菊地大司教

    週刊大司教第二回:年間第三十三主日

    年間第33主日の福音に基づいた、週刊大司教の2回目をアップロードしました。Youtubeのカトリック東京大司教区のチャンネルからご覧いただくか、東京大司教区のホームページからご覧ください。

    東京都が毎日午後3時に発表する新型コロナ感染症の検査陽性者数は、このところ高い数字を示しています。本日14日には、検査陽性の方が352人、また本日現在の重症者は41名と発表されました。昨日13日は、検査陽性の方が374人、昨日現在の重症者が39人、さらに一昨日12日は検査陽性者が393人で、一昨日現在の重症者は39人です。数字に一喜一憂しないと心掛けているものの、感染が拡大傾向にあるのは間違いありません。

    東京教区では6月末頃から教会活動を再開させ、ミサの公開も限定条件を付けながら進めてきました。今現在は、クリスマスから年末年始へ向けてどのような対応をするかが話題となっています。確かに、当初に比べれば感染対策になれてきた面もあり、手指の消毒、マスクの着用、充分な距離、聖歌を一緒に歌わないことなどなど、対策は定着しています。

    同時に、現在の状況を見るに、安心して「普通」の方向へ大きく舵を切ることが出来るような状況では決してありません、先日もお話ししましたが、慣れてしまって危機意識を失うことは避けたいと思います。なんとなく安全だと思い込んでしまいますが、これから寒くなる時期、専門家の警告もありますから、今一度気を引き締めておきたいと思います。

    なお、主任司祭には8月1日付ですでに指示をしてありますが、教区内の小教区でクラスターが発生した場合には、一旦、教区のすべての活動を停止にして、全体の感染対策を見直しを行うことになります。従って、この先でも、現在のステージ3の対応を厳しくしたり、それ以前の公開ミサの中止などを含むステージ4に戻る可能性も充分にあることを、常に心にとめていただけると幸いです。(なお東京大司教区は、カトリック医師会東京支部に所属する信徒のドクターから助言を頂いています)

    また、東京教区から原案を提出して、カトリック医師会などのご意見をいただいて修正した、11月1日付の司教協議会策定の全国的な対応マニュアルは、中央協議会のホームページに掲載されています。

    以下、本日公開した週刊大司教の、メッセージ原稿です。
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    年間第33主日Aメッセージ
     2020年11月15日前晩

    わたしたちは、この世界を創造主である神からお預かりしています。

    教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」には、次のように記されています。
    「わたしたちが神にかたどって創造され大地への支配権を与えられたことが他の被造物への専横な抑圧的支配を正当化するとの見解は、断固退けられなければなりません(67)」

    教皇はわたしたちが思い上がりの中で神に取って代わったかのように、この世界を自由気ままに酷使している現実を、あたかも当然の権利であるかのように振る舞っていることを批判した上で、人間は世界を「耕し守る」よう定められているとして、次のように続けます。

    「耕すは培うこと、鋤くこと、働きかけることを、守るは世話し、保護し、見守り、保存することを意味します」

    すなわち、与えられた賜物であるいのちを生きているわたしたちは、そのいのちが生きる場として世界を与えられているものの、それは勝手気ままに支配して良いと言うことではなく、責任を持った保護者として耕し守り保存する務めがあることを、繰り返し指摘されています。

    その上で教皇は、「神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわりによって、人間の生が成り立っている」と指摘し、「わたしたちがずうずうしくも神に取って代わり、造られた者としての限界を認めることを拒むことで、創造主と人類と全被造界の間の調和が乱されました(66)」と指摘されます。

    与えられた賜物は、自分自身が好き勝手に使って良いわけではなく、単に増やしたからそれでよしとされるわけでもなく、実は、「神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわり」という、この世界における人間の生を成り立たせている関係のなかで責任ある行動をとることによって、はじめて管理者としての務めを果たしたことになるというのです。

    ですから福音において、五タラントン預かった者は、外へ出て行って商売をする、すなわち人間関係の中でそのたまものを活用することによって、良い管理者であることを褒められるのです。逆に、一タラントン預かった者は、それを地の中に隠しておくこと、すなわちだれとの関係をも拒否することで、管理者としての務めを果たしていないと非難されるのです。

    今年の被造物を大切にする世界祈願日のメッセージに、教皇フランシスコは次のように記されていました。
    「神は、大地とその住人が休息し、力を取り戻せるようにと、その英知をもって、安息日を設けてくださいました。しかし今日、わたしたちのライフスタイルは、地球に限界以上の無理をさせています。発展への飽くなき要求と、生産と消費の果てしない繰り返しが環境を疲弊させています」

    その上で教皇は、「進行中のパンデミックは、何らかのかたちで、より簡素で持続可能なライフスタイルを取り戻すよう、わたしたちを促しています。この危機は、ある意味、新しい生き方を広げる機会を与えてくれました。地球を休ませると、どれだけ回復するかが分かりました。・・・余剰で破壊的な活動や意図に終止符を打ち、創造的な価値観、きずな、計画を生み出すために、この決定的な機会を有効に生かさなければなりません」

    わたしたちは、まずいのちという最大のたまものを与えられました。そしてそのいのちが生きるためにこの世界を与えられ、管理するようにと託されました。わたしたちは、「神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわり」の中で、この預けられたたまものを充分に生かし、責任ある行動をとることで、いつの日か、「忠実な良い僕だ」と主から言っていただくように、努めたいと思います。

    東京大司教タルチシオ菊地功