お知らせ
東京教区ニュース第85号
1991年08月01日
目次
- ◇ 近づく東京大司教区100周年
豊かな行事に参加しよう!! - ◇ 100周年記念の感謝の祭儀のため新しい典礼式文を作成
- 教区典礼委員会 - - ◇ 滞日外国人労働者とともに生きる
於 田園調布教会 - ◇ 35年目の教会建築
亀有教会聖堂落成式 - 5月26日 - - ◇ 岡田武夫師 浦和教区長に任命
- ◇ ズームアップ
- ◇ 東京カトリック神学院 「父母会」開催!
-養成担当者会議- - ◇ お父さん あなたの出番です!!
- ◇ ルポルタージュ 家庭(6)
- ◇ 金祝・銀祝 おめでとうございます
- ◇ 未来はキミたちのものなのだ!
- ◇ 江戸キリシタン殉教者ゆかりの地巡礼
第2弾 - 浅草教会を中心に - - ◇ 新人リーダー研修会
- ◇ 【生涯養成に関する企画】
- ◇ カトリック東京国際センター運営委員会再編成!!
- ◇ 教区教会委員連合会
- ◇ 東京大司教区創立100周年記念青年企画
- ◇ 青年ネットワークの事務室 オープン!!
- ◇ 東京大司教区100周年記念参加
新潟佐渡巡礼の旅 -葛西教会- - ◇ 1991年「あけぼの」読者の集い
- ◇ 教会・修道院巡り(9) 「麻布教会」
- ◇ 『一粒の麦』 第9回
白柳大司教、教区100年を語る - ◇ 「福音の種子と芽生え」を見つけるための
体験文募集のお願い - ◇ 編集部から
近づく東京大司教区100周年
豊かな行事に参加しよう!!
昨年9月の東京大司教区100周年記念を開始して以来、信徒も司祭も共に心を合わせ、小教区単位で、あるいはブロック単位、団体単位でそれぞれに着々と準備を重ねてきたが、いよいよ9月29日のカテドラルで行われる感謝の集い、ミサに向け、東京大司教区全体が大きなうねりで動き始めた。
9月は東京大司教区創立100周年一色にそまりそうだ。この豊かな創立100周年記念行事に参加することにより、過去に感謝し、現在を確認し、明日に向かう東京大司教区と共に歩んでいこう。
■■ 記 念 行 事 詳 細 ■■■ ● 青少年の集い ● 記念講演会 ● 在日・滞日外国人の集い ● 子どもの集い ● 宣教会・修道会の集い ● 国際シンポジウム ● 感謝の集い・ミサ |
100周年記念の感謝の祭儀のため新しい典礼式文を作成
– 教区典礼委員会 –
「教区創立100周年記念を機会に、独自の典礼式文をつくってみよう」ということから、教区典礼委員会(委員長・佐久間彪師)は、教区儀式係の神父たちの協力をえて、典礼式文の作成を始めたのが、昨年の11月。
何回かの会合を重ね、ある程度煮詰められた段階で、司祭団には4月、5月の月例集会で中間報告と説明を行い、司祭たちの意見を求めた。
6月17日の会合には典礼学者土屋吉正神父(イエズス会)を招き、司祭たちから寄せられた意見を参考に、最終的な式文のまとめを行った。
それは、近いうちに一つのパンフレットにまとめられ、関係者に配布され、100周年の記念のミサで使用されるはずである。
ミサのための新しい奉献文の作成に踏み切った背景には、第1回ナイスの「人の心に訴えるような典礼を生み出す」という提言がある。そもそも、教区の典礼委員会も、このナイスの提言に基づいて新たに発足したものである。自分たちの手で、新しい典礼式文を作成してみようということは、典礼委員たちの長年の願望でもあった。
ちなみに、歴史を振り返ってみても多種多様な奉献文があり、第2バチカン公会議の典礼刷新後に諸外国では独自の奉献文が数多く作成され、バチカンの典
礼省の認可を得て一般に使用されている中で、日本には翻訳された4つの奉献文しかなく、日本固有の典礼文が早くから望まれていたものである。
作成された典礼文は、内容的には、東京教区の100年の恵みへの感謝が中心になっているが、記念式典だけでなく、今後もいろいろの機会に使うことができるよう配慮されている。
また、ミサの参列者である一般信徒もミサの流れに能動的に加わることができるよう、工夫されている。
また、新しい典礼又といっても新奇をてらうものはなく、典礼本来の霊的な豊かさと深さが表現され、体験できるよう配慮されている。
100周年記念の典礼式文が基本的にまとまった今、同委員会はこれから協力者の輪をさらに広げて、具体的に9月29日当日の式次第の作成にとりかかっていく予定である。
滞日外国人労働者とともに生きる
於 田園調布教会
田園調布教会の信徒を中心とした実行委員会によって企画主催となった連続研修会は、現在約50名の参加者とともに進められている。
開会講演(森一弘司教)
第1回研修会(4月20日(日))は、森一弘司教による開会講演。テーマは、この研修会の目標でもある「愛と正義の地域共同体を築いて行く自己の活性化」。
「企業優先の消費社会に教育までが毒され、人間としての営みに一番大切な共感能力が希薄になっている現代日本の社会の危機」を指摘された。
「社会の現実に対する深い洞察をしながら、人々の労苦と重荷を支え、励まし、ともに歩まれたキリストの姿勢を、現代日本の教会の中心に置き、教会は、国家、国境があるために生じる不幸に心を寄せ、外国人労働者に対しては兄弟姉妹として関わることが大切であり、具体的問題解決策によって歪んだ社会構造を変革することが、今の教会に求められており、そのための自己活性化が必要である」と強調された。
今までの関わりの中で
5月19日(日)、第2回研修会は、「今までの関わりの中で」というテーマで、3人の講師から報告が行われた。
まず、西川哲弥神父は「カトリック東京国際センター」の設立準備に関わった経験から、同センターの役割と今後の展望を「今まで設立準備の中で学んできたことは、旅人を兄弟として受け入れることである」と語った。
次に、名古屋の「あるすの会」のSr.野上幸恵は、「外国労働者を通して教えられることは、福音とは何かであり、不正義に対してなぜ私達はもっと怒らないのか。ひょっとして紛いものの福音に生きているのではないか」と深い問いかけをした。
最後に長澤正隆氏(太田教会)は、労働力の需要と供給のバランスがみごとにとれた重工業を支える下請会社の多い、群馬県太田教会の状況を説明し、外国人労働者と連帯する教会福祉部の活動の現状報告を行った。
パネルディスカッションでは、「行政や企業の福祉、厚生の矛盾を問いつめて行くと、必らずその根幹にぶつかり、個別のアプローチではすぐ抑えられてしまうので、組織的に対応してはどうか」の問に対して、「市民グループとの連帯の必要」「既存のカトリック組織が果たしてきた役割」「今後のネットワークづくり」等の意見交換があり、信徒の立場から長澤氏は、「日本の教会にとびこんできた地上を旅する教会の人々をなぜ疎外するのか、彼らに関わる信徒に対して教会は、もっと責任を感じ、バックアップしてほしい」と熱い要望を出した。
送り出し国の状況
6月9日(日)、3回目の研修会は、シスター石井芳子(天使の聖母宣教修道女会)がペルーの厳しい現実を、続いて岩橋淳一神父(カトリック中央協議会事務局長)がフィリピンの現状を中心に外国人労働者送り出し国の状況を説明、大きな関心へと向かわせ、さらに外国人労働者の真の叫びは、聞く者の心を深く揺り動かした。
パキスタンの男性は、「印刷会社で働いている時に片腕を機械に挟まれ切断、現在は働くこともできず、友達のところにいる。このことを国の妻子には、話していない。日本人の神父が義手を労災でつけられるようにと、助けてくれている。」
フィリピンの青年は「ここで経験をわかちあうチャンスを与えてくれてありがとう」と、これまでの苦難を語った。「現在は良い上司のもとで働いているが、ラッキーでない人達のことをいつも考えている。安い賃金をさらに中間搾取される。女性の場合はもっとひどい。」
「自分達は、正当な報酬以上のものを求めようとは思っていない。人間としての権利、労働者としての権利を認めてほしい」と訴えながら、「しかし、ほんとうの問題は、自分の国フィリピンにあるのだ」と言う。
「今は、家族を守るために、このような状況にいるが、永久的に住もうとは思ってはいない。いつかは自分達の国に帰ると思っている。(だから)人種差別なしに手をつなぎ今、こうしてこの場でやっているように私達を理解してはしい」と呼びかけ、友人から託されたメッセージを参加者に伝えた。
『今、私達が行動しなければ、誰がするんですか。 今、私達が返事しなければ、いつするんですか』
同研究会は、毎月1回来年の1月まで開催される。講師も全国レベルで依頼し、体験学習、グループワーク等も取り入れている。問い合わせは、研修会実行委員 上田倭子氏まで。
35年目の教会建築
亀有教会聖堂落成式 – 5月26日 –
亀有教会は、去る5月26日(日)念願の聖堂を建て、その落成式を行った。
亀有教会は、35年前聖母の騎士会のチャペルから出発した。チャペルに近隣に信者が集まり、信者の数が増えるにしたがい、チャペルから幼稚園のホールへ、更にプレハブの小聖堂を建てるという歴史があった。
小教区になったのは20年前。
やがてプレハブの聖堂の修理が話題になる頃から『修理よりも本格的な聖堂を』という声が高まり、そのために献金の募集が始められ、献金が3,000万円になる1990年に教会建設ということになったのである。
費用を修道会、修道院、教会で分担。教会の分担は7,000万円。
今後も教会は向こう20年間献金募集を続けなければならないという。しかし、経済的な負担は続いても、信徒にとっては自分たちの教会が出来たという喜びは大きい。
岡田武夫師 浦和教区長に任命
島本要司教が長崎大司教区に赴任してから、長らく空位であった浦和教区長・司教に、東京教区司祭岡田武夫師が、6月29日付けをもって任命された。
岡田師は、1966年東京大学法学部卒業の翌年、東京カトリック神学院に入学。1973年司祭に叙階。船橋教会助任、西千葉教会主任代行を経て、1975年にローマ・グレゴリアーナに留学。帰国後1979年柏教会主任、1986年から今日まで日本カトリック宣教研究所所長として活躍。
聖アントニオ神学院で教鞭をとるかたわら、月刊紙「福音宣教」の編集長としても活躍。
第1回福音宣教推進全国会議においては、実行委員の一人として活躍すると同時にその後の推進委員会においても活躍。
中央協議会においては、司教団のプレインとして貴重な役割を果たしてきた。
千葉県出身。1941年生まれ。
司教叙階式
9月16日(月)11時
於 浦和明の星女子短大講堂
ズームアップ
ローリーさん、セリーさん
千葉ブロックがフィリピンから招いたレイミッショナリーのお二人。この頃とみに増えた外国人労働者、特に干葉地区に住むフィリピンの方たちのために働いておられる。文字どおり休む暇も無く飛び回っている。セリーさんはミンダナオの出身、ローリーさんはルソン島のナガ市の出身。
今年の6月で丸2年になった。今千葉で一番の問題は何かと聞くと、一つには労働の問題、そしてもう一つは人間関係だという。フィリピン人と日本人とのコミュニケーションの問題ばかりでなく、フィリピン人同志の問題もある。信仰と愛のあるコミュニティを作りたいと希望を語ってくれた。
東京カトリック神学院 「父母会」開催!
-養成担当者会議-
去る6月17日(月)から19日(水)にかけて、東京カトリック神学院に神学生を送っている教区の養成担当者たちの会議が開催された。毎年一度開催されるも
のである。ある意味では、神学院側が、神学生を送っている教区の神学生担当者たちを招いて、教育方針や養成過程にある神学生一人ひとりについて説明を行う『父兄会』のようなものである。
東京教区からは、4人の養成担当者(大倉、吉川、辻、稲川師)が出席。
神学院例の報告の中から・・・
1、4月から那須で生活を始めた神学生は6名。内3名は東京教区。東京教区から新たに神学院のモデラトーレとして派遣された幸田師は、那須で神学生を指導することになった。
2、那須から神学生の新たな参加について・・・
昨年から那須で初年度養成を終えて、4月から東京に移ってきた神学生たちが、無事に新しい生活に適応したということ。
また、先輩の神学生たちとの間にトラブルもなく、むしろ、温かく迎えいれられたと同時に先輩たちの良い意味での刺激になっているとの説明があった。
3、新しい養成過程の今後の哲学や神学のカリキュラムの構想や講師たちの候補者名があげられたが、参加した養成担当者たちの側からは、優れた講師の確保は大丈夫なのか、神学院としての知的レベルを維持できるのか、また各教区の司祭たちの高齢化や召命不足という現状の中で、今後各教区が司祭を神学院のスタッフとして派遣することができるのか、などの点についての質問が投げかけられた。
お父さん あなたの出番です!!
父の日特集-雙葉学園「パパの広場」
白百合学園幼推園「父の日の集い」
ひと昔前は、子どもの教育は母親まかせ、学校へは子どもが卒業するまで一度も行ったことがないという父親がめずらしくなかった。
父の日を機に、今現代の企業戦士の父親たちが子ども達に、学校にどのようにかかわっているかを、雙葉学園と白百合学園のケースを通してみてみた。
雙葉学園 パパの広場
5月21日(火) 午後7時、雙葉学園同窓会館ホールにおいて、第187回「パパの広場」が開催された。会場は職場の帰りに直行した父親約90名で満員、この日の講師は、山本襄治神父、テーマは「キリスト教からみた親と子」。
山本神父は、第23回「パパの広場」から毎年4月に新入生の父親を対象に講話を続けてきたと前置きをした後、聖書の2つの場面を中心に、親と子供の関
わりについて語った。
まず、イエスの12才の時のエピソード(ルカ2・41)から、
「子供が自分に目覚め、自分を思う存分発揮したいと思った時、父親は子供のメッセージを聞きとり、聞きわけ、答えなければならない」と。
次に、放蕩息子のたとえから「人間の成長において、父親はどんな状況でも父親であることをやめてはならない。現代社会において、家計の担い手である父親の重荷や孤独は軽いものではないが、父の姿に従って子供は育っていくので、不毛の忍耐ではない」と事例をまじえながら、1時間に渡って父親たちに語りかけた。
食事をしながらの質疑応答、話し合いの後、場所を移して、夜遅くまで語り合う父親達の姿が見られた。
「パパの広場」は、昭和47年9月から、「宗教について考え神父様のお詰を聞く会」という名称でスタートした。当初はシスターが運営していたが、第5回が終わった時から、父親達の中から世話人が出て、司会や運営に当たるようになり現在に至っている。会の名付け親はマタイス神父だそうだ。
現在世話人は約20名、その中の1人に話を聞いてみた。
「かかわってもう15年になります。仕事を離れて、分野の違う方とお話しできる機会はめったにありませんし、毎回神父様をはじめ、その道の専門家のお話しが聞けるのも魅力です。」
白百合学園幼稚園 「父の日の集い」
6月15日(土) 午前9時半、白百合学園小学校の校庭には、父親と手をつないで嬉しそうな園児160名が集合していた。
各組毎に、父と子のふれあいを重視した競技で約1時間楽しんだ後、ホールにおいて「家族の中での父親の役割」と題する泉富士男神父の講話が行われた。
「家族の中での父親の役割は、母と子の道具的な役割である。夫婦はどれ位幸せを感じているか?結婚の幸せを追求してほしい」
「大切なのは対話である。対話をスムーズにするためには、時間を自分のものにし、相手によって自分が豊かになっていることを伝えることだ。対話のルールは、違いを受け入れる、自分を忘れて相手の立場に立つ、たくさん聞いて少し話す(耳は2つ、口は1つ)ことだ」と、家庭生活において対話の重要性をくりかえし述べた。
白百合学園幼稚園では、父親に園での子どもの様子、園の教育方針を理解してもらうために、年に何回かこのような試みをしているという。
ルポルタージュ 家庭(6)
アルコール依存症の病理 – 横川和夫 –
女子高生監禁殺人事件
-少年Cの家族-
東京・綾瀬の女子高生監禁殺人事件の舞台となった少年C(当時16)の両親が、なぜ2階の部屋で42日間も女子高生が監禁されていることに気がつかなかったのかは、いまだにナゾである。
そのナゾ解きに一つのヒントを与えてくれる人が現れた。
東京都精神医学総合研究所社会病理学研究室の斉藤学先生だ。
斉藤先生は、アルコール依存症の重症者を扱っている国立療養所久里浜病院の精神科医長をしていたこともあって重鎮的存在である。
しかもアルコール依存症者や、その家族、友人らが集まって体験を語り合うことによって、それぞれの立場で問題を認識して成長していくことを目指すAKK(アルコール問題を考える市民の会)の事務局長でもあり、臨床例は実にくわしい。
その斉藤先生が「『かげろうの家』(共同通信社刊)を読んだ後に手がけてきた私の目から見ると、Cの家はアルコール依存症の父親をもった家族病理の典型例ですね」と分析してくれたのである。
私たちは法廷でCの父親、母親の証言を聞いていて疑問に思ったのは、なぜ42日間も女子高生が2階で監禁されていたことに気づかなかったかという点である。
Cの母親は、3回も女子高生と会っている。家出少女と思った母親は3回目に見つけた時は彼女のハンドバックから手帳を取り出し彼女の家に電話したが、女子高生の母親から「どなたですか」と尋ねられて、「綾瀬の○○です」と偽名を告げている。
女子高生の母親にとっては「もしあのとき本名を名乗ってくれていたら」の思いが今でも消えない。
検察側も法廷で厳しくこの点を追求したが、母親は「ハンドバックから手帳を取り出したときにCの兄に見つかり”何も取っていない”とウソをついたので、そのウソがばれることを恐れました」と答えている。
弁護士側によると、母親は長男であるCの兄との関係に亀裂が入ることが一番心配だったという。
このことも私たちにとっては、ナゾの一つであった。
斉藤先生は、私たちが抱いた疑問を一つ一つ解いていった。「アルコール依存症の父親をもった子どもにとってつらいのは、お母さんがお父さんの酒に気を取られすぎちゃって、本当の意味での子どもに対する関心が撤去されてしまうことなんですね」
学校の成績だとか表面的な問題には異常に関心を払うけれど子どもたちが求めるもの、つまり、母親の目が常に自分たちに注がれているという安心感を与えることができなくなっていく。
「子どもの大半、80%は、親の仲が悪いのは自分のせいだと親のカウンセラー、相談役になる。つまり真面目な、いい子になるんです。ところが、それができない残り20%の子どもたちは、問題行動を起こすことによって、夫婦の問題を外にそらしたり、関心を外に向けようとして非行型にはしる。母親に家庭内暴力を振るっていたCは、その典型ですね」
Cの父親は、大学を卒業後、就職して23年間、心臓病で入院した以外は、毎日酒を飲み続けたというのが自慢の一つだ。
診療所の事務長としての激務をこなす父親は、職場や近隣との人間関係を取り結ぶことの疲れを癒すはずだった酒に、いつの間にか取り込まれ、完全に依存症になってしまう。
「やめさせようと努力してもやめない。そうなってくると母親は否認と言いましてね、起こっている問題を見て見ないようにする。今度の女子高生だって、大きな家ではないんだから、気配がするとか、においがするはずなんですが、このお母さんは”知らなかった”と言っている。それはウソを言っているのではなくて否認でしてね。特殊な病理で説明しにくいんですが、だれが見たって明らかな事実までアルコール依存症の夫を持った妻は否認していくんです」
つまり母親は自分の家で起きていること全てに対して否認する、無意識のうちに見ないようにしている、視野狭窄(きょうさく)状態に陥っていたというのである。
「しかも、Cのお兄さんと母親との関係は”偽夫婦”と言いましてね、母親にとっては自分のことを案じてくれるよき理解者なわけです。だから、その関係に亀裂が入ることをお母さんは一番恐れて実名を言えなかったんです。こういうふうに家族をシステムとして見るのは比較的新しい考え方で、最近やっと認められ始めていて、専門家たちもよく知りませんね」
斉藤先生の話は続く。(続)
金祝・銀祝 おめでとうございます
司祭金祝
H・クルーゼ(イエズス会・上石神井修道院)
F・パルバロ (サレジオ会・管区長館)
司祭銀祝
深水正勝(東京教区事務所)
田中康晴(カトリック・センター)
R・ギング(メリノール会・管区長館)
W・ディビアーゼ (フランシスコ会・チャペルセンター)
J・コエリヨ(イエズス会・三木ハイム)
越前喜六(イエズス会・SJハウス)
E・ベレス・バレラ(イエズス会・SJハウス)
田淵文男(イエズス会・上石神井修道院)
R・ブルゴアン(オブレート会・保谷修道院)
G・ルンプレラ(エスコラビオス会・保谷修道院)
尻枝 毅(サレジオ会・下井草教会)
司教叙階銀祝
白柳誠一東京教区大司教は、司教叙階銀祝を迎え、同教区司祭たちから祝いを受けた。
未来はキミたちのものなのだ!
東京教区100周年記念 子供の集い
東京教区教会学校委員会では教区100周年の記念行事として「子供の集い」を企画しています。ミサとイベントの集いです。未来の教会を背負って行く子供たちと共に、心に残る一日をつくりませんか。
●日時/1991.9.23(秋分の日)10:30AM~2:30PM
●場所/東京カトリック神学院
●対象/中学生までの子供たち(滞日外国人たちも含む)
●持ってくるもの/お弁当、名札(各教会で準備する)
●申し込み方法/各教会宛に案内状・申込書を送ります。
●問合せ先/東京教区教会学校委員会・担当司祭まで。田中隆弘神父(秋津教会) 立花昌和神父(立川教会) 江部純一神父(豊田教会)
江戸キリシタン殉教者ゆかりの地巡礼
第2弾 – 浅草教会を中心に –
数ある教区創立100周年記念行事のうち、5月のジュリア祭につづく「江戸切支丹殉教ゆかりの地」巡礼行事第2弾。浅草教会に集合、いわゆる第2コースの中から交通事情などで選ばれた(1)江戸最初の殉教地=元鳥越刑罰場跡と聖フランシスコ会の浅草癩施療院聖堂跡(2)小伝馬町牢屋敷跡などをめぐる巡礼は、そぼふる雨の中、151名の参加者を得て無事終了した。参加者の内訳は27教会から129名、8修道会から21名、中央協議会1名。遠隔地八王子、多摩、そして横浜教区鶴見教会からの参加もありスタッフを感激させていた。最多参加は船橋教会21名、ついで関口教会の20名であった。
6月23日(日)昼過ぎ、ぞくぞく集まる参加者は受付でめいめい記帳の上、浅草教会心づくしの資料「小伝馬町牢屋敷跡.や記念品(先着100名)を受取りホールで一息、江戸古地図や参考書籍の展示に見入っていた。
聖堂に入り午後1時、まずパンフレット「江戸切支丹殉教者ゆかりの地」の編集責任者からその読み方と本日のコースの詳明があり、つづいて浅草教会市川裕主任司祭司式の聖体賛美式に移った。「もしかしたらこの聖堂の地こそ、400年前の癩施療院聖堂の跡・・・」との思いに、聖歌がひときわ明るく響きわたり、共同祈願の答唱も「キリストは十字架によって世を救われる」と力強かった。
午後2時、浅草教会を出発。前聖堂跡に建つ高層ビルの西側から旧鳥越川の源流三味線堀跡を望み、ひたすら川筋をたどりながら甚内神社・甚内橋へと進む。150名からの集団は、休日の静かな鳥越界隈には異様に写る。スタッフは歩行整理に気をもむ。甚内神社前では傘をさしながらひしめきあって教育委員会の説明板に見入った。刑罰場跡と思われる辺りでは一同歩きながら主祷文を念祷。また旧川幅を示す道幅いっぱいのマンホールの蓋に驚き、幕府米蔵の由来など説明を聞きながら浅草橋を渡って一路小伝馬町へ。牢屋敷跡の十思公園では牢最盛期の配置や、残念ながらここに切支丹殉教記念碑がないことなどの説明を聞き、終わりに市川神父の先唱で祈りを捧げ、3時過ぎ無事散会した。
なおこの後、有志20数名は徒歩で本コースの一つ三浦安針江戸屋敷跡を、また3名がバスで今戸の新鳥越刑罰場跡、南千住の小塚原刑罰場跡を、それぞれ説明員の案内で訪れた。
このあと巡礼第3・第4弾は、しばらく間をおいて11月10日、17日が予定されている。主催者の100周年委員会・江戸殉教地巡礼ワーキンググループでは各教会・修道院へ配布済みのポスター「江戸切支丹殉教者ゆかりの地巡礼行事の案内」を参照されるよう希望している。
また、教区広報委員会では巡礼参加者からのご意見・感想文を期待している。送り先は大司教館気付け広報委員会まで。
新人リーダー研修会
関わりの中で育つ子供たちとリーダーの役割
– 東京教区教会学校委員会 主催 –
教区・教会学校委員会主催による新人リーダー研修会が、6月16日午後1時半より関口教会の信徒会館に於いて行われ、近隣の教区からの参加も含め約90名が集まった。
今回の研修会のテーマは、「関わりの中で育つ子供たちとリーダーの役割」ということで、3人の講師を迎えて行われた。
講師と内容は次の通り。
中能孝則氏による「子供を楽しく遊ばせるグループゲームの指導方法と実際」 森一弘司教による「今すぐできることから取り組もう・家庭と教会学校の実際、協力できることを見つけよう」
朝川徹神父による「リーダーになると・・・具体例をあげて」
中能(なかよく)氏によるゲームの紹介は、氏の巧みな話術に乗せられて、リーダー自身がリラックスして楽しんでいた。ゲームというのはテクニックを使って子供たちにやらせようとしてもうまくいくものではない。多少下手であっても、リーダーがやる気をもって、しかもリーダー本人が楽しんでやれば子供には伝わるものだと語られた。そのためにはリーダーも練習をすることが必要である。「たかがゲーム、されどゲームなのだ。」ということを強調した。
家庭と教会学校の協力のあり方ということで話された森司教は、まず家庭の中での教育能力の低下を指摘。その原因として経済成長に伴う核家族化によって、親の子供を教育する視点が狭くなったこと。また、戦後の教育のあり方、つまり偏差値による育成体制ができあがり、親たちも偏差値教育へ視点が向いていることをあげられた。
そういう状況の中で、家庭において生きた命を感じさせることがなくなってしまった。
教会学校の役割を考えた場合、まず子供たちの「解放」ということがあげられる。そのための「遊び」ということは大切にされるべきである。偏差値教育にがんじがらめになっていることからの、またみんなといっしょに遊ぶことができなくなっていることからの解放である。
同時に親も教会学校に巻き込んでいく必要がある。親への参加を呼びかけながら、教会は親への教育もしていかなければならないと訴えられた。
朝川神父は教会学校の具体的なプログラムの例をあげながら、リーダーを育ててくれるのは子供たちかもしれないことを指摘。「関わり」ということの大切さを参加者に呼びかけた。
また「神さまがともにいてくださる」ということは、子供の方が敏感に感じていると語り、そのことを踏まえ、しるしとしての秘跡の大切さを述べられた。
(江郡純一神父)
おしらせします
【生涯養成に関する企画】
☆第2回生涯養成コース
第1回 10月12日(土)午後2時~4時。
挨拶:森一弘司教。
講師:田中隆弘師(東京教区教会学校委員会担当司祭)
テーマ:「子供の信仰教育」
第2回 11月9日(土)午後2時~4時
講師:赤羽恵子氏(深草子供の家主宰)
テーマ:「子供はひたすら自立したがっている。環境と関わり体験学習を積み重ね-」
第3回 12月7日(土)午後2時~4時
講師:皆川邦直氏(東京都精神医学総合研究所副参事研究員)
テーマ:「幼児期の親子関係-子供とともに育つ」
場所:カトリック築地教会
参加費:2,000円(全3回分)
募集人数:40名(3才以上のお子さんをおあずかりします)
申し込み:はがき又は申し込み用紙をお使い下さい。
締切:8月31日
主催:東京教区ナイスプロジェクト生涯養成委員会
問い合わせ・申し込み先:東京ナイス事務局 生涯養成係
☆黙想会
8月16日(金)18時~19日(月)11時
会場:中軽井沢宣教クララ会祈りの家。
テーマ:「信仰に生きる私の道は・・・」
指導:瀬本神父(イエズス会)
参加費:12,000円
対象:40才までの未婚の女性
問い合わせ・申し込み:宣教クララ会東京本部修道院 シスター石塚
☆一日静修
8月15日(木)午前10時~16日(金)午後4時。
場所:愛徳カルメル修道会東京修道院〒186国立市富士見台2-37-7
指導:力ルメル会中川師
参加費:2,000円
対象:若い未婚女性
申し込み、問い合わせ:Sr.越田又は綾瀬修道院Sr上田
☆全国カトリック学生セミナー
7月31日(水)~8月4日(日)
場所:東京日野ラ・サール
参加費:19,000円
連絡先:庄司佐和子
☆聖書の旅
9月15日(日)~16日
場所:御殿場方面~富士の裾野を歩きます。
宿泊:カトリック御殿場教会
費用:5,000円、交通費は個人負担、
申し込み:M・0・P・P(聖ペトロ、パウロ労働宣教会)〒335戸田市喜沢2-22-2青果荘
締め切り:9月10日
☆ボランティア講座 第5回
9月21日(土) 午後1時30分~4時
「社会人としての自律性とは」井原美代子氏(安田生命社会事業団HumanS.)
場所:東京カトリックセンター
会費:1,000円(当日払)
問い合わせ:東京カリタスの家
☆キリスト教信仰案内講座
ペトロ・ネメシェギ師
9月21日(土)「家庭生活」
9月28日(土)「社会生活」
10月5日(土「世界の人々とともに」
場所:聖イグナチオ教会、テレジア・ホール
☆連続研究講座「教会と家庭」
9月28日(土)午前10時~11時30分
「信徒の召命と家庭」 小田武彦師。
9月28日出午後12時30分~2時
「女性神学と家庭」 岡田武夫師。
場所:真生会館
会費:500円。
☆連続研修会「滞日外国人労働者とともに」
9月7日(土)体験学習・現地見学
山谷・女性の家HELP、川崎・カラパオの会等
10月13日(日)午後1時~3時
「新入管法と外国人労働者の抱えている問題」小山かおる氏=アジア労働者問題懇談会
場所:カトリック田園調布教会聖堂下ホール
参加費:1,000円
主催:田園調布教会研修会実行委員会
問い合わせ:上田倭子
☆第28回カトリック社研セミナー
8月23日(金)午前9時30分~25日(日)午後2時
テーマ:今、「働くこと」を問い直す
場所:横浜雙葉学園視聴覚教室
「教皇回勅からみた「働くこと」の意味」 橋本昭一氏
「宣教からみた人間の労働」 岡田武夫師
「日本人の働くことの意味」 小島武志氏
「ヨーロッパにおける働くことの意味」 八幡康貞氏
参加費:5,000円
締め切り:8月10日
申込み先:カトリック社会問題研究所セミナ準備委員会
カトリック東京国際センター運営委員会再編成!!
カトリック東京国際センター
運営委員会は4月1日付けで再編成され、次のメンバーによって運営されることになった。
委員長 森 一弘司教
委 員 寺西 英夫師
粕谷 甲一師
一藤 甫氏
西川 哲弥師
小宇佐敬二師
稲川 保明師
余語 久則師
Sr河瀬 須恵
事務局 西川 哲弥師(事務局長)
余語 久則師
Sr河瀬 須恵
教区教会委員連合会
6月30日(日)
教区教会委員連合会
– 白柳大司教司教叙階25周年記念ミサ –
6月30日(日)午後1時よりカテドラル構内において、教区教会委員連合会が開催された。
白柳誠一大司教司教叙階25周年を記念して、ベトロ・パウロの祝日のミサ典礼文によりミサが行われた。
(1)教区100年を記念し、教会の発表と世界の平和のために(荻窪教会)
(2)大司教の司教叙階25周年を記念して(干葉寺教会)
(3)白柳大司教、森司教の霊名の祝日を迎えて(西千葉教会) の意向で共同祈願が行われた。
なお、この日のミサ献金は、カトリック東京国際センター基金に寄付される。
ミサに引き続いて大司教司教叙階25周年祝賀式が行われ、当番教会の西千葉教会の委員が、代表でお祝いの言葉、花束贈呈を行った。
カトリックセンターホールに場所を移して、両司教の霊名の祝日の祝賀パーティーがなごやかな雰囲気のうちに進行し、ソプラノ・新田恵美さん(ピアノ伴奏・渡辺美和子さん)によるお祝いの歌が捧げられた。次回当番も西千葉教会。
東京大司教区創立100周年記念青年企画
青年祭教会博覧会1991
-こんな教会・あんな教会・ぼくらの教会-
募集!! 出展、出店、出演者
東京大司教区創立100周年にあたり、私たち青年ネットワークでは、記念行事のスローガン「過去に感謝し、今を確認し、明日に向かう」の中の「今を確認し」に基づき、青年祭を行います。
このイベントにより多くの青少年に「出会いの場」を提供できればと考えています。
今まで東京教区青年ネットワークでは、一泊交流会やラスキンクラブなどで、人と出会うことの大切さ、喜びなどを感じられる場作りをしてきました。
今度は更に一歩進めて、出会った一人一人が、その後何らかの形で結びついていくネットワーク作りをめざしています。
このお祭りはみんなのもの、一緒になってひとつのものを作りあげていきます。だから、本当に多くの方に参加してもらいもちろん、障害者の方や在日外国人の方も。皆で大きな仲間作りをしていきましょう。
お祭りだから何をやるのも自由。タコ焼き屋さんもよし、フリーマーケットもよし、活動報告のパネル展示もOKです。一人一人の色を出しあって、味わいのあるお祭りを作りましょう。
興味のある方、是非お待ちしています。
日時 9月15日(日)~16日(月)
場所 東京カトリック神学院
対象 高校生以上の青年男女
参加費 テナント料として一日3,000円(ステージ希望者は無料)
問い合わせ 堀田 哲
申し込み先 〒166 杉並区高円寺南2-33-32
東京教区青年ネットワーク事務局まで。
主催 東京教区青年ネットワーク・100年プロ
後援 東京教区青少年委員会
青年ネットワークの事務室 オープン!!
-高円寺教会ヴィアンネホール内-
青年ネットワークの事務室がやっとのことオープンです。
場所は高円寺教会のホールの一角。寺西神父はじめ信徒のご理解、ご協力の下で実現しました。
6畳ほどのスペースですが、事務所としての設備を整えました。
また作業ばかりではなく、皆が顔を出してくつろげる“出会いの場”にしていくつもりです。
いつでも気軽にお立ち寄り下さい。お待ちしています。
東京大司教区100周年記念参加
新潟佐渡巡礼の旅 -葛西教会-
東京大司教区100周年記念行事として、葛西教会は6月7~9日に佐渡巡礼と新潟教会交流の旅に出かけた。
山口主任神父、パーセル神父、小岩、柏教会の信者を含め総勢30名。まずは一路佐渡キリシタン塚を目指した。
1キロほどもある山の砂利道をあえぎあえぎ登ると、突然視界が開け、山の入り口でマリア様の御像に迎えられホッと一息。
更に登りつめた所に主の御像の大きな十字架と、自然石の祭壇があり、松の木々の間にこんもりとした塚が目に入った。
早速3人の司祭の共同司式でミサが捧げられ、両津教会の真壁神父の説教で、「約300年余年程前、旧中山街道からよく見える此の地で、約100人ばかりの名もない小さな人々がみせしめの為処刑され、信仰を貫き、キリストの愛の証し人として殉教された」とのお話を聞き一同心を打たれた。処刑された遺体は
他の2カ所にも埋葬され、丁度三角形に結び合わされているそうだ。一同殉教者をしのびつつ下れした。
9日、新潟カテドラルで、4人の司祭の共同司式のミサに与った。パーセル神父は「殉教者は主の証し人になった人々である」と話された。激しい弾圧の中で
信仰を守りぬいた方々に深い敬意を捧げた。
ミサ後、マリア会の人達の心のこもった歓迎会で、歌の交換。ゲームがあり、安次嶺神父に、手話での「主の祈り」を教えていただき、和気相合の内に楽しい時を過ごした。
3日間好天に恵まれ、2つの目的をはたして一同感謝のうちに帰路についた。
1991年「あけぼの」読者の集い
乃木坂から発信
ふれあい回復
場所:聖パウロ女子修道会
日時:1991年10月4日~6日
10月4日(金):あけぼの読書会
10:00am-2:30pm
会費300円
あけぼの10月号使用
10月5日(土) 交流バザー(雨天決行)
10:00am~3:00pm
修道院の庭での すばらしい出会い・ふれあい・・・の1日をお楽しみに!
10月6日(日) 講演会
1:30pm~3:30pm
会費700円
講師 藤竹 暁(学習院大学法学部教授/社会学博士)
テーマ 甲羅のないカニ
-新しい情報環境と家庭生活-
3日間の行事はどなたでもご自由に参加できます。
みなさまのおいでを心からお待ちしております。
教会・修道院巡り(9) 「麻布教会」
1882年5月3日、築地教会から約4キロ離れた赤羽橋に築地の分教会が誕生した。これは、築地教会所属の信徒の中で新橋、品川から青山間に住む信徒が多くなった為である。
新聖堂は聖十字架発見の記念日にちなんで、『聖十字架の聖堂』と命名された。
赤羽橋の教会が手狭になると、当時神田教会から巡回していたパピノ神父は、1889年、現在麻布教会がある地に土地を借り受け、和洋折衷の聖堂を建築した。彼は建築家でもあり、浅草教会など多くの聖堂を建てた。
麻布地区には既にメソジスト派の宣教師が活躍していた。東洋英和女学院は、大きな宣教の成果を上げつつあった。
1892年3月から、レゼー神父が初代の主任司祭として常住した。彼は、神田教会の主任時代から、毎月2回雑誌を発行していたが、麻布に転任してからもその活動は続いた。
だが、1893年頃から麻布教会の活動は、東京6教会の中で最もおとなしく、目立たない存在になって行った。1892年11月、主任のレゼー神父は甲府・松本地区に転任した。後任のシュテル神父も1年足らずで麻布教会を去り、帰国してトラピスト修道院に入った。次のギュィヨン神父も2年足らずで浜松・藤枝地区に転任になった。こうした事態の裏には次のような事情があったと思われる。
ローマ教皇庁は、価値観が多様化し相対化する近代世界の危険を防止するため、教皇庁の権威を持って各地の教会を指導しようと、1879年、各布教地ごとに数名の司教による地方教会会議を開催するよう命令した。日本では種々の理由で開催が遅れたが、1890年、朝鮮の教皇代理も交えて長崎で行われた。司祭・伝道士、信徒・求道者の義務やその指導監督が細かく記された決議文は、1893年に公表された。地方教会の事情を考慮しない教皇庁の厳しい方針は、当時の日本の教会を大きく揺さぶった。
進歩的・活動的な司祭の多くは地方へ転任させられたようである。
もう一つの事は、1888年麻布に大隊区司令部が出来て、軍人の住民が多くなったことである。彼らは日清戦争後の領土問題に、独・仏・露が干渉した事で強く反発し、その敵意をフランス人宣教師にも度々向けた。温和な性格のステーヒェン神父は、麻布教会の移転までも考えたが、財政的に無理であったので、結局住民の感情を刺激しないよう、細々とした活動で満足するしかなかった。
こうした事情の中で、麻布教会の信徒団は忍耐を養い、素朴な信仰生活と家庭的助け合いの精神を身につけていった。しかし、黙々とした歩みの中で、麻布教会は大きく発展し、1921年、東京6教会申最大の信徒数になった。
『一粒の麦』 第9回
白柳大司教、教区100年を語る
東京大司教区100年の歴史
1891年(明治24年)から
1991年(平成3年)まで
こぼれ話 その1 「私の見た土井枢機卿」
まだまだ続く白柳大司教の100年史
「こぼれ話」を取り上げる
先月で、いちおう教区100年史は終わりましたが、まだまだ、皆様にお話ししておかなければならないことが、たくさんあるような気がします。
そこで、これまで私が皆様にお伝えした教区100年史の中では紙面の都合上、あまりくわしくお話しできなかったことの中から、「こぼれ話」的にある人物やある事柄などを思いつくままピックアップして数回にわたり、お話ししてゆきたいと思っております。
長年、身近に枢機卿と接して
私は1954年(昭和29年)司祭になりましたが、それから(一時ローマで勉強した時期はありましたが)1970年土井枢機卿がお亡くなりになるまで、ずっと仕えたものとして土井枢機卿のことを伝える義務があるとかねがね感じていました。ですから、皆様にまず、土井辰雄枢機卿様のことについてお話したいと思います。
今お話しているこの建物(現在の大司教館-『東京教区ニュース』編集記者3人は、「こぼれ話」を取材するため、大司教館を訪問しました)は当時小神学校でした。私は小神学生として、昭和16年からこの建物に住んでいました。ここから暁星に通っていたのです。ですから司祭になる前の学生時代から、土井枢機卿様のわりあい近くで生活していましたので、それなりに、土井枢機卿のことを存じあげているのです。
困難な時代に東京大司教に
土井枢機卿が、東京の大司教に任命されたのは、昭和12年の暮れのことでした。翌13年に司教叙階を受けられました。ですからこの時期というのは、戦争の直前、軍国主義がいちばん厳しくなって、カトリック教会への弾圧が強化されていった時代に大司教になられたというわけです。
それは外国人の司教様では、教区長としての任務が果たしにくくなったので、ローマの教皇様が、東京大司教を日本人にお代えになったわけです。ですからそのご苦労は大変なものでした。
その間のご苦労については、志村辰弥神父様が『戦争秘話』という本にくわしく書いていらっしゃいますので、いつか皆様が読む機会をもたれればよいと思っています。
この時代の教会は、日本政府、あるいは軍隊との関係・抗争とか、あるいはまた、司祭が召集され、どんどん減っていったりしましたので、土井大司教様は孤軍奮闘しなければなりませんでした。
空襲で焼け落ちた大聖堂
私は学生時代から関口に住んでいましたが、昭和20年5月25日の空襲で、ここが焼けてしまいました。この敷地にあった大聖堂と小神学校、司祭館が焼け、司教館とその裏にあったお倉だけが焼け残りました。
大聖堂や小神学校が焼けている時でしたが、土井大司教は、木造の司教館の入口で、「この建物は決して焼けません」と言って、バケツに水を入れ、ぬれぞうきんでその司教館の建物の壁を一生懸命ふいている姿が、今でも目に浮かんできます。
今から考えて見れば、その司教館は非常にみすぼらしいボロ屋でしたが、それだけが残ったのです。
その建物は、その後、関口教会であり、司教館であり、司祭館として、しばらくの間使っていました。
時代を見る目と物事に対応する落ち着き
土井枢機卿は東北出身の武士の家系の出で、大変落ち着いていらっしゃって、時代を見る目と物事に対応する落ち着きという特徴が彼の司牧においても、戦時中においても、あの困難な時にもよく表れていたことを覚えています。
私が司祭になってからは土井枢機卿の秘書として、一緒に生活したわけですが、一緒に生活しても、なかなか欠点を見いだすことのできない方でした。
小教区の復興を第一に
このカテドラル建設については、土井枢機卿はなかなか賛成なさいませんでした。それよりも、戦争で破壊された教会の復興、新しい小教区の建設、もっぱらそのことに力を注いでいらっしゃいました。
そして、本当に晩年になってから、ケルン教区が「私たちがお手伝いしますからぜひお造りなさい、造ったほうがいいですよ」という大きな勧めがあってはじめて、カテドラル建設を決心なさったのです。彼にとっては、まず第一のことが小教区のことだったのです。
東京教区はローマからの補助金をもらっていたのですが、枢機卿は、それで土地を買うというようなことをなさいませんでした。もらったお金で、すぐに小教区を造っていらっしゃいました。
カテドラル建設は指名競技設計で
それでカテドラルの建設にあたっては、彼の頭の中には「自分はこういう教会を造りたい」という一つのイメージがありました。古い方だったので、当然古い形のものを造りたかったと思います。しかし、このカテドラルを造る時には、指名競技設計ということをしました。
競技設計というと、だれでも参加できる方式なのですが、指名競技設計というと何人かの人をこちらが指名して設計してもらい、この人たちの間で競争させるわけです。
カテドラルの場合には、当時日本で有名な3人の建築家を指名いたしました。一人は東宮御所などを造った谷口吉郎さん、それと文化会館などを造った前川国夫さん、それに丹下健三さん。この3人に指名競技設計をお願いしたわけです。何月何日までに名前をつけないで、ここに持ってくるようにとお願いしました。
審査には今井謙次さん他6人で
それを審査する審査員には、長崎の26聖人記念館や早稲田の図書館を設計したガウディの研究家で有名な早稲田の今井謙次さん、東大工学部の教授で病院建築の第一人者である吉武先生、ケルンの建築家でドクター・シュロンブス、それからイエズス会のピッター神父、沢出神父、それと私が審査員だったわけです。
この3人に頼んで出てくるものは、土井枢機卿の気に入るか気に入らないかわかりません。
この3人の人たちは、有名な人で相当風変わりなことをする人たちです。ですから、1位、2位、3位を決めたとしても採用しないこともあるかもしれないということを最初から建築家にいっておきました。
「あなた方の決定を神のみ旨として受け入れます」
審査してどれもよかったのですが、なかでも、丹下さんの設計は造形的にもすばらしいものだったので、審査員たちはそれを採用しました。
私は土井枢機卿のところに行き、私たちは丹下先生の設計を選んでみました。しかし、とにかく、下に模型と設計図があるので、見にきてください、それで採用するか採用しないかを決めたいと思いますのでと申しました。すると「私はもうあなた方におまかせしたのですから、それを神様のみ旨として受けます」と言って、見にも来られませんでした。見たら腰をぬかしたかもしれませんね。カテドラル建設には、そういういきさつがありました。
「なかのほうがもっといいんだよ」
カテドラルができた後、みんなが盛んに枢機卿さまに「いいですね」とか「よいものが建ちましたね」とか申し上げてほめると、「なかのはうがもっといいんだよ」とおっしゃっていましたね。
でもこれができた頃は、彼はもう病気でしたね、献堂式もご自分でできず、他の司教にまかせなければなりませんでした。
ですから、何回もここでミサをあげることはできませんでした。
教区100年を記念する時、どうしても思い出し、感謝したい枢機卿様です。
東京大司教区創立100周年記念「一粒の麦」
-東京大司教区100年の歩み-
編集 東京大司教区 創立百周年記念誌編集委員会
発行 上智社会事業団出版部
A4版 140頁
配布価 3,500円
予約配布価 3,000円(何れも税込み・送料別)
・写真がふんだんに織り混ぜられています。
・教会・修道院などで、10部以上まとまるとき、送料は無料です。
「福音の種子と芽生え」を見つけるための
体験文募集のお願い
今年のテーマは「家庭」です。
《作文募集、9月25日締切りです》
作文募集
・対象 小学生(400時詰原稿用紙1~2枚)
中高生(2~3枚)
・テーマ 家族
・部門 「作文」、「詩」何れか一つ
・送り先 〒156 世田谷区松原2-28-5 日本カトリック宣教研究所「作文」係り TEL 03-3321-5182
・発表 カトリック新聞 1992.1.26付号
・主催 日本カトリック宣教研究所
編集部から
●高円寺教会の大西さんは、有志の方々と朗読奉仕チームを作り、小数区報「いしずえ」をテープに録音して盲人の方々にご利用いただいているとのことです。
最近は、東京教区ニュースの朗読テープも作りとても喜ばれており、これをもっと必要とされている方達のために利用していただければと編集部へ知らせて下さいました。
大西さんたちは、専門家ではないし、教区ニュースのテープ作成も2週間位はかかるということで心配されていますが、教区のニュースをテープを通してお届けできると思いますので、お知りあい方達にもお伝え下さい。なお、テープをご希望の方は、広報委員会までご連絡下さい。