大司教

週刊大司教第百六回:待降節第四主日

2022年12月19日

待降節も第四週となりました。今年は暦の関係で、降誕祭が日曜日となりますから、待降節第四週も7日間あります。例年ですと第四週は付け加えのように数日と言うこともありますが、今年は、降誕祭への霊的な準備の時間は7日間も残されています。この時間を有効に活用して、霊的準備を深めましょう。

2017年12月16日に、東京大司教として着座し、故岡田武夫大司教様から引き継いで、5年が経ちました。あまりたいしたことを成し遂げることのできない5年間でした。多くの方に祈りを持って支えていただいていることに、心から感謝申しあげます。特に、日々のミサを始め様々な機会にお祈りいただいている東京教区の皆様には、心から感謝申しあげるとともに、今後とも私が司教職をふさわしく果たすことができるように、お祈りをお願いいたします。またいまでも続けてお祈りくださっている新潟教区の多くの方にも、感謝いたします。

降誕祭に先立つ9日間は、伝統的にノベナの祈り(9日間の祈り)がささげられてきました。その期間は、例えばミサのアレルヤ唱でも壮大な内容が語られますが、同じ内容は晩の祈りの聖母讃歌にも使われます。またフィリピンでは、ノベナのミサが早朝にささげられる伝統があり、シンバン・ガビ・ミサと呼ばれています。東京教区内の各地でもこのミサが捧げられていますが、諸事情から早朝ではなく、その前の晩にささげられることが多いかと思います。公式な統計でも東京教区内だけで4万人近いフィリピン出身の方がおられます。目黒教会で行われる晩のシンバン・ガビ・ミサを、東京に来た当初から、その一日を担当させていただいています。今年も、12月15日夜7時から、目黒教会での英語ミサを司式しました。コロナ禍での制限がまだあるため、聖堂は一杯とは行きませんが、大勢が参加されていました。また着任されたばかりだと言う新しい駐日フィリピン大使もミサに参加されました。フィリピンと日本ではキリスト教の文化への浸透の度合いは異なりますが、こういった信心の業には目を向けて、どういった霊的準備ができるのか、この国での可能性を考え深めることができればと思います。

以下、17日午後6時配信、週刊大司教第106回、待降節第四主日のメッセージ原稿です。
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待降節第四主日
週刊大司教第106回
2022年12月18日前晩

「天よ、露をしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開いて救い主を生み出せ」

イザヤ書45章のこの言葉を入祭唱とする待降節第四主日は、わたしたちがもっとも待ち望んでいること、すなわち救い主の誕生についてやっと直接に触れています。主の降誕を待ち望んでいるわたしたちは、雲が露をこの地上にしたたらせるように、神の恵みがわたしたちを包み込み、そのわたしたちの間から救い主が誕生するのだと言うことを明確にします。すなわち、「神はわれわれとともにおられる」のです。

マタイ福音は、イエス・キリストの誕生の次第を記しています。救い主の母となることを天使に告げられた聖母マリアが、その事実を冷静に受け止め、謙遜のうちにしかし力強く他者を助ける行動をとり続けたように、夫であるヨセフも、天使によって告げられた神の思いを受け止め、それに信頼し、謙遜のうちに行動します。この二人の謙遜さ、勇気、そして神への信頼における行動があったからこそ、救い主の誕生が実現します。天から露のように降り注ぐ神の恵みは、それを受けた人の謙遜さ、勇気、信頼を通じた行動によって、実を結びます。わたしたちは、神が降り注がれている恵みを無駄にしてはいないでしょうか。

この3年近くにおよぶ感染症の暗闇の中で、わたしたちに歩み続ける勇気を与えてくださったのは、神がともにおられるという確信でした。神はご自分が創造されたいのちを見捨てることがない。常にわたしたちとともに歩んでくださる。旅する神の民の真ん中に、御聖体とみ言葉を通じて、主は現存される。なぜならば、神は「インマヌエル」だからです。ともにおられる神だからです。

間もなく降誕祭を迎えます。主がわたしたちと共にいてくださる事実を、降誕祭の喜びのうちに再認識を、主への信頼のうちに、その希望の光を暗闇の中でともに掲げて歩み続けましょう。