教区の歴史
赤羽教会堅信式説教
2009年06月21日
2009年6月21日 赤羽教会にて
いま読まれたマルコによる福音の中でイエスは言いました「なぜ、怖がるのか、まだ、信じないのか。」
この、イエスの言葉をしっかりと受け止めたいと思います。実際、誰にとっても、生きるということは大変なことで、時々大きな困難にぶつかったり、あるいは非常に不安になったり、恐ろしくなったりすることがあります。そういうときに、いつも復活された主イエスがわたしたちと一緒にいてくださることを思い起こし、そして、神様への信頼を深めたいと思います。
今日の二番目の朗読は、使徒パウロのコリントの教会への第二の手紙です。パウロは言います。「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。」
これは、どういうことでしょうか。「一人の方がすべての人のために死んでくださった」というのは、イエスがすべての人の罪のあがないのために十字架にかかって死んでくださったことを言っていると思います。イエスは本当に、すべての人の罪の許しのために十字架にかかってくださいました。
わたしたちは、イエスがすべての人のために、罪のあがない、ゆるしのために亡くなってくださったことを信じるときに、イエスと共に死に、イエスと共に新しく甦るのであると思います。
洗礼を受けたときのことを思い起こしてください。わたしたちの古い人は水のなかで沈められて、古い人は亡くなり、死んで、そして水から引き上げられるときに新しい人となって、新しい人としてキリストと共に生きることになりました。「キリストと結ばれた人はだれでも、新しく創造された者なのです」と使徒パウロは言っています。わたしたちは洗礼を受けたときに、キリストと共に死に、キリストと共に復活しました。そして、今日堅信を受けられる皆さんは、聖霊の七つのたまものを受けて、信仰を深く、強くしていただき、力強く、主イエス・キリストの復活を証しするようになります。このことを、強く、深く、心に刻んでください。
私は、この一週間、会議に出ておりました。どういう会議かというと、 司教の会議です。毎年6月には、定例司教総会というものがあります。月曜から木曜まで会議でした。そして、その会議の後、今度は 全国の神父様の代表者と一緒にこれから日本の教会はどのようにしてイエスの宣教の命令を実行したらいいだろうか、ということについて話し合いました。
なかなか機会がないので、今日この一週間の会議・集会の内容を少しお伝えしたいと思います。
ちょっと突然ですが、裁判員制度ということについて司教たちは相談しました。ご存じだと思いますが、日本では一般の市民が選ばれて、裁判に参加することになっています。もし「あなたは裁判員になってください」と言われたら、どうしたらいいでしょうか。いろいろな方が心配したり不安になったりして、わたしたちの教会に問い合わせをしております。カトリック教会として、この裁判員という制度をどう考えるのか、あるいは裁判員に指名されたらどうしたらいいか。非常に重要な問題であります。それで、どうしたらいいかについて私たちは話し合ってその結論を全国の皆様に短い文章でお知らせしましたので、ぜひお読み下さい。
司祭や修道者の場合と、信徒の場合では違います。司祭の場合、教会の掟、教会法典の規定を守らなければなりません。 教会法では、聖職者は国家の権力を行使する職に就いてはいけないということになっております。つまり司祭が国会議員などになれないわけですが、今度の裁判員はそれに該当するかどうか、人を死刑に定めるそういう裁判に参加していいのだろうか。「司祭の任務にふさわしくない」ということがカトリック教会の教えであると思われます。
では信徒の場合どうでしょうか。信徒だから参加してはいけない、と 一律にはいえないし、参加しなさい、ともなかなか言えません。大変、難しいことであります。よく考え、そして神父様と相談して、自分の良心に従って決めてください。裁判に参加してカトリック教会の教えをはっきりと述べることもよいことだと思います。その場合、教会は死刑ということについてどう考えているのか、この機会によく学んでいただきたいと思います。
その他には、これからの日本の教会のどういうような問題があるのか、どうしたらいいのか、ということについても話し合いました。
一つには日本の教会では司祭が年を取ってきました。その中で、もちろん、司祭になろうという若者を育てていかなければなりません。神父になって、自分の将来をイエスにお奉げしようという若い人がぜひ出てほしいと思います。それと同時に信徒の皆さんも、今まで以上にこの教会の使命を自覚し、しっかりと教会の使命に参加していただきたいと思います。
信徒の働きは大変重要です。400年まえのキリシタンの時代、司祭がどんどん減っていった中で、司祭がいなくとも立派に信仰を証しし、殉教したのがペトロ岐部と187殉教者の殉教者でした。ぜひ、皆様にも信仰をしっかりと保ち、養い育てて、よくお祈りし、聖書の分かち合いなどに参加していただきたいと思います。
もう一つのことは子供たちのことです。 今日も、堅信を受けてくださると思いますが、これからは 本当に子供たちをしっかりと育てて、信仰をちゃんと伝えていかなければなりません。子供の数は減っています。でも、いわゆるダブルの子と言いましょうか、 両親の国籍が違う国際結婚から生まれたお子さんがたくさんいらっしゃいます。お母さんがフィリピン人 、そういう方がたくさんいます。その方々は両方の国をもっと繋ぐ橋になる役割を担っています。そして、日本のカトリック教会もしっかりと担い、盛んにしていただきたい。その子どもたちを育てていくのはわたしたちの本当に重要な使命だと思います。
最後に、今の日本の社会は本当に生きるのが難しい状況にあります。ストレスが多くて精神的に疲れたり迷ったりしてしまう人が多い。教会に、安らぎ、救いを求めてきます。 わたしたちはそういう人たちに、どういう風に応えているのでしょうか。難しいことであるかもしれませんが、少し話し合って、心の問題を抱えている人たちの助けになりたいと思います。もちろん自分でできないことは専門家にお願いしなければなりません。しかし誰でもまず本当に温かく迎えることができるように、準備したいと思います。
東京教区は3つの優先課題を掲げています。いま申し上げた、信徒の生涯養成、教会の多国籍化、そして心の問題への対応、この3つのことをしっかりやっていきたいと思います。
今日、堅信を受けられる皆さん、このことをよく考えてお祈りをしていただきたいと思います。