教区の歴史

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平和旬間・千葉地区千葉北東部企画・ミサ説教

2016年08月07日

2016年8月7日、年間第19主日、いんば学舎・草深

[聖書朗読箇所]

説教

今日の福音で主イエスは言われました。  
「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(ルカ12・40)  
地上においてわたしたちはそれぞれなすべき務めを授かっています。主の来臨の時には、主をお迎えし、生涯の任務の報告をしなければなりません。人類の歴史の終わりは主イエスの再臨の時です。ひとり一人の個人の終わり、それは死の時です。その時にわたしたちは主イエスをお迎えします。その時にお預かりした務めをどのように報告できるでしょうか。  

いまわたしたちは「平和旬間」2016の千葉地区の行事を行っております。主イエスは言われました。  
「平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)  
疑いもなく「平和を実現する」ことがわたしたちに課せられた大切な務めです。  
平和は神の賜物であります。神の恵みなしに平和の実現はありません。  
平和とは人々だけでなく。すべての存在が神の支配に服している状態です。  
人と人との関係、国と国との関係、人と他の生物、被造物の関係が、神のお望みになる、あるべき関係にある時に、神の支配が完成し、神の平和が実現するのであります。  
「平和のために祈り2016」はこの趣旨に沿って作られた祈りです。  
東京教区では今年の平和旬間の副題として「フクシマ・オキナワ」を選びました。この複雑で困難な問題の本質に迫り、その解決のために少しでも努力をしようではありませんか。  

教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ」を発表し、(2015年5月24日、聖霊降臨)、環境問題の大切さを説いています。  
地球はわたしたち人類の家であり、すべての生物の家であり、地球はすべての生物にとって、神からの賜物です。 ところが人間は思い上がり、地上の被造物が自分たちの利益のために、自分たちの欲望の満足のために与えられていると考え、また人間はすべての自分以外の被造物の主人であり支配者であると言う、誤った考えを抱きました。その結果が現在の環境破壊をもたらしています。核兵器による殺戮と原子力発電事故のもたらした災害は、この人類の、神を恐れない思い上がりの延長に存在しています。まさに原爆と原発は現代のバベルの塔であると思います。  

今日は反省と回心の心を込めて「平和のために祈り2016」を献げながら、わたしたちがそれぞれ平和の道具となることができますよう、祈り求めましょう。