教区の歴史
御聖体のマリア・イネス・テレサ「列福」感謝ミサ説教
2012年10月21日
2012年10月21日 東京カテドラルにて
第一朗読 イザヤ60・1-6
第二朗読 ローマ10・9-18
福音朗読 ヨハネ15・9-17
(福音本文)
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
御聖体の宣教クララ修道会創立者・御聖体のマリア・イネス・テレサは本年4月21日、メキシコのグァダルペ大聖堂で福者に列せられました。本日は「列福」を感謝するために東京カテドラルに集まり、ミサをささげます。
昨年2011年は、ご聖体の宣教クララ修道会が創立されて六十周年、創立者が帰天されて三十周年でした。日本へは創立直後の1951年に四人のシスターが派遣されました。この四人は福者マリア・イネスが派遣した最初の宣教女でした。実に日本地区は本会の「長女」である、と言われています。
ご存知のようにことしの10月11日より「信仰年」が始まりました。信仰年に際してわたしたちは福者マリア・イネスの生涯の模範に倣い、信仰を新たにいたしましょう。
おりしも本日は「世界宣教の日」であります。わたしたちがこれから、新たな熱意をもって信仰を宣べ伝えることができますよう、祈りましょう。
わたしたちは福者 御聖体のマリア・イネス・テレサの生涯からわたしたちの信仰生活のために、信仰を深めるために非常に大切なことを学ぶことができます。
福者 御聖体のマリア・イネス・テレサの生涯にはさまざま困難が伴ったと思います。しかし福者、御聖体のマリア・イネス・テレサは決して心の平和と静けさを失うことはありませんでした。顔にはいつも微笑をたたえ、神の愛に生きる人の喜びが漂っていたと伝えられています。それは彼女が絶えざる祈りと犠牲の生活をささげるという霊的生活に支えられ生かされていたからであります。
教皇ベネディクト十六世が「信仰年」を定められた背景には、「信仰の危機」という深刻な問題があります。西欧のキリスト教国では信仰を放棄する人、信仰に無関心になっている人、教会から離脱する人が増えていると報道されています。
それは消費主義と管理主義の進んだ世俗化した社会が、いわば「現代の荒れ野」となり、霊魂の休息と神との交わりの機会が著しく損なわれ、あるいは奪われている状況にあるからではないでしょうか。
キリスト者が人口の1パーセントでしかない日本の社会にあっても、この世俗化の状況は類似しています。生活様式の均質化が進む世界情勢は、永遠の世界、超越者の存在への渇望と感覚を弱め、涸(か)れさせようとしとしています。永遠の世界、神の存在への無関心が人々の心を捉えています。
福者 御聖体のマリア・イネス・テレサは言いました。「わたしの唯ひとつの願いはすべての人があなたを知って愛するようになることです。」
多くの人は神を知りません。神の愛を知りません。神から愛されていること、自分が唯一の存在、かけがえのない存在として創られ、愛されていることを知りません。福者 御聖体のマリア・イネス・テレサはそのために、すべての人が神の愛を知るために生涯をささげ、そのために宣教会を創立しました。
神の愛は御子イエス・キリストの生涯、特に十字架の死と復活によって明らかにされました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とイエスは言われ、十字架にかかってすべての人の救いのための贖(あがな)いとなられました。わたしたちはイエス・キリストの死と復活の証人です。
福者 御聖体のマリア・イネス・テレサはご聖体に対する信仰において際立っておりました。聖体におられるイエスへの敬虔な礼拝と祈りによって、困難な状況で勇気と喜びを持って生き抜く力をいただいておられました。
人間は神の似姿です。イエス・キリストはすべての人のために十字架にかかりました。どんな世俗化した社会にあっても、神の似姿である人間のこころに響く、神からの呼びかけが消滅することはありえません。わたしたちは神への信仰を呼び覚ますという使命を受けているのです。
そのためにはまず自分自身の信仰を深く確かな信仰としていただく必要があります。
この信仰を生き抜くために勇気と喜びを絶えず与えてくださるよう、福者 御聖体のマリア・イネス・テレサの取次ぎにより、そしてグァダルペの聖母の取次ぎによって祈りましょう。アーメン。