お知らせ

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東京教区ニュース第81号

1991年04月01日

目次

  • 平和のための光を 森一弘(補佐司教)
  • 「女性と教会アンケート」
  • 東京教区司祭叙階式 喜びのうちに新司祭誕生
    おめでとう! 余語新司祭
  • 青少年司牧について
    司祭たち、合宿 夜を通して話し合う!
  • ふれあい旅行のスタッフを募集します!
  • カトリック研修センター開所記念行事
  • ズームアップ
    司祭たちの月例集会を支える影のカ
    シスターと関口教会の婦人たち
  • 作文募集
  • 日曜日教会へ行けない方へ
  • ナイス2に向かって
  • 女子パウロ会 電話サービス
  • ルポルタージュ 家庭(2)
  • 感謝して生かそう!
    日本カトリック研修センター オープン -名古屋ー
  • 東京大司教区創立100周年 ゴーサイン
    中央ブロック大イベント
  • ◇ 東京教区 カトリック情報誌
    「すくらんぶる」創刊のお知らせ
  • 計 報
  • 投稿募集!
  • お知らせします【生涯養成に関する企画】
  • ミャンマーの実情(2) 小宇佐敬二神父の報告
  • カトリック東京国際センター
    設立運営基金募集 趣意書
  • 100年目プロ奮闘中
  • MAIL ART COLLECTION Ⅰ.Ⅱ[メイル アート コレクション]
  • 教会修道院めぐり(6)
    「泉町教会(八王子教会分散会)」
  • 一粒の麦 第5回
    白柳大司教、教区100年を語る
  • 宣教司牧評議会より
  • 生かしてみませんか!! 主のために
    システムオペレーター募集
  • ◇ 第80号(2月20日発行) 訂正とお詫び
  • 編集部から

平和のための光を 森一弘(補佐司教)

主のご復活おめでとうございます。

昨年の8月のイラクのクエート侵略に端を発した湾岸戦争に無力な私たちは、テレビを通して伝えられる状況に、戦争阻止のために何もできない悲しさを耐えるだけでした。

湾岸戦争を引き起こした要因等については、さまざまな立場からさまざまな事柄が指摘できるでしょうが、キリストの十字架と復活の神秘を前にする時、私たちは、どのような口実があるにせよ、戦争を容認することはできません。といいますのは、キリストの十字架への歩みは、剣の否定から始まっているからであります。

ユダを先頭にしてキリストを捕らえに来たローマ兵から守ろうとして、剣をとって大祭司のしもべの耳を切り落とした弟子に対して、キリストは「剣をとる者は皆剣で滅ぶ。私が父に願いさえすれば、今すぐにでも、12軍団にもあまる天使を送っていただける。私にそのことができないとでも思っているのか。」と明確に剣の使用を否定したのであります。

キリストは、剣の力で人間を脅かし、ご自分の思うように人間を支配しようとはされなかったのです。もし、そうであれば、十字架の道はありえなかったはずです。

キリストは、人間の心、良心に呼びかけ、条理をつくして訴えて、人間一人ひとりが自らの判断で生き方を改めていくことを求められたのです。その根底には人間の善意に対する限りない信頼があったのです。

それは現実ではない、と言う人もいるでしょうが、キリストの十字架への歩みを信じて生きようとする私たちもこのキリストの生き方、なさり方を学ぶべきであります。つまりどんな状況になろうが、どんなに問題が複雑になろうが、一人ひとりの良心を信頼して、問題を解決していこうという信念に立つべきであります。武器の力により自ら主張する正義、理想の実現をはかろうとすることは、人間の良心に対する不信であると同時に、キリストの十字架の意義の否定にもなるからです。

いざ現実となれば、複雑な利益が絡んでくる国家間の対話が容易でないことは確かであります。韓家固有の文化や複雑な過去の歴史、民族固有の言語、風習、宗教、生活様式等が背後にあるからです。しかし、それがどんなに難しかろうが、人類の良心に訴えかけようとしたキリストの十字架の歩みに瞳を上げて、人類共存の道を忍耐深く探していく、それがキリスト者の姿だと思います。

多くの市民の生活を脅かし、命を奪った湾岸戦争を反省して、私たちは、キリストの十字架と復活の神秘から、平和実現のための光と力をくみ取っていきたいものです。 

「女性と教会アンケート」

東京教区「女性と教会」委員会

『あなたは女性として生まれてきて良かったと思いますか?』

「ナイス1」を受けて結成された「女性と教会」委員会は、員体的なプランを実践していくために、現代社会に生きる女性たちがどのように生き、どのような願望を持ち、どのような重荷を背負っているか、意識調査および実態調査を行い、この度その集計がまとめられた。

調査は、家族構成、女性の仕事と社会参加、男女の関わり、結婚・離婚、性と家族計画、性差別等の7項目の多岐にわたるものであった。詳細の分析はいずれ同委員会で行われ、それをもとに具体的なプランの企画にとりかかっていくことになるが、それぞれの項目の中に注目すべきいくつかの点をここで紹介したい。

『経済的な理由をもとに女性の半数近くが働いている』

「働いていますか」という質問に46%の女性が肯定。次に、働く理由は、という問いでは、経済的な理由がトップである。(図1参照)

しかも、次に誰が家事をしているかという問いから、働く女性に家事の負担がかかっている現実が明らかになる。夫や他の家族と分担している者はごくわずかである。(図2参照)

『誠実で、思いやり深く、決断力がある男性が好き』

男性に期待するものは、誠実さ、思いやり、決断力、判断力の順になる。同性に期待するものは、思いやり、誠実さ、温かさ、知性の順になる。(図3参照)

夫婦の間で決定するのは誰かと言う問いには、夫婦が両方でという回答が多く、かなり夫婦が話し合っている姿が浮かび上がってくる。(図4参照)

しかし、家庭の中で介護を必要とする者にかかわるのは誰かと言う問いには、女性という回答が圧倒的に多く、女性が頼られているという現実が明らかになる。(図5参照)

『結婚では、3高(高学歴、高収入、高身長)を求めていない』

結婚に際して大事な要素はという問いに、同じ価値観、信頼、信仰、思いやりと優しさ、そして経済的安定の順になる。回答者が40代、50代の人生のベテランが多いことによるかもしれない。(図6参照)

生まれ変わることができたとしたら、今の夫と結婚したいか、という問いに「はい」という回答が66%、その主な理由が、神が与えてくれた人だから、優しく思いやりがあるから、妻を尊重し家庭のすべてを任せてくれるから、という順になる。逆に「いいえ」と答えた者たちの主な理由は、夫以外の他の男性ともつきあってみたいから、自分中心で身勝手だから、家の外で女性関係にルーズだから、という順になる。

この他、離婚や家族計画についても興味深いデータが報告されているが、最後に、女性として生まれてきて良かったか、という問いに、3分の1がノー、3分の2がイエスと答えている事実は、現代社会の中での女性のあり方を考えていく上で、慎重でなければならないことを示しているとも受け取れる。

東京教区司祭叙階式 喜びのうちに新司祭誕生
おめでとう! 余語新司祭

春の到来を告げ知らせる叙階式のシーズンが今年もやって来た。東京教区では2月24日午後2時からカテドラルで司祭叙階式が厳粛な中にも盛大に行われ、1人の新司祭が誕生した。

今年、新司祭に叙階されたのは、マリオ・アウグスチノ余語(よご)久則さん。聖掌を埋めつくした千人の会衆が見守る中、主司式の白柳誠一大司教に力強く司祭職受諾を表明、新司祭の祝福のうちに式はとどこおりなく終了した。なお、余語新司祭の赴任地は相教会と発表された。

ぼくが神父になった理由

余語神父は1963年生まれで今年28才。「最短コースで来ましたからね」というその若さは、司祭の平均年令を下げることにうんと貞献しそうだ。小さい頃に読んだ外国の小説に教会がよく出てきて、何となく行ってみたいと憧れていたという。

その思いがかなって、大学生の時に西千葉教会で受洗。でも本物の教会の姿は、「本で描かれる美しく荘厳で清らかな世界と違って、普通の社会と同じ」ことがわかり、イメージとはかなり違ったらしい。それでも、若い助任司祭が青年や子供たちの中に入って人間的なふれあいを大事にしながら司牧する姿に接するうちに、新しい教会のイメージが心の中に根ざしていき、「とくに大きなきっかけは思い当たらないが、やっぱりなってみようか、それがいいんじゃないか」と司祭職をめぎしたと語る。

神学校では、大きな体験をした。「入学して暫くの問は、神さまは天の上にいて我々を見てくれる少し遠い存在だったんです。ところがある時、神さまは自分と一緒にいるんだとハッと確信したんです」神さまが肌のぬくもりのように私を包み込んでいつも一緒にいてくれると感じたその瞬間が、非常に大きな発見であり喜びだったという。

司祭に向いていないんじゃないかと思った時期もあったらしいが、このような体験が信仰をそして召命を揺るぎないものに育んでいったようだ。

こうして叙階式を迎えた訳だが、「これがゴールではなくスタートなんだ。ああ、司祭としての第一歩が始まるんだな」という心境だという。司祭としてやってみたい夢がある。アジアを中心とする第三世界の人たちとかかわりのある仕事をすることだ。「社会よりも教会の中に目が向きがちな内向きな日本の教会の現実の中で、少しでも視野を広げていきたい」と語る。

権威ではなく、ふつうの神父でありたいと願う余語神父。青年や子供たちと一緒に喜び悲しみそして悩む巾で、ともに神さまのすばらしさを感じとって、成長していきたいという。西千葉時代に心の中にめばえた理想の司祭像に向かって、いま大きな歩みを始めた新司祭の誕生を心から喜びたいと思う。

青少年司牧について
司祭たち、合宿 夜を通して話し合う!

 

去る2月6、7日にかけて、教区青少年委員会の主催で、青少年司牧についての司祭たちの合宿が、町田の汚れなきマリア会黙想の家で行われた。

参加者は17名。それぞれの現場で、青少年と真剣にかかわっている司祭仲間の分かち合いを通して、新たな光と力を汲み取

ることができた実りある合宿であった。

話し合いは、3名の発題を基に行われた。

門馬邦男師は神学院モデラトーレスとして神学生にかかわってきた経験から、現代の青少年の自主性、積極的な創造性が希薄

であることを指摘、青少年ネットワーク推進の核になっている晴佐久呂英師はさまざまな立場・状況にある青年たちの間に出会いの感動を媒介として、新しい何かが芽生えつつあることを指摘、西川哲弥師は、千葉館山での司牧の経験から、故郷を離れて仕事にでている青年たちも、人生の節目ごとにふる里とのつながりを確かめ、そのつながりから力を数み取り人生を歩んでいることを語り、地域における教会の上着化の必要性を強調した。

このような発題をもとに参加者たちの間で行われた意見交換や体験の分かち合いの主なものを拾ってみると……

・教会の中に仲間が少なく、そのためにまた教会から達のいてしまっているのではないか。

・教会の中で、行事の時のお手伝い程度の位置づけしかされていないのでは……

・都会の青年たちは、自分たちが育ってきた世界以外のものを知らないのではないか。仲良しグループになっていて異質なものを受け入れることが難しいのでは……

・一人ひとりとしては、実にさまざまな悩みを持って、迷い苦しみ相談相手を求めているのではないか。

・仲間との会話を楽しむが、ミサ等の本質的なものに対する理解や真剣な姿勢がみられない。

・司祭として、青年一人ひとりを大切にし、とも歩んでいかなければならないのでは……

・青年たちに、仲間として集まる楽しさだけでなく、しつかりとしたキリスト理解を与えていかなければ……

日頃、時間をかけて分かち合うことの少ない参加司祭たちはこうした合宿の必要性を再確認し、今後、青少年委員会の司祭たちが中心になって、司祭の分

かち合いの域を積極的にひろげていこうという合意をもって解散した。

ふれあい旅行のスタッフを募集します!

東京教区障害者問題小委員会では、今年の11月2日~3日に障害者と健常者の交流を目的とした「ふれあい旅行」 (那須方面を予定)を計画しているがこの旅行をお手伝い下さるスタッフを広く募集している。

問い合わせ及び協力して下さる方は、東京教区NICE事務局の塚本神父(℡3943-2277)まで。

なお、スタッフミーティングは4月3日(水)、4月24日(水)いずれも午後七時よりNICE事務局で行う予定。

カトリック研修センター開所記念行事

全国16教区より参加 2月16~17日

研億センターを摂一解してもらおうということと生涯養成について意見を聞きたいという主旨のもとに、各教区より司祭、信徒、修道者各1名の参加のもとに記念行事として研修会が行われた。

東京教区からは、生薩養成プロジェクトチームのメンバー2名川原師、滝島民、Sr石野が参加した。

研修会は、地元司教の挨拶から始まり、1日目は井上英治氏の講演「今教会に必要な養成(私論、試論)」を基に分かち合いを行い、2日目は、「今必要な養成」というタイトルのもとにパネルディスカッションを行った。

相馬司教の挨拶より

「研修センター最初の全国レベルの集まりは、ナイスの目に見える実りであり、日本の宣教に大変プラスになるものである。この試みが、日本全国に研修意欲を燃えたたす起爆剤になってくれるよう期待したい。

宣教の基礎はいうまでもなく信仰である。信仰を深めて初めて効果的に活動できる。

ここに来て、信仰を深めることができる人達は、少数かもしれないが、自動車のオイルのように、日本全国の教会の福音宣教のためのオイルのような役割を果たしていただきたい。」

ズームアップ
司祭たちの月例集会を支える影のカ
シスターと関口教会の婦人たち

毎月最終月曜日、教区で働く司祭たちが集まる。多い時は100人を越す人数となる。

昼食を準備するのは、センターで働く宮崎カリタスのシスターたちと司教館で働くヨゼフ会のシスターたち。

その皿洗いは関口教会のボランティアの婦人たち。

司祭たちが司牧宣教の前線で心置きなく働けるのはこうした人々のお陰である。 

作文募集

「カトリック教会の広報活動について」昔様のこ意見、こ縫案をください!

募集要項

1、テーマ カトリック教会の広報活動について。

2、文字数 400字詰め原稿用紙10枚以内。

3、締め切り日 4月30日(厳守)。

4、発表 優秀作品は「広報の日の集い」(5月26日)及び「東京教区ニュース」で発表します。

5、送り先 〒112 東京都文京区関口3-16-15 東京大司教館内東京大司教区広報委員会(氏名、住所、年令、職業、所属教会を明記)

6、電話による問い合わせ先 03-3291-0860(神田教会) 広報委員会担当司祭 泉 富士男

主催 東京大司教区広報委員会

日曜日教会へ行けない方へ

主日の説教・福音テレフォン・サービスのご案内

TEL 03-2359-1880

TEL 03-3565-2197

TEL 03-3565-1466 森一弘司教

TEL 03-3225-4503

TEL 0476-42-3703 岡田武夫神父、小林 薫神父

ナイス2に向かって

東京教会管区司祭評議会代表者会議開催

●有史以来の集まり

去る2月18日夕より、20日昼まで、東京教会管区(札幌・仙台・新潟・浦和・東京・横浜の6教区)の司祭評議会代表者会議が、群馬県磯部で開催された。ナイス2に向かって、東京管区として、どのように対応するかを検討するためである。各教区の司教(新潟司教のみ病気のため欠席)と各教区の司祭評の代表司祭25名及び各教区のナイス2担当司祭7名の計37名がこれに参加した。

白柳大司教は開催の挨拶の中で、東京管区始まって以来の画期的な集まりだと指摘した。改めて6教区が同じ教会管区に属していることを実感した。

●本音で話さないと舌を切られますよ

地元浦和教区を代表して、間数区管理者が、歓迎の言葉を述べた。「ここは『雀のお宿』と別名のあるところで、本音で話さないと舌切り雀になりますから、どうぞ、互いに本音で話し合いましょう」と。見れば、向いの宿には『舌きり雀の宿』 の別名が書かれていた。

●内地はどうして寒い

札幌教区からも、地主司教を始め、6名の司祭が参加され、速く留萌や釧路から東京経由で来られた方は、2日がかりとのことだった。「1度寒気が磯まったときでもあったし、夕方からは、雪花が舞うお天気だった。「内地はなんでこんな寒いの」と襟をそばだてておられた。聞けば、建物も始めから寒さを考えて出来ている上に、暖房もいつも20度ぐらいにしているとのことだった。

●まず、現状把握を

札幌のある小教区内の一地区(標準的な住宅地) で調査した数字が紹介された。68世帯中両親が揃っている家庭が10世帯、片軸のみの世帯は4、夫婦のみの世帯23、単身世帯28。急激に変わりつつある家庭の要を垣間見るような気がした。ナイス2のテーマの「家庭」を考え、話し<口うとき、まずその地域の状況をよく把挺すべきことを教えられた。

●弱い立場の人々を大事に

ナイス2はナイス1の精神と方向性を継承し、さらに発展させるものであるべきことが話し合われ、特に「弱い立場におられる方々を優先する」ことを確認した。病人や障害者を抱えておられる家庭。高齢者夫婦のみや一人ぐらしの老人家庭または定住した難民家庭や滞日外国人の家庭など私たちの身近には、弱い立場に置かれている家庭が数多い。それらの家庭へ温かい手を差し伸べながら、各人の家庭のあり方を考えることも出来よう。祈りながら、感謝しながら自らの家庭づくりに励みたいものだとの声も聞かれた。

●どこでつながるの ナイス1の諸課題と

ナイス1は『開かれた教会づくり』を目指し、従来の内向きの姿勢から外向きの姿勢に転換することを求めている。『家庭』について話し合うとき、是非近隣の方々も交えてほしい。

ナイス1は、視野を拡大し、アジアや世界との連携も考えることを求めている。日本には今、諸外国から多くの人々がそれぞれの家庭を支えるために、働きの場を求めて来日している。滞日外国人労働者との関わりからアジアや南米の生活苦に悩む家庭のことを考えることも出来よう。

なお、東京教区としては、教区創立100周年行事を析ませてから本格的に対応する予定。

女子パウロ会 電話サービス

(03)3479-3601

修道院の窓から24時間、あなたにハートのメッセージを送ります!

第1週教会カレンダー 第2週「あけぼの」より 第3週ライフ・コーナー 第4週蛙の祈り 第5週スペシャル

ルポルタージュ 家庭(2)

家庭に死闘した偏差値 横川和夫

金属バット殺人事件の真相

少年事件を取材して、痛感するのは、事件を起こす少年たちは、偏売値的価値観、つまり勉強ができるか、できないかという子供観の犠牲者であるということである。

私たち人人が、経済成長達成のために何の疑問もなしに採用してきた偏差値的価値観、つまりコンピューターで計算できるというだけの狭い枠内に限定された物差しで、多様で、個性的な人間の善し悪しを計ることが、人間の尊厳を否定し、破壊し、さらには、人間同士の信頼関係までも切り離し、孤立させるものだということを、知らず知らずのうちに許容してきた、と言えないだろうか。

教師が、偏差値的な物差しで子どもを見るのは、職業上、仕方がない面がないでもない。

しかし、多くの悲劇は、家庭にまで偏差値的価値観が浸透して、剛が自分の子どもを、単にできるできない、という目で見てしまうことにある。

今からちょうど10年前、高度経済成長がピークに達して、そのひずみが、さまざまな形で表出し始めた時期に、川崎の新興住宅街で起きた金属バット殺人事件は、その典型例だろう。

父親は、東大卒業後、旭硝子に入社したエリートサラリーマンだが、46才の岐路で、東京支店長に左遷された。重役コースから外れたわけで、スナックで酒を飲むことで、悶々とした日々を過ごしていた。

父親の実家は、瀬戸内海に浮かぶ山口県・周防大島の造酒家。8人兄妹のうち男2人は東大卒、残り2人は、東京教育大、慶大卒というエリート一族だ。

父親は2浪の息子に 「東大、慶応以外は入学じゃない」と言うのが口ぐせで、それに応えられない息子の心境は、想像しただけでも、息が詰まってくる。

息子は、高校受験では、早稲田高等学院と慶応を受験したが失敗、結局、大学入試では実績のある海城高校に進学した。

だが、1年の最初の中間テストの結果は、予想以上に悪かった。ショックを受けたのか、息子は、3万円を持って家出、空き家になっていた祖父のマンションに合鍵で入り、1週間、寝泊まりしたこともある。

それでも1年では東大を志望校の一つにしていたが、2年からの進学コース別クラス編成では、私大文化系コースを選ぶ。

そして2度も受験に失敗。1度目の受験が目前に迫ってきたが、成績は上がらず、両親の期待に応えられないことは、自分が一番よく分かっていた。

事件が起きたその夜、父親は、いつものように焼酎のお湯割を飲み、帰宅したが、キャッシュカードのことで、口論となった。というのは、息子が、無断で父親のキャッシュカードを使って1万円を引き山していたことがばれたからだ。

せめて母親だけでも、偏差値的な価値観を捨てて、息子の側に立っていたら、事件は起きなかったかもしれない。

母親も、父親に同調して、現金が紛失したことを持ち出し「あんた以外にだれがとるの」と責めた。

息子は居場所がなくなり、1階の自室に戻ってウィスキーを飲んでいたところ、父親が入ってきて言った。

「泥棒なんか育てた覚えはない。そんな根性じゃ大学なんかやめちゃえ」

そして父親は、椅子に座っていた息子を足で蹴飛ばしたのだ。

いかに父親が、怒り心頭に達していたとしても、息子に投げかける言葉だろうか。

それから2時間後に、惨劇は起きたのである。

両親からの息子に対する期待過剰は、「現状のあなたには満足していませんよ」ということだから、あるがままの自分を拒否されたことになり、精神的なリンチを受け続けていたと同じことだろう。

息子が、金属バットでたたきつぶしたかったのは、両親の後ろで見え隠れする偏差値的価値観ではなかったか。

感謝して生かそう!
日本カトリック研修センター オープン -名古屋ー

既にカトリック新聞で伝えられるように、名古屋に「日本カトリック研修センター」 (所長=野下神父)がオープンした。これは第1回ナイスの要望に応え、聖母カテキスタ会(創立者=神言会ゲマインダ神父)が土地ならびに建物・什器一式を無償提供、運用を日本司教団へ委ねたもので、財政乏しい日本の教会にとって、全く神のみ摂理としか思えない出来事。センター企画の基礎コースは12月1日から始まり、自主コース、国際会議にも利用できる。

このプロジェクトが企画された頃生涯養成センターと呼ばれたように、福音宣教を言われると老若誰でもまず自分の弱さを感じるものだが、このセンターを大いに活用して行きたい。

晴やかに開所式

2月21日(日)、どんよりした空模様も開所を祝うかのように午後はすっかり晴れわたり、2時からの記念ミサと祝賀式は、100名以上収容の1階ホールで行われた。

ミサは、司教協議会会長白柳東京大司教の主司式のもとカール教皇庁大使や40名におよぶ司教・司祭団の共同司式、東京ザベリオ合唱団の聖歌奉仕と60名を越える修道会・信徒代表らの参加で挙行。高松教区深堀司教は説教の中で、第2朗読に選ばれたべトロ第2の手紙2章1~10節を引用「確かに物質的な家は出来上がったが、霊的な建物が造り上げられるように。さらに暗闇の巾から、驚くべき光の中へと招き入れて下さったカの力ある業を、あなた方が広く伝えること」を強調し、神への感謝を示された。共同祈願で信徒代表は「教会と信徒の役務を自覚、平和を求めながら盲目になっていることを反省、新センターが私たちに勇気と知恵を与えて卜さるよう」祈った。

続いて祝賀式は土屋至氏(横浜教区)の司会で進められ、センターの鍵が井上聖母カテキスタ会総長から白柳大司教の手を経て初代所長野下神父に委ねられ、大司教から総長へ感謝状が贈呈された。また、大使から教皇メッセージの伝達があり、宣教聖省長官の祝辞も加わるなど、バチカンの並々ならぬ関心がうかがえた。古来、祝い事に笛太鼓の奉納は付き物だが、最後のフルート演奏はそれを越えるふさわしいものとなった。

充実した近代設備

さて少し施設を紹介しよう。

正門からみた玄関部分は一見平屋風だが実は2階建て、本屋部分は地下1階・地上3階、全体を上から見るとはばロの字形で中庭があり明るい。付属聖堂は椅子30席ぐらいで小さく(立ち席を入れて約50人)三角形に中庭に付き出ている。廊下の端の展望窓からは竹林越しに広い隼人(はやと)他が望める。

この2帯は小商い丘。南山教会をはじめ南山学園男子部・女子部・短大そして聖母カテキスタ会本部などが隣接する静かな住宅地帯である。エレベータ、車椅子スロープやトイレもあり、手足の不自由な方の設備もほぼ整っている。

宿泊施設は2・3階併せて洋式個室34、8堂和室が4あり一度に50人が泊まれると言う。もちろん全館冷暖房。浴室は8で交代利用になる。

地下階にホールと同じ面積の食堂があり、一度に80人分が賄える厨房つき。そのほか大(約20名)中(約15名)小(約10名) の会議室が各1複写機能つき黒板、OHPも整っている。

1階に戻ると、ホールはスクリーン、ビデオプロジュクタ、照明が自動操作の映写設備、適訳スタジオつきの同時翻訳設備がある。カウンセラー室も2、図書室では教会内外からの資料提供が待たれているようだった。

首都圏にある東京教区では、これに代わる施設、研修会が手近にあるためセンター設置の意義を忘れがちだが、他の教区との交流、体系の整った学習、施設の維持のため、全教区民一度は利用してみたいものである。

帰途、お告げの鐘に誘われて南山教会を訪ねたが、聖堂の素晴らしさに驚き、はがし忘れの、センター開所前清掃ボランティア募集の掲示に名古屋教区民のバックアップを心強く感じた。

(日本カトリック研修センター運営委員 村岡 記)

●詳細は、

〒466 名古屋市昭和区広路町隼人30 TEL 052-831-5037 FAX 052-831-5317

東京大司教区創立100周年 ゴーサイン
中央ブロック大イベント

中央ブロックには明治初期に創設された修道会を始め、歴史のある教会が多い。教区100周年の記念行事参加と、大司教が提唱されている教区内の協力への意味を含めて、ブロック全休で「過去に感謝し、今を確認する」イベントができませんか。

昨年7月のブロック会議、泉神父の提案を各委員は「実行したい」気持ちと「何となく不安」な気持ちで受けとめながら、各共同体で検討することを決めました。

9月のブロック会議で各共同体の報告は全て前向き、そこで実施のために詳細な検討を行いイベントをバックアップする実行委員会を作りました。

その結果、各共同体とも同じパネルを2~3枚使用し、その共H体独自のアイデアで、歴史と現在の姿を紹介することとし、パネルはブロック内全ての信徒の方々に見て頂けるよう共同体を巡回することとしました。

参加は6教会8修道会1団体で、パネルの数は約45枚、列に並べると約45メートルになる大展示会が実現に向けて動き出しました。

展示会のスタートは5月5日神田教会で、白柳人司教がミサと祝別をして下さる事になっています。その後、展示会に参加する全ての教会、修道会を5ヶ月にわたって巡回したパネルは、教区

100周年の記念行事が行われる9月29日の関口教会で最終日を迎えます。

「どんなデザインにするの」「ううん、ヒ・ミ・ツ」と笑顔を交わすシスターたち、「どうやって作ろうかなあ」と思案のフロック委員。全ては5月5日までお楽しみベールの小で進んでいます。

教区の皆様、別表の期間中、どうぞ展示中の教会へお出かけ下さい。お待ちしています。

パネル展示巡回リスト

1.5月5日~12日 神田教会
2.5月19日 マリア会
3.5月26日 シャルトル聖パウロ会
4.6月2日~9日 麹町教会
5.6月16日 サンモール会
6.6月23日 聖パウロ会
7.6月30日 イエズスの小さい姉妹会
8.7月7日 マリアの御心会
9.7月14日 援助修道会
10.7月21日 ご受難会
11.7月28日~8月4日 潮見教会
12.8月11日~18日 築地教会
13.8月25日~9月1日 本郷教会
14.9月8日~29日 関口教会

東京教区 カトリック情報誌
「すくらんぶる」創刊のお知らせ

3月5日に、教区の広報委員会の編集のもとに、年間10回発行の情報誌「すくらんぶる」が創刊されました。

教区のプロジェクトや委員会とも密接な連携を保ちながら、最新の情報を掲載すると同時に、横様の声や、体験記も紹介しな

がら一層の充実を図ってまいりたいと考えております。

どうぞたくさんの情報をお寄せください。また、この情報誌の定期購読もお願い致します。

購読料 年間1,600円(10回 送料込み)

1部 100円(送料別)

郵便振替

東京7125420

「すくらんぶる」

申し込み・問い合わせ先

東京ナイス事務局

TEL 3943-2177

担 当 シスター石野

なお、「ゆーとぴあ」を購読の方には、継続して「すくらんぶる」をお送り致します。

計 報

ぺドロ・アルパ神父(元イエズス会日本管区長、前イエズス会総長)

2月5日午後7時45分、ローマのボルゴ・サント・スビリトのイエズス会本部修道院で老衰のため帰天した。83歳だった。1907年、スペインに生まれる。1928年イ

エズス会司祭として来日。山口地方において宣教司牧に携わった後、広島市長束修練院の修練長と院長をつとめ(1939-54)、また1954年から65年まで同会日本管区長の職にあり、65年から83年の18年間にわたり、同会の最高責任者である総長の要職にあった。

長束修練院長時代に原爆投下を経験した同神父は以前習得していた医学の知識を住かし、この世の生き地獄となった広島で被災者の救護に奔走。創草期の上智大学の発展充実にも貢献した。

山崎重雄(ひさお)神父(マリア会)

1月22日午後10時12分、東京・三鷹の杏林大学病院で急性骨髄性白血病並びに肺炎のため帰天。60歳。

1930年年、東京・世田谷に生まれる。58年マリア会入会。69年司祭叙階。マリア会修練院長や同会東京暁星修道院長などを歴任し、そのほか筑波大学、明の星女子短人でも教えた。1985年より暁星学園小学校長・幼稚園長を務め、特に幼児・児童教育の充実に努めた。一昨年の暮れに発病したが、闘病年活を送りながら職務を遂行していた。

石元博神父(サレジオ会)

1月22日午前8時20分、帝京大学医学部付属病院で心筋こうそくのため帰天。60歳。1931年1月、大連に生まれる。1960年に司祭叙階。1961年からローマのサレジオ大学で教会法専攻。帰国後、1965年より調布サレジオ神学院で倫理神学を教える。そののち、静岡星美学園付き司祭、調布教会で助任司祭を歴任。以後は扶助者聖母会本部修道院付き司祭として司牧の任にあたり、そのかたわら屋美学園短期大学でも1990年まで教べんをとった。

投稿募集!

『東京教区ニュース』 では、次の欄への皆さまからの投稿をお待ちしています。

●ズームアップ–写真とその説明。あなたの教会生活の一シーンをほのぼのと。

●ちょっとおたずねします–私たちが信仰生活を送る上で疑問に思うことがありましたらどんなことでもお気軽に。

●信徒の声–『教区ニュース』にどんどん皆さまの声をお寄せください。

以上の3つの欄への投稿の送り先はいずれも、〒112 文京区関口3-16-15 東京大司教館内『東京教区ニュース』編集部宛。

毎日の原稿締切りは、15日。編集の都合上、文章を省略させていただいたり、表記の統一をさせていただく場合がありますのでご了承ください。皆さまの投稿をお待ちしております。

お知らせします【生涯養成に関する企画】

★カテドラル講話会「共に焦きるこれからの教会」。年間テーマ・・家庭と社会。第1回、日時4月20日(土)午後3時-5時。場所カトリック・センターホール。

テーマ・・「今なぜ家庭か」講師満留功次師。第2回、5月11日(土)午後3時-5時、カトリック・センターホール。

テーマ・・「日本の家庭がかかえる病理」講師 横川和夫 (共同通信論説委員)。第3回、7月6日(土)午後2時-5時、カトリック・センターホール。「高齢化 わたしたちにできることは」講師 坂戸義夫(世田谷区立高齢者センター所長)。第4回、11月30日(土)。シンポジウム「海外からみた日本の家庭」問い合わせTEL3941-3029

★連続研究講座「教会と家庭」

日時・・1991年4月-10月の第4土曜日(8月は休み)。全6回、午前10時-11時30分、午後12時20分~2時。

場所・・信濃町要毎会館ホール。1回目、4月27日午前「家庭における信仰教育」松永久次郎司教、午後「ヨハネ・パウロ2世の使徒的勧告『家庭』について」長島正氏。5月25日午前「旧約聖書に見られる家庭」本田哲郎師、午後「新約聖書から見た家庭」 アンドレ・コリン師。連絡問い合わせ・・日本カトリック宣教研究所TEL3321-5182小笠原優師

★聖書講座・・1991年4月-92年2月。原則として第3日曜日、8時30分-9時30分、11時45分-13時。

場所光塩女学院、雨宮師、テーマ 「人物を中心とした旧約聖書」 主催高円寺教会 問い合わせ末次TEL3310-2070、三枝TEL3361-0871

★日帰りの祈り「あなたを召された方は真実な方です」4月、6月、第3月曜日午前10時-午後4時。5月、7月、第3木曜日午前10時-午後4時 指導岡俊郎神父。イエズス会黙想の家 問い合わせ、申し込みTEL3920-1158

★1泊の祈り「主のみこころに留まる。座って祈るのを中心」岡俊郎神父、イエズス会黙想の家4月、第2土曜日-日曜日、午後6時30分-午後4時。6月、7月、第3土曜日-日曜日午後6時30分-午後4時。どなたでもTEL3920-1158

★8日間の黙想 イエズス会黙想の家 4月12日 午後6時-21日、指導 ギハロ神父。5月20日-29日、岡神父 6月1日-10日、ギハロ神父。

★祈りの集い「祈りと労働の体験を」軽井沢 宣教クララ会 対象 青年男女 4月27日午後6時-29日午後1時参加費 献金制、締切 4月25日、問い合わせ申し込みTEL3429-4823 シスター石塚

ミャンマーの実情(2) 小宇佐敬二神父の報告

「豊かさと貧しさ1」

バンコクを飛び立って1時間、飛行機が着陸体制に入ると、眼下に濃い縁をちりばめた広大な平地がせまってきます。豊かな日差しを受けて輝く緑。点在する村落、広がる田園。私の故郷が宮崎という温暖な土地であるせいか、懐かしい風景に出会ったという感じです。

ヤンゴン空港に着いたのは、午後4時40分でした。バンコクと30分の時差、日本とは2時間半の時差になります。

2、30年前の日本のローカル空港をそのままもって来たような国際空港。降り立っただけでバンコクとの経済落差は歴然、建物も小さく雑然としています。入国手続きのためのロビーは、これもひと昔前の田舎の酒屋か製材所の専務所を、そして田舎の駅の待合室を思い出してしまうような雰囲気です。

事前に入国の困難さを予想していただけに、この雰囲気には多少外されました。そしてなんと、ヤンゴン(ラングーン)の大司教自らが白いスータンのままお出迎えくださったのは驚きでした。こんな所に入ってきてもいいのだろうかと思ってしまうような所にまで、飄々と出入りする、職員の肩をポンと叩き、にこにこ話しかける。そのつど手続きがスムーズに流れたのは、気のせいだったのか。

入国に必要な書類を作成するこの書類の用紙が茶色のざら紙。よれよれのカーボン紙、青焼きコピーも懐かしい思いがしました。空港の一向にわれわれのツアーの世話をしてくれる国営会社の事務所があります。まず、そこに案内されました。われわれといってもメンバーは2人、深水神父と私です。1千ドル強を支払っているわたしたちは、このツアー会社にとってVIPであるようです。語学の苦手な私としては、ややこしい異国語のやりとりはすべて、わがアーロン深水師にゆだね、ぼんやりあたりをみまわしていました。狭くむさ苫しい事務所、うす汚れたコンクリートの壁にはポスター1枚のほか飾りもなく殺風景です。これまた懐かしい、この田舎のうどん屋の長椅子、片隅に昼寝用の板張りの寝台。カルチャーショックという印象は全くなく、田舎育ちの私にはむしろ懐かしさがわき上がってきます。30年から50年くらいタイムスリップしてきたという印象。この印象はこの旅行を通して持ちつづけました。この懐かしさの中に、ある豊かさを感じるのだなとつくづく思います。

空港から車で20分。ミャンマー一のホテル、インヤレイクホテルに向かいます。広い道筋の中央2車線分舗装した道を、VIPを乗せた乗用車が飛ばします。この乗用車がなんと、左ハンドルのマツダルーチェ、これまた15年位前の車種です。案外と車が多いのには驚きました。でも、乗用車はめずらしい。ほとんどが小型トラックの改造型、それもかなり古い車種で日本車が目につきます。荷台に人が乗り、満杯にして走っています。自転車も多いし歩いている人も多い。なんとなくの活気を感じます。実はこれも懐かしい印象です。戦後復興の時代、多少余裕のできたころだったのでしょう。製材所を経営している叔父さんが、幌付きトラックの荷台に親戚三家族を乗せ、海水浴に連れていってくれました。舗装すらされていない道を、バウンドしながらひた走るあの躍動感を思い出したのです。ほこりの臭いも、日差しの強さも、緑の輝きも、そして海の青さももっともっと新鮮だったあの時代、とうに忘れてしまっていたことをふつふつと思い出しながら、車はインヤレイクホテルに着きました。(つづく)

カトリック東京国際センター
設立運営基金募集 趣意書

この数年、外国から、仕事を求めたり、研修や結婚のために日本に来られるかたがたが、急増しています。「旅人を兄弟として迎え、受け入れる」ようにと主キリストから教えられている私たちとしまして、異国の地で苦しんでいる方々に暖かい手を差しのべたいといつも思っています。

そこで、教区創立100年を迎える記念として「国際センター」を設立・運営し、すでに活動している諸団体・諸グループの連絡窓口として、困った時のインフォーメイションセンターとして、また、広く人材を登録している人材銀行として、これから将来にわたって充実してゆこうと思っています。

こうした役割を果たしてゆくためには、ボランティアに頼るだけでは限界があり、当然専従の職員が必要になります。また、それ相応の事務所も必要です。

皆様にお願いする募金は、このためであります。某金をもとにして、センターの運営をはかってゆこうということであります。

顧りみますれば、東京教区のこれまでの100年は、どれはど海外からの物心両面からの援助によって支えられてきたことでしょ

う。それだけに、感謝の意の幾分かを、「国際センター」 の設立に託したいと思います。この「センター」を通して、諸活動が助けられ、少しでも多くの滞日外国人の苦しみがやわらげられますようにと願ってやみません。

何卒、私どもの意図するところをお汲みくださり、このため募金にご協力下さるようお願い致します。

1991年2月25日

東京大司教区 教区長 大司教 白柳 誠一

募金項目

名 称 名称は、「カトリック東京国際センター」とします。「代表者 白柳誠一大司教」

運 用 集められたお金は、すべて基金として積み立てられます。

●基金からあがる利子を運営資金として、教区財政評議会の監査のもとに、「国際センター」の維持運営費にあてられます。目標額募金の目標額は、1億円とします。

方 法 募金の方法は、各自がそれぞれの犠牲と努力によって得たお金を、指定の払い込み用紙を用いて、直接「カトリック国際センター」に払い込んでください。

●小教区、修道会、学校、諸団体、諸グループとして、まとめて募金してくださることも大歓迎です。

●「一食をささげる献金」「1円募金」「金曜日の犠牲献金」「バザーの一部を献金してくださること」その他の工夫をお願いいたしま

す。

期 間 募金の期間は、教区創立100周年にあたる1991年1月1日から1991年12月31日までとします。

送 金 送金には、指定の用紙か、「文書扱い」をご利用下さい。(指定の用紙は国際センターにありますのでご連絡ください。)

払い込み先

○郵便振替の場合

口座番号

東京1-548578

○銀行振込の場合

銀行名 富士銀行目白支店

口座番号

普通預金1588605

いずれも

口座名カトリック東京

国際センター基金

代表者名 白柳誠一

問い合わせ先

カトリック東京国際センター

TEL(3943)-4894

FAX(3943)-1186

東京大司教館 教区事務所

TEL(3943)-2301

FAX(3944)-8511

100年目プロ奮闘中

青年ネットワークのバックアップのもと昨年11月に発足したのが100年目プロ。教区百周年行事の青少年対象の企画を担当している。現在30名程のスタッフで準備活動中。主なイベントの予定は次の通り。

1.青少年集まれ!フリーマーケット主体の一大イベント。 (9月15~16日、東京神学院予定)

2.関西ライブキャラバン。ゴールデンウィークに京都青年とジョイントのライブツアー。

3.説明会キャラバン。青年の横のつながりを深めるため各教会青年会との交流を予定。

百年の重みを更に次へ発展させていくよう、青年一人ひとりが自覚していくことも目標にしている。現在スタッフ大募集中!

(問合せ先)

0428-24-8256 堀田 哲

0471-22-3877 内藤義明 (ライブ・キャラバン担門)

MAIL ART COLLECTION Ⅰ.Ⅱ[メイル アート コレクション]

をよろしくお願いします!

-東京教区青年ネットワーク100周年を記念しアートカードを制作、販売中-

教区創立100周年を記念するため青年独白のイベントを企画中。昨年末より青年ネットワークの呼びかけのもと100周年プロが発足、準備進行中です。(メイルアートコレクション) は、企画の一環として制作しました。

カードは7枚1組で、1セット500円と割安な値段で販売。

デザインは2種類で、

★デザインⅠ

菅井日人民によるキリスト教的イメージの作品

★デザインⅡ

斉藤玲子氏によるソフトなイメージの作品

いずれもカード、葉書に両用でき、様々な用途に使えるタイプ。

教区側のご理解のもと、3月21日の教区総会より販売開始。私達青年が独白に始めたユニークな試みを暖かくご理解頂くと共に、1組でも多くお買いあげ下さいますよう、一同心よりお願い申し上げます。

今後も教区行事や青年の手を通じて幅広く販売する予定。

教会修道院めぐり(6)
「泉町教会(八王子教会分散会)」

1876年、当時はまだ外国人が居留地外に滞留にすることが困難な時代であったが、山上青年はテストヴィド神父を自分の村、下壱分方に招いた。キリスト教の自由、平等、博愛の精神に、大いに共鳴していたから である。

村人たちはこぞって神父を出 迎えた。その様子を山上氏は晩 年次のように語っている。「横 浜より神父を請し、ひとたびそ の教理の講演を試みるや、聴衆 はくものごとく集まり、たちま ちにして志願者は続出し・・・・・・」

この洗礼の勢いは1890年 まで続いた。1877年には信 者はすでに50人を越えていた。 村の中心には礼拝堂と神父の宿 泊所もできた。1890年の信 徒数は250人で、今にも全村 が信者になるのではないかと思 われた。又、テストヴィド神父 はこの信者共同体は信仰の第3 段階に達していると言っていた。
だが試練の時が訪れた。1890年、テストヴィド神父は病 に倒れ、治療のために日本を去 らねばならなかった。神父と下 壱分方の信者のきずなは固かっ た。慈父を失った信者は約2年 間、既に広範な地域を受け持っ ていた2人の宣教師の世話を受 けることになった。この間に天 主学校が経済上の問題で廃校と なり、信者の教育の場が閉ざさ れた。1892年には全村を大 火が襲い、一瞬にしてほとんど が灰壁と化した。これを期に多 くの村人が都会へと出て行った。1892年、27才のメイラ ン神父が初代の主任司祭として 着任した。彼の教理指導は大変 厳しかった。社会的視野を持つ 信仰を、初別の時代から培い、 政治の舞台でも活躍していた下 壱分方の信者には、彼の指導に 従うのに多くの苦労があったと 思われる。火事の後の聖堂がま だ建築中のことなどもあって、 本町の教会が以後宣教の拠点と され、下壱分方は巡回教会とし て新たな出発をすることになる。1927年、テストヴィド神 父による宣教50年を記念し、 元八王子(現在の泉町・初期の 下壱分方)の聖望は信者の手に より、立派に建て替えられた。 この聖堂は現在も使用されてい る。44年の間、八王子で司牧したメイラン神父に代り、1936年から日本人司祭が司牧にあたることになった。特に1943年から八王子と元八王子 を往き来して、きめ細かな司牧 をした西田神父は、宣教100年を 記念して、両教会の信者の協力 によって、元八王子に建てられ た司祭館に住み、100年目によう やく司祭常住の教会を誕生させた。

現在は岩子神父が司牧にあた り、少しつつ発展の途をたどっ ている。

一粒の麦 第5回
白柳大司教、教区100年を語る

東京大司教区100年の歴史
1891年(明治24年)から
1991年(平成3年)まで

第2期(大正時代)

大正元年より大正15年まで

(1912年~1926年)

6教会の活動

大正時代も東京においては、6教会(築地、浅章、神田、本所、麻布、関口)が中心になって教会活動、宣教活動が推進されていきました。

明治15年、北韓代牧区という名古屋から北海道までの地域に4,094人の信徒が数えられましたが、明治45年には、東京の6つの教会(八王子方面も含む)だけでも4,824人の信者になりました。そして大正14年には、5,846人と増加の一途をたどっていきました。

宣教師たちは、6つの教会を中心に各地に小さな伝道所をつくったり、信者の家庭を宣教の拠点として信仰教育、宣教にあたりました。特に八王子を中心とした3多摩地区及び埼玉県への宣教の活動は目覚ましいものがありました。

又、千葉県には、東京あるいは宇都宮から宣教師たちが歩いて各地を巡回したことが記録にとどめられています。

信徒たちも各教会に、青年会、婦人会その他の会をつくって、自分たちの修養にあたるとともに、宣教への準備を重ねたのでした。特に東京では、東京6教会布教委員連合会というものがつくられ、6つの教会の人々が相集まって、宣教活動への努力を重ねたのでした。一方、大学においては、大正9年に早稲田大学で「カトリック研究会」、慶応大学で 「栄誦会」という信者の団体が設立され、帝国大学の「聖トマ会」とともに3大学力トリック研究会連盟が発足し、自分たちの信仰を理論的に裏付けるだけでなく、仲間たちを増やしていく活動にあたったのでした。この研究会は、今日にいたるまで目覚ましい働き、歴史を残しています。

ミッション・スクールの影響

大正時代には政治、社会、文化に民主主義的、自由主義的傾向が顕著に現われ、世にいう大正デモクラシーという現象がありました。その影響によるのか、ミッション・スクールへの入学希望者は急激に増加し、ミッション・スクールが教会の中で果たす役割が一段と大きくなりました。

大正2年には、かねてから望まれていた大学が東京の他に生まれました。これは教皇ピオ10世が特別に配慮し、イエズス会に依頼して日本に設立されたものです。当時ホフマン神父が学長として、学生14人で専門学校による上智大学が生まれたのでした。

大正11年の統計をみますと、大学が1校、学生171人、男子の中学校1校、生徒数604人、男子小学校1校、生徒536人、女子高等女学校3校、生徒の延べ数909人、女子の小学校3校、生徒数563人、幼稚園3園、園児248人、その他語学専修学3校、836人が数えられています。

この時代、特筆に値することは、小教区、教会付属の幼稚園第1号が、築地教会に設立されたことでした。それは大正13年のことで、その後、6教会を始め、後に設立される教区立幼稚園のひながたです。

これらの教育施設に働く宣教師、教師たちの働きは、誠に目覚ましく、ただ単に学問の伝授だけではなく、生徒及びその父兄たちに対し、福音伝道の働きをもしたのでした。

東京教区立邦人修道会の設立

これまで主に外国からの修道会が、教区内で活躍していましたが、この時代になると日本人有志の集まりができ、それが修道会として成長するという現象が出てきました。

東京教区では、大正10年に今日の「聖母訪問会」の前身である「訪問愛苦会」が大森の地、大井町に生まれました。彼女らは教会の指導のもとに、ある一定の規則を持ち、共同生活をし聖マリア共同医院というものをつくって医療活動にあたったのでした。これは昭和に入って、あいついで生まれる邦人修道女会の先達となるものでした。

修道者の生活は、その活動を通しての働きだけではなく、生活による証しをもってキリストの福音を世に示す大きな役割りを果たしています。

このようにみてきますと、大正時代は次の昭和の幕明けと・ともに、教会が一大飛躍するエネルギーを蓄えた時代ということができるかもしれません。

戦争による影響

しかし大正時代の教会は決して、すべてが順調に進んでいたわけではありません。

強い光があれば、また影も強いものがあります。

その第1番目は、戦争による影響です。

大正3年から大正7年まで続いた第1次世界大戦は、数多くの宣教師たちを軍人として祖国に呼び帰らせ、宣教師が急激に少なくなりました。

また在日ドイツ人宣教師に対するいやがらせ、追放問題等不愉快な問題もあったのでした。

国粋化、軍国化の動き

その2番目は、日本の中に国粋化の動き、軍国化の動きが高まるにつれ、教会ならびに信者たちが受ける影響も大きなものがありました。

大正3年に、カトリック信者の国学院大学の学生が、靖国神社に参拝しないという事件が起きたり、大正15年に、暁星中学の生徒が徴兵忌避した問題などあげていけば、その例はまことに多いものがあります。

大正14年に治安維持法が公布され、宣教師たちの活動はますます制限されていきました。

天災による困難

これに加えて、天災による困難もありました。

大正2年2月19日から20日の夜中にかけて、神田の三崎町、救世軍植民大学館から出火した火事は、2,400戸を焼き尽くし、神田教会、仏英和学校、シャルトル聖パウロ会の修道院信者の家10軒を焼き尽くしました。

また大正12年9月1日の関東大震災は、震度7.9の地震で、それにひき続いて起きた大火災により、当地の東京の教会に壊滅的な打撃を与えました。

6教会のうち、本所、浅草、神田、築地の4教会は焼失し、麻布教会、小石川の関口教会は、やや少ない被害でしたが、八王子教会は大破してしまいました。その他、修道会の学校、神田仏英和学校、暁星小学校は焼失し、上智大学、聖心女子学院は大破し、雙葉女学校、暁星中学校は被害をうけました。

関東大震災によっては、シャルトル聖パウロ会の1人の修道女が死亡し、横浜においては、8人のサン・モール会の修道女が犠牲になったことは忘れることはできません。中でも明治時代に焼き打ちをうけ、あるいは隅田川の水害と多くの苦難を味わった本所教会の被害は、誠に大きなもので、180の所属信者の家族のうち113戸が焼失し、安全であったのは67戸にすぎなかったそうです。このことは、当時の主任司祭本城神父の生々しい記録が残されています。

当時の築地教会の伝道師、石川音次郎さんの『東京築地記憶録』の文章を最後に引用します。

「その日の午後6時頃、いよいよ教会も危険となったので、神父の方々も、ジロジアス師、スペーテン師その他の方々4、5人も教会を立ち去るので、私も1人で心細くなり、かくするうちに教会内にも火の粉が落ちてくるので、もはやこれまでと思い、重要書類、印鑑などの物件を背負い、天主堂に向かって土下座して拝し、ここを立ち去るのでしたが、その時の心の寂しさは、今もなお思い出すほどに心を痛むものでありました。」

思いやりに支えられた復興の歩み

関東大震災による被害は、大変大きなもので、その復興の歩みもまことに大きなものがありました。

教皇庁をはじめ、欧州、米国の教会が競って東京の教会を援助してくれたのです。従ってあのように大きな被害をうけた教会もその行為、信仰による兄弟たちの思いやりに支えられて、思ったよりも早く復興の歩みが始まりました。

宣教司牧評議会より

2月17日、四谷隻葉学園の同窓会館で、今期最後の宣教司牧評議会が開催された。

取り上げられた議題は次の3点であった。

1、3月21日の教区総会について。

日程、及びメイン:テ-マを確認し、各担当係を任命した。

総合司会は、麹町教会の黒川氏とドミニコ会シスター田井、パネルディスカッション司会は喜多見教会主任山本師と関口教会の国富真枝氏。

決算・予算の説明を麻布教会の友石氏。

100周年関係の報告説明はナイス事務局長の塚本師と秋津教会主任の田中師である。

「協力について」の答申報告は船橋教会の小林氏と調布教会の西勝氏。

2、財政アンケート調査結果の報告を行った。この内容は2月20日付けの本紙に掲載されたものである。

3、「教区内の協力推進について」の答申を、中間報告という形で、小林議長より白柳大司教に渡された。

これは、今期の宣教司牧評議会の課題として、1年をかけて検討されてきたものであり、最終的には運営委員会の西勝氏を中心にしてまとめられたものである。3月の総会で報告される予定であり、総会参加者には、内容をコンパクトにまとめたパンフレットの形で配布される。

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委細面談にて決定します。

問い合わせ、履歴書は下記へ

〒112 文京区関口3-16-15 東京ナイス事務局

TEL 03-3943-2277 塚本伊和男神父

第80号(2月20日発行) 訂正とお詫び

3頁6段目 写真説明

ソプラノ千木さん→千本さん

ピアノ 角倉さん→越原さん

3頁 教会財政協力のためのアンケート結果報告、グラフが不鮮明

4頁6段目 円寺、関口、大森→大森、関口

関係者と読者の伴様にご迷惑をおかけいたしました。

編集部から

現在のスタッフが教区ニュースを担当して早くも6号目を数えるようになりましたが、編集スタッフ会議ではいつも反省する弔ばかりです。それでも信徒の皆様のご声援を受けてなんとか軌道に乗ってきたような気がします。

さて、先日ある信徒の方から新年号の1面の写真はどうやって写したのかと質問を受けましたのでここに簡単にご紹介しておきましょう。

この写真は東京教区100周年を迎える新年をテーマに写しましたが、事前に内容を決めずにお好きなようにという事でだいぶ迷いましたが結局このように落ちつきました。写真を見て何か興味を持ち、目に止まるものがあればうれしく思います。

それでは、写真のセットをご説明いたします。写っているマリア様のご像は、高さ1.7センチほどの小さな物です。このご像のうしろに半透明のトレーシングフイルムを置き、そのうしろから、むらにした光を当てて背景をつくり、まず一度写しておきます。

次に別に準備しておいた100の数字を上の空いたところに重ねて写し込みます。つまり実際には、数字とご像とは別々なものですが、出来上りは1枚の写真に見えるのです。

すこし難しい話になってしまいましたが、もっと詳しくお知りになりたい方がありましたらご一報くだされば資料をお送りいたします。

このほか、どんなことでもお気づきになる事がありましたら、広報委員会までお問い合わせやご意見をお寄せいただければ幸いです。