた。

「ゆらぐ日本の社会|キリスト教はどう答えられるのか?」 をテーマに3時間にわたる発言 (シンポジストは、 作家木崎さと子氏、 アナウンサー山根基世氏、 能楽家梅若猶彦氏、 司会は森一弘司教) を、 約600人の参加者は熱い想いで受けとめていた。

これからの信徒と司祭の協力を探る
フランス教会視察研修旅行

9月4日から15日にかけて、 「これからの司祭と信徒の協力をさぐるフランス教会視察研修旅行」 (団長高松教区・深堀敏司教) が実施され、 7教区、 27人の司祭と信徒が参加した。 (東京教区の参加者は、 文末に掲載)

視察研修旅行から10日程経った28日に東京教区の信徒の参加者に集まっていただき感想を聞いた。

☆ ☆

編集部 本日はお疲れのところ、 お集まりくださいましてありがとうございました。 まず、 この視察研修旅行の実務スタッフを務められた宮下神父さんから、 その目的をお話しいただき、 その後の司会をお願いしたいと思います。

宮下師 この 「これからの信徒と司祭の協力をさぐる信徒によるフランス教会視察研修旅行」 の1年前に、 全国の司祭団がドイツとフランスの教会を視察し (団長森司教)、 その成果を踏まえて、 今度は信徒の方々と一緒にフランスの教会を視察してはどうかという森司教の提案を受けていろいろと検討した結果、 やっと実施に向かって準備に入りました。

その目的は、 (1)「フランスの司祭不足の現状」 を知ること、 (2)司祭と信徒の協力による教会共同体はどういうものか、 (3)そこでの信徒の役割はどういうものか、 また、 (4)信徒は教会での役割を果たすためにどのような養成を受けているのかということを知り、 (5)各地で特色のある教会共同体があるので、 その姿を知ること、 また、 (6)じかにフランスの教会の信徒と交流するなどです。 単なる見学、 観光ではないということを最初から皆さんが理解されて行かれたと思いますので、 研修を終わって10日ばかり経ちましたが、 どんなことを感じているか一人ずつお願いします。

カトリック教会の厳しい状態

A氏 フランスの教会の現状については、 初日のワレ神父の総括的なお話に始まり、 ミーティングに出席された司祭の方々も次々と同様なことを話されました。 司祭の老齢化や召命の減少による司祭不足、 およびそれにより一人の司祭の受け持つ小教区数の増加、 農村では過疎化による信徒数の減少に対し、 都会では外国からの移民の増加による貧困、 全国的な離婚の増加や若者の教会離れ等々、 カトリック教会の直面する厳しい状況がよくわかりました。

一方、 このような困難な状況のなかで、 司祭と信徒がチームを組んで宣教や司牧に、 例えば子供たちのカテキズム、 離婚者の世話、 労働問題、 典礼などいろいろな分野で活動している姿は大変印象的でした。 しかも信徒の方々は、 司祭が少ないから手伝うのではなく、 信徒一人ひとりが福音宣教の使命をもっていることをどなたも強調しておられました。

共通司祭職

B氏 信徒と聖職者との交流が8回にわたって行われました。 特にビエルゾンの教会では午後5時から11時まで、 翌日は9時から12時30分までというハードな交流もあったのですが、 熱意あふれる信徒たちが現状を話してくれ、 共通司祭職がどういうものかということが理解できたように思いました。

アセオ (注) のモットー、 「み国が来ますように」 を実感した旅でした。

Cさん 帰ってきてすぐに自分の小教区で運営委員会がありまして、 日本の信徒が自立していないということを痛感いたしました。 いったい何が違うのかと思うのですがそこらあたりをこれからの課題としたいと思っています。 信徒一人ひとりが召命を感じているかどうかということもありますが、 その背後にあるものが何なのか、 同じ信仰をもっていて何がこんなに違うのか、 そこらあたりが鍵だと思っています。

きびしい現実の中に見られる希望と光

D氏 勉強のしすぎのような旅だったと思いますが (笑い)、 ワレ神父が最後のミサで述べられたように、 「キリスト教社会であったフランスが非キリスト教社会に変わってきた現実をうけとめ、 この矛盾だらけの社会に馬鹿にされながらも10パーセントの人たちがキリストを証していること、 そこに希望と光があることをよく見てほしい」 ということに尽きると思います。

E氏 一般の巡礼の旅では見られない所、 入れない所なども見たり説明してくださったりですごい旅でしたが、 反面きつ~い講義の時間で大変だったというのが実感です。

最初の段階で私が思ったのは、 宣教した国とされた国の違いかなということです。

ビエルゾンの労働者階級の人たちの信仰共同体の組織作りの話しと自分が今まで教会でやってきたことを重ね合わせて聞いていました。

Fさん 参加者の中で一番若かったのですが、 結構大変な2週間でした。

帰ってきて教会の青年たちに何を、 どう伝えるかということがまだ整理がついていません。

写真やもらってきた絵を見せたりする時に、 「どうだった?」 「大変だった」 「何が?」 「講義が朝から晩まであって」 (笑い) と流れの説明しかできなくて……自分の感じたことを言葉化することができなくてもどかしい思いがしています。

周りの人に何かを伝えていく作業よりも、 自分のなかできちんとしたものを持ちたいと考えています。 自分の教会を基盤として、 自分がカトリック信者として、 小教区の中で、 社会の中で何ができるかを考えて行動できたらいいなと思っています。

信徒使徒職が具体化

G氏 いやあ、 くたびれた!(大爆笑) 仕事の関係で今までに40回くらい外国に行っていますが、 そのなかで今回が一番ハードスケジュールだったですねえ。 たくさん聞いて消化不良の所がありますので、 正直いってもう1、 2回行って話を聞きたいというのが実感です。

第2バチカン公会議の信徒使徒職がかなり具体化していることを感じました。 例えば、 どこの教会に行ってもお母さんたちがカテキズムを一生懸命やっておられること、 あるいは求道者に対するカテキズム、 葬儀の受け入れ等でみられました。

また、 日本では今後の問題ですが、 1970年から終身助祭制度も行われ、 伝統のあるフランスでなければ見られないようなことをたくさん体験しました。

共に生きる「わたくし」から「わたしたち」へ

Hさん 私が一番心に残ったのは、 「共に生きる 共生」 ということです。 ボダン神父(フランス司教団秘書) が、 「福音宣教を司祭と共に信徒が担わなければならない共同責任」 と 「シノドス (教区大会) の役割」 を説明されたときに、 「わたくし」 から 「わたくしたち」 になるということを強調されたなかに、 新しい生き方を探るフランスの教会の姿を見たような気がします。

また、 ビエルゾンのアセオの組織とそこで働くマダム・アニーとの出会いは忘れられません。

自分で出来ることで奉仕する教会

Iさん この年になりますと、 小教区では、 「もうおばあちゃまは役員なんかしなくてもいいんじゃない」 といわれますが、 ビエルゾンの教会で、 80歳過ぎのお年寄りたちが 「教会のお母さん」 といわれて貧しい人たちに物を分ける仕事をしていると紹介されました。
日本の教会でも自分のできることで奉仕する、 そういう教会にしていってほしいなと感じました。

危機の中で希望をもって司祭と協力して働く信徒

Jさん 綿密な計画のもとにこの視察研修旅行が企画されたのだということを体験して感激いたしました。 あちらの百人近い方々が私たちのために対応してくださいましたが、 教会が直面する数々の危機のなかで、 希望をもって、 司祭と協力して働く信徒の姿を目の当たりにして、 日本の教会もこうあるべきなんだと思いました。

あせって今すぐ何かをするというのではなく、 自分の信仰を深め、 自分の教会のため、 日本の教会のために何かできることで奉仕していきたいと考えています。

Kさん 私は教区でも小教区でも広報関係の仕事をさせていただいていますので、 そのことを中心にお話ししようと思います。 バイヤールプレスの発行している新聞 「ラ・クロワ」 の宗教関係の記事の責任者の方が、 年間1億円近い赤字を出しながら、 福音宣教のために 「ラ・クロア」 の発行と教会に来ない信徒のためにカトリック情報紙 (パリ地区では 「ディマンシュ」) を無料で各世帯のポストに年2~3回配布し続けると話されたことに感銘を受けました。

フランスで出会った信徒の方たちは、 それぞれ自分のおかれた立場でしっかりと養成され、 自分の言葉で信仰を語り、 しっかりと自分の足でたって福音宣教のために働いていることを実感しました。

ミサでの数々の工夫

A氏 私たちは各地の教会でミサに参加しましたが、 基本的なことは同じですが、 いろいろと工夫しているようでした。

パリのショワジー小教区の主日のミサでは、 1906年に建立された比較的大きい聖堂を入口側のセクションに仕切り、 参加者ははじめ入口側に集まります。 まず、 聖歌練習や各種のお知らせなどがあります。 ミサが始まり、 集会祈願が終わると司祭はじめ全員内陣側に移動し 「ことばの典礼」 が始まります。

聖体拝領では司祭のほかにふたりの女性の奉仕者が聖体を授けました。

リジューのカルメル会の聖堂やブールジュの大聖堂のミサでは、 私たちを歓迎するためにフランス語の代わりにラテン語で主の祈り、 平和の賛歌、 サルベレジナなどを一緒に歌いました。

ノートル・ダムやブールジュなど古い大聖堂でも、 長いひざまずき台はなく、 木製藤張りの小さな1人用の椅子が多数並んでいたのは意外でした。 ですから、 ミサ中は立つか、 腰かけるかどちらかです。 また、 十字架が中央になく、 内陣の横に立ててある聖堂もありました。 このように典礼にしても、 聖堂の内装でもある程度自由にモデファイしているのはいかにもフランスらしいと思いました。

フランスの教会と日本の共通点

宮下師 それでは、 フランスの教会と日本の教会の共通点と相違点についてはいかがですか。

A氏 司祭職への召命の減少、 離婚の増加、 若者の教会離れなどは、 日本の教会との共通点でしょうか。

また、 フランスでは、 最近幼児洗礼が減り、 成人の洗礼が増えてきたとのことで、 日本と同じ布教国になってしまったと言われているそうです。

また、 フランスでは主日のミサに出席する人の割合は少なくなったが、 結婚式やお葬式は依然として教会でする人が多いとのことです。

日本では、 結婚式は神前か教会で、 お葬式は仏式でやり、 日常は無宗教というのが普通ですから、 面白い対比だと思います。

若者がいない

Cさん 教会における女性の働きが大きいこと、 また、 若者たちがほとんど見られなかったのは共通の悩みでしょうか。

宮下師 特に悩みという点で共通のことがあるのでしょうね。 違いについては、 どうですか。 また、 今後の課題についてもふれてください。

B氏 シノドスというのは司教総会のことだとばかり思っていましたが、 教区大会のことだったんですね。

Kさん 日本では、 子どもの信仰教育、 特に教会学校は青年たちの役割ですが、 フランスでは大人、 特に母親の役割でした。

共同体」という意識がうすい

Fさん 日本の教会には、 「共同体」 という意識が薄いのではないかと思います。 特に若者に神と自分の関係さえよければという気持ちが強いのではないかと感じます。

Cさん 今後日本の教会に 「共同体」 という観念を根づかせることがこの研修後の課題ではないでしょうか。

交わりと奉仕

宮下師 この研修のもう一つのキーワードは 「交わりと奉仕」 だったんですよ。 どの教会の人もちゃんと理解し、 強調していましたね。 それは、 横のつながり、 まさに共同体であるわけですよ。 大人であれ、 子どもであれ、 男であれ、 女であれ、 若者であれ、 年寄りであれ一緒になってやっていく。 それが一つひとつ活動グループの中で強調されているわけです。 そこを核にして広がっていく 「交わりと奉仕」 の精神が最初から最後まで貫かれていましたね。

A氏 日本でもフランスでも司祭の老齢化や召命の減少による司祭不足が言われています。 しかし、 他教区は知りませんが東京教区ではほとんどの小教区に主任司祭が居られますから、 フランスよりはまだまだ恵まれていると言えるでしょう。 だからといってすべて司祭まかせで、 信徒は何もしなくてもよいということではないと思います。

今回の旅の行く先々で、 司祭と信徒がチームを組んでいろいろな分野で福音宣教のために働いている姿を見て、 これからの日本の教会の進むべき道を示唆していると感じました。

Fさん ショワジーの教会で離婚者のために働く女性が初めは相手にされなくても根気強く声をかけ続けたという話を聞き、 次のように感じました。 原点に帰って、 自分が何ができるのか、 仲間が何を求めているかをそれぞれがアンテナみたいなものをはりめぐらしていたらいいと思うし、 また、 根気よく伝え続けることも必要だと思っています。

宮下師 今Fさんが言ったように、 時間をかけても伝え続けること、 交わりを自分のできる範囲から係わっていく、 今までのような信徒と司祭の 「枠」 を越えた共同体づくりへの取り組みの必要性をあらためて教えられた視察研修ではなかったかと思いますね。

編集部 どうもありがとうございました。

☆ ☆

東京教区参加者氏名 (50音順・敬称略)

信徒

東 米吉 (成田教会)
東 美佐子 ( 同 )
安藤昭子 (関口教会)
岩崎敏明 (木更津教会)
岡 悦子 (上野教会)
北村真美 (多摩教会)
関谷俊雄 (本郷教会)
相馬研吾 (北町教会)
堀川正秀 (高幡教会)
武藤洋子 (多摩教会)

司祭

シェガレ・オルビエ (カトリック社会問題研究所・荻窪教会)
関根英雄 (木更津教会)
藤岡和滋 (関町教会)
宮下良平 (多摩教会)

(注)
アセオとは
Action Catholique Ouvriere=A・C・O
1912年、 ベルギーの教区司祭カルデエン師が創立、 労働者が労働者の中で労働者と共に生き、 労働者の現実と人間としての福音的向上を仲間と共にはかることを目的とする。 (カトペディア’92)

☆ ☆

[パリでの研修プログラム]

9月5日 (火)
宮下師オリエンテイション 「研修を前にして」 プリント説明
ワレ師:現在のフランスの状況
ボダン師:フランスの教会の緊急課題

9月6日(水)
バボー助祭とマチュー夫人:終身助祭制度について
ノートルダム寺院 (レノレ師)

9月7日(木)
リジュー:フランス政教分離、 ノルマンディー地方、 幼きイエスのテレジアの生涯の説明、 カルメル修道院でミサ、 カテドラル見学
ボー (ド・ロ師故郷) :小教区主任司祭と信徒との交流、 市長の話

9月8日 (金)
メネソン師とコンスタンさん (ザイール) :パリ郊外サンドニ教区の現状
バイヤール出版社:出版社の事業内容、 創立の意図、 基本方針、 修道会の役割、 国際出版物、 日刊紙 「ラ・クロワ」 等について

9月9日 (土)
デュノワイエ師とラクロワ氏:ナンテール教区のシノドスについて
アンスティテュート・カソリック大学
ビダール師:信徒養成コースのうち主としてCコースの説明

9月10日 (日)
4グループにわかれてミサと信徒との交流:パリ市内南アジア人が多い地域、 北パリ、 サンドニ教区の教会、 パリ近郊、 団地の教会、 新旧カテドラル、 ベルサイユ教区ウドン地区

[地方での研修プログラム]

9月11日 (月)
オルレアン・カテドラルでミサと交流:高校生センターで働く女性、 典礼 (生け花担当)、 小教区専従者でカテケジス担当者、 終身助祭 (秘跡への準備担当) の話
ビエルゾン:レバノン人の医師アレ氏 (老人科) の話、 カトリック信者の経営者の話

9月12日 (火)
(1)カトリック・アクション団体 (アセオ・セアテ) で働くフィリップ夫妻と、 ポルトガル移民ジョゼさんの話
(2)大人のカテクメナートのリーダーの話
ブリネーの小さな教会、 ブールジュのカテドラル
ラジオ局:司教代理からシノドスについて
信仰と文化センター:図書館担当者、 援助マリア会のシスター、 アセオ、 弁護士、 プラネット、 カトリック学校教育、 教区ラジオ局担当者、 神学生

9月13日 (水)
ブールジュ大聖堂でミサ
ネロンド地区、 マキシム師、 フランソワ師:農村司牧、 農村宣教について
ヴェズレイー大聖堂

豊かなパートナーシップを求めて・女と男の役割分担から共生へ
講演会
「中年の夫婦の危機」 を見つめながら夫婦のあり方を問う

近年、 平均寿命が急速に延び、 私たちは人生80年の時代を生きることになりました。 女性のライフサイクルも人生50年の時代とは大きく変わってきています。

子育てを終えた妻が、 「空から巣のす症候群」 に陥る傾向が多く見られることはよく耳にします。 妻が感じている空しさ、 寂しさ、 不安などが、 企業社会に没入している夫に理解してもらえないという心のすれ違いが夫婦の危機を招いている例は数えきれません。

子どもが巣立った後、 妻と夫はさらに30年余りを夫婦として過ごすことを迎えますが、 この時期は、 妻の更年期、 夫の定年、 親の看取りなどの状況の変化によってさまざまな問題が起こる時期でもあります。

中年期は人生のターニングポイントです。 この時期、 夫婦はどう向かい合って危機を乗り越えたらいいのでしょうか。 さらに後半の人生を夫婦として豊かに生きるためにどうあったらいいのでしょうか。 ご一緒に考えてみませんか。

日時 11月11日(土)13時30分~16時30分
会場 関口教会 1F中会議室
講師 松原 惇子氏 (ノンフィクション作家)
荒川 旬美ひとみ氏 (東京ヒューマニックス研究所所長)
参加費 500円
主催 東京教区 「女性と教会」 委員会

ミンガラバ 3
ミャンマーの姉妹教会を訪ねて(2)

ミャンマーデー
1994年11月19日
明日のミャンマーの教会のために ~愛と祈りと献金を

とにかく、 カチン州で驚かされたのは、 私たちの中に一人のコロンバン会司祭がいたことで、 最高のもてなしを受けたことです。

カチン族の人々が、 日本人だけでも大歓迎してくれたことは間違いありませんが、 彼らにとってコロンバン会というのはあまりに特別だったのです。

原始的な宗教、 アニミズムの強かったこの地域で、 戦後の宣教活動を担ったコロンバン会の司祭たちは、 社会主義革命後もしばらく頑張ったのですが、 やがて全員出国しなくてはならない状況になりました。 その時、 カチン族で最初の司祭を司教に叙階して、 すべてを託して出ていったのです。 無念の思いで出ていく宣教師たち、 それまで師と仰いできた宣教師からすべてを託された邦人 (カチン族) 新司教と司祭たち、 彼らの引き裂かれる胸の痛みは想像するにあまりあります。 その当時のことを、 彼らはまだ心に残っていて、 いや伝え続けてきていたから、”WARMEST WELCOME”と彼らが銘打った大歓迎を受けることになったのです。

さて、 そのカチン族の最初の司教、 ポール・グロウン司教にお会いすると、 また胸を打たれる、 あるいは半ば痛む思いをしました。 突然外国人宣教師がいなくなると、 教会への弾圧とか迫害の中、 彼らはコロンバン会の司祭から教わったキリスト教をなくしてはいけないと、 忠実に守り、 頑張り続けたのです。

その先頭に立ったポール司教は、 どう見ても、 小柄で非常に静かな祈りの修道者タイプの人で、 信者をぐいぐい引っ張るリーダーというタイプではありません。 多くは語らないのですが、 顔を見ただけで、 「本当に祈って祈って、 苦しんでは耐えて祈って、 寝る時間も削って働き続け、 神様のようだったコロンバン会司祭の代わりに、 皆を励まし引っ張ってきた」 という感じが顔に刻まれていました。 温厚そうな彼が、 どんな思いで20年以上頑張ってきたのか…

頑張ってきたのは、 「耐える」 ということだけではありません。 カチン州は宣教に決して楽な地域ではありません。 山が多く、 道路は発達していないし、 もちろん電話は一部地域にしかありません。 そこでポール司教も自らよく歩きます。 たとえば昨年も、 11月15日から12月31日まで、 1日10マイルずつ歩いて小さな村を回り、 ミサを捧げ、 クリスマスを迎えたと聞きました。 それでも、 たったひとつの小教区の半分しか行けなかったとも。

22の教会があるのですが、 司教自ら、 20年以上外国との連絡もほとんど取れない状況の中で教会を守ってきたこの地域では、 今、 信者も司祭も増え、 国境山岳地帯を越えて、 同じカチン族のいる中国での宣教も開始しています。 便利な日本で働く私たちは、 宣教という面でも、 生き方という面でも多くを学ばされました。

(ミャンマー委員会)

9人の学生 韓国へ行く
真生会館カトリック学生センター 韓国ホームスティプログラム

8月19日、 9人の青年が韓国のカトリック青年と交流するためソウルに向かった。 複雑な歴史とことばの壁ゆえ、 あれこれ心配する神父や年長者を尻目に、 あっという間に仲良くなった彼らは、 ホームスティをしながら、 韓国の青年と一緒に歴史的名所や日本の占領支配の跡を訪れ、 金枢機卿に面会し、 大学を見学する一方、 ディスコで踊り、 夜の市場を歩き、 忙しすぎるくらいの1週間を過ごした。 「日本を、 韓国を、 自分を、 相手を知る」 ための合宿討論会も、 『釜山港へ帰れ』 の意味もろくに考えずに歌っていたことなど、 「知らなかった」 苦さを具体的に味わったりしながら、 進められていった。

今回お世話になった白石洞パクソクトン教会は、 ソウル郊外の新興住宅地にあり、 まだビニールハウスの仮教会ながら、 6000人の信徒を持つソウル教区の平均的サイズの教会で、 まもなく1000人収容の聖堂建築 (地下2階、 地上5階) を開始する予定で、 教会そのものも、 刺激になったようである。

信徒に南北離散家族が多いのも特徴で、 北朝鮮がすぐ川向こうに見える展望台では、 過去の歴史を吹き飛ばしそうな勢いの若い世代も、 国が2つに分裂させられた韓国人の痛みに感じ入っていた。

参加者の声から

・人間関係が暖かい。 韓国人留学生が 「日本人は冷たい」 というのがよくわかった。
・ 「国家とは何か、 民族とは何か」 を考えさせられた。
・ 「心が通い合っている」 と思える時間があった。
・ 「来てみなければ分からない」 と思った。 …韓国にも自分と同じ普通の生活がある…ごく自然のことだが…実感できた。
・日本がした残酷なことは帳消しにするのではなく、 伝えていかなくては。
・ 「自分は北朝鮮出身だ」 と言った時の林リム神父の、 寂しそうな憂いを含んだ目が一番印象に残った。
・いま会っている彼が、 もうすぐ陸軍に2年行くと聞いたときの 「徴兵制」 の現実にショックを受けた。
・同じ信仰を持つのは素晴らしい。
・教会内の連帯感・信頼関係が、 日本の教会には欠けている気がする。

短い期間ながら、 韓国の青年からも、 「温かい気持ちは通じた」 「日本にポジティヴな感情を持てるようになった」 「交流を続けていきたい」 「新しい時代をつくって行くぞ」 などの感想が聞かれた。 白石洞教会の林神父も 「今は一口かじって味が分かったところ、 これが満腹するきっかけになって欲しい」 と言っている。

企画・引率をした李イ神父 (韓人教会) と余語神父 (真生会館) は、 来年2月に次回プログラムを実施するか検討中なので、 参加希望者はカトリック学生センター (真生会館TEL3351-7121、 3357-6227) に早めに連絡を取って欲しいとのこと。

『助け合いファイル』Q&A

今回は、 先月号でご紹介したファイルについてのご質問にお答えします。

Q 助け合いファイルは教会のどこにあるのですか?
A 主任神父様にお渡ししてあります。 神父様にお願いして見せていただいて下さい。

Q 誰でもファイルを借りることが出来るのですか?
A 教会外への持ち出しはできませんが、 どなたでもファイルを借りて、 見ることが出来ます。

Q ファイルに登録してあるグループが解散した時や、 内容に変更があった時はどうすればよいのですか?
A なるべく早く家庭プロジェクトチームに郵便またはファクスでお知らせ下さい。 特に変更の場合は、 内容を詳しく書いて下さい。

Q 新しい活動グループが出来ました。 ファイルに載せてもらうには、 どうすればよいのですか?
A 家庭プロジェクトチームにフォーマットがありますので請求して下さい。 すぐにお送りします。 まだ登録していない活動グループもぜひフォーマットをご利用下さい。

皆様の教会ではどのように2冊のファイルを活用しているのでしょうか。 活用談をお寄せ下さい。 次号のこのコーナーでご紹介します。 またこの他にご質問があれば左記までお寄せ下さい。 お待ちしています。

〒112 文京区関口3-16-15
東京教区事務局 ナイス2・家庭プロジェクトチーム
TEL3943-2277

教会・修道院巡り(45)
『赤羽教会』

秋空に映える尖塔の美しい聖堂、 その正面には聖母の御像が掲げられ信者たちを招いておられます。

アウシュビッツの収容所で殉教されたコルベ神父は、 東京に修道院を建てたいと望んでおられましたが、 なかなかその時が巡ってきませんでした。

終戦間もない昭和22年に赤羽の地に白羽の矢が立ち、 駅にも近い繁華街の中に、 その礎が定められました。

しかし、 当時の赤羽駅前は闇市が軒を並べ、 焼け野原が遙か彼方まで続いていました。 その廃墟のなかにわずかに残った赤レンガ造りの倉庫が、 コンベンツアル聖フランシスコ修道会の赤羽での宣教活動の始まりでした。 この土地購入に際してはゼノ修道士さんがご苦労されたとのことです。

初代の主任司祭にドナト・ゴスチンスキー神父、 修道士のセルギュウスさん、 フランシスコさんが信者や求道者の世話にあたられました。

昭和24年8月15日、 聖母被昇天の大祝日に新修道院落成、 土井大司教から小教区設置の許可をいただき、 信者20名で赤羽教会が正式に誕生しました。

修道院では当時職のない人のために、 さっそく授産所を開設、 職業を指導し多くの人々の生活を支えるために力を尽くしたのでした。

現聖堂は昭和26年10月28日落成。

この聖堂建築に際しては、 長崎より女性の監督さんが着任されて、 教会建築には不慣れな大工さんを指導なさったとのことです。 祭壇は美しいマーブル模様に彩られ、 正面に被昇天の聖母の御絵が描かれています。 3枚のステンドグラスは、 キリストのご復活を中心にして、 祭壇に鮮やかな光をなげかけています。 その様子がテレビ関係者の目に留まり、 しばしばテレビの結婚式の場面等に登場しております。

当教会は、 駅に近いという立地条件に恵まれていますので、 大勢の外国の人々がミサに来られます。 毎週日曜日の午後3時と6時には英語のミサが、 第3日曜日の午後3時にはタガログ語のミサが捧げられます。 その関係で国際部の活動が活発に行なわれ、 去年に続いて、 24時間テレビ 『愛は地球を救う』 に国際色豊かに参加しました。

宗教は同じでも、 言葉の違い、 文化の違いで大きく戸惑うことの多い日曜日。 でも信者同志、 互いに手を取り合って、 信仰生活を高めていくと期待しています。

(滝沢ゆり)

〒115北区赤羽2-1-12

森司教
宗教法人法改正に関する毎日新聞の質問に答える

文部省が10月2日、 宗教法人法改正案骨子 (要綱) をまとめ、 与党に提示したことから、 国会をはじめとしてマスコミでも論戦が繰り広げられている。 この点に関して毎日新聞から、 カトリック中央協議会宛にアンケートの依頼があり、 10月4日付で出された事務局長森一弘司教の回答を全文掲載する。

☆ ☆

宗教法人法改正に関するアンケートのお願い
1995・10・3
毎日新聞東京本社社会部

いつもお世話になります。

さて、 文部省は10月2日、 (1)2県以上にまたがる活動をする宗教法人の所管庁を文部省とする(2)宗教法人に財産目録などの情報開示を義務付ける――などの内容の盛り込んだ宗教法人法改正案骨子 (要綱) をまとめ、 与党に提示しました。

国会では、 新進党が同法改正に反対する姿勢を明確にしています。 一方、 与党は自民党を中心に当初、 今度の臨時国会での改正で一致、 村山富市首相は国会で 「宗教法人審議会の報告を踏まえて必要な見直しを行うことを検討している」 と、 答弁しました。 しかし橋本竜太郎通産相がテレビ出演で、 拙速な審議に釘を差す発言をするなど、 自民党内にも改正推進派と慎重派があるようです。 与党内で、 必ずしも今臨時国会での改正に足並みがそろっているわけではありませんが、 与野党論戦の一つの焦点となるのは間違いないと思います。

こうした状況を踏まえ、 宗教法人の方々が今度の文部省の改正案をどのように受け止めているのか、 お答えいただきたいと考えております。

なお、 紙面化にあたっては、 宗教法人名を明らかにしたうえで、 ご紹介させていただきたいと思います。

お忙しいところ恐縮ですが、 ご回答は10月6日までにお願い致します。

どうぞ趣旨をご理解いただきご協力下さいますよう、 よろしくお願いします。

[質問項目]

Q1 文部省の宗教法人法改正案 (骨子) についておうかがいします。 同改正案の主要4項目のそれぞれについて、 「賛成」、 「反対」 のどちらかに○をつけて下さい。

(1)複数の都道府県で活動する法人の所管庁を文部省に移す。

1 賛成
2 反対
○3 その他:情報網や交通機関の発達によって、 全国レベルの活動展開が容易になった現代社会の中では、 当然のこととも考えられるが、 また、 それが、 政教分離の原則を逸脱した国の行政指導や干渉に道を開くことになるのではないか、 と懸念する。

(2)所管庁は、 宗教法人が収益事業を宗教法人に使用していない場合や認証時に宗教法人としての資格を欠いている場合、 81条1項に規定する解散請求事由がある場合には、 宗教法人に運営状況の報告を求め、 質問することが出来る。

1 賛成
2 反対
○3 その他:以下に記す条件のもとに。

イ、 認証された宗教法人が 「公共の福祉に著しく反する」 あるいは 「刑事事件等を犯している」 という著しい疑いが生じた場合に限る。

ロ、 所管庁以外の第三者的機関にその 「質問事項」 の作成と 「質問」 の行使、 また 「寄せられた回答」 に関する判断を委ねる。

ハ、 認証の取り消しに関しては、 これまで通り、 裁判所の裁定をもってする。

(3)宗教法人は事務所備え付け書類のうち役員名簿、 財産目録、 収支計算書、 6条の事業に関する書類などを所管庁に提出しなければならない。

1 賛成
2 反対
○3 その他:宗教法人の活動内容への干渉に道を開くことがないよう、 歯止めを求めたい。 他の公益法人等に求められている、 あくまでも客観的な事実、 数字等の提示のみにとどめるという点を明確に。

(4)宗教法人は、 信者から事務所備え付け書類閲覧を求められた場合にはこれを認めないといけない。

1 賛成
2 反対
○3 その他:信者ら関係者の知る権利として当然のことと思うが、 信者、 関係者の身分の範囲の明確化を求めたい。

Q2 今回の改正論議全般に対してのご意見をお聞かせ下さい。

イ、 法改正の出発点がオウム真理教の事件絡みで、 論議から結論迄の時間が性急すぎる。

ロ、 現代社会における宗教のあり方、 宗教の意義、 宗教と社会の関わり方、 更にはまた、 現代のような消費経済が発展した中での宗教団体の活動・運営のあり方等について、 時間をかけた冷静な議論の積み重ねの上に立って、 法改正を検討してもらいたい。

ハ、 宗教に対して多くの人々がニードを抱いているにもかかわらず、 戦後、 公教育の中で、 宗教の関する基礎的な授業さえも行われてこなかった事実があり法改正の前に、 (各自の信条の自由の尊重しながら) 宗教に関して、 広く国民全体で認識を深めるべきであると考える。

ニ、 政党間の力関係の駆け引きの中で議論が展開され、 論議すべき根本的な課題が見落とされてしまうのではないかと、 懸念する。

1995年10月4日
団体名 宗教法人 カトリッ ク中央協議会
回答者 事務局長 森一弘

以上です。 ご協力ありがとうございました。

編集部から

●若い女の子達のアイドルにまでなってしまった上祐君が、 ついに逮捕されてしまいました。 テレビのニュース・ショーにスターのように毎日登場し、 弁舌さわやかにテレビのレポーター達に答え、 人気もうなぎのぼりであった彼は、 今後どうなるのでしょう。 それだけでも、 テレビ局は、 ネタが途切れないと、 頬がゆるんでしまっているのではないでしょうか。 今年のマスコミを最もうるおしてくれた上祐君に、 今後マスコミが、 どんな取り扱いをするのか興味しんしんです。 日本のマスコミのレベルの低さに足並を揃えないように我々編集部員は注意したいと思います。

●紅葉だよりが聞こえてくるこの美しい季節、 どう過ごしましょうか。 食欲の秋?読書の秋?はたまた恋の秋?いえいえ、 バザーの秋!という教会もたくさんあることでしょうね。 みんなでアイデアを出し合ったり品物を持ち寄ったりして、 楽しいですよねェ。 皆さんの教会のバザーは、 どんなのかなァ?当日の様子や苦労話しなど、 写真や記事を編集部に寄せて下さい!

●フランス教会視察研修旅行では、 現地で準備をしてくださったワレ師、 通訳をしてくださったシェガレ、 ゴーチェ両師のおかげで実り多いものとなりました。

パリに着いた日に、 ムルロワ環礁でフランスが核実験を再開したとの報を受け、 信徒の方との交流では 「核実験について」 の質問をせざるをえませんでした。

ビエルゾンに着いた夕方には、 1750年には企業が存在し、 カトリック労働者運動 (Aア・Cセ・Oオ) もさかんな地域ですので、 デモという具体的な行動が行われました。

その同じ時間に、 私たちは地域のお年よりの世話・司牧について、 老人科の医師の方のお話をうがかうことになっていました。 両方とも重要だが、 身体はひとつ、 どうしようか?その結果、 2つのグループに分かれることで一致しました。