菊地大司教

    週刊大司教三十四回:年間第十五主日

    7月11日は、年間第15主日です。週刊大司教も34回目となりました。

    先週の日曜日に結腸の手術を受けられた教皇様については、毎日、聖座(バチカン)の広報官が短いステートメントを発表しています。7月9日の広報官マテオ・ブルーニ氏の発表では、多少の熱があったものの平熱に戻り、順調に回復していて、小聖堂でミサを捧げられたと言うことです。また11日の昼のお告げの祈り(アンジェルス)は、やはり病院の十階の病室窓から行われるとのことです。教皇様は寄せられているメッセージや祈りに感謝されており、引き続きお祈りを求めておられます。教皇様の健康のため、また特に今回の手術からの回復のために、お祈りいたしましょう。

    昨日も記しましたが、緊急事態宣言が7月12日月曜日に発令されます。それに対する教区の対応は、まん延防止等重点措置の現在とほぼ変更しませんが、公示文書は月曜日午前中にカトリック東京大司教区ホームページに掲載し、また各小教区と主任司祭にも通知します。

    現時点で東京教区がどのような感染対策をとっているのかは、教区ホーム頁の一番上に、「在の東京教区における感染症への対応」と書かれたバナー(絵)がありますから、それをクリックすると、対応一覧のページに飛びます。ご参照ください。
    ※印刷用はこちら
    ※ふりがなつきはこちら

    Img_20201231_134949_20210710152001

    以下、本日土曜日夕方六時配信の、「週刊大司教」34回目の、メッセージ原稿です。前回から数回連続で、メッセージ終わりの部分において、昨年末に発表した教区の宣教司牧方針について触れることにしました。感染症対策の活動自粛で、宣教司牧方針について広くお話しする機会がありませんので、忘れられないように、繰り返し触れさせていただきます。

    年間第15主日
    週刊大司教第34回
    2021年7月11日前晩

    アモスの預言は、北イスラエル王国の滅亡を告げたアモス自身が、「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培するものだ」と宣言する言葉を伝えています。当時存在したと言われる専門職としての預言者団ではなく、ごく普通の人を通じて、神は運命的なことばを伝達されました。

    パウロは、キリストの血によってあがなわれたものはすべて、神によって選ばれたものとしてその救いの計画に参与するものとされたことを指摘します。

    マルコ福音は、イエスが十二人の弟子たちを呼び集め、二人ずつ組にして、福音宣教のために送り出したことを記しています。イエスは弟子たちを派遣するにあたって、あれこれと個人的な必要を整えることなく、まずは出かけていって、行った先の家に滞在せよと命じています。下着の枚数が何枚かの議論はさておいて、この派遣の意味は何でしょうか。

    弟子が二人で派遣されたことは、宣教の業が個人プレーではなくて、共同体の業であることを明示します。また、準備万端整えられたプログラムを通じてではなく、日々の生活における他者との交わりにあって、支え合いと分かち合いを通じて福音が伝わっていくことが示されています。

    すなわち、福音宣教は、特別な人だけが行う特別なことではなく、だれでも神の言葉を告げるように召されるのであり、それは個人プレーではなく共同体の業であり、なおかつ、日々の生活における他者との交わりの中で、支え合いながら、分かち合いながら具体化される神の業です。

    教皇フランシスコは「福音の喜び」に、「神は人々を個々としてではなく、民として呼び集めることをお選びになりました。ひとりで救われる人はいません(113)」と記して、教会は共同体として救いの業にあずかっていることを強調されます。その上で教皇は、「洗礼を受け、神の民のすべての成員は宣教する弟子となりました。・・・救いをもたらす神の愛を経験している人ならば、それを告げに出向いていくための準備の時間を、さほど必要としないからです(120)」と、呼びかけます。

    東京大司教区では、先週も触れたように、多くの方々の声を基にしながら、共同体としての宣教司牧方針を定めました。その三つの柱の一つは、「宣教する共同体」となることです。

    わたしたち信仰の共同体は、神の国の福音をこの世に伝えるためにあります。教会共同体は、福音を告げる共同体です。現在、東京大司教区には70を超える小教区共同体が存在します。また、各修道会の共同体も多数存在します。これだけの数の信仰の共同体があるということは、地域の人々に、社会に、そしてこの世に対しての宣教の基盤がすでに十分に存在していることを意味します。福音宣教の道具として、活用していたでしょうか。わたしたち一人ひとりの責任です。今あるものを十分に生かしながら、また場合によっては宣教の拠点を新たに設けながら、主イエス・キリストの福音をさらにあかししていきましょう。

    宣教司牧方針に、「宣教する共同体はキリスト者を増やすことだけが目的ではありません。すべての被造物が神の恵みの中に生きることを目指します。すべての被造物が主イエス・キリストの救いのわざにあずかり、天の御父のもとに秩序づけられ、お互いに深い関わりの中にあるようになったら神の国は完成を迎えるでしょう」と記しました。

    特別な誰かではなく、わたしたち一人ひとりが、日々の生活における他者との交わりの中で、支え合いながら、分かち合いながら、信仰の共同体が行う福音宣教の業に呼ばれています。

    東京大司教タルチシオ菊地功