大司教
週刊大司教第二百六十一回:年間第十二主日
2026年06月23日
年間第12主日です。
6月15日から19日まで、定例の司教総会が、潮見のカトリック会館で開催されました。カトリック司教協議会の所在地であり、その事務局であるカトリック中央協議会の置かれている日本カトリック会館は、竣工から30年以上が経過し、全面的なリニューアル工事を一年かけて行っています。全体を半分ずつに分け、現在は上半分の工事中ですので、上半分にある事務担当がすべて下半分に移動しています。そのためいつもの総会会場であるマレラホールも仮設の事務所になっているため、今回の司教総会は、一回にある職員の方々の食堂を利用して会議テーブルを配置し、行いました。
一日目はフランシスコ会の小高神父様による霊的講話を頂き、その後にグループに分かれて分かち合い、そしてミサを捧げ、さらに夕方には、東京教区で働く宣教師のグループが、潮見教会でバーベキューに招待してくださったので、そこで司教たちと宣教師たちの出会いの場となりました。

また二日目の夕方には司教団と男女の修道会の代表とで、教皇庁大使館を訪れ、司教叙階10周年を迎えたモリナ教皇大使と、誕生日であったジョゼッペ参事官のお二人にお祝いを申し上げる機会がありました。
さらに三日目には、成井司教様を講師に、インターカルチュラリティについての勉強会も行いました。
司教総会で決定したことは、この後、カトリック中央協議会の広報や、カトリックジャパンニュースで公開されると思いますので、そちらに譲ります。司教たちのためにいつもお祈りくださっている皆さまに、心から感謝申し上げます。お祈りの支えがなければ、聖霊の導きに与ってふさわしい判断をすることも難しくなります。皆さまのお祈りをお願い申し上げます。

6月23日は沖縄の慰霊の日です。昨年は80周年ということもあり司教団全員で参加しました(写真は昨年の魂魄の塔)。81周年の今年も、朝6時から小禄教会でミサがあり、魂魄の塔までの平和行進が行われます。ローマにいるため参加できませんが、当日は沖縄の皆さんに思いを馳せ、心を合わせて平和のために祈りたいと思います。皆さまにあっても、この日に沖縄の歴史と現実に思いを馳せ、神の平和の確立のために、祈りを捧げられますようにお願い致します。
以下、20日午後6時配信、週刊大司教第261回、年間第12主日のメッセージです。
年間第12主日
週刊大司教第261回
2026年6月21日前晩
先日、6月12日はイエスのみこころ(聖心)の祭日でした。それにちなんで、6月は聖心の月とされています。
イエスのみこころは、わたしたちへのあふれんばかりの神の愛そのものです。十字架上で刺し貫かれたイエスの脇腹からは、血と水が流れ出たと記されています。血は、イエスのみこころからあふれでて、人類の罪をあがなう血です。また水はいのちの泉であり、新しいいのちを与える生かす聖霊でもあります。
イエスのみこころの信心は、初金曜日の信心につながっています。それは17世紀後半の聖マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して、そこから満ちあふれるご自分の愛をないがしろにする人々への悲しみを表明され、回心を呼びかけたという出来事があったと伝えられています。そして主イエスはみこころの信心を行うものには恵みが与えられると告げ、そのため、9ヶ月の間、初金曜日のミサにあずかり聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあると教会の伝統は教えています。イエスは聖女に、「罪の償いのために、9か月間続けて、毎月の最初の金曜日に、ミサにあずかり聖体拝領をすれば、罪の中に死ぬことはなく、イエスの聖心に受け入れられるであろう」と告げたと伝えられています。
今日の福音には、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」という言葉があります。どのような形され力を持って信仰に介入しようとする迫害に立ち向かい、福音に基づく真理を語り続けるようにとの励ましです。
教皇レオ十四世御自身が、その模範を示しています。信仰に基づいて発言された神の平和への望みに対して、大国の政治家が現実離れしていると批判され、一般社会でも論争を呼んでいます。しかしながら教皇レオ十四世は、平和への思いを語ることを止めようとはしませんでした。
教皇様は先般アフリカを訪問された際、「宗教と神の名を、自分の軍事的、経済的、あるいは政治的な利益のために濫用し、聖なるものを闇と汚れに引きずり込む人々は、不幸である」と断言されました。その上で、「平和は、隣人を自分の兄弟姉妹として受け入れることによって抱きしめなければならないものです。わたしたちは自分の兄弟姉妹を選びません。ただ、互いに受け入れ合わなければならないのです。わたしたちは同じ家に住む、一つの家族です」と呼びかけられました。
わたしたちは同じように、この世の力の前で恐れることなく、信仰を表明できているでしょうか。それは単に、神を信じているのですと表明することにとどまるのではなく、信じていることに基づいてどう生きようとしているのかを具体的に表明することです。
イエスのみこころが、いまこの現代社会の現実の中で、わたしたちにどのように生き、どのように行動師、どのように語ることを求めているのか、見つめ直しましょう。信仰を勇気を持って表明する者でありたいと思います。