教区の歴史

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2007年 主の降誕・夜半のミサ説教

2007年12月24日

2007年12月24日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

 

今、朗読されましたルカによる福音の中で、天使は羊飼いに向かって次のように言いました。 

「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」(2.10) 

大きな喜びとは何でしょうか。それは救い主の誕生です。今日、わたしたちは救い主イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスのミサを捧げています。救い主の誕生、それは闇の中に輝く大きな光でありました。旧約聖書のイザヤの預言は紀元前8世紀、すでに一人の「みどりご」「男の子」の誕生を告げています。イザヤは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の影の地に住む者の上に光が輝いた」と述べました。 

二千年前にお生まれになった救い主の誕生を祝うわたしたちは2007年の今日、主イエスが光としてわたしたちを訪れ、わたしたちを照らしてくださるよう、心から願い祈ります。紀元前8世紀、人々は闇の中に置かれていました。二千年前のユダヤの国でも人々は罪と悪の暗闇の中で苦しみ迷い、ひたすら救いを待ち望んでいました。イエスは闇の中に輝く光として来られました。イエスはまことの光であり、すべての人を照らす光です。(ヨハネ1.9参照)。光であるイエスは人々に希望を与え、人生の歩みを導き、救い、まことの幸福へと導きます。 

現代の世界にも悪と不条理という暗闇が存在しています。しかも、この闇は人間の外に存在しているというより、わたしたち一人ひとりが作り出してしまっている闇でもあると思います。闇は心の中にも存在しているのです。闇の中にある人は、何がどうなっているのかわかりません。どちらのほうへ向かって歩んだらよいのか、どのように歩んだらいいのか分からないのです。光は人が向かうべき目標を指し示し、日々の歩みの足元を照らします。人々に希望と勇気を与えます。光を受け入れるためには心の準備が必要です。そして何より信仰が必要です。心がさまざまな欲望や思い煩いによって塞がれていては、光が届きません。使徒パウロは今日の朗読、テトスへの手紙でわたしたちに告げています。 

「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みとは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の表れを待ち望むように教えています。」(2.11-13) 

今日、聖なる夜、静かに幼子イエスの前で自分自身の心を空しくし、謙遜で正直な気持ちになり、幼子イエスに向かい信頼を持って祈りましょう。どうかわたしの心を清め、そして、強めてください、と。あらゆる心配、恐れ、不安、悲しみ、怒り...をそのまま主イエスに告白し、お捧げいたしましょう。使徒パウロが「イエス・キリストの栄光の現れ」と言って教えているように、イエス・キリストは最後の日、世界の完成の日に再び来られます。すなわち、キリストの再臨です。キリスト者はキリストの再臨を信じています。クリスマスはキリストの再臨への信仰を深め希望を強めるべき日です。 

教皇ベネディクト16世は最近、新しい回勅を発表されました。冒頭にパウロのことば「わたしたちは希望によって救われています」(ローマの信徒への手紙8.24)を引用し、希望の大切さについて述べておられます。今日は特に聖母の取次ぎにより、わたしたちの希望の徳を深めてくださるよう祈りましょう。