教区の歴史
東京教区修道女連盟研修会 ミサ説教
2007年01月04日
2007年1月4日、聖心女子大学聖堂にて 濱尾文郎枢機卿とともに
皆様、明けましておめでとうございます。
今年は濱尾文郎枢機卿様とご一緒にごミサをささげる機会を与えられました。大変光栄に存じます。また今年もこのように皆様にお目にかかり、ご一緒にミサでお祈りできますことを大変有難く存じます。皆様には日ごろより何かにつけて、お祈り、ご支援、励ましをいただいております。この機会に厚く御礼申し上げます。今日は年に一度の貴重な研修会という機会でございます。今日はわたしたち東京教区の使命について、わたしが考えていることを申し上げます。まず今日の福音です。ペトロとアンデレの兄弟の召命が語られています。そこで今日わたくしは東京教区の召命について申し上げたいと存じます。
今年の元旦の教皇の平和メッセージは『平和の中心である人格』というタイトルです。わたしたち人間は極めてよいものとして創造されました(創世記1.31)。しかし、その人間が、わたしたちの教区、この大都会と首都圏に住む多くの人が悩み苦しみ、病み疲れ、孤独の中で救いを求めています。大都会はまさに砂漠(荒野)のようなところです。わたくしは、東京教区は砂漠のなかの泉、オアシスにならなければならないと思うのです。ベネディクト16世は就任の説教で現代の荒野について話されました。現代世界には荒野があります。荒野には危険が多く、生命を脅かしています。心には闇があり、人々は迷い苦しんでいます。教会は人々を神の光、いのちへと導かなければなりません。教会は人々のいのちを守り、養い導き育てる光と恵みの基地でなければならないのです。
人は誰でも掛け替えのない神の似姿です。教皇様は平和メッセージで聖アウグスチヌスの言葉を引用しておられます。
「神はわたしたちの助けなしにわたしたちを創造しました。けれども神は、わたしたちの助けなしにわたしたちを救うことを望みませんでした」。
わたしたちは神の似姿であり、人格として造られており、神の愛に応えることのできる存在です。神はわたしたちに呼びかけています、応答を求めています。わたしたちはその神の呼びかけに応えることのできる人格なのです。その点にこそ人間の尊厳が存在しています。わたしたちは神の愛に応えなければなりません。愛する力において成長し、成熟するよう求められているのです。ベネディクト16世はそう言います。愛する力を強め高めること、この世界をよりよい、よい御心に適った世界にする努力をすること、正義と平和の支配する世界になるよう力を尽くすよう神は求めているのです。
ところで、東京教区にとって今年はカテドラル大改修の年です。カテドラルの外装を整え、新しくし、安全で堅固なものにします。そのために祈りと献金をお願いしております。祈りが大切です。カテドラルから神の愛と光、いやしと励ましが現れ伝わっていかなければならないのです。建物が新たにされてもわたしたちが新たにされなければこの工事にどんな意味があるでしょうか。
今日の朗読では、ヨハネが「神から生まれた人は罪を犯さない」と言っています。パウロはコロサイへの手紙の中で日々新たにされるようにと言っています。いまパウロの言葉を味わいましょう。
「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。・・・互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」
2007年を、わたしたちが日々新たに生まれるための大切な年となるよう祈りましょう。