お知らせ
東京教区ニュース第121号
1995年04月01日
目次
- ◇ 司教団教書
平和への決意―戦後50年にあたって
ローマ特別臨時司教総会で承認 - ◇ 教区に新助祭2人誕生
- ◇ 金祝・銀祝
おめでとうございます - ◇ 東京教区決算・予算報告
- ◇ 家庭の為の祈り文入選作品決まる
応募総数176編 - ◇ ずーむあっぷ
「家族のための祈り文」
金賞入賞の小野多美子さん(目黒教会所属) - ◇ ナイス・2家庭プロジェクトチーム
『助け合いファイル』 (教会編・施設編) 作成 - ◇ 信仰を持つ者として家族計画をどう考えるか
~教区女性を教育委員会研修会~ - ◇ 生涯養成委員会一泊交流会
「今日が一番若い日」 開く - ◇ いじめとその周辺
生き続ける 「いじめ」 - ◇ 教会・修道院巡り(40)
『聖霊奉侍布教修道女会』 - ◇ 神戸からのメッセージ
ヒエン神父の報告 - ◇ 編集部から
司教団教書
平和への決意―戦後50年にあたって
ローマ特別臨時司教総会で承認
日本カトリック司教協議会の特別臨時司教総会が、 2月25日ローマで開催され、 司教団教書 「平和への決意-戦後50年にあたって」 が承認された。 (カトリック新聞3月5日号掲載)
編集部では、 信徒の方に早速呼んでもらいこの司教団教書に感想を寄せてもらった。
同文書は小冊子としてカトリック中央協議会から一部50円で発売された。 なお、 英文も発行されている。
☆ ☆
自分の痛みとして受け止める 男・60代
私が満17才になるその日だった。 酷暑の連兵場に整列し、 ポツダム宣言を受諾するとの放送を聞いた。 純粋で、 ただ、 唯ひたすらに国の定めた道を歩こうと望んでいた若い日の思い出である。
軍人の子として生を受け、 ひたすら父の後に続こうとしていた私。 父は戦場で傷つき、 兄は海でたおれ、 その悲しみを乗り越えて、 自分を忘れようとしていた私。
でも、 多くの部下を死に追いやった父の心の痛み、 兄の死をその日のうちに知りながら、 一言の愚痴を漏らさなかった父の姿。 そして、 それを知った母の悲痛な叫び。
司教団の 「平和への決意」 を読んだとき、 あの日のことを今のように思い出した。
私が知らない世界で、 どれだけ多くの人々―朝鮮半島の、 中国の、 そしてフィリピンの―に同じ思いをさせてきたのか。
それは、 他人の痛みとしてではなく、 自分の痛みとして受け止め、 神の前で胸を打たねばならない事だと思う。 そして、 神の愛に従う事が今日の私に課せられたものだと思う。
真の草の根の交流を 麻布教会・菅 光代
有史以来、 民族間の紛争、 戦争はいつでもどこでも後をたたない。 神が人間愛をいくら言われても、 それが理性でわかっていても強者が弱者を支配する力関係から紛争、 戦争に発展する。 戦後50年を迎える今年、 国家間の謝罪方法は国や司教団に任せるとして、 弱者の一人として信徒個人に何ができるか、 司教団の 「平和への決意」 を読み考えた。
幸いなことに、 以前よりアジア、 太平洋地域の人々の来日数がふえている。 長い歴史のなかで日本人に対してさまざまな感情をもつ人々が隣人になる機会も増えてきている。
隣人との交流方法により、 感情回復につながる。 お互いのもつ違いを確かめあい、 各々のもつ文化を尊重し合い理解する。
信徒各人が神の本当の愛を忘れずに接することができたとき、 日本人への変化した印象を自国に戻り伝えられるのでは。
神の愛つまり善悪を正しく判断する、 今国際的に懸念されている覚醒剤、 ピストル等の削減への実現をめざしながら、 真の草の根の国際交流をしていくことが、 今までの感情を氷解させていく第一歩だと思う。
平和の決意について 目黒教会・木邨健三
戦後50年の節目に 「平和への決意」 が出されたことは、 まことに時宜にかなったことであり、 「時のしるし」 として受け止めたいと思います。
特に印象深いことは、 次の3点です。
第1に 「日本人としての責任」 の中で、 FABC総会の白柳大司教の戦責告白を引用し、 加害責任に触れ、 強制連行や 「従軍慰安婦」 問題の未決の責任は新しい世代の日本人にも引き継がれていかなければならないとした事。 第2に 「教会共同体の責任」 として当時の教会が果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていた事を素直に認めた事。 第3に戦後50年を節目として、 人間として信仰者として戦争に向かった過去の歴史についての検査を真剣に行い、 真実の認識を深めることを提言した事です。
国際的信用を取りもどす 松隈 康史
私は中国や韓国など東アジア諸国を訪れると、 よく 「日本が過去アジアで何をしたか知っているか」 と尋ねられます。 反日的、 というわけではなく、 そもそも知っているのかどうか、 そして知っているならどう思うかを聞きたい、 というのです。 これは戦争責任を直視してこなかっ日本に対する不信感の現れでしょう。 その上、 私が会った人の多くは教会関係者ですから、 彼らは当然 「日本の教会はどう考えているのか」 とも質問します。 今までそれに答えることはできませんでした。
『平和への決意』 は、 50年目でやっと日本の教会の戦争責任にも言及し、 謝罪しています。 今後私たちは、 この 『平和への決意』 を第1歩に長い時間をかけて、 何度も失った国際的信用を取り戻していかなければなりません。
間違ったことを違うという勇気を 女・50代
「平和」 を語るとき、 黙して通ることのできない1つのことは戦争責任の問題でしょう。 アジアの人々と向き合った時、 どこかに引っ掛かるのがこの問題です。
現在でも経済国日本といわれている裏には、 アジアの隣人たちの多くの犠牲があることも否めない事実です。 正しいことは正しい、 間違ったことは違うとハッキリ言えなければ、 真のカトリック者であるとは言えないと思います。 今までカトリックはどちらかというとこのような問題には黙してきた方ではないでしょうか。
多くの反発をかいながらも、 司教団が靖国法案反対の決意をした時は画期的な大きな反響を呼んだと思います。 ごく小さな歩みであったかも知れませんが、 少しずつ準備して今その 「時」 がきたのだと思います。 二度と悲惨な戦争を起こさないためにも、 戦後50年にふさわしい決意だと思います。
正しく語り継ぐことが務め 高円寺教会・西野 良明
戦後50年はという節目の年に司教団がこの様な内容の書簡を私達に向って発表されたことは大変、 意義深いことと受けとめております。
同時に司教団がとても大事なことをして下さったという感謝の思いがございます。
ここに述べられている内容は私達の今後にとって、 きわめて具体的な大切な指針となりましょう。
私達はキリストの光のもと、 これまでの事実を正しく認め、 次の世代に正しく語り継ぎ、 継承して行くことも大きな務めと考えます。
キリストの愛の心で、 隣人と接し平和をもたらす者となれるように、 努めて行く責任を果たす決意をしております。
憲法の言及がなかったのは残念 女子パウロ会・シスター田島
戦争の悲惨と非人間性を見をもって体験した人間の一人として、また、待望の「国会における不戦決議」の実現が自民、新進党の反対によって危ぶまれているこの時期に、このような新書が出されたことを歓迎します。
ただ1つ残念なことは、最後の実行目標の中にも、また教書のどこにも現行憲法(平和憲法)の言及が無かったことです。
この50年の平和な年月は、平和を望む日本人一人ひとりの思いをはもちろんですが、戦争放棄を明文化した第9条が歯止めとなって保たれてきたということは明らかなのです。この憲法をまもり、この憲法の精神を尊重することの大切さを訴えてほしかったと思います。
教区に新助祭2人誕生
この春東京教区に新助祭が2人誕生し、 このほど助祭叙階式が行われた。 まず3月19日に関町教会で伊藤幸史神学生の助祭叙階式が行われ、 1週間後の26日に浦野雄二神学生が助祭に叙階された。 2人のフレッシュな新助祭のプロフィールをご紹介しよう。
☆ ☆
十字架のヨハネ
伊藤幸史さん
高校生の時、 兄が放り出していた本を何気なく手に取ったことが人生の歩みを大きく変えた。 その本は遠藤周作の本だった。 読んでみると、 なぜかその中に出てくる井上洋治神父の姿や考えにひかれた。 キリスト教に興味もあって、 「いいなあ、 一度会ってみたい」。
その日がついにやって来た。 大学受験で上京した折、 アポなしで井上神父に会いに行ったのだ。 試験の合間をぬって、 それも2度も。 ちょうど4月から東中野で 「風の家」 を始める年のことで、 井上神父、 風の家の趣意書を渡して曰く 「今度は、 手紙を書いてから来なさい」。
首尾よく大学生となった伊藤青年、 今度はきちんと手紙を書いて、 風の家に出入りするようになる。 そして、 まもなく親に内緒で受洗。
こうして始まったキャンバスと風の家を行き来する大学生活は充実したものだったが、 3年生も終わりに近づき、 就職のことが身近になるにつれ、 ふと考えてしまうのだった。
「サラリーマンになって、 結婚して、 平凡に生きていくのかなあ」
知らず知らずのうちに心の中に芽生えていた召命への思いは、 今や揺るぎないまでになっていた。 井上神父の計らいで、 小教区の雰囲気を知るために関町教会で1年間お手伝いして、 土曜学校の子供と楽しい日々を過ごした後、 神学校の門をくぐったのだった。
助祭叙階を迎えた今、 「いつの間にかこういう所まで来てしまった」 と感慨深い。 最初は激しく反対した両親も、 「ひとつの生き方としていいんじゃないか」 と今では理解を示してくれている。
井上神父流に 「宗教は生きてみないと分からない。 実際に日々を歩んでいく中で、 信仰をつかんでいきたい」 がモットー。 そして、 自分なりに感じたことや体験したことを言葉にして伝えていくと同時に、 自分も深めていきたい」 と抱負を語る。 今までは子供たちと接することが多かったので、 今度は大人の方と触れ合って多くのことを学んでいけるのが楽しみだ。
趣味はジョギング。 肌が白くて、 一見文学青年風に見えるが、 週2回は走るというスポーツマン。 お酒もめっぽう強いらしい。
愛知県生まれ、 28歳。
ヨハネ・マリア・ヴィアンネ
浦野雄二さん
誰も 「司祭になったら」 とは言わなかった。 でも、 暖かいまなざしと祈りで、 静かに見守ってくれる人がいた。 お母さんと主任神父だ。
浦野家に信仰の種を蒔いたのは、 お母さんだった。 浦野さんが生まれる2、 3年前にお母さんが洗礼を受け、 浦野さん自身は幼児洗礼、 その後お父さんまで受洗する。
母に連れられて通った本所教会では、 小さい頃から侍者会などで活躍した。
大学を出て、 ビル管理会社に就職した。 ビルの清掃に明け暮れる日々だったが、 3年半過ぎた頃から、 「俺、 このままでいいのかな」 と自問するようになる。 次に何をすると具体的なことは決めないまま会社を辞めてしまい、 主任の下山神父に相談した。 「この先あてはあるのかって言われて、 何もない (笑い) と…、 じゃあちょっと教会で働いて欲しい」 というわけで、 教会通いを始めるようになる。
「でも、 今から思えばこれが下山神父流とわかるんだけど、 別に仕事があるから声をかけたわけじゃないんです」
最初のうちこそ、 車の運転や部屋の整理をしていたが、 いつまでも仕事があるわけじゃない。 そのうち、 幼稚園の手伝いをするようになった。
こうして気がつくと2年が経っていた。 毎日が楽しくて不満があるわけじゃなかったが、 30歳を前にしてこんなことばかりしていられない。 それに下山神父は口にこそしないが、 何を考えているかはわかっていた。 思い切って相談した。 すると、 ひと言、 「俺もそれがいいと思うよ」。
浦野さんを暖かく見つめるもう1人の人がいた。 「教会でぶらぶらしてても、 母は何も言わなかった。 でも、 母の気持ちは僕の霊名に現れているんじゃないかな」。 聖ヴィアンネ、 主任司祭として生涯を捧げたこの聖人のように息子もなって欲しい、 そんなお母さんの切なる願いが伝わってくるようだ。
「神さまは、 必要なときに必要な助けを与えて下さる。 あまり先のことを考えないで、 たんたんと過ごしていきたい」 と抱負を語る。 スポーツは何でもこなすが、 とりわけスキーとバトミントンが大好き。
東京生まれ、 35歳。
金祝・銀祝
おめでとうございます
金祝 (叙階50周年)
ディエゴ・ルジェリ師 (フランシスコ会、三軒茶屋教会助任)
アルフォンソ・クレヴァコーレ師 (サレジオ修道会、 調布サレジオ修道院)
アントニオ・ガルシア・エバンヘリスタ師 (イエズス会ロヨラハウス)
クラウス・ルーメル師 (イエズス会、 SJハウス)
ダニエル・マツコイ師 (イエズス会、 SJハウス)
トマス・インモース師 (ベトレヘム外国宣教会 東京修道院)
アルド・ヴァラルド師 (聖パウロ修道会 八王子修道院)
銀祝 (司祭叙階25周年)
藤井泰定師 (在ドイツ)
山根克則師 (福生教会主任)
吉池好高師 (新潟教区青山教会主任)
池田紀行師 (マリア会 シャミナード修道院)
右田拓磨師 (聖パウロ修道会本部)
ジョルジ・ギター師 (クラレチアン宣教会 東京修道院)
ジョン・ディーリ師 (オブレート会 東京修道院)
ビヤンテ・ボネット師 (イエズス会 ザビエルハウス)
百瀬文晃師 (イエズス会 SJハウス)
中村健三師 (イエズス会 SJハウス)
マヌエル・シルゴ師 (イエズス会 SJハウス)
東京教区決算・予算報告
東京教区通常会計の94年度決算と95年度予算が3月21日の教区総会で報告された。
教区会計担当の古賀正典師 (教区本部事務局次長) に今回の会計報告についてお話しを聞いた。
94年度決算
昨年度に引き続き予算より、 5000万円程の節約ができました。
これは人件費、 協力費、 神学生養成費、 教区本部経費等の減少等によります。
予算は、 前年度の11月に立てるため、 人件費は、 人事異動後の司祭の出向先の数、 状況等によっても異なるので多めに見積もっています。
人件費の中には、 司祭、 職員の福利厚生費、 サバテイカルの経費、 緊急医療費の500万円 (基金として留保している) なども入っています。
協力費の減少は、 海外教会協力費の対象が主にミャンマーのためです。 ご存じの通りミャンマーの政情のため、 向こうの要請があったときに送金するので不定期になります。 一昨年は2年度分を送金しました。
神学生養成費も人件費と同じく、 神学院の選抜の合否が決まる前に予算を立てたため不合格者分と退学した神学生分等で余剰金が1300万円出ました。 これは養成基金に組み入れました。
特定献金
特定献金は減少傾向にあります。 児童福祉の日の献金のようにミッション校からの献金のあるものは増えていますが、 小教区からの献金は減っています。
東京国際センター会計
東京国際センター会計は、 小教区と同じように会計面でも賛助会の献金で運用し自立しようとしていますが、 昨今の低金利のため、 基金からの活動費が少なく、 苦しい状況です。
95年度予算
95年度予算で、 大幅に増加した項目は、 国内教会への協力費です。
阪神大震災の発生に緊急に1月18日に補正予算を組み1000万円を送金しました。
教区本部のもっとも忙しい時期、 古賀師は 「毎年お願いするのですが、 各小教区では決算案ができたら、 信徒総会を待たずにすみやかに教区本部に送ってほしい」 と願っている。
家庭の為の祈り文入選作品決まる
応募総数176編
「家庭」 をテーマに開催された第2回福音宣教推進全国会議 (NICE・2) を受けて、 東京教区 「家庭プロジェクト・チーム」 (担当田中隆弘神父) は、 祈りを分かち合いながら互いに家族を支え合うために 「家族のための祈りの文」 を募集した。 (2月15日締切り)
東京教区内の信徒のみならず、 京都、 長崎、 横浜、 広島教区の信徒からも寄せられた応募作品数は176編。
教区の各ブロックから2名ずつ、 計16名の司祭たちが選考委員となり、 入賞作品10編と特別賞3編を選んだ。
このうち、 1位から3位の入賞者たちは3月21日の教区総会の席で、 白柳誠一枢機卿から賞状と記念品を手渡された。
入賞者の中には、 京都教区 (特別賞1位)、 長崎教区 (9位) からの作品も含まれている。
主な入賞者と作品は次の通り。
金賞
子供がいじめにあった時の母の祈り
小野久美子 (39才主婦、 目黒教会)
銀賞
母を亡くした子供たちの祈り
吉田直哉 (47才、 会社員、 吉祥寺教会)
銅賞
老いゆく日の祈り
花牟礼純子 (6才主婦、 千葉寺教会)
入選
離れている家族のために
鈴木英彦 (42才、 会社員、 高幡教会)
入選
家族のための祈り
山谷えり子 (44才、ジャーナリスト、田園調布教会)
☆ ☆
金賞
子供がいじめにあった時の母の祈り
神様 私の大事な子供が傷ついています
私も イエスさまが ゲッセマニの園で
祈られたように
この杯を遠ざけて下さいとお祈りいたします
けれど こうして 十字架のもとで
ぬかずく 私には
過去に 私が 心なくも傷つけた人々の
顔がうかんでいます
今 最愛の子供がいじめられて
初めて 分かりました
私も又 人をいじめていたことを
このように 罪深い私が 今日迄 あなたに
祈ることをお許し下さったことに 涙と共に
深い感謝をお捧げします
どうぞ あなたの御名前をおよびする値打ちもない私ですが私の子供をお助け下さい。 そして試練にうちかつことが出来る御恵みを御与え下さい。
銀賞
母を亡くした子供たちのための祈り
神さま、 あなたは小さい3人の子供達をこの世に残し、 まだ若い私の妻、 子供たちの母親を天国にお呼びになりました。
残された私たちにとって、 辛く悲しいこの2年間が過ぎました。 一時はどうなる事かと不安に駆られることもありました。 幸い家族が労わりあい慰め合う恵みを戴き、 子供たちは今それぞれの目標を定め希望を抱きながら、 なんとか成長し歩んでいます。
神さま、 父親ひとりではどうにもならないことを感じる時があります。 子供たちが私の手の届かないところにいる時、 いつも信仰の恵みの中に留まることが出来ますようにお守りください。 あなたのご計画はとても深遠で計り知ることは出来ませんが、 この試練を受け入れ、 人生を強く生きていく勇気をお与えください。 また、 私たち家族のことをいつも心にかけ、 祈りを捧げていてくださる多くの人々に、 永遠の生命をもってお報い下さいますように。
私たちの主イエズス・キリストによって。
アーメン
特別賞
阿南七星 9才 京都教区
七星のいのり
神様、 もしよかったら、 ママの病気をなおして下さい。 でも、 もし神様が、 そう思わないなら、 このままでもいいのです。 なぜかと言うと、 ふしぎなことだけれど、 ママがちっとも、 この病気を、 いやがっていないからです。 かなしんでいないからです。 もし、 こまったことがあれば、 7星たちが手つだって上げればすむことだからです。
ママは言いました。
「おりょうりも、 そうじも、 せんたくも、 なにもして上げられなくて、 ごめんね。 でも、 その分時也と7星のためにたくさんたくさんいのっているから。」 と
7星は、 おいのりがなによりたいせつなことだと思います。 だからママは、 すばらしい思います。 こんなに、 子供のためにいのってくれるママは、 ちょっとめずらしいと思います。
だから、 このままのママが大すきです。 このママの子どもに生まれさせて下さってありがとうございます。
アーメン
銅賞
老いゆく日の祈り
天の御父よ
私たちは あなたに創られ
あなたに養われ 今日あります。
喜びの日も 嘆きの日もあり
歌った日も 怒った日もあり
祈れた日も つぶやいた日もあります。
楽しく働いた日も 疲れ果てた日もあり
愛し愛された日も 憎み憎まれた日もあり
罪に沈んだ日も 赦された日もありました。
そのいずれの日にも
あなたは私と共におられます。
天の御父よ
過ぎ去った日々と これからの日々を思い
願うことはただひとつ
どうぞ 愛する家族や隣人の幸せを
見せて下さい。
あなたの愛ははかり知れず すべてはみ旨。
けれども この世に生きる私たちは
こんなにも 弱く はかなく ちっぽけです。
ひとり子さえも惜しまない
あなたの愛を頼みとし
あなたに促されて あなたに願います。
朝の光を 感謝で迎え
夕闇を 賛美で照らし
日々を 穏やかに 心優しく暮らし
あなたのいのちに 生き尽くして
おわりますように。
入選
離れている家族のために
今日も朝、 ドアをカタット開ける。 でも 「いってらっしゃい」 が無い、
私は単身赴任なんです。 明るい日差しのなかで、 妻の顔がうかびます。
いつも私に注意をしています。
「朝食はキチットとって、 野菜をたっぷり食べて、 部屋は掃除してね」。
神様、 私の家族をお守り下さい。
今日も彼、 ドアをカタット開ける。 暗い、 寒い部屋、
私は単身赴任なんです。
食卓の上を見ると、 娘2人の写真が、 いつも笑っています。
「パパ、 煙草は喫わないで、 金曜日は早く帰ってきてね」
神様、 妻と子供たちを守って下さり、 ありがとうございます。
妻と子供達が私のために祈ってくれているのが聞こえます。
神様、 おやすみなさい。
入選
家族のための祈り
主よ、 この家庭にいただいた恵みに感謝します。
喜びも、 苦しみも、 すべての恵みに感謝します。
家族が、 父であるあなたと共にあり、
愛し合い、 希望をもち、
感謝と共に目覚め、
感謝と共に眠ることができるようにしてください。
家族がそれぞれの持味のすばらしさに
気づかせてください。
あなたからいただいた賜物を
賛美できるようにしてください。
そして、
家族の中ではじまった愛が、
すべての人への愛へと広がるよう
一人一人を強めてください。 アーメン
ずーむあっぷ
「家族のための祈り文」
金賞入賞の小野多美子さん(目黒教会所属)
東京教区 「家庭プロジェクトチーム」 が募集した 「家族のための祈り文」 で、 「子供がいじめにあった時の母の祈り」 が1位に入賞した小野久美子さんは39才の主婦。
家族は、 会社員の夫と、 14才と13才の息子。
入賞した祈り文は昨年1月頃、 息子さんがいじめにあった時十字架のもとでしたお祈りを綴ったもの。
「今では相手のお母さんとも、 親しくなり、 子供も元気に登校しています。 神に祈ることによって、 神の恵みのゆたかさを実感しました」 と入賞の喜びを語った。
ナイス・2家庭プロジェクトチーム
『助け合いファイル』 (教会編・施設編) 作成
ナイス2・家庭プロジェクト・チームは東京教区内のカトリック福祉施設と、 小教区内で活躍するグループの現状を紹介する2つのファイルを作成し、 総会当日各教区に配付した。 名づけて 『助け合いファイル』。
施設編には、 教区内の福祉諸施設の所在地や活動内容などが紹介されている。 一方教会編では、 小教区内で活動するグループを紹介している。 何かの必要がある時のインフォメーションに役立つに違いない。 又他教区の活動を知ったり、 それを参考にしたり、 意見を交換するなど、 他教区と連絡を取り合いながらのネットワーク作り等にフルに利用していただきたいと、 担当者は願っている。
これを第一歩として、 教区のネットワーク作りに取り組んでいきたいというのが、 プロジェクト・チーム・スタッフの熱い願いである。
信仰を持つ者として家族計画をどう考えるか
~教区女性を教育委員会研修会~
東京教区 「女性と教会」 委員会では、 女性の様々な問題について今までも講演会や研修会を行ってきたが、 2月18日・19日の2日間、 「信仰を持つものとして、 家族計画をどう考えるか」 というテーマで研修会を行った。 この会は自然的な産児調整のみが家族計画の唯一許される手段とする教会と現実の社会の間で、 どのように家族計画を考えたら良いのかという点について、 何か答えを出すというより、 本音で語り合うことを目的として企画された。 (参加者は1日目33名、 2日目21名)
内容は、 最初にレデンプトール会の吉山登神父より、 「家族計画についてのカトリック教会の考え方」 について基調講演をしていただいた。 講演では、 性の問題は性行為の問題として受け止められがちだが、 双方の関係や人格的な交わりが大切であること、 神の愛と人間どうしの愛について、 そして生物学的な見方に片寄ってしまっている現代の”命に対する考え方”への疑問などを話され、 家族計画については 「各個人が良心に手を置き、 人間の愛とこの世界で生きて行かなければならない現実を考慮しなくてはならない」 とされた。
次に、 「私は家族計画をこう考える」 というテーマで、 パネルディスカッションが行われた。 女性3人と男性1人の4人のパネリストが、 それぞれが今生きている現実や経験をもとに家族計画について考えること、 感じることなどを15分ずつ語った。 その後、 参加者の意見交換となったが、 家族計画の1つの理想と、 現実を生きる女性の悩み苦しみをどう合わせ考えていくのか。 その難しさを改めて感じた。
そのあと、 1日目の夕食の後には避妊したい夫婦について、 2日目の午前中には不妊の悩みを抱える夫婦について、 ロールプレーを通してそれぞれ1つのケースを出しながら、 その悩みや周辺にある問題、 それを乗り越えた体験などを話し合った。 時間が足りず、 家族や夫婦のあり方、 生き方まで話しを進められなかったのが残念だったが、 参加者の様々な体験や意見を聴くことができ、 それぞれの立場を理解する手がかりにはなったようだ。
参加者の感想
・原則が大切だと思います。 教皇様のお考えを大切に考え、 反省する事がまず第一ではないでしょうか。 (30代・主婦)
・2日目では、 できれば 「子供を持たないことってそんなに悪いこと?」 ということも話し合いたかったです。 出来ないなら仕方ないではなく、 できるできないに関わらず、 どう生きてもいいのではないかと思うのですが。 (30代女性)
・複雑な世の中において子育てをしていく大変さ、 経済・住宅困難etc は背負い難く、 (子育てにおいては男女平等なんてなく、) 女性の負担大です。 でも、 教会は (通り過ぎた年輩のものたちは) 苦しんでいる母親の存在にさえ気づかず、 子供は美しいものすばらしいもの、 産めよふえよ…でまいっちゃいます。 現実はどこかにあったはずの私の信仰さえ押し流すほど重いです。 (30代・主婦)
・性について正面から考える機会、 まだ最初の段階だと思いますがこれを積み重ねていつか人間の神秘タブーや闇 (影) の部分のない信仰にまで問題を深め、 風通しのよい生き生きとした信仰になることを願っています。 (40代女性・事務職)
・家族計画とは親としての責任を自覚した上で、 子供を計画的に産み育てることを希望し、 健全な家庭を築いていくことを目的としたもの、 そしてよりよい状態のもとですべての子供が望まれた子として生まれるようにすることです。 その中で信仰を持つものとして許されているものは自然な家族計画だけです。(50代女性)
・やはり簡単に割り切り、 考えられる問題ではないとつくづく感じた。 特に家族計画についての自分が選んだ (もちろん先に神から手を差しのべられましたが) 生き方をもう一度よく黙想し、 信仰において考えたいと思います。 しかし、 自分が選んだことを豊かに芽生えさせ成長させたいです。 (50代女性)
生涯養成委員会一泊交流会
「今日が一番若い日」 開く
今日が一番若い日“老いがい”を求めて」 をテーマにした東京教区ナイス・プロジェクトチーム生涯養成委員会主催の今年度第2回一泊交流会が1月25、 26の両日、 新宿区の戸山サンライズで開かれ、 札幌市・聖母会天使病院の村田忠良・精神神経科部長のお話をもとに、 約50人の信徒が分かち合いをしました。
交流会後のアンケートでは、 「たいへん役立った」 「今後も参加したい」 が回答者の9割を占め、 委員会スタッフ一同、 新年度の企画・準備に張り切っています。
村田先生は”老人になると、 思考形態が主観的になり、 頑固でプライドが高く、 老いつつあることへの恐怖心が強まる一方、 宗教性、 中庸、 調和などプラスの側面も強まる”老いとは 「歴史的時間」 を生きること。 本人は現状を受入れ、 感謝の心、 ユーモアの精神を持ち続けることを忘れず、 周囲の人々も家事などで出番を作ったり、 ほめることを心がける必要がある-などを指摘され、 「『老』 という言葉はもともと 『老成』 『老大家』 など、 敬意を込めたもの。 老いに対する先入観、 偏見を捨て、 長所を見出し、 喜び勇んで老いていく『老いがい』を広めていきたい」 と話されました。
講話を受けた分かち合いでは、 男性の場合、 老いを考える場合、 定年を抜きにできない、 自立心を若い時から養う必要がある、 感謝の心を持ち続けること。 老いの現実を受入れ、 自然体で生きる、 ユーモアの精神を持つ事の重要性を痛感したなど、 感想やご自分の体験など活発な意見の交換が続き、 交流会は岩橋神父のミサで締め括られました。
(南条)
いじめとその周辺
生き続ける 「いじめ」
いじめといじめによる自殺が今大きな社会問題になっている。 真生会館・学習センターでは2月18日緊急特別講座を開いた。 講師は中野区富士見中学校2年生だった鹿川裕史君の同級生たちの証言をまとめた 『葬式ごっこ』 -8年後の証言-の著者である豊田充 (みつる) 氏。 講演後、 参加者も家族、 学校、 社会はどのように対応しているのか実例を話した。
講演要旨
子どもの 「いじめ」 で中学生の場合はグループを組んで1人の子をいじめる、 その周りではやしたり、 見てみぬふりをしている子がいる、 これがいちばん多いですね。
親は多様な立場で考えなくてはいけないわけで、 とりあえず 「いじめられた」 ということで話を始めます。
私が9年前に取材をはじめた鹿川君事件と昨年11月末に報道された愛知県の大河内清輝君の事件。 このあたりが、 いじめ2大事件になっていると思います。
弱いからいじめられる?
非常に残念なことに9年前に鹿川君が亡くなった年度に全部で9人前後が自殺している。 また今度は大河内君。 その前後に 「いじめ」 がからんで自殺した子は、 年度で考えますとついこの間、 浜松で中学生が 「お金をせびられ、 たかられていた」 と走り書きのメモを残して、 去年の4月から8人目です。
子どもにとっては 「いじめられている」 というのは恥ずかしいことなんですよね。 特に 「弱いからいじめられるんだ」 というのが妙に固定してしまっている。 鹿川君が亡くなる前にNHKが朝の番組で 「いじめキャンペーン」 をやっていたんです。 それが 『弱いものいじめ』 というタイトルで本になりました。 私には 「いじめ」 なんかわからない時期です。
子どもの方からすれば 「弱い者と思われちゃいやだ」 とかで 「いじめられている」 ということを友だちや親にも何にも言いません。 親は子どもの状態が全然わからないです。
親の対応
なかなか難しいですけれども、 それではどうしたらいいかと言うと、 自分の子が 「いじめられている」 と気がついたら 「学校へ相談」 に行く、 これはみんなやっている。 今では学校は全然介入しないということは、 皆さん知ってしまったわけですけどね。
学校は何もやらないどころかへたをすると 「ちくった」 というので、 子どもの世界では 「制裁」 を受けてもしかたがないというある種のルールがありますから 「おまえ、 先公にちくったな」 ということで逆にやられてしまう。 女の子でも親に訴えたりすると小学校3、 4年生でも 「あんたマザコンだろう」 とか言うそうで逆効果を招きかねない。
「じゃ、 学校へ行かせなければいいじゃないか」 という 「不登校」 ですね。 それもひとつの方法かもしれませんが、 やっぱりみんな 「義務教育だから学校へ行かせなければいけない」 というのが、 親御さんは非常に強すぎると思う。 学校信仰といいますかね。 脅迫観念みたいになっている。
いじめにあったらどうする
今 「フリースクール」 という言い方がありますけど、 そういう不登校の子がそこで勉強したけりゃしてもいいし、 遊びたけりゃ遊んでもいいしある時間を過ごす場所がいくつかある。 例えば府中の 「地球の子供の家」 等、 そういうところにいくとか、 いくらでも方法はあるんです。
だけど、 やっぱり子ども自体は義務とか義務教育だからというんじゃなくて、 学校へ行きたいんですよね。
そういう年頃は友だちがほしいんです。 大河内君にとっても自分をいじめているのが友だちなんですね。 使い走りやかばん持ちをさせられたりしても一緒に行動していた。
文部省は 「いじめ」 のケースの場合、 転校させてもいいと認めてはいるんですが、 転校先でいじめられないという保証はない。 転校生いじめというのは、 一過性のもので周囲に同化するまで続く、 それが本格的な 「いじめ」 に転化する可能性もある。 子どもが成長する過程で 「いじめ」 にあわないという保証は何もないわけです。
大河内君のケースでも彼は2年の3学期に死んだんですけど、 1学期には別の子がいじめられていた。 その子は担任の勧めで転校したんですが 「前の学校でいじめにあって転校してきた」 と言ったら、 いたわってくれて幸いに転校は成功した。
学校の対応
学校というのは、 いじめらて死ぬ子がいなければいいというのではなく、 いじめる子をこのまま高校へ上げてもいいのだろうかということも出てきますよね。 このまま大人になってもらっては困る。 こういう子はいつも支配する側で鹿川君や大河内君のような子に対して 「こいつには何をしてもいいんだ」 と奴隷状態の関係を続けさせる。 いつも一緒に行動しているからといっても普通の友情関係とは違う。 大河内君の場合もプロレスごっこでやられているのを見ている。 体が揺れる、 目が静止していないということも気がついていて議題にも上っている。 学校はもっと考えるべきなんです。 本来やるべきことをやっていない、 これでは親は自分の子がいじめられていることに気がつき、 それもかなりひどいぞと感じとった時には、 死なせないことしかできない。
いじめの周辺
いじめる子 (加害者) といじめられる子 (被害者) の周りには、 おもしろがってはやしたてる子たち (観衆) がいる、 女の子も 「ちょっとね」 と言いながらも見てみぬふり (傍観者) をしている。 そういう傍観者がいちばん多い。
金子書房から大阪市立大学の森田洋司教授が 『いじめ-教室の病-』 (共著) という本を出していますが、 その中にいじめの4層構造として 「傍観者の数が多い程、 いじめはエスカレートする」 と指摘されています。 この本は鹿川君が亡くなる9年前に出ていますが、 この考え方は学校側には全然浸透していない。
大河内君のケースでも学校は 「いじめ」 を知っているのにグループの一員だからと何もしないでみすみす死なせてしまった。
小学校の場合 「先生」 がもっと気をつけてほしい。 担任の先生も人間だから、 「嫌な子」 もいるわけですよ。 それを不容易に表に出してしまう。 すると低学年の子どももその子を 「しかと」 するんです。 中学生になるとそういうのはあまりない。
いじめの解決はあるのか?
大人にもいじめはあるが、 逃げ場がある。 姑の嫁いびりにしても今は 「ばあちゃんが嗜みながらカラオケ」 をやっている。 サラリーマンなら 「赤ちょうちん」 に行く。
子ども、 特に中学生は受験勉強、 義務教育といちばん閉塞した状況にある。 いじめは高校の5倍、 小学校の2倍といわれる。 成績、 将来のことを親に言われ反発もできない。 それに乗ってしまう子もいるが、 不満はあり、 うっ積したものがいっぱいある。 子どもたちは緊張し続けている。
学校での 「いじめ」 は刺激に飢えている子どもには遊び的要素が強い。 いじめがはじまるとみんなでけしかけ、 クラスで乗ってしまう。 いじめられる子は泣くとやられるから笑ってごまかす。
いじめる方は心理的苦痛を与え、 いたぶっている。 学校だけではなく家庭、 社会、 マスコミにも原因はあるが、 朝夕のクラブ活動を含め12時間は学校での人間関係がベースであり心理的現場は教室です。 「いじめ」 に親が気がつき学校に言っても、 先生はどのように指導していっていいのかわからない。 自分たちのノウハウにあわないからである。
親子とも 「内申書」 で脅され圧迫を受ける。 学校は体罰隠しなど実にうまい。 学校の先生がその気にならない限り対策はない。
親にできることで、 親同士が知り合い関係になりいじめが弱くなった例がある。
学校懇談会も親同士が知り合いになる大事な場 「○○子ちゃんがいじめられているようだけど」 と相談できる。 子どもは自分がいじめられていたら親にも言えないが、 友だちがいじめられていることは親には話せるだろう。 それでいじめがなくなるとは言えないが少なくとも何も知らないよりは、 いい対応ができるのではないか。 今度の阪神大震災でも近隣で助けあってやれることがわかったと思います。
子どもは、 ふざけている場合が多く 「いじめている」 という意識はない。 お金をとったのは悪いと思っているだろうが使い走りとか、 かばんを持たせるとかは悪いとは思っていない。
よく言われることだが 「いじめられる子に問題がある」 というのはおかしい。 子どもが死ぬほど苦しんでいるのにそれに気づかないでいる 「いじめられる子の家庭」 に問題はある。 しかし、 気がついたとしても子どもをどこかへ隠すとかして命は救えたかも知れないがいじめの解決はできなかったと思う。
「いじめる子」 にも同じことが言える。 「ある子」 がある状況の時に 「ゆがんだ子」 になってしまう。
親はほとんど何もできないことをわかっていただいたにすぎないんですけど、 実はそのくらい 「いじめ」 の問題は難しい問題で 「いじめられる子に問題がある」 とか、 そんなうわっつらのことで解決できる問題ではないのです。
豊田充氏
1961年 東大卒
1962年から朝日新聞記者
教会・修道院巡り(40)
『聖霊奉侍布教修道女会』
「はじめにみことばがあった。 みことばは神とともにあった。 ・・・みことばは人となって私たちのうちに住まわれた。」 このヨハネ福音書の序文を家庭の祈りとして育った福音アルノルド・ヤンセン神父は 「ひとり子を与えるほど世を愛された」 (ヨハネ3の16) 神の愛に駆り立てられ、 全世界にこの神の愛をのべ伝える使命を持つ男女の修道会 (神言会、 聖霊奉侍布教修道女会、 聖霊奉侍永久礼拝修道女会) をオランダのシュタイルに創立した。
彼は特に宣教修道女の必要性を感じていた。 宣教地での召集を確保するにはその国の家庭に入り込み、 そこで若い女性の教育を通して、 将来のカトリック信者の母親を教育するためである。 よい家庭であるための前提条件は信仰深い母親の存在であり、 それ無しに現地の司祭は存在しないと彼は確信していた。
この構想のもと、 日本に向けて宣教修道女が派遣されたのは1908年である。
オランダのシュタイルにある母会から5人のシスターが秋田に着いた。 その後金沢、 名古屋に修道会は発展し、 1939年、 先に東京で宣教に従事していた神言会の司祭の努力によって、 井荻にも修道院ができた。
1941年に吉祥寺に移り司祭の祭服の製作や刺繍、 ピアノとドイツ語の個人教授を行い若い女性の教育にあたった。
1945年空襲が激しい中秋田に一時避難したが、 終戦と同時に吉祥寺にもどり、 もとの使徒職を再開した。 戦後にも関わらず、 米軍の将校 (司祭) の援助を受けて、 国内外の祭服の制作に多忙な日を過ごしたと祭り服の制作にあたったドイツ人のシスターは語っている。
1949年に武蔵小金井市に家屋と土地を修道院として購入し3月に移転した。 吉祥寺の家は学生寮として使用し、 1990年閉寮するまで多くの学生の勉学の場として役立った。
1965年地域の要望により、 敷地内に幼稚園が設置され、 女子寮も併設されて現在に至っている。
ヤンセン神父が描いたよい家庭を築くための若い女性の教育は、 日本では幼稚園から大学までの教育活動、 病院、 女子寮、 地域でのさまざまな宣教活動によって実現されている。
〒184 小金井市桜町1-1-43 聖霊修道院
TEL0423 (81) 8001
神戸からのメッセージ
ヒエン神父の報告
近代的センスを誇る港湾都市神戸は、 1月17日未明に阪神地区を襲った大地震によって、 世界中にその名を知られた。 しかしそれは、 恐怖の街としてである。 僅か20秒であの大都市が廃墟と化したのだ。 5000人以上が死亡し、 何千何百という人が負傷し、 30万あまりの人が家をなくして避難所で生活している。 「空の空なるかな、 全ては空なり」。 被災者の中には700人以上のベトナム人がいる。 そのうち190人がカトリック信者。 この人たちは今、 幾つかの避難所に別れ、 日本人と生活を共にしているが、 必需品にさえ事欠き、 惨めな生活を送っている。
地震を知らないベトナム人にとって今回の経験はあまりにも恐ろしいものだった。 未だにそのショックから立ち上がれない者もいる。 そして、 近い将来に再び地震がやってくるのではないかという恐怖と不安の中に生きている。
日本に入ったベトナム人
ボートピープルが、 最初に日本に受け入れられたのは、 1979年のことである。 先ず長崎の大村にある難民キャンプに送られ、 健康診断と、 入国に必要な手続きを済ませるまで、 数カ月間をそこで過ごした。 その後、 姫路か東京の品川にある難民キャンプに送られる。 ここでは3カ月間日本語の勉強と、 日本の社会に適応するための教育を受けた。 姫路や大阪、 神戸近辺など関西に住みついた者の多くは、 姫路の難民センターに留まった人たちである。 そして、 神戸のベトナム人カトリック信者の殆どは、 長田区と須磨区に住み、 鷹取教会の信徒として生活していた。
日本に住むことは、 ベトナム人にとって最初非常に難しいことだった。 日本を離れて他の国に行こうと考えた者も少なくない。 最も大きな困難はメンタリティーの違いと、 近隣に住む日本人が冷たく、 なじめないことだった。
しかし、 時がたつにつれてベトナム人たちも近親感をもつようになり、 日本に生きる喜びを感じ始めた。 そして、 異国の地にありながら、 自国にいるような心安さを味わうようになっていた。
難民生活10年を記念してカトリック信徒たちは、 王であるキリストの像をベトナムから取り寄せた。 鷹取教会の同意を得て、 教会正面に安置した。 この像はあの大地震にも些かも被害を受けることなく、 今も同じ場所に立ち続けている。
悲劇 (ドラマ)
1995年1月17日午前5時40分、 予期しなかった激震が神戸を襲い、 ベトナム人家屋の殆どが倒壊、 あるいは火災にあった。 恐怖に震えるベトナム人は、 ひとまず公園に避難し、 その後霊的慰めを求めて教会に走った。 ところが、 彼らが見たのは燃え盛る火の中で崩れ行く教会の姿だった。 呆然と立ち尽くしたまま、 互いに顔を見合せ、 全員が無事で、 重い怪我をした人もないことを黙認しあって、 神のご加護に感謝を捧げる。 主任司祭と一緒に避難所を探し、 ある学校に日本人と共に避難した。
長期にわたったベトナム戦争下で、 窮乏生活に耐えてきた彼らは、 避難所生活にも、 さほどの苦痛は感じなかった。 しかし、 日本人との差別待遇には敏感だった。 それに、 日本人は、 他人に邪魔されないで、 静かに生活するのを好み、 それに馴れている。 ところがベトナム人は、 いつでも、 どこでも皆が一緒になって大家族のような共同の生活を好む。 そんなベトナム人を、 日本人がうるさく感じるのは当然であろう。 これが原因で、 一緒に生活するのを難しくさせていた。 しかし時間がたつにつれて互いの理解も深まり、 共生の道を見い出すようになっていく。
現在ベトナム人たちは、 3つの避難所に分かれて、 日本人との間に摩擦もなく生活している。 毎日必要な食べ物や水も供給され、 平穏な生活を送っている。 たった1つ必要なものがあるとすれば、 それは慰めや励まし、 それに日本人の理解と共感だろう。 日本に来てから苦労して築き上げてきた生活のすべてを失ってしまい、 またゼロからの出発なのだ。 これから生きる道は確かに厳しい。 もし、 彼らに日本人や、 お互いの支えがないなら、 苦しみはやがて絶望へと変わっていくであろう。
構築
再建される未来の神戸は、 確かに今までとは装いを一変するだろう。 もっと美しく、 もっと安全な都市に生まれ変わるものと思う。 しかし、 新しい神戸にとって最も大切なことは、 どんな地震にも負けないしっかりした精神的土台作りである。 つまり連帯、 博愛、 神に根ざす愛がそれである。
神戸は今までいろんな国の、 いろんな言葉を話す人々がいることによって国際都市と名を売ってきた。 震災後の神戸が、 愛徳、 友愛、 友情に生きることによってキリスト教的になることを心から願いたい。
神戸からのメッセージ
家が破壊すると、 壁も屋根もなくなってしまう。 これに象徴されるように、 これからの神戸には、 もう神と人、 人と人を分ける壁は存在しないであろう。
編集部から
●先月号の刷り色は、 Mデパートの香典返しに使う包装紙の色と同じだという印象を持たれた方がいらっしゃいます。
何という譬え方をするのでしょう。 でもスタッフ一同大笑いでした。 そのため本号は少し赤を足してみました。 なかなか刷り色が一定しないので皆さんを不安がらせているかも知れませんが、 本号の反応をみて決定したいと思います。 皆様の御意見をよろしくお願いします。
(お肉)
●今月号の教区ニュースも盛りだくさんで、 あふれそうです。 「家族のため祈り文」 は、 愛に満ちていて心が熱くなってきます。 6面の 「いじめ」 の問題と1位の方のお祈りが偶然一緒になりました。 「いじめ」 は子供達、 両親、 家族の苦しみです。 根絶できないと言われる問題ですが、 ご意見、 ご感想等ありましたら、 編集部まで、 お寄せ下さい。
●白柳枢機卿の着座された聖エメレンツィアーナ教会は、 バチカンの北東部に位置し、 花の塔があるエメレンツィアーナ広場にあります。 近くにはプリツシラのカタコンベ。
着座式に出席された森司教から位置を聞き、 ローマの地図を見ながらさがして下さった門馬師のおかげで地図上に教会の名前を見つけた時のうれしさ。
ぜひとも行って見たいと思います。