教区の歴史

教区の歴史

港品川宣教協力体合同堅信式説教

2007年10月21日

2007年10月21日(年間第29主日)高輪教会にて

 

 

今日の福音でイエスは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えておられます。しかし、結びの箇所で次のように言われます。

「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ18・8)気になるお言葉です。イエスは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えるために、いわゆる不正な裁判官の話をし、「神を畏れず人を人とも思わない」ふとどきな裁判官であっても、「うるさくてかなわない」という理由から、やもめの訴えを採り上げるだろう。まして全能で慈悲深い神が昼も夜も叫び求めている人々の祈りを聞き届けないはずはないと教えます。 

人は辛抱強くいつも、いつまでも祈り続けなければならないのですが、ときに祈ることに飽きてしまうことがあります。それではいけないのであって、人は世の終わりまで絶えず祈り求めなければならないのです。そのような信仰、忍耐強く希望に満ちた強い信仰が必要です。福音書にはイエスが人々の不信仰を咎める場面がたびたび出てきますが、信仰を賞賛する場面も少なくありません。2007年はC年で主日はルカの福音書が読まれますが、ルカだけをとってみてみても次のような場面を思い出すことができます。 

1)イエスは百人隊長の信仰に感心して言います。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(7.9)

2)また罪深い女をゆるして言います。「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。」(7.50)

3)さらに、ヤイロの娘をいやして言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(8.39)

4)エリコの近くで盲人をいやして言われました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」(18.42)

彼らの信仰は強く必死でありました。わたしたちもそのような信仰に恵まれたいものです。

 

パウロはテモテへの手紙の中で言います。

「 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(二テモテ4.2)

パウロは折が悪いときでも、人々に都合の悪いことでも、正しいこと、健全な教えを宣べ伝えるようテモテを諭しています。正しいこと、健全なことを伝えること、これが教会の使命であり、堅信を受ける皆さんはこの使命を遂行するのです。そのためにもなお正しいこと、健全なことを学び、そして祈り求めてください。その祈りは必ず聞き届けられます。