教区の歴史

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待降節第四主日説教ーお告げの祈りー(あきる野)

2014年12月21日

あきる野教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

誰でも知っている西洋の名画にミレーの「晩鐘」という画があります。これは夕方農場で二人の男女が鐘の音にあわせて「お告げの祈り」をささげている場面を描いたものです。

日に三度鐘の音に合わせてアヴェ・マリアの祈りとともにおとめマリアの「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」という言葉を唱える祈りが「お告げの祈り」あるいは「アンジェルス」*1と呼ばれる祈りです。そしてこの祈りは実に今日の、ルカによる福音からとられたものです。

天使ガブリエルがおとめマリアに現れて、マリアは聖霊によって救い主の母となる、と告げられます。そのときマリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と答えましたが、「神にはできないことは何一つない」と言われてマリアは言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」

この「なりますように」はラテン語でFIAT(フィアット)です。FIATという名前のイタリアの車がありますが。たぶんマリアのFIATにあわせて命名されたのではないでしょうか。

聖霊によって救い主の母となる、ということは実に大変なことです。誰がそれを信じてくれるでしょうか。許婚(いいなずけ)のヨセフになんと説明したらいいでしょうか。マリアの思いは千々に乱れたことでしょう。婚外の妊娠は姦通とみなされ、石殺しの刑を受けなければなりませんでした。「はい」と答えることは大変なリスクが伴います。恐ろしい危険が予想されます。それでもおとめマリアはFIATと答えたのでした。

この「はい」は本日の第二朗読の、使徒パウロのいう「信仰による従順」(ローマ16・26)に他ならないと思います。

神はご自分の救いの計画を実行するに際して一人のおとめの承諾をもとめました。彼女は神を信じ神に従いました。彼女の信仰と従順の結果、神は人となられたのです。

神様はマリア様だけでなく、わたしたちにも同意と協力を求められます。神様は人間の協力を求めています。信仰による同意、従順、服従を求めています。

そして、その求めに、わたしたちの自分の意思、自分の心を神様にささげることができます。これは実に光栄なことです。

人生には不可解で時には不条理と思われることも起こります。それでもそれが神のみ旨であるならば、信仰によってマリアにならい、わたしたちも「お言葉どおり、この身になりますように」とお答えしたいものです。

*1「アンジェルス」という語はラテン語の「お告げの祈り」の原文の冒頭の言葉Angelus Dominiから取られた祈りの呼び名のことです。