教区の歴史

教区の歴史

成城教会付属文化教室・閉園記念ミサ説教

2009年03月20日

2009年3月20日 成城教会にて

 

第一朗読 フィリピの教会への手紙(4章4-9節)
福音朗読 ヨハネによる福音(12章24-25節)

 

昨年の11月24日、ペトロ岐部と187殉教者が長崎で福者の列に加えられたことを皆さんはご存知だと思います。188人の中に女性は60人おられます。60人の中で特にわたくしは小笠原みやという方に強い印象を持ちました。小笠原みやは小笠原玄也の妻、そして9人の子どもの母でありました。また小笠原家には4人の奉公人がおり、全部で15人が一緒に暮らしていました。この小笠原家15人が1636年1月30日、熊本で殉教しました。ここに信仰・希望・愛で結ばれた15人の家族の固い結束が見られます。400年経った今から見れば、この事実は大きな驚きです。

小笠原みやの遺書が残っています。彼女は殉教が予想される状況で、しかも非常に貧しい生活のなかで、9人の子どもを生み育てました。彼女は殉教のときを「今か今かと待ち候」と書き残しています。子どもたちに棄教させるようにと迫られましたが、断固として拒否しました。子どもたちの幸せは永遠の命であると堅く信じていたからです。子どもたちを死に追いやることについて親として迷いがなかったのか、とわたしたちは考えてしまいます。多分迷いはあったでしょう。しかし、結局彼女は、殉教こそ永遠の命への道であると堅く信じ、その信仰を子どもたちにも伝えたので、一家揃っての殉教となりました。しかも、奉公人4人も一緒とは本当に驚きです。400年経った現代のわたしたちの家庭・家族は極めて厳しい状況にあると思います。離婚の増加、非婚化、少子化、核家族化、家庭内暴力、いろいろな問題・課題を抱えた家庭・家族があります。 

400年前、多くの人が信仰を捨てなかったために処刑されました。現在は信仰の自由が確立されているので、棄教を拒んでの処刑ということはありません。しかし、それとは対照的な現象があります。処刑されるのではないが、多くの人が自死に追い込まれているという事実です。日本では連続10年、3万人以上の人が自死を遂げています。経済不況の中、自死の増加が心配されます。しかし、人は皆、貧窮という理由だけで自死するわけではありません。貧しくとも人とのつながりの中で生きていくことができます。現代の大きな問題は、人と人のつながりの問題、人間の孤独・孤立ということではないでしょうか。現代の荒れ野において生きる理由と動機を失い、死に追いやられている人がいるのです。

一方、400年前には迫害と貧窮のなかでも9人の子どもを産んで育てた人がいたというのは本当に大きな驚きです。この対照をどう理解したらいいのかと考えてしまいます。

イエスは言われました。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

ここでいう「死ねば」はもちろん、自殺するという意味ではありません。殉教者は、イエスの十字架と復活を深く信じていました。 

今日の朗読で使徒パウロは言います。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」殉教前の小笠原みやの信仰もこのパウロの言葉に適ったものであったと思います。

わたしたちの日々の生活は本当に問題と苦難の連続です。どうしていつも喜んでいられるでしょうか?それがわたしたちの正直な気持ちです。しかし、復活の信仰にしっかりと立てば、希望をもって喜びのうちに歩むことができます。 

人は何のために生まれてきたのですか?人はどこに向かって生きているのですか?人生の意味は何ですか?

この問いに答えるのが宗教です。信仰を次の世代に伝えることが最も大切な教会の務めです。特に子どもたちにこの信仰をはっきりと宣言し、伝えていかなければなりません。

成城教会付属文化教室はその使命を果たして本日閉園となりました。しかし、子どもたちへ、イエス・キリストの福音を伝えるというわたしたちの務めには終わりはないのです。

わたしたちがこの務めをよく果たしていくことができますよう、殉教者の取次ぎによって祈りましょう。