お知らせ

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東京教区ニュース第89号

1992年01月01日

東京教区の真の国際化を
-新春にあって白柳大司教メッセージ-

新年にあたり、 白柳誠一東京大司教は、 昨年東京大司教教区設立百周年を迎え、 新たな第1歩を力強く踏み出した教区全体の神の民に、 「真の国際化」 という新しい課題で歩むよう1つの方向性は、 今の時代を信仰の目で見抜き、 神への信仰に基づいて生きるよう私たちを励ますものである。 「真の国際化」 の姿こそ 「真のカトリック教会」 のあるべき姿であるとの認識を新たにし、 この1年、 さらに開かれた教会となるよう力をあわせ努力してゆきたいものである。

不確実性と約束

「このように多くの不確実性に満ち、 しかし同時に、 このように多くの約束にも満ちたキリスト教時代の第3の千年期をすでに垣間見ることができる今日」 という言葉で始まる最も新しい回勅 「新しい課題 教会と社会の100年をふりかえって」 の中で、 教皇ヨハネ・パウロ2世は、 今日の日を信仰の目で見抜き、 不確実性と約束という旧約聖書以来神への信仰にもとづいて生きるすべての人々にとって最も根本的な課題を提起しています。

新年にあたり、 いま一度、 今日という日をしっかりと信仰の光のもとで見つめなおしたいと思います。 そのためにまず、 私達の信仰の父と呼ばれるアブラムの召命の一節を黙想したいと思います。

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、 あなたを祝福し、 あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し、 あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。 」
アブラムは、 主の言葉に従って旅立った。 ハランを出発したとき75歳であった。
(創世記12章1節~4節)

主の約束の全き信頼をもって、 75歳のアブラムが老いたサライと共に故郷を離れる姿は、 想像してみるだけでも私たちの心に深い感動を呼び起こすのではないでしょうか。 今、 世界を揺さぶっている大きな変動は、 まさに不確実性に満ちた明日をこれでもか、 これでもかという程、 私たちの心と意識に強く訴えています。

どんなに寒い冬の嵐が外を駆けめぐっていようと、 暖かなヒーターの中でぬくぬくと過ごしているのにも似て、 あえてその快適な場から立って外を見てみようなどとは決して考えることのない人々と言われる私たちは、 保守安定志向が強く、 一見様々な情報に満ちみちた社会に生きているようでいて、 実は非常に狭い関心の閉塞的状況の中で、 この不確実な明日に悩まされているのではないでしょうか。 世界の若者たちを対象にしたアンケートによると、 暗い未来を予想するという点で、 日本の若者たちは突出しているということです。 そのような不確実な時代の認識から似非教に頼る社会心理が発酵してきています。 なんと多くの青年たちがぬくぬくとした生活の中で、 心は不安に満ち、 これを悪用する似非宗教や、 合理的な社会認識を拒否して盲目的に信じるネオナチズムの指導者に従う姿を、 私たちは世界各地で見ています。

しかし教皇は、 このキリスト教時代の第3の千年期をすでに垣間見ることができる今日は、同時に多くの約束にも満ちていると喝破しています。

さらに開かれた教会になるために

旅立つアブラムに語られた同じ神の祝福の言葉こそ私たちへの神の約束なのです。 東京教区は、 百周年の機会に歩んできた道を振り返って、 神が今私たちに示しておられる地、 慣れ親しんだこれまでの教会のあり方から脱皮して生まれ変わっていく方向として、 東京教区の真の国際化という課題を選びました。 具体的には、 あのインターナショナル・デーのカラドラルを満たした多くの国々から働きに来ている兄弟姉妹たちでしょう。 あの喜びの姿を私は忘れることができません。 同席された韓国の金枢機卿が 「これこそカトリック教会の姿ですよ」 と感動して言われた言葉を信じて、 私たちの東京教区がさらに開かれた教会となることができるように、 今年も努力していきたいと思います。 

にんげん・地球・いのち第17回正義と平和全国会議が開かれる

日本カトリック正義と平和協議会 (会長・相馬信夫名古屋司教) は11月3日から3日間、 東京・新宿区の日本青年館で第17回 「正義と平和全国会議」 を行った。 全国会議が東京で開かれるのはちょうど10年目であり、 特に今年は東京教区創立百周年に当たり、 また同時に教会の社会回勅の原点ともいうべきレオナ3世の 「レールム・ノヴァールム」 の発布百周年とも重なり、 記念すべき集会となった。

この協議会は司教協議会に属し、 人権擁護、 社会正義の実現、 平和推進などを目的に活動を続けている。

全国会議は、 毎年国内各地で開いているが、 今年は前記の注目すべき教会の節目であり、 かつ昨年9月に発足した東京教区正義と平和委員会の初めてのイベントとなった。 全国会議は 「にんげん・地球・いのち」 をテーマに国内各地の教会関係者、 信徒ら約450人が参加した。

第1日目は、 東京の実行委員長である白柳大司教、 日本正常協会長である相馬司教をはじめ13人の司祭による共同司式のフォークミサが捧げられた。 このミサの挨拶で白柳大司教は、 「教会の教えは、 愛と正義とは対立するものではなく、 キリスト者の隣人愛と正義は決して2つに分けられるものではない」 ことを強調した。 ついで相馬司教は、 「第17回正義と平和全国会議は、 17才の青年にたとえられるのではないか、 これから新しい心、 新しい目をもって未来に向かって希望にあふれて歩み始めたい」 と説教の中で語った。

引きつづいて講演で、 安藤神父 (イエズス会社会司牧センター) は、 テーマ 「レールム・ノヴァール」 について、 「カトリックは公に初めて100年前、 レオ13世が貧しい労働者の悲惨な状況を前にして、 社会問題、 政治、 経済活動について自分の考えを明瞭に発表した。 以来、 歴独の教皇が各時代に合わせて公文書を出し続けている。 1つの宗教であるカトリック教会が、 近代、 現代社会の大変化というチャレンジに対していかにして立ち上がったかをかんがえてみたい」 と、 産業革命以来の歴史について述べ、 ヨハネ・パウロ2世の新しい社会回勅を紹介した。

第2日目は、 「教会の戦争責任」 「被差別部落解放とカトリック」 「在日韓国、 朝鮮人の人権と差別」 「女性と人権」 「滞日外国人労働者の人権」 「環境問題」 「多国籍企業と労働者問題」 「日々の暮らしと開発教育」 の8つの分科会による発題、 討論が終日行われ、 熱気のあふれる中で問題点を話し合った。

各分科会の内容をくわしく紹介できないが、 いくつかの特徴をあげることができる。 「教会の戦争責任」 と 「女性と人権」 は今回の全国会議で初めて取り上げたテーマであり、 「被差別部落解放とカトリック」 と共に今後教会が真正面に見据えて取り組まなければならない課題であろう。 「環境問題」は参加者80人を越え、 核や有毒科学廃棄物から家庭のゴミまでの関心の高さを思わせた。

最終日は、 前日の分科会のネットワーク作りをし、 ついでパネルディスカッションでは 「教会は政治にどうかかわるか」 について森司教、 吉松牧師、 澤光代市義、 竹田靖子区議がパネラーとして発言。 吉松牧師は韓国政治犯救援活動を、 2人の女性は地域社会への奉仕を通じてクリスチャンとしてどのように社会問題や政治に関わるのかを自らの体験によって語り、 聴衆に感銘を与えた。
(木邨健三)

各ブロックでは・・

千葉ブロック 信徒の生涯養成コースについて始まる

千葉ブロック信徒の生涯養成コースが、 去る11月10日から茂原教会を会場にして始まりました。 このコースは、 来年の3月まで1ヶ月に1回のペースで開催される予定です。 第1回目の参加状況は、 参加者が約50名で、 茂原教会のホールが一杯になっています。

さて、 このコース設立のねらいは、 信仰者として今の時代を行きぬいて行くためには、 すべての信者にとって信仰に関する生涯養成が不可欠であるという第1回ナイスの提言を千葉ブロックとしても真剣に受けとめ、 現代の複雑な社会に生きる信徒が、 信仰の意味とその表現について学び続け、 そして、 信徒の使命と責任に対する理解を深める機会と場を提供しようという所にあります。

ところで、 今回は全体テーマとして、 私たちの信仰と神の恵みの源泉である 「教会の典礼」 を取り上げました。 このテーマを取り上げたのは、 現在では、 ミサを中心とする教会の典礼の場において、 信徒の果たすべき責任と役割がきわめて大きいからです。 とりわけ、 千葉ブロックの場合は、 ブロック内の小教区の数が11で、 小教区担当の司祭も11人で、 人材的余裕がないので、 主日のミサも司祭不在の場合は、 集会祭儀と言われる形によって、 信徒に委ねられる機会が多くなって行くと思われます。 それ故、 司祭の側も信徒の側もそのような状況を冷静に受けとめ、 困難を乗り越えて行く心構えと教会共同体の態勢作りが必要です。 そして、 今回の信徒の生涯養成コースが、 ブロック司祭団とブロック会議の共同主催であるというのも、 そのような困難な状況を乗り越える教会共同体のあり方を、 共に学んで行こうという意気込みの現れです。

ところで、 このコースでは、 毎回、 それぞれの担当講師のお話のほか、 参加者が幾つかのグループに分かれて行なう分かち合いがあります。 確かに、 分かち合いには様々な困難がつきまとうのも事実です。 でも、 分かち合いによって参加者の様々な体験、 感想が披瀝され、 皆の心が豊かにされます。 それから、 参加者の分かち合いを踏まえた上で、 講師のまとめでその日のテーマを締めくくります。 そして、 コース終了後、 コース参加者のために主日のミサが捧げられます。

終わりに、 このコースの開始にあたっては、 コースの内容を企画したスタッフの皆様をはじめ、 会場を快く提供して下さった茂原教会の皆様、 また、 各回担当の講師の方々、 そのほか、 多くの方々の奉仕と協力をいただいたことに感謝致します。
(佐原教会 小沢茂神父)

城南ブロック 一粒会主催召命のために祈る集い

11月16日 (土) の夕方、 城南ブロック一粒会主催の 「召命のために祈る集い」 が碑文谷教会の聖堂で行われた。 森一弘司教は、 現代に生きる家庭の中から召し出しの可能性、 人間の深い交わり、 子供達のおかれた成長の環境、 幸せを求める願いと付随してお金という経済価値観、 消費社会に対して私達キリスト者としての生き方をどうするか、 両親達の生きざまを子供達に示す必要があるのではないかなど、 社会現象の中における人間関係を基調に、 その中からの召命を青年層、 家庭、 子供までを含めて熱っぽく語られ、 参加者は胸を打たれた。

東京カトリック神学院長の野嵜一夫神父は、 その現代から司祭職を目指している30数名の神学生の現状を説明した。

召命を考える原点として、 教会の中から招かれ、 そしてこの世に派遣されるということ、 神学生の養成が 「ガリラヤの家」 から始まり、 大学という枠を取り払って、 求められる司祭像を各人が形成していくことを強調された。 さらに神学生の出身に、 信者の家庭の中からの方が多いことから、 教会活動、 司祭像の大切さが感じられた。

松戸教会助任の秋保真理夫神父 (叙階5年目) の話は、 まさに現代社会と若い人たちの中に入って真っ向うから取り組んでいる悩み多い司祭の生々しい発言だった。

若い人達の生き方が分からないということに対して、 キリスト者として何を誰にどうやって伝えていくか、 一粒会の責任もこの意味で大きいとの発言に反省の思いを大きくしている。 この日も青年達の1泊交流会に日野の研修所へ直行される若き神父に声援を送りたい気持ちでいっぱいだった。
(汲田野栄十)

ズームアップ
志村辰也師

志村辰也師

東京教区邦人司祭の中の最長老である。 1904年生まれで来る1月29日の誕生日には米寿を迎えることになる。

東京大司教館脇の 「司祭の家」 に住まいながら、 今もカテドラル大聖堂での挙式を担当するかたわら、 司祭のマイア運動等の先頭に立って活躍。 30数キロしかない小柄な体重ながら、 すこぶる健康。

神の愛を伝える
教会豊田教会25周年記念式

豊田教会の25周年記念式が11月23日 (勤労感謝の日) に行われ、 白柳大司教、 豊田教会歴代の神父、 多摩ブロックの神父や信徒約170人が出席し喜びを共にした。

ミサをはじめるにあたって次のような手紙が朗読された。 豊田教会が10年以上も前からずっと援助を続けているブラジルの子どもたちのお世話をしている栗山神父からものだ。

☆ ☆

「先日は豊田教会25周年記念行事へのご招待、 ありがとうございました。 出席できませんが、 同じ時間に皆様のために御ミサをお捧げしながら、 皆様のお喜びに参加いたしたいと思っています。

皆様のご協力で私どもの小教区の『村おこし運動』も順調に進んでおります。 8月から貧しい家庭の子どもたちを集め、 農業についての訓練を始めています。 現在、 26人の男の子と24名の女の子の集いを持ち、 男の子には野菜作りと果物畑の手入れ、 女の子には花作りとマカロニやお菓子の作り方などを教えています。

皆様からいただいた援助によって作られたビニールハウスも第1回の収穫が全部終わり、 現在第2回の作付けの準備をしています。 第1回のキュウリの収穫は、 初めての経験にもかかわらず良好でした。 12のビニールハウスにはメロンを、 もう18にはトマトを植える計画です。 この活動にかける期待は、 兄弟愛と連帯感が増えるようにということでししたが、 お陰様で私ども期待以上の成果が生まれ喜んでいます。

これからも、 もっと大きな結果がありますようお祈りください。 私どもも陰ながら皆様の教会の発展のためにお祈り申し上げます。

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25周年のお祝いが単なるお祭りに終わってしまうのではなく 「歩んできた道を振り返りこれからの道を確かめ、 その一歩を踏み出す」 ためのものになってほしいという思いと願いのあらわれがこの手紙の朗読であった。 記念のミサは白柳大司教、 共同司牧の3人の司祭 (江部、 立花、 古川) の共同司式によって始められ、 参加者一同、 声と心を合わせて祈り、 歌った。

ルカの福音書が朗読された後説教台に立った大司教は、 「25周年を迎えることができたのはもちろん神のいつくしみの賜物ですけれども、 豊田教会のために働いた先輩方、 そして皆さんの努力の賜物でもあるのです」 と述べられた。 またこの喜びの日にあたって教会ということについて改めて考えましょうということで聖書の言葉を使って説明された。 「教会に集まる私たちは体の一部分みたいにそれぞれが違った役割や働きをしていますが、 みんなが必要不可欠な存在です。 その私たちを統一あるものとしてくれるのはキリストの霊です。 また、 木の枝が幹から養分を取らなければ枯れてしまうように私たち教会共同体はキリストの霊に力強く養われる必要があるのです」。 さらに神の救いの業は教会を通して示されるということについて触れ、 私たちみんなは神の望みに応えるような生き方をするように招かれていると語られた。 そのためには身近なところからはじめるべきだとして 「家庭」 における人間関係の大切さを強調された。

説教に引き続いて堅信式が行われた。 この日に向けて準備をしてきた7名の人が大司教から堅信の秘跡を授かり、 キリスト者としての自覚を新たにした。

ミサの後記念パーティーが行われ、 挨拶に立った白柳大司教は、 「この教会を建てるにあたって尽力された、 今はもう故人となった人たちのことを忘れることはできません。 また歴代の神父そしてみなさんの努力のお陰で今日にこぎつけることができました」 ということを重ねて述べられました。 また 「豊田教会は建物の規模こそ小さいですが、 みなさんの存在はこの中だけに留まるのではありません。 どうかこの教会、 そしてみなさんが神の愛を示すしるしとなるよう努力してください」 と励まされた。 続いて共同司牧主任司祭の古川神父が挨拶をした。 「25周年の間に豊田教会と関わりのあった多くの人たちと私たちは時間的にも空間的にも結ばれています。 私たちは25周年を感謝するわけですが、 ただ感謝する、 という言葉だけであったとしたら虚しいです。 これから私たちが生き生きとキリストの福音を生きて、 次の世代に、 まわりの人たちに、 この喜びと力を伝えていくことができた時に本当の感謝になるのではないでしょうか。」

最後に信徒を代表して安倍氏が挨拶に立ち、 記念の式に参加してくださった方々にお礼を述べた後、 豊田教会のこれからの発展のために信徒一同協力してやっていきたいと気持ちを新たにした。

「日本のことわざに 『山椒は小粒でピリリと辛い』 というのがありますが、 豊田教会はそういうピリリと辛さの効いた神の愛を伝える教会になってください」 という乾杯の音頭とともにパーティーは和やかな雰囲気に包まれ、 あちらこちらに話しの輪ができていった。 また、 この日のために婦人会の方たちが用意してくれた飲み物や心のこもった食べ物が出され、 豊田教会が持っている 「家庭的」 な暖かさが会場広がっていった。
(立花 神父)

ルポルタージュ家庭 (最終回) -横川和夫-

連載をふりかえって

この連載を初めて10か月。 綾瀬の女子高校生監禁事件が発覚してからは3年近くもたった。
1年にわたる法廷の審理を基に連載ルポ 「かげろうの家」 出来上がって1年半。 連載したときと現時点での事件に対する見方はどうかと問われれば、 大きく変わったと言わざるを得ない。

連載しているときには、 日本株式会社のバブル経済の破綻は、 まだ発覚していなかった。
だが経済的利益のためには、 暴力団にも巨額の金を融資をするという証券会社の非論理性が暴露されるにつけ、 A少年を犯罪に追いやったのは、 株式部門ではトップになる成績をあげるために、 家庭を犠牲にせざるをなかった証券会社の営業マンとしての父親の悲劇が、 より大きく陰を落としていると強く思うようになった。

もちろんA少年の父親としての、 資質は問われるにしても、 まじめに、 一生懸命働けば働くほど、 家庭を省みることができなくなるという営業マンの実態は、 経済的利益を達成するという目的達成型社会の構造的破綻を示しているような気がしてならないのである。

私に証券会社の実態を語ってくれた証券マンの1人は 「いま、 証券会社のトップになっている重役連中は、 人間性のかけらも持ち合わせない鬼のような男が多いのですよ」 とびっくりするような言葉を使った。

例えば、 無理がたたって急性胃カイヨウになり職場で血を吐き、 救急車で運ばれようとしている営業マンに 「お前の顧客リストを置いて行け」 と怒鳴る支店長が出世していくのだという。

そんな話を3年前に聞いたときは 「本当かな」 と疑問に思ったが、 バブル経済の実態が明らかになった今、 証券マンの話は本当だったという思いがすると同時に、 バブル経済の破綻は、 既に少年の家庭では、 はるか以前から始まっていたんだと思う。

やめたいけどやめられない-というのを専門医は嗜癖と言う。

体に悪いからやめようと思っても、 酒を飲みたくなって、 つい一杯やってしまう。 仕事は真面目にやり、 支障をきたしていないからアル中ではないと言うが、 飲まないと落ちつかない、 イライラしてくるなら完全にアルコール依存症。

専門家は 「ネクタイアル中」 と呼ぶ。

やめたいけどやめられない嗜癖という現代病は、 アルコールのほかに競輪、 競馬などのギャンブル、 パチンコ、 過食、 拒食、 浮気、 薬物依存、 そして働き過ぎも度を越すと嗜癖になるのだという。
そんな話を聞いて、 私は学校教育で点数だけで子供を評価し、 選別するというのも偏差値病ではないかと思うようになった。

子供はこの地球上に生まれてきただけで価値がある存在である。 赤ちゃんが生まれたときに、 親は頭がよいからとか、 かわいいからという理由で喜ぶわけではない。

ところが大きくなって子供が学校というところに通う頃から、 親は成績が気になり始める。 心のなかでは成績だけで子供を見るのはいけないことだと思いながら、 「勉強しなさい」 と追い立てる。

いけないことだと思いながら、 そうせざるを得ないのは嗜癖、 現代の病だとすると、 私たち日本人は、 例外なく偏差値病にかかっているのではないだろうか。 アルコール問題の専門家である東京都精神医学総合研究所の斉藤学先生は、 現代病である嗜癖は、 家族のなかで循環して子孫に受け継がれていくケースが多い。 その循環する輪をいかに断ち切るかが、 私たちの課題であると説いている。

アルコール依存症の場合は、 本人がいかにアルコール依存を絶って自立するかにかかっている。 そのためには、 妻も夫の酒に左右されるような生き方をやめて自立することが必要だと、 アルコール依存症の夫を抱えた妻たちが週に1度集まってミーティングを開き、 体験を語り合っている。 こうした自助グループの活動が各地に広がっている。

5月から東京で始まった 「子どもの虐待110番」 を主催する広岡知彦理事長は 「電話相談してくる人たちは、 社会から孤立していて、 悩みの相談相手がだれもいないで悶々としていて、 それを電話でぶつけてくるという感じです。 子育ては教科書どおりいかないものだとか、 1人ひとり子どもによって発達も個性も違うのだとかを、 家庭や近隣の人に説明され、 励まされていたら、 母親は随分と楽に子育てができていたろうと思われます」 と述べている。

家庭がどうであるべきかという原則論を述べることは簡単である。 現代社会で孤立している家族、 人々に対しいかに連帯の手を差しのべることができるかどうか、 すべては実践にかかっている。 (完)

百周年記念巡礼行事の最後を飾った切支丹屋敷跡巡礼元和殉教地

5月のジュリア祭自主参加にはじまり教区創立百周年記念行事委員会巡礼ワーキング・グループが企画した資料遺物展と4つの巡礼行事は、 11月1日の関口教会が起点の文京区小日向の切支丹屋敷跡巡礼と11月17日の高輪教会が起点の港区札の辻の元和大殉教地跡巡礼で無事終了。 そして、 11月24日、 高輪教会での森司教の講演 「殉教の現代的な意味について」 をもって公式行事が完了した。

切支丹屋敷跡巡礼奮闘記

11月9日 (巡礼前日)、 24頁のパンフレット300部が、 約25分で製本完了。 スライド映写機準備完了。 巡礼当日、 午前10時半スタッフ集合。 1時間半後、 説明会会場設置完了。 現場本部設置完了。 給湯準備完了。 本部無線局開局完了。 救護室準備完了。 救護車配置完了。 驚くべき速度と能率で、 準備が進んだ。 1人ひとりのスタッフの創意工夫のおかげである。
巡礼とはいえ、 現地は瀟洒な住宅街で、 往時をしのばせるものは皆無に等しい。 おまけに文京区は坂の町。 上り下りは年輩者ならずとも結構つらい。 どうしたら印象的な巡礼ができるだろうか。 病人が出たらどうしよう。 休憩してもらう場所はどうしよう。 計画段階では、 心配の種が尽きなかった。

しかし、 午前中の準備の間に巡礼の成功を確信した。 準備するスタッフの様子が、 何よりも雄弁にそれを物語っていた。 午後1時、 受付開始。 参加者は約150名。 1時間後、 和気あいあいのうちに説明会が終了。 ここに至り、 参加者は一緒に巡礼を作り上げんとする仲間になっていた。 「絶対成功する!」 と、 思った。

2時間後、 大聖堂で黙想をしていた。 完璧に予定通りだ。 大聖堂の静寂の中で、 様々なことが脳裏をよぎった。 ドクターが手間をかけて薬を小分けにして、 重い往診カバンを持って参加してくれた事、 救護室に敷かれていた布団のこと人々の最後尾を伴走していた救護車のこと。 地味で人目に触れない大変な仕事ばかりだった。 そんな仕事を、 電話1本で気軽に引き受けてくれた仲間達。 そして素晴らしい巡礼を一緒に作り上げてくれた150人の仲間達。 総勢180人の手作り巡礼が、 ここに完成した。

やはり教会は共同体だった。 そこには、 何か事が起こると労を惜しまず手を貸してくれる素晴らしい仲間たちがいた。 強い絆があった。 それが、 小日向の丘に眠る先人達が私にくれた 「恵み」 だった。

大聖堂の窓越しの美しい夕日をあびて、 打ち震えんばかりの感動に、 いつまでも酔いしれていた。
(岡田昭夫)

元和殉教地巡礼

「晴れて寒い日」、 これは徳川3代将軍家光の命令で50人の宣教師・信徒が、 港区札の辻において火刑に処せられた元和大殉教の日、 今から368年前の12月4日の天候を、 内外の史料が共通して語り伝える1節。 巡礼のこの朝も冷え込んでいた。 しかも東西2つの高気圧の狭間にあって1日中曇り空。 この日の岩崎尚高輪教会主任司祭の説教は、 当教会初代主任・故ケリー神父をはじめとするスカボロ外国宣教会の司祭方の偉業を身近な例に、 切支丹時代の宣教師・信徒の殉教を讃える感銘深いものだった。 集まった70余名の参加者は事前説明を受けた後、 当教会所蔵の 「江戸大殉教」 の油絵 [江副隆愛 (エゾエタカヨシ) 筆] や記念石碑を参観後、 婦人会心づくしのサンドイッチを頬ばり、 11時50分 巡礼に出発した。
順路の第一京浜国道は間もなく通過する国際女子マラソンで緊張。 正午過ぎ、 札の辻の手前、 「都旧跡 元和キリシタン遺跡」 の石碑の前をしみじみ見つめながら通り過ぎ、 地元の好意で、 殉教地跡と言われる崖地を一望できる屋外駐車場 (元智福寺跡) に入って皆感慨深く念祷することができた。 「いま皆さんが立っている所に火刑の柱が建てられたのかも…」 と言う説明に思わず足元を見つめる人もあった。 その後、 伊皿子 (イサラゴ) 坂を回り、 崖上にある済海寺の 「都旧跡 最初のフランス公使宿館跡」 の記念碑 (今の日本の教会復興の糸口になったパリ外国宣教会ジェラール神父の来日最初の宿舎跡) を見て隣の亀塚公園に入った。 殉教地を見下す一隅に、 誰が置いたか木の十字架が大小2本あり、 その前で一同力強い声で祈って公式巡礼は終わった。

後は三々五々、 近くの貝塚跡やマラソンを楽しみ、 別の希望者20名は京浜急行を利用して鈴が森刑場跡に足をのばし大森教会で聖体訪問、 JR大森駅において散会した。 午後は暖かくなり終始なごやかな巡礼だった。
(村岡昌和)

森一弘司教講演 ー殉教の現代的意味についてー

「今の日本に殉教の可能性はあるのだろうか、順境を現代日本の状況に当てはめながら考えてみたい」と問題提起され、
(1)弾圧の社会状況
(2)殉教者の上級
(3)現代日本における殉教の可能性について話された。

(1)弾圧の社会状況

ステファノの殉教、徳川時代の弾圧、ローマ帝国の弾圧、特にディオクレアヌス帝の弾圧の例から、民族が守った歴史の中に異分子が入ろうとする時、またキリスト教とともに入ってくる植民地主義に対する危機感に対して、またローマ帝国の統一為二神聖化された肯定を否定するものに対して弾圧がなされた。弾圧は教会での礼拝の禁止→聖堂の破壊→信者の公職追放→一般信徒の弾圧→極刑の段階を踏む。

(2)殉教者の状況

殉教には、確固たる信念が大前提となる。ローマの最初の殉教者のほとんどは、婦人、奴隷、選択女、靴直しなど社会の最も底辺に居た人々であり、キリスト教は、貴族政府の枠からはみ出した宗教を言われていた。

ルチア、アグネス、セシリア、アガタ・・・・なぜ、彼女たちは殉教者だったのか?

人権のなかった当時の女性にとって、キリストのメッセ―ジは救いであった。女性の殉教はローマも社会からの開放であり、社会的に大きいなインパクトを与え、そしてローマ法体系が女性たちへキリスト教の伝播でくずれていった。

(3)現代日本における殉教の可能性

現代は第3次宗教ブームといわれるが、動機はつかみきれない。現代人は得体の知れない孤独の中におり、家族のからみ合いの無い家庭に生活している。現代の宗教の形には共同体を作り、共同生活をすることである。

「現代の救いは交わりであるが、キリスト教の中にそれがあるのであろうか?今の日本の教会は体質的変化をしようとしている。(ナイスⅠのスローガン、開かれた教会、

生活を通して育てられる信仰生活の中で自分とイエスを支え育てていく光、殉教者の背後にある精神、状況が私たちの中につながるものがあり、殉教者の何かの糧として頂ければ幸いである。」と講話を結ばれた。

カトリック学校教育シンポジウム
かけがえのない子供の命を育てるために

11月9日・10日、 中央協議会学校教育委員会主催でカトリック学校教育シンポジウムが、 田園調布双葉学園新講堂を会場にして開催された。

南は沖縄、 鹿児島、 北は北海道、 青森など日本全国から300人近くの参加者が、 テーマ 「今子供の教育のために学校でできること、 家庭でできること」 のもとに、 講師・パネラーの話しを中心に熱意溢れる研修を行った。

☆ ☆

現場からの発言
第1日目のパネルデイスカッションでは、 4人のパネラーから、 学校、 家庭の現場における生々しい体験が発表された。

かけがえのないいのちと共に

宮井加寿美氏 (光塩女子学院教論) は、 カトリック学校に勤める教師の1人として、 子供たちに対して成績という物差しだけでなく、 紙の似姿として造られたかけがえのない命として、 信仰の光の中で係わっていきたいと語りながら、 自信を失ったり、 過ちを犯したり、 挫折したりする子供たちを立ち直らせ、 かけがえのない存在として受容されていることを実感させるために、 教師の誠実な姿勢が大切であると同時に親の理解ある協力も必要であると訴えた。

コンプレックスを持つ子供たちと共に

川瀬英嗣氏 (青森明の星高等学校教頭) は、 地方校のカトリック学校の悩みを訴えた。 地方は公立校への志向が強く、 カトリック学校にはやむえなく入ってくるので根の深いコンプレックスを持っており、 それをいかにとりのぞくか、 また学力をいかに向上させて、 いかに人間として自信をもたせていくかが教師の大きな課題になっていると語った。

登校を拒んだ子供と共に

鈴木邦子氏 (主婦) は、 3人の男の子たちの子育ての経験を語りながら、 積極的に親が学校教育に係わっていくことの必要性を訴えた。

公立校に通わせて土地っ子としてのびのびと育てようとした子供たちは、 小学校卒業までは問題なかったが、 中学2年の時、 長男がサッカークラブのことで教師とトラブルを起こしてから学校にいくことを拒み始めて、 結局は高校を中退。 その間、 子供、 母親、 父親が、 それぞれどのように悩み、 苦しみを乗り越えながら、 歩んできたかを語った。 また、 この体験から親、 特に父親が積極的に学校にかかわっていくことの必要性を訴えた。

傷ついた娘と共に

中村紀子氏 (主婦) も、 1人娘が小学生低学年の時、 祖父の病気をきっかけに自分が祖父を病に追いやってしまったのではないかという不安から、 心を痛めて、 学校にも行くことができなくなってしまった経験を語りながら、 子供がそれを乗り越えていくために、 家族のあたたかな交わりと祈り、 そして学校友達の優しい心がいかに子供の助けとなり支えとなったかをかたった。

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2日目は、 3人の講師の講演と鼎談が行われ、 現代日本の学校教育が抱える問題点とカトリック学校教育の可能性が論議された。

愛が人生の土台

森一弘師 (東京教区補佐司教) は、 愛にみちた交わりが人間存在に欠くことができないものであり、 その土台の上にその可能性が開花していくことを指摘し、 家族のかかわりが希薄になってしまっている現代家庭の状況を直視する時、 カトリック学校があたたかな愛を体験させる場となることの必要性を訴えた。

人間教育への挑戦

若林繁太氏 (長野県教育技術研究所所長) は、 教育者としなの長年の経験を踏まえて、 多くの教師が管理教育に流れていく中で、 教師の自覚次第では、 人間教育の実践が可能であることを多くの事例をあげて説明した。 変わりつつある教育深谷昌志氏 (静岡大学教授) は、 日本社会の歴史と教育の歴史を分析していくならば、 今、 学歴社会は崩れつつあり、 長い目で見る時、 今後学校に期待されるものは変わっていくだろうと指摘し、 将来の学校が、 今よりももっと人間同士の絆を育てていく場として期待される時代が訪れるだろうと提言した。

青年ネットワーク青年一泊交流会 (泊流会)

『日常生活と信仰』を分かち合う

春秋の2回開かれている東京教区青年一泊交流会は、 去る11月16、 17日の交流会で8回目を数え、 「泊流会」 と呼ばれているこの集まりも、 小教区を越えた青年たちの交流と出会いの場となってきたようです。

今年 (91年) は、 去年の暮れあたりから教区百周年のためのイベントの企画や準備、 開催と慌ただしく時が過ぎて行き、 青年ネットワーク事務局の方でも今までの歩みについてゆっくり振り返ってみるゆとりがなかっふようでした。 やっていたことといえば、 ミーティングとさまざまな事務作業の繰り返し、 まるで会社の延長といった感じでした。

今回の泊流会は、 そのような百周年のイベントも終えてほっと一息つきたい反面、 振り返りの必要も感じさせる時期に直面していました。 これまで続いてきたけれど、 どこがキリスト者の集まりと言えるのだろう (と筆者は個人的に感じていた) という交流のレベルだけにとどまっているのではなく、 教会というキリスト者の共同体の中から青年たちがキリストに生かされた者として現実生活を生きるために助け合い、 深めていくきっかけになるような場への方向づけが必要であると感じていました。

しかしながら、 今回はプログラムの準備にかかるのが遅れてしまい、 即興的に対応しなければならない状況でした。 でも、 これがかえって思い切った決断を促す結果になりました。 テーマは、 『日常生活と信仰 (みんなにとって教会って何なの)』 とし、 それまでの泊流会と雰囲気を変え、 強い問いかけを含んだプログラムを組みました。 参加の呼びかけに応じて下さった神父さま方や横浜教区青年センターの方々の協力に助けられて、 何とかスタッフのかたちも整いましたが、 分かち合いを中心としたプログラムだったので、 慣れない人や苦手、 嫌いというような反応が起こって、 困難な進行具合になるかもしれないという危惧がありました。

しかし、 この不安は見事にはずれました。 みんながそれぞれに思うところがあったようで、 自分の信仰やその体験についてグループごとに話し合う 『つどい』 の中でも、 また、 みんなで楽しむ 『うたげ』 の時間でも、 思いのほか深い分かち合いができたように思えました。

そこで感じたのは、 やはり青年たちもただ楽しむだけではなく、 このような心と心で分かち合える場を必要としているということでした。

春には、 一泊交流会から一歩踏み出し、 一泊錬成会というかたちで分かち合う場、 大事なことに気づくきっかけの場を企画中です。
(藤田 薫)

教会・修道院巡り (13)
「マリアの宣教者フランシスコ修道会」

「マリアの宣教者フランシスコ修道会」

1877年、 ご苦難のマリア修道女は 「マリアの宣教者フランシスコ修道会」 を創立した。 会の目的は、 聖母マリアの模範にならうと同時に、 キリストに対する愛と委託、 使徒的熱意、 変わらぬ平和と喜び、 という聖フランシスコの精神に従って、 祈りと社会奉仕に生きることである。

世界中で会員は 「愛を通して真理へ」 という会のモットーを掲げて、 キリストの救世の御業に協力している。 彼女らは、 それぞれの国で、 時代の必要に応じた多くの事業を行い、 自分たちの行為によって、 キリストの愛の精神をあかしすることにつとめている。

「マリアの宣教者フランシスコ修道会」 が日本で活動を始めたのは、 1898年であった。

当時長崎教区に所属していたパリ外国宣教会のコール神父は増え続けるハンセン病患者を救済したいと願い、 病院を建設することを思いたった。 早速ローマの本部にこの仕事に携わる人を求めたところ、 「マリアの宣教者フランシスコ修道会」 の5人がただちに応じ、 派遣された。

初めは熊本市花園町に家屋を買い、 30余名の患者を収容していたが、 1900年に現在の島崎町に病院を建てた。

1925年、 医学博士・戸塚文卿神父が司祭に叙階されて帰朝すると、 東京に病院設立の必要性を感じ、 「マリアの宣教者フランシスコ修道会」 を要請した。

これに応え、 「博愛と奉仕、 科学的治療と精神的慰安を病める人々に与える」 ことを目的として、 1931年現在の地 (新宿区下落合) に病院が設立された。 資金集めの為には元海軍少将・山本信二郎氏が中心となり、 音楽会が企画され、 日比谷の邦楽座で盛大にもよおされた。 山田耕筰氏も指揮をとり、 与謝野晶子女史など、 著名人の協力もあった。

設立当初、 主任神父はおらず、 シャンボン大司教が毎日2回、 ミサと聖体賛美式のために、 関口教会から歩いて来られていた。

1937年の日支事変から始まった戦争は、 1941年ついに世界大戦へと発展した。 聖母病院は、 外国人神父や外国人シスターが大勢いるということと、 カトリック系の国際病院という特殊な性格を持っているために、 当時は軍から“米英スパイの巣窟”という疑いの目で見られ辛い立場におかれたこともあった。

終戦後は、 上野駅近くで路頭に迷う人々の無料診療を実施し、 今日の 『足立地区無料巡回診療』 に発展した。

今日、 病院経営はさまざまな問題をかかえ、 多難な道を歩まなければならない。 しかしカトリック医療施設としての聖母病院は、 キリストの精神のもとに、 そのユニークな使命をますます強く果たして行くであろう。

『マリアの宣教者フランシスコ修道会』
本部世田谷区瀬田4-16-2
℡ 03 (3709)6771

『聖母病院』
新宿区中落合2-5-1
℡ 03 (3951) 1111

ナイスⅡのテーマはなぜ家庭なのか?

1993年秋に開催される第2回福音推進全国会議のテーマは「家庭」に決まっているが、東京教区では、去年の教区総会のテーマを「皆で考えよう家族について」としたのを始めとし、東京教区ナイスⅡ準備委員会の発足、宣教司牧評議委員会に諮問グループを設置するなど、着々と準備を進めている。

この度、東京教区ナイス準備委員会では、「家族」煮槌手のQ&Aを作成したので2回に分けて掲載する。

なぜ家庭なのですか?

Q なぜ、 第2回福音宣教推進全国会議のテーマが 「家庭」 になったのですか。

A 「家庭」 が現代社会に生きる人間にとって非常に重要な課題と判断したからです。

家庭は、 1人ひとりの土台であり、 疲れた心身を憩わせ、 明日に向かっての活力を与え、 人間の一生に喜びと希望を与える場であります。 最近のいくつかのデータ(注)は、 家庭が現代人のもっとも大切にしようとしているものであり、 家庭の絆は厳しい競争社会を生きなければならない現代人にもっとも頼りにされているものであると報告しております。

こうした状況を踏まえて、 司教団は、 家庭のあり方を考えることが、 現代人の福音につながると同時に、 福音宣教推進をはかろうとする日本の教会にとっても無視することのできないテーマであると判断したのです。

(注)
☆ 「あなたにとって1番大切なものは何でしょう」 という問いに対する回答のトップが 「家庭」 で40%、 「健康」 が36%、 以下仕事、 お金、 財産と続く。 (朝日新聞1989年定期国民意識調査)
☆ 「あなたは何を信じていますか」 という問いに、 トップは夫、 妻で53%、 次に子供29%、 3番目に親で22%、 その後に、 お金、 兄弟、 宗教、 仕事と続く。 (毎日新聞1991年国民意識調査)

教会レベルで取り上げなくても……

Q 第1回福音宣教推進全国会議のテーマは 「開かれた教会づくり」 でした。 それは日本の教会全体のあり方を考えようという大きなものでした。 事実、 会議がまとめた答申も、 日本の教会全体の転換を促すものでありました。 それと比べると、 今回の 「家庭」 というテーマは、 あまりに個別的なテーマと思われます。 中央協議会の司教委員会、 青少年委員会等に委ねてもよかったのではないでしょうか。

A 「家庭のあり方」 や 「家庭の問題」 を考えていくならば、 恐らくそれぞれの委員会でもよかったと思いますが、 しかし、 6月の司教総会で司教団が、 先の全国会議の精神と方向性を踏襲し、 その流れを受け継いで第2回全国会議を行なおうと決めたことに留意していただきたいと思います。

ご存じのように、 第1回全国会議の開催に際して、 司教団は 「生活と信仰の遊離」 「社会と教会の遊離」 があることを訴えました。 この呼びかけに応えるような形で全国会議の答申がまとめられました。(注)

すべての答申は、信仰共同体としての教会が福音宣教を推進していくために、 必要と思われるものばかりでした。

しかし、 信仰共同体としての教会は、 個々のメンバーからなっております。 信仰共同体としての教会の刷新あるいは転換は、 個々のメンバーの刷新、 転換がともなってはじめて完成されるものです。 第2回全国会議のテーマが家庭となった理由の1つはそこにあります。
第1回全国会議の精神にそって 「家庭」 を課題とすることは、 今度は1人ひとりに、 生活に根ざした真実の信仰のあり方を問いかけることになるのです。

いうまでもなく、 1人ひとりの人生は家庭との関わりなくしてありえません。 大多数の人間はみな家庭の中で生まれ、 家族の絆の中で育ち、 その関わりの中で人生の旅を続けます。 家庭を問うことは、 いや応なく個人の生きざまを問うことになります。 信仰の光に照らして家庭のあり方を問うことは、 1人ひとりが生活の場での信仰のあり方を問うことにつながるはずです。

第2回全国会議は、 このように 「生活と信仰の遊離」 の克服を個人レベルで問いかけて生活に根ざした真の信仰生活の充実をはかることによって、 第1回全国会議で芽生え始めた流れを更に深め根づかせていくことになると思います。

したがって、 第2回全国会議の準備をすすめていくにあたって、 第1回全国会議の精神とその流れの確認をすることが大事なことになります。

(注) 「司教団の皆様、 私たちは、 皆様の呼びかけにおこたえし、 生活から信仰を、 社会から教会を見直しながら、 開かれた教会づくりの課題に取り組みました。」
(第1回福音宣教推進全国会議、 答申の序文より)

家庭をテーマとすることによって、 「開かれた教会づくり」 という第1回の積極的な姿勢を継承できるのですか?

Q 「家庭」 を取り上げることによって 「個人レベルでの信仰と生活の遊離」 を克服しようとする意図はわかりますが、 それでは 「開かれた教会づくり」 というスローガンを掲げて社会に関わっていこうとした先の全国会議の積極的な姿勢が、 第2回の会議ではゆがんでしまう危険があるのではないでしょうか?

A その心配はないと思います。 家庭は社会の縮図です。 家庭を考えることは、 必ず社会を考えることにつながります。

現代ほど、 社会のあり方が、 家庭のあり方にそのまま反映されるような時代はなかったと思われます。 政治経済のあり方とその変動は、 いや応なく家庭を揺さぶります。 また、 社会のさまざまな情報は、 そのままテレビ、 新聞、 雑誌を通して直接茶の間に入ってきますし、 生き方、 考え方、 価値観に大きな影響を与えております。 さらにまた、 子供の教育の問題は子供だけではなく家族全体のあり方に重くのしかかっています。

家庭のあり方を考え、 現実を踏まえた信仰生活の確立を求めていくならば、 当然そこに大きな影響を与えてしまっている現代社会のあり方を問うことにつながると思います。 それは 「社会と共に歩もう」 という先の全国会議の1つの大きな課題に、 別な角度から応えることになると思います。

家庭を問うことがなぜ、 福音宣教推進につながるのですか?

Q 全国会議は、 「福音宣教推進」 という肩書がついておりますが、 「家庭」 を課題とすることが、どうして福音宣教推進につながるのですか?

A この問題は、 先の全国会議にもいえることであります。 先の全国会議も、 「福音宣教推進」 を掲げながら、 具体的には信仰共同体としての教会のあり方を検討し、 その刷新あるいは転換を求めることで終わりました。 そこには、 信仰共同体の活性化が福音宣教の活性化につながるという思いが、 参加者たちにあったからです。

それと同じように、複雑な現代社会の中に置かれた家庭のあり方とそこで生きる1人ひとりの生き方を、 福音の光に照らして誠実に真剣に考えようとする姿は、 そのまま、 信仰の光に恵まれていない多くの人々に共感を与えるに違いないでしょうし、 重荷を負う多くの家庭に喜びと希望を与える福音になるに違いありません。

ある家庭
東京・主婦

家族って?

“まるで友達夫婦のようね!”お揃いのGパン、 ジャンパーでの外出、 何でも言い合っているような会話を聞く囲りの人々の評価を気持よく耳にしていたのは、 Y市ではじめた新婚生活時代。

誰1人知る人もない土地で、 こどもをみごもった不思議さに、 迷うことなくこども共々受洗。 たくさんの友人を得、 楽しい日々だった。

周囲の評価を極端に気にする夫、 自分らしさを強調する妻、 子育て真最中の頃は少しも気にならなかった2人の違いがはっきりしたのは、 結婚7年目であった。 海外に単身赴任し、 帰国した夫との生活を始めてまもなくだった。

精神的、 経済的に自由な生活を知り、 帰国した夫は、 (早くに父親を失くしたこともあってか、 巣作りを知らなかったのだろう) 夫にも父親にもなりきれず、 迎える家庭にも違和感があった。

何度かそれなりの信号を発しても、 会社人間の夫はキャッチできず、 こども達とも、 夫婦間も、 距離は開く一方だった。 父子連れを見て涙ぐんでいたこどもが、 すっかり家庭人でなくなった父親を嫌い、 私に離婚まで口にした。

その時にはじめて、 事の重大さを感じたのか、 一緒に教会に足を運び、 嬉しいことに受洗するまでになった。

“それでも信者か”という言葉が出なくなった事が一番嬉しかったが、 まだまだ相手が変ってくれないとのみ考えていたのは私の方だった。

老いた親との同居生活の悩みに一時は外にも出てみたが、 家庭から逃げることにはなっても、 何の解決にもならなかった。

子育て、 家庭生活では得られなかった達成感が仕事では得られ、 人との付き合いも楽しく、 一時は家庭を忘れたこともあったが、 かわいそうなのはこども達だった。

“神の合わせ給う2人……” “背負いきれない荷は背負わされない……”

つらい家庭内別居の状態で、 距離をおいて夫を見るとき、 少しづつだが夫の淋しさが分かったとき、 相手の変ってくれることのみ願っていた自分を反省する機会となった。

何年もかかって築きあげた家庭修復には、 何年かかるか分からないが、 やっぱり作り直そう、 このままではこどもが家をあとにする時、 私が感じた両親の暖かさをこどもに伝えることが出来ないのでは……と考えた。 まだまだ、 これで良いといえる生活ではないが、 真実を見つめ、 逃げることなく自分自身を見つめたい。

よい人間関係を1日も早く取り戻し、 よりよい老後を迎えるためにも一緒に歩きたいと願っている。

お知らせ

生涯養成に関する企画

★ボランティア講座

・1月18日(土)
死をどのように迎えるか。
小田式子氏 (ホスピスの現場から:聖ヨハネ病院ホスピス病棟)
・2月15日(土)
絆と自律-その2。
森一弘司教
場所:カトリックセンター
時間:13時30分~15時30分
参加費:1000円 (当日受付にて)
問い合わせ:東京カリタスの家 3943-1726

★真和会 「新しい夫婦のありかたを求めて」

講師:森一弘司教
場所:聖イグナチオ教会地下ホール
日時:1992年1月29日(水)

★祈りの園 『新年を迎えて』

講師:ペトロ神父
場所:カトリック松原教会
日時:1月7日(火)
対象:どなたでも
会費:1000円 (当日納入)
持参:聖書、 昼食
連絡:白石 ℡ 0426-44-5565、 井出 ℡ 0426-24-0956

★教会の典礼-信仰の源泉に立ち戻る (千葉ブロック生涯養成養成コース)

第4回:1月12日(日)
講師:小沢茂神父
テーマ:ミサと生き生きとした信仰共同体づくり

第5回:2月9日(日)
講師:デニス・カラン神父
テーマ:みことばの分かち合いにおけるリーダ・シップコース

全体のまとめ
時間:13時30分~16時
講話、 分かち合い、 お茶、 まとめ、 ひきつづきミサ
場所:茂原教会〒297茂原市高師992 ℡&Fax 0475-22-2420
参加費:部分受講は1回につき500円
問い合わせ:茂原教会 ケルソ神父 ℡0475-22-2420
佐原教会 小沢神父 ℡0478-52-4079

★信徒のための信仰講座 (聖イグナチオ教会)

・毎週火曜日 18時45分より
担当:フィステル神父
・毎週水曜日 10時 Sr.井上 一般
14時 アリエタ師 婦人
14時 粟本神父 一般
18時 粟本神父 一般

★キリスト教信仰講座

講師:ペトロ・ネメシェギ神父
1月11日 愛と文明
1月18日 罪とゆるし
1月25日 神の恵み
2月1日 多様な召命
2月8日 カトリック・プロステンタント・正教会
2月8日 諸教会
2月22日 福音宣教
2月29日 病気と老齢
3月7日 死とそのかなたにあるもの
問い合わせ:聖イグナチオ教会

★第3回黙想会と聖体賛美式

日時:1992年1月11日(土)

・黙想会:15時30分~17時30分
指導司祭:ウォード師 (御受難会)
参加費:500円

・聖体賛美式:17時30分~18時30分
無料
前後にパイプオルガンの演奏があります。
場所:カトリック神田教会
℡03-3291-0861
黙想会は信徒会館2階

★東京教区青年のフィリピン体験学習

青年の第3世界体験学習を以下のように計画しています。
行先:フィリピン (マニラ・セブ・ネグロス)
期間:2月13日~2月27日
費用:13万円くらい
引率者:秋保神父 (松戸教会)余語神父 (豊四季教会)
対象:第3世界に関心のある18才以上の青年男女
募集人員:10名 (定員になり次第締切らせていただきます。)
後援:東京教区青少年担当司祭団カトリック東京国際センター
なお今回の体験学習にあたって、 NGOのカパティ (KAPATID) の全面的協力を仰いでいます。
申込み・問合わせ:国際センター ℡03-3943-4894まで。

訃報

ゴットフリート・ボルシュ神父 (イエズス会)
10月16日午前零時15分、 東京・練馬区のロヨラ・ハウスで肺炎のため帰天。 90歳。 1901年ドイツ・デュッセルドルフに生まれる。 21年同会入会。 30年司祭叙階。 32年来日、 主に広島教区 (松江、 鳥取、 萩) で宣教司牧に携わったが、 東京カトリック神学院副院長なども務めた。 温和な人柄でだれからも親しまれた。 計画を綿密に検討し、 具体的に推し進める能力があり、 いくつかの教会を建設。 司祭養成に尽力した。

編集部から

◆まさに光陰矢の如しで、 あっという間の感じで1年を終り、 新しい年を迎えようとしています。 「東京教区ニュース」 を年10回というペースをくずすことなく、 どうやら発行できたのも、 教区の皆さまのご協力があってのことと感謝申しあげます。

◆1991年度は、 主として東京大司教区創立百周年祭を教区全体でお祝いできるようにと、 準備段階から取りあげてきました。 記念行事は無事終了しましたが、 むしろ 「明日向かう」 教会の生き生きとして姿勢を示す課題が残されています。 その意味では、 グッド・タイミングに、 1993年には、 第2回全国福音宣教推進全国会議 (ナイス) がひかえています。 新しい年はその準備を整える1年になりそうです。 ご承知の通り、 そのテーマは 「家庭」 ですが、 いずれの家庭でも大なり小なり問題をかかえながら、 頑張っている状況だと思います。 家庭問題はいまや、 日本のみならず、 全世界のゆるがせにできない問題ですが、 キリスト信者の家庭でも決して例外ではないでしょう。 しかし、 われわれキリスト者みんなが、 これらの諸問題から逃げ出さないで、 福音の光をあて、 祈りのうちに取り組んでいる姿が、 何よりの福音宣教ではないかと、 私は思っています。 「聴き、 吸い上げ、 活かす」 姿勢はナイスにも保持されることですから、 この 「教区ニュース」 の紙面が皆さんの問題提起、 討論の場となればと、 期待しています。

◆また、 その他の面でも東京教区は多様の活動を続けていくわけですから、 それらをも随時報道し、 皆さまと共に生きる、 親しみのある教区報にするよう努力致します。 皆さまがたの一層のご援助、 協力を乞う次第です。

(東京教区広報担当泉富士男)