教区の歴史

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港・品川宣教協力体合同堅信式説教

2012年10月28日

2012年10月28日 目黒教会にて

 

第一朗読 エレミヤ31・7-9

第二朗読 ヘブライ5・1-6

福音朗読 マルコ10・46-52

 

(福音本文)

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

 

(※上記の福音書の本文は、日本聖書協会新共同訳からの引用ですので、「盲人」という訳語をそのまま、掲載しましたが、説教本文では、「目の見えない人」と表記します。)

 

今日の福音はバルティマイという目の見えない人の物語です。

イエスと弟子たちの一行はエルサレムへ向かう途上にありました。エルサレムでイエスを待っているのは受難と十字架です。今日の福音はエリコで起こった出来事を伝えています。

エリコを過ぎるときにイエスはバルティマイという目の見えない人と出会いました。バルティマイは道端で物乞いをしていました。その人生は悲惨そのものでした。ナザレのイエスの通行を耳にし、必死で叫び声をあげます。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」イエスはその叫びに応えて「あの男を呼んで来なさい」といわれました。男は上着を脱ぎ捨て躍り上がってイエスのもとへ駆けつけました。

男の、この動作に、彼が感じた大きな喜びが現れています。まさに手放しの喜びようです。「目が見えるようになりたい」という男の願いをイエスはかなえてあげます。そしてイエスはバルティマイに言いました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのあとバルティマイはそのままイエスに従った、とあります。

イエスの道は十字架の道でした。この後、バルティマイはどんな人生をたどったのでしょうか?

 

「あなたの信仰があなたを救った。」

なんとうれしい言葉、すばらしい言葉でしょうか!この言葉をイエスは他の人々にも与えています。福音書では他の箇所でもこの言葉「あなたの信仰があなたを救った」を見つけることができます。

1)12年間も出血をわずらっていた女性を癒したときにも、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。元気に暮らしなさい」(マルコ5・34参照)と言われました。

2)ファリサイ派のシモンの家で罪深い女に向かってイエスは言われました。「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。」(ルカ7・50)

3)重い皮膚病を患っていた10人をいやしたときに神を賛美しながら戻ってきたサマリア人に言われました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ17・19)

バルティマイという目の見えない人、出血をわずらっていた女性、罪深い女、重い皮膚病を患っていたサマリア人。

この人たちは非常に辛い、追いつめられた状態に置かれており、社会的に排斥され差別されていた人々でした。イエスに掛ける思いは必死な思い、切迫した思いでありました。イエスに自分のすべてを委ねすべてをさらけ出してでも何とかしていただきたい、この人なら救ってくださるだろう、という強い信頼の念を持っていたと思います。

イエスは彼らのその心を見て、「あなたの信仰があなたを救った。」と言われたのでした。

イエスはしばしばイエスが出会った人々の信仰を賞賛しています。

イエスは百人隊長の僕(しもべ)を癒す際に言われました。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(マタイ8・10)

 

10月11日より「信仰年」に入りました。信仰年は信仰を確かめ信仰を深めるときです。わたしたちはまず福音書から信仰を学びましょう。福音書に出てくる人々の信仰に学びましょう。福音書は、悲惨な現実の中で神の憐れみに信頼し必死で神の助けを求める人々を紹介しています。

イエスは倦まずたゆまず祈るように教えて言われました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」(マタイ7・7)

人間イエスはわたしたちの信仰の模範であります。イエスは「信仰の創始者また完成者」であるといわれます。(ヘブライ12・2参照)

またヘブライ人への手紙で次のように言われています。

 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに、聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となりました。」(ヘブライ5・7-10)

信仰年に当たり、わたしたちの信仰を強くしてくださるよう、日本の殉教者の取り次ぎによって祈りましょう。