教区の歴史

教区の歴史

築地教会歴代東京大司教(教区長)追悼ミサ説教

2010年06月06日

2010年6月6日 築地教会にて

 

 

今日は歴代の東京大司教様方の追悼ミサをささげるために、前の、元の・・と言いましょうか、司教座聖堂であった築地教会を訪問しております。

折りしも今日は、「キリストの聖体」の主日です。5つのパンと2匹の魚の奇跡の話です。

皆さんに思い出していただきたいのですが、私が10年前に東京大司教に任命されました時に、司教の紋章を定めなければなりませんでしたので、任命の頃の前後の主日の福音に従い、その福音から教えていただいて、紋章を定めました。5つのパンと2匹の魚を取り入れた紋章です。

東京教区は東京都と千葉県を担当しております。この東京という最も人が集まっているところ、数知れない人々が生活し、仕事をし、学んでいるところです。

私たちカトリック信者は本当に少数です。登録されている信者は9万人おりますが、本当に少数です。その少数の信者が神様から頂いた恵みを分かち合っていくことによって多くの人に神の救いを伝えることができる、私たちにはそのような使命が与えられています。私たち自身は貧しい、そして数少ない神の民に過ぎませんけれども、私たちの間でパンと魚、5つのパンと2匹の魚を分かち合う、この分かち合いをとおしてイエス・キリストの復活の恵み、光を多くの人に伝えることができるのであり、また、伝えることが私たちの使命である。ということを自覚し、そのことをいつも思い起こすことができるようにと、この紋章を定めた次第です。

 

今日は、歴代の東京の大司教様の追悼をする日です。初代の大司教様はピエール・オズーフ大司教様。6月に亡くなられたということで、今日、追悼しております。

オズーフ大司教様は東京教区が正式な大司教区になる前から司教になっておられました。今日、その辺のお話をうかがうことができると思います。私も東京大司教になったので、私の前任者、あるいは先任者の大司教様がどんな方であったのかということに、少しずつ関心を持ちまして、折りあるごとに聞いたり調べたりいたしました。

1891年に東京大司教区が成立しました。およそ110年前、間もなく120年になります。100周年の時、私は東京教区におりませんでした。でも東京教区出身の司教であったので、呼ばれて100周年のミサに参加したことを記憶しております。

オズーフ大司教様、その次がムガブル、ボンヌ、レイ、それからシャンボンと5人のパリ外国宣教会の大司教様が続きました。ムガブルという方は第2代の大司教ですが、故郷(ふるさと)で亡くなりました。お墓もフランスのバスク地方のゲタリという漁村にあります。一昨年前だったと思いますが、私はパリ外国宣教会創立350周年記念祝典に参列した際に、ぜひお墓参りをしたいと、現在のパリ外国宣教会の管区長のシェガレ神父の案内でゲタリまで行きまして、お墓参りをいたしました。お墓と言っても教会がお墓になっています。

シャンボン大司教様の後、皆様のご記憶に新しい土井辰雄枢機卿、白柳誠一枢機卿、そして私が8代目です。白柳枢機卿様は昨年の12月30日、帰天されました。

今日は築地にきておりますが、私が住んでいるカテドラルの関口教会の主任司祭が今度交代し、山本量太郎神父様になりました。その山本神父様のあいさつというのが関口教会の月報に出ていて、今朝出ようとしたら、机の上の私の郵便受けに置いてあったので、読んできました。こういうことを言っています。担当司祭が変わるといろんなことが変わるかもしれない。でも本当の主任司祭はキリスト様です。どんな司祭になっても、誰になっても・・・正確に言わなければなりませんね。「皆さんの本当の主任司祭はキリストご自身です」ということを関口の信者に伝えました。彼は転任を命令されて関口教会に赴任したわけですが、彼が10年間司牧したのは小金井教会です。小金井教会でも同じことを信者の皆さんに言ってお別れしてきました。そして、さらにこの月報の『関口』によりますと、山本神父様は15年ほど前に北関東のある教会へ臨時に頼まれて日曜日の朝のミサに行き、そこで、その前任者の言葉を見つけました。(その前任者は私が知っていた方で、フランス人の方だと思います)「皆さんの本当の主任司祭はキリストご自身です」。前任者はそう言い残して去っておりました。

私は8代目の東京大司教なのですが、本当に不肖の大司教でありますが、皆さんを牧する本当の牧者はイエス・キリストです。キリストから派遣され、キリストの代わりに務めておりますが、なかなかイエス・キリストのようにはいかないですね。いかないことを皆様はよくご存じです。しかしキリストから派遣されて一生懸命やっているということをご理解いただいていると思います。司教、司祭はそういうものであります。

 

今日はご聖体の日ですが、皆さんはカトリック信者になって、ご聖体というものを信じています。本当に信じていますか?信じているはずです。ごミサの時に司祭がパンとぶどう酒をイエスの御体、御血に変えます。聖別するわけです。昔は聖変化と申しましたが、聖別します。これは本当にイエス・キリストの御体であり御血であると信じているわけです。

でも先日、ある信者さんから聞きました。「私は幼児洗礼でずっと信じてきた。ずっと何十年も信じてきた。でもこの間、病気をした時に、今まで信じたことについて、ちょっと動揺が生じた。『私は死んだらどうなるのだ』と」。それはもっともな疑問だと思いますが、さらに今まで何の疑いもなく信じてきたことにも、「本当だろうか」という気持ちが湧いてきたそうです。「これはイエズス様の御体です。血です」。自分でも「疑ってはいけないな。」とか「そういうことを言っていいのかな。」とか思いながら、ちょうど私が隣に座って、そして話が途切れたものですから、「ちょっと日ごろ感じていることを、この際、滅多にお目にかかれませんので、お話したいのですけれども・・・」と。「何でもおっしゃってください。」と言って、そういう話になりました。

私は大変感動いたしました。ずっと信じてきたのです。でもイエス様の御体、御血。このカトリックの教えは、このパンとぶどう酒が物理的にというか、化学的に変化を起こして、動物の肉とか市販されているぶどう酒になるわけではないのですね。そうではない。じゃあ、どういう意味なのか。神学者たちは大変苦労して2000年の間、説明してきたのです。いろいろ説明しました。難しい言葉も使いました。だけど、信じられれば難しい言葉を使う必要はないのです。私も神学校で長い年月勉強しましたが、私が一番納得できた説明は「復活なさったイエス様がここにいらっしゃる」。復活なさったイエス様は、つかまえられない、見えないが、復活なさったイエス様がここにいらっしゃる、現存する、という説明でありまして、それ以上は追求しないで「ああ、なるほど」と思ったのです。しかし、それは疑い出せばきりがないことであります。

 

今日は一言申し上げて終わりにしたいと思いますが、先日聖霊降臨祭を祝い、それから次の日曜日は三位一体の主日、そして今日はキリストの聖体の主日です。復活なさったイエス・キリストは弟子たちにご出現なさいました。ご自分が生きているということを証しなさったわけです。それで50日目が聖霊降臨ペンテコステです。40日間、弟子たちの間に現れたということです。で、弟子たちの元から去って行き「私は世の終わりまであなたがたと共にいる」とおっしゃって、教会をつくられました。私たちの教会をつくられました。そして、この教会にいつも留まっておられます。

教会というのは、もう地上にはイエスはおられないということを表しています。しかしイエスは聖霊の派遣をとおしていつも私たちと共にいてくださるということも表しています。表さなければならない共同体であります。イエスがいらっしゃる。復活したイエスがいつもいてくださる。ご聖体にいる。私たちの集いにいる。神様は私たちを復活の光で照らしてくださっている。私たちは、イエス・キリストが復活したのだ、復活したイエス・キリストはここにいらっしゃるのだ、ということを人々に表しているという使命を持っています。

自分でいくら言っても、外の人がそう思ってくれないと仕方がありません。私たちを見てそう思ってくれるでしょうか。人間の価値と同じで「おれは立派なんだ」と自分で言ってもしょうがない、人が認めなければならないわけであります。

日本の教会は今、どうでしょうか。世界のカトリック教会はどうでありましょうか。なかなか難しい状況にあると私は思っております。教皇ベネディクト16世様は、大変な状況で教皇の任務を、非常に重い任務を務めていらっしゃいます。教皇様のために私たちはお祈りしなければいけないと思います。

 

教会は、復活したイエス・キリストがいらっしゃるということを示すしるしです。そのしるしは、時には明るい、輝かしい光として、人々に示されていますが、時には暗くてよく見えない、消えそうだ、そういう暗いしるしであるかもしれません。そういうことを言われたのはパウロ6世教皇様です。

私たち東京教区は明るいしるしになっているでしょうか、復活したイエス・キリストを本当に示す輝かしいしるしになっているでしょうか。ぜひそうなりたい。それは、人々が私たちを見て認めてくれるかどうかということです。

まず私たち自身の中にイエス・キリストがいてくださることを深く信じ、そしてその光を多くの人に伝えることができるように、歴代の大司教様たちの取り次ぎをお祈りしたいと思います。