教区の歴史

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平和旬間委員会企画「平和を願うミサ」説教

2012年08月11日

2012年8月11日 東京カテドラル関口教会にて

 

第一朗読 ローマ8・18-30

福音朗読 マルコ4・35-41

 

(福音本文) 

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。

激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。

弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

 

ことしも平和旬間の主題は「平和を実現する人々は幸い」ですが、副題は「原発と核のない未来へ!!」であります。

昨年の3月11日、東日本大震災が起こり、同時に福島第一原発事故が勃発し、人々は大きな苦しみ、悲しみ、そして不安の中に投げ込まれました。

日本カトリック司教団は「いますぐ原発の廃止を」というメッセージを発表し、福島第一原発事故という未曾有の悲劇を前にして、キリスト者として、日本に住むすべての皆さんに向かって、即時、原子力発電所を廃止するよう、強いはっきりした訴えを行いました。

原発は「核兵器」の問題と同じ本質を有しています。唯一の被爆国である日本の住民として、「核兵器も原子力発電所も核廃棄物もない平和で安心して暮らせる世界を残すことができますように(平和のための祈り2012)」と、わたしたちは祈り、そのように訴え、そのために力を合わせて戦うことを決意いたしましょう。

核兵器も原子力発電も人間が自分の都合のために、自分の安全と繁栄、利益、自分のより豊かで快適な生活のために保有し使用し享受しているのです。キリスト者としてそれは神の御心に適うことでしょうか?わたくしは、どうしても、創世記に出てくる「バベルの搭」を思い出します。人間は思い上がり、天に届くような塔を築こうとしました。核の乱用・悪用はまさに現代のバベルの搭ではないでしょうか?人間は被造物です。被造物は創造主の定めた理(ことわり)・秩序を守り従わなければなりません。

人間は自然の一部であり、自然のおかげで生命を維持しています。自然を破壊する戦争、核兵器、原子力発電は、自己の都合を第一に考える人類のエゴイズム以外の何ものでもないでしょう。また、世界の大国は、他国を上回る、よりパワーのある核兵器を所有することによって自己の安全と繁栄を図ろうとしてきましたし、今もそうしています。これは自国の利益を優先し他国を支配し利用しようする帝国主義の姿勢であり考え方です。主イエスは、人類はみな兄弟姉妹であることを教え、自分を迫害し自分を処刑するもののためにゆるしを祈ったのでした。

人間は神の似姿として創られ、判断し決定し選択する自由を与えられています。この自由の乱用が戦争、核兵器、原発という悲劇をもたらしたと思います。わたしたち人間は被造物として、謙遜で従順、質素で単純な生活を送らなければなりません。原発に反対する者なら当然、そのおかげを被っている今の生活のスタイルを変更しなければならないでしょう。わたしたちは謙虚に反省を込めて即時原発の廃止を訴えなければなりません。

 

神はこの世界を良いものとしてつくりました。「極めて良かった」(創世記1・31)とさえ述べられています。確かに極めて良く美しい、この世界です。しかし、人間の世界も自然界も種々の問題と課題を持っていることも事実です。

神は絶えず世界を創造し新たにしてくださいます。

きょうのマルコの福音は自然を支配し従わせるイエスの姿を示しています。弟子たちは驚いて言いました。

「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか。」(マルコ4・41)。

主イエスは父なる神と等しい全能の神、自然を従わせることがおできになります。主イエスよ、この自然界の歪みをどうか直しいやしてください。しかし、その前にわたしたちがなすべきことは、自分勝手な生き方を正し浄め整えていくことです。

 

東日本大震災の時から絶えず心にかかっているパウロの言葉があります。今日の第一朗読、ローマ書の8章です。パウロによれば、人間だけでなく全被造物が、解放とあがないの時を待ち望んでいるということです。

人間と宇宙はつながっています。人間だけの救いはないのだと思います。神は核兵器も原子力発電所も、核廃棄物もない世界を実現してくださいます。しかしそのためにわたしたちの協力を、理解と犠牲を望んでおられます。

「平和のための祈り 2012」を心を合わせて祈り、そのために小さな努力を重ねて参りましょう。