教区の歴史
ドミニコ会司祭叙階式説教
2009年10月12日
2009年10月12日 渋谷教会にて
叙階:ヨハネ 寒野康太神父
第1朗読 エゼキエルの預言34章11-16,30節
第2朗読 コリントの信徒への第二の手紙4章1,2,5-6節
福音朗読 ヨハネによる福音20章19-23節
今日の司祭叙階式のために選ばれて福音は、ヨハネによる福音20章19-23節、毎年、復活節第2主日(神の慈しみの主日)に読まれる箇所です。
イエスの十字架という出来事に遭遇し、弟子たちはパニックに陥っていました。「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」とあります。彼らは恐怖に怯えていました。また先生を裏切り見捨ててしまったという後ろめたさと悔恨にさいなまれていました。彼らは恐れと悔恨という最低の状態、ひどい落ち込みの状態にあったのです。
その弟子たちのところへ復活したイエスが現れて、
「あなた方に平和があるように」
といわれたのです。弟子たちは非常に喜びました。「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。この弟子たちの体験が教会の誕生の原点となりました。
イエスが自分たちの裏切りをゆるしてくれたという弟子たちの救い、喜びの体験です。彼らはゆるされ、癒され、大きな喜びを体験しました。この喜び、癒し、救いの体験が教会の誕生にあります。教会は復活したイエス・キリストから赦しを受けた喜びによって生まれた共同体です。教会をこの喜びを伝えるために生まれ、派遣されています。「父がわたしをお遣わしたようにわたしはあなた方を遣わす」とイエスは弟子たちに言われました。きょう寒野さんは司祭に叙階され、この喜びを宣べ伝えるという、この教会の使命に生きる司祭となるのです。どうか、使徒の後継者である司教の協力者として多くの人々にこの喜びを伝えてください。
今日の第1朗読はエゼキエル34章です。預言者エゼキエルを通してから主なる神は「自分を養う牧者」を激しく弾劾しています。牧者の務めは「群れを養い、憩わせ」「失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」ことです。
現代は不安、悩み、苦しみの多い時代です。どうかよい牧者として、迷うものを導き、傷ついたものを癒し、弱ったものを励ますというよい牧者の務めを果たしてください。
第2朗読は使徒パウロのコリントの信徒への第二の手紙4章です。使徒パウロはダマスコへ向かう途上で、復活したキリストに出会い、強い光を受けて劇的な回心をとげました。そしてキリストを宣べ伝え、キリストの光を掲げる使徒となり、殉教を遂げたのです。寒野さんも復活したキリストの光を現し伝えるものとして歩んでください。現代の人はいわば闇の中におかれているような状態にあり、誤りと迷いの中にいます。その人々をキリストの光で照らしてくださるようお願いします。
昨日の10月11日、ローマの聖ペトロの広場で列聖式が行われ、5人の方が聖人に列せられました。その中に一人はドミニコ会の司祭で、19世紀のスペイン人で、フランシスコ・コルという方です。燃えるようなキリストへの愛を生きた司祭であると教皇ベネディクト16世が言っておられます。
寒野さんは今日、ドミニコ会の司祭として叙階されます。ドミニコ会は聖ドミニコを始め多くの聖人を出しました。おりしも今「司祭年」です。ドミニコ会の会員として、ドミニコ会の多くの聖人に倣い、日本の福音化のために大いに尽くしてくださるようお願いします。