教区の歴史

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カテドラル献堂記念・白柳枢機卿追悼ミサ説教

2013年12月08日

2013年12月8日 東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

 わたしたちはイエス・キリストに出会い、イエス・キリストから福音を受けました。福音とはわたしたちに、罪からの解放と救いを告げ知らせる喜びのたよりです。わたしたちはこの福音の喜びを多くの人に告げ知らせ、分かち合いたいと願っています。福音の喜びを分かち合うことこそ福音宣教であります。

洗礼者ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3・2)と宣(の)べ伝えました。「悔い改める」とは「心をいれかえること」「心を神に向けて開くこと」であります。

神に向けて心を開くためにはまず心の中に神のために場所を造らなければなりません。そのためには神以外のものから心を離し、神以外のものへの執着を断つ必要があります。

喧騒と競争で明け暮れする消費と管理の現代の社会では、それは容易なことでありません。そのためには聖霊の助けを願わなければなりません。

今日の第一朗読でイザヤの「主の霊」について述べています。それは「知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」(イザヤ11・2)です。これは堅信の秘跡のときに与えられる聖霊の七つの賜物です。

聖霊は日々わたしたちの信仰生活を助け導き、聖霊の実りをわたしたちにもたらします。それは「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(ガラテヤ5・27)

しかし残念なことですが、必ずしもわたしたちはこの聖霊の実りを受け、日々それを実行しているわけではありません。

実際のところ、イエスの弟子たちの間でも、分裂、対立、敵意、憎悪、嫉妬が存在しましたし、今もそうです。キリスト教信者が互いに憎み、争い、時には殺し合うという悲しい出来事がありました。

このような事実は、聖霊の働きに逆らう悪の力によるものです。このようなキリスト教徒の言動は多くの人をつまずかせ、福音宣教のための大きなマイナスの要因となっています。

パウロは悪の働きを「肉の業」(ガラテヤ5.19)と呼んでいます。肉の業は「敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ」(ガラテヤ5.20)などです。

心から神に立ち返るためには自分の心の中にある闇の部分を認め、そこにキリストの光を当て、肉の業を霊の働きに従わせなければならないのです。

それは日々の祈りであり日々の戦いであります。主イエスの弟子が憎悪や嫉妬に駆られて互いにいがみ合うとは本当に嘆かわしいことです。主の教会を清めてくださるよう慈しみ深い神に祈りましょう。

パウロは今日の第二朗読で言っています。「神の栄光にためにキリストがあなた方を受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」(ローマ15・7)

確かにわたしたちは弱く罪深いものであり、この世界には分裂と争いが存在します。

しかしやがて神がご自分の支配を完成するとき、この世界は平和と調和によって満たされた世界となると信じます。そのときの様子を今日のイザヤがわたしたちに告げています。

狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。

子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。

牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し

獅子も牛もひとしく干し草を食らう。

乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。

わたしの聖なる山においては

何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。

水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。(イザヤ11.6-9)

これは主がわたしたちに与えてくださった約束です。この日の到来を待ちのぞみながら日々聖霊の導きに従い、「肉の業」と戦っていきましょう。

主なる聖霊、わたしたちを助け導き清めてくださいますように。アーメン。