菊地大司教

    週刊大司教第四十二回:年間第二十三主日

    東京は涼しい9月の始まりとなりました。年間第23主日、週刊大司教は第42回目となります。

    政治はめまぐるしく動こうとしていますが、その間の感染症対策は継続しています。東京教区では、主に東京都において毎日発表される検査の新規陽性者数、発症日別の感染者数、重症者数、死亡された方々などの数字を参考にしながら、対応を検討していますが、現時点では収まる方向へ向かいつつあると思われます。緊急事態宣言は、予定では9月12日までとなっていますが、その後に延長されるという話も伝わってまいります。教区としての公開ミサの自粛を12日以降度のようにするのかに関しては、教区のホームページで公示しておりますので、参照ください。

    以下、9月4日(土)午後6時に配信した週刊大司教第42回目のメッセージ原稿です。
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    年間第23主日
    週刊大司教第42回
    2021年9月5日前晩

    イザヤ書は、「心おののく人々に言え。雄々しくあれ、恐れるな。・・・神は来て、あなたたちを救われる」という神の励ましの言葉を記しています。

    感染症の状況の中で、普段通りの生活がままならず、また心の頼りである教会にあってもその活動が制限される中で、わたしたちは先の見通せない不安の闇の中で、恐れを感じています。

    不安におののく者に対してイザヤは、神の奇跡的力の業を記し、その力が「荒れ野に水が湧きいで」るように、不安におののく者に希望を生み出し、いのちが生かされる喜びを記します。

    マルコ福音は、このイザヤの予言の実現として、イエスがなさった奇跡の業を記しています。イエスは「エッファタ」の言葉を持って、耳を開き、口がきけるようにされたと記されています。さまざまな困難を抱えていのちを生きていた人に、希望と喜びを生み出した奇跡です。

    使徒ヤコブは、外面的要素で人を判断する行いを批判します。確かにわたしたちは、外に現れる目に見える要素で、他者を判断し、裁いてしまいます。使徒はそれに対して、人間の価値は、神がその人に与えた恵みによって、いのちが豊かに生かされていることにあるのだと指摘します。

    わたしたちは、いのちを生かされている喜びに、満ちあふれているでしょうか。そもそも私たちのいのちは、希望のうちに生かされているでしょうか。喜びに満たされ、希望に満ちあふれるためには、すべての恐れを払拭する神の言葉に聞き入らなくてはなりません。「恐れるな」と呼びかける神の声に、心の耳で聞き入っているでしょうか。わたしたちは、神の言葉を心に刻むために、心の耳を、主イエスによって開いていただかなくてはなりません。「エッファタ」という言葉は、わたしたちすべてが必要とする神のいつくしみの力に満ちた言葉であります。わたしたち一人ひとりのいのちが豊かに生かされるために、神の言葉を心にいただきたい。だからこそ、わたしたち一人ひとりには今日、主ご自身の「エッファタ」という力ある言葉が必要です。

    ところで、教皇フランシスコは、2015年に回勅「ラウダート・シ」を発表され、教会が共通の家である地球環境のさまざまな課題に真摯に取り組むことの重要性を強調されました。その啓発と霊的な深まりのため、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」と定め、アシジのフランシスコの記念日である10月4日までを、被造物を保護するための祈りと行動の月間、「被造物の季節(Season of Creation)」としています。

    日本の教会も、2019年の教皇訪日に応える形で、この期間を「すべてのいのちを守るための月間」とさだめ、昨年からさまざまな呼びかけを行っています。

    教皇様は「ラウダート・シ」において、「総合的エコロジー」という言葉をしばしば使い、環境への配慮とは、単に気候変動に対処しようとか、温暖化を食い止めようとかいう単独の課題への取り組みを意味するのではなく、全体としての「ともに暮らす家を大切に」することであると強調されます。そのため、いのちに関わるさまざまな課題を総合的に考えなくてはならず、究極的には、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことが求められています。

    すべてのいのちを大切にせよと命じられる神の言葉を心に刻むために、主の「エッファタ」という力強い言葉によって、心の耳を開いていただきましょう。神の言葉に心を向けましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功