教区の歴史
蒲田教会50周年記念ミサ説教(復活節第4主日)
2011年05月15日
2011年5月15日 蒲田教会にて
第一朗読 使徒たちの宣教(使徒言行録2・14a、36-41)
第二朗読 使徒ペトロの手紙(一ペトロ2・20b-25)
福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ10・1-10)
蒲田教会の皆さん、献堂50周年、おめでとうございます。
今日は復活節第4主日です。「よい牧者の主日」と呼ばれ、毎年、ヨハネ10章から「羊と羊飼い」のたとえが読まれます。
イエスは言います。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10・10)、また10章11節では「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われました。
よい牧者イエスは羊であるわたしたちが豊かな命を得るために来られました。そのためにいのちすら惜しまれませんでした。イエス・キリストは、十字架にかかり、自らその身にわたしたちの罪を担い、わたしたちに罪の赦しをもたらし、わたしたちを神のいのちに与らせてくださったのです。本日の第二朗読で使徒ペトロが教えるとおりです。
使徒ペトロは使徒言行録で使徒たちを代表して力強く確信に満ちて説教しています。
「悔い改めてなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪の赦しをいただきなさい。」(2・38)
旧約聖書は牧者の役割を繰り返し説き起こしています。イスラエルの民の世話をすること、弱い人たちを守りその訴えを聞いて民に奉仕することがイスラエルの指導者、とくに王たち、祭司たちの役割でありました。しかし彼らの多くは、彼らに神から託された任務には不忠実であり、「神の目には悪とされることを行った」と聖書のなかでたびたび非難されています。
いまエゼキエル預言者の口を通して主が言われたことを思い起こします。エゼキエル34章で次のような牧者は災いである、と非難されています。
その牧者とは「群れを養わないで自分を養う牧者、弱いものを強めず、病める者を癒さず、傷ついたものを包まない牧者。追われた者を連れも出さず、失われた者を捜し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配する牧者」のことです。
主は言われます。
「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」(34・11)「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それはわが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。」(34・23)
「(彼は)悪い獣をこの土地から絶ち、彼らを荒れ野において安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。」(34・25)
ここでいわれたダビデとはイエス・キリストのことだと思います。
使徒たちはよい牧者主イエスから牧者キリストの使命を受けました。その役割は教会全体のものですが、特に使徒とその後継者、そしてその協力者である司教、司祭のものです。
おりしも今日は世界召命祈願の日です。よい牧者の召命のために祈りましょう。司教・司祭がよい牧者としての使命を果たすことができますよう祈ってください。
3月11日に東日本大震災が起こり、わたしたちは大きな不安、苦しみ、悲しみの中におります。
聖金曜日にイタリアのテレヴィでベネディクト16世教皇が世界中から寄せられた質問に答えると言う番組が放送されました。最初の質問は日本の7歳の少女からのものでした。このエレナちゃんという7歳の少女は教皇ベネディクト16世に質問しました。
「わたしは地震でとても怖い思いをしました。同じ年のたくさんの子どもたちが亡くなりました。どうしてわたしたちはこのような悲しい目にあわなければならないのですか?」
教皇様はお答えになりました。
「どうして皆さんがこのように苦しまなければならないのでしょうか。わたしには答えることができません。けれどもわたしは知っています。イエスは罪がないのにわたしたちと同じように苦しまれました。神様は皆さんの苦しみをご存知です。神様は皆さんのそばにおられます。神様は皆さんを愛しておられます。世界中の人が皆さんと一緒にいてくださいます。いつか、なぜかがわかるときがくると思います。・・・」
一人の7歳の少女へ、教皇様はこのように誠実に丁寧にお答えになりました。まさによい牧者の働きではないでしょうか。
一昨日、教皇代理として大震災のお見舞いのために、教皇庁開発援助促進評議会議長のロベール・サラ枢機卿様が東京に来られました。昨日はカテドラルでささげられた「教皇ヨハネ・パウロ二世列福感謝ミサ」に参加され、ご挨拶をいただきました。今日は仙台のカテドラルでミサをささげて、その後で被災地を訪問してくださいます。これもよい牧者としての働きです。
わたくしは4月25日、26日仙台訪問し、お見舞いし被災地の様子を見てまいりました。仙台の司教は平賀徹夫司教様です。司教様はわたしたちに司祭の派遣を要請されました。
司教様は言われました。
「被災地の沿岸部へ教区の司祭を派遣し、教会のためばかりでなく、被災地の人たちのための救援・支援に努めたい。そうすると内陸部の教会の司牧が手薄になる。その補充のために、仙台教区ではないほかの教区・修道会等から司祭を派遣して欲しい。」
この平賀司教の要請に応えるために、司祭評議会で相談し、よい牧者の働きを応援するために、東京教区からまず一人の教区司祭の派遣を決定し、すでに派遣いたしました。
大震災によって多くのいのちが危機に瀕しています。
また、現代の荒れ野で多くの人が孤立し孤独に苦しんでおります。現代の荒れ野において多くの人が迷い悩み生きがいを失いつつあります。無縁社会と呼ばれる現代の荒れ野において、わたしたち教会は、一人一人のいのちの尊さを訴え守り、人々のための希望のしるしとなりたいと思います。砂漠のオアシスとなりたいと切望します。苦しみ嘆き迷う人々の友となり、癒し包み力つけるという牧者の働きをしたいと願います。
今日50周年を祝う蒲田教会の皆さん、ご一緒にこの教会の使命に励んでまいりましょう。