お知らせ

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東京教区ニュース第47号

1983年12月01日

ようこそ 再び東京へ

ケルン教区長・大司教 ヨゼフ・へフナー枢機卿
大司教区総代理 ノルベルト・フェルドホフ
ケルン教区世界宣教室長 ヘルベルト・ミヘル
司教協議会財財務責任者 エドガー・パンホルツァー

聖年ミサ
ケルンと心合わせて
ヘフナー枢機卿かこみ

教区は12月4日午前10時から、カテドラルで、姉妹関係にあるケルン大司教区のへフナー枢機卿を囲んで、教区としての聖年のミサを献げた。はじめこのミサは、特別翌年の結びである来年の復活祭に―の声もあったが、ブロックの希望などもきき、同枢機卿来日の折りとなったもの。聖年のミサであるが、ケルン教区への感謝もミサの意向に加わった。この日国電目白駅と飯田橋駅からカテドラルにむけて、いくつかのグループで巡礼も行なわれた。また各教会や修道院でもミサは聖年の意向をもって献げられた。なお、来年1月最後の日曜日ケルン・デーはそのまま残る。

駅から巡礼も

ミサは午前10時、入祭の歌の中を枢機卿、大司教、司式司祭団の入堂をもってはじまった。式文は日本語。説教はドイツ語で通訳つき。叙唱、奉献文はラテン語。
はじめに白柳大司教が入祭の挨拶、「神のあわれみを願うとともに、行動的な信仰を培うよう」にと述べた。第一朗読は信徒、第二朗読は修道女代表。枢機卿は説教でとくに洗礼者ヨハネについてのべ、神の御声をきくためには、耳の静けさもさることながら、心の静けさこそ大切であることを強調した。また公の場でキリストを証しすることの重要性をも力説した。

共同祈願は、ブロック、修道会、ケルン教区の代表で、献金は、邦人司祭育成のため。
ミサにつづき、枢機卿歓迎とケルン教区への感謝のための集りがあり、まず白柳誠一大司教が挨拶し、次のように述べた。「枢機卿はドイツ司教協議会の会長でもある。最近はヨーロッパの中型核兵器の配置の問題をめぐって、すばらしい声明を出し、戦争の危機と平和への強い訴えかけをした。仕事の忙しさにもかかわらず、私共の小さな教会を訪問して下さり、ケルン、東京両教区の友情を深めて下さったことに厚<お礼申し上げたい。私どもは、ケルン教区の兄弟たちの力に支えられながら、この極東の地で、キリストの福音をより深く、より広く宣べつたえるためにさらに努力を重ねてゆく決意である。」

つぎに松井榔伸夫氏(関口)が教区信徒を代表して感謝のことばを述べた。「枢機卿さまの言葉により、私たちは東京の喧噪の中においても、静かに神の言葉に耳を傾け、主の御教えに従って愛の実践に励んでゆこうという決意を新たにすることができた。第二次世界大戦で東京が廃墟と化し物質的に困窮しているとき、ケルンもまた戦争の傷手で苦しんでいた。にもかかわらず、自分の事を二の次にして東京に援助の手をさしのべて下さったケルンの方がたから、キリストの愛の実践の模範を示された」

つづいて枢機卿をはじめ一行に花束と贈物の贈呈。割れるような拍手。最後に枢機卿が挨拶「東京とケルンの友情の橋渡しが、世界の平和をもたらすものとなるように」とのべた。

退堂後、庭で、関口教会の青年が餅つきを披露、婦人会のおでん、甘酒、お茶などの接待や販売などもあって、枢機卿を囲み楽しい一時を過した。なおこの日、関口教会信徒会館の祝別も同枢機卿の手で行なわれた。

シスター大活躍

【聖年のミサ実行委員】
関口教会(森一弘、関戸順一)
典礼委員会(新垣壬敏、金井久)
布教司牧協議会(村岡昌和)
教区事務局(全員)
▽ミサ解説・金井久
▽先唱・関戸順一
▽聖歌・新垣壬敏
▽説教通訳・百瀬文晃(イエズス会)
▽第一朗読(イザヤの預言)・相馬靖雄(関口)
▽第二朗読(使徒パウロのコリントの教会への手紙)・Sr.鶴野篤子(コングレガシオン・ド・ノートルダム)
▽福音(マタイによる福音)・坂倉恵二(助祭)
▽共同祈願・ブロック―浅井得二(中央)矢作健之助(城東)渡部真(城南)前島国夫(城北)横山昇一(武蔵野)井上ゆり子(多摩) 村田増雄(千葉)修道会-Sr.戸田和子(エスコラピアス修道女会)ケルン教区―ノルベルト・フェルドホフ
▽受付、交通整理・布教司牧協議会―杉浦茂(中央)石垣ちか(城東)岡田啓一、堀尾卓司(城西)小林又三郎(城北)一藤甫、西野良明、藤原早苗(武蔵野)金沢恂(使徒職団体)福川正三(事務局)
▽献金、場内整備・関口教会信徒有志
▽聴罪司祭・志村辰弥、荒井金蔵(カテドラル付)
▽巡礼グループ誘導・目白駅―聖ドミニコの宣教修道女会、フォコラーレ、関口教会青年飯田橋駅―シャルトル聖パウロ修道女会、援助修道会、関口教会青年
▽巡礼のいのり・ロザリオ(苦しみの玄義)聖歌(あめのきさき)
▽ポスター・関口教会
▽式次第パンフレット・恵文社
▽駐車場・含椿山荘。

平和へのかけ橋に

敬愛する大司教さま、

愛する兄弟姉妹の皆さん、50年前、東京とケルンの両教区の間に橋わたしがされ、その橋の上でたくさんの往来がなされました。司教様や、司祭方をはじめ、シスターたちや学生たちがケルンにいらっしゃったこともあります。ここで往来するものは商品とか、核兵器とかいうものではなく、愛と友情でありました。

橋の両端は東京とケルンのカテドラルでありますが、この2つには両方とも上に向ってとんがっているという共通点があります。私たちは友情の印に、ケルンから1つの贈り物をもって参りました。ケルン芸術家によってつくられた、手づくりのカリスです。

東京とケルンとのいっそうの橋わたしとして、今までたくさんの方がいらっしゃったように、これからも皆さんがケルンにいらっしゃることを期待しております。私たちの橋わたしが、ただ単に私たちの間だけのそれではなくて、世界の平和をもたらすものとなるよう、とくに北京とモスクウとワシントンを結ぶような橋わたしにもなるように。

ケルン教区大司教・枢機卿ヨゼフ・へフナー

第3回ビルマ・デー開く

教区は11月20日、本年のビルマ・デーの催しとして、カトリック・センターで「講演と写真展」を開いた。参加者は約30名。11月の第3日曜日をビルマ・デーと決めての教区行事としてはまことにさびしいものであった。 カテドラルで「ビルマのためにささげるミサ」を行なったあと、午後1時から岡野利男神父(教区事務局)が「ビルマの教会」について説明、2回のビルマ訪問で見聞したことを中心に話した。内容はすでにいろいろな機会に話されたり、書かれたりしたもので、いささか旧聞に属するものであったが、現在の状況も大差ないものであろう。

(1)ビルマ司教団としては、召命のための援助を特に希望する。
(2)司祭は少ないが、多くの修道者やカテキスタが助けている。
(3)神学校入学希望者は年毎に増加している。将来の希望の星
(4)人口の2%がキリスト教(新旧半々)。日本の0.4%に比せ。
(5)小金でもビルマにゆくと価値がある。教会施設建築費易い。

つづいて行なわれたスライド上映は、同神父がビルマ視察の際撮影したもの。

つぎはラングーン駐在18年半の体験をもつ千田忠美氏(ニチメン株式会社業務本部)の「ビルマの現状と将来」と題する講演で、ビルマ委員会が本日の目玉として企画したもの。「この人の前では、絶対にビルマの悪口を言わぬこと」といわれるだけあって親愛の情をこめ、しかも客観的にビルマを紹介した。

また、この日センター・ロビーにおいては岩橋淳一神父(高輪)が、ビルマ訪問の際撮影した写真を展示し、民芸品を並べたり、ビルマの音楽を流したりして、主催側は雰囲気を出すのに懸命であった。

なお、当日は各教会、修道院でもビルマ・デーの意向で祈りと献金を献げた。

その現状

ビルマは知られざる国、貧しい国とかいろいろ表現されるが理解されるところが少ない。1948年に独立国となったが、1世紀にわたる植民地のため、精神的に誇り高いものが失なわれた。政府は政界、財界、宗教界の有識者たちを集め、ビルマの進むべき方向をきめた。いわゆる「ビルマ式社会主義」である。

要は綱領にも明記しているように、ビルマ人のための、ビルマ人による理想的社会主義国家の建設―につきる。貧富の差を無くし労働の対価を公平に受けられるとしており、この理想に到達するには、たび重なる試行錯誤、そして時間をかけることは厭わないというのが、ビルマ政府要人のきまり文句ともなっている。

ビルマを訪れる人びとから、ビルマの社会主義は、極左のむしろ共産主義に近いものではないかとの疑問がよく投げかけられる。空港における厳重な入国審査、さらに小1時間を要する煩雑な通関手続きを、やっとの思いで終りホテルにたどりつくなり、支配人からウエイターまでが全員国家公務員であることを知り驚かされる。ラングーンの中心街でやたらに目につく映画館も全部国営、ビルマ文字で書かれている看板のため読めないが、店のほとんどが国営商店とくれば、そのような錯覚におちいるのも無理はない。仕事で政府官庁を訪れると、会議室に必ず飾ってあるのが、建国時の指導者と党首の写真である。従ってこういう質問に対しては、逆にビルマ政府が、共産党を非合法化している事実を示すことにしている。

ビルマ社会主義は、制度こそ中国、東欧圏諸国に準拠しているが、その実態は、非ビルマ人資本家階級の圧迫と、追出しを目的とするためのもの、すなわち民族主義である。ビルマ式社会主義というよりも「ビルマにとって最も適した社会主義へ到達するためのビルマ式アプローチ」とでも言うのだろうか。

ユニークな外交
ビルマは建国以来、非同盟、厳正中立を標傍し、ネ・ウイン政権発足後は特にこの政策を鮮明にしてきた。ASEAN加入への勧誘、あるいはASEAN外相会議へのオブザーバー国としての参加要請などをことごとく固辞、あげくの果てには、先のキューバでの非同盟諸国会議では、ソ連・キューバの態度が不鮮明・不公平であるとして脱退を強行、1983年、インドで開催された会議に先立ち、ガンジー首相から受けた再度にわたる再加入、会議出席への要請にも頑として応じなかった。

ビルマは、中国、タイ、ラオス、インド、バングラデシュ等5カ国と国境を接しているが、このいずれとも政治的には等距離外交政策をとっている。政治的紐付の匂いの少しでもする経済協刀は一切受入れないとするのが従来からの方針で、これは今なお、いささかの変更、修正もない。米・ソ・中等大国に対しても同様であり、東欧諸国、ひいてはベトナムなどとも良好な外交関係を保っていることにも注目すべきである。

1981年の後半から、ビルマ経済は急激な行きづまりを見せはじめてきた。経済規模が小さいことおよび通常貿易の親模と非合法国境貿易の規模とが、ほぼ均衡するといわれるビルマ経済の特殊な仕組みと、国内の生産、流通が厳しい国家統制下にある点から、世界不況の波が一足も二足も遅れてビルマを見舞った。外貨手取りは減少し、さらにこの年からはビルマの対外債務償還が開始されたため、保有外貨は独立後はじめて4000万ドルを割り込んだと推測されている。

ビルマ政府は、この事態をきわめて憂慮し、徹底した輸入制限を実施する傍ら、借款供与国に対し緊急商品援助借款の増額供与を要請し、併せて、外資導入方策の検討に入った。しかしながら、ビルマ政府経済関係幹部の表情からは、それほどの深刻さは感じられない。建国以来ビルマは、外国より受けた借款については、いかなる事態に立至ろうとも、その償還期限に遅れたり、不払とした事例は皆無であった。対外的に信用を博しているという絶対の自信が、この苦境切り抜けに役立ち、諸外国、国際金融機関より有利な条件での借款引き出しの成功を確信させているということかも知れない。

わが国との関係

両国間の関係は、活発な政府間の人事交流、密接な同国幹部間の意志疎通、圧倒的に他国を引離している経済協力の質と量などから、戦後ではピークに近い良好さにあることは疑問の余地がない。しかしながら、なにごとにつけ、政治優先のお国柄であることや、ビルマ人の国民性がきわめて誇り高く、思慮深いものであり、相互扶助精神にもとづき、相手の立場を考え察したうえでことを処すという特質-小乗仏教が日常生活と表裏一体となっている-を持ちすぎているだけに、われわれが、深く考えもせず不用意に発した言葉や、示した態度が、ビルマ人の自尊心を深く傷つけ、一瞬にして逆となる危険性が常に存在することは、十分自覚しなければならない。

相互に察し、察せられつつ、どちらか片方の利益のためではなく、お互の利益のために良いと思ったことは積極的に実行に移すことこそ、ビルマとの関係では最も肝要であると考える。

国名・ビルマ連邦社会主義共和国
面積・約67万8000平方キロメートル
気候・暑季(2月下旬~5月中旬)雨季(5月下旬~10月中旬)涼季(10月下旬~2月中旬)に分れる
人口3,291万人
宗教・仏教85%、回教4%
国民総生産・51億4千ドル
平均寿命・男48才女51才

友好30年

【写真説明】
左上 関口信徒会館を祝別する枢機卿
左下 目白通りを歩く巡礼者
中下 聖体をさずけるケルン総代理

難民定住は日本語から

教区難民定住推進部は11月12日、四谷・雙葉学園同窓会ホールで「第2回東京教区難民定住対策小教区担当者連絡会」をひらいた。参加者約60名。第1回の総論的な内容をふまえ、今回は「難民に対する日本語教育の実際」をテーマとした。

会の初め内山賢次郎神父(難民定住推進部長)が挨拶、「難民に対する日本語教育の問題は先般ひらかれた難民定住カトリック全国対策特別委員会の会合でもおもな議題となった。定住対策上の問題は場所によってさまざまであるが『日本語』は地域をこえた重要にして緊急な課題である。束京教区の担当司祭団としてもこれをうけ、第2回の担当者連絡会で『日本語』をあつかうことを決めた」と述べた。

主催者側では、何よりも実際に白本語を教えたことのある人から話をきくことが手はじめであるとし、この仕事にはやくからたづさわっていた吉祥寺教会の栃折愛介氏から「難民に対する日本語教育について」、同じく吉祥寺教会の、現在国際救援センターで奉仕している時本美穂さんから「難民の方がたに日本語を教えて」と題して、夫ぞれ体験談をきくことにした。

現在11人もの難民を預かっている吉祥寺教会では、それだけに早くから難民援助のための諸対策にとり組んでいるが、日本語教師の養成にも積極的で、既に3,40名が活動しているという。目本語教師の養成所としては、上智大学の日本語学校、新宿日本語学校、千駄ヶ谷日本語教育研究所、朝日カルチュアセンターなどがある。

日本語教師養成については、教区ぐるみでこれを援助したらとの話も出ているが、経費などの関係もあって検討中である。推進部としてはとりあえず希望状況ともにらみあわせて、教区内2~3ヶ所ぐらいで、講師を招くなどし、初歩的な教育をうける便宜をはかりたいとしている。希望者はひとまづ担当者まで連絡のこと。

終りに、各小教区から、それぞれの教会で具体的にどのような活動をはじめているかについて説明があった。

▽求めています (11・28現)
(1)2人の女性(1人は信者)が三河島に住居は見つかったが職がみつからない。
(2)3人家族で大森のプラスチック工場に就職できそうだが住む家がない。
(3)8人の家族で家も職もない。
(4)2人の信者の女性で、行徳に職住ともに確保できそうなので相談相手が欲しい。

◇連絡先・粕谷甲一神父(国際救援センター特別顧問、教区難民定住推進部員)
〒114品川区八潮3-2-1電話・799-1001

▽おことわり・難民定住推進部では独自に「難民定住推進ニュース」を発行しています。記事は申し合わせにより一部重複。

まず教師養成
栃折愛介氏

(1)難民に日本語を教えてくれるところがあるだろうかということで、東京中の日本語 学校を廻った。
上智大学の日本語学校は特に難民に対し好意的だった。
(2)しかし働きながら通学するのは困難なため、定住者の自宅や教会の1室-という ことになりボランティアをつのった。
(3)日本語を教えるということは指導の方法を全く知らない素人にとっては相当むづ かしいことである。教え方を早く習得せねばと思い、日本語教授法の養成講座を 開いて貰ったりした。
(4)日本語を教えていて感ずることは、ただ日本語だけを教えていればよい-という ものではないということだ。職場の労働問題、住宅・健康・結婚などの問題で相談 相手になることが必要で、そのため経験者や専門家などに頼んで顧問団のような ものをつくり、適任者に行ってもらうようにしている。
(5)吉祥寺教会では、カンボジア人が多いため、漢字の説明カードをつくったり、カン ボジア語辞典をつくったりしている。

風習も一緒に
時本美穂さん

(1)難民に日本語を教えはじめたのは3年ほど前であるが、最初は経験者と相談しながらやっていた。やはり専門的な知識をもった人から教え方を教えて貰った方がいいということで、千駄ヶ谷の日本語教育研究所にかよい、3ヶ月の日本語教育講座をうけた。
(2)センターでうける日本語教育であるが、何んといっても13週間、3ヶ月のことであるし、そのあと家族で話すのはやはり母国語であるため、習得がおぼつかないわけである。
(3)個々の単語もわかるし、かなりむづかしい文型も学ぶが、会話の機会がないので育たない。
(4)例を1つ-センターを出るときには、しばらく働けば月給制になるから、といわれて出たのであるが、いつまでも日給制であることに不満を抱いた。そこでは日給月給といって一番ポピュラーのやり方だったのであるが-。話をきいて見ると、センターの方では早く出て欲しいから、そのうちに月給制になるだろうとあいまいなことを言い、企業の側でも、がんばれば月給にするというようなことを言ったらしい。難民にして見ればがんばったつもりなのになかなか月給にならなかったのでいやになってやめてしまった。難民を雇用するのは大企業ではなく、大てい小さな工場とか商店であり、そういう所は口約束が多いため、いっそう言葉のもつ微妙なニュアンスが大切になるわけである。
(5)子供が学校に行っても学力でついてゆけないので、家庭教師が必要になる。日 本語を数える傍ら、他の勉強も見てやるのだが、とくに算数などは、数の概念が頭に入る時期に学校へ行っていないため、簡単な足し算、引き算ができない。
(6)日本語を単に言葉として教えるだけでは不足である。日本の風俗、習慣を併せて教えなければ、言葉を正しい状況で正しく使うことはできない。とくに問題なのは物の考え方の相達である。彼らには彼らなりの考えがあってやっているのだろうけれども、それがそのまま日本の社会で通用するわけではない。日本語を教えながらそのあたりを互に話し合って、説明できる友だちとしてつき合ってゆくことこそ肝要である。

【布司協議事要旨】
◇第4回(10月15日)
1、聖年のミサ
2、東京教区一粒会会則改正案 現状にあわせたものとして今回改正案を作成した。10月16日の総会で決る予定。委員推薦のすんでない教会は至急推薦を。
3、教区組織検討会同委員会 従来「小委員」と称していたものを合同委員会と改称。司祭評代表と合同で審義を行なってきたが、9月12日の会合でワーキング・グループ(小委員会)をつくった。新教会法発布にあたり、その内答に抵触しないよう考えたいとの希望あり。
4、難民定住推進部
(1)9月10日「難民定住対策小教区担当者の集い」開催。
(2)第2回会合を11月12日(土)午後6時半から雙葉同窓会ホールで行なう。
内容は「難民のための日本語教育」。なおこの集まりの名称を「難民定住対策小 教区担当者連絡会」とする。
(3)担当者の決定しているのは、44小数区、1分教会(60%)
(4)「難民定住推進ニュース」発行の予定。今のところ不定期。
(5)基金づくりについてブロックや小教区等で検討してほしい。
5、福祉部活動と部員補充報告
(1)活動-福祉諸団体との話し合い、障害者を含む有志の人々の集い、カリタス・ ジャパンとの協力活動、カリタスの家と小教区の窓口、アンケート調査等。
(2)部員補充-岡由紀子氏萎嘱。
6、平和旬間実行委員会 委員を2回続けることを運営委から要請。
次回までに相談。

◇第5回(12月11日)
1、教区組織検討合同委員会 新教会法により、布司協が司教の諮問機関という事
を確認。次回代議員会では中間報告を行ない、結論は次々回にのばす。組織問
題についてアンケートを布司協としてブロック全議員に対して行なう。
2、難民定住推進部報告ならびに布司協とのつながりについて
(1)9月10日-小教区担当者約60名で話し合い。
(2)11月12日-約60名参加。各教会の報告。日本語教育について講話を
きく。46教会の担当者。推進部と布司協・ブロックがわかれてしまった感があ
る。推進部から担当者に連絡が行くだけなので、ブロック会議で話題にできな
い。担当者と布司協・ブロックと両方でやった方が協力できる。推進部から担当
への線は能率的であり、すべてを布司協にというと活動が止ってしまう。しかし布
司協の線も利用するようにしたい。ブロックに担当者をつくることを考えたら。
3、代議員会について日時1984年3月20日(火)10時~16時半。
場所・カテドラル、センター、関口信徒会館。
議題・教区組織検討会同委員会中間報告、難民定住問題についての分科会。
開催までの予定・活動報告提出期限(1月20日)議案提出期限(1月31日)
予算審議(2月2日)決算審議(5月4日)代議員名簿提出期限(5月8日)
代議員・小教区(司祭1名、信徒2~5名)他母体(1名)。
分科会では活動報告と問題点を出し合う。意見のまとめは推進部が行なう。
4、典礼委員任期延長の件 諸式文を検討中で印刷は来年秋頃。従って任期を1年
延長。
5、信徒使徒職協議会 教区大会まで存在したこの組織が、その後凍結したのか解
散したのか問題になったが、10月14日、土屋、鈴木、津賀、福川の四氏が大
司教に面会。
決算書を出し解散が明らかになった。

教区メモ
(1)東京教区一粒会会則抜粋。第3条 本会は邦人司祭および修道者の召命促進のため、教区民の意識を帯め精神的物質的援助の共同責任をつちかうことを目的とする。第5条 会長には東京大司教があたり、会員は教区民全員とする。
(2)ビジョンの会小委員会では、教区組織について、教会委員に対してアンケートを行なった。
(3)城南ブロックは、関口信徒会館落成にあたり、障害者用トイレとして100万円を寄付。
(4)第7回小数区報担当者の集い2月5日(日)14時センター小数区報の性格・製作・予算等。
(5)信徒使徒職担当委から。1月14日~15日全国会議開催。
(6)来年の平和祈願祭8月11日。

「公式参拝」で新見解

首相、閣僚の靖国神社公式参拝は、政教分離を定めた暦法20条との関連で違憲論議があり、政府は1980年11月に「政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、違憲ではないかとの疑いを否定できない」との統一見解を出し、現在でもこの立場を変えていない。

しかし首相らの靖国参拝は、これまでなし崩し的に恒例化、特に中曽根首相は今年4月の同神社例大祭に「内閣総理大臣たる中曽根康弘」として参拝し、次第に公式参拝色が強まっていた。

この秋、レーガン米大統領が訪日した際、大統領の「靖国参拝」がその突破口として利用され、それと合わせて首相の「公式参拝」の実現がねらわれるのではないかと懸念されたのであるが、米国側がわが国の宗教と国家に関する特別な事情について正しい認識を持たれ事なきを得た。

白柳誠一東京大司教と相馬信夫・名古屋、浜尾文郎・横浜両司教も、大統領あてに、訪日中には靖国神社に参拝しないようにとの書簡を「日本カトリック正義と平和協議会」の名で送ったが、これに対し、駐日米大使から「ご要請は十二分に配慮されるであろう」という趣旨の回答が寄せられたという。

本年7月、中曽根首相は、首相、閣僚の靖国神社公式参拝問題について、白民党に対し「公式参拝合憲論」を根拠づけるよう指示した。これをうけ、同党は、党政調内閣部会の靖国問題小委員会で検討をかさねてきたが、11月15日「見解」がまとまり、同内閣部会についで党政策審議会にも報告し、了承された。今後は総務会の決定を経たのち党の正式見解となり、政府に伝えられる段取りだが、これで従来の政府見解を変えさせたいとしている。しかし思わぬ保革伯仲で、そうスイスイゆくかどうか? 「見解」は一歩ふみ出したもので要旨は(1)公的機関が慰霊、表敬などの目的で神社、寺院で礼拝などを行なっても憲法が禁止する宗教活動にはあたらない。その際の玉ぐし料を公費で負担しても違憲ではない(2)首相が時に靖国神社を訪れるのは当然で、内閣総理大臣と記帳しての参拝は、公人としての公的参拝である、など。だが(1)津地鎮祭判決は、1965年津市における一回限りの神式地鎮祭にたいする判決であり、恒例的に総理大臣によって行なわれる靖国公式参拝に援用することはゆるされない。(2)教育基本法、日本国憲法における宗教的活動は「特定の宗教のための(宗派活動)」であるとする理解は、「神社非宗教」の前提に立つものである。(3)公的機関が慰霊・「慶祝等」を、神社・「寺院等」で行い、玉串料・「香華料等」を公費で負担することを合憲としているが、これは諸宗教に違憲状況を拡散することによって靖国「神社」公式参拝の煙幕としようとするものである。(4)神道指令は日本国憲法第20・89条に生きている。(5)神道(シントー)は日本の市民宗教(シビル・レリジョン)という主張に立っている。微妙な言葉づかいに注意。祭る「ところ」 (「神社」をさける)、神社を「訪れる」 (「参拝」をさける)。重大な点は「内閣総理大臣と記帳しての参拝が公的参拝とうけとめられる」。しかも、「閣議決定」はあえて望まない、と。もっとも少ない抵抗によって完成される公式参拝への道と見られる。