東京教区ニュース第36号

1980年12月01日

教皇来日に際し祈る会(仮称)

2月8日(日)午後3時、麹町教会。主催・東京大司教区。
パンフレット
「ようこそ日本へ」発行・司教協議会、広報委員会。
訪日記念品セット
ホルダー・御絵・額など、A・B2種、製作・広報委員会。
記念カレンダー
「教皇さまと子どもたち」500円。問合わせ・中央協議会。

教皇 最高牧者として来日 希望・平和・愛の旅路

日本カトリック司教団は、12月21日(日)午後8時、教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日を公式に発表した。教皇は2月16日(月)、ローマを出発、フィリピンに5日間滞在し、その後グァム島を巡って、2月23日(月)午後、東京に着く。東京には23日(月)、24日(火)の二晩とまり、広島に立ち寄ったあと、長崎でも25日(水)、26日(木)と二晩とまり、27日(金)朝、同地から帰途につく。公式発表は、中央協議会で内外の報道陣を集めて行なわれ、訪日広報対策委員長・糸永真一司教が、教皇庁と司教団のメッセージをつたえた。歓迎実行委員会も中央協議会内に事務室を特設、本格的準備に入る。

来日の目的
(1)カトリックの最高の牧者として日本の教会および信者を訪ね激励する。
(2)精神界の指導者として、世界で唯一の原爆被災地を訪れ、被災者達を慰めると共に、平和と正義を訴え、世界平和をアピールする。

招請の経緯
<1979年>
12月 司教協議会総会で、教皇の訪日招請を決議。時期は教皇庁との交渉の上で決定。
<1980年>
5月 司教団、バチカンで教皇に謁見。重ねて訪日を要請。
6月 司教協議会総会で、期待される教皇訪日にそなえ、教皇訪日準備委員会を設置。
7月 長崎カトリック・センターで、同委員会の第1回会合を開き、1981年11月訪日が好ましい旨、要望書を教皇庁に提出。
9月 教皇庁より、日本司教団あて、81年2月の訪日の可能性を打診。日本司教団、2月訪日を歓迎する旨、返事を提出。
11月 教皇訪日準備委員会第2回会合を開き、教皇歓迎実行委員会を設置。

教皇の略歴
<1920年>
5・18 カロル・ヨゼフ・ヴォイティワ(本名)、ポーランドのバドビッツェ(クラクノ近郊)で軍人のカロル・ヴォイティワと母エミリアの間に生まれる。
<1929年>
母死亡(45才)。カロル9才。
<1932年>
兄エドムンド死亡。
<1938年>
国立ヤギャウォ大学入学。ポーランド文学を専攻し、学生演劇グループに参画。
<1941年>
父死亡。カロルは天涯孤独に。
<1942年>
クラクフ大司教区神学校入学。第二次世界大戦中は学校の閉鎖に伴い、化学工場の石切り場で肉体労働に従事。
<1946年>
11・1 司祭叙階。ローマ教皇庁立アンジェリクム神学大学に留学。
<1948年>
同大学で神学博士号を取得、ポーランドへ帰国、クラクフ教区で働く。
<1958年>
9・28 教皇ヨハネ23世により、クラクフの補佐司教に選ばれる。
<1964年>
1・13 教皇パウロ6世により、クラクフ大司教に指命される。
<1967年>
6・26 教皇パウロ6世により、枢機卿に選ばれる。
<1971年>
世界司教代表会議(シノドス)に参加、国際的な教会問題に積極的に関与。
<1978年>
10・16 教皇ヨハネ・パウロ1世の急死によって、第264代の教皇として選出される。共産圏からの選出とあって話題に。

教皇職とは
全世界のカトリック信者数は約7億5千万人余り。その世界最大の宗教組織であるカトリック教会の首長が「教皇」である。
その田来をたどると、キリストが12人の使徒を選び、それを永続的な団体として制定、ペトロにその頭としての権威を与え、全世界に派遣したところにたどりつく。使徒たちの後継者が各地の司教であり、ペトロの後継者が「教皇」である。
教皇の具体的な役割りには、全世界の司教を集め、百年に一度ぐらい開かれる教会最高の議決機関である「公会議」や三年に一度、世界各地の司教代表をあつめておこなう「世界司教代表会議(シノドス)」の主催、独自の声明、回勅、教書を発表し、信者を指導することなどがある。その他、毎週水曜日の、聖ペトロ広場での一般謁見、日曜日の、自分の書斎からの広場へ向かってのメッセージ発表なども重要な仕事としてあげられる。

PRにあなたも一役
教皇訪日歓迎実行委員会(委員長・白柳誠一大司教)の準備活動のなかで、とくに広報対策(責任者・糸永真一司教、補佐・島本要司教)が目立つ。決ったおもなことがらは-、
(1)教会内外への情報提供は、全国レベルでは中央協議会広報室(電234-7973)、広島・長崎では教区の広報担当司祭。
(2)パンフレット(500円)作製。
(3)PR業務の一部(プレスセンターの設置・運営、広告・ポスター作製等)を博報堂、電通に依頼。
【計画メモ】
▽報道プレス対策-記者団の取材受付。資料準備。宿泊手配等。
▽パブリシティ対策-NTVで特別番組(1月末から2月初め)週刊サンケイ(12月19日発売号)がバチカン特集号。主婦の友(2月号)でバチカン展特集。ミセス(2月号)でバチカン特集など。
▽公式記録-16ミリ(女子パウロ会)。記録集(主婦の友社)。レコード・カセット等(電通)。
▽その他-用語集(C・Jクラブ)。記念セット(博報堂)。車内吊り・駅貼り広告(電通)。ステッカー、新聞・テレビ協賛広告(企画中)。記者会見・国民向けメッセージ(教皇庁に要請中)。

費用は信徒の手で
歓迎費用(含広報、国内移動、行事)は2億6百万円。特殊団体の寄付は断わる。募金方法(1)パンフレット(500円)30万部販売。東京割当て5万(学校など協力で売れ行き順調)(2)行事教区で(東京は4千万円支出見込、除若人のつどい)。小教区は5万円と、300円に信者数をかけた額(基本)(3)全国規模で-。要は信徒の手。

▽「国賓」ではなく、「牧者」として来日。
▽若人のつどいは商業色もでる。
▽長崎では独自に一億円集める。
▽P・センターはH・オータニ。
▽歓迎小旗も作る。警備は国が。
▽教皇へのみやげは西陣織祭服。
▽教皇の東京宿舎は教皇大使館。
▽広島・長崎への移動は特別機。

教皇メッセージ

来年の2月16日より27日まで、司牧的な目的でわたしは極東にまいります。ローマ司教として着座した当初より、マニラの大司教ハイメ・シン枢機卿は、フィリピン人として最初の福者ロレンソ・ルイスの列福式を、できれば出生地で行なうことを請願しておられました。16名の殉教者列福調査が幸いに終了し、その中にこのフィリピン人もはいっておりますので、この国の2人の枢機卿および全司教団の希望と、フィリピン大統領のご招待をお受けすることにしました。
わたしは、まずマニラ行き、大司教区創立400年祭に出席いたします。先にのべた列福式は、この記念すべき年に色どりをそえることでしょう。
その後、太平洋の島々に散在して住んでいる、少人数ながら善意の人びとを訪ねるため、グァム島に立ち寄ります。
祭壇の栄光にあげられる、フィリピン・カトリック教会の最初の「福者」は、日本の長崎で15人の宣教師とともに殉教の苦しみをなめられたのです。そこで、日本の里脇枢機卿および大司教、司教方のお招きにより殉教者の足跡をたどるため日本にまいります。
わたしは、日本の教会の実情について、1980年の春「アド・リミナ」訪問の日本司教団から、くわしくうかがっております。
また、旅程には、原子爆弾によって、恐ろしい破壊力が示された最初の場所である広島も予定されております。人類の歴史に、これが決して再びくり返されないよう神にあわれみをこい願いたいと思います。
この使徒的旅行が、主のお恵みにより、教会のため、また、世界平和のため、豊かなみのりあるものとなりますよう、わたしとともにお祈り下さい。
1980年12月21日 教皇ヨハネ・パウロ2世

公式日程

2月23日(月)
○特別機で東京へ-。
▽聖職者のつどい-カテドラルで。(司祭むけの話が中心で、ミサはない。担当・泉師他。)
▽司教団の会合-教皇大使館で。
2月24日(火)
▽天皇と会見。(外交儀礼として。)
▽教皇ミサ-野外で。(共同司式。晴雨に拘わらず実施。整理券発行。障害者参列の配慮。防寒具用意。担当・徳川師他。)
▽エキュメニカル(キリスト教各派代表)のつどい-教皇大使館で。(担当・関戸師他。)
▽諸宗教代表者のつどい-教皇大使館で。(担当・金井師他。)
▽外交団のつどい-教皇大使館で。
▽ヤング&ポープ大集会(若人のつどい)-武道館で。【NTV特番】(一般青年を対象。教皇メッセージ中心に質問。歌、踊り-など。担当・浜尾司教、岩橋師他。)
2月25日(水)
▽信徒代表のつどい-教皇大使館で。(担当・井上師他。)
○広島へ-。
▽原爆慰霊碑訪問。(追悼の祈り、平和アピール)
▽世界平和記念聖堂訪問。
▽原爆資料館見学。
○長崎へ-。
▽教皇ミサ-浦上天主堂で。(司祭叙階式。家庭・召命の話)
2月26日(木)
▽聖職者のつどい-浦上天主堂で。(修道女むけの話をする)
▽教皇ミサ-松山競技場で。(殉教者記念)
▽恵の丘長崎原爆ホーム訪問。(国際障害者年-でメッセージ)
▽コルベ神父ゆかりの地訪問。
2月27日(金)
○特別機で長崎から離日。

信仰のふところ

「不死鳥」の大森

大森教会の沿革と歴史は、1922年(大正11年)、パリー外国宣教会のブルトン師(後に福岡司教)が大井の出石に教会を創立したのに始まる。翌年の関東大震災に罹災したが、少し離れた国電大森駅と、今はないが京浜八幡駅に通じる表通りに面した土地460坪(現在地)を購入することができた。
おりよく教皇使節ジャルジニー大司教が罹災後、出石町に避難されていたので金策もでき着工にとりかかった。献堂式はジャルジニー大司教によって1928年(昭和3年)2月5日、日本26聖人の祝日に行なわれた。戦災後、いち早く復興した教会は、1948年(昭和23年)、土井大司教を迎えてふたたび献堂式、その際ブエノス・アイレスの一信者から贈られた「ルハンの聖母像」の祝別も行なわれた。
1950年(昭和25年)、レジオ・マリエが発足、千回の集会を重ねたが、しばらく休会、3年前から再会した。1958年(昭和33年)ごろはJOCが大活躍だった。1963年(昭和38年)にはボーイ・スカウト、翌64年にはガール・スカウトが発団した。1972年(昭和47年)、聖堂・信者ホール・司祭館をコンパクト二階建に新築、78年には三階を増築、部屋の一部を地域社会への奉仕にあてたりしている。
信徒総数は750名、300世帯、附属の大森聖マリア幼稚園は聖ヨゼフ布教修道女会に3年前から委託され、修道女方は司祭館の奉仕にも力をそそいでいる。
人生のひと駒でふれあった私たちの場を、信仰の目でいっそう育ててゆきたい。

あした葉

教皇訪日で話はもちきり-といいたいところだが「笛吹けども踊らず」の感がないでもない。固くるしい経歴の紹介より人間的エピソードの披露の方が、教皇につき親近感をもつだろう▼教皇初づくし16選と行こう(1)1523年来の非イタリヤ人。456年ぶり(2)教会史上初の、共産国ポーランド出身(3)前任の3教皇(注・ヨハネ23世、パウロ6世、ヨハネ・パウロ1世)の名をとった(4)ジャーナリストとの接見で、即席で記者の質問に答えた(5)「ペトロの座」からポーランド語で説教した(6)メガネなしで、メッセージを読み上げた(7)デジタル式腕時計を身につけている(8)スキーヤーであり、登山家であり、カヌー漕手である▼(9)1878年のピオ9世以来、初めて、ミサ中、「イテ・ミサ・エスト」(ミサの挨拶)の難解なメロディを上手に、美声で歌った(10)1846年のピオ9世(54歳)以来、初めての50代(58歳)(11)カクテル(ヴォイティワ)に教皇名を利用された(12)教皇庁の調理の手伝いに、ポーランド人修道女3人を招いた(13)コンクラーベ(教皇選挙会)に行くとき、ポケットに10ドル(約2200円)しか持たなかった(14)米ハーバード大学で講演し、親しい友人を米国に持つ(15)教会を建設するために、みずから、河原より砂利を運んだ(16)就任式にポーランドの共産党の代表を出席させた▼枢機卿のころ、日本の信徒使徒職代表が唄った「さんさ時雨」が大いに気に入ったとか?広島では「てんぷら」を食べる予定。とにかく気さくなお爺さんだ。マスコミは日本中をしびれさせるハプニングを期待しているようだ▼しかし、教皇の個人的魅力で歓迎ムードを盛り上げようというのはどうか?気運不振の最大の理由は、訪日の意義に今ひとつパンチ力が不足していることではあるまいか。招請が下から湧き起ったものでないとすればなおさらである。(S・A)

完全参加と平等を ’81 国際障害者年迎えて

1981年は「国際障害者年」である。テーマは「完全参加と平等」となっており、その目的は、この表題の実現を促進することにある。これは国連できめられたものだが、教会としても福音の観点からこの問題に独自にとりくむ。教区では具体的な催しの企画のため、すでに実行委員会もでき、検討をはじめている。障害者を対象とした教会の福祉活動はその歴史も古く、社会的にかなりの貢献をしているが、信者のなかにはあいかわらず「あわれみ、おなさけ」式の意識をもっているものも多い。障も害者年の重要な目的の一つは、傷害という問題と解決について、人びとが正しい理解をもつことである。障害者年を迎えるに際して、どういう態度でこの年を過ごしたらよいのか-、皆で考えるにあたり、基本的なことを紹介して見た。

国際連合は、1976年の第31回総会において、その5年後の1981年を「国際障害者年」とすることを全会一致で決議した。この決議はリビアの国連大使が各国に呼びかけたことから一気に本会議で実現したという。急な決まり方ではあったらしいが、1975年に同じく国連総会において、障害者の基本的人権が尊重されるべき事を内容とする「障害者の権利宣言」が採択されていた事や、同年は「国際婦人年」、1979年は「国際児童年」とされてきた経過を想い起こせば、「障害者の国際年」がこれに続く事はごく自然の成り行きであると考えられる。

テーマと目的
国連の総会決議は、この国際年のテーマを「完全参加と平等」とし、あわせて同年の目的を次のとおり掲げた。
(1)障害者の、社会への身体的および精神的適合を援助すること。
(2)障害者に対して適切な援護、訓練、治療、および指導を行ない、適当な雇用の機会を与え、また障害者の社会における十分な統合を確保するためのすべての国内的および国際的努力を促進すること。
(3)障害者が日常生活において実際に参加すること。例えば公共建築物および交通機関を利用しやすくすることなどについての調査研究プロジェクトを奨励すること。
(4)障害者が経済、社会および政治活動の多方面に参加し、および貢献する権利を有する事について、一般の人びとを教育し、また周知させること。
(5)障害の発生予防およびリハビリテーションのための効果的施策を推進すること。
以上のテーマと目的を示すことにより、人類は地球上4億5千万人(国連事務局推定)の心身に障害のある人びとのため、さまざまな行動をとるよう、これまでにない大きな歩みを始めたのである。

行動計画とは
国連はその後特別の委員会を設け、この国際年における行動計画を左のように決めた。
(1)国際障害者年の目的は、障害を持つ人の社会への「完全参加と平等」という目標の実現を促進する事である。「参加」とは、社会生活そのものとその発展への貢献のみならず、政策決定段階への障害者の参加をも意味する。「平等」とは、他の国民と同じ生活を送ることであり、またその国の社会経済の発展による利益の平等な配分を受けることである。
(2)障害を持つ人の問題の解決は全体的に考えられるべきで、個別の特殊問題として取り扱われてはならない。また問題解決は、各国の総合的発展と密接に関わるので、発展途上国の経済的社会的発展を重視する必要がある。
(3)国際障害者年の重要な目的のひとつは、障害ということは、「人体の動きの支障」のみを意味するのでなく、感覚機能障害、精神薄弱、精神病などのように、様ざまな問題と解決方法を有する色いろな障害の人がいるということについて、一般の人びとの理解を促進することである。
(4)国際障害者年は、個人の特質である「身体的・精神的不全」と、それにより引き起される機能的支障である「障害(能力不全)」、そして能力不全の社会的結果である「不利(ハンディキャップ)」の間には区別があるという事実について認識を促進すべきである。
(5)障害は、ある個人とその環境との関係において生ずるものであると考えるのが解決法として建設的で、この考え方がひろまっているが、まず「能力不全」を「不利」にならしめている社会条件を見つめなければならない。
(6)国際障害者年は、障害者のためだけにあるのではない。障害者などを閉め出す社会は弱くもろい社会であり、社会を障害者・老人などによって利用しやすくすることは、社会全体にとっても利益となるものである。健全者中心の社会は正常ではない。
(7)障害者のうち多くが戦争等の犠牲者であることに留意し、国際障害者年は、世界平和のための諸国民の協力促進に役立て得る。
(8)今日、世界の障害者の大半は発展途上国において生活しているので、国際障害者年の活動の大部分は、これらの国の障害者の環境条件改善に向けられるべきである。

権利宣言の核
(1)「障害者」という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的または精神的能力の不全のために通常の個人または社会生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全にまたは部分的にできない人のことを意味する。
(2)障害者は、この宣言においてかかげられるすべての権利を享受する。これらの権利は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上などの意見、社会的身分、貧富、出生、障害者もしくはその家族の状況などによる区別、差別もなくすべての障害者に与えられる。
(3)障害者は、その人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している。障害者は、その障害の原因、特質および程度にかかわらず、同年齢の市民と同等の基本的権利を有する。このことはまず第一に、可能な限り通常のかつ、満たされた相当の生活を、送る事ができる権利を意味する。
(4)障害者は、他の人びとと同等の市民権及び政治的権利をもつ。
(5)障害者は、可能な限り自立させるよう構成された施策を受ける資格がある。
(6)障害者は、補装具を含む医学・心理学・機能的治療、並びに医学的・社会的・訓練リハビリテーション、教育、職業教育、介助、カウンセリング、職業あっ旋およびその他障害者の能力と技能を最大限に開発でき、社会統合または再統合する過程を促進するようなサービスを受ける権利を有する。
(7)障害者は、経済・社会的保障を受け、相当の生活水準を保つ権利を有する。またその能力に従い雇用され、保障を受け、または有益で生産的かつ報酬を受ける職業に従事し、労働組合に参加する権利を有する。
(8)障害者は、経済社会計画のすべての段階において、特別のニーズが考慮される資格を有する。
(9)障害者は、家族・養親と共に生活し、総ての社会的・創造的・レクリエーション活動に参加する権利を有する。
(10)障害者は、差別・侮辱的または下劣な性質をもつ搾取、規則、取り扱いから保護される。
(11)障害者は、人格および財産の保護のために適格なる法的援助が必要な場合には、それらを受け得るようにされなければならない。もし障害者に対して訴訟が起された場合には、その適用される法的手続きは、彼らの身体・精神的状態が考慮されるべきである。
(12)障害者団体は、障害者の権利に関するすべての事項について、有効に協議を受けるものである。
(13)障害者、その家族および地域社会は、この宣言に含まれる権利について、あらゆる適切な手段により、知らされるべきである。

無関心は不参加

「国際障害者年」のテーマは、「完全参加と平等」となっています。私たちは福音の光に照らされて、その意義を考えたいと思います。主イエズスは公生活に入られるにあたって、「天の国の福音をのべ伝え、また民のすべての病とわずらいとをお治しに」なりました。それはもとより苦しんでいる人びとへの愛のあかしであったでしょうが、もっと根本的には、神の国到来の目に見える印しでありました。神の国実現のためには、健康な人だけでなく、病気の人もなくてはならぬ存在なのです。
国連事務局の推定によれば、現在約4億5千万の障害者がおり、原因は、事故・病気と栄養失調・戦傷等、広い範囲にわたっています。そして発展途上国になるほど障害者の数はふえています。こうして見て行きますと、健康な人が正常で身障者は例外的存在とはいえなくなってきます。身障者は人類全体の大切な一部分を占めていることになります。
国際障害者年の目標「完全参加と平等」から見ますと、教会がまだまだ十分教会になりきっていないことが反省させられます。私たちの社会はどれだけ障害者を受け入れているでしょうか。それどころか教会の中においても完全な参加と平等が十分に守られていないのではないでしょうか。
私たちは人類を兄弟としているのですから、どんな障害者も無視することはできない筈です。もとよりただ障害者を大事にすればよいということではありません。ことに施設万能主義は警戒すべきことです。そこでは一見親切と見えながら、その実参加をはばみ、人びとを無関心にみちびく要素が含まれているからです。真の愛はかれらを隔離するのでなくかれらと共に歩み、その全人的向上を願うことにあるという事を忘れてはなりません。障害者の数の多さからその存在を当然視し、原因を追及しない事も誤りだといわなければなりません。原因はむしろ人災というべきであって、これらの問題を解決すべく努力しなければならないのは言うまでもありません。
障害者が単なる一年だけのお祭りさわぎに終ることなく、今後の障害者とのありかたを考え直す機会としたいものです。(要旨)
1980年12月8日 日本カトリック司教団

まずロバから降りよ

「国際障害者年」を迎えるにあたり、教区でも実行委員会を設けて教会独自の活動の検討を始めている。これはとりもなおさず来年度の教区活動方針案の一つになるが、一年で終ってしまうものではなく、むしろ障害者問題に永続的にとりくむ幕開けになるものと見られる。大体の構想は次のよう。
1、【啓蒙運動】(1)障害者、障害者年についての正しい理解(偏見と差別の撤廃)-講演会、ガイドブックやパンプレットの発行、障害者問題に関する図書の紹介等(2)教育-カトリック系の学校、幼稚園、保育園等の障害児の積極的受け入れ(3)結婚-カナの会などにも協力を依頼、結婚後の生活費援助も(4)医療-カトリック医師会などとも連係し、一般の医療施設(たとえば歯医者)で断わられるケースなどに対策を。信者の中には病院・医院の責任者も多くいるはず(5)雇用-障害者雇用の実態調査、カトリック管理者のいる企業での障害者雇用の促進など。
2、【信仰生活】(1)信仰への導入過程-ろう者要理教室、点訳・手話人の確保、教会用語の手話法の統一(2)教会生活-スロープ、床、便所、手すりなどの設置促進、ろう者告解方法の工夫、障害者の教会活動参加への便宜。
3、【ボランティアの養成】(1)ボランティア・グループ等の実態調査(2)点訳・手話奉仕者の育成(3)婦人会・青年会活動の一端とする。
その他、障害者の海外交流、援助基金、通勤寮・宿泊所の設置、聖書における障害者差別用語の改善、愛の運動、障害者福祉の日の設定-が考えられる。
▽実行委員-三好 満(事務局)市川乃ぶ、J・シュバリエ、山口英一、木島誠二(以上布司協)。

そして知れ!
何をきめても、それらは専門家だけがやればよい-という態度が一番いけない。なるほど点訳、手話などは誰にでもできるというものではない。それならば自分たちができることを必死になってさがす心構えこそ必要である。善きサマリア人の喩えで、特に大切なのはまずロバから降りてそばによったということだ。そういう気持さえあれば、何も専門的な技術がなくても自分にできることが泉のように湧いてくるはずである。何ごとにおいてもそうだが、まず知ること、知ろうとすることこそ先決だ。
【東京カリタスの家】
<事業の目的>
東京カリタスの家は、東京およびその周辺地域の福祉向上を目指して、地域社会の人びとと共に、生活機能の障害に直面している家族および一般青少年の福祉サービスを行なうことを目的とする。
<活動の内容>
▽ボランティア活動について-ボランティアの発見、養成、紹介派遣。情報・資料の収集と提供。活動に対するコンサルテーションなど。
▽家族の生活について-親子問題、夫婦・結婚生活、老人生活、心身障害者など各相談。
▽子どもの生活について-幼児生活、教育、心身障害児など各相談。継続のグループ指導。
▽地域生活について-近隣関係の組織化の相談。
▽青少年の生活について-養護施設を卒園した青少年の、一般生活・就職相談。
<機関紙>
「東京カリタスの家ニュース」年6回(隔月)、「ボランティア集会のおしらせ」毎月1回発行。
〒112文京区関口3-16-15 電話 943-1726・7
【心の灯】
<性格および目的>
本会は1956年6月に創立、キリスト教的ヒューマニズムをもって、身体障害者同志の融和、親睦をはかりつつ、相互の精神的向上を心掛ける。また一人ひとりが「よき社会の一員」となるよう努力すると共に、多くの健全な身体の人びとと手を組み、身体障害者の人権・福祉増進を社会に向って大いに呼びかける。
<事業の内容>
点字版および声のマガジン「心の灯」製作発行。「心の灯叢書」および優良図書の発行。身障者関係図書の貸出し。親睦会、ピクニック、講演会、研究会等の開催。身障者の健全なる福祉厚生のために外部に向ってのプロパガンダおよびタイプ印刷出版「心の灯社」創設。身障者のための就職および結婚相談など。
<会員>
身障会員・一般身体障害者。賛助会員・五体健全で、直接本会の事業にも手をそえて下さる方。
<後援会>
本会の財政的援助をすすめる。
<機関誌>
「心の灯」P20・年6回発行。
〒115北区赤羽北2-11-16 電話 909-4684

ひろば

何を今さら

先日も一人の信者から「国際障害者年ってなんですか?」と問われた。また、ある障害者の友は知人から「来年はあなたがたの年だそうでいいですね」といわれたとのことであり、いわれた友は何がいいのか面食ったそうである。
そもそも、国際障害者年とは何か?1978年ひらかれた第31回国連総会において満場一致で議決、採択された全世界的規模のものである。
国際障害者年のメイン・テーマは障害者の、社会への「完全参加と平等」だ。わたしたちは「何を今さら-」といいたいけれども、障害者の基本的人権も尊重されるべきであるといった内容をもりこんだいわゆる「障害者の人間宣言」が同じ国連で決議されたのが驚くなかれ、5、6年前の1975年であったという事実と照らし合わせてみると、「そうなのかなあ」と思わざるを得ない。世界はもっと進歩していたはずではなかったのかと思うわたしが、むしろ愚かだったようである。
右のような、わたし個人の考えはどうであれ、また遅きに逸したとはいえ、ともあれ我われ人類社会において、よきことである。一歩前進したといっても過言ではないであろう。
過去において障害者の人権はあまりにも無視されてきたようである。障害者は人びとにとって「お気の毒な、可哀そうな」といった対象でしかなかった。しかし、自分たちとは異った人種だと思っている人たちが、こともあろうに教会内にもまだいる。苦しんでいる障害者に「お恵みですね」という言葉も作られ、それに涙を流さんばかりに喜ぶ仲間。障害者の人権尊重とその不足を補うこころ-「完全参加と平等」を、わが家の教会に期待するのはまだ空しい。
(カトリック身障者の会・金沢 恂)

布司協議事要旨

○ビルマ・一粒会・正平協・離郷については別途詳述する。
◇第12回(8月31日)
1、韓国問題・世界宗教者倫理会議-正平協会長・森田氏の話。
2、国際障害者年-準備委員会(市川乃ぶ、J・シュバリエ、山口英一、木島誠二)発足。
3、第5期布司協新メンバーとの合同会議について-2月目標。
◇第13回(10月16日)
1、障害者年-代議員会に障害者に関する提案を。PRと活動。
2、神学生育成費にふんぱつを。
3、教皇訪日-白柳大司教がおよそのプログラムについて説明。
4、81年度代議員会-3月21日(土)カテドラルで開催決定。
◇第14回(12月14日)
1、障害者年-準備委は実行委に移行。各ブロックに行事委を。ミサを中心の大バザールも計画。
2、代議員会-代議員は原則としてブロック会議員とする。議題の一つに障害者年は必須。
3、教皇訪日-ミサの計画と実行に参画。「来日に際し祈る会」(2月8日・3時・麹町)協催。

大ヴァチカン展

▽期間・1月4日(日)から28日(水)まで。【ただし1月22日(木)のみ休み】
▽場所・有楽町「そごう」5階特設会場。
▽入場料・【前売券】一般(900円)高・大生(700円)小・中生(400円)。【当日券】一般(1000円)高・大生(800円)小・中生(500円)。
▽主催・大ヴァチカン展実行委員会、東京大司教区。

霊園増設

このほど教区民の要望にこたえて五日市霊園の増設工事が完了した。今のうちなら、気に入ったところを申し込める。管理人がいつでも案内するのでまず一見を。
【順路】
(1)国電約2時間。立川-拝島-武蔵増子下車。踏切り渡って左折。徒歩約15分ぐらい。
(2)西武拝島線。西武新宿、高田馬場-拝島(国電にのりかえ)。
(3)自動車利用の場合。都心から約70キロ。中央高速八王子インター下車、拝島・昭島方面の道をとる。サマーランドを目標にし、滝山街道を経て五日市街道に出る。武蔵増子駅をめざして進み、駅を右に見て五日市線の踏切を渡って左折し、鉄道に沿って300メートルぐらい。
【地名】五日市町伊奈1番。
【管理人】沼尾三木。電話(0425)96-2330。
【総面積】5600平方メートル。
【区画数】総数2500区画。
【価格】3.3平方メートル(一坪)20万円、25万円、30万円の三種。いずれも一坪の土地でわたす。価格の異なりは位置によるもの。カロート(地下納骨堂)および墓碑は含まない。
【申し込み・問合わせ】カトリック東京大司教館内五日市霊園管理事務所・電(943)2301。