教区の歴史
潮見教会ミサ説教(年間第4主日-エリザベット・マリア北原怜子)
2012年01月29日
2012年1月29日 潮見教会にて
第一朗読 申命記18・15-20
第二朗読 一コリント7・32-35
福音朗読 マルコ1・21-28
今年の主日の福音はマルコによる福音です。先週の福音は、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
という主イエスの言葉で始まりました。
「神の国」とは神の支配ということ、神様のみ心が行われることであります。イエス自身の存在とその生涯が神の支配を現しています。イエスは病人を癒し,悪霊を追放して、神の支配が始まったことを人々に示しました。悪霊は「汚れた霊」とも呼ばれています
本日のマルコによる福音は、汚れた霊の追放の場面が非常に印象的に告げられています。
「汚れた霊にとりつかれた男がいて叫んだ。『ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』」(マルコ1・23-24)
人々がイエスを神の子、メシアと認める前に、汚れた霊はイエスを「神の聖者」と認めているのです。自分と正反対の存在であるイエス、神の国の到来であるイエスの存在に汚れた霊は非常に敏感に反応しています。自分の存在とイエスの存在が相容れないことを知っているのです。
「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声を上げて出て行った。」(マルコ1・25-26)
イエスは悪を滅ぼす存在であることを示しています。
教会の使命は、主イエスの使命を引き継ぎ、神の国の福音を宣べ伝え、神の支配が実現していること、神の国がきていることを指し示すことに他なりません。
神様がいらっしゃること、神様は愛であり、ひとり一人を大切にしてくださる、ということを日々示し伝えるのはわたしたち教会でありわたしたちひとり一人の信者です。
教会の歴史のなかで、イエスの教えと生涯に忠実に生き、深い信仰をもって英雄的な徳の模範を実行した方々がいます。今日記念するエリザベット・マリア 北原怜子さんも、神の国の到来を立派に告げ知らせた方でした。
「主のはしため、エリザベット・マリア北原怜子の取次ぎを求める祈り」でわたしたちは次のように祈ります。
「とりわけ東京で戦争の犠牲になり、顧みられなかった貧しい人々に喜びをもって自らを与え、輝く証しのうちに信仰生活をおくる力を与えてくださいました。また汚れなきみ母マリアのご保護のもとに小さな人々の育成と援助に愛をもって生涯を捧げる恵みをもお与えくださいました。」
北原さんは蟻の町に住み、人々と一緒に生活し、ご自身、廃品回収の仕事を行いました。厳しい生活のなかで病気のため、29歳の誕生日を迎える前に主に召されました。1958年1月23日のことでした。
4年前にこの潮見教会で北原怜子さん帰天50周年の記念行事が行われ、わたくしがミサを捧げました。その時に生前の北原怜子さんと一緒に生活したことのある外側志津子さんというかたの講演がありました。北原さんは狭い粗末な家に住み、病床にあっていつも窓から外を通る人に微笑みを送って励まし慰めていた、と聞きました。
今の社会の状況は50年前とすっかり変わってきています。50年の間に日本は経済的には大いに発展しましたが大切なものをなくしています。孤立し孤独に苦しむ人が増えました。自死者が14年間連続3万人です。
昨年は「絆の年」と言われました。わたしたちは信仰という絆、そして隣人愛という絆が問われています。
おりしも教皇様は第二ヴァチカン公会議開始50周年を記念して『信仰の年』を宣言なさいました。信仰を深める年です。北原怜子さんの生涯に倣うことは立派な信仰の養成になると思います。そこで今日ご一緒に、
「主のはしため、エリザベット・マリア北原怜子の取次ぎを求める祈り」
を唱えたいと思います。
「主よ、あなたは 主のはしため エリザベト・マリア北原怜子に多くのめぐみをお与えになりました。
とりわけ東京で戦争の犠牲になり、顧みられなかった貧しい人々に喜びをもって自らを与え、輝く証しのうちに信仰生活をおくる力をあたえてくださいました。また 汚れなきみ母マリアのご保護の下に小さな人々の育成と援助に愛をもって生涯を捧げる恵みをもお与えくださいました。わたしたちは彼女を通して示されたあなたの業に感謝致します。
主よ、エリザベット・マリア北原怜子の取り次ぎによって、あなたに真心をもって祈るわたしたちに、言葉と行いの一致のうちに信仰を証ししてゆく力を与え、あなたを求めるすべての人に信仰の光を与えてください。また。いま信頼をもって祈るわたしの願いを聞き入れてください。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。」