教区の歴史

教区の歴史

世界病者の日ミサ説教

2010年02月11日

2010年2月11日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

第1朗読 エゼキエル書37・1-14

第2朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙8・18-27

福音朗読 ルカによる福音8・42-48

 

今日2月11日はルルドの聖母の日であり、また世界病者の日です。

救い主イエス・キリストは地上の生涯の間、何をなさった人でしょうか?福音書を読むと、イエスが多くの病人をいやし、悪靈を追い出したことが告げられています。イエスの行われたことでは、いやしと悪魔祓いということが非常に目立ちます。

今日のルカの福音もイエスが出血症の女性をいやした話です。この女性は12年間も出血が止まらず、全財産を使ってあらゆる医者に診てもらったが治してもらえませんでした。同じで出来事を語るマルコ福音書では、「多くの医者にかかっても、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけだった」(5・25)と告げています。彼女はどんなにか辛く苦しくまた恥ずかしい思いをしたことでしょう。

もうどうにもなりません。万策つきました。残るのはこの人、ナザレのイエスにすがるしかない、と彼女は考えました。彼女は、いやしを行うイエスの評判を聞いていたことでしょう。

旧約聖書のレビ記によれば、出血の止まらない女性は汚れた存在とされ、出血が止まったら7日間過ごし8日目に祭司によって贖いの儀式を受けて清めてもらわなければならないことになっていました。(レビ15・25-30参照)汚れた存在とされるということは隔離されるということです。汚れたままで人に接触することはゆるされていませんでした。この女性はこの規則を知っていたと思います。しかし追いつめられた彼女には規則を守る余裕はありません。彼女には、イエスなら自分が触れても受け入れてくれるという信頼があったに違いありません。彼女は群衆に紛れ込んで、必死の思いで、イエスの服の房に触れました。

ユダヤ人は衣服の四隅に房を縫いつけ、その房に青い紐をつけるよう、定められていました。(民数記15・37-41参照)ユダヤ人の男性であったイエスの服にもそのような房がついていたと思われます。彼女がイエスに触れたその瞬間、イエスは自分から力が出て行くことを感じました。いやすためには、いやす人に力が必要です。いやしのために大きなエネルギーが必要でしょう。女性はたちどころにいやされます。女性は進み出て、ことの次第を皆の前で話しました。イエスは言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」イエスは度々この言葉を他の人にも語っています。「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。イエスなら自分が触れても受け入れてくれるだろうという、この女性のひたむきな思いがイエスからいやしの力を引き出したのだと思います。

病気の苦しみは肉体の苦しみだけではなく精神的な苦しみでもあります。病者は孤独に苦しみます。また社会的な差別、あるいは隔離を受けて苦しむことにあります。自分が周りの人から忌避される、排斥されることにより苦しむのです。

イエスはこの女性の肉体的・精神的苦悩と社会的迫害、偏見、差別から彼女を解放したのでした。

 

現代でも心身の病気や疾患、障がいに苦しむ人は少なくはありません。高齢化社会となり、わたしたちは長生きするようになりましたが、病気も増えてきたような気がします。

何故この世界には病気や障がいがあるのでしょうか?この疑問が心に浮かんできます。

イエスは実に、「いやす人」でした。イエスの建てた教会であるわたしたちはこのイエスのみ業を受け継ぎました。教会の歴史を見ればはっきりしています。多くの信者は病者のために働きました、そのために修道会も創られました。

教皇様も教皇庁も病者には大きな関心をもっています。ご自身病者であった教皇ヨハネ・パウロ2世教皇は2月11日・ルルドの聖母の日を世界病者の日と定めました。

また教皇庁には『教皇庁保健従事者評議会』があります。本年設立25周年を迎えます。

教皇様は今年のメッセージで司祭の務めについて述べています。

「司祭は病者のために奉仕者です。キリストは病者の苦しみに深く心を痛めました。司祭はそのキリストを伝えるしるしであり道具です。司祭の皆様、病者へのケアと慰めを惜しまないでください。試練にある病者の側で過ごす時間そのものが、他のすべての牧者の働きに豊かな恵みをもたらします。

病者の皆様、どうか司祭のために祈ってください。あなたの苦しみを司祭のためにささげてください。司祭が自分の召命に忠実に留まり、司祭の奉仕が教会全体のために霊的実りを結びますように。」

 

最後に本日の聖書朗読について一言申し上げます。

第1朗読はエゼキエルの預言です。枯れた骨に筋、肉、皮膚が生じ、霊が宿る、という預言です。

第2朗読はローマの教会への手紙。すべての被造物はいつか滅びへの隷属から解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由に与るといっています。

ともにわたしたちが将来受けるいやし、救い、贖いへの信仰と希望を新たにする、非常に重要な箇所であります。