東京教区ニュース第110号

1994年03月01日

’94教区総会の骨格決まる テーマは〜家庭〜 会場は 雙葉小学校(四谷) 3月21日 (春分の日)

1月27日開催された宣教司牧評議会は、本年度の教区総会について検討し、「家庭」をテーマにして開催された全国会議の流れを教区として受け止め、それにもとづいて具体的に展開していく必要があるということ、また本年度が国際家族年であるという理由から、テーマを「家庭」とすることに決定した。

また、これまでの教区総会が「家庭」についての講演会や分かち合い、事例研究を行ってきたことを踏まえて、更に一歩進む必要があるということから、「家庭」をテーマとしたプロジェクトづくりを本年度の総会の柱とする事も決定した。

更にまた、そのプロジェクトの骨格についても議論し、「祈る」「学ぶ」「分かち合う」「助け合う」というポイントで企画をつくる。また青少年、夫婦、国際結婚、老人にかかわる事柄には特別に焦点をあてるということで結論を得た。

同評議会は、これにもとづいて総会までにプロジェクトの原案を作成する宿題を負った。
なお、総会の日程や申し込み方法、参加者等については、2月9日の運営委員会で最終的な詰めが行われ、教区事務所がポスターや総会案内、申し込み用紙等を作成し、各小教区等に配布した。

東京教区の信徒、修道者、司祭の皆様へ

染みもしわも汚れもない、輝く教会であるために(エフェソの信徒への手紙5章27節)
東京教区教区長 大司教 白柳誠一

―国際家族年を迎えて家庭の テーマを深める―

1993年を振り返るとき、長崎を会場にして開催された第2回福音宣教推進全国会議は日本の教会だけでなく、教区にとって大変大きな意味をもつ出来事でありました。まず私は、この会議に向かって積極的に関わって下さった教区の方々に感謝申し上げたいと思います。

この会議のテーマが「家庭」と発表されて直ちに、私たちは、準備委員会を設置し、教区をあげて準備にとりかかりました。実に多くの方々が、私たちの呼びかけに誠実にそして積極的に協力してくださいました。いくつかのブロックは、家庭の現実にかなり深く踏み込み、どのようにすれば信仰にそった生き方が可能であるか、内容豊かな答申をまとめてくださいました。私はこのように育った流れを大切にし、教区の方々がまとめて下さったものを、何らかの形で是非活かしていきたいと考えております。また、来年は国際家族年でもありますので、第2回全国会議に向けて家庭について深めようとした姿勢が、揺れ動く家族のあり方を共に考え、新たな希望の光を探っていこうとする世界の歩みにも何らかの形で必ず貢献できると確信しております。近いうちにプロジェクト・チームを結成して話し合い、できるだけ早い時期に具体的な計画を皆様にお知らせしたいと考えております。

―全国会議の答申を尊重して教会共同体の刷新をめざす―

さて、全国会議は、カトリック新聞、教区ニュース等ですでに報告されておりますように、家庭の現実について深く議論されず、教会共同体の刷新にアクセントを置いた答申になりました。家庭に深く踏み込んで準備してまいりました教区にとっては、物足りないものであったことは否めませんが、各教区の現状からすれば、それは仕方ないことであったとも思います。しかし、そこで強調されております教会共同体の刷新は、教会にとっては常に新しい永遠の課題でもあります。私たち教区も真剣に受け止めて行かなければならない重要な課題だと考えます。そこで私は、教区の皆様に日本各地の教会と足並みを揃えて心を新たにして、この課題に取り組んでくださるようお願いいたします。

教会共同体は、いうまでもなく、単なる人間の集まりではありません。キリストの現存の場です。教会の最も本質的なこの真理に注目するならば、教会共同体の刷新は、何よりもまず共同体がキリストに少しでも近づき、少しでもキリストの姿にあやかることを目指すものであることを忘れてはならないと思います。

キリストと出会い、キリストから光と力、救いを見いだすことのできた人々は、実にさまざまです。キリストは、人々の求めがどのようなものであっても、それを鋭く洞察し、柔軟に対応し、一人ひとりに相応しい救いの光を与えられました。キリストの現存の場としての教会にも同じことが求められます。実に、12年間出血症を患っていた女性がキリストの衣に触れただけで癒されたように、近づくだけで、キリストが感じられるような教会共同体を育てる、それが刷新の目的です。

人生に迷う人々には、み言葉を与えて生きる道を示すキリスト、労苦し重荷を負う人々にはやすらぎを与えるキリスト、社会的に弱い立場にある人々には共にあろうとするキリスト、地上の営みに心を奪われてしまう人々には天の父の前で祈るキリスト、罪を犯して良心の深い苛責に苦しむ人々には十字架の上でゆるしを求められるキリスト、死の闇に怯える人々には復活のキリストなどなど、教会共同体には、人々のさまざまな飢え渇きが何であるかを見分け、それに応じたキリストを示し、人々に光と力を与えていく責任があります。

その実現は聖霊の恵みによるものですから、教会共同体の刷新のためには、何よりもまず、聖霊に対する真剣な祈りを皆様にお願いいたします。聖霊の恵みを願いながら、この難しい課題にチャレンジしていただきたいと思います。

共同体刷新の責任が、司教を始めとする信徒、修道者、司祭、教会共同体を構成するすべてのメンバーのものであることを、強く訴えたいと思います。

悲しいことですが、私たちが所属しているどの共同体にも、期待を裏切るような現実があります。教会共同体の中にあるマンネリズム、熱意の無さ、誤解、いさかい、陰口、そして分裂などなど、それは、愛と信頼による安らぎを求めてくる多くの人々につまずきとなります。それを誰かの責任に転化することは簡単なことでありますが、それはゆるされることではありません。勿論、教会共同体の要となる司教、司祭の責任は、他の人々よりも重いものであることはいうまでもありませんが、教会共同体は洗礼を受けたすべての信者によって成り立っているものですから、すべてのメンバーに責任があることを忘れないで下さい。

召命が異なれば、責任の果たし方は異なりますが、皆それぞれの立場から教会共同体の充実のために具体的に努力していただきたいと思います。その点で、全国会議の答申を参考にし、それを少しでも活かしていただきたいと思います。その中でも、特に私は、キリストの素晴らしさ、魅力についての活き活きとした信仰を育てるために聖書の勉強、祈り、黙想等により一層励んで下さるよう皆様に訴えたいと思います。また同時に弱い立場に置かれた人々の人生に深い共感の心を示されたキリストと共に生きるために、互いの重荷や労苦を理解し、その苦しみや悲しみを互いに共有できるよう、皆様の教会の中で信頼と愛にみちた分かち合いの実践を進めていただきたいと思います。信頼にみちた大胆な分かち合いと地道な祈りと勉強の積み重ねから、教会共同体の刷新が進んでいくのではないかと思います。

―むすび―

第2回全国会議が終わった今、私は、第2バチカン公会議の開催にあたって「長い歴史を歩んできた教会を、染みもしわも汚れもない輝く教会に刷新したい」と語られたヨハネ23世の言葉を思い起こしながら、東京教区の信徒、修道者、司祭のすべての皆様が思いを新たにして教会共同体の刷新に向かって一層の努力をしてくださることを願います。

ベトレヘムにお生まれになったキリストが、私たち東京教区の教会共同体の中のすべてを新たにしてくださるよう願いながら、皆様の上に豊かな神の恵みを祈ります。

新神学生紹介 神に呼ばれたひとりっ子 〜荒川博行さん〜

東京教区の新しい神学生を紹介する。

アブラハム荒川博行さん。現在は真生会館に居住し、アルバイトをしながら「早く、その時がきて勉強したい、くぎりをつける時」と4月から始まる那須での神学生としての生活を待っている。

荒川さんは、1968年7月31日大阪に生まれ、大学を卒業する91年3月に麹町教会で受洗、現在の所属も同教会。

司祭の影響は大きい

荒川さんが司祭を目指すまでに2人の司祭との出会いがあった。それは「奇跡的だった」と語る。

「大学はICUだったんですけど、カトリックとは全く縁がなかったし、哲学で卒論書いていてネタに困って、”もうどうしよう”という時、先輩がリーゼンフーバー神父様のところへ誘ってくれた。出会いは極めて不純だったんですけど、世の中にこんなすごい人がいるのかと思った。

直接の指導は、雨宮神父様ですが、この神父様たちとの出会いがなければ、こういうことにはなっていない」と言う。

不利益だけど正しい選択

神学校の面接の時、モデラトールに嘘をついても、バレると思ったので正直に話したという。

その話は、多くの聖職者たちの中に見られるように、一つひとつの出会いを通して、神に近づき、神にしっかりと捉えられたひとりのようである。

「こんなこと言っていいのかどうかわからないのですが、正直言って、司祭ってやらないですむなら、それにこしたことはないと思うんですよね。ずっと一人だし、平坦な道だとはどーしても思えないんですよ。無理してそんなことやる必要ないんじゃないかと、ずっと思ってたんです。

結局(この選択が)司祭になれるかどうかわからないんですが、自分にとっては、不利益な選択なんだけれども、正しい選択というふうなことは言えるんじゃないかと思えたんですよ。自分にとっては不利益な、要するに奥さんがいないとか淋しいとかあるけれども、その選択が自分にとって、神様にとって正しい選択だと今のところ思うのです。

思ううちは突っ走ってみようと考えたので『やるか』と思ったんです。だから、単純になりたいという感じはないようなんです。やるだけやって非常に無責任なんですけどなれたものになるという感じなんです。とりあえず、やってみてダメだったら『ごめんなさい』という感じなんです」

呼びかけに答えたい

イエズス様との関わりについても自分は聖書を理解しているかどうか自信がないので断定できないがとしながら、次のように語ってくれた。

「イエズスというのは、何かというと、僕を相手にする必要ない人が上からわざわざ降りて来て、声をかけてくれた。このことに対して、うれしいと感じるし、それに自分が答えたいというふうに思うんですよ。それが召命というか、アンドレとか弟子たちを呼ぶのはこういう感じかなと思うんですよ」

両親の理解

大阪在住のご両親のことを伺うと「家族は半分おもしろがっているようです」と次のように語ってくれた。

「僕はひとりっ子なんですよ。両親はキリスト教自体がどういうことを考えて、カトリックがどうなっているかわからないんですよ。母親の友人がクリスチャンでその方を見てて、母親は ”悪いところではない”というようなことは感じているみたいですね。

一般的な普通の日本の両親です。カトリックの家庭だったら『よし、行ってこい』と言うんでしょうけれど、引き止めもしないし、微妙なところです」

何が起こるかわからない世界

ご両親と大阪で生活されている頃は、このような道を目指すとは想像もしていなかったことだろう。又、洗礼を受けた時も、こうなるとは想像もしていなかったと言う。

「高校の時は、バスケットやら、山岳部でテントを担いであっちこっちということが多かったですね。大学の時から少しずつ変わってきて、洗礼を機会に自分の予想もつかないことが起こってきてしまうという感じがする。

将来どうなるか、何が起こるかわからない世界で、自分の力ではどうすることもできない。やるだけやってお任せ致しますという感じです」と淡々と話す荒川さんに静かな平安を感じた。

荒川さんは自分のことを記事にするなら隅の目立たないところに小さくと言う。

荒川さんの話が、司祭、修道者の召命を考える若者の大きな励みとなればと願う。

NICE・2答申に対する司教団文書は3月に 第2回福音宣教推進全国会議を終えて

日本のカトリック教会のみなさん

第2回福音宣教推進全国会議とその答申をどのように活かし、宣教と司牧の現場で役立てるかについて、わたしたち司教は、1993年度臨時司教総会に集まり、忌憚のない所感と所見の交換を行いました。あらためて第2回福音宣教推進全国会議に参加されたかたがたの熱意と、司祭、男女修道者、病者、信徒、その他多くのかたがたが、お捧げくださったお祈りと犠牲に、司教団を代表して深く感謝申し上げます。また、地元長崎教区のみなさんのお祈りと献身的奉仕に心からの謝意を表します。

わたしたちは、全国会議に向けて積み重ねてこられたみなさんの取り組みの数々を高く評価し、反省も踏まえて、これからもみなさんとともに自己と信仰共同体の刷新と神のみ旨に基づく家庭の育成に努めてまいりたいと思います。

「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る-神のみ旨に基づく家庭を育てるために-」をテーマに開かれた第2回福音宣教推進全国会議の終わりに、司教団に手わたされました、示唆に富んだ貴重な答申「展望-福音宣教する日本の教会の刷新のために-」を活かすための司教団文書は、さらなる考察をかさね、みなさんのご期待にできるだけ応えうる内容のものにしたいと思っています。それで、わたしたち司教は、濱尾文郎、松永久次郎、岡田武夫の3司教を選び、司教団文書の案文づくりにあたってもらうこととしました。そして来春3月23日〜24日に特別臨時司教総会を開き、案文を十分に検討してのち、司教団の公式文書として、みなさんにお届けしたいと考えています。

わたしたち司教の働きのうえに、聖霊のお導きを引き続きお祈りくださいますようお願いいたします。

1993年12月17日
日本カトリック司教協議会 会長 島本 要

ずーむあっぷ 赤羽教会で車の集団祝別

赤羽教会では1月2日(日)朝9時のミサのあと、年の初めに当たり、信徒の車の集団祝別式が橋口主任司祭の手によって行われた。

今までも購入時の個別の祝別式はあったが、今年から壮年会の提案と主催で、「1年間の無事を祈る」集団祝別が行われることになったもの。

附属幼稚園の庭に司式司祭を挟んで向い合わせに並んだ30台の車の列は壮観。祈願のあと司祭はドアを開け放たれた車1台1台を聖水で祝福して廻り、運転者には乗り物の守護者とされる聖クリストフォロのイタリア製メダルと、教会発行の駐車票が配られた。

駐車票は教会境内に駐車の際、整理に利用されるという。

第2回福音宣教推進全国会議「展望」を読んで

「展望」を読んで

NICE1.1ならば……

私の手元には「共に喜びを持って生きよう」、通称「ともよろ」が数冊ある。その中で1988年(NICE・1の翌年)大活躍をした手垢の付いた1冊を広げてみることになった。この汚れた「ともよろ」にはNICE・1の「宣言」が綴られていて、当時の参加者や司教の発言内容が赤ペンでメモされているからである。そこで、この「宣言」の中から印象に残る言葉を拾い出してみた。

○教会づくり=づくりとは自分たちの信仰を育てていくところをみんなで作るという創造性から生まれた言葉
○新しい光=自分が変わらなければこのNICE・1から1歩も前に進めない、という自己改革の苦しみを評価した言葉
○初めての体験=NICE・1を通して教会と信仰の捉え方を改革していく流れを掴み取ることができた言葉
○キリストに倣い=イエズスが日本の教会のモデルであることを宣言した言葉
○重いもの=信仰の有無に関わらず現代の人々は心の扉を閉ざしている。その内側を現した言葉
○共感する=自分一人では生きられない社会や家庭の中で、共に喜びを分かち合い、共に苦しみを神に捧げる言葉

この時期、もう一度NICE・1に立ち返るわけではないが、NICE・1は草の根から生き続けた人々の声を「聴き、吸い上げ、生かす」ために司教団と信徒がキャッチボールをしながら、第2バチカン公会議が打ち出した教会の刷新を分かり易く3本の柱にまとめた4年間の大集成として開かれた会議であった。この会議は多くの成果を残し、私たちはその一つ一つに取り組んできたはずである。東京教区にあっても多くの新しい委員会や活動グループが生まれ、育ち、結果を残しているのは読者の信徒がよく御存知の事である。

しかし、当時からNICE・1の忘れものと言われていたのが家庭の問題であった。NICE・1答申の特別提案は家庭の問題の中でも特に苦しみに悶えている婦人達に手を差しのべるために追加された課題であり、生活を通して育てられる信仰の中で「信徒が社会の中で孤独であり支え合う場がない」として、家庭の重要性が取り上げられている程度である。従って、NICE・2の「家庭」は多くの期待が集められ、渦潮のごとく長崎に向かっていた…と、私は思っていたのである。

事実、家庭の現実から福音宣教のあり方を探る、という司教団からの課題には教会の原点である日本の社会の中で生活する家庭(たとえ一人であっても、各世代の同居であっても)を浮き彫りにし、共に共感し得た問題を日本の教会がどのように解決していかなければならないか、方法や現実に沿ったテーマを生み出す決意が込められていたはずである。

東京教区ニュースが生の「展望」を掲載して下さった事、長崎の雰囲気を取材による事実として伝えて下さった事を感謝したい。ここ一連のニュースを読んで、今、私はNICE・1の宣言はどこに消えたのか、表現は現代風に分かりやすくなっているものの同じ事を繰り返したに過ぎない。司教団の課題は何を求めていたのだろうか、とNICE・2を素直に受け取れない気分でいる。

NICE・1からNICE・2にかけて「教会づくりのために私たち自身が新しい光りを求めて、初めての体験を広く教会と信徒に伝え、キリストに倣って人々の重荷に共感しながら喜びを持って生きる」ことを私たちは与えられてきたはずである。「展望」を、司教も司祭も修道者も信徒も、NICE・1の宣言を心に留めることができなかった方が大勢いる、と読むのだろうか?それとも、NICE・1をやり直したと読むのだろうか?私には日本の教会の不響和音が聴こえてくる。

「分かち合いに一度も出たことがありません、NICEの意識は低いです」という長崎の信徒と東京教区を比較することは無理であることは分かっていても、「家庭を取り巻く日本の教会の展望」ぐらい、もっと家庭を意識した答申ができないものなのだろうか。でも、もう終わった事なのである。今更展望も変えられまい。そこで私は自分に納得させることにした。過去の教会の歩みを振り返ればNICE・2ではなくNICE1.1とすれば良いと。

(関口教会 国富佳夫)

まず個人・家庭の回心から

受身の感じを持ちました。

社会、家庭の現実の中で、教会共同体だけ刷新をというのはおかしい。

まず個人、家庭の回心からと思う。

家庭の対話、交わりは心掛ければ出来ると思う。現在の受験戦争、いじめ、家庭内暴力等は親の姿の反映ではないでしょうか?

子供は悲鳴をあげています。親達も家庭を犠牲にして働いていましたが、バブル崩壊で事情が変わってきているようです。!

希望をもって祈り求めるなら神様のあわれみで、力と導きが与えられることを体験し、神様の恵みを確信すると感謝せずにはおられません。親の祈る姿を見て、子供の信仰も育っていく事でしょう。

神様との関係は自分が力いっぱいやらなければならない、「たたけよ、たたきこわせの熱情をもって」と人間の側からの努力が必要と言われます。

大テレジアは、祈りと愛は一つのもの、祈りと愛の成長は車の両輪であり、愛していたら宣教になってしまうと言われます。

個人の祈りの大切さを感じます。

(世田谷区 森長重子)

「家族」とは「家庭」とは

NICE・2も無事終わり皆様ほっとしておられると思います。長い間の準備などでご苦労様でした。東京教区ニュース108・109号を読み、色々考えさせられました。『家庭の問題』だけに限ると不充分だといわれているようですが、家庭の問題は多種多様で重要な歴史的課題ではないかと思いました。私は昨年城東ブロックのナイスの準備会に参加しましたが、仲々解決出来ない家庭内の悩みを伺い、改めて「家族」とは、「家庭」とは何かと今も考え続けております。

正月3日の夜、NHKの座談会で中村元はじめ氏や大江健三郎氏が言われていたことですが、「家族」は歴史的に考えると、共同体の一形態で、現代のように妻が外に仕事をもつようになったため変化しはじめた、新しい個人主義がはじまり、文化の多様性も認めねばならないので、「家族」も今や変りはじめて来たのではないかと。以前は単純明解な血縁関係で結ばれていた家族でしたが、婦人も社会的に貢献出来る能力をもちはじめ生きがいをそこにみつけるようになり、家族関係も複雑な問題をかかえ出しました。

一方では「ふうてんの寅さん」映画のように血縁関係をはなれた人間同志の親しいつながりの中に生きがいを生じてる人もいるかもしれません。

飛躍しすぎと思いますが、教会もイエズス・キリストによって結ばれたすばらしい共同体だと思っています。白柳大司教も言われておられるように、今後は未来を担う青年達のことを考えなければならないと思います。それには彼らは何を考え何を求めているか、私たちはさとらなければならないでしょう。

(船橋教会 F・M)

司祭評議会の新メンバー(1994年1月〜1995年12月)

職務上

白柳誠一大司教
森一弘司教
稲川保明教区事務局長
塚本伊和男ナイス事務局長
古賀正典師
深水正勝師

選出議員

佐久間彪師(世田谷)
藤岡和滋師(松戸)
大倉一美師(町田)
大原猛師(潮見)
西川哲弥師(徳田)
坂倉恵二師(喜多見)
スメット師(松原)
プッチ師(3軒茶屋)
湯沢民夫師(田園調布)

(1993年10月25日選出)

直選議員

小沢茂師(佐原)
高木賢一師(荻窪)

いま山谷は! フランシスコ会山里相談室

社会のしわ寄せは、いつの時代も弱い立場の人々をことさら深刻に襲います。ここ日雇労働者の街・山谷は、不況の直撃を受けていま深刻な状況です。

まず山谷には7、8000人、あるいは10、000人の日雇い労働者がいると推定されています。毎朝早く手配師が求人のために来ていたのですが、今は3分の1と言われていますが、実際見ていると、手配師はほとんど見えません。30歳代、20歳代の働き盛りの男性でも、仕事がなくアブレています。不況に拍車をかけて、さらにゼネコン汚職のために、仕事が減ったと言われています。

その為に彼らは、働きたくとも仕事が見つからず、1日中何もすることがないのです。そして、翌日もないので、生活のメドがたちません。つまり、日雇いにとって仕事がないという事は、即お金が入らない、即今日泊まる宿代がない、今日の食べるものが買えないという事です。それで、今までドヤに泊まってきちんと生活をしていた人達も、途端に今日から外で寝る、つまり路上で、公園で野宿して過ごさなければならなくなったのです。

その数があまりに多くなってきた為に、野宿をする人々は山谷にとどまらず、浅草、上野、新宿、池袋、渋谷、高田馬場など、皆さんの目の届く地域にまで、散っていく傾向になっています。おそらく、意外と近くに野宿している人を見ているでしょう。

今、山谷という狭い地域にだけでも、例年の4、5倍、約500人ぐらいの人々が路上や公園で野宿していますし、浅草地域にも同じぐらいの数がいます。せめて、少しでもお腹を満たして寝て欲しいと思い炊き出し夜回りをして、おにぎり、温かいみそ汁、そして毛布を持って回りますが、焼け石に水の感です。

野宿者が多くなるに伴い、そこの住民とのトラブルという新たな問題が出て来ています。誰だって自分の家の前で寝られては困ります。じゃーどうすれば良いのでしょうか。追い払っても、どこにも行き場所がないし、彼らも寝たいのです。では一体どこにその場所があるのでしょうか。

自分の家の前に寝られるのが被害者ならば、寝る所がない彼らもまた被害者なのです。としたら、どうしたら共存出来るかを模索するしかないと思われます。

東京都は、宿泊施設を3ヶ所持っていますが、申し込み者が多くて、年末に入れるのは約2500人だけです。アメリカでは、古いホテルとかを借りて、宿泊所を教会が運営していると聞いてます。

こういう状態を続けていると、当然ながら健康を害します。いま、山谷では結核と肝臓病の罹病率が高く、排菌9度の人が杯を交わしあっている有様です。当然路上で死ぬ人が出ます。こういう状況を抱えている日本の社会のあり方を振り返る時でしょう。

かつて彼らにも家庭がありました。しかし、いろいろな事情でうまくいかなかったのです。彼ら一人ひとりの個人の問題もあると同時に、家庭がその影響を強く受ける社会の問題も、福音に照らして問い直されるべきでしょう。それは我々の課題です。とても他人事とは思えません。はじけたバブルは人災といわれています。日本社会の様々な構造的な悪が、いろいろな形で弱い人を追いやっている事を忘れてはなりません。

(山谷相談室 中谷功神父)

C-TIC カトリック東京国際センターリポート

皆様からの情報を期待しています。

この不況のもと金利の下がり方には驚くばかりです。基金からの利息も前に比べますと半分以下になりました。しかし、今まで、また継続してくださっておられる賛助会のご寄付によって、資金援助を必要とされる方々にすべてお答えすることはできませんが、可能な限りはさせて頂きたいと思っております。

その資金援助の第一の対象は人命にかかわる場合で、事前にご相談いただきたいと思います。

C-TICは、どのようなお手伝いをすべきか模索中でありますので、積極的な進言をお待ちしております。

1つのリポート…

日本人男性と外国人女性との離婚をめぐるトラブルが多いのですが、一つの明るいニュースをお知らせしましょう。決論として”ことば”だったのです。スペイン語のボランティアの方が間に入り時間をかけて話し合った結果、誤解があったことがわかり、両人共にもとの鞘にもどることを希望しました。本当に問題は”ことば”です。
今後とも皆様のご支援を心からお願い申し上げます。

(林 香枝子)

ボスニアの平和を祈り1月21日に断食

白柳大司教は、ボスニア・ヘルツェゴビナの平和を求める教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージに応え、東京教区民に対し、1月21日、断食をもって平和を祈るように呼びかけた。

立川教会旧聖堂 「お別れミサ」

新聖堂建設のため取り壊されることになった現聖堂での最後のミサが、1月15日「立川旧聖堂お別れミサ」として、白柳大司教出席のもとで行われました。

ミサには、立川教会出身司祭、門馬邦男師(関口教会主任)、山本量太郎師(カトリック中央協議会出版部長)も出席され、大司教による共同司式で行われました。

当日は、かつて立川教会所属だった信者の方も多数参加され、40年に渡って立川教会を支えてきた聖堂に別れを告げました。

現聖堂は1954年(昭和29年)に建てられたもので、老朽化が激しく、立川教会信者からは新しい聖堂の建設が長年に渡って望まれていました。

4年前に建設が具体化しましたが、立川・豊田の共同司牧が始まった事などから延期されていたもので、それだけに今回の新聖堂建設は信者一同待ち焦がれていたものでした。

今回の工事に伴い、長年地元に親しまれてきた「セントメリー保育園」は閉園となり、その建物は小教区活動の中心となる信徒ホール、新司祭館として改築され、当面ホールは聖堂完成までの仮聖堂として利用されることとなりました。当日、ミサ後大司教による信徒ホール、新司祭館の祝別も行われ、旧保育園は立川小教区活動の拠点として、新たなスタートをきりました。

信徒ホールの使い始めとして、大司教、門馬・山本両師を囲んで「旧聖堂お別れパーティー」を行い、思い出話に時の経つのを忘れるほどの盛り上がりでした。

また、パーティー後、仮聖堂設置のため、当日参加信者による旧聖堂よりの引っ越しが行われましたが、主任司祭の心配をよそに、多数の信者の活躍でアッという間に終わり、立川教会の明るい大きな発展を感じさせました。

なお、新しく建設される聖堂は、今年8月完成の予定です。

(高橋 博)

第30回イエズス探究会 貴方がたにとって、イエズスはどんな方ですか

『貴方がたにとって、イエズスはどんな方ですか』。こんな問いかけで、今から15年前に、御受難会みことばの家のウォード神父と神田教会主任司祭泉神父らによって始められたイエズス探究会は、今回で30回目を迎え、11月12日(金)〜14日(日)にかけて、日野ラサール修道院で行った。

毎年、春と秋の2回ごとに、平均20名の東京教区の成年男子信徒が参加しているから延べ参加人数は300人に達した。2泊3日の合宿共同生活を通じて、参加者は祈り、心を開き、本音でさまざまなことを話し合ってきた。

今回のメイン・テーマは『イエズスの招き-私たちの使命』であった。キリスト者として、私たちの使命を参加者相互の祈りとわかちあいによって、再確認したいと考えた。指導司祭は、泉神父と福生教会主任司祭山根神父で、参加者は21名であった。

東京教区では、カトリック者の生涯養成の必要性が説かれている。信徒ひとりひとりが物事の傍観者であってはならず、単に教会の決めたことだから聞きましょうというような受け身の姿勢では、今後のとり組むべき諸課題を実践・消化する力がつかないと感じられ始めている。

一泊交流等さまざまな機会があるが、なかでもこのイエズス探究会は、その意味でも大きな意味をもっているといえそう。

神様は、人生の中のなにげない事に伏線を張ってやがて時がくると、ああ、そうだったのかと、その事に気づくことがある。祈りによって一対一で神の前に立つ黙想によりこの招きに気づくことがあると、両指導司祭達は、ご自身の体験を例にお話し下さった。

振り返ってみれば、15年30回は長いようで一瞬にも思われた。同時に、この一瞬にも、これまでこのイエズス探究会を見守って下さった大司教様はじめ、祈りによって支えて下さったシスター方、天国に召された関戸神父様や多くの神父様達、参加者達のことが思い出され、話しがはずんだ。

感謝のうちに、30回記念パーティーを行った。秋の日差しが傾いた夕暮、日野ラサール修道院の坂道を歩いて、各自の仕事場や家庭へと散っていった。それぞれのイエズスを心に深く味わいながら、新たな気持ちに満たされていった。

(本郷教会 櫻井 清)

小教区から 西千葉教会だより

東京教区内には、80近くの教会があります。その中で西千葉教会には、他教会にはないユニークな組織がありますので紹介いたします。

カラオケ会

毎月第4日曜日の午後からカラオケ愛好会メンバーによって行っています。カラオケの機材もあり、時には市内へも出かけており、会費は半年3000円で、千葉寺教会の仲間と目下10名以上が、日頃街で鍛えたノドを競っており、とび入りもO・Kです。

壮年部・気楽会

この会は、日頃教会へ来ても壮年の活動する、交流する機会が少なく、前任の吉川司祭の提案でスタートして約10年になります。

壮年の大半が東京勤務のため、東京駅南口の旧丸ビル地下の店に平日の夕方集まり、気楽に一杯お酒を飲みながら交流を深める。又、年1回秋に一泊研修旅行会を実施するなど、他教会にはない暖かい雰囲気に包まれた会になっています。

近頃は定年組と現役と分かれて来ましたので、東京と千葉にわけて交互に2ヶ月に1回位で開催、昨年暮れに関口壮年会から西千葉と交流したいと申し出があり昨年第1回の交流会を実施、今年は更に土台作りをして相互の教会を訪問する、カラオケ会への招待など計画しております。

てくむ

教会が発行する「てくむ」は毎週日曜日に発行、司祭のミサ講話・自由投稿・教会内活動ニュースやお知らせB5判4〜6頁。

Foyer

信徒の寄せられた原稿は、復活祭・被昇天祭・クリスマス号年3回発行B5判50頁位。昨年のクリスマス号で通巻90号になるほど、題名はFoyer(フォワイエ)、とてもユニークな教会報です。

英語ミサ

東南アジアや、幕張メッセを控え外国人も大変多くなり毎月1回の英語ミサも行われ、これらを支援・奉仕する人々も熱心に働いております。

使用済みテレホンカードの回収

4年前、私の呼びかけでスタートして今では子供から老人まで浸透し、毎週回収して月末カリタスの家へ多くの枚数を届けております。他教会の皆様も一度西千葉教会を訪問してみませんか。

(気楽会代表 渡辺以文)

東京カテドラルへ来訪される皆様へ

1993年9月末より、老朽化した関口教会司祭館、信徒会館を改築し、教区本部の事務スペース、教区ホールを含む関口新会館(仮称)の建設が始まりました。1995年2月末の完成を予定しておりますが、それまでの間、カテドラル構内への車の進入は安全管理上、大幅に規制させていただきます。教区行事、ミサ、冠婚葬祭等で来訪される場合、自家用車の構内駐車はできませんのでご注意ください。他の交通機関をご利用くださるようお願い申し上げます。

-東京大司教区事務局-

千葉ブロック4教会の協力で教会委員連合会新年の集い開催

1月9日(日)午後1時30分から、教区内の教会委員会代表約160名が、カテドラル構内に集い、東京大司教区教会委員連合会「1994年新年の集い」が開催された。

開会に当たって白柳大司教は、青少年の育成の必要性-未来を担うだけでなく今を担う青少年の育成の必要性を強調した。

今回の当番教会は、佐原、銚子、鴨川、館山の4教会の合同運営で、事務局は佐原教会が担当した。

総会では、昨年10月長崎で行われた第2回福音宣教推進全国会議(以下NICE・2)の信徒代表の加藤正仁氏(松戸教会)、稲留敦子氏(高円寺教会)、拡大事務局・塚本伊和男師の報告、森司教から「司教団の対応」についての説明が行われた。

以上の報告、説明の後、白柳大司教がまとめを行い、総会は終了した。

総会後、カトリックセンターホールに場所を移し、参加者一同、親睦を深めあった。

NICE・2出席者報告

加藤正仁氏(あけぼの学園園長)は、「家庭を考えざるを得ない仕事柄(養護施設)、社会の歪みが弱い立場の人にふりかかっていることを実感し、Normalizationの動きとNICEはオーバーラップするものだと思う」と述べ、「長崎で感じたのは特殊な背景に関わりなく、家庭は教区特性、地域特性等がからむため、分団会でも共通の見解は導けなかった。”展望”について、かなりの不満が出ているのは、テーマの大きさ、時間的な制限から考えるとあたりまえだと思う。参加した一人ひとりから離れた声明文が出たのはいたしかたないと思った。抽象化された声明文を具体化するお役に立てたらと思う」と力強く語った。

続いて、稲留敦子さんは、専業主婦の立場から、「どこにでもいる信徒の一人としてNICEに関われたことは幸せだった、教区の準備段階で、分かち合いノートを作る時、自分の体験が生きた。

女性が教会で生き、家庭でも生き、そして社会との関わりをもつことは非常に難しい。

長崎では、家庭の現実から福音宣教を探れなかった。『家庭』のことは話したが『展望』に盛り込めなかった」と語り「教会はどのように刷新されなければならないか」を自身の所属する小教区を例に取りながら具体的に述べた。

NICE・2拡大事務局の塚本師は、「臨時司教総会の後、総括のために担当司教と拡大事務局会議が開かれ、

(1)NICEは、会議ではなく刷新運動であることが明らかになった。
(2)各教区の取り組みにばらつきがあることが、分かち合いながら現実を把握できた。
(3)事務局の申し合わせ事項である[NICE・2はNICE・1の延長上にある][各教区の報告のプロセスを大事に][『展望』の草案は事務局は用意しない]が徹底していなかったことが反省事項としてあげられた。
(4)分団会に事務局は参加できなかったのは残念であった」と述べた。

続いて森司教は、「司教団の対応について」説明した。

昨年12月14日からの臨時司教総会の結果、

1、3月23日から、特別臨時司教総会が開催され、
2、松永久次郎司教、岡田武夫司教、浜尾文郎司教が司教団文書の案文づくりを担当する。
3、東京教区白柳大司教メッセージは、12月26日付けで発表された。

白柳大司教まとめ

最後に白柳大司教は、「たくさんの足りない所はあったとしても、神の霊が働いて、20年前では考えられなかった自由な雰囲気で、全国からの出席者が話し合えた事は素晴らしく、せせらぎが小川に、小川が教会全体の大きな流れになることを願っている。プロセスが非常に大切なことはいうまでもない。教会が福音を述べる教会でなければならない。

プロジェクトは各地域ですればよいと、個人的には思っている。

今年は、国連の『国際家族年』、私たちの積み上げたものは、私たちの発言の基礎となるものだと思う」とまとめられた。

当番教会から

当番教会の大役を無事果たした今、振り返ってその歩んできたみちのりをあらためて考えて見ました。

各教会の信徒一人ひとりの熱意が実って、地域のハンデを乗り越え務め上げる事ができました。これもひとえに関係各位のご協力の賜物と厚く感謝申し上げる次第です。

昨年の1月、新年の集いに先輩教会の活躍ぶりを勉強にまいりました。

当番教会をお引き受けした当初どうなることかと大変心配いたしました。

佐原、鴨川、館山、銚子の4教会は、同じ千葉県にある教会ですが、距離的には離れたところに点在していて、例えば銚子教会と館山、鴨川両教会は、150キロメートルも離れたところにあり、時間にしても3時間はかかる遠さなのです。1つの事を相談するにも急には難しく、一同定期的に度々集まって相談して話を進めてまいりました。

互いに教会を訪問し合う事が困難で、千葉寺、東金、茂原の各教会を相談会場にお願いいたしました。

会議を重ねる度に親密度は深まり、一致をめざす共同体とは、まさにこのことのためにあるという実感が味わえたことは素晴らしい事でした。個々のもつ能力がみごとに発揮されました。会計、渉外、式典の進行役、会場設定、看板作成等、コツコツと目立たず裏方に徹して働いて下さった方々、人は仕事を通じて成長しそして睦みあえることを知った事は、誰も心から感じ、心から知ることができたと思います。この貴重な経験、体験を生かし、さらなる共同体の一致をめざして努力していきたいと思います。

(銚子教会 浪川忠恒)

教区福祉委員会から

災害対応・海外救援基金募金にご協力ありがとうございます。

1月31日現在、164万1183円の募金をいただきました。

福祉委員会では、白柳大司教と相談しながら有効に使わせていただきます。

編集部から

NICE・2の「展望」をお読みになった読者の方から続々と感想が送られてきています。「展望」を活かすための司教団文書は、3月の特別臨時司教総会まで延期されましたが、白柳大司教は、教書で東京教区の今までの取り組みを続けるよう述べられ、今年の教区総会のテーマも「家庭」と決まりました。一昨年、昨年、今年とさらに内容が深まっていくのではないかと期待しております。

教区ニュース100号を記念して、題字、刷色を変えて1年がすぎました。来月111号では、カラー印刷を計画しておりますので、お楽しみに……。