教区の歴史

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前在日ローマ教皇庁大使 Ambrose De Paoli 大司教追悼ミサ説教

2007年10月25日

2007年10月25日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

聖書朗読 ローマの教会への手紙5.17-21
福音朗読 ヨハネ14.1-6 

今日、思いがけず、ここ東京カテドラルで前駐日教皇庁大使Amborse De Paoli(エムブローズ・デ・パオリ)大司教様の追悼ミサをお捧げすることになりました。ここに謹んで大司教様の魂の安息をお祈りいたします。大司教様は1997年11月に日本の教皇庁大使に任命されました。私がはじめてお会いしたのは浦和の司教のときであり、多分、元浦和司教 ラウレンチオ長江 恵(Laurence Satoshi NAGAE)司教様の葬儀のときでしたから、1998年の2月ではなかったかと思います。そのとき以来、2004年12月に離任されてオーストラリアへ赴任されるまで、7年の間に何度もお目にかかる機会に恵まれました。このカテドラルにも何度もお運びいただきました。 

いま私は自分の胸中にある大使の姿、面影、お声を思い出しております。彼はいつもわたしにわかりやすく、ゆっくり、はっきりと話され、また忍耐強く私のつたない英語を聞いてくださいました。司教の一人として私は大使に深甚なる感謝の意を捧げたいと思います。大使は日本のカトリック教会の現状、日本の司教たちの課題をよく理解しようと努めてくださいましたし、実際よく理解してくださいました。言語、文化、環境の違いを超えて普遍の教会であるカトリック教会の在り方を日本において具現しようと努力された方であります。大使は小さな群れに過ぎない日本のカトリック教会の声に耳を傾けられ、しっかりと心に受け止められ、わたしたちの思い、願いを教皇庁へ取り次いでくださったと思います。わたしたちの間には文化の違いという距離がありましたが、それを超えるやさしさと忍耐、そして愛情を持っておられました。種々の具体的な課題についても好意を持って解決にあたられ、日本のカトリック教会の成長と発展に尽くされました。 

イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

わたしたちはいま道であり、真理であり、いのちであるイエスに従って日本の教会の歩みを進めております。イエスの示された道とはなんですか、真理とは何ですか、イエスの示された命とは何ですか、と常に自分自身に問いながらわたしたちは歩んでおります。

東京という大都市、そして首都圏に住む多くの人は、道に迷い、道を踏み外し、飢え渇き、病み疲れています。光が見えないという無明の中に置かれ、命の泉から遠ざけられています。道、真理、命である主イエスの光を多くの人に伝えるという使命に忠実に生きたいと心から願っています。Amborse De Paoli 大司教の追悼ミサを捧げるにあたり、大使の霊前に捧げることのできる最も相応しい捧げものはこの決意ではないでしょうか。わたしたちは多くの人に神の愛と光、いやしと励ましを現し伝えることができますよう、聖霊の導きを切に祈ります。