大司教

週刊大司教第百五回:待降節第三主日

2022年12月12日

待降節の第三主日は、喜びの主日です。

12月8日、無原罪の聖母の祝日に、イエスのカリタス会で3名のシスターの初誓願と3名のシスターの終生誓願宣立式が行われ、サレジオ会の浜口管区長様と共に司式させていただきました。関係する20名近い司祭も参加し、まあ誓願者の6名のうち5名がベトナム出身ということもあり、ベトナムからの家族に加え、ちょうど訪日中であったベトナムのステファン・ティエン司教様も参加してお祝いしてくださいました。おめでとうございます。

以下、10日午後6時配信の週刊大司教第105回、待降節第三主日のメッセージ原稿です。
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待降節第三主日
週刊大司教第105回
2022年12月11日前晩

待降節は後半に入り、主の降誕を待ち望む喜びに焦点が当てられます。特に第三主日は喜びの主日とも呼ばれ、ミサの入祭唱には、フィリピ書4章から、「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる」と記されています。典礼ではバラ色の祭服が使われることもあります。降誕祭を間近に控えて、主とともに歩む喜びを心に刻む主日です。

先週に続いて、マタイ福音は洗礼者ヨハネについての話を記しています。先週はヨハネが、来られるであろう救い主について、また自分と救い主との関係について語っていましたが、今日の福音では、イエスがご自分が示される栄光と救いの業におけるヨハネの役割について語っています。

ヨハネが預言者として人々に伝えたことは、イエスご自身の業によってあかしされました。イエスはそのことを、「見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」とヨハネの弟子に指示することで、洗礼者ヨハネが果たした役割の偉大さをあらためて確認します。

教会は洗礼者ヨハネに倣い、現代世界の中で預言者としての役割を果たし続けています。教会が語るこの預言の言葉は、具体的に教会共同体の業を通じてあかしされます。教会は社会の現実のなかにあって、イエスの福音の喜びをあかしする存在でありたいと思います。様々な困難に直面する人たちとともに歩む教会でありたいと思います。神が与えられたこの尊いいのちが、例外なく大切にされ、その尊厳が守られる社会を生み出す原動力でありたいと思います。

わたしたちは、主イエスの福音を具体的に生きるとき、喜びに満たされます。イエスとの個人的出会いが心に喜びをもたらすこと、そしてその喜びを多くの人、特に様々な困難を抱えている人と分かち合うことがさらなる喜びをもたらすこと。教皇フランシスコは「福音の喜び」においてそのことを繰り返し指摘されました。

悲しみや怒りではなく、喜びのうちに福音を告げしらせるものであり続けましょう。