東京教区ニュース第63号

1987年05月01日

新分教会誕生

教区は3月7日付で、足立小教区内に足立教会分教会・梅田教会を設立した。

〒123 足立区梅田7-19-23 電880-4718

担当司祭 塚本伊和男師

福音の流れ涸らすな!

教会の使命である“社会の福音化”(福音宣教)をめざして、日本の教会が新しく動き始めて2年半になります。その間、多くの方々の献身的なご協力により、ようやくこの運動が小さな川の流れのようになって来たことを心から喜んでおります。皆様の小教区をはじめ、各母体での話し合い、ブロックや教区レベルでの公聴会、その他、折にふれての皆様のご努力がこの流れをつくって参りました。

しかし、小川は水源地帯に雨が降らなければ、やがて水涸れになり、流れは消えてしまいます。従って、私たちの小川“社会の福音化”もその流れをとめないためには、絶え間ない努力が必要なのです。まして更に大きな流れにするためには、今まで以上の自覚と奮起が要求されます。このたびの教区総会はそのためのものであり、今年の秋の「福音宣教推進全国会議」へとつながって行くものであります。

私は折悪しく教皇庁「正義と平和」委員会総会のためローマに行かなければなりませんので、残念ながら今回の教区総会には出席できません。教会の礎である聖ペトロ・聖パウロ両使の殉教の地で、教区総会とそれに参加なさる皆様の上に聖霊の照らしと助けとを祈り、皆様と心で一致したいと願っております。 東京大司教 白柳誠一

教区総会第2回
発展社会にどう切り込むか 日本の教会先き駆けのため

教区は3月21日、港区白金・聖心女子学院で1987年度の教区総会を開いた。現代日本の社会の状態を確かめ、そこに宣教するにはどうすればよいのかを話し合うのが目的。森司教は始めの挨拶で、初代教会の精神に帰ることを強調。共同通信記者・斎藤茂男氏、上智大学助教授・ニコラス師の基調講演をもとに、7つのテーマについての分科会や、シンポジウムが開かれた。白柳大司教はローマ出張のため欠席したが、別掲のメッセージを寄せた。他に決算・予算の報告なども。

話し合いが目的のため、何んと言っても7つのテーマについての分科会が中心となった。さて12のグループはどんなことを聞き、語ったのだろうか?

おことわり 編集の都合上、割愛したものもある。(広報部)

1、現代の夫婦と福音。

(司会 今井幸子・三軒茶屋)
(書記 志立 毅・三軒茶屋)

【司会者】夫婦は2人で社会にかかわり、福音宣教に携わってゆくものだと思う。皆さまの意見をうかがいたい。
【若杉】(松原)女(女子信徒の略)-教会が未信者同志の結婚の挙式を行うようになってから、結婚についての考えが違ってきたように思う。
【柏崎】(千葉寺)女-結婚講座で神との出合い、性の問題などを取り上げている。夫婦の性の問題を話し合う場を教会は与えるべきである。
【滝】(田園調布)男(男子信徒の略)-未信者の教会での挙式希望が増えている。もっとPRし、宣教の機会にしたほうがよいと思う。
【大藤】(木更津)男-性の問題は信者同志の結婚でも重要である。教会は現実をもっと直視し、正面から取り上げるべきである。
【山本】(千葉寺)女-性の問題以前に、各人が良心を養うため、人間とは何か?など根本的な問題を考えたいと思う。
【沢田】(麻布)男-既婚者の小グループを各教会にいくつも作り、身近な社会と家庭の問題を福音と教会の教えに照らし、自分達の働きによって現実を一歩一歩改善するネットワーク活動の展開を提案する。この展開によって、人々は生活を通して福音の真価を知り、信仰に育てられ、教会は着実に日本の社会と共に歩み福音を宣教することになる。ネットワーク無しの小グループは、電線から離れたモーターや発電機のように効果的生命力を発揮出来ない。提案のネットワークは小教区では主任司祭、司教区では司教、大司教区では大司教、全国では司教会議のもとに置くことである。
【田中】(汚れなきマリア修道会)修(修道者の略)-夫婦に出合いがあれば話し合いはできるはず。罪の意識の中で性の問題を捕えてはいけない。
【司会者】出合いはどうしたらできるのか。
【若杉】人を見抜けず、自己確立も欠落しているのでは、出合いそのものもできない。自己との戦い、ゼロからの出発を。
【リバス】(麹町)司(司祭の略)-結婚生活を汚らしいものとしたのは聖職者の罪かも知れない。愛し、いたわり合う中に神の姿を感じて頂きたい。
【横井】(上野毛)女-ドロドロした中であっても夫婦の出合いを確立し、性の問題などについてもキリストと共に解決してゆくものだと思う。

出合いの再発見

【柴崎】(高円寺)男-我われは具体的な問題で悩んでいるのであり、教導職に指針を求めたり相談したりするのは無理で、信者同志の話し合いが一番。
【国富】(関口)女-教会の中でこのような問題を話し合いたいと思う。
【柏崎】ドロドロしたなかでも夫婦の愛が中心であり、社会の福音の原点だと考える。
【津崎】(碑文谷)女-現在、夫と別居し、母子家庭である。厳しい体験をしたし、同じ境遇の人の相談にものった。教会にも同じような人がたくさんいるはずだが、そのような話をする場がない。
【大藤】ホンネとタテマエが違ってはいけない。現実にあった要理を作っていかなければならないと思う。
【司会者】ドロドロした中で夫婦が愛し、生き抜くことによって神との出合いがある。

ひじ張らぬ触れ合い

2、現代の親子と福音。

(A)分科会

(伊藤雅子・秋津)
(本久元子・秋津)

【福川】(聖心会)修-胎児の時から親に望まれなかった子供は、成長過程で何らかの影響があるので、若者たちは結婚前からそういうことを、しっかり自覚しなければならない。
【広田】(田園調布)男-幼稚園から競争社会にもまれている幼児-、大事な問題で見過ごすことはできない。
【荒木】(田園調布)女-孫がカトリック校を受験しておとされたが、片親であるのが原因らしい。少なくともそのような印象を与えたことは問題である。
【大井】(碑文谷)男-私は塾を経営しているが、教会学校に通っていると準備不良で、カトリック校にも入れない。
【上村】(麹町)男-学校にすると成績優秀よりどこか光る子を取りたい。塾に行かなければ入れないということは回りが作っているのではないか。
【大井】公立校では日曜日まで部活をやり、教会学校には来られない。カトリック校でもそのようだが何んということか。
【上村】プロテスタント校で5日制をとるのは、日曜日をあけて教会に行きやすくするため。
【司会者】人間の幸とは何かを考えて見たい。
【小山】(蒲田)女-子供のために何ができるか-につき、地域で活動している。カトリックの中では、ギャップを感じてやりにくい。
【多田】(マリアの御心子女会)修-家庭の価値観で、子供の育ちが違ってくる。
【栗田】(柏)男-娘が、カトリック校在学中はシスターのヒステリック等で悩んだが、卒業したら学校名が勲章になった。
【長島】(吉祥寺)男-あまりカトリック校やシスターのせいにしてはいけない。自分で価値観を見つけ、責任をもつべきである。

(B)分科会

(菅又 立夫・田園調布)
(高村美己志・田園調布)

【司会者】私たちにできることは-、に重点を置いて話を進めたい。
【千葉】(松原)男-カトリック校は、教育の内容で証しすべきだ。受験体制の教育に立ち向かう必要がある。今の親は子供にかかわりすぎる。
【田中】(長崎純心聖母会)修-子供の成長をゆがめる、と分かっていても塾に熱心である。
【私市】(上野毛)女-高校に入れ、自由にさせたら、子供の知らなかった面が出てきた。
【桜井】(碑文谷)男-塾に通わせないと友人ができない-という不安がある。カトリック校は、塾に行ってない子をとってくれないか。
【青山】(聖心会)修-塾ではなく、共に遊び、触れ合いのできる組織があってもよい。

「塾」対教会学校

【藤原】(聖マリア修道女会)修-子供を信仰を持った人間として育てたい。塾に負けない教会学校を作るのに悩んでいる。
【司会者】子供から見て親はどういう存在か。
【辻田】(吉祥寺)男-親は子供に過大に期待している。それほどガツガツしなくても、生活できない社会ではない。
【桝谷】(吉祥寺)女-子供は勉強や受験についての母親の意見を聞いて、良かったことはないと言った。肩ひじ張らずに。
【大橋】(無原罪聖母宣教女会)修-社会の価値観と福音のそれとのギャップを埋めるにはどうするか。親は子を育てると共に、自分を育てる気でやれ。
【川口】(マリアの御心子女会)修-何を大切にすべきかを自分に問いかけ、受験に苦しむ子供たちを大きな気持で包め。

3、現代の青年と福音。

(A)分科会

(鈴木弘道・吉祥寺)
(北 文夫・吉祥寺)

【司会者】数少ない若い方々の意見を聞きたい。
【小川】(三軒茶屋)女-我われが信者と未信者を区別するのは、未信者に見られることに劣等感を持つからではないか。
【那口】(築地)男-中年の人々が活動してきたため、若者は参加できず、お年寄りからは、何もやらぬと思われ悪循環。流れを変えるのをどうするか。
【山岸】(赤羽)女-大人は若者に価値観を植えつけ、心から引っぱって欲しい。若者も大人に働きかけることが必要では。
【山本】(赤羽)男-人生を教えてくれるのが教会だと期待して入ったが、行事でまっさきにつぶれるのは聖書研究会だ。
【粕谷】(田園調布)男-家族全員信者である自分は、教会の中にいることに幸いを感じているが、未信者をひきつける教会にするヒントを得たい。
【司会者】年輩の方はどのように感じているか。
【稲川】(扶助者聖母会)修-今の若者は意外と客観的な面があるので、その姿勢を失わずにキリストの方に行ってほしい。
【山田】(長崎純心聖母会)修-弱い者に味方するという風潮もあるので、より良い価値観を与えてゆきたい。
【有働】(聖パウロ女史修道会)修-読書会をやっていると最後は聖書の話になるなど、人生を真剣に考えていると思う。
【稲川】集まりでは、夜の11時半ごろから人生論が出る。若者はひたすら求めている。
【小川】心配なのは、信者でも要理を勉強している人が少ないことである。教会はもっとアフターケアすべきである。
【司会者】それは公聴会でも問題になった。相いれぬ思想に対して何の理論武装もなく、従って信仰宣言する勇気もないわけだ。今の意見は傾聴に価する。
【粕谷】分からないことは自ら勉強する姿勢が大切なのでは。
【稲川】その気持は大事だが、同じ考えの人が互いに話し合うことから出発したらどうか。
【小平】(三軒茶屋)司-何かに気づき、一緒にやってゆこうとする気持がアフターケアにつながる。
【司会者】教会に対する希望、注文があればうかがいたい。
【那口】年令を越えたタテの線をつなぐようにしたい。
【小川】大人たちは我々に任せてくれない部分があり、まだ子供だと考えていると思われる。
【森田】(小平)男-ミサは、青年が中心となってやるのもあるが、良くやるのは一部で他は気まぐれだ。
【有働】教会だからこそ失敗しても許される部分もある。
【シモンチェリ】(三河島)司-教会では本音で話せ。

(B)分科会

(佐藤正一郎・高幡)
(安田 敏恵・関口)

【司会者】教会は青年に何を期待しているかを中心に意見を述べていただきたい。
【中口】(足立)男-自分がやりたいと思うことを見つけて努力することが必要である。
【山口】(葛西)司-青年の教会離れは双方に責任がある。信仰のよろこびを体験することが先決だ。
【成願】(長崎純心聖母会)修-青年に対する理想像は持っていない。何を考えて教会に来ているのかを知りたい。
【妙摩】(長崎純心聖母会)修-朝早く起きてミサに行くのがつらいので、カトリックをやめたい-という青年がいた。どういう教育をうけたのか。
【菅野】(聖心会)修-学生と接しているが、組織の中では福音を伝えきれない。個人としてのつき合いが大切だ。
【栗原】(ノートルダム教育修道女会)修-単純な理由で教会を離れる青年が多い。本物の信仰のため求道中の勉強が肝腎。
【宮脇】(扶助者聖母会)修-若者は豊かな感受性とエネルギッシュな行動力を持っている。こちら側から呼びかけることが大切である。
【斎藤】(蒲田)女-共同体の意識が薄く孤独だ。相手から励まされる部分もあるので互いに交換し合う場が必要である。
【片山】(関町)女-レジオに入っていた頃のことを思うと、今の若者にくらべて祈りと奉仕があったような気がする。
【渡部】(サン・モール修道会)修-本当の自分とは誰なのかを探る自己発見が自分を理解することになり、他者の理解へとつながると思う。

青年燃えるもの

【増田】(アシジの聖フランシスコ宣教修道女会)修-若さだけでボランティアはできるが、信仰は深まらない。
【山口】(宮崎カリタス修道女会)修-現代の若者は無感動などといわれるが、心のこもったちょっとした行為に動かされて召命を感じた人もいる。
【大久保】(宮崎カリタス修道女会)修-求道者の子は勉強はするが知識だけに終わり、受洗に結びつかない。
【マンテガッツァ】(下井草)司-青年像はパン種であり、教会においては燃えるものでなければならない。信仰が深くなればよろこびは自然にでてくる。
【道岡】(潮見)男-情報の氾濫している今、自分がどのようにキリストを証しするかを考えるべきだ。
【狩野】(礼拝会)修-幼児洗礼者が集まってお茶を飲んでいるだけの青年会なら魅力ない。
【中尾】(礼拝会)修-思ったことはやるという良い面を持つ若者を、どのように育てたらいいのかわからない。
【松村】(メルセス宣教修道女会)修-教会には悩みをぶつける態勢がない。指導できる人の養成を望む。
【斎藤】(メルセス宣教修道女会)修-普段の学生生活では一緒のグループではない人達も、同じ曜日、時間に集まれば、キリストに結ばれた仲間がいるという共同体意識で、固い絆を作っている。
【司会者】何も言わなければ何もしない。集まる場があるから来ているというのが平凡な青年たちの姿だと思う。中には燃えているグループがあり、それについて行ける人、行けない人、そういう立場にない人もいる。

学校、会社とのからみを離れて考えられない。祈る場を聖職者が作ることが課題だと思う。

4、現代の会社・職場と福音。

(A)分科会

(矢島隆志・高円寺)
(伊藤幾代・高円寺)

【司会者】職場での時間は、私たちにとってどのような意味をもつか?よりよい人間関係を築くために何ができるか。
【戸谷】(荻窪)男-商社に勤めてきたが、カトリックの評判は良い。クリスマスには聖書を読んでほしいと頼まれたりするが、それから先の話になると行きづまってしまう。
【三浦】(蒲田)女-カトリックということで、職場の人から特別の目で見られる。
【矢竹】(蒲田)男-職場では宗教にこだわらず、仲良くやっている。
【谷光】(蒲田)男-カトリックだからといって特に問題はない。しかし、互いに干渉しないという雰囲気なので、それ以上話すことができない。
【関】(洗足)女-カトリック信者はいじわるだと言われたことがある。社員に背番号をつけるなど反発を感じている。
【広瀬】(初台)女-職場のほとんどが信者なので過しやすいが、逆に世間の常識からはずれてしまう弊害がある。
【桜井】(本郷)男-石油会社に勤めているが、商談のときなど日本人よりも外国人、特に発展途上国の人びとと話が通じ易い。共通の価値観を持っているからではなかろうか。

証しをひるむな

【那口】(築地)男-商売相手との競争もあるため、「信者のくせに」と言われるのが恐く、カトリックであることを公にできない。
【浜端】(アシジの聖フランシスコ宣教修道女会)修-保育園をやっているが、地域は政党色が強く宗教的なことは入りにくい。保母の労働時間を短縮したいと考えている。
【田中】(蒲田)男-40年勤続表彰制度がなくなった。組合で要求を出しているが全く返事がない。労働の意義を考え直さざるを得ない。JOC等から励みになることがあれば聞きたい。
【安室】(木更津)男-ホテルを経営している。仕事を通じて宣教したい。従業員によくしてやりたいが、競争もきびしいので気がかりである。
【山口】(小平)男-企業の人員削減合理化もあり、管理職のため退職の勧め等もやらざるを得ない。
【杉田】(葛飾)司-カトリック信者は模範的でなければならない、というのはむしろ傲慢ではないのか。
【三浦】昨年、会社をクビになった。仲間の信頼関係がもっとあれば、合理化されずにすんだかも知れない。
【関】弟も解雇される。生活保護費が賃金よりも高いという下請会社もある。病気で右手が上がらず、いけないと分かっていても手を抜いて仕事をするようになってしまった。
【司会者】教会で職場について話す機会を持ちたいという意見があったがどうか。
【飯沼】(碑文谷)男-一杯飲みながらそういう会をと思う。
【三浦】教会よりも、むしろJOCの仲間でよく話せる。信者でなくてもキリスト教的な話ができる。
【司会者】職場での人間関係はどうか。
【梅沢】(蒲田)男-職場で友人を作ろうというのはどだい無理な話だ、と課長に言われた。
【林】(ベタニア修道女会)修-保育園で働いているが、特に問題が起きたことはない。

宣教で脱老齢化を!

(B)分科会

(陣野友久・千葉寺)
(池田政朝・千葉寺)

【司会者】会社・職場で福音的に生きるにはどのような問題があるか、体験で話してほしい。
【山口】(大森)男-職場で信者だというと問題があるので行動で示す。女子には教会で結婚ができることをPRしている。
【氏家】(本所)男-職場では信者であることを宣言し、仲間とのつき合いでも教会を優先。
【牛窪】(瀬田)男-生活の場は職場がほとんどであるので、会社の近くに教会と関連した施設がほしい。
【内藤】(フランシスコ会)神学生-職場の仲間と行為を共にするとき、教えに反する行いもありうるが、人間として考え行動してきた。
【中村】(八王子)男-職場では信者としての意識を自然に出している。会社の一要素である出世のためにしなければならない場合、どのように行動したらいいのか悩む。
【本野】(麹町)男-経営者として会社では信者であると公称していない。競争と信仰が両立しないのが悩みだ。
【松宮】(ノートルダム教育修道女会)修-職場の近くに、帰りに気軽に話し合える静かな場所がほしかった。
【小野寺】(ベタニヤ修道女会)修-老人病棟で働いているが、忘れられた人々を助け、キリストを証ししてゆきたい。
【鈴木】(浅草)男-商人として、得意先に信者だと言っている。町内会にかかわっている。

現実は板バサミ

【岡田】(麹町)男(求)-ビジネスの世界とキリスト教のそれとは、一致しないのでは。
【高橋】(築地)男-信者だと公表すれば間違った行いはできないし、人間として正しくやることこそ福音宣教の基本だ。
【楠原】(松戸)女-仕事上いろいろな人に接しているが、自分なりにキリストの愛を人々に伝えればと思う。
【中嶋】(アシジの聖フランシスコ宣教修道女会)修-職場で神を中心に体験を話している。
【伏木】(小岩)男-証しするには信仰を隠したり、公表したりする必要はなく、あれば自然に出る。会社を持っているが、信仰の喜びが常にある。
【吉田】(町田)男-利益を上げるためには倫理を無視する傾向がある。経営者が信者であれば、このような問題は出ない。
【洗川】(蒲田)男-上司があまりにも利益を中心に考えているようだ。信仰と会社での矛盾で壁につき当っている。
【池田】(赤羽)男-会社としての仕事ならば、判断して社会的に背かぬよう行動してきた。
【吉田】(蒲田)司-司祭として成長するのに労働者からの学びが多かった。彼らの立場で考えることを習い、福音書を読むときに大いに役立った。
【今泉】(蒲田)女-JOCで素晴らしいものを学んだ。職場で周りの人々と一緒に喜びを分かち合いたい。
【来栖】(世田谷)男-家事調停委員をしている。個々においては信仰について話さない。
【氏家】職場ではカトリック色を出し、組合活動など正義をかざしてゆかなければならないと思う。

5、現代の高齢者と福音。

(A)分科会

(里見義勝・板橋)
(神尾英世・板橋)

【司会者】高齢化社会と福音-ということでどんなことをしているか聞きたい。
【青木】(ベタニア修道女会)修-まず言葉をかけることが必要と思う。
【村松】(清瀬)女-人生のしめくくりに、何が最も大切かを反すうすることが高齢者同志の課題である。
【下地】(浅草)男-高齢者としてこの先どのように楽しく生きられるのか聞かせてほしい。
【船橋】(柏)男-小教区として高齢者にどのように対応してゆくか検討中である。
【池田】(福音史家聖ヨハネ布教修道女会)修-老人ホームで働いているが、皆けっこう福音を求め、年に何人か受洗する。
【酒井】(田園調布)女-宣教は喜びを伝えるもの-。勉強して価値観を変えれば喜びが出るのではと、晩学している。
【秋山】(目黒)女-働ける高齢者にはどんどん仕事を与えてほしい。古いと重宝がられる。
【友野】(柏)女-孫が4人いても高齢と思っていない。むしろ教会を通して高齢者のために何か手伝いたい。
【徳田】(市川)男-町会の手伝いをしているが、教会内で高齢者の会話ができればと思う。
【安藤】(町田)男-大司教館に勤め、墓地、納骨堂などの仕事をしている。勉強したい。
【村松】(清瀬)女-黎明クラブという団体に入っている。苦しんでいる老人が、うろたえず良い死を迎えられるよう、復活の信仰などを教えてあげたいと思っている。
【岡田】(麻布)男-高齢者の生きがいを含めた国際協力活動のボランティアをやっている。外務省、国連ユニセフ協会によるもので、資料、教科書等も整い、お年寄りの仕事がいくらでもある。

問い合せ先

日本シルバーボランティアズ 〒101千代田区須田町1-24-23(電254-5735)

晩学へのすすめ

(B)分科会

(杉浦 茂・本郷)
(本島明郎・本郷)

【司会者】テーマの柱にとらわれず、高齢者が日常考え、実行していることを話してもよい。
【石井】(小岩)女-一人暮しの老人訪問を続けているが、わがままだと思うことがある。
【木下】(葛飾)女-日本の老人は依頼心が強く、精神的自立に欠ける傾向がある。老人同志の思いやりも少ない。
【三井】(柏)女-痴呆症で熱心?な信者の姉に、どう対処してよいか悩んでいる。
【木下】痴呆老人について何でも相談できる総合福祉センターがある。
【博多屋】(聖フランシスコ病院修道女会)修-有料老人ホームで働いている。知的レベルの高い人が多く、キリスト教の話を待っている。
]【水落】(ベタニア修道女会)修-養護老人ホームで働いている。未信者も抵抗感なしに祈りを唱えられる雰囲気だ。
【北沢】(洗足)男-教会との交際で老体の病気が治り入信したので、教会の手助けをと思いおもに文書伝道をやっている。
【大久保】(赤羽)女-昔の日曜学校の生徒に先生と呼ばれ、いまその子供が教会の幼稚園に通っている。代母をした人が60人もいるので、往時の努力が報いられたような気がする。
【佐藤】(下井草)男-死を迎えるための布教といっても、老人には身体的弱さも出てくるのでむずかしいと思っていたが、先ほどの話で意を強くした。
【石井】他所でその人の話をするのは禁物。親切にされていると感ずれば心を開く。
【田淵】(柏)男-年寄り夫婦だけで子供もいないので、家庭集会の場とさせて頂いている。
【多田】(木更津)男-年寄りだから福音宣教はできないと考えてはならない。回り当番の家庭集会は老化防止にも役立つ。
【波多野】(碑文谷)男-信者のグループには高齢もおり、敬老の日にはお祝いなどもしているが、だんだん疎外感が出る。
【吉田】(関町)男-教会俳句サークルに高齢者が集まり、俳句を介し話し合いをしている。
【小川】(調布)女-死の問題で話そうと呼びかけたのがきっかけで、アンナ会というのができた。考えを述べ合っている。
【曹田】(渋谷)男-老人の淋しさに耐えられなかったが、信仰を持つようになり、明るくなったと若い人からいわれる。老人は自分を勇気づけ「自分は老人ではない。若いんだ」と思って周囲に接しなければならぬ。
【富川】(秋津)女-還暦を迎えた。夫は未信者。何事も平静に受けとめられるよう、互いに助け合う集いを持ちたい。

6、日本社会の流れと福音。

政治意識の低さ憂う

(A)分科会

(渡部 真・上野毛)
(田村浩子・高 輪)

【司会者】日本の社会で何が問題か、体験や意見を伺いたい。
【知念】(聖母の騎士聖フランシスコ修道女会)修-クリニックで障害児に障害児にかかわっているので、指導をいただきたい。
【森谷】(亀有)女-生活の中で信仰が生きているか?共同体が大切である。
【真倉】(宮崎カリタス修道女会)修-生命倫理の問題で解決できない時の、対処の仕方を勉強したい。
【坂井】(目黒)女-教会にもっと柔らかい感じがあったら、信者も増えるのではないか。
【片平】(清瀬)男-国連軍縮総会の百万人デモのなかに、キリストの証しをしている人を見た。社会の福音はそのようなものだと思う。
【神山】(渋谷)男-閉鎖的階層に育ったので視野が狭い。皆んなの意見をききたい。
【今井】(柏)女-知恵おくれの人を週二時間位世話し、自分を変え、開く努力を始めた。
【岡本】(援助修道会)修-政治活動を規制する教会のあり方にも問題。福音による社会の変革を考えたい。
【長岡】(大森)男-自分の手のひらに社会をのせて-という祈りが原点。
【安藤】(大阪聖ヨゼフ布教修道女会)修-司教の福音宣教の意向に添いたい。
【池中】(秋津)男-生かされた宗教だから生かすようにせよといわれた。
【山下】(大森)男-教会も一人の神父が全部をやるのは無理で、各分野別にすれば生産性が上がるのではないか。
【森長】(成城)男-話題が大きいので度胆を抜かれた。

反原爆ひとり旅

【山川】(葛西)男-政治についての教会の取り組み方には疑問を抱いている。原爆資料を持って欧州を6ヶ月間歩いた。指紋押捺は人間差別。新幹線防音は弱者にはできない。
【伊従】(メルセス宣教修道女会)修-信者の政治意識の低さを感ずる。釜ヶ崎、在日韓国人問題など、私達がいかにそこにいなかったかを考えた。
【津川】(千葉寺)女-「石鹸おばさん」といわれている。合成洗剤はダメ。核廃棄物海洋投棄反対の署名もした。大自然との和解を考えたい。
【山田】(徳田)女-精神病棟の青年に対して、自分の心を解放する技術を豊かにしたい。
【吉田】(世田谷)男-信者は一般に保守的で「指紋押捺は国家の問題なのに、正平協に応援するのか」という。小さい人を見過ごす信者がいるのは困る。
【谷口】(立川)男-15億の信者がいるというが、どれだけの人が教会に出ているか。
【米沢】(大森)男-一部のカトリックが、現在の利益追求に迎合しているのは残念。カトリック校は福音宣教でレベルアップしているのではない。
【槻宅】(赤羽)男-「昔のカトリック信者は立派だった。特攻隊にも出た……」と、発言した神父がいた。皆、何も言わないのはなぜか?特定政党の選挙前に信徒会館を貸したところもある。地域政治とのかかわりの難しさを感ずる。
【青沼】(洗足)男-新国家主義の動きが感じられる。福音宣教と緊張関係にあるのではないか。戦中の言論統制の体験もある。政治に無関心であってはいけない。
【野村】(関口)男-戦争や石鹸の話が出て驚いた。社会の福音化-では、仏教との対応も一つの鍵となるのではないか。
【久保】(小岩)男-正平協は真っ直ぐに物を見るのにふさわしい会で、自分を改革する手段だと思うが、信者に受け入れられない所もある。
【司会者】「今私たち信徒に何ができるか、教会に何をしてほしいか」で、ぜひ発言したいことがあれば述べて頂きたい。
【片平】来年、第3回国連軍縮総会が(1)貧しい人を救う(2)核兵器を無くすことで開かれる。日本の教会も、準備委員会を作ってやるべきだ。全世界から核を無くすことを訴える-、これも福音化だと思う。
【山川】継続的に、こういう話し合いをする会がほしい。
【津川】原則として毎月第1火曜日、中央協の一階会議室で正平協の例会がある。
【片平】福音宣教推進全国会議でも、正平協の話ができるシステムを作ってほしい。
【池中】右翼が「市民運動はけしからん」という。カトリックだけで政治連盟を作りたい。
【司会者】このような話し合いが、継続的にできるように。

(B)分科会

(栗田信子・お告げのフランシスコ会)
(高村雅子・洗足)

【司会者】講師の話を中心に、心を開いて語り合いたい。
【米田】(本所)男-まずカトリックとプロテスタントの違いを一般の人にPRすること。
【金沢】(赤羽)男-一般へのPRとは別に、共に学び手を取り合って、小さいながらも平和を叫ぶべきである。
【後藤】(世田谷)女-プロテスタントの、いつも外に向かう姿勢を見習いたい。
【関】(小岩)男-プロテスタント、カトリックの区別はやめるべきだ。ひらかれた教会として、共に力を合わせてゆこう。
【木邨】(目黒)男-正義と社会をテーマに語りたい。なぜ、部落問題、反核、靖国問題などを根本的に考えてかかわりを持たないのか。
【金沢】(赤羽)男-靖国問題ではカトリックは考えが甘い。
【三戸】(渋谷)司-日本社会の流れの中で、福音的でないと感じていることを話すとよい。

牛歩でも小変化

【金沢】中曽根内閣に再軍備をさせぬことが大切である。
【小林】(フランシスコ会)司-何んにしても教会全体の取り組みにならぬのはなぜか。日本社会の本質が見えないのではないか。政治的、経済的な問題を深く認識した小グループが動くのさえどうしたらよいのか。
【小林】(船橋)女-日本においては、教会など全く社会と関係ない所に存在している。
【村田】(千葉寺)男-カトリック精神を反映する人を代表として選挙で出さない限り、体制には関係ない。
【中村】(渋谷)男-政治問題ではささやかなことしかできないが、絶望しないで歩むこと。
【満居】(援助修道会)修-指紋押捺問題にしても、自分の信念に照らし、小さな人々を大切にしてゆきたい。
【斎藤】(調布)女-政治はタブーでないと大司教も言った。どうして教会の声は具体的な形にならぬのか。信仰を守れなくなるような政治を選んではいけない。
【幡田】(徳田)男-日本社会の様々のひずみにどう対処してゆくか。若者が宗教に目を向けなくなったら終りである。
【岩崎】(木更津)男-神を忘れた国民は必ず崩壊する。宗教法人の数は多いが、本当の神は何かだ。
【浅川】(清瀬)女-信者は子供達を本当にカトリック的に育てているだろうか。世の為になる、よい弁護士、よい代議士などを育ててほしい。
【木村】(ベタニア修道女会)修-未婚の母やぼけ老人などの世話そのものは問題解決になっていない。指紋押捺問題など、具体的なことは、正しく聞こうとする姿勢がないと、正しく伝えることもむずかしい。
【石川】(秋津)男-日本社会の流れと福音に照らし合わせた啓蒙運動を積極的にやってほしい。靖国問題なども、信仰の立場、国際的立場から考えよう。
【弘田】(メルセス宣教修道女会)修-地球的規模で物ごとを考え、流れを変えてゆくという意識を各自が持たねばならぬ。
【海老名】(五日市)男-色々と管理され、人間としての価値観を損なわれぬよう、政治に無関心であってはならない。
【津賀】(豊島)男-遅いけれども、時代と共に少しずつ変ってきている。抑圧された人々と歩む会には、「正義と平和協議会」がある。

7、ブロック別公聴会とこれからの教会。

(渡部栄一・麹町)
(木島武次・麹町)

▽城西【今村】(世田谷)男-

(1)指導者がほしいという声がある。福音宣教については、実際問題として信徒だけではどうしても盛り上がりが出てこない。

(2)福音宣教は大変な問題を抱えている。一部の信徒がそれに気づいたとしても、教会の雰囲気を変えるのはおおごとである。

▽城南【伊藤】(洗足)男-

(1)青年たちの集まり-で、同地域の教会が寄ったということがよかった。

(2)発言者が限られたし、もっと身近な問題で話したかった。

(3)福音宣教の根本は家庭にあるのではないか、主人が信者でないと子供も教会へ行かれない。

(4)宣教を目指しているミッション・スクールの、教育上の方針を聞きたい。

▽城北【某】(下井草)男-午前中グレゴリアンミサ。司祭10名。公聴会出席者約700人。分科会出席者約400人。

▽城東【小林】(船橋)男-

(1)総ざんげでなく明るい雰囲気を作るために、司教を囲んでの宣教フェスティバルとした。

(2)小教区報告などで、長いのは神父の話。ボランティア活動者の報告には感銘をうけたが、教会委員長によるものはおもしろくなかった。

(3)司教からの望みもあり、婦人と若者を多く集めた。青年達の集まりの第一歩が印された。

(4)この集まりが1回だけのものに終らぬように-、と思っていたが、報告者、青年同志がすでに集まりを持っている。

(5)託児係は有難かったが、やむを得ず連れてきた子供を預かるのでなく、初めから積極的に呼びかけたら良かったのでは。

▽武蔵野【鈴木】(荻窪)男-

(1)励ましてほしいという叫びを出そう、その場で気持ちを伝えよう-ということに重点を置いた。

(2)われわれが社会へ出て-、それを支える教会ということに方向性を持たせた。

(3)途中で発言を切らず、一人ひとりの心を大切にした。生の声を出したので、生活のにおいのする言葉がきかれた。

尻をたたいても

▽中央【渡部】(麹町)男-

(1)これからは信徒の時代、福音宣教も外向きに。

(2)教会を逃避の場としているところもあるので、尻たたきするぐらいであってもよい。

(3)青年会は分かち合いらしきものもするが、一歩外に出ると何かよそよそしい。

(4)組織の見直しというものが、今後必要なのではないか。

(5)疑問に思ったことは司教などにも言うべき。根源的に社会にかかわってゆきたい。

▽多摩【某】(八王子)男-

(1)福音宣教は信徒の務めであるのに、今更あらためて呼びかけるのはどういうことか。

(2)方針と課題の本音は何か。悪い社会の世直しということか。

(3)卒直に、仲間を増やそうと宣伝した方が効果があるのでは。

(4)信徒の子供に、カトリック学校の門をもっと開いてほしい。

(5)司教の答え-欧州の学校は信徒の子供中心であるが、日本では平等に扱うことを本旨としている。

(6)司教は理念的なものには興味があるらしいが、具体的な提案は受け入れない。福音宣教には具体的な方策が必要である。

声ムダにするな

▽千葉【島森】(松戸)女-

(1)一昨年から「明日への宣教を考える集い」を開いたせいか、皆がとても親しくなっている。

(2)質問の内容が、氏神、祭り、墓など、地域性に基づいたものであった。

(3)本部から信徒教や献金額の一覧表がくると、そのようにできないので劣等感を覚える。

(4)カトリック学校を千葉にも創ってほしい。

(5)主任司祭が代わるたびに、典礼、教会の組織、運営が変わるのは困る。司教の呼び掛けに対しても、司祭によって受けとめ方がちがうと信徒はついてゆけない。教会の指導性に対して疑問がある。

【司会者】8ブロックの報告が終ったので「これからの教会」という関係で話し合おう。

○福音宣教で最も大切なのは信徒一人ひとりの霊的刷新では。

○集まりで出たよいアイディアは、聞きっぱなしにせず、取り組んでゆく課題としたい。

○公聴会は本当は小教区ごとにやりたかったが、物理的に大変だということで手はじめにブロック別でやった。

○ほとんど発言できない公聴会もあった。また発言したとしても、公聴的な皆んなの意見をなぜ吸い上げられないのか。

「信徒」使命の諮問終る

昨年来、大司教が諮問した、「信徒について」をテーマの4議題の、最後の1つが残っていたが、2月12日の宣司評で審議され、このほどその答申がまとまった。これで2年続いた諮問は一息つく。同大司教は、貴重な答申として、宣教・司牧に生かして行きたいとしている。

4、現代日本の教会と社会における信徒と司祭の役割について。

1、問題提起の背景(省略)。

2、教会の使命とその担い手。

昔も今も教会の使命は主キリストの使命の継続である。現代では、社会構造も、生産と流通の機構も、そこに働く人たちの意識も、複雑且つ多極化し、それぞれの分野の担い手たる信徒の使徒的な働きなしには、キリストの私たちに託された使命、すなわち人間と社会をキリストの望まれた姿に変える(=福音化)という使命に取り組むことができない。

3、教会の現実。

信徒の多くは、信仰を個人的関心事に限ってしまい、小教区行事をこなすことで能事足れりとしている。それには、司祭に感謝されるのが司祭の目に留まる仕事に限られる-、という事情も手伝っている。

司祭の多くも、抽象的教義は熱心に教えても、信徒の毎日の生活の中に信仰が根を下したらどうなるかの具体像を描けぬままに、地域社会から切り離された小教区行事を盛大に営むことで、満足していたと言えるのではないか。

4、司祭と信徒の役割分担は、流動的でありうる。

基本的には役割の違いは明確である。司祭本来の役割は「自分に委ねられた信徒及び求道者の福音化」であり、信徒本来の役割は「自分の遣わされている社会(職場・家庭・地域社会)とそこの人びとの福音化」である。

現実には、司祭には神の民の一人として、自分の接する隣人への信徒と同じ使命があるし、信徒には小教区の司牧乃至経営に力足りぬ司祭への手助けも必要である。

5、宣教共同体となった小教区の理想図。

社会参加の場を持つ信徒は、もっぱら自分の遣わされている場と、隣人の福音化の仕事と、司祭を交えての相互の体験の福音的見直しの分野別の小グループを多数形成し、他方、定年退職後の方々が教会施設の営繕、財産管理、また、社会参加に召されていない一部の主婦や学生などが教会学校など司牧的な仕事の責任を取るグルーープを作るのが望ましく、たくさんの小グループ(基礎教会共同体)をもって小教区を形成すべきではないか。

そうなった暁、信徒の小グループの中に連帯意識が芽生えてきて、やがて、他のグループの多様な経験の尊重に基づく連帯意識から、共同体意識が成熟してくるであろう。司祭もまた信徒から現実を学びつつ、信徒にキリストの魂を植えつける人たることに専念できよう。

領域の見直しを

6、宣教共同体の実現に向かって。

(a)司祭側からの反省……

神学校で身につけたラテン・メンタリティー至上主義から脱却ができていない。それ故に教義の説明の上手でない信徒の信仰を十分評価することができないし、信徒を尊敬することもできないでいる。過剰なる責任意識から、また支配欲にもつながる人間的弱さから、自分の無知の領域に話題が及ぶのを忘れ、信仰の社会的使命にまで、信徒の視野を広げるのを無意識のうちに避けてきた。

共同体とは本来どうあるべきかを深く考えずに、ただ、うわべの親睦ばかり図ってきた。少数者である信徒の直面する現実に謙遜に目を向け、もっと具体的な目的意識と、具体的なるがゆえに多様な小グループの結成と、その組織化を勧めるべきであった。

(b)信徒の側からの反省……

司祭への甘えから、自らの本来の使命の自主的な追求をおこたり、或いは、分かっては貰えそうもないと勝手に司祭や信徒を見限り、司祭の聖職者至上主義を助長してしまった。また、日本人特有の感情のもつれに振り回されて、神の民の連帯意識とは程遠い、自分個人の信心の中に逃げ込んでしまった。

(C)小教区の地域性……

-2月2日の城東ブロック司祭会議の討議より-

現在の首都圏に生活する信徒の生活圏は想像を絶するほど広く、隣接県在住でありながら、生活時間の大半を都内で過ごす者が多い。以前は勤労男性だけの問題であったが、婦人の就労の増加とともに、住居のある地域社会に結びつくのは、公立の小中学生と定年退職後の人びとのみになってしまった。また、東京のドーナッツ化現象とともに、城東ブロックでも、住民の減少とともに、幼稚園の経営はおろか、領域内居住の信徒だけに頼るなら、小教区としての存立さえ難しくなっているところが幾つもある。

他方、一旦成立した親しい人間関係には、転居してからも深い愛着を感じる。裏返せば、転居先の新しい人たちとは容易に馴染まない。そのため、次のような解釈が提案された。「小教区の領域とは、その小教区が福音化の責任を負う地域社会のことで、誰がその小教区のメンバーになるかは、何処に住もうとも、信徒自身の自由選択に任せることとしてはどうか。」というのである。

これは、既成事実の追認にほかならないが、東京教区が、浦和、横浜両教区との話し合いの上で、公式に認めたならば、信徒にも、司祭にも、喜びの知らせとなるであろう。また、これは、小教区毎の特殊性を際立たせ、宣教共同体を作り易くするのではなかろうか。 (城東ブロック)

手に負えぬ課題

このテーマを貰い、まず運営委員会に提出した。どのようにこれを取り上げ、どんな場でこの課題と取り組んでいったらいいのか、基本的な合意を得るためである。しかし早速大きな暗礁に乗り上げてしまった。テーマとして問われていることが、分からなくなったからである。

テーマそのものに正面から取り組むと、とてつもなく大きな課題となる。「現代」というからには、歴史を踏まえた上での今日的情況を述べなければならないであろう。「社会と教会」の「と」は、対立を意味するものなのか、同一を表すものなのか?「信徒と司祭」にも同じ問題がある。いずれにしろ、対立も同一も合わせ持つ緊張関係の中に捕らえる必要がある。

数え上げればきりがないほどの問題がテーマのなかから浮かんでくる。その凡てに答えることは、どだい不可能である。その道の専門家、歴史学者、社会学者、神学者などを動員し、何ヶ月か何年かかけて問われる諮問なら答申も出ようが、1ブロックの力量によって答えられるようなものではない。そこで問題は「このテーマによって、何を問い、あるいは、どのような答を求めているのだろうか?」に摩り替わってしまった。

運営委員会では、与えられた諮問議題にどのように答えるかの方法論が見出せないまま、直接ブロック会議に上程したが、既に公聴会の課題などもあり、この議題については1時間ほど話合ったに留まった。

その中身は問われている問題の設定についてで(1)「多摩ブロックにおける信徒と司祭の役割について」といった課題なら、自分たちの具体的な問題として取り上げられるし、小教区に持ち帰って話し合いのテーマにもなるのだが(2)「福音宣教」という優先課題にそって、信徒と司祭が互いに協力し合いながら、それぞれの持ち場で何ができるか、という問いではないのか(3)典礼への奉仕、教会の運営、財務、教会事務等、信徒がもっと積極的に担っていく場があること、特別聖体奉仕者等の職務を引き受け、病人訪問等、積極的に行えるような気構えを持ち、そこへ向けて自己養成していくこと、司祭もそのような信徒の活動の場を広げていくために、信徒を養成し仕事を与えていくこと等について答えればよいのでは-などの意見が出た。

また答申の作成そのものについても、さまざまな意見があった。しかし、小教区に持ち帰って、何等かの形を整えることは難しいし、物理的にも不可能であるということについては衆目の一致するところで、その上で(1)学識経験者に答申案をレポートしてもらい、ブロック会議でそれを受け、答申として提出するか(2)3~4人の研究グループを作り、答申案をまとめるか(3)なんでも良いからデッチ上げるか-など、どうするかについて話し合った。

その結果、事の経過をありのままに報告して、答申に替えさせていただこう-との結論になった。

以上、ブロックとして、提出された諮問課題に答えていく力量がないので、取り組んだ経過を報告することによって答えとさせていただく。 (多摩ブロック)

共同金祝

教区は4月26日、カテドラルで、司祭叙階金祝共同ミサと祝賀会を行った。金祝を迎えたのは5人の神父で、1937年3月28日、古いカテドラルにおいて、当時の東京大司教A・シャンボン師から司祭に叙階され、特に戦中、教会が多難だった頃、身を賭して司牧に専念した人たち。当日は、昔世話になったという古い信者や、召命のきっかけを与えられたという聖職者も大勢参加。叙階50年を祝い、その労をねぎらった。

▽野口由松師-60年5月に広島司教に叙階されたが、80年の4月、教区長を辞任。長崎市三ッ山町・恵の丘で静養中。

▽西田佐市師-74年4月、八王子教会を最後に勇退し、長崎純心聖母会八王子修道院で静養中。

▽塚本昇次師-70年7月、横浜市緑区に梅が丘天使幼稚園を開設し、園長として幼児教育に専念。

▽柴田真師-86年夏から人工透析を始めた。今年3月、本郷教会主任を辞したが、同教会附属の聖ペトロ幼稚園々長として活躍中。

▽小松茂師-49年~58年留学。帰国後、南山大学で教鞭をとり、79年からは非常勤講師として研学の道にある。

司祭異動

○注( )内は前任務

本郷教会主任 関戸順一師(本郷教会助任)

大森教会主任 徳川泰国師(教区事務局長)

福生教会主任 山根克則師(横浜教区出向中)

上野教会主任 杉田栄次郎師(大森教会主任)

足立教会主任 C・フラガ師(下井草教会助任)

初台教会主任 P・ロジェ師(大阪・吹田教会助任)

関口教会助任 久富達雄師(カトリックセンター)

麹町教会助任 朝川徹師

麹町教会助任 I・リバス師

豊島教会助任 A・コックス師(横浜・茅ヶ崎教会助任)

吉祥寺教会助任 R・キサラ師(南山大学)

田園調布教会助任 菊池勝師(瀬田分教会担当)

泉町教会担当 岩子龍男師(築地教会助任)

瀬田分教会担当 山辺剛師

ムーブメント指導 川村_司師(関口教会助任)

大司教館付 深水正勝師(真生会館長)

大司教館付 本多清次師

真生会館長 森一弘補佐司教

真生会館付 M・ル・ドールズ師(上野教会主任)

足立分教会担当 塚本伊和男師

新司祭

大森教会助任 佐藤敦俊師

立川教会助任 岡本昇師

柏教会助任 晴佐久昌英師

洗足教会助任 秋保真理夫師

八王子教会助任 安次嶺晴実師

聖木曜日、カテドラルで。

認定式

M・アウグスチノ 余語久則
P・テレジオ 古賀正典
B・ヨハネ 五十嵐秀和

宣教奉仕者

アンドレア 高木賢一

教会奉仕者

ルカ 江部純一

ポナベントゥラ 加藤英雄

霊園が増区画

五日市霊園管理事務所では、墓地を増やし、自由に求められるようにとの教区民の要望に応えて、霊園の山頂部約1万平方メートル(3000坪)を切り開き、新しく700区画を造った。

現地は奥多摩の山なみの最後の丘陵で、ここから南一面に武蔵野の平野が始まる。従って日照、眺望ともに大変よい東南向きの台地で、晴れた日には新宿の高層ビルも望める。また墓地の傍まで乗り入れできる自動車道と大駐車場も完備している。

都では適地の入手難と地価の高騰によって、85年から都営墓地の新設を中止し、以後の供給は一切民間に任せることにしてきた。こうした情勢下で五日市霊園はいま空きがたくさんあるため、教会共有を始め個人の墓地を選ぶのに最適という。この墓地は、埋葬のための永久使用権として土地で渡しているので、必要の生じるまでそのままにしておいても、また自由なデザインで墓碑を造ることもできる。ただし土葬は都条例で禁止されている。価格は一区画(3平方メートル)35万円から60万円までである。

墓地は一家にとって、いつかは必要となる施設、思い立った時を機会として一度現地を視察し、検討されるよう同管理事務所では望んでいる。

-月刊誌-
手づくりの教会(編集責任・森一弘)

○教会を愛する人々のための、意見や情報交換の雑誌。

一部300円。年3,600円
申込先 聖心会 林香枝子
〒108港区白金4-11-1(電442-3174)

「岩手靖国訴訟」判決に対する声明

去る3月5日、盛岡地裁は「玉ぐし料」「靖国公式参拝決議」両訴訟について、いずれも合憲の判決を言い渡した。特に決議訴訟では「公式参拝」そのものの合違憲問題にも踏み込み、「国の行事」としての首相の公式参拝は違憲としながらも、個人としての公式参拝は憲法に違反しないとして、公的資格での靖国神社参拝は「合憲」との見解を示し、事実上、首相の行った「公式参拝」を追認した。

「靖国神社公式参拝」では、司教団も1985年8月、首相に要望書を送り、憲法の基本理念にそむくものとして反対を表明していたが、この度の司法の判断はこれにまっこうから反するものである。司教団の意を体し、この問題で反対をつづけてきた正義と平和協議会靖国委員会、東京教区靖国問題実行委員会は、今回の判決を甚だ遺憾とし、何らかの対処が必要だとの点で合意、右のような声明文を出した。「岩手靖国訴訟」判決に対する声明

靖国神社に対し、岩手県が県費から玉ぐし料を出したことと、県議会が首相らの同神社公式参拝を求める決議をしたことは、憲法に違反するとして起こされたいわゆる「岩手靖国訴訟」で、盛岡地裁は3月5日、いずれも合憲との判断を下した。これまで、靖国神社国家護持、首相の同神社公式参拝は憲法の基本理念にそむくとして反対してきた私たちにとって、これはまことに残念な判決である。

靖国神社は一般戦没者とともに先の大戦の指導者を合祀した明白な宗教上の組織である。そこでの玉ぐし料奉納は、神道儀式の中核的な意味を持っており、それを判決のごとく死者への弔問や香華料の贈呈と同一視し、社交儀礼上の寄付だとするのは、宗教への一方的評価というほかない。

判決はまた首相らの公式参拝について、「公人、私人は不可分である」とし、「思想及び良心の自由、信教の自由のごときは天賦人権の最たるものであって、国家に優先することは何人も否定しえず、公人たることによって制限されることは許されない」と積極的に是認する。日常の社会生活にあって公私の区別をしている常識に反するばかりでなく、政教分離の原則を無意味化させる奇妙な論理である。

玉ぐし料が公費から支出され、首相らが公式参拝するとき、靖国神社は公の特別な神社となり、やがて政教分離は崩れてゆく。わが国の憲法が信教の自由を基本的人権として保障し、その保障を充分に確保するために政教分離の原則を定めたのは、国家神道が超国家主義、軍国主義の精神的支柱となったことへの反省に根ざしている。内心の自由は「国家に優先する」からこそ、国や地方自治体などの公権力は、個人の心の世界に介入することを避けるべきなのであり、そこに政教分離原則の精神がある。

ときあたかも最高裁は、殉職自衛官を遺族である妻に無断で護国神社に合祀することが、信教の自由や政教分離原則に違反しないかという訴訟について、大法廷で裁判官全員で審議することを決めた。

盛岡地裁判決のいうとおり、思想及び良心の自由、信教の自由は「天賦人権の最たるもの」である。そしてその人権が政治権力によって侵害されたこともわが国の貴重な歴史の事実である。基本的人権の擁護を求める市民の訴えに対し、司法が憲法の基本理念にそって判断することを心から希求する。

1987年4月7日

日本カトリック正義と平和協議会靖国委員会

東京大司教区靖国問題実行委員会

難民定住相互扶助制度

ご協力をお願いいたします

難民定住推進部

この制度は-

○日本で生活を希望する難民の方々が、安定し幸せな生活を営むことが出来るように助ける制度です。
○東京教区信徒のみなさんからの拠金(献金・寄付等)によってつくられる基金で運用されます。
○カトリック東京大司教区難民定住推進部のもとで、難民定住相互扶助基金運営委員会が運用いたします。
○1987年、4月より、活動を開始いたします。

ご協力をお願いいたします

▽問い合わせ

高円寺教会・寺西英夫神父 電314-5688
大司教区・難民定住推進部 電943-2301

▽寄金振込先
太陽神戸銀行高円寺支店 (普)3207900 定住推進部 相互扶助基金 代表者・寺西英夫