教区の歴史
新教皇フランシスコ選出感謝のミサ説教
2013年03月14日
2013年3月14日 東京カテドラルにて
福音朗読 マタイ9・35-38
(福音本文)
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣(の)べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
皆さん、本日早朝、アルゼンチンのブエノスアイレスの大司教、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が教皇に選出され、教皇フランシスコを名乗られました。わたしたちは大きな喜びのうちに新しい教皇フランシスコをお迎えいたしましょう。
教皇はローマの司教ですが同時に全世界の教会の最高牧者であり、世界中の人々に絶えず心を配り、世界中の人々の世話をし、その幸福と幸せのために祈り、教え、導きます。
いま読まれたマタイの福音が告げているように、主イエスのなさったことはよい羊飼いの仕事でした。イエスは人々を教え、癒し、導きました。病気の人、心身が不自由な人を癒し、また深い共感をこめて弱りはてて希望を失っている人々を導き励まし、そして自分の群れのために、命をささげたのです。
いま最も求められている人は、このイエスのような牧者、イエスのように貧しく生き、イエスのように貧しい人とともに歩む牧者です。
いま、世界中には多くの人が心と体を病み、心と体の不調に悩んだりしています。多くの人が貧困と飢餓に苛まれ、多くの人が人権を侵害され、また多くの人が孤独であり、また生きる目標が見えず、生きがいを失っています。
新教皇はフランシスコを名乗られました。それは、最もイエスに倣って生きたといわれるアッシジの貧者、フランシスコに倣う牧者として歩む、という決意を表しているのだと思います。
貧しい漁師たちの群れであった使徒たちから始まった、貧しい小さな群れであった教会は、迫害の時代を過ぎると、ローマ帝国の国教となりました。それに伴い、ローマの司教は中央イタリアの広大な領地を所有する地上の領主ともなったのです。
ガリラヤの漁師、ヴァチカンで殉教した使徒ペトロの後継者の立場と地位はすっかり様変わりしてしまいました。ローマの司教は地上の支配権を持つ大きな存在となったのです。
イタリア統一戦争の結果、教皇領の大半は失われましたが、独立国であるヴァチカン市国は存続しそこには教皇庁という全教会を統治し、また全世界に奉仕するための機構が存在しています。
教皇庁については現在さまざまな問題、さまざまな疑惑が取りざたされています。他方、世界中で聖職者による性虐待、あるいはセクシャル・ハラスメントが報道されています。
大げさに言えば、今は、教会危急存亡のときであります。何より、わたしたち教会は心から悔い改めを行い、自らを清めてくださるよう、主なる神に切に祈らなければなりません。
第二ヴァチカン公会議の『教会憲章』は述べています。
「自分の懐に罪人を抱いている教会は、聖であると同時につねに清められるべきであり、悔い改めと刷新の努力を絶えず続ける。」(8項)
わたしたちは他者のことをあれこれ言挙(ことあげ)する前に、まず自分自身が回心し悔い改め、新しく生まれ変らなければならないと思います。
教皇フランシスコは身をもってその模範を示されると信じます。教会の最高牧者の証しが、世界中に知れわたれば、わたしたち教会はキリストの弟子として認められ、信頼を勝ち取ることができるのではないでしょうか。
世界と教会には問題と困難が山積しています。新教皇が叡智と勇気をもって任務を忠実に果たしてくださるよう、聖霊の導きを願って祈りましょう。
最後になりますが、8年間にわたり、世界の最高牧者としての重責を担われたベネディクト十六世教皇様に深甚なる感謝の意を表したいと存じます。
本当に有り難うございました。