大司教

週刊大司教第三十九回:聖母の被昇天

2021年08月14日

今年は聖母被昇天祭が主日と重なりました。8月15日の日曜日は、聖母の被昇天です。

東京教区ホームページに掲載した公示のとおり、大変残念ですが、ミサの公開を自粛することにいたしました。期間は8月16日から4週間で、9月12日の日曜まで。それ以降をどうするのかについては、9月5日の日曜までにお知らせいたします。詳しくはホームページに掲載の公示をご一読ください。

できる限り秘跡にあずかる機会を提供することは教会の務めですから、ミサの公開を自粛することは本来あってはならないことです。皆様のご協力で、度重なる緊急事態宣言下にあっても小教区における感染対策をしっかりと実施してきたことで、ミサにあずかる皆さんが感染したという事例は報告されていないのですが、信徒の方で感染者が出たという報告は受けています。小教区の事情に応じて最終的には主任司祭が判断できるようにしておりましたので、すでにミサの公開を中止にしていた小教区も、教区内には複数存在しますが、現在の対応で今回の感染の波も乗り切ることが出来るだろうと考えておりました。

しかしそれは甘い判断だったと思います。この数日、毎日報告される検査においての新規陽性者数が高い数字を続けていることや、重症者が東京都で200名を超えていること、ワクチン接種が進んでおり高齢者の重症化は減少したものの、若い世代の重症者が増加していること、さらにこの数日の行政からの人流をさらに減らすなどの強い措置が次の2週間ほどは必要だという呼びかけもあり、これらを踏まえてこの二日ほどで司祭評議会や司教顧問団の意見を聞いた上で、今回の決定をいたしました。即日ミサを中止にすることも考えましたが、多くの皆さんに周知するために主日にアナウンスすることも必要ですので、明日15日にアナウンスすることにして、公開の中止を16日からの4週間といたしました。

感染対策にご理解くださり、ご協力いただいている多くの方々、特に小教区で受付などで奉仕してくださっている皆様に、心から感謝いたします。また今回の措置について、皆様のご理解をいただきますようにお願いいたします。

公示でも触れていますが、信徒の皆様の霊的な糧として一助となればと願い、すでに今回で39回目となる「週刊大司教」のビデオメッセージを、土曜日18時に配信していますが、これは今後も継続します。

同時に、昨年のミサ公開中止時にそうであったように、関口教会の主日10時のミサを大司教司式として、ミサの公開が中止となっている期間は配信します。

「週刊大司教」はYoutubeの東京大司教区のアカウントから、主日のミサはYoutubeのカトリック関口教会のアカウントからの配信です。

またこういった配信が、同時に福音宣教の一助となることを、心から願って作成しておりますので、お知り合いの方々にもお勧めいただければと思います。

以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第三十九回聖母の被昇天のメッセージ原稿です。
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聖母の被昇天
週刊大司教第39回
2021年8月15日前晩

「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。」

1981年の2月25日、教皇ヨハネ・パウロ二世は、広島での平和メッセージのなかで、特に若者に対して呼びかけて、そのように述べられました。

イデオロギーの相違から来る東西の対立が深刻となり、全面的な核戦争の可能性も否定できなかった時代に、教皇は「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と、広島の地から力強く宣言されました。

それから38年後、同じ広島の地から、教皇フランシスコはこう呼びかけられました。

「だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです」

人間はいのちの危機を避けるために、「友情と団結」のうちに、「ともに歩む」ことを通じて行動できるはずだと、教皇たちは広島から平和のための行動を求めて声を上げました。

教皇フランシスコは、「フラテリ・トゥッテイ」にこう記します。

「予期せず新型コロナウイルス感染症のパンデミックが押し寄せ、わたしたちの偽りの安全を露呈しました。・・・共同での行動が取れないことが明らかにされました。過度につながりがあるにもかかわらず、わたしたち全員に影響する問題の解決をいっそう困難にする分裂が存在しました。・・・わたしたちが生きるこの時代に、一人ひとりの尊厳を認めることで、兄弟愛を望む世界的な熱意を、すべての人の間によみがえらせることを、わたしは強く望んでいます。(7,8)」

神の秩序が確立された世界、すなわち平和を求めて、国際的な連帯が不可欠であることが浮き彫りになりました。残念ながら、「友情と団結」のうちに、「ともに歩む」連帯は、実現していません。

聖母被昇天にあたり、ルカ福音は、聖母讃歌「マグニフィカト」を記します。聖母マリアは、全身全霊をもって神を褒め称える理由は、へりくだるものに目をとめられる主のあわれみにあるのだと宣言されています。

すなわち、人間の常識が重要だと判断している当たり前の価値観とは異なっている、神ご自身の価値観に基づいて、自らが創造されたすべてのいのちが、一つの例外もなく大切なのだと言うことをあかしするため、神は具体的に行動された。そこに神の偉大さがあるのだと、聖母は自らの選びに照らし合わせて宣言します。神ご自身の価値観は、「思い上がるものを打ち散らし、権力あるものをその座から引き降ろ」して、排除された人々を兄弟愛のうちに連れ戻す価値観であり、まさしく「友情と団結」のうちに、「ともに歩む」連帯に支えられています。

教皇フランシスコは、「ラウダート・シ」の終わりにこう記しています。

「イエスを大切になさった母マリアは、今、傷ついたこの世界を、母としての愛情と痛みをもって心にかけてくださいます。・・・天に上げられたマリアは、全被造界の母であり女王です。」(241)

聖母の悲しみに心をとめ、その取り次ぎに信頼しながら、全被造界が神の望まれる状態となるよう、神の平和の実現のために、ともに歩んで参りましょう。