東京教区ニュース第7号

1974年05月01日

現代技術で福音を!  “主は完全な送り手”
第8回世界広報の日テーマ
世界のマス・メディアと世界の福音宣教

今年の世界広報の日のテーマは「世界のマス・メディアと世界の福音宣教」と定められ、5月26日、主の昇天の祝日に予定されている。このテーマは、第2バチカン公会議の広報に関する教令の司牧指針(Communio et progressio)の第3部第2章第2節(126-134)の主題を内容とするものである。司牧指針は、ここでキリストの福音を宣教するために、現代的コミュニケーションの技術を積極的に活用する必要性を強調している。この指針は、第2バチカン公会議の教令を補足し、その具体的適用を示したものであるが、この指針から、一般信徒は現代社会に直面するコミュニケーションの問題を学び、また、コミュニケーションの専門家も、そこに表明された神学的洞察から汲むところが多いと多いと思う。今年の7月30日から、8月3日までにわたり、東京で、教皇広報委員会主催のアジア広報司教会議が開催される。これに因で、東京教区ではこの司牧指針の発行(南窓社)を計画している。この翻訳は、上智大学のキリスト教文化研究所の「教会とコミュニケーション」のセミナーに参加した司祭、修道女、神学生などによって行われ、日本カトリック・ジャーナリスト・クラブの有志の方々の協力によって、完成されたものである。間もなく刊行の予定であるが、とりあえず本年の広報の日もテーマと関連部分を抄出して、ここに、教区民の皆さまの参考に供したいと思う。(川中 康弘)

福音を告げるためのメディアの使用

126 キリストは、使徒とその後継者たちに「万民に教え」「世の光」となり、そしてあらゆる場所あらゆる時代に、福音を告げ知らせることを命ぜられた。使徒たちは、自分たちの時代に利用できる社会的コミュニケーションの手段を用いたが、地上の生活の間に、キリストは完全な送り手として、ご自分を示された。

したがって、今日使用することができる社会的コミュニケーションの手段によって、現在も同じメッセージが伝えられることが必要である。実際、福音を多くの人びとに伝えるために、現代的なメディアによって提供される機会が利用されなければ、キリストの命令に従うということにはならない。

メディアの必要性

したがって「社会的コミュニケーションの手段を、使徒的目的のために活用して、効果的にそしてただちに利用する」ように、第二バチカン公会議は神の民に勧告している。

127 現代人が自分たちの信念を形成し、態度を決定してゆくにあたって、社会的コミュ

ニケーションの波に深く影響されていることを悟れば、メディアを利用する必要性は明白である。これは他の真実と同様に、宗教的信念と宗教的態度の場合にも真実である。

128 現代的メディアは、人びとに福音のメッセージを真面させ、キリスト教徒が遠く離

れていても典礼や礼拝や教会の諸行事に参加することを可能にする新しい道を提供する。この方法でメディアはキリスト教徒の共同体をより密接に結びつけ、教会の内的な生活に参与するようすべての人を招くことができる。

もちろん提供する形は、使用されているメディア特有の性質に適合させなければならな

いが、メディアは、教会の説教壇と同じではない。そのような提供の基準は、少なくともその質においてメディアの他の製作と同じでなければならないということが、強調されすぎることはない。

魅力ある表現を

129 メディアは、キリスト教的教育に非常に価値のある助けである。メディアは、生起するあらゆる問題について、専門家の奉仕を求めるのと同じに、宗教教育においても、最も優れた専門家の助けを求めることができる。メディアは、魅力ある現代的な表現に必要な技術的手段を行使することができる。

それらは日々の、教師の個人的な働きを、最も効果的に助けることができる。今日、宗教教育のあらゆる形が要求している根本的な変化を、マス・メディアによって可能にすることができる。

社会的コミュニケーションの手段は、ニュースを提供し、現代人の生活態度や見解を述べる通常の回路であるから、日々のできごとや問題の討論によって、自分たちの宗教的信念のより深い意義を考える優れた機会を提供する。キリスト教徒は、自分たちの日常生活に、これらの深い信念を適応させることができる。

130 現代人は、メディアによる娯楽形態と巧みな表現に慣らされたので、どんな番組でも、明らかに劣っているものには、非寛容である。それは、たとえば、典礼、説教や宗教的訓話など、宗教的な番組に対しても同じである。

131 そしてキリスト教を、もっと興味深く効果的にするために、できるだけ、メディアを利用しなければならない。ひとつのコミュニケーションが、そのメディアに合うために、最も適切な技術や様式を用いるために、あらゆる努力がなされなければならない。

専門家達の助言を

132 教会が管理していないが、了解された条件のもとに、教会使用のために提供されているコミュニケーションの手段を、教会は利用することができる。必要な所では、教会がコミュニケーションの手段を所有し、管理することもできるだろう。厳密な固定した規則を定めることはできない。場所によって状況が変わる。

教会の権威者は、この使徒職に携わっている人びとに、異なった国や異なった条件のもとに、何をなすべきかを助言しなければならない。

彼らは、その地域の専門家たちの意見を聞いて、もし必要なら、国際的助言を求めてから、この助言を与えなければならない。

経済的協力も必要

133 カトリック教徒が社会的コミュニケーションに対して、独自な寄与をし、神が与え

られたこれらの手段を自分たちで使用することによって、福音の光の下に、人類の進歩を推進する責任を果たすためには、かなりの財源が必要である。カトリック教徒は、この分野における自分たちの責任を熟慮し寛大にそれらに直面することが求められている。救いのことばを閉じこめたり、制限させたりすることは、信徒にとってふさわしくない。

134 人類一般の、また、特に教会の生活にとって、社会的コミュニケーションの手段が、ますます重要視されていることを考慮してメディアは、司教会議によってたてられた司牧活動の全般的計画において、現在受けているよりもはるかに尊重されなければならない。

これらの計画は、司牧会議の管轄地域で使用するために必要な資金を与えなければならない。資金は国際的協同のためにも利用されなければならない。

旅する若人に中央機関を

 地方より出て東京で働く若い移動信徒のオアシスの窓口、東京教区移動連絡事務所(新宿区百人町3-33-37)では、かねてより、離郷信徒のために、信仰の面でも、現実の面でもいろいろの面倒を見てきたが、このほど中央に委員会を設け、この運動を行っている地方の各会と、横のつながりを強めようとの機運が強まってきた。

地方から出てきた若い信徒たちに、都会の教会を紹介し、信仰の種を育成し、福音の証を立てていくことができるよう奉仕するのが同事務所の目的であり、これに専従の司祭や修道女たちが熱心に働いている。電話(364)1686。

新しくなる大人の洗礼

今まで、大人の洗礼式は大抵1日で授けていたが,、今度出る新しいやり方では大分変わる。

先づ教会に来た人が、種々教えを聞いて、「もっと深く教えてほしい」気持ちになった時、それを教会の集りの時に表明して、第1段階(求道期間)に入る。この求道期間の長さは人によって差があるのは当然である。第1段階に入る式は、自分が「もっと深く教えてほしい」との望みを示し、キリストについて行こうとした人であることを意味する「額に十字架の印をして頂く」こと「主の祈り」を正式に喜んで唱えるように「授けられ」、聖書朗読をきき、信者の共同祈願からなり立つ。やがて本人が洗礼をうけようと決意すると、第2段階(洗礼志願期)に入る。代父(母)がその決意を証し、本人が受洗の意志を公言すると教会は受洗志願者としての「選み」を宣言し、信仰宣言をきかせて以後約6週間の洗礼志願期を通して、その人に神の清めと照らしがあるように祈りつづける。そして洗礼の日を迎えるのであるが、今回の指針を見ると、直ちに堅信の秘跡をその司祭から授けられ、つづいて行われる聖体祭儀(ミサ)で初聖体をうけることになっている。

要するに、今までのように教理を教えるが、本人の心の準備に従って第1段階(求道期期間)、第2段階(洗礼志願期)を典礼を通じて行おうということである。

更に、個人と神の結びつきだけでなく、教会というキリスト者共同体の中の一員になることが受洗の意味でもあることから、既に洗礼を受けている人々が、これらの式に与って、その人を迎え、またその期間を祈りと生活をもって共に歩んでいく事が求められている。

本来受洗は復活徹夜祭(聖土曜日)に授けられるので、第2段階の意味と照らし合わせて、四旬節の第1主日にこの第2段階に入ることが望ましいわけである。

第1段階は求道期間で人びとによって異なるので、いつでもよいわけであるが、1番近いとしても前の年の待降節の頃に行われるべきであろう。(教区典礼委員会)

ひろば
  「靖国」に賛否両論

 私は靖国問題を聞いて、カトリック者の中で反対運動をするのをみて怒りをおさえることができません。私の良人は戦死しました。祖国がその犠牲を喜びその霊を慰めるのは当然の義務であると思います。カトリックがこれに反対しているとは思えません。反対はカトリックと自称する人びとのまちがった行動です。

靖国神社は神道という宗教的な形をとっていますが霊をまつるときは、何かの形に表現しなければなりません。キリスト教化していない日本では、神社の形をとるのは当然のなるゆきです。キリストは救い主としておくだりになるとき、普遍的な人間の姿をとるわけにはゆかず、ユダヤ人という形になったのです。

戦士をまつるにあたっても神社と言う一つの形をとらざるを得ないでしょう。私は良人が国から形をもって崇拝されることを願ってやまないのです。遺族のことを考えてもこの運動をカトリックの名でやらないで下さい。(主婦)

「靖国法案反対」は、カトリック教会でも、少なくとも東京教区においては教区大会で教区民の意志の集約として可決され、昨年より教区規模で反対運動を展開している。おそまきながら結構であるが、いささかなまぬるい感がないではない。その理由の一つは反対の動機が信教の自由の意志に対してであって、直接政治的理由によるものではないという点にあると思う。「靖国」は単に宗教の問題ではなく、日本の将来をも規定するものであり、政治の側面をぬきにしてこれを論ずることはナンセンスであるとわれわれは考えるのだがカトリック者の中にはたとえ反対していても政治という言葉を表面に出すことによってアレルギー現象を起こすものがかなり多いことも知っている。その動機や活動の形態までもわれわれの考えで画一化し、折角教区規模で盛り上がってきた運動に内部分裂でも起こさせるような愚はいたすまい。ものたりなければ同志を集めてカトリックの一グループとして別の道を歩む自由はいつでも残されているのだから。(青年)

あした葉

  今日は「広報の日」である。といっても、みなどれだけ関心をもっているだろう。教会には「移住の日」だとか「布教の日」だとかいろんなのがある。「広報の日」というようなのもあったような気がしたが、日曜日ミサに行って今日だときかされ、ああそうだったのかというのがおちであろう。それに祝日とかさなったりすればなおさら影はうすくなる。▼キリスト教は本質的に宣教されるべきものであり、それに何よりも大役を果たしうるメディアの重要性を信徒ならば知らないはずはあるまい。もし宣教に、メディアを余すことなく使うことができたならと、誰しも1度は考えたことがあるだろう。しかし現代のメディアは、何もキリスト教をつたえるために用意されているわけではない。キリスト教宣伝のための作品には、その製作にあたって、人材をそろえ、ありあまるほどの費用をあてがって、見聞きに耐えるものとし、紙面や時間帯の買いしめに金に糸目をつけないというのなら話は別だが、おいそれとこちらの都合のよいような道具になってくれるわかはない。▼ただ指をくわえて見ているわけにもゆかず、ことさら「広報の日」などをもうけて注意と関心をよびおこそうとするのだが、別にいわれなくても知っているし、現実が今すぐにはどうにもならないということをあらためて思い知らされるだけである。「広報の日」のポスターは画鋲がとれたまま掲示板の片隅にむなしくはためき、パンフレットはほこりをかぶって下駄箱の上につまれたままとなる。かといって冷淡になりきるのも気がひけて、せいぜい「祈りましょう」ぐらいなところまではゆく。ローマから有り難い指針が出たり、あちこちで会議が開かれたり、それなりの努力はしているのだが、急に変わるというわけにはゆかない。いささか悲観的な視点からだけものをいったようだが、現実は「こう」だと知らせて1度は「ほう」と嘆息させ、歯を食いしばって力をふるい起こさせるのも「こうほう」(広報?)の役目かも知れない。(S・A)

あなたはもう読みましたか?
話題の本

 フィクション部門で、ベストセラーのトップを走ったのは、何といっても小松左京の書き下ろしSF小説「日本沈没」であった。異常気象、地震などの異常現象と、終末思想の考えを背景に、上下巻合わせて350万部という売上部数を記録した。

「日本沈没」という終末的様相をテーマに取り扱ったものと共に遠藤周作の一連の「ぐうたらもの」がヒットを飛ばした。

フィクション部門でのベストセラーの特色は、映画化、テレビ化されたものが多いということである。マス・メディア同士が互いに助け合い、購読者をふやし、TVの視聴率を上げるという定式が、73年度のベストセラーにもあてはめることができよう。

ノン・フィクション部門では、これまでの傾向と異なり、2、3年来、徐々に顔を出しはじめていた、実生活をしていく上に役立つ週刊誌的実用本が、10位までを占めてしまっているのが、何といっても第1の特徴である。

なお、73年度の出版界の最大の話題であり、問題は、用紙不足であった。そのため各出版社は1ヶ月ごとに値上がりしていく用紙代に頭を悩ませた。特にそのしわ寄せは中小出版社に来たが、カトリック出版社もその例外ではなかった。

そのため本の価格の値上がり現象、新聞、雑誌の減ページ現象がおこり、文庫本ブームが到来した。

文庫本は、従来の岩波、新潮、角川の他、現在約15種類あり、いずれも売行きは好調である。このブームの原因には、1.単行本の価格の高騰と共に、2.現在よく売れている本が、すぐ文庫本になるということと、3.若者のフィーリングに訴えるきれいな写真、映画のスチール写真を表紙にしたことなどが挙げられよう。

盛り上がる靖国阻止運動

 ▼ 「靖国法案」強行採決に対し、白柳大司教は4月20日付で、田中自民党総裁、前尾衆議院議長あて抗議文を送った。

▼ 立教大カト研を中心とする青年たちは、このほど法案に反対して「靖国問題青年委員会」を結成した。青年の自主参加が要望されていただけに、その活躍が期待されている。

▼ 「靖国法案」が内閣委員会で強行採決されたことに抗議し、キリスト教諸団体など25団体は、4月25日、日比谷野外音楽堂で法案反対を中心とする中央集会をひらいた。おりからの雨天にもかかわらず約2万人が会場を埋め、各団体の代表はそれぞれ宣明文、決議文を表明して共闘する決意を新たにした。カトリック側からは、靖国問題実行委員会、同青年委員会のメンバーなどが参加したが、この種の集会には従来あまりカトリックの出席が目立たなかっただけに神父のローマン・カラーや、信徒の手にしたカトリック教会と印した小旗などは異色あるものとして報道陣のカメラを浴びた。

▼ 4月28日、同法案に反対するキリスト教関係者は、市ヶ谷の女子学院講堂で「靖国国営化阻止緊急集会」を開いた。カトリックとプロテスタント双方から約1,100人出席し、カトリック側からは、靖国問題実行委員会事務局長、青木神父、プロテスタント側からは戸田牧師がそれぞれの立場を代表して決意を表明し、今後の共闘を誓いあった。カトリックとプロテスタントが合同で抗議集会を開いたのははじめて。合同といってもカトリック側からの参加者は20人、すべてにおいてカトリックが招かれた形であったが、この運動に対してのプロテスタント側からの期待は大きく、おそまきながらも動きだしたカトリック側を大歓迎している。

靖国問題実行委員会は、5月18日午後3時半から、カトリック・センターで、法案強行採決に抗議するとともに反対運動促進のために「5・18靖国国営化阻止カトリック集会」を開くことを決めた。

カトリックが教区公認でひらく最初の集会でもあり、多数の参加が期待されている。

近く略式代議員会

 活動方針と予算案検討

4月の布教司牧協議会は、主として、6月に行われる略式代議員会と、教区ニュースの有料制について討議が行われた。

略式代議員会は、教区としてもはじめての催しであり、司教・司祭・修道女・信徒が一体となって大会以後の布教司牧協議会関係の活動報告きき、これをもとに作られた今後の活動方針と予算案を検討する。この代議員会は「略式」といわれるように、将来行われる代議員会の初段階ともいうべきものである。この会議は6月30日(日)の午後カトリック・センターで開かれる。代議員は現ブロック会議員の中から選ばれるが各ブロックの会議員の半数を目安とし、原則として母体1名とする。代議員は母体の意志を代表するが活動報告・方針・予算・決算等に関する質問・要望・修正提案等はブロック会議を通して6月15日までに教区事務所に提出されることになっている。

教区ニュースは、東京大司教区の機関紙という性格づけ、教区の方針とこれにもとづく活動を適確にしらせ、同時に教区民に対話の場を提供して一致協力を促進するという編集方針が確立されたが、その財源は大きな課題となっている。教区財政の自立、教区民相互の協力が叫ばれている折から、その有料制が以前から討議されて来た。今回協議会として、次のような結論を出した。すなわち、今後ニュースを1部20円とする。そして各母体で購読数を独自に定め、ブロックでまとめて広報部に通達することになっている。なお1部20円というのも、実は教区から半額の援助があっての価格であることを知っておいていただきたい。

“汝の敵を愛せ”に想う

  「人間という人間は、1人残らず神が認めている存在である。この人間を私共が否定することは出来ない」とある神父が言われた。

この言葉を聞いた時、私は胸に何かぐさりと突きささるものを感じた。私どもが社会生活をするとき、自分と性の合わない者が何と多いことか!

また自分に敵意をもっていると自分で勝手に思いこみ敵にまわしている者が多いことか!

剣の達人は歩いている時、遥か先に自分に危害を加える者が潜伏しているのを感じとるという。これこそ人それぞれに多少の違いこそあれ超能力(第六感)を持っているからである。

この第六感こそ神の偉大なたまものである。

人間の観念は瞬時にして相手の心に映じるものである。自分の嫌いな人間また自分に敵意をもった人間を、どうしたら好きになれるだろうか。私は先の神父の言われたことを、こんな風に考えた。

人間一人ひとりすべて神が造られたものであり自分は神をこの上なく愛し、神に頼りきっている。それならば神が造られた人間を嫌ってはならないと!

このことを心に確と思うとき、この気持ちは必ず相手に通ずるものである。これにより自分の心も安らかになって来る筈である。信仰をもつ者の心の安らぎということだろう。これこそ聖霊の働きによるものと思う。その時無限の心が広大無辺の神と一致して心は休まるのではないだろうか。

全世界の人々が信仰により、この気持ちを通じあえば必ず平和は、日ならずして訪れることを信じてやまない。

今やテレビは超能力の放映をさかんにやっているが、私はこの様に見世物的に放映することを苦々しく思っている。

波長が常人より高いとか電波が短いとか、色々と言っているがこれこそ神の大きな恵みの愛の光ではないだろうか。

私共キリスト者はこのことを心から信じ絶えずすべての人のため祈りを捧げよう。(荻窪教会 鈴木実)

典礼・要理に新機軸
  どなたでもどうぞ

 典礼委員会の計画

1、 8月30、31日の両日カテドラルを中心に昨年同様「オルガン講習会」

2、 9月29日、10月27日、11月24日の3日間、午後2時からイグナチオ会館で昨年同

様「生きた典礼をめざす集い」

詳細は追って発表されるが、この2つはいづれも昨年度の参加者の要望にこたえたものである。

なお今春4月から1ヵ年のオルガン定期講習会も同委員会の主催で行われている。

要理教育講座開く

布教司牧協議会内の布教小委員会は、教区大会第4部会の決議事項の具体化のため、種々のグループを設けて調査活動や協力態勢の確立などの作業を行ってきたが、このほどその1つである要理教育研究者のグループは名称を「東京要理教育研究所」と改め、内外の専門家や要理教育の経験者たちの強力な支援と協力のもとに、要理教育に携わる教師を対象に「第1回東京要理教育講座」を今秋から開くことに決めた。詳細は電話265-2971へ問合せのこと、パンフレットをお送りする。なお申し込みは5月中。

聞いていますか

▽ ラジオ

心のともしび(ニッポン)月~土(朝6時25分)

太陽のほほえみ(ラジオ関東)月~土(朝6時40分)

▽ テレビ

心のともしび(日本テレビ)火曜日(朝6時30分)土曜日(朝8時15分)

▽バチカン放送(日本語)火、木、土の朝6時50分 7235、9615、1101各KHZ

内容(聖書のしおり、教皇様の言葉、カトリック・ニュース他)

 

求職

1中年女性が職をさがしている。希望職種は司祭館または教会の賄婦。詳細はカリタスの家、電話943-1726(渡辺)まで。

園児募集

荻窪教会しおん会(ちえおくれの幼児通園保育園)で園児を募集している。詳細は荻窪教会、電話334-8216まで。

ブロック便り

 青年は社会の反映

【中央】過去10回の会議で第6回以降は主として青年に関する問題を中心に討議をつづけてきた。テーマをみるとまず青年の悩んでいる問題、学生の問題からはじまって、ボランティア活動と青年、若人の求めるものと教会との接点、青少年のカトリック的志向への方法論、青年信徒の新しい育成の仕方など一般的問題から、青年会の現状、新しい育成の方法論に及んだ。はじめの頃は現代青年の気質や、社会観など青年自身のことが主であったが、次第に青年と対応していく大人に多くの問題があるのではないかというように変わってきた。いいかえれば青年の問題はむしろ現代社会の反映としてとらえるべきで、いかに大人が社会の矛盾にまじめに対処しているかということこそ問題であるということがわかった。その具体例として青年も大人も共通の仕事にとりくんでいる枝川教会では年令の差による断絶は全くないという状況がある。この点は今後、青年問題を論ずるときに重要な視点となるように思われる。

【城西】6月2日10時30分から聖心女子大学において城西ブロック合同ミサが実施されることになり、ほぼ準備も最終段階に入った。参加人員の予想も1000名にのぼると見られる。当日の案内係駐車場係は、ブロック内のボーイ・スカウトの協力が得られることになっている。

ブロック宣教活動の一環として「心のともしび」パンフレット利用の準備編集もほぼ終わり、5月中頃には配布の運びとなった。

地域社会のかけ橋

ブロック内では隣接教会の委員合同会議を行うことがあげられる。それぞれ小教区独自の催しなどもあって機会が得られにくいのであるが、今後小教区共通の諸問題をとりあげ、地域社会への共同的働きかけの場をつくりあげることを考えている。

青少年の問題は毎回といっていいほど、ブロック会議に出されている。青少年の指導・錬成会など一小教区の問題にとどまらずブロック・レベルで、またブロックを越えて教区全体でとりあげていくことが必要のようである。

6・15に聖体大会

【城南】4月28日、第3回連合運動会がサレジオ中学のグランドで開かれた。子供会、教会学校を中心に競技がすすめられたが借物競争などには婦人や壮年も加わって、かつての健脚ぶりを披露していた。

競技の進行係には、教会の青年会があたり、高輪、洗足、碑文谷などの婦人会がサンドイッチ、すし、飲み物で雰囲気を盛り上げたが費用は各母体で分担した。

連合運動会と銘は打ってあるがほとんどが子供で、まだ青年、壮年、婦人、シスターの参加があまりにも少なく、問題を残している。

昨年につづいて今年も第2回聖体大会を6月15日(土)午後3時から洗足教会で行うことになった。今年からは毎年各教会を回って、小規模に行なう。これによって、地元教会の信者多数の参加が可能になる。昨年のような大規模なものは3、4年毎に行なうことも申し合わせた。

【城北】四旬節の愛の募金運動(南ベトナム復興援助募金)についてブロックがとった態度は、自画自賛かもしれないが、ブロック会議のいかし方の1つとして画期的なものであったといえよう。

母体内で「南だけの援助でよいのか。北はどうするのか」の論議が出て、街頭募金を主張した人びとがいたにもかかわらず、母体としてはこの募金を母体内だけでと決め、該当募金を中止したところもいくつかあった。

活動を超小教区で

ちょうどその頃、ブロック会議運営委員会に板橋教会から「街頭募金を行なうにあたり、有志の方はぜひ参加してほしい」との提案がなされた。そこで運営委員会はブロック内各母体に案内として流すことを決定、事実上はプリントの配布などの拙劣から時間不足もあったにもかかわらず、何人かの人びとが参加した。

今や、司教区あっての小教区という本来の姿に戻りつつある時、このような超小教区的動きをすることができたことはまことに立派であり、今後もこの方針を貫こうとしている。なお、これは小教区の存在を無視するものではない。