教区の歴史

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下井草教会堅信式ミサ説教

2009年09月27日

2009年9月27日 下井草教会にて

 

下井草教会の皆様、今日は堅信式です。堅信は洗礼を受けて神の子供となり、教会に加わったキリスト者が、さらに聖霊の賜物を受けて、信仰を強くして頂き、力強くイエス・キリストの生涯、特に死と復活を証しする恵みを授ける秘跡です。 

まず今日の聖書と福音をご一緒に味わってみたいと思います。

弟子たちがイエス様に言います。

「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

弟子たちにしてみれば面白くありません。こちらの了解も許可も得ないで、勝手に先生の名を使って悪霊を追い出すという事をしている。これはとんでもない事ですから「やめさせましょう」と言うつもりだったのでしょう。

この弟子たちの気持ち、何となく分かるような気がいたします。自分の領分、縄張りと言いますか、そこに勝手に入って来た。これは良くないという気持ちだったのでしょう。しかし、イエス様は「そうだそうだ、その通りだ。やめさせなさい」とは仰らなかった。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後でわたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」

「わたしの名前を使って奇跡を行う」という時の「わたしの名前」はイエス様の名前です。イエス様の名前で悪魔払いを行うということは、その人が自分の力ではなく、イエス様の力を借りて悪魔を追い出したということになります。確かにその人たちは勝手にイエス様の力を借りている事になりますが、その時に働いた力は、神様の力、聖霊であります。神様の働きですから、やめさせてはならないということになります。

実際、人がよいことを行うときにはそこに聖霊の働きがあります。聖霊は思いのまま働いて神様のみ業を成し遂げてくださいます。意識してキリストを信じていない人にも聖霊が働き、よい働きをするよう導くことがあると思います。 

他方、似たようなイエス様の言葉があります。それは、「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」(ルカ11・23)と言う言葉です。これは「味方しなければ敵である」という意味でしょうか? 今日のマルコの福音に出てくるイエス様のお言葉、先ほどの話と違うのではないか?矛盾していないでしょうか?ちょっと頭の整理が必要かと思います。

「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」というお言葉はどのような文脈で言われたのでしょうか? イエス様が悪魔を追い出している時の話です。イエスは悪魔を使って悪魔祓いをしている、と悪口を言う人がいました。それでイエス様は言われました。

「どうして悪霊と悪霊が争う事が出来るだろうか?そういう国は成り立たない。」悪魔が悪魔を追い出す事はありえないのです。そうではなく、悪霊を追い出す力は神様の力、聖霊なのだと仰いました。ですからこの場合「イエスに味方しない者」「わたしと一緒に集めない者」とはサタンの仲間を指しています。聖霊に従わなければ結局サタンの仲間となります。悪霊との関係では中立はありえません。イエス様は悪霊よりも「もっと強い者」であったので、聖霊によって悪霊を追い出すことができたのです。「もっと強い者」とはイエス様のことです。(ルカ11・14-23参照) 

今日の民数記ですが、モーセが一人でいろいろな任務を行っていたが一人では処理しきれない。それで神様がモーセに授けた霊を、さらに別の70人の人にお授けになり、モーセを助けるようにさせました。司祭の叙階式の時に、司教が唱える言葉の中にこの事が出てきます。“モーセに授けた霊が70人にも授けられました。司教に授けられる霊、司教の役を果たす事が出来るように助ける神様の恵み(神の霊)が、いま司祭になる人たちにも授けられますように”という祈りです。

わたしたちキリスト者は神の霊(聖霊)を受けた者であり、日々聖霊に導かれて、生かされて歩む者であります。

今日は特に堅信を受けられる皆様は、聖霊の賜物、七つの賜物、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心、を受けて、特に強い信仰に恵まれて、信仰を生きるための勇気を受けるのであります。それは聖霊の働きであります。

この世の中には、人を惑わし、わたしたちを誘惑する悪の力が働いています。福音書に出てくる、悪魔の働きはもう終わったという訳ではなく、今の時代もあるいはもっと強く働いています。聖霊の照らしを受け、正しく判断し、そして清い心を持って毎日の生活を神様にお捧げしましょう。 

今、多くの人は疲れ、悩み、そして迷っています。聖霊の光を受け、神様の導きに従って歩む事が出来るように、悪の誘いははっきりとはねつけることが出来ますようにお祈りいたしましょう。聖書をよく読み、ミサによく与かり、朝晩のお祈りを怠らないようにしてください。日本の社会・経済状況も良くありませんし、多くの人々は心の問題を抱え、悩み苦しんでいます。教会がそういう人々のための安らぎ、励ましとなる事が出来ますように。わたしたちも力を合わせ、良く祈り、イエス・キリストの福音を知らせる、イエス・キリストの教会として歩んで行けますよう、ご一緒に祈りを捧げたいと思います。