お知らせ
東京教区ニュース第10号
1974年12月01日
目次
刷新の集いに 参加を盛りあげよう教区活動 年頭に大司教が書簡
白柳大司教は年頭にあたり、「聖年」もいよいよ核心にはいったとし、いまこそ教区をあげて刷新と和解のよびかけに応えるべきであるとの書簡を出した。先に「聖年」の意義とテーマの解説、つづいてこの年をふさわしくすごすための、いくつかの具体的指針により、教区内には「聖年」とその行事についての関心もようやく高まってきたが、いまだ十分とはいえずその徹底をはかる意図。また、これを機会に「教区大会」の精神を更に結実させるよう個々の活動の展開とともに、教区レベルで推進してゆくべき諸活動への連帯を強めるよう、合わせて訴えている。
-刷新と和解-
主のご降誕祭と新年を心からおよろび申しあげます。このよろこばしきときに、平和の主、キリストの平和が皆さまのうえにゆたかにありますように。
(1)さて、このクリスマスを機会に、今まで各地で準備をすすめてきた「聖年」は、その中心を聖ペトロ殉教の地、ローマに移し、いよいよ核心にはいってまいりました。聖年にあたって教皇様のよびかけられた「刷新と和解」は、私どもに、ますます深くキリストの福音に生きることを迫ってまいります。
聖年も核心へ
ところで、救いの目にみえるしるしである教会は、しみもしわもない姿を世に示さなければなりませんが、これは神の民ひとりひとりが、また、神の民全体がキリストに生かされ、キリストの福音に生きるとき、はじめて可能であります。そして、その時、真の宣教する教会の使命が実現されるのであります。教会はこのため「終わりの日」まで、絶えず自己の刷新を期し、努力を続けてゆかなくければなりません。
私は、この聖年にあたって、信者のみなさんが特に意を用いて、教区内で行われる黙想会、錬成会、その他これに類する内的刷新をめざすつどいに、少なくとも一度参加されることを強く希望してやみません。
率先して光を
(2)社会的不安は、政治不信、物価上昇などとあいまって、次第々々に高まってゆく傾向にありますが、私どもは、このような状況を、ただいたずらに嘆いているだけでは足りません。暗いといって光を待つのではなく、率先して社会にキリストの光を輝かせ、社会をキリスト化(福音の精神のみなぎる社会とすること)し、神の似姿につくられたすべての人間が真に人間らしく生きることができるように積極的に働きかけてゆく姿勢が必要であります。
これこそ神の国の実現への私どもの参与にほかならず、キリストが期待をこめて私どもひとりひとりに託されたことであります。そしてこれはとりもなおさず、真の和解をもたらすことに連なっているのであります。
教区レベルで
(3)東京教区は第二バチカン会議の精神を自らのものとするために「教区大会」を開き、その後ブロック会議、布教司牧協議会を結成して、その成果をうけつぎ、教区の共同体化に努めてまいりました。
本年度の教区レベルで推進してゆく諸活動の目標は、次の教区ニュースに発表され、みなさんの検討を経たうえで、3月21日に開かれる教区代議員会において決定されることになります。
それぞれの小教区、修道宣教会使徒職団体が日々展開してゆく諸活動とともに、聖霊においてひとつの神の民をつくっている東京教区の、教区レベルでの連帯と相互扶助を、本年はさらに推進させたいと思います。
体験の中で発見 要理教育に新風
布司協内の布教小委員会の意欲的な計画によって設立を見た教区立要理研究所の主催で、9月13日から毎週金曜日に開講されている要理教育講座は11月末をもってその前期を終了した。
この講座の基調となっているものは現実の中で語りかけている神のみ言葉の諸相を総合し、キリストのいのちにふれてゆくという立場で、観念的になりがちな要理教育から脱して、全ての体験の中にキリストを見出していく新しい方法論にたっている。
前期の講座は全体を、みことが、生と死、自由、愛の4つのテーマにわけ、その中で神のみことばに対する人間の応答、兼題教会と倫理、教会と社会、救い、聖霊、日本人をキリスト教との出会いについても語られ、浜尾しきょうはじめ20人の各講師それぞれの個性的な講義に聴講者は大きな感銘を受けている。
講座のスタッフは越前、門脇、深水の各神父と、斎藤いつ子氏、シスター・メナールで、成果を深めるために1月の藤沢の聖園記念館、2月の千葉の聖マリア修道女会での合宿研究を計画している。
信仰のふところ 関口のいまむかし
目白の丘にそびえ立つ東京カテドラル、そこが現在の関口教会である。現代日本の代表的な建築家丹下健三氏の設計になるこの大聖堂が1976年12月8日建堂式をあげる以前は、平凡なコンクリートの2階建で、1階が聖園幼稚園、2階が聖堂であった。それ以前は、米軍のカマボコ形の兵舎を利用したもので広い敷地内に質素に置かれていた。当時は長江恵神父(現浦和司教)が主任、塚本金セ神父(現八王子主任)が助任であった。
教会の設立についての籾井氏の記録をたどると、1876年ルマルシャル師によって横浜にできた孤児のための学校が、1981年今の浅草教会に引移り、まいかい学校と名づけられた。1986年オゾフ大司教が1万石の大名一柳氏の屋敷跡5,000坪を2,300円で買取ったのが今の関口の敷地で、まいかい学校はここに移され1887年聖母仏語学校となった。その後聖堂の建設には五日市の信徒内山安兵衛氏の山林の材木を使用し完成、関口天主公教会の誕生になったと伝へている。長谷川路可画伯は、関口の教会は大浦の天主堂にも匹敵する立派な建築で、それを戦災で失ったことはまことに残念であると語っている。
関口教会には2つの鐘楼がある。1つはカテドラルに付随して建てられた高さ61メートルのもの、もう1つはルルド左側にある四本柱の鐘楼である。この小さい鐘楼の鐘は以前築地カテドラルに、仏人信徒ポリーナード夫妻から寄贈されたもので大正末期に関口カテドラル移転とともに移されていたが、戦時中鐘楼から降ろされ風雪にさらされ亀裂が入り昔の音色を失っていた。これを荒井師が佐野市の業者に依頼し改鋳したのである。この小さな鐘楼は1958年聖母ルルドご出現百年記念として関口のルルドに捧げられた。
近年になって関口教会の信徒に衝撃を与えたのは1963年7月30日の渡辺治神父の死であった。関口の助任になって僅か3年であったが悲壮な彼の死と、キリスト追求の熾烈さはわれわれの信仰を目覚めさせた。さらに1973年11月にはかっての助任司祭鈴木一郎神父の帰天にあっている。
関口教会はいま、岸、斉藤両神父の指導のもと、教会内の互の励しに止まらず、地域社会に、そして新しい人々の心に向かって開かれた教会として歩みを続けている。関口も感謝と喜びと悲しみの中に旅する教会の1つである。
ひろば 叩き台
もう大分前の話になるが、連合委員会の席上で世話役から、司教に教会委員は何をしたらよいのか、財政のことだけを心配していればよいのかという質問がなされた。司教の答えは、教会委員および連合委員会はそれぞれ独自の重要性があるというにとどまった。
考えて見るに、時代と状況と必要に応じて働くはずの委員の任務について、単に指示を仰ぐのはおかしいと思う。かえってわれわれ委員の間で討議、開発されるべき問題であって、連合委員会総会の席上では、まずわれわれ委員同志の間でその議論を始めるはずの問題であろう。
さて、私の所属する教会に於いても委員の任務が問題になったことは例外ではない。今後広がるであろう議論のたたき台として私の教会の例を紹介してみる。少なからぬ議論と、理解、見解の行きちがいを経験しながらも、次の4点に整理され明示された。
(1)主任司祭と所属信者間に立って仲介をする。
(2)必要に応じて信者間のまとめ役をする。
(3)布教、司牧、財務等を主とし、主任司祭の審議機関となり、活動面では協力者となる。
(4)教区内の共同活動における小教区信徒の代表者として必要な活動をする。
信徒使徒職が叫ばれてすでに長いが、最も具体的で地についているはずの小教区の委員会が、連合委員会の場でいまだその任務を問うているとすれば、なんのために信徒使徒職という言葉をうわ言のよう繰り返してきたのだろうか。こうした問題に対する取りくみ方に物足りなさを憶えるが、私の勝手な思い過ごしであることを願う。私の教会における小さな議論がより深い議論の参考になれば幸である。(浅草教会 春宮伸光)
あした葉
昭和も50年になった。昭和っ子も数えでなら50になったわけだ。正月で皆がうかれているとき杖の先にされこうべをくくりつけて「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくのありめでたくもなし」と唱えながら町を廻って人の心をひきしめたいという坊さんの話を聞いたことがある。ずいぶんひねくれていると思っていたがわかる年になった。
▼西洋の例え話のようなもので人の一生をその年代毎に動物であらわしたのがある。種年や少女は子犬と鳩になぞらえている。無邪気で愛らしく、多少やんちゃといったところか。ついで男は狼で、女はアヒルとなる。昔の「女学生」という言葉には独特のニュアンスがあったが、乗り物の中で彼女らの下校集団?などに出あえば、アヒルの群れを創造するのはたやすい。子犬から急に狼になるのは飛躍があるような気もするがとくゆうのな暴走の感じは出ている。
▼盛りのときはライオンと孔雀で画かれる。狼にくらべていくらか分別が出たといった点を指摘すればあとはわかるだろう。孔雀は女の虚栄心をついているが、いろんな意味で一番いいとき、これも解説は野暮。それをすぎるといわゆるずるい年代がやってくる。狸とふくろうである。海千山千だとか、すいもあまいもとか、ここらあたりをあらわす言葉にも不自由はない。
▼しかしたとえをきいてうまくできているとかあたっていないとか言ってみてもあまり意味はない。肝腎なのはこの話の最後のところで動物たちのおしまいにはやっぱり人間のしゃれこうべがでてくるところだ。なんおかんのいったところで結局はみな死ぬのだし、死ねば同じだということをいいたいらしい。今度の教区ニュースには墓地のことものっている。正月早々死だの墓場だのと縁起でもないと叱られそうだが今年はまだ自分は死なないなどと誰が保証できよう。死は盗人の如くなどという言葉は散々聞かされていささか陳腐の感もあるが、今年こそはいつ死が訪れても身近の整理だけは常に出来ているというような年でありたい。
(S・A)
高まる聖年への関心 傍観は許されない 省みよう聖年の意義
「聖年」とその行事については、毎号のように関係記事を載せてきたが、このところ連日のようの多くの信者からそれについての問い合わせが続いている。大司教の年等書簡にもみられるように、「聖年」はいよいよ核心にはいったといわれるが、それを期をあわせて、教区民の間に「聖年」についての関心がおそまきながら高まりつつあることは大きな喜びであるとされる。そのため「聖年」の意味と、それをふさわしくすごす具体的方法が、今あらためてたずねられているわけ。編集部は既に報じられたものの中から、1974年3月19日付の大司教書簡と、8月10日付の具体的指針の要点をまとめてみた。
(詳細は6号・4月14日、8号・8月11日を参照)
意義とテーマ
旧約時代の「ヨベルの年」の習慣が。精神的意味で紀元1300年、ボニファチオ8世教皇によって教会に取り入れられて以来、教会は聖年の真の愛の実行と正義の実現への努力の時として守ってきた。
パウロ六世教皇は、今回の聖年にあたり、神との和解、人との和解、自然との和解のために、各自の内的刷新を訴えられた。教皇のこの叫びに答え、私たちは神の子として父となる神との関係を反省し、個人として、神の民として、日本人として回心しなければならない。
更に、人との和解に関して白柳大司教は、次の3点に教区民の注意を喚起している。
1、教区民全員が、第2バチカン公会議の教えを謙虚にいけいれ、一致して強力に実践していく。
2、社会、教会の中で、私たちが色々な差別をしていないか、また差別を傍観していないか、ということを反省する。
3、開発途上国の兄弟の希望と権利を認識し、各人が積極的関係を結ぶよう努力する。
更に私達は、人為的環境破壊や、自然に逆らった行いを反省し信仰の目で自然界の役割を見る心を養う。
祈り助け合え
以上のような意義とテーマに基ずいて聖年をふさわしく過ごし、協会の配慮によって与えられる恵みを受けるための具体的指針として、祈りと助け合いが強調されている。
教会のすべての働きの基盤に祈りがなければ、その根源的力はない。キリストによってこそ、初めて真の和解が成り立つことを信じている私達は、祈りによってキリストのつながりをますます深めるように努力しなければならない。
私達は「唯一の神を父をする兄弟である」というが、これは互いの重荷を負いあってこそ、名実ともに兄弟であると言える。
教会は恵みの年である聖年に、免償の恵みに浴するよう厚く勧めている。私達は罪を許されても償いがまだ残されているが、この償いをともに背負っていくために免償と言う恵みがある。
私達は自分自身の為、他の人々の為、生きている人の為、死者のため、他の宗教や異なった思想をもっている人々の為に、全免償の恵みを頂くよう、そのチャンスを積極的に生かそう。これにより、更に一層深い兄弟愛が培われる。
この目的のために東京教区は、昭和49年8月15日〜昭和50年12月末日まで、ミサの他に次のよう亡き会に全免償が得られるように定めている。
免償の恵みを
(1)前記期間中に催される黙想会研修会への参加。これは聖年のテーマによるものが望まれる。(註・東京教区は黙想指導のため、沢田和夫、井上洋治両師を任命した)
(2)カテドラルへの巡礼。(註・カテドラルでは毎月の最終日曜日正午のミサが聖年の意向で献げられる。グループでの巡礼は、責任者志村辰弥まで連絡を)
(3)隣接教会への巡礼
(4)殉教者記念行事への参加、ならびに各種巡礼
(5)ブロック、あるいは小教区合同の典礼行事、祈祷集会
(6)死者の月(11月)における墓参(納骨堂と含む)
【(2)〜(6)の行事の際、「主への祈り」「信仰宣言」「聖母への祈り」をくわえること】
(7)福祉施設訪問、奉仕、ボランティア活動への参加
(8)前記祈りを唱えて病人訪問
(9)病気等の障害でこれらの行事に参加できない人も、前記の意向で祈りと苦しみを捧げる事によって聖年の全免償が得られる。全免償を受ける条件としては
1、告解の秘跡のあずかって心を清める。
2、聖体拝領をする。
3、教皇と全世界の司教団の意向のために祈る。
なお、1日1回でも全免償を受けることが出来るが、自分のためには1日1回のみである。
老いに憩いの家 若きに「研修所」
教区司祭のために「憩いの家」建設運動は、昭和41年1月、高円寺教会壮行会の新年会で発足してから8年になるが、この運動の趣旨に賛同する善意の人々の寄付も増え、地道な努力が続いけられている。教区司祭の老後の保障についてはかねてよりその不安が指摘されていたが、この運動はその解決への具体的方法として、しかも特に信徒から盛り上がってきたものとして高く評価されている。
関係者らは、信者の霊的指導のため、犠牲的活動をつづけた司祭の老後の安泰を図るのは信者の義務でもあるとして。今後も積極的にこの運動を推進していくという。
■問合せ先
高円寺教会「憩いの家」建設係水野復一郎
電話03-2558-6-3478
また教区「研修所」は、新潟県中頚城群妙高山山ろくに159坪の宿舎を持つ山荘で、昨年10月発足した。風光明媚、温泉あり、黙想解や練成会などのほかに、登山、スキー等レクリエーションの場としても最適。国鉄妙高高原駅から西に3キロあたりで、さしあたり30人くらいの宿泊が可能である。各方面からの利用が期待されている。
■宿泊料大人2,300円小中学生3,000円(但し1泊2食付、温泉料金を含む。)
■詳細問い合わせ 〒940-21新潟中頚城群妙高高原町池の平温泉
カトリック東京教区研修所
管理人 野口 進
電話 02558-6-3478
「しおんの会」に援助の手を
知恵遅れの子供たちが、一人でも多くの社会生活が出来る人間に成長するようにと、荻窪教会の信徒の総意によって昭和41年10月に設立された「しおんの会」は、このところ特に財政面において危機に立たされている。
現在、同会は千恵遅れの幼児、未就学の自動13名を保育しているが、職員4名に十分に手当ても出せない状態である。年間支出は600万円だが、収入見込みは400万円であるという。
教区略式代議員会でも、このことが取り上げられ、布司協内の対社会委員会と関係者の間で話し合いが行われた。
将来、社会福祉法人化とすると案や、教区レベルで援助を、という声も聞かれたが、まず同会の所属地域である武蔵野ブロックがこの援助に立ち上がることになった。同ブロックは、フィルム内にPRし、次第に後援者の輪を他のブロックへも広げていくことを考えている。
さしあたって、12月中のある日曜日を1日だけ「しおん会デー」として、募金や賛助会員の募集を行った。なおチャリティーショーの開催の計画や学校のボランティア活動を決めるなど、援助の気運は急速に高まっている。
■問い合わせは荻窪教会
【電】334-8216、7926
インマヌエル 祝御降誕
おとめがみごもって男の子を産み、その名は「インマヌエル」と呼ばれる。-イザヤ7・14
クリスマスほど人々の心に深く印象付けられた祝日はない。教会にあまり来ない信者でも、この日には必ずミサにあずかり、信者でない多くの人々もこの日に教会を訪れる。私の祖国ハンガリーでも、クリスマスは1年中でもっとも喜ばしく楽しい祝日である。ハンガリーには、クリスマスを祝うための無数の聖歌隊がある。それは有名な作曲家の手になるものではなく、民謡の形で自然に生まれたものである。その歌詞も単純で、意味深い。
「クリスマスの夜、
ベツレヘムの村で、
幼子イエスが生まれた。
よろこべ、楽しめ。」
「今美しいバラの花が咲いた。
全世界が久しい昔から待ちわびていたバラが咲いた。
ベツレヘムで若枝に花が咲いた。王家の偉大な主が生まれた。」
「キリエ、キリエ、幼子よ、
ベツレヘムの王子よ、
あなたこそわれわれのいのちの恩人。
あなたこそ滅びからわれらをすくってくれたかた。」
クリスマスには、その日にのみ人々の心を満たす特別な喜びと平和、愛と静けさがある。そのクリスマスの魅力はいったいどこにあすのだろうか。マタイ福音書はこの問いに、次のように答えている。
「これらの全てのことは、かつて主が預言者によっていったとおりであった。『見よ処女が身ごもって男の子を生む。そのナはインマヌエル。』これは【神がわれわれと共にいる】という意味である」と(1・13)
クリスマスの喜び全ては、ここのある。人間は、死すべき運命に苦しめられ、神が不在であるかのように見えるこの世の中で苦悩している。衝突と、嫌悪、罪過と復讐、失敗と挫折に満たされたこの世を、神はいったい忘れたのだろうか。あるいは、矛盾だらけのこの世を造った神は存在しないのであろうか。人間のこの根本的疑問と苦悩に対して、ベツレヘムの神秘は答える。神がある。そしてこの神がわれわれとともにいる。天地の創造者、万物の主である神がともにいる。
しかもこのともにいる神は、宮殿で生まれたものでも、黄金で飾られた、ぜいをこらした服をまとっているのでも、権力者の姿でこの世に入ってきたのでもない。人の家で生まれることが出来ないほど困った状態のもとで、極貧のうちに、無防備で、大工をいいなずけに持つ若い田舎娘の息子として、この世とともになったのである。
父なる神の永遠の御子が、今からマリアの子、人の子でもある。神はご自分の御ひとりの子に対して持っている限りない愛をこの「人の子」に対してもそのまま持っている。そして神はイエスを通して、イエスにおいて、われわれすべてに対して、その同じ愛を持っている。イエスは、神の愛を表す姿ではなく、神の特徴のうちに最も本質的なものが、力ではなく、愛だからである。
ともにいる神の誕生は、人類が自らの力で作り上げたものではあり得ない。それは、神の一方的な賜物である。だからこそ、イエスは、処女マリアから生まれたのである。イエスが処女から生まれたので御父のひとり子あるのではなく、人間となって御ひとり子であるので処女から生まれたのである。これこそ恩恵神学の根本的信条をあらわす事実である。つまり、神の訪れは、人間の動作に先立つ。人間の一切の行動や功績などに先立って、人間に対して際を示し告白する神の到来がある。しかもこの神の到来は、人間であるマリアから生まれた人の姿を取っている。神が人類を忘れたり、全面的に排除したりすることはあり得ない。彼の最愛のひとり子が、人類の一員だからである。
だからこそベツレヘムは、愛の究極的勝利に対するわれわれのゆるぎない希望の根拠でる。神がともにいるのに、だれがわれわれに打ち勝つことができようか。神の命があるから、その生命がいつか消えうせることはあり得ない
人類の圧倒的多数の貧しい人々の同伴者となって、神はこの世とともにいる。それは、いっさいの価値の「どんでんがえし」である。命を失う人はそれを見出し、泣く人は幸いであり、与えることは受けることより喜ばしく何も持たない時にこそ全てを持つ。ベツレヘムで開始され、ナザレ、ガラリア、サマリア、ユダヤと通してエルサレルのゴルゴダに至ったイエスの生涯が、このことを如実に物語っている。
インマヌエルの預言の成就を告げる句で始まるマタイ福音書は、その最後の句として、復活者イエスのことばをのせている。「私たちは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる」(28・20)とイエスのこの約束は、いつのクリスマスにも有効である。いな、毎日曜日、世の終わりまで、更に世の終わりを越えて、永遠の有効である。イエスがともにいるということは、神がわれわれのための神であるということを立証している。われわれもイエスのために生きる人間、したがってまた愛のために、全ての人に対する神の愛にあずかって人びとのために生きる人間になろう。そのときにこそ、ベツレヘムで生まれたイエスは、われわれの中に日毎に生まれ、ベツレヘムで咲いたバラの香りは全てを満たすだろう。
(上智大学神学部長 P・ネメシェギ)
お知らせ
■年頭に平和祈願
教皇パウロは6世は、年頭の平和祈願の日にあたり、「和解-平和への道」というテーマと与えた。このため白柳大司教は特に元日および5日(日)、各教会、修道院、施設で平和のためのミサや、祈りが捧げられるよう要請している。
カテドラルでは元日0時、1時、10時、(白柳大司教)、12時(浜尾司教)にミサが捧げられる。初詣もかねて、多くの信者の参加が期待されている。
■使徒職を研修4月から開講
布教小委員会は要理教育講座につづき、さらに一般信徒を対象とした使徒職研修コースの計画を具体化している。これは生活におけるなまの体験を分かち、信仰を実地に生かす道を話し合うことによって真の教会を体験し、生活の場を変えてゆくことを目的としたもの。
コースは参加者の便宜を図って3グループ(週日午前、夕、月1土・日合宿)にわかれて行われ、4月から開講の予定だが、プログラムや申し込みの具体的方法などは追って通知される。
■人事動静
T・グレーニ師 東小金井主任
岡田武夫師 西千葉教会主任代理
浜崎数雄師 本所教会へ
F・ポンヴィル 師帰国
■護国寺から大聖堂
カテドラルへは交通の便が悪く、国電目白駅から新宿西口行バス(椿山荘下車)が普通であったが、このほど地下鉄有楽町線の開通によって「護国寺」下車音羽方面で具著も便利になった。それでも徒歩10分。
■両司祭に平安を
教区では1974年中に、6月3日ヨアキム平田忠雄師(64)、11月4日ペトロ鈴木一郎師(42)の2人の司祭を病死によって失った。主の葡萄畑で働くものが不足している折から、その死が大いに惜しまれている。
埋葬はいづれもカトリック府中墓地。
■大半が契約済み-教区の墓地-
東京教区では昭和3年、府中市に敷地12,500平方メートル、墓地数約2,500基の府中墓地を設けたが、既に全て契約済みである。
昭和36年、五日市町の山林58,000平方メートルを買収し霊園の建設に取り掛かった。昭和40年、都知事の許可を得て、600基の墓地分譲をはじめこれもすべて契約済みとなった昭和48年、カテドラルの聖堂内に納骨堂を完成し、目下希望者にわけている。
五日市霊園は広大な敷地を持ち現在建設が完成した区域は焼く5分の1であるが、更に拡張するには少なくとも300名の希望者が必要である。管理事務所で申し込みをうけつけている。納骨堂は1,000区画中3割5部が契約済みとなっているが、3年後には全て満了。この納骨堂は筑波大副学長の吉武教授による斬新な設計で、外部は乳白色の大理石、内部は総ひのきづくりである。
教区はこの他に、八王子、市川、館山の各教会に、所属信者のための墓地を持っている。
★府中墓地(全て契約済み)
★五日市霊園(全て契約済み)
★納骨堂(契約受付中)
ブロック便り
合同堅信も計画
【成城】
聖年の意義を踏まえて全体が活発化していることが、最近の動きとして見られる。
1、本年の合同ミサが信徒の一致に大きく寄与し、毎年の行事とすることを決定した。今年は合同ミサに中に、合同堅信も計画にのぼった。
2、ブロック会議の前半を、勉強会の場として活用し、今回は「成人の洗礼についての新典礼」についての研究会を開いた。
3、当ブロック内で高校生、盛年の指導に当たっていた古川師が教区全体の専任になられたので当ブロックでの中・高校生、青年層の指導司祭を選出しなければならない問題がある。
4、いま1つ、ブロック内の喜多見教会の存続問題がとりあげられている。教区内で唯一の借地権の上に立てられた教会で、3月の更新の時期であるが、教区財政の貧困の問題もからみ岐路に立っている。ブロック内の問題に止まらず教区レベルで考え、真剣に取り組まなければならないことを訴えている。
【城北】
第1期ブロック会議員の最終会合は11月17日に開かれた。既に次期ブロック会議員に選出されている人びとがブロック会議見学のため参加したことは「去り行く」私たちに力強さを感じさせた。これといった議題もなく、1期の会計報告後、反省・要望・感想を気楽に語り合った。
新会議員に期待
俗社会では人が変わると改組のものも変わってしまうことがるが、教会のはそうではない。これは神が常にいっっしょにいて下さるからだろう。安心して私は任を離れる。「城北」の編集をされた方がたに感謝し、次期もぜひ続けて出していきたい。私は「城北」でブロック会議の皆様とつながっていたいから・・・。ブロック会議の理解はそこに出席することにあると思うので、今回新人を選出することにした。運営委員だけ(?)が発言するのではなく、全会議員が発言するよう次期の方々に望みたい。布司協からの通達機関にならないでほしい。終わりに神を讃え「栄唱を一同で唱え、第1期の幕を閉じた。
青少年も育成を
【多摩】
11月17日の会議で、ブロックの来年度活動方針が決まった。
ブロック会議発足以来、活動の重点を青少年対策のおいているが、去年、今年と大きな成果をあげた中、高校生の練成会を柱に、青少年活動をさらに高めるために、練成会費、中・高校生の独立の独立した活動を推し進めるための特別予算も計上されている。またブロック内の各母体が、7月の第3日曜日の献金を「青少年育成ブロック献金」とすることが決まったのも、来年度の青少年活動を進める上で大きな原動力となると期待されている。
文化活動面では5月10日(日)午後6時半から「日本名演奏シリーズ」の第2回として、国際的なピアニスト、深沢亮子氏を立ち交わしに招いてリサイタルを開きクラシックの接する機会の少ない多摩地区の地域社会に貢献しようと、実行委員会で這う悪も準備に入った。
なお、2年間のブロックの活動を反省し、全身へのスプリング・ボードとするため「多摩ブロック2年の歩み(報告書)」を発刊する予定である。