教区の歴史

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カトリック東京大司教区アレルヤ会総会ミサ説教

2013年05月17日

2013年5月17日 復活節第七金曜日
東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

明後日が、聖霊降臨の日でございます。

今日、第一朗読は、使徒言行録、このなかで囚人となったパウロが言っていることは何であるかといえば、それは「十字架につけられて殺されたイエスは、生きている」ということであります。「そのことをめぐってユダヤ人との間に争いがおこり、彼は、牢につながれたのだ」と使徒言行録が、その次第を語っています。

わたしたちの宗教・キリスト教の中心の信仰はパウロが言った「イエスは復活して生きている」ということであります。聖書は度々、復活したイエスが弟子たちに現れたという話を告げています。今日の福音もその一つであります。

復活したイエスはペトロに三度訊ねました。

「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」

三度も同じ質問をされたので、ペトロは悲しくなりました。イエスが三度も念を押してお訊ねになったのは、明らかにペトロが三度も「わたしはあの人は知らない」言ってしまったことに関係があります。三度念を押してお訊ねになった。ペトロはそのことを自覚したのです。

ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることをあなたはよく知っておられます」と答えました。イエスがわたしを愛しているかということを訊ねたときの「愛する」という言葉ですが、聖書で一番よく使われる「愛」という言葉は、ギリシャ語の「アガペー」という言葉です。そして「アガペー」は、ラテン語になると「カリタス」です。

ギリシャ語の原文で、「あなたは愛するか」というイエスの言葉は「アガパス メ(あなたは愛しているか わたしを)」となっています。

しかし、ペトロのほうは「愛します」と答えたのですけれども、「アガペー」のほうの言葉ではなくて、もう一つの「愛」という言葉を表す言葉、「フィリア」の動詞で「フィロー」と答えました。

それで、イエスは三回目には「アガパス」をやめまして、「フィレイス」で訊ねました。このことに深い意味があるかどうか議論がありますけれども、たいして意味がないという人もおれば、いや、ここに何かあるという人もいます。

新約聖書において、神の愛は「アガペー」で表されますが、「フィリア」というのはわたしたち人間の間の愛情を表す言葉です。イエスは人間としてはペトロと非常に親しかったと思われます。

そこで、人間としての親しさを込めて「わたしを愛しているか」とお訊ねになったわけです。神の愛が人間の心に宿ると、人間の心をもって人を大切にする、そのような愛となることを意味しています。

これは理屈ではありません。ナザレのイエスは人間となり、人間の心をもってひとり一人の人と出会い、人間の心を持ってひとり一人を愛したとされています。イエスはペトロに言われました。

「わたしの子羊を飼いなさい」、「わたしの羊の世話をしなさい」、「わたしの羊を飼いなさい。」

こちらも三回言われました。

ローマの羊の世話をするために最後までローマにとどまったペトロは、ご存知のようにローマの教皇庁のあるヴァチカンの丘で、十字架につけられて、伝説によると、逆さ十字架につけられて殉教したと言われております。

「羊の世話をする」という言葉は、司教、司祭の任務を表しているのです。ローマの司教の後継者が現在のローマ教皇です。

ところで、最近教会で起こったもっとも大きな出来事は、ローマ教皇の引退と選出ということでした。

ベネディクト十六世教皇は、突然引退を表明されまして、2月28日が引退の日となりました。そして教皇選挙・コンクラーベが行われて、イエズス会のホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が、選出されてフランシスコという名前の教皇になられました。

ローマ司教のペトロの後継者は、世界に広がる教会の最高の司牧責任者でございます。フランシスコ教皇は、今、様々な課題に着手していますが、貧しい人、悩み苦しむ人、さげすまれている人、差別されている人にイエス・キリストの教え、神の愛を表し伝える事をもって司教の大切な仕事とする、ということであります。

そして同時に、教皇庁の内部改革、まず自分自身を正すことから始めると宣言したのであります。

わたしは度々申し上げておりますが、現代社会では、人と人とのつながりが薄く、みんな自分のことに閉じこもりがちであり、そしてそれぞれ病気、人間関係、孤独、無力感、障がい、貧困、失業、不安定な就業などさまざまな問題にくるしんでします。現代の荒野に生きる人々ための教会が豊かな糧、支え、力を提供することができますように、わたしたちがそういう教会となっていきますように、聖霊の導きを祈りましょう。

ひとり一人が大切な存在である、ということをわたしたちが示すことができますように、主なる聖霊、助けてください。

アーメン。