お知らせ

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東京教区ニュース第42号

1982年07月01日

合同祈祷集会 -反核・平和の叫び- 教派を超えカテドラルに結集

日本カトリック正義と平和協議会、日本キリスト教協議会は5月30日、カテドラルで「反核・平和を願うキリスト者合同祈祷集会」を開いた。カトリック側としては、特に正平協東京メンバーば、これを本年の教区代議員会提案の一つ「平和行事を教区として実施しよう」の具現にも準ずるものとして捉え、横浜・浦和両教区にもび呼かけていた。このため正平協担当・相馬信夫名古屋司教の他、白柳誠一東京大司教、島本要浦和司教も参加、約1500人が集まり、講演、祈り、キャンドル行列で反核・平和を訴えた。

会は午後4時15分、反核のうたで始まった。ゴダイゴなどの英語の作詞家・奈良橋陽子氏がこの集まりのために作ったもの。開会にあたり、NCC総幹事・東海林勤氏は「平和を築く論を日本に、世界に広げるために我われを支えて下さい」と祈った。続いてこの催しのおもな世話役である深水正勝神父から、講演者と説教者の紹介があった。
まずフィリップ・ヤオ神父。ベラウ共和国(パラオ)で、世界初の反核憲法制定に大きな役割を果した人である。同神父は太平洋を反核平和の海に-と、以下のように述べた。

核のゴミごめん

「パラオ諸島は38年間、日本の司政権下にあった所だ。太平洋諸島は自然の恵みで祝福され、自然が全てを与えてくれる。自然が生きることと直接結びついているのである。
したがって、自然を破壊することは生命を奪うことなのである。我われは自然を守るために力を注ぎ、太平洋を平和の海に、核のない海にすることを願い、反核憲法を作った」
しかし、今2つの危機がある。その1つはアメリカの軍事基地の建設である。太平洋の島々は敵をもっていないのに、なぜ大国の安全保障や軍事上の理由で、死の渕に引きずり込まれるのだろうか?
2つ目は太平洋の核化である。アメリカのビキニ諸島、フランスのモルロア環礁での核実験で多くの住民が被害を受けた。そして、日本は核のゴミを捨てに来ようとしている。
ほんとうに安全なら東京湾に捨ててもいいはずだ。安全でないなら、なぜ隣人の庭に捨てに来るのか。核の被害者の日本が、加害者となって現われるのか。
しかし我われは希望を見い出している。さまざまな立場の人が、少数者、虐げられた者の声を聞く姿勢で集まってくれた。我われは手を結び合い、神の導きで平和と正義の世に変えて行けると信じている。聖霊降臨の主日にこのような集りが開かれたのは大きな意義がある。正義と平和のための連帯を保ち、更に広げてゆきたい。
続いて市川定夫埼玉大教授。ムラサキツユクサを用いた体内被爆線の測定で有名な人で、放射能の恐ろしさを訴えた(別記)。最後は行宗一氏。カトリック正義と平和協議会のメンバー、日本原水爆被害者団体協議会の顧問である。体験者としては変った話。

行動は悔俊から

「被爆者はふつう自分の体験の実態を語ることによって反核・平和を訴えるものだが、私はあえてそれを話さない。なぜなら自分のような軽い被害を広島・長崎の被害だと思ってもらっては困るし、その当時の原爆は初歩的のもので現在の原爆の被害を語るには足りぬからだ。被爆の話は、原爆が人間に対して何をしたか?にかたより勝ちだが、人間が原爆に対して何をしたか?の視点こそ今日のために大切である。
日本は敗戦まぎわ、降伏のきっかけをつくるために原爆が投下されるのをむしろ望んでいたという話もある。アメリカも第二次世界大戦後の勢力範囲をかちとるために、原爆を実戦でためしてみるために投下したのだという。被爆者こそよいつらの皮だ。私学技術の進歩は、しばしば人間が世界を征服できるのではないかと錯覚させる。核兵器をもてば、それを使用して威力をためそうとする。真の知意から出る抑制力が大切だ」
祈りと聖書朗読の後、李仁夏牧師が説教、聖書は平和実現のために行動することを教えていると次のようにのべた。
「巨大な軍事化の動きは、我われを時として無気力にさせるが、しかし一方、世界の辺境から、底辺から平和の声がわき上っているのを知れば気力は充実する。しかしこれが単に第二回国連軍縮特別総会をめざしてのものだけに終わるならば風船のようではないか。平和の追及を、時宣を得ても得なくても、恒久的なものとしなげればならない。
聖霊降臨の主日に平和のための集会がひらかれるのは偶然ではない。聖霊に満されたこの日、使徒は平和を宣べ伝えに出かげて行った。神にさからい、互に憎しみによって散らされているものは、聖霊の愛によってでなければ集めることはできない。戦争のない状態だけでなく、神の支配される国を築くことが求められている。
巨大な軍拡競争の背景に南北問題、貧富の差を見なければならない。軍拡は貧しい人びとを作り出している。富める国の反核連動はまず悔い改めから始めなければならない。貧しい人を神とともに放置していることを認め、回心することが出発点である」

手燭デモ行進も

そのあと、第2回国連軍縮特別総会出席者のことばとして、カトリック側からは白柳大司教が、アメリカに行ってデクエヤル国連事務総長に署名簿を渡してきたこと報告、これからアメリカへ行く予定のプロテスタントの関屋綾子氏は「まだ見ぬ飢えた人びとのことをも考え、署名を集めてきた」と語った。
最後にカトリック正義と平和協議会相当・相馬信夫司教が、「反核・平和へのアピール」読み上げ、拍手によって採択された。午後7時半閉会のあと、カテドラルから目白駅まで約2キロ、キャンドル行進をおこなった。日曜日の宵でもあり、歩いた地域の関係で示威効果のほどは今一つだったが、修道女が意外に多く、ローソク片手に「反核・平和」をシュプレヒコールする姿は、デモとしては異色なもので、道行く人びとの強い関心を引き、教会もよい意味で変ったとの印象をあたえた。

-ツユクサは知っている-

「核の平和利用と言うが、すべてが軍事利用からの転換であり、またいつでも軍事利用に戻り得るということを知らねばならない。すなわち原子炉の普及は核拡散につながるものである。現に軍事利用のためのプラトニウムを、商業用のそれをもって補足している。平和利用の名のもとに、人びとは恐怖にさらされている。核を平和と軍事に分けることはできない。
別の恐怖は、両者とも大量の放射能を出すことである。天然にもともと存在する放射能とは全く異なり、ウランの核分裂によってできたものはこわい。それは空気中にはごくわづかしかなくても、体内に入ると、時には数100万倍にも濃縮されるからである。つまり外側の放射能より、体内に入ったものからの影響が大きいのである。
人類が技術を用いる際、進化や適応の法則を忘れていたので、体内被爆などということは思いも及ばなかった。ましてそれを測る計器などはない。原発の周囲などで地面から一定の空間で計測しても無意味だし、それで安全量宣言を出したりするのは無茶である。
少量であっても、体内で蓄積され、そこから被爆し続けるため、晩発性障害が10年、20年たって出てくる。このことは、広島・長崎で、ビキニ環礁で、ネバダの核実換ではっきり確認されている。特にビキニでは安全宣言のために一たん疎開から戻ったあと、全員が放射能障害にかかり再びキリ島に疎開するという悲劇をみた。人工物がこのような形で我われに大影響を与えることを知らなかったのだ。しかし、未だに原発から出る放射能は自然の何分の一しかないから平気だなどと、言っている。

核兵器にせよ、平和利用にせよこれらは差別の上に立っている。ウランの出る地は肥沃ではなく、そこで細々農業をしている人を、ウランが出ると思えばそこから追い出して逆にウラン鉱山で働かせる。肺の中に細片が入る。核廃棄物を太平洋に捨てるのも太平洋諸島の住民に対する差別である」

署名たずさえ国連へ

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、昨年2月来日したおり、広島において力強く平和の呼びかけをおこなった。この平和アピールが、特に日本の地でなされたことに対し、日本カトリック教会はその責任として応えるべく、第2回国連軍縮特別総会が開かれるのを機会に、「核兵器完全禁止と軍縮の実現を要請する署名運動」を展開した。
この運動には約50万人が協力し、世界40カ国から祈りととも2万を上回る署名をもらうことができた。そしてこの署名をたずさえ、5月25日、デクエヤル国連事務総長に会い、手わたした次第である。事務総長は、フォークランド問題などで多忙を極めていたが我々を温くむかえ、我々の主張に真剣に耳を傾け、主旨にそって全力をつくすことを約束した。
また同総長は、同じ信仰をもつものとして、日本カトリック教会のこの運動が大きな励ましと力になること表明し、感謝の意をあらわした。我々は、この運動がアメリカの教会、ひいては全世界の教会に大きな影響を与えることを確信している。総会は6月7日から開かれるが、我々は祈りをもってたすけ、真の平和の実現が一日も早からんことを期したいと思う。
東京教区大司教 白柳誠一

小さな兵士合同堅信

教区は、5月30日(聖霊降臨のの主日)午後2時からカテドラルではじめての合同堅信式を行ない、白柳大司教をはじめとする20人の司祭が共同ミサ、少年少女をおもに約300人が堅信の秘跡をうけた。聖体行列等が見られなくなってから久しく、教区規模での信心の行事を望む声は早くから出ていたがそれがようやく実現したもの。しかし主旨の不徹底さなどから、それぞれの小教区の事情もからんですべての教会が足並を揃えたわけではなく、今後に課題を残した。
大司教は入祭のあいさつで「神から頂く大きな恵みに感謝するとともに、それを無駄にすることなく、同時に頂く指名をも忠実に果すことができるよう祈りたい」と述べた。「聖霊の続唱」が受堅者の気持をひきしめる。「洗礼の約束と更新」のあ、父母に伴われて祭壇前へすすみ自分の名前を告げる。大司教を中心にした6人の司祭は、各受堅者に握手しながら聖香油にひたした右の親指でおのおのの額に十字架のしるしをした。「父の賜物である聖霊の印をうけなさい。」この瞬間、キリストの小さな兵士たちが生れた。

めぐみと使命と

キリストの弟子達は決して特に優れた人ではなかった。深い知恵や強い意志の持主でもなかった。キリストが昇天してからは、弱い小さな集団になってしまった。しかし約束された聖霊を頂くと、彼らの智恵は照らされ、意志は強められ、大群衆の前でキリストを宣言し、世界の果てまで行き福音を伝え、命をも失った。ここに集まった300人の受堅者は、これと同じ恵みと使命を頂くのである。
神は全世界を救うことを望まれるが、そのために我われを道具として使い、計画を実現しようとしている。我われは弱いおろかな道具であるが、神の恵みがあるからこそその使命を果すことができるわけである。我われば、業にうらづけされた言葉によって神の教えを伝えぬばならない。その中で最も大切なものの1つは、いうまでもなく隣人愛である。これによって人びとは、我われがキリストの弟子であることを知るであろう。
今日もう1つ、特に訴えたいのは、現代世界が悩んでいる戦争、、平和をおびやかす動きについて考えて貰いたいということだ。隣人愛を社会的、国際的視点で実践しようとするなら、世界を破滅させる武器の製造等についても重大な関心を持つべきである。愛の反対は、憎しみよりむしろ無関心だ。世界は神の望みと反対の方向に動いている。堅信の意みを無駄にすることなく、動きを行動によって阻止し、神の意志を実現させるよう努力しよう。既に堅信をうけた者もこの機会に固く決心しよう。

声・こえ・コエ

式のまえ

▽神に近づげるような気がする。高3・高野充子(豊島)
▽胸がどきどきする。中2・岡本光弘(亀有)
▽きんちょうしている。中2・吉沢仁(渋谷)
▽神様の兵士になるので嬉しい。小5・川崎恵美(徳田)
▽ただ何んとなく嬉しい。小4・長塚由紀(関口)

式のあと

▽本当の信者になれてよかった。中3・横田勝(関町)
▽教会との結びつきが強まった。中3・渡辺謙(渋谷)
▽一周り大人になったよう。中3・入江香有(築地)
▽神のところへまた近づいた。小5・安藤信将(関口)
▽神様のよい子に-と決心した。小5・野村千佳子(研台)
○入堂後、受堅者を探す代父母!
○5月30日前後の日曜日に受堅?
○合同堅信のあること知らぬ人!
○司教から受けられず不服の人。
○裏口からそそくさの退堂不評。

あした葉

教会広報大会で老人問題の権威、A・デーケン神父の話を聞いた。彼は第3の人生である老年期をいかにすごすかは結局中年期の問題であるといった。準備おさおさ怠らぬよう-ということか。年波の迫る者にはよい示唆となる
▽(1)よりよい自画像を開発する-人間の真の価値は、業績というような機能的なものではなくて、人格的なものであるとの認識をもつ(2)自己受託-自分をあるがままに受け入れること。現在の容姿を見るにしのびないなとというのはダメ(3)潜在能力の開発-新しいことにチャレンジできるではないか
▽(4)余暇の再発見-余暇とは何もしないということではない。神をよりダイナミックに愛せる天国こそ余暇の花形であり、老年はその序曲である(5)退職準備プログラムー各教会でも中年の人に、老いについての問題意識を植えつけよ
▽(6)死への準備教育-勉強なしに人生の1番むずかしい試験である死に直面させるのは残酷というもの(7)ユーモア-心配することを道楽にするな!-ユーモアと笑いは薬である
▽なるほど1つ1つもっともなことだと思うが、結局は良い意味でのつっぱりであろう。しかしつっぱれるうちは花だ。少なくともボケていないことを条件にしているからである。ボケたうえに、足腰が立たなくなり、下の始末まで人手を借りなければできないようになったら、つっぱるどころのさわざではない。周りの人は正直言って早くクタばれば-と願うかも知れない
▽我儘勝手で人にさんざん迷惑をかけて生きてきた者なら、ザマァみろと言いたいところだ。而し当の本人は反省どころか報復の面もりで葬式でも迷惑をかけ、死んだら化けて出て厭がらせきえしかねない。三つ児の魂百までとはよくいったもの。平生の悪い意味でのつっばりは程ほどにしたい。これこそ老年と死への準備ではなかろうか。
(S・A)

核禁祈祷の日 青葉に平和のこだま 言行一致の城東気質

教区城東ブロックは6月6日、都立水元公園で「平和を願う集い」を開いた。これは同ブロック会議の発議・合意にもとづき、教皇の「平和アピール」を想起しながら、緑濃き自然環境のもとに互の幸福をかみしめあい、不幸な人々への愛の不足を反省しつつ、併せて第2回国連軍縮特別総会開会を契機に「真の平和を求めて祈る」こと-、を目的としたもの。なお開催日の6月6日は、司教団が「核兵器禁止祈祷の日」と定めた日であり、白柳大司教もこの計画を強く支持していた。本年の教区代議員会は、同大司教の基調演説をはじめとして、平和運動への意識高揚が目立ち、その実践が望まれていたが、他にさきがけて行動に出た城東ブロックの心意気は高く評価される。会場が都の施設であるためミサは断念せざるを得なかったが、約1000人が心から平和を求めて祈った。

集会はまず中央広場における歌唱指導から始まった。午後1時、実行委員会副委員長・杉田稔神父(葛飾)が次のように開会の言葉を述べた。
「今日、世界の各地で紛争があり、平和がおびやかされているのは周知の通りであるが、様々な争いは、私たちの間にも見られる。その原因は『自分さえよければ人はどうなってもよい』というような考え方にあるのではなかろうか。このような気持ちを、まず祈りによって心からおいだそう。
それだけでなく、私たちは平和の願いを外に表さねばならない。平和を望む歌声がひろがっていくように、人々がたくさんいる公園に集まった。私たちは国連で話し合うというような手段で、いざこざを解決し、戦争を未然に防ぐことができるようになるまで祈り、歌い続けねばならない。今日参加できなかった多くの人からも、平和を願う祈りの支えがある。代表になったつもりで、平和の願いを強く外にあらわそう。

ブロック総出勤

つづいて記念広場まで平和の行列。赤羽、浅草、上野、亀有、小岩、葛飾、本所、松江、三河島、足立、柏、船橋、松戸の各教会、それに扶助者聖母会(星美)と心の灯-。まさに城東ブロックの母体は総出勤。母体名を記した標識札を先頭に、「平和の連願」をうたい、式典場に向かう。列の中には、反核・軍縮のプラカードを持つ子供たちの姿も。
行列が広場に集結したあと、実行委員会委員長・下山正義神父(本所)があいさつ
-「世界の平和、人と人、民族と民族、そして人類を結ぶ平和は、争いと戦いに疲れたち球状の人間一人ひとりの心からの願いではないだろうか?しかしなかにはそういうことは夢にすぎないなどと、あきらめムードで消極的になっている者もいないとは限らない。キリストは世界に平和をもたらすためにきた。真福八端でも、平和のために働くものは仕合わせであると言っている。仕合わせという大和言葉-。それは奉仕を合わせること、一人ひとりがエゴイストにおちいらず、奉仕の精神を日常生活に反映させることである。その実行が継続されなければ世界の平和は道遠しといわなければならない。我々城東ブロックの各母体が、初めてこのように集まり、心を1つにして世舞の平和を神に願う催しを開いたことは非常に意義のあること、神の助けと意みを、一人ひとりが真剣に祈り求めよう。」と述べた。
ついでブロック会議員・小林章雄氏(船橋)の解説により、教皇が昨年の後楽園ミサで行なった説教、広島での平和アピールの1部を録音テープできく。聖書朗読のあと白柳大司教が「世界平和とキリスト者の責務」と題して説教、特に核戦争の危倶と阻止行動の必要性を強調した。参列者は、ハンカチ、ボール紙などで、おもいおもいに陽ぎしを防ぎ、石だたみの上に腰をおろす。

鳩に托す願い

つぎは聖歌「わたしたらは魚のよう」。小さな女の子が口をバク、バクさせて、それでも懸命にうたう。ほんとに魚のよう?だ。続く講演は、プロテスタントから迎へた日本キリスト教協議会常議員・大島孝一氏。「生活の中の平和運動」をテーマに、実例をひいてわかりやすく話した。
「今の日本の私たちは大変平和だと思っているが、それは他国のとんでもない犠牲の上に立っているものであることを忘れてはならない。平和は努力してつくり出さねばならないものである。雑草のように自然に生えてくるものではない。もしそういう平和があるとするならそれは必ず偽りの平和である。つまり誰か弱い人の犠牲の上に立っているわけである。我われは被害には敏感であるが同時に加害者であるという意識はにぶい。それは戦争のときによくあらわれる。戦争は、もう一度我われが被害者になるからいけないということだけではなくて、また加害者になることだからいけないのである。日本が今、軍事的侵略ではなく、経済的侵略で隣国の人びとを苦しめていることはよく知られている。我われの平和な生活が、そういう人びとの苦しみの上になり立っているということは、一人ひとりが加害者であるということである。我われにはどんなつぐのいができるのだろうか?現実にはほとんど何もできない。せめて、そのような人びとのことを常に忘れず、自分のできる小さなことをつぐのいとして捧げよう。食べ物や、着る物を無駄にしない、エネルギーを節約する、あとかたづけをちゃんとするなど、何んでもないようであるが、つぐのいをしようとすることで、我われ自身が変ってゆくことが大切なのである。それがキリストが言った平和をつくり出す一歩ふみこんだことになるのではないかと思う」

これに応えて参列者は、ふたたび「平和の連願」と「平和アピール」結び部の祈りを力づよく唱えた。大司教の祝福の後、平和のシンボルである鳩、それに風船が、ガールスカウトの少女たちの手によって放たれた。風船に込めた平和の願いは、天までこどけこばかり高く舞い上り、西の空に消えていった。数10羽の鳩も、今日の催しを名残むかのように2,3度会場の上空を周っていたがやがて東の方に飛び去った。こうしてすべてを終え午後3時半頃散会した。

催しに深い敬意

全人類・世界の悲願であり、いつの世・時代の人も求めてやまなかったにもかかわらず、いまだに実現しない平和。しかも現代は平和がおびやかされているだけでなく、人類滅亡の可能性さえある。我われは今こそ平和に対して真剣な眼を向けなければならない。米国務管の専門家は、このままでゆけば80年代の半ばには必ず核戦争が起る-と断言している。
神は人間を自分の姿に似せて創り、おん子は人間のために命まで捨てた。このように極みまで愛されている人間が、一ぱつの核爆弾で滅亡するということが神の御旨でないこと、また核や軍備が、互いに愛し合えといわれたみ言葉にいかに反することかは誰の眼にも明らかである。我われの希望はキリストであり、彼なしにいかなる平和も不可能である。なぜなら、キリストこそ平和白身であるからだ。我われは今てそキリストに立ちかえり、平和実現のために声をあげるだけでなく、努力と行動を起こさねばならない。
現代の戦争を阻止しているものは、平和を愛する人たちの草の根的の声である。城東ブロックの皆さま方は、炎天をもいとわずこのようにして集まった。キリストの十字架が平和をもたらしたように犠牲をともなう行動こそが平和の源である。今日のこの城東ブロックの催しに、心からの敬意を覚えるとともに、これからもこのような力、このような声を出しつづけて頂きたい。
(白柳大司教の話)

平和の連願

昔、信者たちは大祝日には会堂に集まり、諸聖人の連願を歌って司教座聖堂に向かった。「平和を願う集い」でも、教皇の平和アピールなどを基に作られた「平和の連願」を力を込めて唱和した。【抜粋】
○「平和を作り出す人は幸せである」と教えられたキリスト▽キリストを哀れみたまえ。
○核戦争の恐怖より▽主よわれらを救い給え。
○世界中に核兵器の禁止と軍縮の声が高まりますように▽主われらの祈りを聞き入れ給え。

戦没者「日」に落とし穴

政府は閣議決定によって、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」 (以下「日」と略記する)として制定した。しかし、この「日」こが制定されるにいたったいきさつを見ると、憲法の定める「信教の自由」との関連で、大いに考えねばならない点がある。
自民党は1969年以来、過去5回も靖国神社国家護持をねらった靖国神社法案を国会に提出したが、違憲性が強いことなどで、いずれも廃案になった。その後、自民党は「国家護持」を当面の目標からはずし、その前段として「公式参拝」実現に重点を変えた。これは「英霊にこたえる会」が中心になって進めている靖国神社公式参拝運動からの要望にもよる。
同党は昨年7月、(1)靖国神社などへの首相、閣僚らの公式参拝を実現せよ(2)8月15日を「戦没者追悼の日として閣議決定せよ-の2点を党議決定して政府に申し入れた。政府は「公式参拝には違憲の疑いがあるとの姿勢をとったが、「追悼の日」を検討する事で妥協し、「戦没者追悼の日の関する懇談会」に判断をゆだねた。
「英霊にこたえる会」の最終的な狙いは、あくまで、靖国神社への公式参拝実現にあるが、8月15日を「追悼の日」と定めれば、公式参拝の実現に有利になるという自民党の説得でこれをのんだ。「公式参拝への外堀が埋まった」といわれたのはこのためである。
懇談会は去る3月25日、(1)「戦没者を追悼し平和を祈念する日(2)「日」は8月15日とする(3)制定は閣僚決定で行う-などの報告書を、総理府総務長官に提出した。政府はこれをうけて、4月13日、ついに制定にふみきったわけである。
なるはど当初の「戦没者追悼の日」に対して「平和を祈念する」など、前向きの趣旨が名称に表われ、一般国民の理解を得やすく手が加えられ、報告書には、「追悼は個人の心の問題」だとある。しかしそれならなぜわざわざ「公の日」を制定する必要があるのか?早くも「政府は強力に追悼・祈念行事を指導せよ」という声が出ている。懇談会の意向とは離れて、「日」は、巧妙な形で政治に利用されるだろう。そして、いずれは靖国神社を中心にした全国一斉的な国家行事が企てられるだろう。
先の自民党の党議決定には、(1)犠牲者のみたまに尊崇と感謝の誠を表わす(2)国および国民が一心となって、戦没者を追悼し、再度国の安全がおびやかされることのないよう平和の確保を願う-とある。ここにこそ「日」の制定の狙いの本音がひそんではいまいか?
「戦没者の追悼」が、忠誠をつくした「英霊」の顕彰であったり、将来のそれをも見込んでのことだったりしてはダメだし、「平和の祈念」が、他国の犠牲によって成立っているような平和の継続を望むことだったり、戦争や軍備によって一国の安泰をのみ希求するようなものであってはこまる。政府が、この「日」をどのように運用するのかを十分監視しなければならない。日本カトリック「平和旬間」に8月15日が含まれるが、これに呼応するものではない。

静かな追慕に「市民権」合祀違憲

殉職自衛官の夫の遺骨を教会に納めた、キリスト者である妻の意向を無視して、夫を護国神社に合祀したのは「信教の自由・政教分離」をさだめた憲法20条に違反するとして、中谷康子さんが、国(自衛隊山口地方連絡部)と隊友金山口県支部連合会(自衛隊OBで組織する外部団体)を相手に、合祀申請振り消しと慰謝料100万円を求めていた「自衛官合祀拒否訴訟」の控訴審判決が6月1日、広島高裁で言い渡された。
胡田裁判長は「自衛隊の行為は宗教活動に当たり、憲法20条に違反、妻の宗教上の人格権を侵害した」として慰謝料100万円の支払いを命じた一審の山口地裁判快を支持、国の控訴を棄却した。一方県隊友会については「隊友会本部の内部組織であり、訴訟能力がない」として、原告が隊友会に求めていた訴え(慰謝料請求と合祀申請額や取り消し)を却下した。国は判決を不服として上告、訴訟は最高裁へもちこまれることになった。

ヤスクニと同じ根

教区布教司牧協議会内・靖国問題実行委員会は、この裁判が扱う事がらが「滑国神社問題」と同じ根であること、「亡き夫の霊を国家に宗教的に利用されたくない」という良心の叫びを、信教の自由を希む立場からも守るべきものとして、提訴の初めからこれにかかわってきた。
控訴審の判決の中で、とくに今日的意義をもつものは、「宗教上の人格権」を法的に保護することが再び確認されたことである。さきに政府が、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めたとき、死者に対する鎮魂は本来個人の心の問題ではないか、との声があらためて起った。「他人の干渉をうけずに静かな環境で信仰生活を送る利益」を宗教的人格権と捉えた一審の考え方も、それにつながる。二審によってそれが支持された意義は小さくない。宗教的人格権という考えが市民権を得るには厳しい環境であるが、これがやっと高裁段階まで認められたことは大きな前進といえる。
しかし肝腎な「合祀申請取り下げ請求」は却下され、県隊友会の取り下げの意志表示も、護国神社に対する要請が拒否された後全くなく、合祀は続いている。判決は隊友会に当事者能力なしとすることで、結果的に合祀申請を合法とした。わが国の宗教は伝統的に多重構造をもち、それが2つの「信教の自由」の間で衝突の起きる原因となる。高裁判決がこの宗教の多重性をどう理解したか明らかでない。このあたりをも含め、我われは「信教の自由」について改めて考えてみる必要があるのではなかろうか?幸い靖国問題実行委員会はカトリック正義と平和協議会と共済で、7月17日(土)2時半から、カトリックセンターにおいて「信教の自由を考える」会を開く。この機会をのがさないように。

争点・判決

(1)中谷さんの夫で二等陸尉だった孝文さんを護国神社へ合祀申請したのは、自衛隊と隊友会の共同行為か?
判決は、自衛隊山口地連職員の行為は「合祀申請に向けられた、個別的で積極的で核心的な行為であり、かかる地連盟連の行為がなければ、本件の如くに合祀申請に至ったとはみられない状況にあった」と述べ、「隊友会の行為を補助し手助けしたにすぎず、責任は全て隊友会にある」とする国の主張を退け、「合祀申請は地連職員と隊友会の共同行為」と判断。

(2)中谷さんの意志に反しての合祀申請は憲法で保障された信教の自由を侵し、宗教上の人格権を侵害したか?
権利侵害の有無について、控訴審判決は、「信教の自由は裁判上の救済を求めることのできる人格権に属する。親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせ、行為をなすことも宗教上の人格権の一内容。他人に干渉されることなく故人を宗教的に取扱うことの利益も人格権」とし、「合祀申請は中谷さんの宗教上の人格権を侵害した」と判示した一審判決を認容、「中谷さんに宗教行為を強制しておらず、信教の自由を侵していない」との国の反論を否定した。

(3)合祀申請は憲法の政教分離の原則に違反した宗教活動にあたるか?
胡田判決は、合祀申請行為の違法性について、「自衛隊と対融解のなした合祀申請行為には宗教的意義があり、県護国神社の宗教を助長、促進する行為で憲法20条3項が国及びその機関の宗教活動を禁じた政教分離原則に違反、公の秩序に反した合祀申請行為は違法」とした一審判決を支持、国の控訴を棄却した。

(4)合祀申請取り消しの請求は適法か?
裁判長はまず「隊友金山口県支部連合会は訴訟当事者能力を有しない」から「不適法」として中谷さんの合祀申請の取下げ請求を却下した。同支連に対する慰謝料の請求も同じ理由で却下、国に対する請求については、「政党であり容認すべきもの」を第一審判決をほぼ全面的に認めた。

布司教議事要旨

第8回(8月13日)

1、代議員会についての各ブロック会議の意見ならびに代議員会について考える小委員会設立の件
(1)各ブロック会議の意見(抜粋)
【中央】部分的討議の方がよい。全体集会はあった方がよい。
【城東】活動方針をはっきりと。
【城西】欠席者の意識の問題。
【城南】分科会を。毎年は不要。
【城北】2年に一回分科会形式
【武蔵野】方針年頭に企画徹底
【千葉】予算決算は3月でよい
(2)小委員会設立の件
名称・代議員会検討小委員会
構成員・各ブロック1名と議長団
検討・会期、構成員、内容、
位置期限・10月の布司協に答申

2、「平和旬間」について(略)

3、諸報告(略)

平和旬間 8月6〜15日

司教団は、このたびの定例総会で、ことしから毎年8月8日〜15日を「日本カトリック平和旬間」とすることを決めた。先の総会で設定の必要性は認めたが、時期については各教区の意見まちとなっていた。東京教区としては、8月8日からはじまる7日間あるいは10日間を、平和週間もしくぼ旬間として設定するよう要望することを今年の代議員会で可決し、教区民の総意として白柳大司教を通し定例総会に答申した。この要望は他教区の意見にも合致し、望みどおりの決定となった。
(1)元日の「平和の日」はそのまま残し、平和を考え、祈願する。
(2)8月の「平和旬間」には、平和を「行動的に」考え、祈願する。
(3)核兵器を無視せぬよう原爆投下日、広島6日、長崎9日を含む。
(4)「平和の元后」聖母マリアの大祝日8月15日聖母被昇天を含む。
(5)政府が8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と決めたので、この日だけを-というならダメだが旬間であるから可。
(6)8月15日に行事を開催するにあたっては、政府に利用されぬようとくに慎重な配慮が必要である。
(7)全国的な行動計画は社会司教委が立憲。よいサジェスチョンを。