教区の歴史

教区の歴史

習志野教会堅信式説教

2009年11月08日

2009年11月8日 習志野教会にて

 

今日は年間第32主日でございます。

福音では貧しいやもめが自分の持っている全てを神殿で献金致しました。

同じ様に第一朗読で列王記に出て来る寡婦も(そう言えば二人とも寡婦、社会的に弱い立場にある人の代表とされています)、このサレプタの寡婦も預言者エリヤのために、持っている、なけなしの小麦粉と油を使ってパンを作ってエリヤをもてなしました。

第二朗読はヘブライ人への手紙ですが、イエスは全ての人の罪の贖いのためにご自身を余すところ無く十字架の上でおささげになりました。

わたしたち一人ひとり、何をささげることが出来るでしょうか。何のためにどのように自分自身の持っているもの、あるいは自分自身をささげることが出来るでしょうか。 

今日、堅信式が行われます。洗礼を受けた方々が更に聖霊に強められ聖霊の降臨の恵みに与って力強く信仰を証しすることができるようにされる秘跡でございます。

ヨハネの福音によると復活なさったイエスはその日のうちに弟子たちの所に現れました。そして「あなた方に平和があるように」と言われました。普通、聖霊降臨は五十日祭と言いますように五十日目の出来事とされておりますが、これによると同じ日に起こった出来事とされています。

弟子たちは非常に恐れていました。ユダヤ人が自分たちに何をするのか分からないと考えて恐れていましたが、さらに、非常に打ちのめされていました。自分自身に対する嫌悪の気持ちが強かったと思われます。なにしろペトロをはじめ弟子たちは最後まで命を賭けてイエスに従うと大見栄を切ったのに、見捨ててしまい裏切ってしまったのですから。自分自身を許せない、そういう気持ちになっていました。そこにイエスが現れて「あなた方に平和がありますように」と重ねて言われたので、彼らは非常に喜び、そして心の平安とともに勇気を与えられました。力強く福音を宣べ伝え、そして信仰を証しし、命をささげることが出来ました。

この恵みを授ける秘跡が堅信です。この堅信の秘跡を授ける時、最近いつも思い出すお祈りがあります。私の部屋の机の上にいつも掲げてあるお祈りです。今日は英語のミサでもあるということで、英語ですけれどもお伝えします。

 

The Serenity Prayer

God grant me the serenity

to accept the things I cannot change;

courage to change the things I can;

and wisdom to know the difference.

–Reinhold Niebuhr

 

作者はReinhold Niebuhrというアメリカの神学者で第二次世界大戦中に行われた説教の中の祈りだそうです。まず兵士の間で広まり、それから依存症の人々の祈りとして普及したと言われております。

作者は三つの言葉を願っております。変えることが出来ないことありますね。たくさんあります。変わることが出来ないことを受け入れる心の静けさ、Serenityを下さい。

それから変えることが出来ることもたくさん有ります。自分に出来ることを変えて行く、変革して行く、良くして行く、その勇気Courageを下さい。

そしてどちらでしょうか、変えられるのでしょうか、変えられないのでしょうか。それを見抜ける知恵Wisdomを下さい。

こう言う祈りであります。

堅信式にふさわしい祈りではないかと思い、最近いろんな機会に申し上げております。

この違いを知る知恵と言うのですけれども、この知恵と言うのは調べてみると昔は上智と訳されていました。上智は四谷にある大学と同じです。ラテン語ではsapientia、ギリシャ語ではソフィアsophiaです。

この上智は、今からわたくしが行おうとしている典礼で唱えられる祈りの言葉では「知恵」となっております。司教は「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心をお与え下さい。」と祈ります。ここに七つの聖霊の賜物があげられています。昔は次のように言っていました。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬畏、です。この上智と、剛毅すなわち勇気です。

神様のみ旨を知り、そして自分が行うことの出来ることを行っていかなければなりません。自分に委ねられていること、自分がしなければならないこと、自分なら出来ること、あるいは自分しか出来ないこともあります。それを行うためには勇気が必要です。なので、勇気を授けていただくことをお願いします。この堅信では知恵と勇気を授けるのです。 

堅信を受けられる皆さん、既に受けた皆さん、自分は何を成すべきか、何を成すことが出来るか、考えてください。わたしたちはこの世界を変えていかなければなりません。しかし世界を変える前に、先ずわたしたちの教会を変えなければなりません。いや、その前に自分自身を変えなければならないですね。人に変わってもらうためには自分も変わらなければならないのですから。あなたしか変えることの出来ない自分自身があるのです。それを変えていく恵みを、今日ご一緒に祈りたいと思います。