菊地大司教

    年間第二十三主日@東京カテドラル

    9月に入りました。最初の日曜日は被造物を大切にする世界祈願日です。

    また今年から、9月1日から10月4日までは、教皇フランシスコ訪日を記念して、「すべてのいのちを守るための月間」となっています。これについて解説する司教協議会会長高見大司教の文章の註には、次のように記されています。

    「すでに正教会は、コンスタンティノープル全地総主教ディミトリオス一世のイニシアティブにより、1989年から9月1日を「被造物の保護を祈る日」としていました。その後2007年に開催された第3回ヨーロッパエキュメニカル会議において、その9月1日からアシジの聖フランシスコの記念日である10月4日までを「被造物のための期間」とすることが提唱され、世界教会会議(WCC)がそれを支持し、現在では「被造物の季節(Season of Creation)」としてエキュメニカルな年間行事になっています」(全文はこちら

    すなわち9月は、日本のカトリック教会だけではなく、世界中のキリスト者が、ともに天地の創造主である御父の与えてくださった共通の家のために、思いを馳せ、心を砕き、祈りをささげる「とき」です。

    東京教区のホームページには、FABCの人間開発局(OHD)が整えた毎日の祈りの翻訳が掲載されています。すでに触れたように、原文が送付されてきたのが8月末で、9月に間に合わせるため、教区本部広報担当が急遽翻訳してくれました。短いけれど、豊かなテーマの祈りです。ご活用いただければと思います。リンクはこちらです

    さて、新型コロナウイルスの感染は、毎日新規に公表されるPCR検査の陽性者数が、若干低い数字で推移しているようですし、このところ東京の実効再生産数も1を切る日が続いています。まだまだ慎重な対応が必要ですが、現在の教会における感染症対策としての活動制限を、多少緩和することが出来るかどうか、意見を交換中です。とはいえ、即座に制限を撤廃できる要素はあまりありませんから、しばらくは慎重な対応が必要だと判断しています。したがって、9月6日から13日までの一週間も、これまで通りの感染症対策を継続します。

    以下、本日の東京カテドラルにおける公開配信ミサの説教原稿です。
    ※印刷用原稿はこちら
    ※ふりがなつきはこちら

    年間第23主日
    東京カテドラル聖マリア大聖堂
    2020年9月6日前晩
    被造物を大切にする世界祈願日

    「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ(わたしの主よ、あなたはたたえられますように)」というアシジの聖フランシスコのことばで始まる回勅「ラウダート・シ」を2015年に発表された教皇フランシスコは、翌年から9月1日を、「被造物を大切にする世界祈願日」と定められました。日本の教会は、9月1日が平日となることも多いことから、その直後の日曜日を、この特別な祈願日と定めています。今年は9月6日が、「被造物を大切にする世界祈願日」であります。

    教皇はこの祈願日について、2016年の最初のメッセージで、「被造物の管理人となるという自らの召命を再確認し、すばらしい作品の管理をわたしたちに託してくださったことを神に感謝し、被造物を守るために助けてくださるよう神に願い、わたしたちが生きているこの世界に対して犯された罪へのゆるしを乞うのにふさわしい機会」となる日であると述べています。

    教皇フランシスコが語る被造物への配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めよういう環境問題の課題にとどまってはいません。「ラウダート・シ」の副題として示されているように、教皇がもっとも強調する課題は「ともに暮らす家を大切に」することであり、究極的には、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことを求めているものです。

    そのために教皇は、「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することの出来る展望を」(137)必要とすると指摘し、それを総合的エコロジーの視点と呼んでいます。

    そこでは、わたしたちが暮らす「共通の家」で発生しているすべての課題が教会の、そして全人類の取り組むべき課題であって、全体を総合的に考察することの重要性が強調されています。

    日本の教会は、昨年の教皇訪日を記念し、今年からこの世界祈願日にあわせて、9月1日からアシジの聖フランシスコの祝日である10月4日までを、「すべてのいのちを守るための月間」と定めました。

    日本の司教団は呼びかけのメッセージで、「すべてのいのちを守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることはいうまでもありませんが、とくにこの月間に、日本の教会全体で、すべてのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、とくに若者たちとともに、それを具体的な行動に移す努力をしたいと思います」と、その趣旨を説明しています。

    パウロはローマの教会への手紙で、「そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません」と記していました。

    パウロは隣人への愛こそが、すべての掟の根本にあるのだと強調します。

    おなじように、「共通の家」への配慮も、単に住環境をよくしたいとか健康を守りたいとか、自分の利益を中心にした考えではなく、まさしく自分以外のすべての人に対する愛、隣人への愛に基づく配慮であり、行動です。

    新型コロナウイルス感染症によってもたらされた混乱の中に、わたしたちは立ちすくんでいます。今回の事態は、わたしたちに価値観を転換する機会を提供しています。これまで生活のために不可欠だ、変えることは出来ないと思われていたことが、実は他にも選択肢があり得ること、変える可能性があることを、今回の事態は教えています。

    もちろん感染拡大以前の世界に戻ることが一番簡単でしょう。しかし今回の事態は、いのちを守るために、わたしたちは何を大切に生きるのかを問いかけています。隣人への愛を生きるために、どのような道を歩むべきなのかを、問いかけています。共通の家を守るために、何を選び、何を捨て去るのかと、問いかけています。

    しばしば耳にするようになった「新しい生活様式」とは、単に物理的な行動の変革で感染を防止しようという消極的な視点に留まらず、神からのたまものであるいのちを守るために、いったい人類が何を優先するべきなのかを今一度考え直し、隣人愛に基づいていのちを生きる新たなスタイルを確立するように求める概念であるように思います。

    しかしながら同時に、「共通の家」への配慮は、単に表面的な行動の改革を求めているものではありません。

    教皇は「ラウダート・シ」に、こう記しています。
    「『内的な意味での荒れ野があまりにも広大であるがゆえに、外的な意味での世の荒れ野が広がっています』。こうした理由で、生態学的危機は、心からの回心への召喚状でもあります。」(217)

    その上で、教皇フランシスコは、「必要なものは『エコロジカルな回心』であり、それは、イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかしさせます。(217)・・・永続的な変化をもたらすために必要とされるエコロジカルな回心はまた、共同体の回心でもあるのです」(219)と指摘されています。

    わたしたちは賜物として与えられているいのちを、一人で生きてはいません。創世記に記されているように「「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう(創世記2章18節)」と言われて、神はいのちを与えてくださいました。ですからわたしたちには、「共通の家」にあって互いに助ける者として存在し、互いへの愛、すなわち隣人愛の実践において、いのちを守る務めがあります。

    「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」に答えを見いだそうとすることは、まさしく回心の第一歩であり、わたしたちはその回心を共同体として共に行わなければなりません。そしてその回心こそが、わたしたちを信仰における「新しい生活様式」へと導いてくれるでしょう。

    福音にあるように、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という、主ご自身の約束に信頼するとき、共同体としての回心の歩みには、常に主ご自身が同伴してくださることをわたしたちは確信します。

    与えられた賜物であるいのちを大切にし、互いのいのちを守り、神によって創造された「共通の家」を大切にしながら、福音に基づいた生きる道を模索し続けましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功